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皆様、お元気ですか?こちらは、家の裏の森にブルーベリーが沢山実っていて、森の小道を通って買い物に行く途中、いつも摘まんでは食べています。
今回は、7月1日から3日にかけて、フィンランド中部の町ヴィッラトで開催されたSLEY(フィンランド・ルター派福音協会)の全国大会についての報告です。ヴィッラトはトゥルクから250キロほど行ったところにある、人口7,000人程の町ですが、三日間の大会参加者数は延べ1万4,000人に上り、大会開催中の町の人口は2、3倍に膨れ上がりました。大会会場は、町の真ん中にあるヴィッラト教会と教会前の広場を中心に、周辺の小中学校、職業学校がいろいろなイベントの会場になりました。全体集会は教会前の広場で行われ、上の写真は夕刻の野外の聖餐式礼拝の様子です。
SLEYの全国大会は1874年に始まり、今年で142回目となります。開催地は、毎年異なります。SLEYとは、フィンランドのルター派国教会の「公認」のミッション団体の一つで、1900年日本に宣教師を派遣したのを皮切りに、現在ではロシア、エストニア、ケニア、南スーダンにも派遣しています。このほかにも宣教師は派遣していないが、財政支援、神学教育支援等で協力関係にあるルター派教会がミャンマーや韓国等数カ国あります。SLEYと国教会の間にはいろいろ路線対立があるのですが、一応協力関係は保たれ、公認の地位を得ているといったところです。
今年の全国大会で特筆すべきことは、昨年フィンランドに移民難民が3万人以上押寄せたことの影響が顕著に現れたことでした。国教会ラプア監督区のS.ぺウラ監督が全体集会で述べたように、今や福音伝道のミッションは海外だけではなく、国内もミッションの地と化した、福音伝道に国境がなくなってしまった、ということが起きたのです。フィンランドの片田舎で礼拝に20人位しか参加しない小さな教会に突然、40~50人のイスラム教徒難民が姿をあらわしたこともあったそうです。教会は彼らにどう対応し、何をどう伝えるか、各ミッション団体を含め国教会全体が真剣に取り組んでいます。SLEYもヘルシンキの移民難民向けミッションのため、「ルター教会」(フィンランド便り2を参照)に専属の「宣教師」を設けることとし、その職にアフリカ出身の牧師が就任することになりました。
上の2枚の写真は、夕刻の野外の聖餐式礼拝の一コマ。礼拝と言っても、最近は司式の音楽に軽快なポップ調のものが用いられるようになり、このような女の子たちのコーラスがバンドと一緒に司式の音楽をリードします。次の写真は聖餐式の様子。6,000人近い人たちにパンと葡萄酒の配餐をするために、30人近い牧師が動員されます。
全体集会のプログラムの合間や同時並行して、教会や周辺の学校の中で、または湖畔の公園で、年齢層に応じた様々なブログラムやイベントが開かれます。金曜日と土曜日の夜は、若者向けのゴスペル・ロックのコンサートが開かれます。上の写真はその一コマ。CDで聴くと福音のメッセージははっきりわかるのですが、コンサートの激しい騒音と歓声の中では、「…..イエスの愛が俺の利己主義の壁を突き破った瞬間….」とか、「….十字架が罪の負債を帳消しにした、俺は本当に自由だ….」とか、断片的に聞き取れるのが精一杯でした。
私が参加したプログラムの一つに、教会を会場にして行われた講演会があります。論題は「キリスト教の『三位一体説』は、ユダヤ教イスラム教からみると、なぜ気違いじみた教えに見えるのか?」という挑発的なもの。講演者は、オーボアカデミー大学神学部の旧約聖書・ユダヤ教学のA.ラート教授とP.リンドクヴィスト講師。二人は昨年の全国大会の講演でも、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という世界三大一神教の比較をテーマにして会場を満員にしました。今年も満員でしたが、驚いたのは年配の方の参加が多く見られたことです。イスラム教の存在を身近に感じ、どう対応しなければならないかを真剣に考えているのは若者層だけではないことを窺わせました。
3日の日曜日は朝から雨が降り、野外の全体集会の成否が危ぶまれましたが、午前の聖餐式礼拝の初めころにはやんで、あとに続くプログラムでは時々太陽も顔を出すくらいになりました。その日の降水確率は90%の予報が出ていたのですが、父なるみ神は参加者みんなの祈りを聞き遂げて、10%の方を実現してくださいました。下の写真は、聖餐式礼拝の始まりの様子。聖餐式を担当する40人近い牧師たちが十字架を先頭にして聖壇前に進みます。会衆は敬意を表して起立します(今年招待されたミャンマーや韓国のルター派教会の牧師も聖餐式を担当しました)
全国大会最大のイベントの一つは、宣教師の派遣の按手式です。下の写真は今年派遣の按手を受ける宣教師たち。先頭にいるアフリカ人牧師はヘルシンキの「ルター教会」専属の移民難民宣教師に就任するR.O.オティソ牧師です。今年新規に派遣される宣教師が3人、派遣更新された宣教師は9人でした。
日本派遣宣教師は、吉村の家族を含めて6名。下の写真は聖壇前に向かう吉村宣教師一家。
下の写真は、按手式を前に子供たちが派遣国の旗を振って見送りの歌を合唱しているところ。
宣教師の派遣式のあとも全体集会は続きます。上の写真は、スオミ教会の活動について報告するパイヴィ宣教師。
人口7,000人程の町に1万4,000人の人が押し寄せて、食事や宿泊はどうなるか驚かれるかもしれません。宿泊は町や近隣のあらゆる宿泊施設やキャンプ施設、自宅を開放する民家の他に、周りの学校が臨時の宿泊所になったり、キャンピング・カー用の大駐車場ができます。食事も、メニューは限られますが、野外「レストラン」の他、随所に天幕カフェが設けられます。上の写真は、大会終了後すぐ会場の片付けを手伝う参加者たち。140年以上の経験の蓄積と参加者のボランティア精神が大会の運営を支えています。来年のSLEYの全国大会はヘルシンキで開催されます。(以上)
6月5日市ヶ谷教会にて中央線沿線七教会が参加する「一日教会祭」が開催されました。今年で11回目となります。スオミ教会からは、昨年同様、教会の有志によるコーラスの参加とフィンランドの菓子パン「プッラ」の出店を出しました。外部団体のカンテレ演奏グループ「ピエニタウコ」が今年も友情出演をしてくれました。
コーラスは北欧の讃美歌を三曲歌いました。
最初の讃美歌は、スウェーデンやフィンランドで300年近く歌われてきた初夏の季節の讃美歌で、タイトルはスウェーデン語で「Den blomstertid nu kommer(花咲き誇る季節来たり)」、フィンランド語で「Suvivirsi(初夏の讃美歌)」。フィンランドでは現在でも小中学校の夏休み前の終業式の時に全国で一斉に歌われる讃美歌です。
この歌には逸話があります。毎年終業式で歌われる時、父兄席の特に新入生の親の中で歌いながら泣き出してしまう人がいることです。どうしてかと言うと、かつて自分が子供の頃、毎年この歌を歌っていた。父兄席をちらと見るとお父さんお母さんも一緒に歌っていた。それが突然、自分は親になって父兄席にいる。しかも目の前で自分の子供が同じ歌を歌っている。この時の巡りに感極まってしまうのだそうです。「全てを時宜に適うように造られる神」(聖書の「コヘレトの言葉3章11節」)父なるみ神の導きを思わずにはいられません。
二番目の讃美歌は、スウェーデン人なら誰でも知っている「En vänlig grönskas rika dräkt(優しい緑の豊かな装い)」。これも初夏に歌われる讃美歌です。近年スウェーデンではヴィクトリア王女、マデレーネ王女、フィリップ王子のロイヤル・ウェディングが相次ぎ、新郎新婦が大聖堂の中を聖壇に向かって進む時に会衆が一斉に歌いだしてお祝いの気持ちをあらわした歌として記憶に新しいです。
三番目の歌は、フィンランドのミッション団体SLEYの聖歌集「Siionin kantele(シオンのカンテレ)」に収められている歌「Saman korkean taivaan alle(この青い空に下に)」。かつて飛行機のない時代、船で海を渡った宣教師たちは、離れ行く祖国を懐かしみ新しい赴任地に緊張の思いを馳せた時、この聖歌集を携えて甲板に上がり歌を口ずさみながら慰めと励ましを得たと言われています。この歌は1960年代のものですが、スオミ教会のテーマソングのように歌い継がれています。
フィンランドの菓子パン「プッラ」は今年も大好評で、100個すべて完売でした! 前日にパン焼きご奉仕をして下さった皆様、ご苦労様でした!
爽やかな五月晴れの土曜の午後、家庭料理クラブは、フィンランドのドーナッツ[Munkit]を作りました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は、幼稚園児と小学生の参加もあり、可愛い歓声の聞こえる、楽しい会になりました。
グループに別れての生地は、フィンランド式に、優しく捏ねていくうちに完成し、作業はテンポ良く進みます。
発酵中の可愛い生地達は、ドーナッツの形に成型され、オイルの中で、きつね色に膨らみ、お砂糖にまぶされて完成です。
パイビ先生の用意して下さった、Simaと一緒に、バップの季節の、森のハイキングや楽しかった思い出も聞かせて頂きました。
また、聖書のお話も分かりやすく、詩編23編は心に深く響きました。
参加の皆様、最後まで後片付け下さって、ありがとうございました。
料理クラブは、6月から夏休みで、次は9月になります。
料理クラブの話「ムンッキ」5月14日
今日作ったドーナツはフィンランド語でムンキと言います。パンの生地で作るムンキはフィンランドでは伝統的なお菓子で、5月1日に多くの家庭で作られます。この他にレモンを発酵させて作る甘酸っぱいレモナードも作ります。フィンランド語でシマと言います。これをムンキと一緒に味わいます。5月1日のことをフィンランド語でヴァップと言います。ヴァップはフィンランドでは休みの日で、春の大きなお祝いの日です。メーデーとして労働者たちの日でもあるし、また高校を卒業する人たちのお祝いの日でもあります。フィンランドでは高校を卒業すると白い帽子を贈られるので、ヴァップの日には町には白い帽子をかぶって歩く人が沢山見られます。
ヴァップの日にはいろいろな過ごし方があります。若者たちや町に住んでいる人たちは、バザーや遊園地などに出かけます。町はにぎやかな雰囲気で、音楽やスピーチがあちこちから聞こえ、子供たちは風船や笛などを持って歩いています。しかし町に行かない人もいます。例えば別荘を持っている人たちはそこに行って、秋まで休日はほとんど毎週別荘で過ごすようになります。
田舎でヴァップをどのように過ごすかと言うと、普通に農業の仕事をしたり、家の庭の掃除をしたりする人が多く、あまり普通の日とかわりありません。田舎の家庭でもムンキとシマを作って味わいます。
私は田舎で育ったので、町のヴァップの過ごし方は好きではありません。子供のころ、5月1日は父が畑を耕したり種を蒔いたりして、親にとってヴァップの時期は農家の仕事が一番忙しい時でした。私は兄弟姉妹たちと一緒に毎年家の近くの森にハイキングに行って、食料品も持って行ってご飯を作ったりして、一日中森の中で過ごしました。ヴァップの日が近づくと、私たちは前もって良い場所を探しに行って、落ちた葉っぱなどは箒ではいて場所をきれいに掃除しました。ヴァップの日の朝早く荷物をまとめて、皆で森に行きました。森の中でする一つ大きなことはたき火でした。子供たちがたき火をするのは危ないことかもしれません。森の火事の危険があるからです。それで、たき火をする時はいつも父と母が見に来ました。またフィンランドはいつも5月の初めはまだ地面はぬれているので、たき火をしても大丈夫でした。よく燃える木を探したり燃やしたりするのは大変な仕事でした。たき火がついたら、ジャガイモを茹でたり、ソーゼージを焼いたりして、またコーヒーもわかしました。森の中で食べたごはんやおやつは家の中で食べるよりもっと美味しく感じられました。もちろん、そこでムンキとシマも味わいました。
ご飯を作ったり食べることのほかにハイキングで楽しかったことは、木に登ったり、小川で遊ぶことでした。家に帰ると、服は煙の臭いがして土が付いて汚くなったので、時々母に怒られました。でも子供たちには楽しい思い出になったのです。フィンランドにいる兄弟姉妹たちは今も5月1日に自分たちの家族と一緒に実家に行って皆で同じ森にハイキングに行きます。仕事を引退した父も一緒に行けるので、彼は孫たちにたき火の付け方を教えます。
春にハイキングに行ったり、自然の中を散歩しながら新しい緑やきれいな花を見ると、私はいつも旧約聖書の詩編23篇を思い出します。それは、聖書を読む人ならだれでも知っていると言えるくらい有名な箇所です。私はこの箇所を読むと、神様の人間に対する愛が現れてくるので、いつも安心と感謝の気持ちで一杯になります。
この詩篇は、「主は羊飼い、私には何も欠けることがない」という文で始まります。「羊飼い」とは天と地と人間を造られた神様のこと、「羊」は私たち人間を意味します。今の時代に羊飼いの仕事をしている人はあまりいませんが、かつて羊飼いは普通の仕事でした。羊は弱くて、野生動物に簡単に捕まえられて食べられてしまいます。そのために羊飼いは羊を守って、野生動物に捕まらないように導いていきます。
羊飼いが羊を守りながら導くように、神様が私たちを守って導いてくださいます。もし人間を造られた神様が私たちの羊飼いならば、神様は信頼して大丈夫な方です。神様の導きのうちに生活する時には大きな安心があります。それでは、神様はどのように私たちを導いてくださるのでしょうか?
この詩篇には「主はみ名にふさわしく、正しい道に導かれる」と書いてあります。神様は私たちの全てのことをご存じで、いつも歩むべき道を示してくださいます。神様は私たちを愛して下さるので、いつも良い道を示してくださいます。ただ、神様が導いてくださる道は様々です。「きれいな青草の原、憩いの水ほとり、死の陰の谷」などがあります。私たちの人生の中には喜ばしいことや悲しいことがいろいろあります。もちろん私たちは喜ばしいことを望んでいます。それで、悲しいことが起こると、受け入れるのは簡単ではありません。しかし神様はいろんな時、喜ばしい時も悲しい時もいつも共にいてくださいます。
この詩篇には「死の陰の谷を行くときも私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる」と書いてあります。神様は私たちが欲しいものを全部は与えませんが、私たちは神様の導きに従って歩む時、私たちは何も欠けることがなく、恐れることもありません。私たちは羊と同じように時々神様の道から離れてしまします。羊が羊飼いの声を聞かないで違う方向に行こうとする場合、羊飼いは杖で羊を軽く叩いて導きます。私たちの場合はどうでしょうか?神様は、私たちが神様の声を聞かない時、羊飼いと同じように杖を使って導いてくださいます。杖軽くで叩かれると、痛みを感じます。でも、それも人間を造られた神様の私たちに対する愛の業です。
この詩篇にはまたこう書いてあります。「命のある限り恵みと慈しみはいつも私を追う。」神様は、私たちのために神様のもとに行ける道を用意して下さり、いつもその道で私たちを導いてくださるのです。神様のもとに行ける道とは、神様の子イエス様のことです。イエス様は罪を持たない神様の子でしたが、人間が罪の罰を受けないようにと、自分が身がわりになって十字架にかけれて死なれました。このおかげで、私たちの罪が全部許されて、この世の中でも、またこの世が終わってもいつも永遠に神様と一緒にいることができるようになりました。神様がイエス様を私たちのために送ってくださったことに、神様の人間に対する愛が現れているのです。
私たちもこの良い羊飼いに従って行きましょう。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」ヨハネによる福音書10章14節
桜の花びらが南風に舞う、春満開な土曜日の午後、家庭料理クラブは、ライ麦粉のケーキを作りました。
吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は油脂を使わない、18cmの丸型のケーキを、二人で一台ずつ作りました。
焼き上がったスポンジは2枚にスライスして、間にオレンジをアクセントにちらし、グループ毎にデコレーションして、可愛い4台のケーキは完成しました。
コーヒーと一緒に、デコレーションされたケーキと、デモンストレーションで作ったスポンジは、オレンジのロールケーキになり、すべて完食しました。
参加の皆様のお疲れ様でした。
受難週の初めの日である「枝の主日」の今日、イエス様が辿った受難の道を教会音楽と聖書朗読で再現する音楽伝道礼拝「ヴィア・ドロローサ」を行いました。
昨年これを始めた理由は、日本では受難週の時、特に聖金曜日が休日でないため礼拝に来られない人が多く、イエス様が十字架にかけられたことを深く心に留めることなくして、復活祭を迎えてしまう場合が多いのではないか。もし、そうだとイエス様の復活が私たち人間とどう関わり合いがあるのか明らかにならないのではないか、ということを心配したことがきっかけでした。それで、復活祭の前の日曜日である「枝の主日」の礼拝後に行うこととなりました。今年で二回目です。
プログラムの内容は、エルサレムを巡礼するキリスト教徒が行うように、「立ち止まり地点」を14か所設けて、それぞれに音楽と聖書朗読を織り交ぜて、ゴルゴタの丘までの道のりを辿るというものです。今年は昨年に比べて、演奏楽器も増え、ソプラノ独唱も加わり、音楽性がぐっと高まりました。参加者の中からは、昨年同様、「イエス様の受難をとても身近に感じられた」、「イエス様が背負っていった人間の罪の重さから自分の罪を深く思いなおす機会になった」という声を頂きました。
真冬に戻ってしまったような寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは「コルバプースティ」を作りました。
今回はフィンランドのラッペーランタ市の日本語学校から、校長先生と生徒さんの参加もあり、楽しい開催になりました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートしました。材料の計量に生地作りへと、日本語とフィンランド語が飛び交う、賑やかなテーブルを囲み、作業が進みます。
ブッラ生地の発酵を待つ間に、細巻き寿司も作りました。
試食タイムは、焼きたてのブッラと細巻き寿司で楽しい交流の場になり、パイビ先生からは、コルバプースティの思い出や、イースターに向けてのお話、可愛い手作りイースターエッグの登場に歓声が上がりました。
参加の皆様、お疲れ様でした、次回は4月9日を予定しています。
フィンランドで昔からコーヒーと一緒に食べたものは菓子パンで、フィンランド語でプッラと言います。今日一緒に作ったコルヴァプースティは菓子パンの一つの種類です。私のお祖母さんの時代には、コルヴァプースティは高価なものだったので、生地に砂糖とバターを少なく入れた、シナモンも使わない簡単な菓子パンが普通でした。その時代は、菓子パンは毎日食べるおやつではなく、クリスマスとかイースターとか夏至祭のようなお祝いの時しか食べませんでした。そしてお祖母さんの時代に作られた菓子パンは、このような細長い編んだものが普通でした。細長い編んだ菓子パンを薄く切ってコーヒーと一緒に食べたのです。
時代が変わって、菓子パンは毎日のおやつでも食べられるようになって、ほとんどの家庭で毎週菓子パンを焼くようになりました。お祝いの時は、菓子パンの他にもいろいろなケーキやクッキーが出されるようになりました。しかし、ケーキやクッキーの種類が沢山あっても、菓子パンの重要性に比べられません。特に年配の人たちは、お祝いの時のコーヒーの出し物に菓子パンがないとお祝いの価値がなくなると思うほどです。
フィンランドの菓子パンはいろんな形や味のものが作られます。今日作ったコルヴァプースティは、菓子パンの中で最も人気があるもので、菓子パンの王とも言われます。フィンランドでは、10月4日は「コルヴァプースティの日」と定められています。これは、2006年から始まりました。この日を定めた目的は、コルヴァプースティが家庭でもっと作られるようにし、興味を持たせることです。フィンランド人にとって、焼きあがったばかりの温かいコルヴァプースティを冷たい牛乳と一緒に味わうのは、とても大きな楽しみです。
家庭でコルヴァプースティが作る習慣があると、それは子供たちが大きくなっても忘れられない大切なことになります。ほとんどのフィンランド人は、自分のお母さんが作ったコルヴァプースティが思い出の中にあります。フィンランド人に一番美味しいコルヴァプースティを作るのはだれ?と聞くと、きっと自分のお母さんと言うでしょう。フィンランド人の子供たちは学校から帰ると、家の外にコルヴァプースティの香りが拡がっていて、お母さんがコルヴァプースティを焼いているということが良い思い出になっていると言えます。コルヴァプースティの香りは、フィンランド人にとって子供時代の香りとも言われます。子供時代の良い思い出は大人になっても忘れられず、大人になった時、自分の子供にも伝えたいと思うようになります。このようにフィンランドのコルヴァプースティは、世代と世代をつなぐ役目を果たしているのです。
今イースター・復活祭が近づいているので、イースターについて子供時代の思い出のひとつをお話ししたく思います。フィンランドでは、イースター・復活祭は大きなお祝いで、休みも聖金曜日から次の週の月曜日まで4日間あります。この大きなお祝いのために家庭ではいろいろな準備をします。家の掃除を普段より丁寧に行って、イースターの料理やお菓子を作ることです。私は子どもの頃、イースターを兄弟姉妹たちと一緒に楽しく待ちました。どうしてかと言うと、イースターのきれいな飾り物を作ることや美味しいお菓子を焼くことがとても楽しかったからです。特に子供たちをワクワクさせる楽しみは、イースターの日曜日の朝にありました。
私の母はイースターの前に、チョコレートでできたイースター・エッグやあめなどを子供たちが分からない時にひみつで買いました。イースター前日の土曜日の夜、子供たちが寝ている時に母は買ったお菓子をきれいな袋に入れて、みんなのベッドの端っこに置きました。次の日イースターの朝、子供たちが起きると、すぐ母が置いた袋を見つけて、その中身を見て、チョコレートのイースター・エッグを見つけていつも大喜びでした。その頃、あめとか甘いものはそんなにたくさんなかったので、このように沢山甘いものをもらえるのは嬉しいことでした。子供たちは、このようなやり方を通しても、イースターは喜びのお祝いだということをわかっていくのです。
それでは、イースター・復活祭はどうして喜びの日になったのでしょうか?聖書は、このことについて詳しく書いてあります。最初にイースターの前にイエス様が受けられた苦しみについて書いてあります。イースターの前の週の木曜日イエス様は、イエス様に反対する者たちに捕らえられて、沢山の苦しみを受けなければなりませんでした。そして、イースターの前の週の金曜日、イエス様は何も悪いことはしていなかったのに、十字架にかけられて死なれました。亡くなられたイエス様の体は十字架から下されて、布に巻かれて、岩に掘った墓に入れられました。でもこの日から3日目の日曜日の朝イエス様は復活されたのです。その朝、イエス様の教えをよく聞いて従った女性たちがイエス様のお墓に行きました。ところが、イエス様の体はもうお墓の中にはありませんでした。そこへ天使が現れて、イエス様は復活されたのだと女性たちに告げ知らせました。女性たちはこれを聞いて大喜びしました。
イエス様が死から復活されたことは、あの女性たちだけではなく、私たちや全世界の人々にとっても大きな喜びになりました。その喜びは、どんなことでしょうか?イエス様は私たちや世界の全ての人々の罪を全部背負って十字架の上まで運んで、そこで私たちの代わりに神様の罰を受けて死なれました。私たちは、イエス様のおかげで神様から罪の赦しをいただけるようになりました。しかし、それだけではありませんでした。神様はイエス様を死から蘇らせました。そうして、死を超えた永遠の命への扉が開かれたのです。死から復活されたイエス様は、今日も明日もいつも永遠に私たちと共にいてくださるのです。これは本当に大きな喜びのことです。
イースターの時に飾りつけをしたり食べたりする卵は、イースターの意味をよく表しています。卵の殻はイエス様が出て行かれた空っぽのお墓を象徴します。そして卵の黄身はで、イエス様の復活を通して得られることになる永遠の命を象徴します。そして卵の中から出てくるひよこは、喜びそのものです。
突然の春のような暖かな土曜日の午後、 家庭料理クラブは開催されました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。 今回はお祝いの食卓に登場するヴォイレイパカック(サンドイッチケーキ)を、二人で一台ずつ作りました。 小型に焼いた食パンをスライスして、 2種類のスプレッドをサンドして、クリームチーズでコーティング、デコレーションはハムとサーモンをメインに、華やかなカックが出来上がりました。 それぞれ個性豊かな5台のカックは、香り高いコーヒーと一緒に完食されました。
パイビ先生から、 ボィレイパカックはフィンランド女性らしい知恵と工夫から生まれたお話など聞かせて頂きました。
今回は、日本語とフィンランド語と英語と笑い声が飛び交う、賑やかな会でした。
参加の皆様、お疲れ様でした。
今日作ったヴォイレイパ・カックの「カック」は、フィンランド語で「ケーキ」を意味します。ヴォイレイパ・カックはケーキに見えますが、甘くないので、ケーキというのは少し変な感じがするかもしれません。でも、フィンランドではそう呼ばれています。
ヴォイレイパ・カックは1930年代ころにヨーロッパとアメリカの北の地方で作られ始め、初めは女性たちのお昼のパーティーに出されたそうです。こうした女性たちのパーティはかなり高価なパーティーでした。フィンランドではヴォイレイパ・カックは1960年代ころ、甘いデコレーションケーキと同じようにお祝いの時に出されるようになりました。昔はお祝いの出し物は甘いケーキやクッキーが中心で、軽食ものはサンドウィッチが中心でした。でも、サンドウィッチを作るのは手間もかかるし、沢山作る場合は保存するために大きな冷蔵庫が必要です。それでサンドウィッチの代わりに少し簡単に早く作れ、冷蔵庫で場所をとらないヴォイレイパ・カックが作られ始めました。
ヴォイレイパ・カックの種類はいろいろあります。中身とトッピングにのせる材料によって、肉、魚、野菜、チーズのヴォイレイパ・カックがあります。例えば、トッピングにハムをのせたら、それは肉のヴォイレイパ・カックです。中身のパンのスライスの間に入れる材料は、美味しいヴォイレイパ・カックを作るのにとても重要です。中身とトッピングの材料は、それぞれの味に合うように選びます。ヴォイレイパ・カックの形ですが、細長い長方形のものが一般的ですが、丸い形のものも作られます。
ヴォイレイパ・カックは、フィンランドでどんなお祝いの時に出されるでしょうか?フィンランドでは、春と夏はお祝いの季節です。春と夏のお祝いには、結婚式、婚約式、卒業式、堅信礼などがあります。フィンランドでは学校は六月の始めに終わって夏休みに入ります。高校の卒業式は大きなお祝いで、卒業生のいる家族は親せきや近所の人たちを家に招待して、大きなパーティを開きます。もう一つ夏の大きなお祝いは、教会の堅信礼のお祝いです。フィンランドでは、子供たちは15歳になると教会の献信礼の教育を受けます。10日間から2週間くらい、教会の研修所で合宿して、自然の中で聖書を勉強したり、キリスト教の教えについて学びます。合宿が終わると、教会の礼拝で堅信礼の儀式があり、そこで初めて両親から独立して聖餐式を受けます。この礼拝には生徒たちの親戚も集まるので、教会は人が入りきれないくらい一杯になります。堅信礼のあとで、それぞれの家で親戚も招待した大きなパーティーが開かれます。このようにフィンランドでは、堅信礼と高校の卒業式は若者にとって人生の大きな節目になるので、大きなお祝いになります。そのためにお母さんたちは一生懸命パーティーのためにごちそうを作ります。そこではヴォイレイパ・カックやデコレーション・ケーキも出されます。
聖書の中にもお祝いについて書いてあるところがあります。イエス様はある時、ガリラヤのカナという町の結婚式のお祝いに招待されました。イエス様の母マリアとイエス様の12人の弟子たちも一緒に招かれました。結婚式のお祝いはどこの国でも盛大に祝われますが、イエス様の時代は本当に多くのお客さんが招待され、何日間も続くものでした。それで、もてなしをする方も大変でした。このようなお祝いで何かが足りなくなることはおかしなことではありませんでした。このイエス様が参加した結婚式では、ぶどう酒が足りなくなりました。母マリアは、イエス様が何か助けてあげられると思って、「ぶどう酒がなくなりました。」と言いました。でもイエス様はどう答えたでしょうか?「婦人よ、このことが、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」とイエス様はお答えになりました。なんとも冷たい答えです。でもマリアは、きっとイエス様は何かをするだろうと思って、式場の召使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言いました。
結婚式場には大きな石の水がめが6つありました。一つの水がめに水が80リットル入る大きさでした。突然イエス様は召使いたちに、水を水がめが一杯になるくらいに入れて、そこからすくった水を式の世話役の人のところに持って行きなさい、と命じました。そこで召使いたちは、イエス様の言われた通りに水がめに水を一杯入れて、そこからすくった水を世話役に持って行きました。世話役がその水を味見してみると、どうだったでしょうか?不思議なことが起きていました。その水は美味しいぶどう酒に代わっていたのです。しかし世話役は、味見したぶどう酒が水から変わったということは何も知りませんでした。世話役は花婿を呼んで、感心して言いました。「普通は最初に良いぶどう酒を出して、みんなが酔った後で安いぶどう酒を出す人が多いのに、あなたはお客さんたちのために最後まで良いぶどう酒を取っといたのですね。」
このイエス様が水をぶどう酒に変えた出来事は、イエス様が行った最初の奇跡の業でした。ところで、この奇跡の業の大事な点は、水がおいしいぶどう酒に変わったことではありません。このような奇跡をフッと起こしてしまうイエス様は神様の栄光に満ちていると弟子たちが気づいて、それでイエス様のことを本当に神様が送られたみ子と信じるようになったこと、これが大事な点です。イエス様に神様の栄光が現れることは、この後も沢山起きます。中でも一番神様の栄光が現れた時は、イエス様が十字架にかけられて全ての人間の罪のために死なれた時、そして三日目に死から復活された時です。
「ヨハネによる福音書」1章にイエス様が現わした神様の栄光についてこう書いてあります。「私たちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」イエス様が現わした神様の栄光は本当に、神様の人間に対する愛が偽りがなくて恵み深いものであることを示しています。この栄光に気づいた人は皆、心の中に深い喜びと平安を持つことができるようになります。