歳時記

繊月・二日月

<昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。詩編121:6>

大晦日が新月で元旦が初月、2日は二日月・繊月です、藤原定家も「初月糸ヨリモ繊(ホソ)ク、山ヲ去ルコト纔(ワズカ)ニ五尺」と明月記の中で述べています。実際に繊月を見るのは難しく大抵三日目の三日月を代用しています。理由はとにかく細いのです、タイミングも日没後僅かな時間にしか見る事が出来ません。定家の時代は現代と違って人工の灯りも無く夜空の観察には十分な環境だったのでしょう。

(振り放《さ》けて三日月見れば 一目見し人の眉《まよ》引き思ほゆるかな 大伴家持  万葉集 巻6-0994 雑歌 訳:振り向いて三日月を見ると一目見たあの人の眉のさまが思い出されます。)

「新年明けましておめでとうございます、本年も宜しくお願い致します。」

歳時記

久しく待ちにし(讃美歌94番)

今から20数年まえ近くの桜美林大学のチャペルでシンガーソングライターの沢友恵のリサイタルがありました。彼女もまだ若くて張りある美しい声で何曲かのクリスマスソングを歌ってくれました。その中で特に心に響いたのがこの「久しく待ちにし」でした。終演後彼女のCDを購入し以来毎年クリスマスの時期には欠かさず聴いていましたが残念ながらこのCDはいま白州の家に置いてあります、仕方がないのでYouTubeで探しましたがどうしても見つかりませんでした。代わりに大須教会で出している動画がありこの讃美歌を個性的な歌い方で歌っていて特に印象に残りましたので此処に掲載いたしました。ところで話は変わりますが12月15日のヘルシンキ聖心教会のミサ(フインランドでは聖餐式のある礼拝はミサと称している)の様子をYouTubeで観ていたら始めにこの「久しく待ちにし」が演奏されたので意を得たりと嬉しくなりました。牧師の祈りの課題の中に「suomi kirkko Tokiossa(東京のスオミ教会)」と述べていました。当たり前と言えばそれまでですが矢張り実際に生の声で耳にしますとフインランドとの繋がりに感動し感謝の気持ちを強く持ちました。

https://www.suomikyoukai.org/2020/wp-content/uploads/2024/12/久しく待ちにし(O-come-O-come-Emmanuel).mp4

歳時記

https://www.suomikyoukai.org/2020/wp-content/uploads/2024/12/hoosianna.mp4

Hoosianna・ホサナ

ヘルシンキの聖心教会(Helsingin Pyhän Sydämen kappeli sley)の第1アドベントのライブ映像を観ていたらお馴染みのHoosiannaの合唱がありました。フインランドでも高齢化が進んでいるようですね、でも皆さん元気に歌っています牧師も手を動かしながら歌っているようでした。

Hoosianna, Daavidin Poika,
kiitetty olkoon hän!
Kiitetty Daavidin Poika,
joka tulee Herran nimeen.
Hoosianna, hoosianna,
hoosianna, hoosianna!
Kiitetty Daavidin Poika,
joka tulee Herran nimeen.

歳時記

小島の夢

<『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。 使徒言行録2:17>

年の瀬を迎えて限界集落一歩手前の団地の小さな商店街もそれなりに賑やかになって来ました、そんな巷の喧騒に背をむけて散歩コースの谷戸池にやって来ました。池畔には幾本かの朽ちた杭が並んでいます。その中の私の好みの杭の先に名も知らぬ矮木が宿り根を張りました、やがて程よく成長して小島の主のよう大木になりました。私の夢はあの木の下に小さな庵を結び終日読書三昧に明け暮れし飽きたら窓から釣り竿をのばし釣れるか否か気にもせずそれにも飽きたらひっくり返って昼寝に・・・池畔の朽ちた棒杭を眺めながら思うのです。

歳時記

 

過日、元スオミ教会の教会員であった青木さんがバッハのロ短調ミサ曲のコンサートに行かれその感激をFBに投稿されていました。この曲はマタイ受難曲と並ぶバッハの傑作で私もよく聞いています。 手持ちのCDは山梨の家に置いてあるのでyoutubeでカールリヒターの盤で視聴しました。敬虔なルター派教徒のバッハがカトリックのミサを音楽で表現したロ短調ミサ曲は一部にプロテスタントの典礼も取り入れたためにカトリックの典礼でも使用できないものになってしまいました。しかし音楽としては大変素晴らしく聞くたびに感動を覚えます。曲の構成はキリエ・グローリア→クレド(ニケア信条)→サンクトゥス(ここにプロテスタントの典礼を用いた)→「オザンナ(聖なるかな)」「アニュス・デイ(神の小羊)」「ドナ・ノビス・パチェム(平安)」私たちの礼拝の流れとよく似ている事に気づき少し驚いています。2時間あまりの大曲ですが興味がおありでしたらどうぞ。カール・リヒター+ミュンヘンバッハ管弦楽団+ミュンヘンバッハ合唱団の組み合わせは最高ですね。wunderwar!

歳時記

懐かしい「週報」

本棚の隅に忘れていた本を見つけ開いてみたら古い週報が出て来ました。2007年4月6日の聖金曜日礼拝の週報でした。当時の週報はセイヤ先生がお一人で作っていらっしゃいました、慣れない日本語なのでのご苦労が偲ばれました。この夜の礼拝は牧師夫妻と和智(現在、井手さん)さん星野の4人だけでした,礼拝は何時ものスタイルではなく会衆席に円陣に座り祈りの一時を持ちました。終わりに覚えたてのフインランド語で「主の祈り」を唱えてヘイッキネンご夫妻から褒められました、和智さんがäの発音をきれいに発音していたのを今でも覚えています。

宣教師の週報コラム 礼拝の意味

新聞のコラムにアランというフランスの哲学者(本名エミール=オーギュスト・シャルティエ)の次の一文が掲載され目を引きました(朝日10月24日「折々のことば」)。

「礼拝の規則は、さまざまな動きに規律を与えて、あらゆる情念、あらゆる情動を鎮めるものだ。」

私たちルター派教会の礼拝は、ご存じの通り定められた礼拝式文に従って執行されます。教派によっては、形式に取らわられずに自由な形で行っているところもあります。恐らく若者はそういうやり方がしっくり行くのかもしれません。それででしょうか、ルター派に限らず伝統的な教派は若者があまり集まらず高齢化が進んでいるように思われます。

不思議なことにフィンランドでは、もちろん国教会の普通の主日礼拝はどこも閑散としていて高齢者が目立ちますが、SLEYの礼拝は国教会の式文に従うにもかかわらず、またそのメッセージも国民の多数派から呆れかえられる位に保守的なのにどこも満員御礼で若者や子供連れの若い家族で一杯になります(コロナ禍の今は少ないですが)。どうしてでしょうか?

SNS旺盛時代の今、あらゆる情念やあらゆる情動が野放し大放出になっています。そうした中、心のさまざまな動きに規律を与える礼拝は魂を鎮めて安らぎと落ち着きを与える意味があると思います。

SLEYの礼拝に、「喜びのミサRiemumessu」という音楽をふんだんに使った聖餐式礼拝があります。奏楽はゴスペル・ロックバンド、司式の言葉は全てポップ調のメロディーで歌いますが、式の内容は罪の告白、赦し、聖書日課、説教、信仰告白、教会の祈り、奉献、聖餐式、祝福と伝統的な式文そのままです。SLEYの夏の全国大会の土曜日夕方の野外礼拝で7,000~8,000人位に聖餐を授ける礼拝の時にいつも用いられます。翌日日曜日の聖餐式礼拝は通常の形で行いますが人数は変わりません。

宣教師の週報コラム

Janne Karaste, Suomen lippu, valokuva, CC BY-SA 3.0

12月6日はフィンランドの独立記念日

12月6日はフィンランドの独立記念日。毎年恒例の大使館でのレセプションは昨年はコロナ禍で中止になったが今年は開催された。 (3日金曜日にあり行ってきました。一足早くクリスマス料理を味わってきました。)

フィンランドの12月6日は独特な雰囲気のある日であったことをよく覚えている。冬の薄暗い日中、家ではパイヴィが子供たちとせっせとピパルカックを作り、晩になると大統領官邸でのレセプションのテレビ中継を見たものだ。その日のテレビ番組は第二次大戦の出来事を特集する番組が圧倒的に多く、フィンランド人はいかに独立したかよりも、いかに独立を守ったかの方に関心があるのかと思ったものだった。

それは理由のないことではない。1919年の独立当時のフィンランドは国内は分裂状態で、独立後も、左右イデオロギーの対立、都市部と農村部の対立、フィンランド語系とスウェーデン語系の対立が激しく、今風に言えば「分断国家」であった。それは徐々に解消に向かうが、それを一気に解消したのが第二次大戦での(当時の)ソ連との戦争であった。外的な脅威に対して国民が一致団結したのである。

戦時中の標語に、祖国(isänmaa)自由(vapaus)信仰(usko)の3つが守られるべきものとして唱えられた。「祖国」とは日本風に言えば「兎追いしかの山」であり、「自由」とは自由と民主主義の政治体制であり、「信仰」とはルター派教会である。フィンランド人は国家的困難によく耐え乗り越え、M.ヤコブソンが言ったように、第二次大戦に参戦した欧州の国で英国とフィンランドのみが占領を免れ戦前の国家体制を維持できた国だったのである。

「戦前の国家体制の維持」と聞くと、大方の日本人は顔をしかめるかもしれない。なぜなら、日本のそれはかつて丸谷才一が言ったように、お上に盾をついたと言いがかりをつけられないかビクビクしなければならない体制だったからだ。しかし、フィンランドは戦時中も国会は社会主義政党から保守党まで揃う議会制民主主義が機能していた国だったのだ。(そんな国がなぜ最後はナチス・ドイツ側に立って戦うことになってしまったかについては、国際政治史の専門家に聞いて下さい。私も少しは説明できます。)

フィンランドの例は、「国を守る」という時、 情緒面だけでなくvapausの重要性も示していると言える。なぜなら、それはこの国は守るに値する国だと理知的に確信できる根拠になるからだ。 それと、uskoがvapausと両立することも重要であることは言うまでもない。日本では愛国心を育む道徳教育が義務教育で必修になったが、準備段階でこのような視点で考えられただろうか?

さて、今のフィンランド人に守るべきものは何かと聞いて、上記の3つは果たして出てくるだろうか?思うに、「信仰」が危ういかもしれない。というのは、1990年代まで国民の90%以上がルター派国教会に属していたが、以後国民の教会離れが急速に進み出し、現在は70%を割ってしまっているからだ。戦時中は大統領から国民に至るまで上記の3つが守られるよう懸命に神に祈ったものだ。ソ連との交渉に臨む代表団がヘルシンキ中央駅を出発する時、見送りに来た群衆が一斉にルターの讃美歌「神はわがやぐら」を歌って送り出した気概はもうないのだろうか?(2020年12月6日初掲載)

今年はビュッフェはセルフサーヴィスではありませんでした。 フィンランドの伝統的なクリスマス料理です。 デザートもこのようにかわいく盛り付けてくれました。

私のクリスマスの旅

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1. 友だちから「ピックヨウル(小さいクリスマス)」のプレセント*をいただきました。ハートのシールが付いた可愛い袋の中には、柔らかな紙に包装された小さな包みがありました。胸を高鳴らせながら包みを開いているときには、その贈り物が私をどんな旅へと連れ出してくれるのかまだ想像できませんでした。 *フィンランドでは、12月の始まりを「小さいクリスマス」と称して祝う習慣があります。
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2. 包みの中には、ヨセフ、マリアと赤ん坊イエスの「キリスト降誕のシーン」の素敵な「スノーボール」がありました。ボールの下におかれた子羊は、「どうして聖家族は馬小屋にいるのかな」と不思議そうな表情をしています。ボールの中で雪が降りつもる様子から、 私はきらきらとしたホワイト・クリスマスを連想したのですが、一番初めのクリスマスは、現在のクリスマスとは全く違う、雪が家まで吹き込むような過酷なものだったでしょう。
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3. スノーボールの雪が下に落ちたころ、私は若い両親に目を向けました。生まれたばかりの赤ん坊を一心に見つめる母親と父親は何を考えていたでしょうか。そんなことを考えながら、私の思いは、遠く最初のクリスマスに向かいました。
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4. その頃のイスラエルでは、国を解放する強い支配者が王座に就くことが待ち望まれていました。イスラエル人はこれまで何度も様々な他の国々による支配を経験していたからです。その時は、ローマ帝国による圧制が敷かれていました。イスラエル人は昔から聖なる預言者たちの口を通して、ダビデの血筋から偉大な王様が出るという預言を聞いていました。しかし、その預言から既に数百年が経とうとしていました。人々はそれを信じることができていたでしょうか。預言によれば、旧約聖書に記されている偉大な王様に先立って、エリヤみたいな預言者が現れるはずでした。。。
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5. ある日のことです。ザカリアという祭司が、エルサレムの神殿で祭司の当番を務めていました。彼の前に天使が現れ、ある知らせを告げました。ザカリアの妻エリサベトは男の子を産み、その子をヨハネと名付けなさいとのことでした。その名前は「神は憐れんでくださる」という意味でした。彼は主の御前に偉大な人になり、預言された王の為に、道を整えるのです。ザカリアは恐怖の念に襲われました。今が、神様の約束が実現する時なのですか?そしてザカリアと妻が、そのことに巻き込まれるのでしょうか?
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6.ザカリアの心は不信仰に陥りました。彼らのような、年をとった人が子どもを授かることができるでしょうか。この疑いのせいでザカリアは口が利けなくなってしまいました。天使が「知らせた事が起こる日までザカリアは話すことができなくなる」と告げた通りです。ザカリアが聖所の中で香りをたいていた間に、民衆が外で祈って待っていました。人々は、神殿から出て来たザカリアが話すことができなくなったことを見ると、彼が聖所で幻を見たのだと分かりました。
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7. その頃、イスラエル北部ナザレという小さい町では、ある一家が喜びの興奮に満たされていました。彼らは、結婚式の準備をしていたからです。家の娘マリアは、偉大な王であったダビデの子孫であるヨセフという男の人と婚約していました。マリア自身はどんな気持ちで結婚式を待っていたでしょうか。この若い乙女はどんな夢を持っていたでしょうか。他の大勢の若い女性のように、自分の家や家族について夢を見ていたでしょうか。
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8. ある日、予想外の出来事が起こりました。一人で家にいたマリアを、天使ガブリエルが訪れたのです。天使は、挨拶をし、怖がるマリアに不思議な知らせを伝えました。マリアは男の子を産む、その子は普通の子どもではなく神のみ子だ、その男の子をイエスと名付けなさい、というのです。最初の戸惑いから落ち着きを取り戻したマリアは、「どうして、そんなことがありえましょうか。わたしはまだ結婚さえしていないのです。」と尋ねました。
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9. マリアは、聖霊といと高き方の力によって妊娠するとガブリエルは答えます。天使は、マリアの親戚で高齢のエリサベトも男の子を身ごもっていることを伝えた上に、神にできないことは何一つないと言いました。マリアは安心して言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
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10. 若いマリアは、天使のメッセージがいったいどんな意味であったのか、わけが分かりませんでした。彼女は、ぼんやりと家の中を歩いていました。それを見た両親とヨセフはきっと驚いたことでしょう。マリアは、どうしても誰かと話したかったのですが、彼女の気持ちを理解してくれる人はどこにいるのでしょう。マリアはエリサベトに会いに行くことにしました。マリアは、ユダヤの山里にある親戚の家までの長い旅の間に、ゆっくり考えることができたでしょう。神様は、本当にこのマリアを預言された王様の母親にと、選ばれたのでしょうか。
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11. 二人の女性たちが会うと、エリサベトの胎内の子が喜びおどりました。エリサベトは挨拶をし、マリアを幸いだ、女性の中で最も祝福された方だ、そして主の母親だと言いました。親戚の家で時を過ごすことによって、マリアは多くの面で癒されました。不思議な妊娠を経験した他の女性からの支えを通して、聖霊が働き、この世で類を見ない妊娠を経験するマリアを力付けました。
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12. マリアは、自分の体に起こっていることを理性では理解できませんでした。しかし、感情が開放されるにつれ、この唯一の経験に対する言葉を次第に見つけ始めました。マリアは、心から湧き出る賛美を通して、神聖なそして偉大で真実な神様を褒めたたえました。神様が先祖に与えた約束は実現します。この平凡な若いマリアに、その大切な役割が与えられたのです。
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13. エリサベトの出産が近づきました。今度は、生まれたばかりの男の子を抱いたザカリアが賛美する順番です。九ヶ月以上声を発することのなかった口から、神様を讃える讃美が発されました。彼は父親になったことだけでなく、息子ヨハネのためにも喜びました。彼には、昔から預言された救い主のために、人々の心を準備する役目が与えられているのです。
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14. 三ヶ月ほどの滞在を終え、マリアは家路へとつきました。すごい秘密を抱えながら。帰宅したマリアを迎えて、きっと家族は安心したことでしょう。これからまた結婚式の準備をはじめます。けれども、計画は思った通りに進みませんでした。マリアが身ごもっていることが明らかになったからです。両親がどのように反応したか、想像に難くないでしょう。「何が起こったのですか。マリアは何をしてしまったのですか。」
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15.ヨセフも同じ疑問でいっぱいでした。彼にとって、とても厄介で嫌なことでした。ヨセフは法を重んじるユダヤ人でしたから、がっかりしながらも婚約をどのように穏便に取り消すことができるかと思い悩みました。マリアに恥をかかせたくなかったので、ひそかに縁を切ろうと決心しました。
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16. 暗く思い悩むヨセフに、驚くべきことが起こりました。夢の中で天使が現れて、マリアと結婚するようにと励ましたのです。マリアは聖霊の力によって身ごもったと天使は語りました。ヨセフは赤ん坊をイエスと名づけるべきです。その名前は「主は救う」という意味です。その子は自分の民の救い主となるのです。
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17. 眠りから覚めたヨセフには、メシアについての預言がマリアを通して実現することがはっきりと分かりました。「おとめは男の子を産み、その子をインマヌエルと呼ばれます。その名は「『神は我々と共におられる』という意味です。」これが分かったヨセフは安心しました。胎内の子の父である神様ご自身が、ヨセフを男の子の育て親としたのです。それでヨセフは思い煩うことなくマリアを妻として迎え入れました。
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18. 出産の間際になって、マリア達は長い旅に出ることになりました。皇帝の命令によって、全国民を対象とする税制が準備されました。そのために、全ての人が自分の町で納税者の登録をしなければならなくなったのです。ダビデの家に属していたヨセフは、いいなずけマリアと共にダビデの町ベツレヘムへ旅立ちました。
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19. 過酷な旅では、身体を清潔にしたり、食事をしたり、ゆっくり休んだりする以上の望みはなかったでしょう。しかし、生憎、町の宿は客でいっぱいでした。その時、月が満ち、マリアの陣痛が始まりました。マリアとヨセフは仕方なく馬小屋に泊まることになりました。マリアは家から離れた、質素なところで初めての子を産んだのです。
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20. 皆が寝静まった頃、町の近くの野原では、羊飼いたちが自分の群れの番をしていました。どこも、安らかで静かでした。突然眩しい光が現れ、羊飼いたちを怖がらせます。天使が現れ、羊飼いたちを静めました。民全体に関わる不思議な知らせを伝えるためです。「ベツヘレムで救い主が生まれました。その方はキリストである主です。布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている幼子を探せば、羊飼いたちはその子を見つけるでしょう。」
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21. すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言いました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
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22. 羊飼いたちは驚きましたが、躊躇することなく町へ向かいました。マリア、ヨセフと飼い葉桶に寝かせた幼子を見つけ、野原で聞いたり経験したりしたことを、全部話し聞かせました。天使が宣べ伝えたことを聞いて皆、驚きました。マリアも静かに、その話を聞き、心に収めました。起こった出来事を、後で思い巡らせるためにです。
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23. 私のクリスマスの旅は、これで終わりですが、神様の素晴らしい愛については、今も思い巡らせつづけています。神様は若いマリアの腕の中に、すべてをお造りになった主、神様がお選びになったキリスト、また名前の通りに救い主となる子を与えてくださいました。神様はこの幼子を、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」とし、この幼子のうちに、私たちのところに来られました。
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24. こうして、私はクリスマスの旅から戻りました。羊飼いたちのように、見たり聞いたりしたすべてのことを、神様に感謝し讃えながら。 ♫私たちの心を、クリスマスに備えましょう。安らかな心に、幼子イエスが再び生まれます♬ ♫クリスマスの子があなたの心に宿れば、クリスマスはずっとあなたと共にあります。♬

25. 最も素晴らしいクリスマスプレセントは、皆さんの心に贈られます!良いクリスマスを!

 

文・写真:パイヴィ・ポウッカ
翻訳:パイヴィ・ポウッカ & 杉本輝世

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今年はSLEY日本伝道120周年記念の年

今年コロナ禍のために開催できなくて残念だったものは何?と聞かれたら、大抵の人は東京オリンピックと答えるのではないでしょうか? 実は今年はSLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)が日本伝道を開始してから120年目の年でした。 5月後半の主日に午前中は自由参加の記念礼拝と祝会、午後は招待者を中心とする祝会を開催することを計画していました。計画を立て始めてまもない2月に断念を決めました。来年は開催できるでしょうか?

SLEYの最初の宣教師が日本の土を踏んだのは1900年のことでした。フィンランドが独立する17年前のことです。ヴェルロース牧師一家と17歳のクルヴィネン嬢の一行が長崎に上陸しました。

そこで伝道開始するも、牧師一家の末娘が病死してしまい失意の一家は帰国。一人取り残されたクルヴィネン嬢は米国の宣教団と行動を共にします。まもなくしてフィンランドから新たな宣教師の派遣があり、SLEYとしての伝道を再開。ところが日露戦争が始まり、当時フィンランドはロシア帝国の一部だったため敵国民扱いを受けてしまい、都市部での伝道はやめて長野県の飯田や諏訪の地域に移動。やがてそこで信徒が増え始めて教会が建てられます。日露戦後は再び東京で活動を開始、池袋や大岡山に教会が建てられます。その他に北海道の札幌にも建てられました。

第二次大戦中は8人の宣教師が帰国の機会を逸して日本に留まりました。フィンランドは日本にとって「敵の敵は味方」のような立場でしたが、天皇絶対主義の日本ではキリスト教はとても肩身の狭い思いをしました。戦争末期にはSLEY宣教師たちは軽井沢に強制疎開させられ、軟禁状態に置かれて孤立化と食糧難に苦しみました。

戦後すぐの1948年に伝道活動が再開されます。SLEYは当初、自分たちが設立した教会から成る独自のルター派教団を結成するつもりでした。ところが、新しく設立された「日本福音ルーテル教会」への対応をめぐり意見が真っ二つに分かれます。最終的にはこの日本のルター派教団に合流することが決められ、自分たちが設立した教会や付属幼稚園は全部、日本福音ルーテル教会に譲渡されて今日に至っています。今でこそ日本フィンランド間の交流は公的私的レベルにおいて広く深いものになりましたが、かつてフィンランドのルター派国教会の一ミッション団体が両国間交流の中心的存在であったことを今日誰が思い起こすでしょうか?