お気軽にお問い合わせください。 TEL 03-6233-7109 東京都新宿区早稲田鶴巻町511-4-106
この夏フィンランドのカルックで開催されたSLEYの研修大会でのこと、夕べのサウナの時間、牧師や神学者たちとサウナに入って湖でひと泳ぎしてはまたサウナを繰り返して桟橋で一息ついていた時、一人の神学者が私に聞いた。 「君は礼拝説教を作る時、何の注釈書を使うのか?」 「何も使わないよ、原語の聖書(つまりギリシャ語、ヘブライ語、アラム語)で十分だよ」と答えると、周りにいた者がホォという感じでこっちを見たので、発言を少し注釈して聞かせた。
もちろん注釈書は大学の研究員をしていた時は使った。それが仕事だったから。基本中の基本は、英語の Anchor Bible と Word Biblical Commentary、ドイツ語は Herder と Evangelisch-katholischer Kommentar の4つ。それらをもとに他のものへと幅を広げていったわけだが、どれも議論がちゃんと組み立てられているかどうかと懐疑的・批判的な目で見たので、注釈書はどれもケチをつけるためのものになってしまった。それで説教を作る時にはあまり使う気がしなくなってしまった。ならば直接原語の聖書にあたって自分の目で見た方が話が早い。
原語の聖書にあたる際、いつも日本では何が問題かということを意識して、その問題解決を翻訳でなく原語の聖書に見つけるというスタンスを取っていると思っている。例えば、死者にお伺いを立てたりコミュニケーションを取ろうとする日本的霊性には復活の信仰を対峙させる、この世の不条理に対しては人間を相手にした正しさ(正義)と神を相手にした正しさ(神の義)という視点でどう乗り越えられるかを考える等々。日本語の聖書でも解決は見つかると思うが、日本語の感性に流されないためには聖書を何度も何度も読み通す必要がある。私は、原語で一回根気よく読んだら、翻訳の10回分になるのではないかと思っている。(ただし、原語で読むと言っても解説書に頼るのは苦労を他人にさせることになりダメ。あくまで文法書と辞書を使って自分で格闘しないと。ないしは日本語で10回以上読み通さないと。)
忘れてはならないことは、原語で読んでも直ぐ解決を得られないことが多いということだ。一つの単語に沢山の意味がある、どれを選ぶか?この語はどこにかかるか?この形は統語論的にどう説明できるか?等々。一つ違えば意味も大きく違ってくる。そこで、ルター派の私はそういう分岐点に差し掛かった時はルター派の教義を道しるべにしている。信仰義認、律法と福音の関係、信仰と理性の関係等々の争点でルター派の基軸から外れないように歩を進める。そう言うと、なんだ結局は正統主義に流れているだけじゃないかと言われてしまうが、実はそうなのである。使徒的伝統に立つことをモットーとしているのでそれでいいと思っている(※)。ただ私の問題は、「一致信条集」をきちんと学んでいないこと。そこは、ヘルシンキ在住の神学者・高木賢氏がフォローしていて毎週私の説教を見てコメントしてくれる。彼は聖書を原語で何度も読み通す強者で、一致信条集もラテン語とドイツ語で読みこなすまさにウォーキング・ルーセランなのだ。
(※ 使徒的伝統に立つとはどういうことかについては週報コラムの10月4日号を参照のこと。)
花いちもんめ
<人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない。出エジプト記 21:16 >
散歩の途中で道の真ん中に椿の花が転がっていました、その花を見ていたら遠い昔に妹や女の子たちが手をつなぎながら二組に分かれて”はないちもんめ”を歌いながら前後に行ったり来たりしながら遊んでいました。わらべ歌には難解な歌詞が多いですね、”かごめかごめ”も確かに難解な意味が込められています。”はないちもんめ”には江戸時代の飢餓の際の悲惨な口減らしや人さらい、人身売買など意味が込められている怖いわらべ歌でした。私の子供の頃は人さらいと言う言葉がまだ生きていました、実際にあったか否かは知りませんが。
「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、お布団かぶってちょっと来ておくれ、お布団ぼろぼろ(若しくはびりびり)行かれない、お釜かぶってちょっと来ておくれ、お釜底抜け行かれない、(鉄砲かついでちょっと来ておくれ、鉄砲あるけど弾がない、)あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」
柳
<1われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。 詩編137:1・2>
春になると何時も気になるのが清掃工場の柳です。散歩の度に観察していましたら先日(3月8日)に漸く葉芽が開き遠目にも新緑の息吹が感じられました。芭蕉の句に「田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな 」更に放浪の歌人、種田山頭火も歌っています、「柳ちるもとの乞食になつて歩く」。藤原定家も後鳥羽上皇と柳の事で争いました、定家の家の庭に植えてあった柳を上皇が自分の家の庭にへと勝手に引き抜いて行きました。定家は悔しくて歌で訴えました、「道のべの野原の柳したもへぬあはれ嘆きの煙くらべに」。上皇はそれが気に食わなかったと見えて定家を歌会の出席を拒んだとあります。柳は昔から人々に愛されてきた木でした。銀座の柳も新宿中央通りの柳も・・残念ながら今では見る事も出来ません、移り気な人の心を柳はその細枝を風に靡かせていました。
一枚の絵
先日、I兄の葬儀に参列して思う事多々ありました。その中に一枚の絵を思い浮かべていました、それはA.ベックリンの描いた「死の島」という絵で亡くなったばかりの死者が連れて行かれる島です。死後についてはM.ルターによると誰も知らない所で最後の審判が来るまで寝かされているそうです、その言葉とこの絵がダブって見えました。死後に行き着く所がこのような何処か幻想的な甘美な雰囲気のある島ならば、それも良いなと思いながらI兄のお棺を見つめていました
↑この藪の中にいる。
ルリビタキ
< 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 マタイ6:26>
小山田緑地を歩いています。緑地の外れに休耕地の水田跡がありその上を木道を渡してあります。過日、その木道の上でカメラを構えて頻りに向かいの藪を覗っている人を見かけました。撮り終えたようなので何がいるのですかと尋ねましたらにっこり笑って画像を見せてくれました。青い鳥が写っていましたのでカワセミと聞くとルリビタキと教えてくれました。成程、カワセミより明るい空色でした。此方も負けじと愛用のカメラで藪をめがけて撮りました。ルリビタキは藪に入ったり出たりで忙しそうに飛び回り動きが速いので私のカメラでは追いつきませんでした、悲しいかな此方のカメラは彼の望遠レンズつきの高級なカメラと違いますので全く撮れていませんでした。でもこれ以来、小山田緑地の散歩の時は此処にきてルリビタキの観察を楽しんでいます。(此処に揚げたのはネットから借用したものです。)
芭蕉庵と関口
<あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。イザヤ書43:2>
新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
写真に写っているのは明治23年(1890年)頃の新宿区戸塚町です、現在はこの戸塚町はありませんが今の早稲田中学校のあたりです。ですからこの景色はまさにスオミ教会のある鶴巻町のごく近くです、明治時代はこんな田圃のある所だったのですね。夏目漱石の住んでいたのは早稲田通りの南側の喜久井町でした。正岡子規と一緒に散歩したのが関口町付近ですからこれも教会のすぐ近くです。正岡子規の「墨汁一滴」と言う随筆があり、その中に「稲」と「米」について漱石が東京生まれで田んぼのそばに住んでいたにもかかわらず、稲が実り米になると言う事を知らずにいたことを記したのがありますのでその一節を「・・・余が漱石と共に高等中学に居た頃漱石の内をおとづれた。漱石の内は牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しかへだたつてゐない処である。漱石は子供の時からそこに成長したのだ。余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃の事であつたらう、そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかつたといふ事である。都人士の菽麦を弁ぜざる事は往々この類である。もし都の人が一匹の人間にならうといふのはどうしても一度は鄙住居いをせねばならぬ。・・・」とユーモラスに記しています。
ヘ長調は緑色
シベリウスの家はアイノラの家として有名ですが、この家を建てる時、彼は建築家に二つだけ注文をしました、「書斎からトゥースラ湖が見渡せること、そして暖炉が緑色であること。・・・作曲家にとって緑色はヘ長調なのだ。」ヘ長調を色で表すと、黄緑色や薄い緑色といった自然を連想させる色がイメージされることが多いい、と言われています。牧歌的な長閑な田園のイメージなのでしょうか。モーツァルトの「ピアノ協奏曲21番」や、ベートーヴェンの「田園」などが有名です。教会讃美歌の「やすかれ わがこころよ・・・」もシベリウスの交響詩「フインランディア」からのメロディーを用いていますね。フインランディアの冒頭も矢張り、ヘ長調で始まり途中で変イ長調の変わり最後にまたヘ長調に戻るそうです。確かに聴いているとフインランドの森と湖のどことなく牧歌的な風景をイメージを感じさせられます。昔、LP盤のフインランディアを持っていて何度も繰り返して聞いていました。生憎、当時のLP盤はプレイヤーを処分した時に一緒に処分してしました。男性コーラスの重厚なコーラスが忘れられません。
Jeesuksesta laulan
先週(3月30日)の礼拝でHavukainenご夫妻の音楽伝道の際、最後に歌っていただいた”Jeesuksesta laulan(私はイエスについて歌います)”が素晴らしかったです。
1. Jeesuksesta laulan, Jeesuksesta vaan, jolta syyni suuret anteeks sain ja saan, jolta syyni suuret anteeks sain ja saan.
2. Hän mun syyni suuret poisti verellään, otti synnin orjan armoon, elämään, otti synnin orjan armoon, elämään.
3. Katkoi verkot valheen, kahleet kuoleman, vangin vapautti, laps oon Jumalan, vangin vapautti, laps oon Jumalan.
4. Lapsi oma Herran, taivaan kuninkaan, kruunun perin kerran, valtakunnan saan, kruunun perin kerran, valtakunnan saan.
5. Pääsen asukkaaksi kultakaupunkiin, viedään vierahaksi häihin iäisiin, viedään vierahaksi häihin iäisiin.
新聞のコラムにアランというフランスの哲学者(本名エミール=オーギュスト・シャルティエ)の次の一文が掲載され目を引きました(朝日10月24日「折々のことば」)。
「礼拝の規則は、さまざまな動きに規律を与えて、あらゆる情念、あらゆる情動を鎮めるものだ。」
私たちルター派教会の礼拝は、ご存じの通り定められた礼拝式文に従って執行されます。教派によっては、形式に取らわられずに自由な形で行っているところもあります。恐らく若者はそういうやり方がしっくり行くのかもしれません。それででしょうか、ルター派に限らず伝統的な教派は若者があまり集まらず高齢化が進んでいるように思われます。
不思議なことにフィンランドでは、もちろん国教会の普通の主日礼拝はどこも閑散としていて高齢者が目立ちますが、SLEYの礼拝は国教会の式文に従うにもかかわらず、またそのメッセージも国民の多数派から呆れかえられる位に保守的なのにどこも満員御礼で若者や子供連れの若い家族で一杯になります(コロナ禍の今は少ないですが)。どうしてでしょうか?
SNS旺盛時代の今、あらゆる情念やあらゆる情動が野放し大放出になっています。そうした中、心のさまざまな動きに規律を与える礼拝は魂を鎮めて安らぎと落ち着きを与える意味があると思います。
SLEYの礼拝に、「喜びのミサRiemumessu」という音楽をふんだんに使った聖餐式礼拝があります。奏楽はゴスペル・ロックバンド、司式の言葉は全てポップ調のメロディーで歌いますが、式の内容は罪の告白、赦し、聖書日課、説教、信仰告白、教会の祈り、奉献、聖餐式、祝福と伝統的な式文そのままです。SLEYの夏の全国大会の土曜日夕方の野外礼拝で7,000~8,000人位に聖餐を授ける礼拝の時にいつも用いられます。翌日日曜日の聖餐式礼拝は通常の形で行いますが人数は変わりません。