歳時記

ホタルブクロ 

15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。16  風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。 詩編1031516

桜美林教会の生垣の土手に今年もホタルブクロが咲いていました,薄紫色のホタルブクロに交じって真っ白いホタルブクロを見つけました、初めて見る新顔のホタルブクロです。このまま、此処に根付いてくれるといいなと思っています、此処の土手は季節の草花を咲かせてくれるので楽しみな場所です。 (風吹くや釣鐘動く花の形/正岡子規

2026年5月31日(日)10時半 三位一体主日 主日礼拝

司式・説教 吉村博明 牧師 聖書日課 創世記1章1節~2章4a節、第二コリント13章11~13節、マタイ28章16~20節 説教題 「キリスト信仰でいう神の愛とは三位一体から来る愛」 讃美歌 231、130、126、257、160 特別の祈り

全知全能の父なるみ神よ。

私たち人間をお造りになった父なる神のあなたは、み子を通してご自身の栄光を顕(あらわ)し、多くの人を正しい信仰に導かれました。どうか、あなたから信仰を頂いた私たちが聖霊に支えられて今日も福音の喜びを喜ぶことができ、その喜びを周りの人々にも伝えることができるようにして下さい。

あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストのみ名を通して祈ります。 アーメン

牧師の週報コラム

覚悟と胆力を養うキリスト信仰その13
ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」
の2月7日の日課から)
『心配事は全て神に放り投げよ。神はあなたたちの面倒を見て下さる方なのだから
。』 (第一ペトロ5章7節、フィンランド語訳聖書にもとづく)
『事を自分の重荷にとどめるな。あなたはそれを運びきれず、遅かれ早かれ押しつぶされ
てしまうだろう。そんなことはやめて、それを捨てなさい。つまり、喜びながら信頼して
神にパスしてしまうのだ。パスする時、次のように祈りなさい。「天の父よ、あなたは私
の主、私の神です。あなたは、私など何も存在しなかった時に私をお造りになり、その上
、ひとり子を用いて私を罪の支配から贖って下さいました。そして、果たしなさいと言っ
てこの務めと課題を私にお委ねになりました。しかし、それは私が望んだようには上手く
いきませんでした。多くのことが私に重くのしかかり、心配事が次から次へと押し寄せて
きます。どうしていいのか途方にくれています。これらを全部お渡ししますので、あなた
の助けとアドバイスをお願いします。どうか、この務めと課題の全局面に一緒にいて、隅
々まであなたの目を注いで下さい。」
これこそ神の御心に適う対処法である。神が私たちにしなさいと言っているのは、委ねら
れた務めと課題に取り組みなさいということだけだ。取り組むことで何を成し遂げられる
かについての心配は神のすることであって、私たちのすることではない。
このようにキリスト信仰者は他の者にはない大きな可能性を持っている。ひとり子を救い
主と信じる信仰があるので心配事を放り出してよい父が天におられるからだ。そうでない
者たちは心配事を抱いて自分を痛めつけ、最後には絶望に陥ってしまう。翻って信仰は
、「神はあななたちの面倒を見る」という御言葉を手放さず、神は嘘をつかない方だから
御言葉はその通りだと信頼して前に進む。』(以上、ルターの説き明かし、2025年6月8日
の週報に掲載したものを修正)
牧師注 日本語(新共同訳)は「思い煩いを神にお任せしなさい」とお上品な訳ですが、
ギリシャ語の「エピリプトー」は辞書(Heikel&Fridrichsen)を見ると、「投げ出す、放
り出す」です。英語、ドイツ語(ルター版)、フィンランド語、スウェーデン語の聖書も
それで訳しています。また、日本語は「神はあなたがたを心にかけている」と控えめ。ギ
リシャ語の「与格・メレイ・ペり・属格」は、上記4カ国語は「神は面倒を見る、世話を
焼く、ケアをする」です。日本語訳では上記のルターのような力強い説き明かしはできな
いのではないでしょうか?もったいない話です。

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歳時記

庭の野草

15人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。16風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。 詩編1031516

白州の家の小さな庭にも年毎に色々な野草の花が咲きます。去年はアジサイ、一昨年はギボウシ、その前はカワラナデシコ、もっとその前は・・・・・忘れました。今年はなんとヤマオダマキが咲いていました。ヤマオダマキは確か以前にも咲いたことがありました。こうして見ると草花は互いに譲り合って咲く順番を決めているのかもしれませんね、競い合うよりもずうっと良いと思いました。

5月の料理クラブの報告

5月の料理クラブは16日に開催しました。季節はもうフィンランドの夏を思わせる陽気でした。今回のメニューはオーブン料理の「リンドストリョーム・ピヒヴィ」(ひき肉とビーツのハンバーグ)とロホコ・ぺルナ(ブロックポテト)です。

料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。最初にリンドストリョーム・ピヒヴィを作ります。ハンバーグにビーツを入れる少し珍しい料理です。先ずビーツをすりおろします。それから玉ねぎを炒めて材料を順番にボールに入れてよく混ぜます。「わぁー、赤くなって面白い!」と驚き声が聞こえます。ハンバーグの形を作って鉄板に並べ、即オーブンに入れて焼きます。

次はロホコ・ペルナの番です。新ジャガが美味しい季節です。ジャガイモを洗ってブロック形に切ってしばらく茹でます。半熟になったらお湯を切って鉄板に並べます。その上にサラダ油を塗って塩コショウをかけます。そしてオーブンに入れて焼きます。その時リンドストリョームのハンバーグは少し色が変わっていました。これからどんなものになるのか楽しみです。

オーブンで焼いている間、サラダやテーブルのセッティングを楽しくお話ししながら準備します。そうしているうちにリンドストリョーム・ピヒヴィもロホコ・ペルナも出来上がりました。「お腹が空いたから、早く味わってみたいわ」と皆さん待ち遠しそう。

早速、料理を温かいうちにお皿に盛りつけて頂きます。「美味しい!」との声があちこちから聞こえました。皆でフィンランドの家庭料理を美味しく頂きながら楽しい歓談のひと時を過ごしました。その時フィンランドの春の季節の種まきや、聖書のみ言葉の宣べ伝えが心への種まきにたとえられることについてお話を聞きました。

今回の料理クラブも無事に終えることができて神さまに感謝です。料理クラブは夏の間6月から8月までお休みになります。秋の再開の日程は教会のホームページでお知らせしますので、是非ご覧ください。天の神さまがこの夏も皆様のご健康を守られますように。それでは、またお会いしましょう!

料理クラブの話

今日は久しぶりにフィンランドの家庭料理「リンドストロョーム・ピヒヴィ」と「ロホコ・ペルナ」を作りました。フィンランドではジャガイモの料理を殆ど毎日作るので、ジャガイモはフィンランドの食文化の中でとても重要な食材です。ビーツはフィンランドの食卓には昔から欠かせない野菜で、今でも多くの家庭の菜園で育てられます。

私の実家でも毎年、学校の夏休みになる6月の初めにいつも野菜畑にビーツの種を蒔きました。芽が出るまで3週間くらいかかりましたが、その間畑に出てくる雑草を抜き取らなければなりませんでした。8月になると、ビーツは十分大きくなって、採って茹でて、ビーツのサラダを作って美味しく食べました。ビーツはビタミンA,B,CとE,そしてミネラルも豊富に含まれているからです。ビーツの料理をもっと食べるようになれば、人々の健康にもよい影響があるでしょう。

フィンランド人はどのようなビーツの料理を作るでしょうか?最も一般的なものは、甘酸っぱい酢漬けです。これはビーツを収穫した時期に作るもので、一年中保存できます。また今日のようにハンバーグの中に入れたり、スープやキャセロールやサラダなどに加えたりします。今日作ったリンドストロョーム・ピヒヴィは、季節に関係なく一年中、家庭料理だけではなく、学校の給食にも出されます。

これからフィンランドは新じゃがが美味しい季節になります。6月になると新じゃがが店で販売されるようになります。最初は値段はとても高いですが、大きくなるにつれて価格は下がります。

フィンランドはこの5、6月は畑仕事、土づくり、種まきの季節です。農業している私の弟も実家の畑仕事で忙しい時期です。先日、メールが届いて、「種まきは順調に進んで種きが終えました。こんなに早く終わるのは珍しいので神さまに感謝しています。」と書いてありました。しかしこのような春はいつもではありません。ある年の春は雨が多くて寒さが続いたので、畑仕事や種まきは5月の終わり頃や6月の中頃になってしまったこともありました。このような年は私の父は秋の収穫のことを考えてとても心配していました。

毎年種まきが終わってから芽が出るまでの間には心配もありましたが、同時に楽しみや希望もありました。芽が出てくると、穀物の成長と良い収穫の期待が膨らみわくわくしたものです。芽が出た後も畑には様々な仕事がありましたが、穀物の成長に最も大きな影響を与えるのは天候です。天候は天の神さまの私たち人間に対するよい思いが秘められていると思います。もちろん豊作の年もあれば不作の年もあります。豊作の年は感謝の気持ちで満たされますが、不作の年にはがっかりし残念な思いになります。しかし同時に次の年への希望、今年より良い収穫になることへの期待を持つことができます。

私は農家の働きの経験を通して天の神さまは大いなる方であり、どのような時にも共にいてくださると信頼して大丈夫というお方だという思いが深まりました。聖書も種の成長について教えています。旧約聖書のイザヤ書には次の言葉があります。

「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生き茂らせ種まく人には種を与え食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉もむなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ私が与えた使命を必ず果たす。」
イザヤ章55章10~11節。

種をまき芽が出て成長していく姿を見ると、本当に神さまは大いなる方だと分かります。小さな種が多くの実を結ぶのは神さまの御手の働きによるものです。私たちはその働きを直接目で見ることはできませんが、結果を見ると神さまの働きがあったことが分かります。神さまが種の成長のために雨を降らせて下さるからです。不作の年もあるかもしれませんが、そのような時にも神さまは私たちと共にいてくださり将来への希望を与えて下さいます。神さまは決して見捨てることをしません。

CC0ところで、聖書の種が出てくる教えでは、種はよく天の神さまのみ言葉にたとえられます。種が蒔かれる地や土は私たち人間の心を意味しています。神さまの言葉とは聖書のみ言葉のことです。それで、聖書の言葉‘を読んだり聞いたりすると、心に神さまのみ言葉が蒔かれたことになり、神さまは成長を与えて下さいます。そして神さまと私たちとの結びつきが強くなります。心の成長は、神さまとの結びつきなくして私たちの自分の力や努力で得ることは出来ません。それは種の成長と同じように神さまの働きによるものです。神さまが働いてくださると、私たちは神さまを信頼するようになって全てのことを神さまに打ち明けて委ねるようになります。神さまとの結びつきが強まると、心の中に喜びが生まれます。神さまも、私たちを導いてよい実を実らせるようにしてくださいます。

私たちは、これから畑で穀物などの成長を見る時は、これは神さまが与えて下さることなのだと覚えましょう。そして神さまは同じように私たちに信仰と心の成長も与えて下さることも覚えましょう。

牧師の週報コラム 

覚悟と胆力を養うキリスト信仰その12

ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ
」5月7日の日課から)
『今日立てられているものは全てあなたの決定による。なぜなら、全てのものはあなたに
仕えるものだからだ。』(詩篇119篇91節フィンランド語訳の聖書による)
(注意 日本語訳「この日に至るまであなたの裁きにつき従ってきた人々はすべてあなた
の僕です」は問題です。私から何度も指摘しましたが、ヘブライ語のミシュパートは日本
語訳ではほぼ自動的に「裁き」と訳されますが、辞書(Holladay)にはその意味はなく
、「仲介による決定」とか「正義」が基本的な意味です。日本語訳は89節からの流れを踏
まえておらず、90節のエムーナーテカー(あなたの誠実さ)も誤訳しています。訳した人
たちは自分で何を言っているかわからなかったのでは。フィンラン語訳には「なぜなら」
がなく、ヘブライ語原文にはあるので付け加えました。)
『ふつう、「運」と「不運」はお互いかけ離れたことを意味すると言われる。しかし、理
性はこの聖句を前にして顔面蒼白になる。なぜなら、両者は実は背中合わせにあるくらい
近い存在であるということを理性はわからないからだ。我々はそれを信じられなければな
らない。例えば、ヨセフが牢獄に閉じ込められていた時、彼はもう一生そこから出られな
いと思われた。しかし神は、全ての膝が彼の前で跪かねばならなくなると既に決めていた
のだ。このように命と死は一方が他方の中に秘められていると言っていいくらい近い存在
なのだ。死の中に命が、幸運の頂点の最中に不運が、貧しさと惨めさの中に豊かさと喜び
祝いが、何も心配はないと思っていた人生の中に一瞬の死が秘められているのだ。
同じことは我々の死にも当てはまる。我々は、死に臨む時、あたかもそこに永遠に埋没し
てしまうかのように思われるかもしれない。しかし、まばたきした瞬間に今の天と地が終
わって新しい天と地が創造される日になっている。その時、我々は声をあわせて叫ぶ。「
ああ、私は永遠に生ける者になっている!」
以上のことを神は聖書の中で我々に数多くの事例をもって示しているではないか。神は低
い者を高くし、高い者を低くされる。全てのことはそうされる方の御言葉通りに進む。そ
れは、我々が神を度外視して自分の知恵と力だけで物事を成そうとしないように、全てを
最終的には神の御心に委ねるしかないと観念して全面的な信頼を寄せられるようにするた
めなのだ。キリスト信仰者であれば、全てのことは一字一句自分の考えや計画通りになら
ないことは、これまでの人生の中で既に経験済みではないか。』(以上ルターの説き明か
し、2026年5月11日の週報に所収したものを少し修正しました。)

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5月の予定

歳時記

偽アカシア(別名:針槐 ハリエンジュ)

〈神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 創世記129

山梨県は四方を山に囲まれています、東に秩父山地、西に南アルプス、南に御坂山地、北に八ヶ岳です。ぐるりの山々から甲府盆地目がけて釜無川、笛吹川、大武川等の川と更に多くの支流を合わせて流れ込み富士川となって太平洋に向かっています。それらの川筋に沿って高さ約20メートル程の針槐の疎林が続きます。初夏になると、それらの木々に一斉に白い英をつけます。香りのよい花は天ぷらにすると上品な味のする一品になります。五月の連休明けに山梨に行ってきました、釜無川の河原に降りて心行くばかりに針槐の花を愛でて来ました。帰りには勿論、英の沢山ついた小枝を手に。