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ホトトギス
秋の花を探していたらホトトギスを見つけました。花弁の斑点が鳥のホトトギスの胸の模様に似ているところから名付けられたようです、ホトトギスは日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草です。 万葉集を探してみましたが、詠まれるのは鳥のホトトギスだけのようです。万葉人にはホトトギスの花を知らなかったのか、或いは自生しているところが奥深い所で見る機会がなかったのかもしれません。
<24 種をまくために耕す者は絶えず耕すだろうか。彼は絶えずその地をひらき、まぐわをもって土をならすだろうか。 25 地のおもてを平らにしたならば、いのんどをまき、クミンをまき、小麦をうねに植え、大麦を定めた所に植え、スペルト麦をその境に植えないだろうか。 26 これは彼の神が正しく、彼を導き教えられるからである。 イザヤ28:24・25・26>
盗人萩・ぬすびとはぎ(日本・台湾・朝鮮)
高円の 野べの秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに(訳 高円山の野のほとりの秋萩は空しく咲き散っているだろうか、見る人もいなくなったいまも。 ) 万葉集第2巻230番歌 作:笠金村 。 この季節家の周りの叢には盗人萩がはびこっています。花だけ見ていると確かに萩の花に似ていますが花が終わり枝先に種が出来ると厄介です。うっかり叢に入り込むとあっという間にズボンやコートの裾にくっついてなかなか取れません。面倒でも一粒づつ指で取り除かなければなりません。今年は特に多く咲いていました、裏の道にも異常に繁茂して通り抜ける時は裾に注意しながら歩いています。
「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。 コヘレト 7:13」
棗(ナツメ)の実
梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く(訳 梨(なし)や棗(なつめ)や黍(きび)に続いて粟(あわ)が実り、葛(くず)が蔓を延ばし、その後も逢いたいと葵(あおい)の花が咲く。 万葉集第16巻3834番歌 詠み人知らず。)棗は奈良時代に中国から入って来てその実の滋養満点さから日本人に愛されてきた果実です。先日何時ものマーケットを覗いたら棗の実を売っていました。木になっていたのは見たことがあり落果した実を拾ったこともありましたが、売り物になるとは知りませんでした。嬉しくなり買い求めて家に帰り添え書きを見ましたら、青リンゴの味、と書いてありましたので早速齧ってみたらなるほど青りんごそのものの味でした。干すと甘みが増すそうで目下ベランダで干している最中です。
(「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。 コへレト1:10)
夏草
裏の草藪が春以来一度も手入れが無く伸び放題になっています。 そんな草藪にも秋の色が密かに偲び込んできました。薄、葛、萩、背高泡立草、月見草ならぬ待宵草など、今まで元気に繁茂していた夏草を押しのけて勢力を増してきました。しかし、そろそろ植木屋が鎌を研いでいることでしょう。
(天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 コへレト 3:1~2)
鉄砲百合・テッポウユリ
道路沿いの植栽帯の植え込みの中から勢いよく鉄砲百合が咲きだしました。6月に鬼百合が7月には山百合が、そして8月には鉄砲百合が咲いて存分に百合を楽しませてくれました。 鉄砲百合は九州、沖縄が原産地で日本の固有種でもあります。
山法師・ヤマボウシ
万葉時代には柘(つみ)と呼ばれていました。柘は、普通、ヤマグワ、山桑を指しますが、万葉集の柘(つみ)は、山法師、ヤマボウシのことという説もあります。街路樹の山法師の実が赤みを帯びてきました。熟しきると落果が始まり道は一面に赤い山法師の実で足の踏み場もなくなります。汚れていない実をハンカチに包んで家に持ち帰り暫く眺めています。
(天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える イザヤ書55:10)
月見草・宵待草・待宵草
太宰治の「富嶽百景」の中に「富士には月見草がよく似合う」と言うくだりがあります。後に太宰は月見草と宵待草(正式には待宵草)とを勘違いしたというのが本当のところのようです。確かに私も今まで宵待草を月見草と呼んでいました。花の色が月の色に似ているからでしょうか。本当の月見草は繁殖力が弱く既に自生はしなくなったようです。公園で探しても見当たりません、ぜひ一度見たいものです。
「人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。 」詩編103:15
街路樹の百日紅が咲き始めました。百日紅はたしか秋の花とばかり思っていましたが、最近は夏の花になってきたようですね。花の色も子供の頃は赤か白でしたが最近はピンクや紫色もありカラフルになっています。子供の頃友達と猿も滑ると言うツルツルの幹に裸足になってよじ登った事がありましたが確かに登り難かったですね、でも登れました。子供の頃はよく木登りをして遊びました、木は子供たちの格好の遊び相手でした。柿の木は折れやすい事も何度か落ちて覚えました。
「いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える。これは主の記念となり、また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」 イザヤ55章10節
懐かしい「週報」
本棚の隅に忘れていた本を見つけ開いてみたら古い週報が出て来ました。2007年4月6日の聖金曜日礼拝の週報でした。当時の週報はセイヤ先生がお一人で作っていらっしゃいました、慣れない日本語なのでのご苦労が偲ばれました。この夜の礼拝は牧師夫妻と和智(現在、井手さん)さん星野の4人だけでした,礼拝は何時ものスタイルではなく会衆席に円陣に座り祈りの一時を持ちました。終わりに覚えたてのフインランド語で「主の祈り」を唱えてヘイッキネンご夫妻から褒められました、和智さんがäの発音をきれいに発音していたのを今でも覚えています。
12月24日のクリスマス・イブの日、フィンランドのトゥルク市には14世紀から続いている「クリスマスの平和宣言」という行事があります。 その日、ブリンカラという名称で親しまれる市の会館前の「旧大広場」に大勢の群衆が集まります。トゥルク大聖堂の12時を知らせる鐘が鳴ると、軍楽隊の伴奏で群衆は一斉にルターの讃美歌「神はわがやぐら(日本のルター派教会の教会讃美歌450番「力なる神は」)」を歌います。歌い終わると会館のバルコニーから市の儀典担当者が巻物を広げて次の宣言文をフィンランド語とスウェーデン語で高らかに読み上げます。
「明日は、もし神がお許しになるのであれば、我々の主であり救い主でおられる方の恩寵溢れる降誕の日である。それゆえトゥルク市にクリスマスの平和を宣言する。市民はこのお祝いに相応しい敬虔さをもって祝い、静かに騒ぎ立てぬよう振る舞わなければならない。なぜなら、この平和を破り、違法あるいは相応しくない行為によってクリスマスの平和を乱す者は、重大事案が生じたことになるので法令がそのために別途定めている刑罰に処せられることになるからである。それでは、トゥルク市に居住する全ての住民にとってクリスマスのお祝いが喜びに満ちたものになるように。」
読み上げた後、再び軍楽隊の伴奏で今度はフィンランド国歌を斉唱し、最後は「ポリ市民行進曲」の演奏で終わります。大体15分位の内容ですが、テレビ中継され国民のほとんどが注視するひと時と言っても過言ではありません。ヨーロッパでは中世から同じようなクリスマスの平和宣言はどこでも行われていたそうですが、現在も続けているのはフィンランドのトゥルク市だけだそうです。
「クリスマスの平和宣言」をYoutubeで見る。