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顕現節第6主日 2019年2月10日(日)
「主によって、召された自由」
創世記 45:3~15
Ⅰコリント 7:17~24
ルカ 6:27~36
コリントの教会の信徒への手紙を、今回もいっしょに、みことばに聞いて参りましょう。今日は、7章17節ー24節までです。
パウロはこの手紙の中で、7章から、結婚に関する問題、男女の問題について書いています。そして、それは7章の終わりまで書いています。ところで、今日の17節から24節までは、少し話がちがうように思います。
普通に考えれば、話の中にちがうことを書き入れたのではないかと思う程です。
ここには、7章の結婚に関係することは書いてないからです。他の話を、取り込んだのであろう、という人もあります。
しかし、ここに書いてあることは何か、と言うと、パウロは、これまでの視点よりちがった方向から、大きく、広げて、そして、それらの基本的な点を述べていくのです。
人間、1人びとりの立場はどういうものであるか、ということにふれていきます。
ここでは、必ずしも、男と女の問題だけでなく、人間が生きていく、生活の仕方そのものにふれていく。今、自分がおかれている、この立場に立っていることは、何にもとづいているのか、ということであります。
私たちは、各々の生き方をしていますが、自分がこの位置に置かれているのは、何によるのでしょうか。それは、自分が希望したからそうなったのか、それとも、偶然のことであろうか。今の自分にあるのは、自分が望んでいたのか、と言うと、イヤちがう。或いは、又、どうして自分はこんな星のもとに生まれてきたのか、いろいろ考えたりもします。兄弟の中でのことや、自分の仕事について、もっと、あんな仕事をやりたかった、とか、境遇についても思いどおりにいかないことばかり、この世はそんなものです。
それなら、少しでも改善して、自分の希望するようにしたい、と願うでしょう。いろいろ努力してやってはみたが、結局はどうにもならない、何か大きな力で動かされているような気がして、自分がいかに小さい者であるか、無力な者でしかないと、思い知らされる。誰でも通る道ではないでしょうか。私たちの生き方は、これでいいのかと、深く考えます。何か、すっきりした道はないのか、と考えるのではないでしょうか。
教会に行ったことのある人なら、神のみ心はどこにあるのだろうか、と考えるにちがいない。神は自分をどうお考えになっているのだろうか。
特にパウロがここで語っています中に、もう1つ深刻な問題がありました。それは、割礼を受けることであります。この時代の教会の中で、どうしても考えなければならなかったでしょう。
信者になっても、割礼は受けなければならないものなのか。或は、むしろ、割礼のあとは、なくしてしまった方がいいのかどうか。
これらの事柄は、信仰に関係があることでした。したがって、自分の救いに、関係のあることでした。そのことは、結婚等とは比較にならない程、重要であったにちがいありません。
それなら、これらすべての事について、神の御心はどこにあるのでしょう。神はただ、人間のしたいようにさせておられるのか。それとも、はっきりした道があったのでしょうか。その答えが17節であります。
17節「おのおの、主から分け与えられた分に応じて、それぞれ、神の召された時の身分のままで歩みなさい。」そしてこれについては、すべての教会で、わたしが命じていることです。と言っています。
パウロは、ここに、すべての立場にいる者に与えられた道がある、と言っているのです。
このことは、信仰を抜きにして考えると、ただ、あるがままでいいのである。というように見えます。もしそうなら、最もだらしのないことになってしまいます。それなら、この中で、どこに神のみ心があらわれているのでありましょうか。
ここには二つの大事な事があります。
1つは、「各自は、主から賜った分に応じる」ということです。
もう1つは「召されたままの状態」ということです。召される、ということは、聖書の中で、最も重要なことの1つであります。それは、「召される」ということが、いつでも救いに関係があるからです。
「救われる」ということと、「召される」ということは、いつも深い関係があります。「召される」というのはお呼びになる、ということであります。
神が私たちをお呼びになる、というのは、召して、御自分のものとなさる、ということです。
それなら、召されるのは、神のものになる、ということになるのである、と思います。神のものになる、というのは、何でもないことのように思われるかも知れません。或は、ただ、信仰の話である、と考えられるかも知れません。
しかし、決してそんなに簡単なことではないのです。なぜなら、もし、神のもの、とされるのでなければ、私たちは、だれのものでありましょう。
「自分は、自分のものにきまってるよ」と、ふつうの人なら、言うでしょう。しかし、ほんとうに、そうでしょうか。自分は自分のものにちがいないが、そうすると、いかに頼りないことか。ということを痛感させられます。
ことに、大事な決心をしなければならないような時に、それがよくわかるのであります。自分が頼りないのであります。自分がどこにいるのかが、分からなくなります。
あちらを立てれば、こちらを立てることができないなんてことは、しばしばです。自分の立場がはっきり定まっていないのです。
そういう人間が、神に召されて、神のものとせられる、ということこそ、まことに救いではないでしょうか。今や、右を見たり、左のことを考えたりする必要はないのです。
神のものに、せられたのでありますから、それを自分の足場とすればいいのであります。そうでないと、結局、自分の欲望に引きずられてしまう、ということになるのではないでしょうか。
自分は、神から召されて、神のものとして、この新しい立場を与えられたのである、ということです。神から召されたことがはっきりした時、今の自分に与えられている仕事、家庭、友人、教会の人々、みんな、神から与えられたものであり、神のご用にある人間ということになります。
神が必要として、与えて下さっている人々、そして又、それがどんなに貧しい業であっても、或は人から見れば、何もないかのように思われても、神はお求めになっておられる、ということであります。そうであれば、割礼があっても、なくても、それは問題ではない、大事なのは、ただ神の戒めを守ることであります。とパウロはここで言っています。
イスラエルの民にとっては、割礼のことは大変大事なことがらなのです。割礼は、神が召してく、ださったしるしであって、それこそ、救いのしるしであると言わねばなりません。しかし、そこで大切なことは、神に召される、ということであります。割礼はただそのしるしでしかありません。
神のものとせられた、ということが大切なことになるのであります。
まことの割礼を受けること、私たちの場合は、洗礼を受けることにあたりましょう。今は、どこに属しているのでもなく、神に属しているのです。それならば、大事なことは、神に属する者らしくすることであります。
今や、信仰を持った私たちは、自分の奴隷でもない、全く自由にせられ、みな、神のものであります。
どの人間も、キリストによって救われたならば、神のもの、すなわち、神の奴隷、キリストの奴隷であります。しかし、このことを、ほんとうになかなかわかっていないのが私たちです。
そこで、パウロは、信仰の奥義を語ります。
「あなた方は、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷になってはいけない。」
おれはおれの好きなように生きるんだ。そうはいかない、代価をもって買いとられたのである。自然のままの人間ではないということであります。
代価を払って買いとられなければならないような状態にある、ということであります。
代価とはなんでしょう。それはキリストであります。キリストの死と復活であります。そういう代価を払わないでは、罪の奴隷をやめて、神の奴隷となり、神のものとなることは、とうていできることではありません。
こういうことが分かった時、はじめて、「兄弟たちよ、各自は、その召された状態で、神のみ前にいるべきである。」と言うことができるのであります。
人の前ではなく、神のみ前にいる自分、その時人は、はじめてほんとうの人になることができるからであります。
ある人が言いました。
<すべてのことは神の憐れみの中にいること。神の憐れみの中にいて、神様に「そうだよ、それでよろしい」と言ってくださることです。>
すばらしい生き方となるではありませんか。
アーメン・ハレルヤ
天気予報通りの雪の舞う寒い寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは「ルーネベリのロールケーキ」を作りました。フィンランドの詩人ルーネベリが好物だったというルーネベリータルトをベースに、軽い味わいのロールケーキに仕上げました。
お祈りをしてスタートです。
最初に生地作り、焼いてる間に、こくのあるクリームを、そしてルーネベリタルトには欠かせないラズベリージャムも、ロールケーキ用に準備されました。
焼き上がった生地を冷ましてる間に、ヴォイレイパ作りと、テキパキ作業が進みます。
最後はとてもソフトな生地をロールケーキに仕上げます、ラズベリージャムとクリームを塗って巻き込み、アイシングで飾りつけをして、最後にカットして、ラズベリージャムとアイシングでアクセントを付けて完成しました。
試食会の楽しい会話も一段落した頃、パイヴィ先生から、ルーネベリタルトのお話や聖書のお話も聞かせていただきました。
寒い中のご参加お疲れさまでした。
フィンランドでは新年が終わったら、次にお祝いの日になるのは2月5日の「ルーネベリの日」です。この日は昔は休日でしたが、今はそうではなく、ただ国旗を掲げるだけの祝日です。それで新年が終わると、ルーネベリタルトがお店で売られるようになります。しかし、販売期間は短くて、せいぜい一ヶ月くらいです。
ルーネベリとはどんな人だったでしょうか?彼はフィンランドの有名な作家で、1804年に生まれました。詩や小説をたくさん書いて、彼の最も有名な詩「わが祖国」はフィンランドの国歌になりました。また、彼は教会のことも熱心で、60曲近い讃美歌の詩も書きました。
お祝いをするのが好きだったルーネベリは、50歳になってから毎年誕生日に大きなお祝いをしました。後に彼の誕生日である2月5日は、彼の記念日としてフィンランド全国で祝われるようになりました。彼の誕生日というよりは、フィンランドの文化の日として祝われます。オフィシャルなお祝いの会場でも家庭でも、ルーネベルイタルトが出されます。ルーネベリは小説や詩だけでなく、ルーネベルリタルトも残したと言うことができます。
ルーネベリは、この甘いお菓子を朝食で食べたくらい大好きだったそうです。このお菓子の始まりについては、いろいろな説があります。ある説によると、ルーネベリタルトはスイスで初めて作られて、そこからフィンランドのルーネベリが住んでいた町に伝わって、町の喫茶店で売られていたということです。ルーネベリはこのお菓子がとても気に入って、よく食べるようになったのが始まりだと言われています。ルーネベリは甘いお菓子が大好きだったので、奥さんのフレディリカもこのお菓子を作ったそうです。
現在、ルーネベリタルトのレシピはいろいろありますが、一番オーソドックスなものは、形が少し長めの円筒状で、上にのせるジャムはラズベリージャムです。レシピの面白いものの一つは、生地にピパルカックを入れるものです。クリスマスの期間に食べきれなかったピパルカックをつぶして生地の中に入れて、それで美味しいものが出来るのは素晴らしいことと思います。しかし最近の家庭はピパルカックを昔ほど沢山作らないので、つぶしたピパルカックの代わりにピパルカックのスパイスを入れるようになりました。もう一つルーネベリタルトの面白いことは同じ材料を使って、違う形のお菓子、ロールケーキが出来ることです。名前はルーネベリのロールケーキです。このように残ってしまったお菓子も上手に使って、新しくてもっと美味しいお菓子が出来て、国の記念日のお祝いに出されるようになったというのはとても不思議なことです。
旧約聖書のイザヤ書には次のような聖句があります。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」(イザヤ書43章19節)。天の父なる神様は、人の目から見て価値がない、もう捨てるしかないと思われるものから新しい素晴らしいものを生み出される方です。ゼラニウムの花もそのことを思い出させてくれます。ゼラニウムは秋花が咲き終わってから、葉っぱも全部落ちて枯れてしまって、茎だけを残します。枯れてしまったゼラニウムの植木鉢はもう意味がない、捨ててしまおうと思われるかもしれません。ところがそうではないのです。枯れたゼラニウムの植木鉢を暗くて涼しい地下室に冬中置いておき、春になって地下室から出して暖かくて光があたるベランダに置きます。そうすると、最初は枯れた茎だけだったのが、しばらくすると新芽が出て育ち始め、やがては美しい花を咲かせます。このように一度捨てるしかないと思っていたものが、また育って花が咲くのはとても不思議に思えます。でもこれは、天の神様が成長を与えて下さるから起こるのです。
神様は、同じようなことを私たちにもしてくれます。私たちが自分のことを意味がない、価値がないと思ってしまう時は、私たちは暗い地下室に置かれているのと同じです。しかし、ゼラニウムを暗い地下室に置くのは、次の夏にきれいに咲かせるために必要なことなのです。暗い場所から明るい場所に置くと、ゼラニウムの新しい成長が始まり、素敵な花を咲かせます。天の父なる神様はこのように新しく造られる方です。神様は私たちをも素晴らしいものに成長させて下さいます。成長は私たちの思うように進まないかもしれません。ゼラニウムのように暗い場所に置かれてしまうかもしれません。でもそれは光の時が来た時に成長できるために必要なことでした。神様は光の時を来させて下さる方で、その時には私たちを暗闇から出して下さり新しい成長を与えて下さいます。このように神様は私たちを新しく造り変えて下さいます。
神様が私たちを新しく造り変えて下さるとどうしてわかるでしょうか?それは、神様が最初のクリスマスの日にイエス様をこの世に送って下さったことからわかります。イエス様はこの世の光です。光の時が来たのです。イエス様が私たちの罪を償うために十字架の上で死なれて、そのかわりに私たちの罪が赦されました。イエス様を救い主と信じる人は暗闇から光の中に出されて、心が新しくされます。
今週散歩した時に、一本だけでしたが梅の花が満開に咲いているのを見ました。神様が梅の花を新しく咲かせて下さったとわかって感謝しました。私たちは、こうした自然の移り変わりからも天の神様が私たちを新しくして下さる方だとわかります。これからもこの神様とひとり子イエス様のことを覚えて歩んでまいりましょう。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
本日の旧約聖書の日課エレミア書17章5ー8節は呪われた者と祝福された者ついて述べています。「呪い」とは物騒な言葉です。不幸とか何か良からぬことが起こって、その原因を何か超自然的なことに求める時に出てきそうな言葉です。「祟り」と同じことと考えられるでしょう。「祝福」とは何か?私たちの周りでどんな使われ方をするか見てみると、例えば、結婚式で新郎新婦にお祝いを述べる時に、みんなで二人の門出を祝福したなどと言います。ところが、聖書で言われる祝福はそれとは異なります。いろんな説明の仕方があると思いますが、大まかに言って聖書の祝福は天地創造の神が関係してきます。人間同士がお祝いの気持ちを表明するということではありません。日本語で「祝福」という訳語を当てはめたため、お祝いのイメージが付きまとうかもしれません。
聖書の祝福を理解する手がかりとして、民数記6章にあるアロンの祝福を見てみましょう。神が祭司のアロンにイスラエルの民を祝福する時は次のように言いなさいと命じます。この文句はキリスト教にも受け継がれて、私たちの礼拝の終わりでも唱えられるので皆さんもよくご存知です。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔をあなたに向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。」
この文句から、祝福はお祝いではなく、神が人間に目を注いで良いものを与えてくれることだとわかります。どんな良いものを与えて下さるのか?神が人間を危険から守ってくれるということがありました。また、御顔を人間に向けてその栄光の輝きを暗闇の中にいる人間に当ててあげて、人間に恵み深く接して下さるということがありました。新共同訳では「恵みを与えられるように」ですが、ヘブライ語原文では何かを「与える」とは言っていません。神が人間に「恵み深くおられますように」です。神が恵み深くおられるというのは、どういうことか?それは、人間に神の意志に反する罪があってもそれを赦して不問にするから新しくやり直しなさいと言って下さることです。罪の赦しをお恵みとして与えて下さるという意味での恵み深さです。
さらに、神が人間に御顔を向けると、平安も与えられるということもありました。「平安」はヘブライ語のシャロームですが、これは意味が広い言葉です。まず、繁栄、成功、健康、安全と言った、人間にとって良いことを意味します。神に守られている状態と言って良いでしょう。神の守りがあるということでシャロームは「救い」の意味も持ちます。その時、「救い」の内容は繁栄、成功、健康、安全と言った、この世的なものに尽きてしまうのか、それとももっと違うものもあるのではないかということが出てきます。キリスト教ではその違うものがはっきりしてくるのではと思います。どういうことかと言うと、人間はイエス様の十字架での犠牲の死のおかげで神の意志に反する罪を償ってもらった。そのイエス様を救い主と信じる信仰によって、神から罪の赦しをお恵みとしていただける。そうして人間は神との結びつきを回復して神との間に平和な関係を持てるようになった。もう神の罰を恐れなくてもいいんだ、神は自分の味方なんだ、ということになって、もう何が来ても怖いものはないという、まさに心が平安に満たされた状態です。キリスト信仰では「平和」とか「平安」はエイレーネ―という言葉ですが、まさに神との平和とそれから起こる心の平安が大きなものとしてあります。
以上のように聖書の観点では、「祝福」とは神が人間に御顔を向けて目を向けてちゃんと見て下さっていることが土台にあります。そこから繁栄とか成功とか健康とか安全を頂けるということがあります。さらに進んで、罪の償いを人間に代わってして下さった恵み深い神が共にいて下さるから大丈夫という安心を頂けるということがあります。どっちの場合でも、聖書の祝福は神を抜きにしては語れないものです。
「呪い」はこれと全く正反対のものです。人間が神から顔をそむけられて、背中も向けられてしまい、もう好き勝手にしなさいと見放されてしまう状態です。神に見放された結果、繁栄も成功も健康も安全も失われてしまう。あるいは、見放されてもタイムラグがあって繁栄や成功がしばらく続くこともあります。そんな時は神なんか馬鹿馬鹿しいと思うでしょう。しかし、繁栄や成功を失う時が来たら、罰が当たったのだと慌てふためくか、または引き続き神なんか馬鹿馬鹿しい路線を続けて、神など引き合いに出さないで自分の知恵と力だけで繁栄を取り戻そうとするかでしょう。
以上から、聖書の観点では「祝福」と「呪い」は天地創造の神が人間にどうかかわっているか、人間は神に顔を向けてもらって見てもらっているか、あるいは顔を背けられて背を向けられて見てもらえなくなっているか、そうしたことが土台にあると言えます。
ここで一つ気になることがあります。それは、成功、繁栄、健康、安全が祝福の産物のように見られるということです。確かにそうした面はあります。しかし、そうなると、それらが失われたら、それは祝福を受けられなくなったからだ、呪われたからだということになるでしょうか?いいえ、そういうことではありません。キリスト信仰ではお祈りしたにもかかわらず成功、繁栄、健康、安全が得られないとか、失われるということも想定しています。先にも申しましたように、神に罪の償いをしてもらって罪を赦されて神との間に平和な関係ができて神との結びつきの中で生きているということが確固とした事実としてあります。成功、繁栄などこの世的な輝きは失われても、神との平和、結びつき、そこからくる心の平安、外的な不穏にかき乱されない平安というものがあって、今度はそれらが輝きを放ちます。その時、神に目を注がれていることが一層わかるようになります。詩篇23篇で言われている、「たとえ我死の影の谷を歩むとも禍をおそれじ、汝われと共にいませばなり」ということが今まさに自分に起こっているとわかります。
どうしてそんなことが可能なのでしょうか?それは、聖書というものは繙く者に二つの視点、つまりこの世を超えた永遠というものがあるという視点と森羅万象の上に創造主がおられるという視点を与えるからだと思います。本日の使徒書の日課第一コリント13章と福音書の日課ルカ6章もこの二つの視点を与えます。ただ、旧約聖書の日課エレミア17章は、祝福された人は水辺の木のように緑の葉を豊かに生い茂らせ、日照りが来ても大丈夫、実を絶えず実らせ続けられる、なんて言っています。一見、この世的な繁栄、成功、安全、健康を言っているように見えます。しかし、この個所は目をよく見開いて聖書全体で言われていることを思い出しながら読むと、やはり永遠の視点と創造主の視点が含まれていることがわかります。
どういう人が神に顔を向けてもらって目を注いでもらう祝福された者なのか?どういう人が神から顔を背けられて背を向けられた呪われた者なのか?5節で「人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主を離れ去った人」が呪われた人になると言われます。祝福された人になるのは「主に信頼する人」(7節)です。ここで、人間はこの世で何に拠り頼み何を拠り所にするのかという問題を提起しています。天と地と人間を造られて人間に命と人生を与えてくれた創造主の神に拠り頼むのか?それとも神に造られた被造物を拠り所とするのか?被造物である人間は肉の塊にしか過ぎません。それに対して創造主の神は霊的な存在です。肉の視点しか持たないで生きていくのか?霊的な視点を持って生きていくのか?被造物同士の関係の中に埋もれて生きるか?それとも、被造物同士の関係の中で生きながらも、片手は造り主である神の手をしっかり握って被造物同士の関係の中に埋もれ尽くされない、そういう突破口を持つのか?
さらに8節を見ると、霊的な神に拠り頼む人は水辺に植えられた木のようでいつも緑豊かで実を実らせると言われています。ここで、祝福された人が得られる良いものは繁栄とか成功といったこの世的な良いものにとどまらないということを見ていこうと思います。そのことはエレミア17章からは見えてこないかもしれません。でも、詩篇1篇を手掛かりにするとエレミア17章をよりよく理解できます。なぜ詩篇1篇が出てくるかというと、エレミア17章8節「彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り 暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない」を見ると、これを読んだ人は、あれ、詩篇1篇と似ている、と気づきます。詩篇1篇3節「その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡りくれば実を結び葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」この二つの聖句の前半部分は、ヘブライ語原文では双子のように同じです。細かいことを言えば、詩篇は木が植えられたのは「水路」のほとりと言い、エレミアは「路」を取って単に「水」のほとりと言っている違いはありますが、あとは同じです。ヘブライ語でこのエレミアの個所を読んだ人は、詩篇1篇をヘブライ語で覚えていたら、それが頭にスーッと入ってきてそれを下敷きにしてエレミアの個所を読むようになるでしょう。
そうすると、エレミア17章の荒れ地で今にも干からびてしまいそうな灌木に例えられる呪われた人は、詩篇1篇で言われている神の意志に反する者と重なります。また水辺で緑豊かに実を実らせる木に例えられる祝福された人は、詩篇1篇で言われている幸いな人と重なります。さらに言うと、17章9節からエレミアは詩篇1篇の神の意志に反する者たちを自分を迫害する者に、幸いな者を自分自身に適用させていることもわかります。そうすることで、預言者として悲惨な状況に置かれても自分は神に見捨てられてはいない、神は常に目を注いでいて下さると確信することが出来たのです。本当に聖書はすごい書物だと思います。読めば読むほどいろいろな繋がりが見えてきて、神が本当に見捨てない方、目を注いで下さる方であることがわかってきます。
詩篇1篇の「幸いな人」を少し見てみます。3節で、水路のほとりに植えられた木が枯れずに実を結ぶのと同じように幸いな人は繁栄するのだと言われます。、繁栄というのは、この世的な良いものだけを意味するのでしょうか?詩篇1篇を終わりまで見ると、それだけではないことに気づきます。幸いな人と正反対の神の意志に反する人たちのことについても述べられています。彼らは、最後の審判の時に神から義なる者、つまり神の目から見て大丈夫な者と認めてもらえず、義なる者たちが集う所に到達できないと言われます。幸いな人はこれとは反対に、神から義なる者、神の目から見て大丈夫な者と認めてもらえる人です。詩篇1篇6節を見ると、幸いな人がこの世の人生で歩む道を神は知っておられると言われています。その道が向かうのは、義なる者たちが集う所、つまり神の御国です。この世が終わって死者の復活が起きて現れる神の御国です。神の意志に反する者たちはそこに到達できないと言われています。義なる者たちはその道を進み、神はその者たちが御国に到達できるように一時も目を離さず導いて下さっている。これが義なる者たちの道を神が知っているということです。
このように詩篇1篇の水辺の木が豊かに実を実らせるというのは、この世的な良いものを得られるということに尽きるのではありません。それは、神から義とされた者が神に始終見守られて神の御国に到達した状態も指しています。神の御国に到達することに比べたらこの世で得られる良いものは重きをなさないでしょう。そういうわけで、詩篇1篇はこの世を超えた永遠という視点と創造主の神がおられるという視点で語られている御言葉なのです。
この詩篇1篇を下敷きにしてエレミア17章の個所を見ると同じことが起きます。肉の塊にすぎない被造物ではなく、霊的な創造主の神に拠り頼む者は、水辺に植えられた木のようである、熱波に晒されずに緑豊かに葉を生い茂らせ、干ばつが来ても何も心配せず実を実らせ続ける木のようである、と言っています。このような木は、神の御国に到達した者を意味します。霊的な神に拠り頼み到達したのです。このようにエレミア17章の個所は詩篇1篇を下敷きにすると、この世を超える永遠の神の御国という視点があります。そして、そこに至るまでの道のりを神が見守って下さっているという視点もあります。
本日の個所の20節から後は、マタイ5章のイエス様の山上の説教と同じ出来事を扱っていることがわかります。しかし、内容が少し異なっています。この違いをどう考えたらよいでしょうか?マタイとルカの記述のどっちかが史実を正確に反映し、どっちかがそうではないというのは不毛な議論です。マタイもルカも自分たちが入手した記録や資料を基にしています。イエス様が実際に喋ったことの再現は不可能です。それを聞いて他の人に伝えたり書き留めたりした人が、ひょっとしたら自分の観点で手短にしたりとか、逆に解説的に詳しくしたとかいうことはあり得ます。そんなことでは書かれたことは史実を正確に反映していないではないか、と言う人も出てくるかもしれません。
ここで忘れてはならないことは、伝えたり書き留めたりした人は自分の観点で手短にしたり詳しくしたりしたわけですが、それはどんな観点だったかということです。それは、イエス様というのは天地創造の神がこの世に贈られた神のひとり子であり、その彼が十字架にかけられることで人間の罪を神に対して償って下さった、そして死から復活されることで永遠の命の扉を開かれた、そういう方である、しかもそれらは旧約聖書の預言の実現として起こった、このような観点です。これは言うまでもなくキリスト信仰の観点です。それならば、手短にしようが解説を施そうが、みんなこの同じ観点の中で行ったわけだからキリスト信仰そのものには何の害も及びません。むしろ、いろいろな記述があるというのは、キリスト信仰の内容を明らかにするために役立つと思います。いろんなバージョンがあってそれぞれ違いがあってもそれらを全部神の御言葉として扱い、何かを軽んじることはせずに、全部をよく見てつき合わせて、それらを総合して全体像を掴むようにすべきでしょう。
ルカのこの個所には、永遠の視点が明確に出ています。このことを見る前に、「幸いな人」と言っている「幸い」とは何か、それは「幸せ」とどう違うのかということについて触れておきます。「幸せ」はこの世的な良いもの、良いことと結びつきますが、「幸い」はこの世を超えたことに関係してきます。聖書には終末の観点があります。この世はいつか終わりを告げて新しい天と地が創造される、その時神の御国が唯一揺るがないものとして現れるという観点です。神の御国へは、死から復活させられて神に迎え入れられる者がそこに入り、その者はそこで永遠の命を持つことになります。そのように神の御国に迎え入れられる人、そしてこの世ではそこに至る道の上に置かれてそこを歩む者が「幸い」な者になります。そういうわけで、この世で貧しかったり、飢えていたり、泣いている人というのは確かに「幸せ」ではないが、イエス様を救い主と信じる信仰に生きれていれば、復活の日に全てが逆転する、立場も正反対になって満たされて笑うようになる、それが「幸い」なのです。将来そのようになると約束されているのです。
先ほど詩篇1篇の「幸いな人」とエレミア17章の「祝福された人」のところで、水辺の木のように緑の葉を生い茂らせて実を結ぶというのは、この世が終わって死者の復活が起きた後に神の御国に到達した状態と申し上げました。そうなると、この世の段階はどうなってしまうのか?この世の人生で繁栄とか成功などこの世的な良いものを手に入れたら、それは祝福されたことではないのか?そうしたことも祝福になるのではないか?しかし、先にも申しましたように大事なことは、神の御国に到達した時に本当の意味で水辺に植えられた木のようになっているということです。もちろん、この世の段階で繁栄や成功があって立派な木だったかもしれないし、あるいはそれらがなくてみすぼらしい木だったかもしれない。しかし、大事なことは、この世での繁栄や成功に関係なく誰もが神の御国に到達して素晴らしい木になることです。そういうわけで、ルカ福音書中のイエス様の教えは、別にこの世で繁栄などしていなくとも、まさに神の御国に向かって進んでいれば祝福されたことに何も変わりはないと明確に教えています。
本日の使徒書の日課は第一コリント12章27節から13章の終わりまでですが、この個所は永遠の視点と創造主の神の視点がよく現れています。13章は有名な愛についての教えです。キリスト教式結婚式でよく朗読される聖書の個所です。ここで述べられている、愛は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢せず、高ぶらない、礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない、不義を喜ばず、真実を喜ぶ、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える、以上は、夫婦間だけでなく一般的な人間関係の理想です。
どうしてここでパウロは愛について教えたのか、そこに至る流れを見てみます。12章でパウロは、キリストを一つの体に例えて、キリスト信仰者一人一人は体の手とか足とか目とか耳とかの部分である、それぞれが大事な働きをし、お互いにとってなくてはならないものだと教えます。どうしてこんな当たり前のことを言わなければならなかったのでしょうか?
コリントの教会の状況が背景としてありました。聖霊から賜物を与えられていろんな大きな業、不思議な業が行われていました。それが、自分がこれだけのことが出来るのは神に目をかけてもらったからだ、聖霊が自分に特別豊かに注がれたからだ、というような雰囲気がありました。そこでパウロは、与えられる賜物は違ってもそれは皆同じ聖霊に由来し、皆は洗礼を通して同じ聖霊と等しく結びついている、だから賜物については優劣はないのであって、キリスト信仰者全員はお互いがお互いにとって大事なのである、何の業が出来て何が出来ないかは関係なく、みんな、イエス様を救い主と信じて洗礼を受けて罪の赦しの恵みを得た、そのおかげで最後の審判の時に神から大丈夫と見てもらえるようになった、この恵みは教会の全員が等しく与えられているのだ、とパウロは教えます。
このようにパウロは賜物を得意がっている人たちにちょっと控えなさいというようなことを言いながら、12章の終わりで、最も偉大な賜物を追い求めよ、などとたきつけるようなことを言います。しかし、偉大な賜物を追い求める際に、最高の道を通って行かないと追い求められない、そんな道があるのでそれを教えよう、と言います。それが愛ということです。それで、どんなに驚くべき業を行っても、例えば聞いたことのない言語で神を賛美するという異言を語る業がありますが、これが出来ても愛がなければ騒音にしかすぎない。また、預言の賜物があって山を動かすほどの信仰を持っていても、全財産を貧しい人に施しても、誇るために自分を死に引き渡しても、愛がなければ、どれも無意味なことである。
そこでパウロは愛とはどういうものかということを述べていきます。愛は忍耐する、柔和に振る舞う、嫉妬心を燃やさない、高ぶったり、傲慢にならない、礼節を知る、自分の利益を追い求めない、復讐心を持たない、悪い考えを抱かない、不正に喜びを見出さない、真実を喜ぶ。この最後の真実を喜ぶというのは今の世の中はとても難しくなっていないでしょうか?自分の利益や野望に邪魔な真実は消してしまおう歪曲してしまおうという人たちがいます。そこまでして追求しようとする利益や野望は正しくないということを証明しているようなものです。真実を喜ぶというのは、正しさというものに自分を服させることになるのではないかと思います。もちろん人によっては向き合うのが辛い真実もあると思います。その人が打ちのめされることなく真実を携えることができるように考えてあげなければなりません。
パウロは、愛は全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える、と言います。「全てを信じる」とはどういう意味でしょうか?まさか、全ての宗教を信じることでしょうか?もちろん、そうではありません。「全てを」と訳されているギリシャ語の単語πανταの意味は「全てにおいて」が正しいでしょう(後注)。「全てにおいて信じる」というのは、どんなことが起きようともイエス様を救い主と信じる信仰にとどまる、ということです。同じように、「全てにおいて望む」というのも、どんなことが起きようとも、自分は神のみ前に立たされても大丈夫と見なされて神の御国に迎え入れられてもらえるという希望を失わない、ということです。「全てにおいて忍び、耐える」というのは前述した愛の現れ方です。どんなことが起きようとも、忍耐し、高ぶらない、嫉妬しない等々の愛を持つということです。
愛とはそのようなものだと述べた後で、8節から永遠の視点が出てきます。この世が終わり、死者の復活が起こり、今の天と地が新しい天と地に取って代わわれて神の御国が現れる。その時、預言や異言という聖霊の賜物はなくなってしまう。というのも、預言や異言がこの世でもたらしたものは何か大きな全体の一部にしかすぎないものだったからで、神の御国という完全で全体的なものが現れたら、そういう不完全で部分的なものは意味を失ってなくなってしまうのです。
ところが、愛はなくなりません。神の御国に引き継がれます。それは、愛が聖霊の賜物と違って最初から完全で全体的ななものだったからです。しかしながら、それは神の側でそうなのであって、人間の側では愛を完全で全体的に持つことは出来ませんでした。それが、復活の日に神の御国に迎え入れられた時、自分も神と同じように愛を兼ね備えていることを見るのです。忍耐する、柔和に振る舞う、嫉妬心を燃やさない、自分の利益を追求しない、悪い考えを抱かない、不正を喜ばない、真実を喜ぶ、どんなことがあっても信じ希望する。今自分はこれらを全て持っているのです。かつてはこれらのものはいつも部分的、一時的にしか現れて来ず、現れては消えての繰り返しでした。それが今、これらのものは自分に完全に備わっていて、自分はまさに愛を体現しているのです。神と同じようにです。自分が愛そのものになってしまっていると言ってもいいでしょう。
かつて鏡におぼろに映ったものを見ていたが、今は顔と顔とを合わせて見るというのはどういうことか?当時の鏡は今のようにガラスに銀を塗装するものではなく青銅のような金属板でしたので、映る顔は否が応でもおぼろげでした。それが神の御国ではそれこそガラスの鏡を見るように自分の顔がはっきり見えている。かつてイエス様を救い主と信じて神の意志に沿うように生きよう、神の意志とは愛なのだから愛を持とうとしてもいつも部分的、一時的の繰り返しだった。だから、愛が自分に現れるのはおぼろげにしかならなかった。それが、神の御国に迎えられた今、愛が自分に完全に根付いて、自分は愛を体現するようになった今、愛は自分に明瞭に現れるようになった。それでパウロは復活の日、自分は愛を体現し愛そのものになっていることを次のように言うのです。「そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」「はっきり知る」というのは、自分が愛を体現し愛そのものになっていることが明瞭に見えるということです。
ここで一つわかりにくいことがあります。「はっきり知られているように」とはどういうことか?さりげなく文の中に入っていますが、とても難しいところです。ギリシャ語の原文を直訳すると「私がはっきり知られていたように」です。新約聖書のギリシャ語では受け身の文の隠された主語はたいてい神なので、「私が神にはっきり知られていたように」という意味です(後注)。それでこの文を少し解説的に訳すと次のようになります。「神がこの世で私のことをはっきり知っていたのと同じように、私も将来の神の御国にてはっきり知るようになる。」神がこの世で私のことをはっきり知っていたこととは何でしょうか?それは神の国で私がはっきり知るようになっていること、つまり、私が愛を体現していることです。しかし、これは変です。というのは、神は私がこの世でも将来の神の御国と同じように愛を体現していたと見て下さったことになるからです。そんなことはありえません。そこで、かの日に神に次にように尋ねます。
「父なるみ神よ。今、あなたの御国に迎え入れられて私は愛を体現する者になっていることを驚き、感謝します。しかし、もっと驚きなのは、あなたは前の世で私のことを愛を体現する者と見て下さっていたのですか?私は、愛においていつも力不足でした。忍耐が不足していました。柔和に振る舞いませんでした。嫉妬心を燃やしたこともありました。高ぶったり傲慢になったりしました。」
そこで神は答えられます。
「わが子よ。お前はイエスの白い衣を纏うようになってから、その衣を取り去らないように生きていたのを私は見て知っていた。お前は愛の足りなさに気づきながらいつもこの日を目指して歩んでいたのを私は見て知っていた。白い衣に覆われた罪は神聖な衣の中で日々圧迫され、力を失っていくのを見て知っていた。お前がイエスを主と信じる信仰と聖餐のパンと葡萄酒で衣を離さないように握りしめる力を保っていたのを見て知っていた。だから私はお前を見る時はいつも今日の完成された姿を見ていたのだ。それで、お前のことを愛を体現する者と前の世でも知っていた、と言ったのだ。」
パウロはフィリピ1章6節で次にように述べています。
「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げて下さると、わたしは確信しています。」
兄弟姉妹の皆さん、この確信は真理です。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように アーメン
後注(ギリシャ語がわかる人にです)
・πανταは、私はaccusativus limitationisと考えます。
・καθως (…) επεγνωσθηνは、私が神に知られていたのは、この世の段階のことか、それとも将来の神の御国でのことなのか、意見が分かれるかもしれません。私は、この世の段階と考えます。将来の神の御国でのことであれば、ここはκαθως (…) αν επιγνωσθωになると考えます。
・第一コリント13章3節は、日本語訳では「誇るために自分を死に引き渡しても」ですが、英語、ドイツ語、スウェーデン語、フィンランド語の聖書の訳は「自分を焼かれるために引き渡しても」です。どうしてこんな違いが生じたのかというと、訳に用いた写本が異なっているからです。日本語訳は、よりオリジナルのルカに近いと研究者が認めた写本を使用。他は、オリジナルのルカからは遠いかもしれないが、ダニエル書を想起させ意味が通るということで「焼かれる」の方を用いたわけです。このように聖書は一筋縄ではいかないところがありますが、何語で読もうとも、聖書の視点とは何かを意識してみることが肝要です。
本日の福音書の個所は、漁師のペトロにイエス様が「これからお前は人間を捕る漁師になるのだ」と言ってペトロが付き従っていくところです。そのいきさつが他の福音書とは違う角度から詳細に記されています。旧約聖書の方は、イエス様の時代から600年以上さかのぼった昔、ユダ王国がバビロン帝国に滅ぼされてしまう少し前、神がエレミアを預言者に任命した時のやりとりが記されています。ペトロとエレミア、この二人が置かれた時代と状況は全く異なりますが、二人とも神から召命を受けて、一人は人間を捕る漁師として、もう一人は預言者として活動し、その中で天地創造の神の意志や計画を明らかにしていき、それが聖書という形で後世に伝えられることとなりました。聖書の中にペトロとエレミアの遺産があると言ってもよいでしょう。もちろん、ペトロやエレミアだけでなくイザヤやパウロやその他大勢の召命受けた人たちの遺産が聖書にはあるわけです。
本日の説教では、ペトロとエレミアの召命の出来事をよく見て、彼らの遺産がどういうものか、よりよくわかるようにしたいと思います。自分たちの活動を通して神の意志や計画について明らかにして後世に伝えようとしたこと、これを彼らの召命の出来事と結びつけて考えると、天地創造の神の意志や計画は私たちにもっと身近なものに感じられるのではないかと思います。
舟も沈まんばかりの大量の魚。それを見たペトロは、イエス様に「私から離れて下さい!私は罪びとなのですから!」と叫んでしまいます。なぜペトロはこの時、罪の告白をしたのでしょうか?9節をみると、夥しい大量の魚をみて恐れおののいたことが、そう告白するに至った原因のように書かれています(θαμβος γαρ περιεσχεν αυτον […….] επι των ιχθυων […..])。それでは、ペトロは大量の魚を見て何を恐れたのでしょうか?そして、恐れることがどうして罪の告白になったのでしょうか?まずそのことを見ていきましょう。
イエス様は湖の岸辺で群衆に教えています。教えの内容は記されていませんが、4つの福音書の記述から、次のような内容であったと推察できます。神の国がイエス様と一体となって到来したこと、人間は神の国に迎え入れられるために罪の問題を解決しなければならないが、その罪の赦しが間もなくメシアの働きで実現すること、人間は神の意志を正確に知って悔い改めて神のもとに立ち返る生き方をしなければならないこと、こうしたことが考えられます。
岸辺には大勢の群衆が集まってイエス様の教えを間近で聞こうと、どんどん迫ってきます。イエス様のすぐ後ろは湖です。その時、岸辺に漁師の舟が二そう止まっているのを目にします。ちょうど漁師が舟から降りて、向こうで網を洗っているところでした。イエス様はペトロの所有する舟に乗って、彼に命じて岸から少し離れたところまで漕がせて、今度は舟から岸辺の群衆に向かって教え続けました。ひと通り教えた後で再びペトロに、もう少し沖合まで漕いで魚を捕るべく網を投げるよう命じます。
ところがペトロは、夜通し頑張ったが何も捕れなかったと応じます。夜の暗い時というのは、魚捕りに最適な時なので、それで何も捕れないのであれば、日中明るい時はなおさら捕れないではないか。ペテロの応答にはイエス様の命令に対する懐疑が窺われます。しかし、それでも、あなたのお言葉ですから網を投げ入れてみましょう、と言って言う通りにします。
無理に決まっているじゃないか、という思いで網を入れたところ、大変なことが起きました。網も破れんばかりの夥しい量の魚がかかりました。もう一そうの舟が応援にかけつけるも、このままでは二そうとも沈んでしまう位の量の魚で舟は溢れかえります。文字通り想定外の出来事が目の前に起こり、恐れを抱いたペトロは叫びました。「私から離れて下さい!なぜなら私は罪びとだからです!」ペトロは何に恐れを抱いたのでしょうか?ここでペトロがイエス様を呼ぶ時の呼称が変わったことに注意しましょう。網を入れる前はイエス様のことを指導者、リーダー、代表者を意味する言葉エピスタテースεπιστατηςで呼んでいました。新共同訳では「先生」と訳されています。それが恐れを抱いた時には一気に神を意味する言葉キュリオスκυριος「主」で呼んだのです。ペテロの罪の告白は、神に対する告白となったのです。
それでは、ペトロはどうして神に罪の告白をするようになったのでしょうか?ここでペトロが恐れたのは、いま目の前に起きている信じられない光景の中に神の力が働いたことをみたからです。神の力が働いたのをみたということは、神が自分の間近にいた、ということです。
神を間近に見ることが人間に罪の自覚を呼び覚まして、大きな恐れを抱かせることはイザヤ書6章によく描かれています。イエス様の時代から700年以上も前のこと、ユダの王国が王から国民までこぞって神の意思に反する道を歩んでいました。そのような時代状況の中で預言者イザヤはエルサレムの神殿で神を目撃してしまいます。イザヤは次のように叫びました。「私など呪われてしまえ。なぜなら私は破滅してしまったからだ。なぜなら私は汚れた唇を持ち、汚れた唇を持つ国民の間に住む者だからだ。それなのに、私の目は万軍の主であり王である神を見てしまったのだから」(4節)
(ヘブライ語原文に忠実な訳)。神を目の前にして起きる罪の自覚の悲痛な叫びです。そこでは、神聖な神と汚れに満ちた人間との間の絶望的な隔たりが一気に示されます。神の神聖さには、あらゆる汚れを焼き尽くしてしまう強力な炎のような力があります。それでイザヤは、神殿の祭壇にあった燃え盛る炭火を唇にあてられます。そして、「お前の悪と罪は取り除かれた」と宣言されます。この時イザヤは火傷一つ負いませんでした。これは、イザヤが霊的に清められたことを意味します。
このように、人間が真の神を間近に見る場合、その神聖さと全く逆の自分の汚れを思い知ることになり、罪の自覚が生まれます。神は罪と悪を断じて許さず、焼き尽くすことも辞さない方ですので、神を間近に見てしまった時に強い恐れが生じるのは当然なのです。
さて、罪の告白をしたペトロですが、それに対してイエス様は、お前の罪を赦すとか、赦しの宣言はしません。ただ、お前はこれからは人間を捕る漁師になるのだ、と言われます。神が身近にいることを示した方がそう言う以上、従わないと認めた罪深さを放置することになってしまいます。ここは言われたとおりについていくしかありません。漁師のペトロは網と舟を置いてイエス様に付き従います。
「人間を捕る漁師」とは何でしょうか?宗教団体の勧誘員になれということでしょうか?でも、ペトロや他の弟子たちは人々をイエス様のもとに集めたでしょうか?むしろ集めたのはイエス様自身ではなかったでしょうか?もちろん弟子たちが宣教に派遣されたことがあります。ただ派遣先はユダヤ民族に限られて、仕事の内容も神の国が近づいたことを宣べることとその神の国がどういうところがわからせるために病気の癒しや悪霊の追い出しをすることでした。弟子たちの教えを受け入れた町々から人々がイエス様のところにぞろぞろやって来たかどうかは不明です。むしろ、もうすぐ起こる十字架と復活の出来事に備えて旧約聖書の民であるユダヤ人に待機させるような働きだったのではないかと思います。
イエス様の十字架の死と死からの復活が起きると様子は変わります。ペトロや弟子たちが中心となってエルサレムに教会が誕生し、彼らの宣べ伝えを聞いて、また業を見て教会につながる人がどんどん増えていきます。やがて教会の輪はユダヤ民族の境を超えていきます。こうして見ますと、イエス様がこの地上におられた時のペトロたちの任務はどちらかと言うと、イエス様の教えたこと行われたこと、そして彼に起こったことをつぶさに目撃して記憶することにあったのではないか。それがイエス様が父なるみ神のもとに帰られた後は、彼こそは旧約聖書に約束されたメシア救世主である、それを自分たちが見聞きしたことをもとに証言する、たとえ命はないぞと脅されても怯まずに宣べ伝える(イエス様の復活の後ペトロにはもう主を見捨てて逃げた面影はありません)、そういうしっかり目撃してそれを証言し宣べ伝えることに「人間を捕る漁師」の本質があるのではと思います。
ペトロをはじめとする弟子たちが目撃したことには、旧約聖書の内容が一気にわかるようになることがありました。イエス様の十字架の死と死からの復活が起きたことで、メシア救世主というのは一民族を異民族支配から解放してくれる民族の英雄ではなくて、天地創造の後に神と人間との間に生じた問題を解決してくれるまさに人間一般にとっての救い主であるということが明らかになったのです。神と人間の間に生じた問題とは、神に造られた人間が造り主に対して不従順になって罪を持つようになったために神との結びつきが失われてしまったこと。結びつきがないままこの世を生きることになってしまい、この世を去った後も永遠に造り主のもとに戻れなくなってしまう問題でした。それを神は解決しようとして、ひとり子イエス様をこの世に送られて、罪の神罰を全て彼に受けさせて人間の代わりに罪の償いをさせました。これがゴルゴタの丘の十字架の出来事でした。さらに神は一度死なれたイエス様を復活させることで永遠の命に至る扉を人間に開かれました。
人間は、これらのことが全て自分のためになされたとわかってイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、神からこの罪の赦しをお恵みとして与えられます。罪を赦された人間は神との結びつきを回復してこの世を生き始め、この世を去る時も神のもとに戻れるという確信の中で去ることができます。この世を生きている時も、自分は何も償いをしていないのに赦された、だから、これからは神のひとり子の犠牲を台無しにしないようにしっかり生きようと心がけ、何が神の御心に沿う生き方かを考えて生きるようになります。
ペトロや弟子たちが「人間を捕る漁師」になって忠実な目撃者、証言者となって伝え遺したものが、後世の人たちにこのような信仰と生き方を与えるものになったのです。新約聖書の中にペトロの伝え遺したものはどれだと見つけることができるでしょうか?ペトロの名がついた手紙はありますが、2つしかありません。しかし、イエス様の言行録が記録された福音書の中には、ペトロの目撃談、証言録が織り交ざっているのです。もちろん、他の弟子たちのもです。そもそも福音書とは、弟子たちの目撃談、証言録を土台にして出来上がっています。福音書の他に新約聖書には、イエス様が全ての人間の救い主であるという信仰を表明する使徒たちの手紙があります。旧約聖書を引き合いに出しながら表明しています。それらの書簡はまた、天地創造の神の御心に沿うように生きようと志向するキリスト信仰者はこの世でいかに生きるべきか、同じ信仰を持つ者同士はいかに支え合うべきか、またその共同体はどうあるべきか、そして共同体の外とはどう関わるべきか、そうした実際的なことも教えます。本日の第二コリント12章でも、信仰者の共同体はイエス・キリストの体であり、一人一人の信仰者はその体の部分である、聖霊の賜物について考える時このことを忘れてはいけない、ということを教えています。
後世の私たちが聖書の御言葉を通して、イエス様を救い主と信じて天地創造の神の御心に沿うように生きようと志向するならば、その時は文字通りぺトロをはじめとする使徒たちの網にかかったことになります。この世の対岸にある神の御国に引き上げてもらうためにかかったのです。
次にエレミアの召命とその遺産についてみてみましょう。本日の個所は1章の9節から12節までですが、召命の出来事は4節から始まっています。4節から8節までは先週の日課でしたが、先週は別に大きなテーマがあったのでこちらの解き明かしは出来ませんでした。今日一緒に見れてよかったです。
エレミアの召命は、先ほど述べたイザヤのエルサレム神殿での出来事と似ています。イザヤは自分は罪で汚れた者であると告白し、神のみ使いから燃え盛る炭火を口に当てられ清められました。エレミアは神の手が直接口に当てられます。燃え盛る炭火ではないですが、神聖な神の手が触れるので、生身の人間は普通は耐えられないでしょう。しかし、イザヤ同様に火傷一つ負わず何事もありませんでした。
ところが違いもあります。エレミアの場合、イザヤのような罪の告白がありません。イザヤでは罪の告白があり、清めが行われて、神のみ使いも清めを宣言します。神が御手をエレミアの口に当てたというのは罪からの清めというよりは、語るべき言葉を与える仕草のように見えます。私、預言者にされても人前でどう話していいかわかりません、と言ったことに対する神の回答ということです。同じことがダニエル10章にもあります。神のもとから遣わされた者がダニエルに宣べ伝えなさいと命じるが、ダニエルには力がない。その者がダニエルの唇に触れるとダニエルは少しずつ話し始めます。
ただ私としては、エレミアの場合も、やはり罪からの清めがあるような気がしてなりません。というのは、エレミア書1章をヘブライ語で読んでいて9節の「わたしの口に触れ主はわたしに言われた」というところにさしかかった時、あれ、イザヤ書の6章7節と同じじゃないかと気づいたからです。イザヤ書のその個所は「彼は私の口に火を触れさせて言った」ととても解説的に訳していますが、ヘブライ語の原文はどちらも「私の口に触れ、言った」で同一です。(どうしてこんなことに気づいたかというと、私10数年前とある理由でイザヤ書の6章全部をヘブライ語で暗記する必要があって、どうやら今でも覚えているのですが、それで、あれ同じだ、と気づいたのです。)エレミア1章9節にさしかかった時、一瞬エレミアの時代から100年ほど遡ったエルサレムの神殿でのイザヤの清めの出来事が脳裏によぎって、それでエレミアの召命にも罪の清めの要素があるのではないかと思った次第です。個人的な思いなので、ここでやめておきます。
エレミアの召命に戻りましょう。ここでの神とエレミアのやり取りのなかで一つ謎めいたことがあります。それは、神がエレミアに「アーモンドの枝」を見せて、それが神の言葉が成就するための「見張り」ということに関係しているように言っているところです。ちょっと複雑です。私たちの新共同訳を見ると、「アーモンド」の下に( )があって、シャーケードと書いてあります。ヘブライ語でアーモンドです。「見張っている」の下にも( )があって、ショーケードと書いてあります。ヘブライ語の「見張る」という意味の動詞の分詞形です。これを見ると、ああ、ヘブライ語の語呂合わせがあるんだな、とわかってきます。でも、シャーケードとショーケードじゃ、語呂合わせとしては少し遠いのではと思われるかもしれません。
そこで、ヘブライ語の記述というのは、もともとは子音文字だけでした。どういうことかと言うと、「中野区」をNKNKと書くようなものです。それぞれの子音にア、ア、オ、ウと母音をつけて「なかのく」になります。「アーモンド」の「シャーケード」と「見張る」の「ショーケード」の場合、子音はシュש、クゥק、ドゥדと同じです。書かれているは子音文字だけなので二つは同一になります。そんなこと言ったら、文章を読む時どうやって区別できるのかと思われるでしょう。そこは、神の民の悠久の歴史の中で読み方は代々ちゃんと受け継がれていました。そのために律法学者のような専門家集団がいたのです。
さて、「アーモンド」と「見張る」は、ユダヤ人にとっては身近に感じる語呂合わせかもしれないが、他の民族にはどうでもいいことに思えるかもしれません。私も以前はその程度の受け止め方でした。ところが、今回そうではないとわかったのです。これからそのことを皆さんと分かち合えたらと思います。これから申し上げることは、ひょっとしたら既に何か注釈書か参考書に書かれていることかもしれません。それでワクワクして話すことになっても、決して発見者気取りの得意のワクワクではないということをご理解下さい。
皆さんは、アーモンドはどんな植物かご存知でしたか?今回私、ネットで調べてみました。それはなんと、桜にそっくりな花を咲かせる木だったのです。薄ピンク色の花が満開に咲き、その時は葉っぱはまだありません。まるで桜です。花が終わった後に葉が出て、あのアーモンドの実をならせます。どうやって育つかと言うと、種からでも苗木からでも育てられるということですが、それに加えて枝を挿し木にしても育つということでした。皆さん、どうです、エレミアの目にしたものがアーモンドの木でなくてまさに「枝」であったことが見えてきたのではないでしょうか?日本語で「枝」と訳されていますが、ヘブライ語の単語מקלは「若芽」の意味もあります。いずれにしても、アーモンドの木ではなく、これからアーモンドになっていくものを見せつけられたのです(後注)。
神からアーモンドの枝ないし若芽を見せられて、それがアーモンドと分かったエレミアは、ああ、あれは大きくなってピンクの花を満開に咲かせて、後で葉が生い茂って実を実らせるやつだな、と一瞬目に映ったでしょう。ちょうど日本人が梅でも桜でも蕾のついた枝を見せられて、まだ花は目で見ていないのに一瞬それが目に映ったような感じがするのと同じです。そこですかさず神は言われます。ヘブライ語を直訳しますと、「お前は正しく見た。なぜなら私は自分の言葉を成就すべく見張りをするからだ(または「見張りをする者だからだ」)」、ないしは「お前は正しく見て、私が自分の言葉を成就すべく見張りをする者であることがわかった」です。いずれにしても、ここはヘブライ語の語呂合わせだけでなく、アーモンドの枝のメタファーも見抜けないといけないのです。
これでさすがのエレミアも、神の言葉が成就するというのはアーモンドが成長して開花して実を実らせるという身近な出来事が起きるように起きるのだと思い知らされたでしょう。桜でもアーモンドでも花が咲いて実がなるのは、神が成長を与えて下さるからですが、それと同じように神は御言葉が成就するようしっかり監視を与えると言うのです。これでエレミアの弱気と疑いは消え去ります。4節からずっと神が言っていたこと、お前を諸国民の預言者に立てる、私はお前と共にある、お前を苦難から救い出す、だから心配するな、若すぎてダメだなどと言うな、誰に何を言うべきか全て私が決める、それ位お前の身に起こることは全て私の手中にある、そこからこぼれ落ちることは何もない、それくらい私はお前と共にある、お前を苦難から救い出す等々、これら全てが神の力で起こるのはアーモンドが神の力で花を咲かせ実を実らせるのと全く同じことなのだと確信したのです。
このような素晴らしい仕方で確信を得ることができたエレミアでしたが、いざ預言者として活動を開始してみると、アーモンドの希望に満ちたメタファーは実はそんなに甘いものではないと思い知らされることばかりが起きます。何が起こったのでしょうか?
神がエレミアに宣べ伝えよと命じた預言の言葉は大きく分けて二つ、エレミアの同時代に関わるものと将来に関わるものがありました。同時代に関わる預言は、ユダの王国が滅亡するというものでした。王も民も、エルサレムの神殿で熱心に神崇拝を行っているが、それは外面的に儀式をやっているだけで、それで神の意志に沿う生き方をしているなどとはおこがましい。心の中は神の意志に反することばかりだ。罰としてお前たちはもうすぐ外国に滅ぼされる。そういうことを自国民に宣べ伝えなければならなくなります。国民は改心するどころか、エレミアを迫害してしまいます。エレミアが悲劇の預言者と言われる所以です。
将来に関わる預言を見てみます。こちらの方が同時代の預言より本質的なものです。なぜなら、神はエレミアを諸国民に関わる預言者に任ずると言ったので、もしユダ王国の滅亡だけ預言していたらユダヤ民族だけに関わる預言者にとどまります。将来に関わる預言の中に諸国民が視野に入ってくるのです。3つのことが大きなものとしてあります。一つは、国は滅ぼされて民は異国の地バビロンに連行されてしまうが、そのバビロン捕囚が終わって民が祖国に帰還できる日が必ず来るという預言です。もう一つは、捕囚から帰還した後にダビデ系の理想の王が現れて神の義を実現するという預言。三つめは、31章に見られますが、神と神の民の間に新しい契約が結ばれるというものです。
これだけ見ると、あれ、諸国民ではなくてまだユダヤ民族に関わる預言ではないかと思われるかもしれません。実はそうではないのです。紀元前6世紀終わりに祖国帰還を果たした後になってから、エレミア書の祖国帰還の預言は歴史上起きた帰還とは別のことを意味していると理解されるようになります。それは世界の終末に関係するという理解がダニエル書9章に現れます。神の義を実現する王の預言についてはもういいでしょう。キリスト信仰の観点ではイエス様ということです。
もっと興味深いのは神と人間との新しい契約です。この契約は昔みたいに人間が神の意志に反する生き方をして人間の方から破ってしまったものとは様相が異なります。神の意志を表す掟がなんと人間の心に刻まれると言うのです。つまり、書かれた掟を頭で理解したり解釈したりして行動に移すというのではなく、神の意志があたかも人間の内に自然に備わっている状態だというのです。どうしてそんなことが可能でしょうか?
ここで先ほどイエス様を救い主と信じる信仰について申し上げたことを思い出して下さい。ユダヤ教の伝統的な考え方では、他の宗教も似たり寄ったりと思いますが、神の意志とか掟を守ることで神に受け入れてもらえる、よくしてもらえるということがありました。ところが、キリスト信仰の場合、イエス様の十字架の犠牲があって人間は先に神に受け入れられてしまった、よくしてもらったということが先に起きてしまったのです。そうなると後は、この犠牲がどれだけ尊い大事なものかがわかった人たちが神に対して感謝の気持ちになり、これからは神の意志に沿うように生きようと志向しだす。そういうふうに神の意志に沿うように生きようということが、神に救ってもらうためにするのでなくなって、神に救ってもらったからその結果としてそうするのが当然になるということなのです。まさに、掟が心に刻みつけられた状態です。このことがイエス様が十字架と復活の業を成し遂げることで起こったのです。エレミアは自己の民族だけでなく世界の諸国民にも関わる希望の預言をまさに自分の苦難の生涯を通して後世に伝えたのです。
さて、イエス様を救い主と信じて神の意志が心に刻まれた者になったはずの私たちではありますが、どういうわけか自分の内に神の意志に反することがあることに毎日気づかされます。これは一体どうしてなのでしょうか?私たちの信仰が弱いからなのでしょうか?いいえ、そういうことではありません。先週の説教でも申しましたが、信仰の目を持つようになると、かえって自分の内に神の意志に反する罪があることも見えるようになります。イエス様を救い主と信じて「愛」と「正しさ」の両方を兼ね備えて生きようとすると必ず起きてくる相克です。「愛」が正しさのない偽りの愛になってしまうか、それとも「正しさ」が愛のない裁きになってしまうか、またはその両方になってしまうか。
どうしてそうなってしまうのかと言うと、使徒パウロも宗教改革のルターも指摘したように、信仰者の内に二つの「人」、肉に結びつく「古い人」と洗礼を通して植えつけられた霊に結びつく「新しい人」ができてしまうからです。新しい人が植え付けられると、古い人は自分が神の罰に晒されていることがわかって、信仰者にただ恐れを抱かせて絶望させるか、または神に背を向けてごまかしの生き方をするように追いやろうとします。これに対して新しい人はイエス様のおかげで神の前に立たされても大丈夫でいられるという希望に全てをかけなさい、全てを託しなさいと促します。信仰者が希望にかければかけるほど、古い人は居場所を失っていきます。ルターは、この状況を木の彫刻を作ることにたとえて次のように教えます。木の彫刻は、木を彫る者が自分の作ろうとしている像に関係ない部分をどんどん削り取ることでその像がだんだんはっきり現れてくる。新しい人を形作るのは希望である。古い人がもたらすのは恐れである。その恐れがあるからこそ古いアダムを削り取ろうと動き出し、希望が成長するのである。だから、キリスト信仰者は、希望がない状態の中に置かれて希望を持つようにと定められているのである。
希望が裏切られることがないことを使徒パウロは「フィリピの信徒への手紙」1章6節で次のように述べています。
「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」
この確信は、神がエレミアにアーモンドの枝を見せて御言葉が成就することを確信させたものと同じものです。兄弟姉妹の皆さん、私たちはいつも聖書の御言葉を通して同じ確信を持つことが出来るのです。
後注(ヘブライ語がわかる方にです)מקלマッケールはstatus constructusでもマッケールということでした(エゼキエル書39章9節を除いて)。それでマゾレットのמקל שקדは「アーモンドの枝(ないし若芽)」で大丈夫です。
1.本日の福音書の個所はわかりそうでわかりにくいです。イエス様が育ち故郷のナザレに戻ってユダヤ教の会堂シナゴーグの礼拝で聖書朗読を担当する。読み終わった後で、書かれていることは今日実現した、と言う。会衆はイエス様の恵み深い言葉に驚きつつも、あれはヨセフの子ではないか、と言った途端、イエス様は何か会衆の気に障ることを言い始め、それで会衆は激怒し、イエス様を崖から突き落とそうとする。会衆の急変ぶりには驚かされます。一体イエス様は何をそんなに怒らせることを言ったのでしょうか?お前たちは私が別の町で行うことになる奇跡の業をここナザレでもしろと言うだろう、しかし、旧約聖書の預言者エリアとエリシャがユダヤ人でない者に奇跡の業を行って助けてあげたのに倣って、私はお前たちには奇跡の業を行わない、などと言います。かなり挑発的です。「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と自分で言って、自分でそうなるように仕向けているようです。イエス様はナザレの人たちになぜこんなに手厳しいのか?自分は神の子なのに「この人はヨセフの子だ」と言われてカチンときたのだろうか?
いいえ、ここはそんな低次元な話では全くありません。ここは、私たちがこの世を生きる時に何を身につけなければいけないかということを教える個所です。それを身につけていないとどうなってしまうか、どうしたらそれを身につけられるのかを考えさせるところです。その身につけるものとは、結論を先に言うと、「信仰の目」です。私たちは肉眼の目を持っています。その目が働かないと生活に支障をきたします。信仰の目は、この世の荒波を乗り越えていくのに必要な目です。肉眼の目だけだと荒波はよく見えますが、それだけだと怖気づいてしまいます。これから、その信仰の目とはどんな目で、どうしたら身につけられるのかということを本日の福音書の個所をもとに見ていきたいと思います。本日の個所をもとにすると言っても、話は旧約聖書にまで広がるスケールの大きなものになります。聖書のいろんな謎が明らかになって、なんだか聖書をめぐる大冒険のような説教になるかもしれません。それでは始めてまいりましょう。
2. イエス様はヨルダン川にて洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、神からの聖霊が降って特別な力が備えられました。特別な力とは、神の人間救済を実行する力でした。その後すぐユダの荒野で40日間悪魔から試練を受けますが、これを全て旧約聖書にある神の御言葉を盾としてはねのけました。この後、舞台はユダ地方からガリラヤ地方に移ります。イエス様はガリラヤ各地の会堂を回って、神の国が近づいたということ、それに人間の救いがまもなく実現するという福音を人々に伝えます。そして神の国が架空のものではなく実在するものであることを示すために多くの奇跡の業を行います。イエス様の評判はたちまちガリラヤ地方全域に広まりす。イエス様が幼少の時から長年育った故郷の町ナザレに入ったのはちょうどその時でした。イエス様はこれまでそうしてきたように町の会堂に入ります。安息日の礼拝で人々に教えるためです。
ところで、当時の会堂シナゴーグの礼拝ですが、本日の出来事がよりよくわかるために少し背景説明をします。礼拝ではヘブライ語で書かれた旧約聖書を朗読した後で、それをアラム語で解き明かしすることが行われていました。なぜ二つの言語が出てくるかというと、ユダヤ民族はもともとはヘブライ語で書いたり話したりしていました。それで神の御言葉ももともとはヘブライ語で記されました。ところが紀元前6世紀に起きたバビロン捕囚で民族の主だった人たちは異国の地バビロンに連れ去られてしまいます。捕囚は50年近く続き、これは二、三世代に渡るので、彼らはその言語はだんだん異国の言語であるアラム語に同化していきます。日本でも明治時代からアイヌ民族の同化政策が行われると二、三世代後にはアイヌ語使用者がどんどん失われるという悲劇が起きました。
さて、紀元前6世紀の終り頃にバビロン帝国を倒して中近東の覇者となったペルシャ帝国の計らいでユダヤ人は祖国帰還が認められます。彼らは廃墟となったエルサレムの町と神殿の復興事業にとりかかります。当時のユダヤ人の苦難と信仰の試練については、旧約聖書のエズラ記とネヘミア記に記されています。そのネヘミア記の8章を繙くと、指導者が民に向かってモーセの律法を朗読する場面があります。そこに、朗読者が「律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた」とあります(8節)。つまり、ヘブライ語の聖書を朗読しアラム語に翻訳して解説したということです。ヘブライ語は一般の人にはもう遠い言語になってしまったのです。こうしてヘブライ語の旧約聖書を神聖かつ最高権威の書物として朗読して、続いて民が理解できるアラム語に訳して解説することが始まります。この形の礼拝がイエス様の時代にも続いていたのです。
ナザレの会堂の礼拝に戻りましょう。そこの会堂長は、その日の聖書の朗読と解き明しを誰にお願いするかということで、これを今やガリラヤ全土に名声を博している御当地出身のイエス様に依頼しました。会堂は会衆で一杯だったでしょう。イエス様に神の御言葉が記された巻物が手渡されました。巻物というのは私たちが手にするような、紙を束ねて綴じる方式で作った本ではありません。動物の皮をつなぎ合わせてそこに文字を記して巻物にした形の書物です。皆様も耳にしたことがある死海文書というのもこの形式の書物です。
イエス様は立ってヘブライ語で朗読しました。神に油注がれた者、つまりメシアが神の霊を受けて、何かに囚われた状態にある人に解放を告げ知らせる。心を打ち砕かれた人に心の癒しを与え、目の見えない人に見えるようになるという喜びの知らせを伝える。神の恵みの年、恵みの時が到来したことを告げ知らせる。そういう内容の個所でした。
これは、旧約聖書を知っている人ならイザヤ書のあそこだとわかる個所です。私たちが手にする聖書では61章の初めの部分です。ところが、よく見るとルカ福音書に記されている引用はイザヤ書の当該箇所と少し違っています。引用は正確ではありません。ヘブライ語のテキストには「目の見えない人が見えるようになる」というのはありません。別にヘブライ語がわからなくても、日本語訳のイザヤ書の61章を見れば誰でもわかります。「目の見えない人が見えるようになる」というのは、実はイザヤ書の42章7節にあります。とすると、イエス様はこの別の個所を朗読の時に何気なく挿入したのでしょうか?
話をさらに複雑にするのは、イザヤ書のギリシャ語訳を見ると、61章にこの「目の見えない人が見えるようになる」というのが入っているのです(1節)。なぜイザヤ書のギリシャ語訳が出てくるかと言うと、もともとヘブライ語で書かれた旧約聖書はイエス様の時代の2、300年位前にギリシャ語に訳されました。先ほど触れたペルシャ帝国がギリシャ系のアレクサンダー帝国に滅ぼされて、地中海世界の東半分はギリシャ語が公用語になっていきました。ギリシャ語を話すユダヤ人のためにギリシャ語の旧約聖書が必要になったのです。
それでは、ヘブライ語のテキストを読んだイエス様がまるでギリシャ語訳に倣って「見えない人の目が見える」ことを言ったのは何なのでしょうか?本日この個所をもとに説教する人は自分で原文を調べてか、または参考書に教えられて気づくでしょう。人によっては、ルカ福音書を書いた「ルカ」はギリシャ語で書いているわけだから、イザヤ書もギリシャ語訳の方を念頭に置いた、それでイエス様が朗読したヘブライ語の文章は脇にやられてギリシャ語訳にある「目の見えない人が見えるようになる」を入れてしまった、そういうふうに考えるかもしれません。そうなるとルカはイエス様が言っていないことを言ったことにしてしまったことになります。人によってはもっと突っ走って、この個所自体ルカの創作と言うかもしれません。そういう人たちは礼拝なんかやめて大学の神学部の教授をやればよいと思う者ですが、ここは礼拝という霊的な営みの中で聖書を解き明かす場ですので、そんなに簡単にあきらめずに踏み留まって考えてみることにします。
ルカは福音書の冒頭で何と言っていましたか?この書物は信頼できる目撃者の証言を集めてそれを纏めたものだ、と言っています。とすると、ナザレの会堂の出来事も、目撃者、おそらく弟子たちでしょう、が伝えたことが土台にあります。そこで考えられることは、イエス様はイザヤ書61章の朗読の際に42章7節を何気なく挿入したか、または、次のようにも考えられます。朗読の後の解き明かしの時にこの「目の見えない人が見えるようになる」ということを述べていたが、目撃者が朗読と解き明かしを混ぜ合わせたようなものがルカに伝わった。ルカの記述を見るとイエス様の朗読部分はあるが解き明かし部分がない形になっていることがそれを示しています。
何気なく挿入したにしても、解き明かしで言ったにしても、これが本当と言えるためには、イエス様には「目の見えない人が見えるようになる」ということにこだわりがあったと言えなければなりません。実を言うと、イエス様にはそれがありました。皆さんも、イエス様が目の見えない人の目が見えるようにする奇跡を何度も行ったことは覚えていらっしゃるでしょう。イエス様にとって目を見えるようにするというのは活動の中で大事なことでした。このことを預言者イザヤの時代から旧約聖書とユダヤ民族の歴史を貫くようにしてある一つの問題に照らしてみると、その意味が明らかになってきます。
イザヤ書6章を見ると、神の意志に反して罪を犯し続けるイスラエルの民が神からの罰として心が頑なにされて目も見えないようにされる、そういう罰が言い渡されます。これは肉眼の目を塞ぐということではなく、霊的な目、信仰の目が塞がれてしまうということです。神の意志がますます見えなくなって滅びの道をまっしぐらに進んでしまうという罰です。国が滅んでしまった後に目が開かれて神の意志がわかる、そういう「残りの者
が現れるという預言も一緒です。さて、イスラエルの民は果たして信仰の目が開かれるようになったでしょうか?イザヤの時代にアッシリア帝国の大軍の攻撃から奇跡的に救われたエルサレムがその「残りの者」だったか?否でした。ユダの王国はその後も滅びの道を進んでしまい、ついにはバビロン捕囚に至ってしまいます。それでは、バビロン捕囚から解放されて祖国帰還できた者たちが「残りの者」になったか?これも否でした。イザヤ書63章17節を見ると、祖国帰還後も神が依然として民の心を頑なにしていることを嘆くところがあります。そういうわけで、イエス様の時代にもイスラエルの民はまだ目が開かれていない状態にあると理解していた人たちがいたのです。
この背景がわかると、イエス様が信仰の目を開くことを重視したことがよくわかります。肉眼の目を見えるようにしたのは、そういう具体的なことを通して抽象的なことを理解できない人たちをわからせる手っ取り早い方法でした。私は復活の日に死者を目覚めさせることが出来る、といくら口で言ってもわかってもらえないから、死んだヤイロの娘もラザロのことも「眠っているだけだ」と言って生き返らせたのも同じことです。また、私は罪を赦す権限があると言っても、そんなの口先だけだと騒ぎ立てるので、それならこれでどうだ、と全身麻痺の人を歩けるようにしたのも同じです。このように具体的な見える業を通してイエス様は信仰の目を開ける力があることを示しました。そして人間の信仰の目が大々的に開かれるような出来事を後で起こしました。言うまでもなく十字架と復活の出来事です。
そのように信仰の目を開くためにこの世に送られたイエス様ですから、ナザレの会堂の礼拝で「見えない人の目が見えるようになる」ということをイザヤ書61章に結びつけて述べたとしても全然おかしくないわけです。それにイザヤ書のギリシャ語訳がまさに示すように、イザヤ書61章と「目が見えるようになる」を結びつけて考えることはユダヤ人の間でも既に見られていたのです。
3.朗読の後、イエス様は巻物を係の者に返して席につきます。席というのは説教者の座る所です。会堂の人たちの視線が一気にイエス様に注がれます。とても緊迫感のある場面です。イエス様が口を開きました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(21節)。」この言葉の後にイエス様の解き明かしが続かなければならないのですが、それについてはルカ福音書では記されていません。22節をみると、会衆みんなが、イエス様の「口からでる数々の恵み深い言葉(複数形)に驚いた」とあるので、イエス様が「聖書の言葉が実現した」と言った後で解き明しを続けたのは間違いないでしょう。どんな内容の話だったでしょうか?それは間違いなく、神の国が近づいたこと、人間の救いがまもなく実現することを伝えるものだったでしょう。あわせて、各自に悔い改めと、神のもとに立ち返る生き方をしなさいと促すこともあったでしょう。いずれにしても、イザヤ書の御言葉が実現したとイエス様が解き明かしの冒頭で宣言した時、この油注がれたメシア、神の霊を受けて捕らわれ人に解放や目の見えない人に開眼を告げ知らせるのはこの自分である、と証したのです。
ここで状況が一変します。新共同訳の22節をみると、「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』」とあります。これでは、この後でイエス様が厳しいことを言って会衆が怒り狂うという急転回がどうして起きたのか、少しわかりにくいと思います。ギリシャ語原文を忠実にみていくと次のような状況が浮かび上がります。イエス様の解き明しを聞いた会衆は、あの男は何者だと彼の正体を論じ合う状況になった。(注 μαρτυρεω「証する」という動詞は、与格の目的語を伴うと肯定的にも否定的にもその者について証する意味があります。)会衆は、イエス様の口から出た恵み深い言葉に驚いている。しかしその同じ会衆が、「あれはヨセフの子の大工ではないか」とも言っている。つまり、神の恵みの言葉を価値あるものとわかって、イエス様が誰の子とか全く関係ない雰囲気が生まれた。しかし、同時に「あれはヨセフの子」ということに目が行ってしまい、せっかく価値があると思った教えが色あせてしまう。この人は神の人間救済を実現する方だということがわかる一歩手前まで来ていたのに、これは誰々の息子だ、この町のみんなはそれを知っている、ということで遮ってしまったのです。神の御言葉を語るイエス様は肉眼に映る像をはるかに超えた存在に映りそうになったのに、やはり肉眼に映る像しか見れなくなってしまったのです。もう少しで肉眼の目ではない信仰の目が持てるところまでいっていたのに、肉眼の目に戻ってしまった。そして、その目に映る像が真実だと思うようになってしまったのです。
信仰の目に映るイエス様とは、まさに天と地と人間を造られた神がこれだと言って提示するイエス像です。それは、人間が限りある知識を駆使して、ああだ、こうだと言って造り上げたイエス像ではなく、聖書の御言葉を繙くことで神から知る力を与えられて、それで知ることのできるイエス像です。イエス様がそのように見えるというのは、やはり十字架と復活の出来事が起きる前は難しかったのです。
イエス様は、会衆が信仰の目を持てずに肉眼の目に留まってしまったことに気づきました。こうなってしまったら、ナザレの人たちは奇跡でも行わない限り信じないということもわかりました。イエス様は、彼らが自分に向かって「医者よ、自分を治してみろ」と言いたくて仕方がないと見破ります。「医者よ、自分を治してみろ」というのは、そうしたらお前が良い医者であると信じてやろう、ということです。さらに、カファルナウムで行ったのと同じ奇跡を故郷の町でもやってみろ、そうしたら信じてやろう、そう言いたくて仕方がないと見破ります。
しかしながら、イエス様は、ナザレの人たちに奇跡を行うことはしませんでした(マルコ6章5節、マタイ13章58節も参照)。そのかわりに、旧約聖書の御言葉を引き合いに出して、それを鏡のように用いて、彼らがどういう人間であるかを示しました。旧約聖書の記述とは、一つは列王記上17章にある預言者エリアが大飢饉の時にシドンのやもめを餓死から救ったという出来事です。もう一つは列王記下5章にある預言者エリシャがアラムの王の軍司令官ナアマンのらい病を完治した出来事です。やもめもナアマンもイスラエルの民に属さない異教徒の民でした。預言者エリアとエリシャの時代、ユダヤ民族の北王国は神の意志に背く生き方をしていました。神は預言者を自分の民のもとには送らず、異教徒に送って彼らを助けたのでした。イエス様は、ナザレに奇跡を行う預言者が送られないのはこれと全く同じであると言うのです。つまり、ナザレの人たちは、かつて不信仰に陥った北王国と同じ立場にある、というのです。
これを聞いた会衆は激怒します。怒り狂ったと言ってもいいでしょう。イエス様をシナゴーグから追い出し、そのまま山の上まで追いやってそこの崖から突き落とそうとします。しかし、不思議なことにイエス様は群衆をすり抜けて行き難を逃れます。普通なら群衆の押し出す力で人ひとり崖から突き落とすのはたやすいことだったでしょう。どうやって群衆の力をかわせたのか、詳細は何も記されていません。これも奇跡の業だったと考えられます。イエス様は、十字架と復活の出来事のためにこの世に送られた以上、それが実現するまではどんなに絶体絶命の危険に陥っても、ゴルゴタの十字架の日までは神はイエス様が傷つくようなことは一切お許しにならなかったのです。
4.ところで、なぜイエス様はナザレの人たちが自分に対して攻撃的になるようなことを言ったのでしょうか?どうして、肉眼の目に留まってしまった人たちを信仰の目が持てるように導かなかったのでしょうか?先ほども触れましたように、ナザレの人たちがイエス様をメシア救い主と信じるようになるためには、もはや奇跡を見せないと効き目がない、とイエス様はわかっていました。もちろん、奇跡を目撃したり体験したりすることを出発点として信仰に入ることも可能です(ヨハネ14章11節)。しかし、その場合、ただ超自然的な力を目で見たから信じるようになった、というだけで終わってしまう危険があります。
本当の信仰とは、たとえ肉眼で見なくとも、神が人間救済の意思と計画を持って、それをひとり子イエス様を用いて実現したことを真理と信じられることです。奇跡を目撃したり体験したりして信仰に入るというのは、結局のところ、肉眼に頼る信仰で、必ずしも信仰の目を持ってする信仰にはならないのです。奇跡の目撃や体験がなくなると信仰もなくなってしまいます。イエス様がナザレの人たちに対して肉眼に頼る信仰を許さなかったというのは、信仰の目をもってする信仰に導こうとしているのです。
それでは、なぜナザレの人たちは、肉眼に頼る信仰の道を絶たれた時、信仰の目をもってする信仰の道を目指すことをしなかったのでしょうか?大きな原因は、彼らが自分たちには神の意志に反することがあるなどと認められなかった、ないしは認めたくなかったからです。イエス様は、彼らも罪という点ではエリヤとエリシャの時代の北王国と何ら変わりないと指摘しました。しかし、ナザレの人たちは立ち止まって自分たちの生き方を謙虚に神の意思に照らし合わせて自省することをしませんでした。全く正反対に、自分たちは、かつて神の罰として滅亡した王国と同列視されるような罪は何も犯していない、といきり立ってしまったのです。
以上から明らかなように、信仰の目が持てて、その目でイエス様を見ることができるためには、自分が神への不従順と神の意思に反する罪を持っていることを認めることができるかどうかにかかっています。人によっては、具体的にどんな罪を犯したか心当たりがないという人もいるかもしれません。しかし、神の意志とは、行為や言葉に現れる悪のみならず、心の中に宿る悪まで厳しく問うものです。人間は最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順に陥り罪を持つようになったために死ぬ存在となってしまいました。人間が死ぬということ自体が人間は罪を宿していることの表われなのです。
しかし、父なるみ神は、人間がこの世の人生を終えた後、造り主である自分の許に永遠に戻れるようにしてあげよう、この世の人生では永遠に至る道を守られて歩むことが出来るようにしてあげよう、それでひとり子イエス様をこの世に送ったのです。それで、人間の罪がもたらす神罰を全てイエス様に身代わりに受けさせたのです。人間が受けないで済むようにと。これがゴルゴタの十字架でした。人間は、イエス様のこの身代わりの罰受けが実は自分のためになされたとわかって、イエス様こそ救い主と信じて洗礼を受ければ、その瞬間、イエス様の身代わりの罰受けは本当にその人に起きたことになるのです。この時、その人は信仰の目を持っています。
人は信仰の目を持つと、自分の内に罪が宿っているのが見えます。その時悪魔はどす黒い歓声をどよめかせます。しかし、信仰の目はそれには意を介さず、内に宿る罪を透かすようにしてゴルゴタの丘の十字架に目を注ぎます。十字架にかけられた主の痛々しい肩に自分の罪が重々しく張り付いているのを見て取ります。その時悪魔は失神して倒れ、周囲は深い静寂に包まれます。一切のものから清められた空気は真冬の青空のように冷ややかでもあります。そこに天上から次の言葉が穏やかにとどろきます。「安心して行きなさい。あなたの罪は赦されたのだ。」清められた静寂に温もりが生じます。冷ややかだった冬空に春の陽光が優しく差し始めるように。その温もりが、神を全身全霊で愛そうとする心と、隣人を自分を愛するが如く愛そうとする心に躍動を与えるのです。
兄弟姉妹の皆さん、これが福音です。これがキリスト信仰です。
5.こうしてイエス様を救い主と信じるようになって信仰の目を持てるようになったと私たちですが、そうは言っても、肉を纏って生きる以上、肉眼の目に頼ってしまう危険はいつもあります。どうして私たちは、そのような中途半端な状態に置かれなければならないのでしょうか?どうして、一度与えられた信仰の目が全てにならないのでしょうか?ルターは、信仰とは育たなければならないものだと教えています。そうすると、今の中途半端な状態というのは、まさに信仰を成長させるためにあるものだということがわかります。このことについて、ルターの教えをひとつ引用して本説教の締めとしたく思います。この教えは、第二コリント5章7節の聖句「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」の解き明しです。
「福音の光に照らし出された人というのは、聖書の御言葉を噛みしめながらキリストとしっかり結ばれていく人である。たとえ自分にまだ罪が残っている、自分はまだ罪の中にいると思っていても、その人は日に日に罪と地獄の外へと運び出されていくのである。
しかし、そこには戦いがあることを忘れてはならない。肉眼で見えることや感じることが聖霊や信仰に戦いを挑んでくる。同じように聖霊と信仰も見えること感じることに戦いを挑む。信仰というものはその性質上、理性が把握しようとすることには介入しない。理性がしたいようにほおっておくと言ってもいいだろう。信仰はただ、肉眼の目を閉じさせて、生きる時も死ぬ時も神の御言葉だけに依り頼むようにさせる。翻って、見えること感じることは、理性や五感で把握できる以上に進むことができない。このように、見えること感じることは信仰に対峙するものであり、信仰は見えること感じることに対峙するのである。この戦いで、信仰が成長すればするほど、見えること感じることは廃れていくのであり、逆もまたしかりである。
罪、驕り高ぶる心、憎む心、独り占めしようとする心、その他のあらゆる神の意志に反するものが、キリスト信仰者である我々の内にまだぶら下がっているのは、それらが逆に我々を鍛えさせてくれるからなのである。御言葉に依り頼みながらそれらに戦いを挑んで鍛えられていくと、我々の信仰は一日一日と前進する。そして最後には、頭のてっぺんから足のつま先まで完全なキリスト信仰者になれて、完全にキリストに覆われて、天の御国の真の労いの祝宴の席につけるのである。我々は信仰の戦いを考える時、海の荒波を思い浮かべるが良い。波は次から次へと岩壁に押し寄せ、それはあたかも力ずくで岩壁を砕こうとしているかのようである。しかし、砕かれるのは波自身であり、砕かれては消え去ることを繰り返すだけである。罪の攻撃もこれと同じである。罪は、我々を打ち砕いて絶望に追い込もうと、それこそ覆いかぶさるように襲いかかってくる。しかし、力が足りず退散しなければならないのは罪の方である。なぜなら、罪はこの世の終わりの日に音もなく消え去るように既に定められているからだ。」
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように
アーメン
コリント第1 7章8~16節
題「平和な生活を送るように」
いよいよ新しい年が始まりました。
昨年に続いて、コリントの信徒への手紙第1のみことばに聞いて参ります。
先程、7章8節から16節まで読んでいただきました。
そこでお分かりのように、パウロはコリントの教会の中で、結婚に関した質問に答えて、7章から書いています。まず1~8節のところで言っているのは、一言で言いますと、「神は人それぞれに賜物をお与えになっているので、その人その人の人生を、結婚するもよし、独身ですごすも良し、神に対して従順な生き方をしていきなさい。」と言っているんです。
もう少しふみこんで2節~3節ではこう言っています。男はみだらな行いを避けるため、めいめい自分の妻を持つがよい。又、女はめいめい自分の夫を持つがよい。そしてお互いにその務めを果たしなさい。実にいい事を言っていますね。
パウロ自身は独身で、福音の伝道に邁進したのです。カトリック教会の教職となる人は、パウロのように独身の誓いを立てています。司祭となって「一生を神に捧げます」という固い誓いを持って伝道しています。
これに対して、宗教改革者ルターは、カトリック教会の中で修道士でありましたが、大胆にも、教職者は独身を貫くという誓いを破って、修道女(ケート ・フォン・ ボーラ)と結婚しました。
それで、ルーテル教会の牧師はどうかと言うと、ルターにならって結婚して、伝道しています。中には独身者もいることでしょう。或いは、中には夫婦それぞれ牧師で、各々違った教会を受け持って伝道しています。どんな家庭になるでしょうかね。又、中には主人は牧師として伝道して、洗礼を受けるように働いていますが、妻である婦人は洗礼を受けないで、私クリスチャンじゃありませんというケースもあったり、聞いてびっくり、どうなっているんでしょうね。そのうちクリスチャンになりますよ、と言うのでしょうか。
さて、パウロは結婚について8節から見ますと、、今度は未婚者や、やもめに言います。私のように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身をこがすよりは結婚したほうがましだ、と言うのです。
コリント教会の中での、不品行な人たちの問題から始まって、結婚と離婚の困った問題にまで及びます。
離婚はなるべくしてはいけない、と言います。そこには必ず子供がいることでしょう。その子供たちがどんなつらい思いをするのか、いたましことです。私はこれまでに、いくつものケースを見てきましたね。親同士はののしり合っても子供にとってはお父さんでありお母さんです。どうしてそんな言葉がでるのと心で泣いているんです。子供の心に傷をもたらしてはいけないと思いますね。しかし、結局、親の身勝ってで子供の心に大きな負担を残してしまいます。アメリカ等では、簡単に男と女が好きになり結婚しますが、簡単に離婚してしまいます。日本にも、だんだんそういう傾向になってきているとすれば、良くないと思います。
聖書の教えは、互いに愛し合いなさい、ゆるし合いなさい、ということです。この手紙でパウロは、結婚についてどうありなさい、と教えるのではなく、その中に、救いがどう生かされねばならないか、ということを示そうとするのです。そこでパウロは、未婚者や、やもめの人に対しては、私のように1人でおれば1番良い、と言います。パウロはこの時、たしかに独身者であったようです。しかし、ダマスコでの改心の前には実は、以前、結婚していたのではないか、研究者は想像しています。そうすると今は、やもめに似たことになってしまった、ということになります。やもめでいるのもつらいことであるなら「結婚してもいいよ」と言っています。結婚したらしたでいろんなつらいこと、戦いもあ
るよ、と言いたげであります。どちらにしても、主の救いをまっとうすることができるかどうか、そのことが大切なのであります。独身や、やもめになっているにしても、結婚しても、どちらがよく主を信じ、主に仕えることができるか、ということです。その事は、その人が与えられた境遇によってちがうのであります。パウロは自分のような生活だけが神に仕える道である、とは思っていなかったでありましょう。同時に「人間生活おける結婚の意味」というようなことも、問題にしてはいなかったと思います。彼が一番心をかけていたことは、どうすれば救われるか、まちがいのない信仰生活をおくることができるか、ということであったでしょう。そのあと、パウロは少し変わったことを申します。それは10節の「命じるのはわたしでなく、主である」というのと12節に「これを言うのは主ではなく、わたしである」と言っています。同じような信仰のすすめをしながら、二つに分けて、主の言葉と、自分の言葉にしています。どうもパウロは、主の権威というものと自分の力とを、よく知っていたからでありましょう。
ここにもう1つの事があります。12節以下です。それは、不信仰者の妻のことです。信仰のない妻にも色々ありましょう。この当時のことであれば不信仰者と言っても、異教徒の者であったかもしれません。信仰がちがうから結婚しないと、厳密に考えたでしょうか。そんなことをのりこえて二人は結婚したいと、夫婦になったでしょう。キリスト者の数が非常に少ない日本のような国では、信仰を持たない人との結婚は、珍しくありません。パウロが言うのは、何があるにせよ信仰がなくても、結婚して共に喜んでいる場合には離婚してはいけない、と言っています。
このことは大切な事であります。そういう結婚が、決して恥ずべきことではない。むしろそこに神の御業の働くことをパウロは考えていたにちがいありません。離婚してはならないということは、1つには、神の合わせられた者であるから離婚してはならないということであります。ここで離婚してはならないという場合は、婦人の夫が信者でなくても、信仰もった婦人と生活することを喜んでいる場合であって、結婚によって信仰者が汚されるか、それとも反対に信仰なくてもきよめられるのであるか、
そういう問題であります。パウロは、結婚そのものは神がお定めになった神聖な生活であるはずである、と考えていました。従って夫と妻とがこの結婚の、神聖ということで生かされるはずであります。もしどちらかが信仰をもたない者であった場合、どうであるか。パウロはその場合にも、その結婚が神聖であると申します。
14節を見ますと「なぜなら、信者でない夫は信者である妻のゆえに聖なる者とされ、又信者でない妻は信者である夫のゆえに、聖なるものとされているからである。」これは驚くべき言葉でありますね。信者でない夫、又は妻を持った信者にとっては、大きな慰めではないでしょうか。その時です。そこに、両親が信仰によって祝福を受けることができれば、すばらしいことです。たとえ夫だけ 或は妻だけがその祝福を知るだけでも、その子は神の祝福にあずかる、というのであります。ところが身勝手な人間は、そういう子供の誕生について、あの神聖な喜びもやがて忘れはて、目の前の、この世の喜びに心ひかれてしまいます。世俗的なことに、もう夢中になってしまいます。しかしその時です。夫又は妻が信仰を持ち、その子供のまことの幸いのために祈ることができたら、事は全く変るはずであります。パウロは今その事を含めて、ここにきよめがある。神様によって「聖なる者とされている」ではないか、と言うのです。そうであるなら信仰のない夫をもつ妻、又信仰のない妻をもつ夫は、ここに大いなる確信と誇りとをもっていいのであります。そして、その家庭の土台とならねばならないでありましょう。
14節にパウロは書いているでしょう。「もしそうでなければ、あなた方の子は汚れている事になる。が、実際はきよいではないか。」パウロの確信に満ちた、固い決心がよくわかります。現代の日本で、夫婦そろってクリスチャンは少ないのです。実際、夫か妻どちらかが、まだ信仰を持つに至らない。夫婦の生活は複雑で簡単にいきませんよ。それを、自分を良く知らない私は、牧師なりたての若ぞうが伝道熱心のあまり家庭にふみこんで失敗ばかり、何度そのむずかしさを味わったことでしょうか。
ところでパウロは15節を見ますと、いとも簡単に「去る者は去らしめなさい」と言っているのです。彼に言わせれば、神の御心を知らずそれに背く者は、もうどうしようもないと言うのです。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚というものに縛られてはいません。パウロの確信のあらわれの言葉です。そうして更に重要な言葉でむすびとしています。それは「平和な生活を送るようにと、神はあなた方を召されたのです。」
ここでパウロは何を言おうとしているのでしょう。平和に召されたのだから、なるべくなら争いごとはさけなさいと説明しているのでしょうか。そうかもしれません。しかし、この言葉で言っていることは何かと申しますと、神はいたづらに人を造られたのではないはずであります。その上、神は、キリストの十字架による救いをお与えになりました。神が平和を望まれるとは、並大抵のことではありません。神のみ子が犠牲となっておられるのです。
神はどんな平和をお求めになるのでしょうか。ただ平穏な、波の立たない平和であったでしょうか。
もちろん、そうではないでしょう。神は、神のみが神とされ、神のみこころが行われることを望まれるでありましょう。神はそういう平安をつくるために、夫婦とか家庭とかいうものをお造りになったのではないでしょうか。
創世記にありますように、男のために女をつくったという話から始まって、人間の男女の生活は決して平安ばかりではありませんでした。しかし神は、あなた方を平和にくらせるためにおつくりになった、というのがパウロの確信でありました。
信仰のない夫を信仰に導きたいと思わない妻はありますまい。同じように、信仰のない妻を信仰に導きたいと願わない人もないでしょう。しかし、そう簡単にはいかない。その戦いは容易ではありません。伝道は涙の苦闘と言ってもいい。祈って、祈って、祈っていくしかない。それでパウロは言うのであります。
16節で「妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうしてわかるのか」という。「夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうしてわかるのか」と言っています。何のために悲観的に見えることを、パウロは言うのでしょうか。もちろん彼は悲観して言っているのではありません。神の助けなしに、どうしてそれができるのか、と言うのであります。神は必ず勝利されるにちがいないではないか。あなた方の力は弱いかも知れないが、神は必ずこのよき平和をきずき上げて下さるにちがいないではないか。パウロは最後に、勝利の言葉をもって励ましているのであります。 アーメン・ハレルヤ
わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
本日の福音書の箇所は、何かおとぎ話めいて本当にこんなことが現実に起こったのか疑わせるような話です。はるばる外国から学者のグループがやってきて誕生したばかりの異国の王子様をおがみに来るとか、王子様の星をみたことが学者たちの異国訪問の理由であるとか、その星が学者たちを先導して王子様のいる所まで道案内するとか。こんなことは現実に起こるわけがない、これは大昔のおとぎ話だと決めつける人もでてくると思います。以前この個所をもとに説教した時、そこに記された出来事は歴史的信ぴょう性が高いということを説明しました。歴史を100パーセント復元することは不可能であるが、この個所は80パーセント位は復元できて、もう歴史的事実と言ってもいいのではないかということをお話ししました。それを言った後で今度は、信仰というのは実は歴史を100パーセント復元できて信ぴょう性に問題なしと言って持てるものではない、ということもお話ししました。じゃ、どうやって信仰を持てるかと言うと、2000年前の彼の地で起きた出来事は現代を生きる自分に向けられて起こされたのだとわかった時に持てるのだと述べた次第です。
その後で思ったのですが、ひょっとしたらキリスト教ほど損をしている宗教はないのではないか?というのは、世界中のいろんな宗教の中で歴史的信ぴょう性とか歴史の復元とかうるさく言うのは他にはないのではないか。みんな、教祖が言ったとされること行ったとされることを全て書かれてあるとおりに、(書かれたものがなければ)言い伝えられたとおりに、教祖は本当にそう言った行った、と歴史の検証などしないでそのまま受け入れているのではないか?それならば、キリスト教も他と同じように検証など復元などとうるさいことを言わないで、聖書に書いてあることをそのままこれが歴史的事実だと言って、頭ごなしに受け入れればいいのではないか?
それがそう簡単に行かない事情がキリスト教にはあります。というのは、先ほど申しました、「信仰というのは2000年前に起きた出来事が現代を生きる自分に向けられて起こされたと分かった時に持てる」ということが絡んでくるからです。聖書に記されている出来事が本当は起きていなかったら、この「自分に向けられて起こされた」ということもなくなってしまいます。信仰のために出来事は歴史的に起こったことでなければならないのです。
近代以前ですと、このことは大きな問題ではありませんでした。というのも、大方は聖書に記された出来事は歴史そのものと考えられていたからです。ところが、19世紀のドイツで歴史学の手法が聖書学に適用されるようになると様相は一変します。どんな手法かというと、歴史を復元する際に書かれてあるものを鵜呑みにしない、批判的に見るという手法です。以後これが聖書学の主流になりました。例えば、「何々福音書に書かれているこのイエス様の教えは実はイエス様自身が言ったのではなく、初期のキリスト教徒たちが自分たちの考えをイエス様が言ったことにして福音書に記載した」というような研究結果が山のように出てきました。
さて、このような学術研究を前にして現代のキリスト教徒はどうすればよいのでしょうか?ある人たちは、なんだ聖書なんて神の言葉なんて言いながら実は人造的な書物だったんだと見切りをつけて、もう奇跡など信じない、ただ聖書はさすがに聖書だけあって現代にも通じる斬新な思想や感動的な話で満ちている、それらを自分の行動原理にして世界や自分を良くしよう、そういうふうに考える人たちがいます。そうなると聖書は自己啓発ないし一種のイデオロギーの書になります。これと対極的に、学術的な研究を「悪魔の学問」と言って、それに背を向け、聖書に書かれた出来事が一字一句歴史的事実だと言って譲らない人たちもいます。
私自身はどうかと言えば、国立大学の神学部で神学を学んだので、そこでの聖書学はまさに学術的な歴史研究でした。ただ、学術的な手続きをちゃんと踏まえていれば、聖書に書いてある通りの結論になっても問題なしというところでした。当たり前のようですが、大学によっては、聖書に書いてあるのと違う結論になった方が学術的と見なすようなところもあるのです。それで、私が所属した研究グループは、たとえ世界の研究者の大半が「このイエスの言葉はイエスが言ったのではない、後の創作だ」という学説を支持しても、「否、第二神殿期の歴史的文脈に照らしてイエスが言ったとしてもなんら問題ない」と反論する学派でした。
その意味で私が属した学派は、聖書に対して保守的な態度を取るところでした。ただし、学術的研究の世界ですので、反保守の学派に反対論を打ち立てても、また反論に晒されるのは承知の上です。それに対してまた反論していきます。まさにイタチごっこの世界です。そこで私が気づいたことは、信仰というのは学術的研究の結論に基づかせるのは危ないということでした。現在学会で多数派に支持されている結論でも時がたてば覆されるかもしれません。そんなものに基づいて、これこそがイエス・キリストの実像だなどと思って信じていたら後で取り返しのつかないことになります。じゃ、何に信仰を基づかせたらいいのか?それはもう、使徒たちが後世に遺した証言と信仰しかないと思います。使徒たちが迫害をものともせずに伝えたこと、イエス様はこう教えられた、こういう業を成し遂げられた、十字架にかけられて三日目に蘇られたということ、これらは学術的研究の結論は変転を遂げても変わらないものとしてあります。
学術的研究というのは、森羅万象の中で理性で解明できることを理性で解明するというものです。これに対して信仰は、森羅万象の中には理性で解明できないものがあると見越していることに関係しています。そういう信仰を持つ人は学術的研究に不向きかと言うとそうではないと思います。森羅万象の中に理性で解明できないものがあると観念しつつも、理性で解明できることは何かを明確にしてそれを解明しようとすることは出来るからです。ただし、解明できて暗闇に大きな光を投じたと思っても、実はそれはもっと大きな闇の中の小さな光に過ぎなかったことに気づかされるかもしれません。森羅万象というのはそういうものだと思います。
聖書の観点では森羅万象はどういうものかと言うと、それは全ての造り主である神の意志に従うものです。森羅万象は創造主を超えらず、森羅万象の上に立つ創造主の意志に服するというものです。この観点は、私たちが大いなる暗闇に直面した時に途方にくれないために大切なものです。本日の説教では、森羅万象の上に立つ創造主の神は、私たち人間が大いなる暗闇を前にしても途方にくれないようにしてくれる方であることを証しすることを目指します。
その前に、本日の福音書の個所の歴史的信ぴょう性について先ほど80パーセント位復元出来るのではないかと申しました。そのことについて述べておきます。これは以前の説教でも述べたことです。その時にもお断りしましたが、不思議な星の動きについてはいろいろな説があります。以下に申し上げることは、私がフィンランドで読んだり聞いたりしたことに基づくバージョンであるということをお含みおき下さい。
近代の天文学者として有名なケプラーは1600年代に太陽系の惑星の動きを解明しますが、彼は紀元前7年に地球から見て木星と土星が魚座のなかで異常接近したことを突き止めました。他方で、現在のイラクを流れるチグリス・ユーフラテス川沿いのシッパリという古代の天文学の中心地から当時の天体図やカレンダーが発掘され、その中に紀元前7年の星の動きを予想したカレンダーもありました。それによると、その年は木星と土星が重なるような異常接近する日が何回もあると記されていました。二つの惑星が異常接近するということは、普通よりも輝きを増す星が夜空に一つ増えて見えるということです。
そこで、イエス様の正確な誕生年についてですが、本日の福音書の箇所に続くマタイ2章13ー23節によれば、イエス親子はヘロデ王が死んだ後に避難先のエジプトからイスラエルの地に戻ったとあります。ヘロデ王が死んだ年は歴史学では紀元前4年と確定されていて、イエス親子が一定期間エジプトにいたことを考慮に入れると、木星・土星の異常接近のあった紀元前7年はイエス誕生年としてひとつ有力候補になります。ここで決め手となるのは、ローマ皇帝アウグストゥスによる租税のための住民登録がいつ行われたかということです。残念ながら、これは記録がありません。ただし、シリア州総督のキリニウスが西暦6年に住民登録を実施した記録が残っており、ローマ帝国は大体14年おきに住民登録を行っていたので、西暦6年から逆算すると紀元前7年位がマリアとヨセフがベツレヘムに旅した住民登録の年として浮上してきます。このように、天体の自然現象と歴史上の出来事の双方から本日の福音書の記述の信ぴょう性が高まってきます。
次に、東方から来た謎の学者グループについて見てみましょう。彼らがどこの国から来たかは記されていませんが、前に述べたように、現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川の地域は古代に天文学が非常に発達したところで、星の動きが緻密に観測されて、それが定期的にどんな動きをするかもかなり解明されていました。ところで、古代の天文学は現代のそれと違って、占星術も一緒でした。つまり、星の動きは国や社会の運命をあらわしていると信じられ、それを正確に知ることは重要でした。従って、もし星が通常と異なる動きを示したら、それは国や社会の大変動の前触れであると考えられたのです。それでは、木星と土星が魚座のなかで重なるような接近をしたら、どんな大変動の前触れと考えられたでしょうか?木星は世界に君臨する王を意味すると考えられていました。土星についてですが、東方の学者たちがユダヤ民族のことを知っていれば、土曜日はユダヤ民族が安息日として神を崇拝した日と連想できるので、この星はユダヤ民族に関係すると理解されたでしょう。魚座は世界の終末に関係すると考えられていました。以上から、木星と土星の魚座のなかでの異常接近を目にして、ユダヤ民族から世界に君臨する王が世界の終末に結びつくように誕生した、という解釈が生まれてもおかしくないわけです。
それでは、東方の学者たちはユダヤ民族のことをどれだけ知っていたかということについてみてみます。イエス様の時代の約600年前のバビロン捕囚の時、相当数のユダヤ人がチグリス・ユーフラテス川の地域に連れ去られていきました。彼らは異教の地で異教の神崇拝の圧力にさらされながらも、天地創造の神への信仰を失わず、イスラエルの伝統を守り続けました。この辺の事情は旧約聖書のダニエル書からうかがえます。バビロン捕囚が終わってイスラエル帰還が認められても、全てのユダヤ人が帰還したわけではなく、東方の地に残ったユダヤ人も多くいたことは、旧約聖書のエステル記からも明らかです。そういうわけで、東方の地ではユダヤ人やユダヤ人の信仰についてはかなり知られていたのではないかと思われます。「あそこの家は安息日を守っているが、かつてのダビデ王を超える王メシアがでて自分の民族を栄光のうちに立て直すと信じ待望しているぞ」という具合に。そのような時、世界の運命を星の動きで予見できると信じた人たちが二つの惑星の異常接近を目撃した時の驚きはいかようだったでしょう。
学者のグループがベツレヘムでなく、エルサレムに行ったということも興味深い点です。ユダヤ人の信仰をある程度知ってはいても、旧約聖書そのものを研究することはしなかったでしょうから、旧約聖書ミカ書にあるベツレヘムのメシア預言など知らなかったでしょう。星の動きをみてユダヤ民族に王が誕生したと考えたから、単純にユダヤ民族の首都エルサレムに行ったのです。それから、ヘロデ王と王の取り巻き連中の反応ぶり。彼は血筋的にはユダヤ民族の出身ではなく、策略の限りを尽くしてユダヤ民族の王についた人なので、「ユダヤ民族の生まれたばかりの王はどこですか」と聞かれて驚天動地に陥ったことは容易に想像できます。メシア誕生が天体の動きをもって異民族の知識人にまで告知された、と聞かされてはなおさらです。日本語訳では「不安を抱いた」とありますが、ギリシャ語の単語の意味は「驚愕した」です。それで、権力の座を脅かす者は赤子と言えども許してはおけぬ、ということになり、マタイ2章の後半にあるベツレヘムでの幼児大量虐殺の暴挙に至ったのでした。
以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象から始まって当時の歴史的背景全てに見事に裏付けされることが明らかになったと思います。しかしながら、問題点もあります。2つのことが大きな問題としてあります。せっかく歴史的信ぴょう性が大丈夫そうになったのに、何をまた馬鹿正直に、と思われるかもしれませんが、どうせ損な宗教ですから、お付き合い願います。問題の第一は、昨年12月30日の説教でイエス様親子がどのくらいエジプトに避難していたかということを考えました。もしマリアの出産後の清めの期間が律法の規定通りの3か月だったとすれば、イエス様の誕生は紀元前4、5年になってしまいます。紀元前7年にするとイエス様が清めの儀式のためにエルサレムの神殿に連れて行かれるのが2,3歳くらいになってしまい、少し大きすぎてしまいます。説教でも申し上げたのですが、イエス様の誕生からヨルダン川での洗礼までの出来事の一次資料はヨセフやマリアが周りの人に話したことが伝承されたというものしかありません。それで歴史の復元に空白部分が出るのはやむを得ないのです。
もう一つの問題点は、東方の学者グループがエルサレムを出発してベツレヘムに向かったとき、星が彼らを先導してイエス様がいる家まで道案内したということです。SFじみていて、まともに信じられないところです。先ほど、木星と土星の重なるような接近は紀元前7年はしつこく何回も繰り返されたと申しましたが、そのことを考えてみましょう。エルサレムからベツレヘムまでの行程で学者たちが目にしたのは同じ現象だった可能性があります。星が道案内したというのも、例えば私たちが暗い山道で迷って遠くに明かりを見つけた時、ひたすらそれを目指して進みます。その時の気持ちは、私たちの方が明かりに導かれたというものでしょう。劇的な出来事を言い表す時、立場を入れ替えるような表現も起きてくるのです。もちろん、こう言ったからといって、彗星とか流星の可能性も否定できません。
さらなる可能性として、天地創造の神が星に類する現象を起こして、それを見た人間は星としか言いようがなかった、そんな現象の可能性を考えることも出来ます。ただ、これは大方の人は認めがたいかもしれません。というのは、木星と土星の接近とか彗星や流星であれば、自然の法則に従う現象なので理性で受け入れられます。ところが、何者かの意志が働いて超自然現象が起きるというのは理性では受け入れられないからです。しかしながら、聖書の観点では自然の法則というのは、何者の意志も働かない自動機械的な動きではありません。先ほども申しましたように、森羅万象は創造主の神の意志に服するので、自然の法則も神の意志に従って働き、神の意志を超えたりそれに反するような働きは出来ません。惑星の異常接近も彗星や流星も全て神の意志の範囲内のことです。
そうなると人間は神の意志に服する森羅万象の中であまりにもちっぽけで無力な存在です。神の意志が働く自然法則を人間はコントロール出来ないどころか、それにコントロールされるだけです。
ところが神は、そんな無力でちっぽけな人間に森羅万象の上から目を注がれ、人間を森羅万象の中で無防備状態に留めておかないと言われるのです。そのことが詩篇8篇で次のように言われています。
「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」(4ー5節)
天体を配置された創造主の神はまさに森羅万象の上に立つ方です。その方が森羅万象の只中にいる、点にも満たない人間に目を注いで心に留めて下さる、顧みて下さる、と言うのです。どうしてそんなことがありうるでしょうか?宇宙はあまりにも広大です。森羅万象の上に立たれる神はどうやってその宇宙の中のほんの片隅の小さな星にいる小さな人間なんかに目と心を向けられるのでしょうか?たいていの人は、自分はそういう途方もない方が心に留めて下さったとか、顧みて下さったとか、全然感じられないと思うでしょう。しかし、そのような思いにとらわれる時こそ、まさにその神がひとり子イエス様を私たち人間に贈って下さったということを思い出します。これが神の私たち人間に対する顧みであり、心に留めて下さることの証拠であり実例です。
この世に送られたイエス様は、父なるみ神がどんなお方で、何を人間に望んでおられるか、人々に教えられました。それに加えて、神が今おられ、いつの日か新しい天と地が創造される時に現れる神の国がどんなところであるかも教えられ、またそれを奇跡の業を通して人々に垣間見せました。そして、十字架の死を遂げることで、人間を神から切り離す原因となっていた罪、神の意志に反する罪、その償いを人間に代わって神に対して果たされました。さらに死から復活させられることで、死を超えた命の国でもある神の国に至る道を人間のために開いて下さいました。
本日の使徒書の日課エフェソ3章に使徒パウロが神からお恵みとして与えられた任務の一つに、「キリストの途方もない豊かさを異邦人に伝えること」が言われています(8節)。新共同訳では「キリストの計り知れない富」と言って何か財宝みたいですが、「キリストの途方もない豊かさ」の方がいいと思います。どんな「豊かさ」 かと言うと、神と人間の間にあった落差を埋めた豊かさです。その落差は途方もないものだったので、それを埋めた豊かさも途方もないものでした。神の御前であまりにも足りなさすぎ欠けすぎ至らなすぎの人間を満たしてあげて、神の御前で欠けるところがない、至らないところがないようにして下さいました。そのような途方もない豊かさが神のひとり子の十字架の死と死からの復活によって生み出されたのです。あとは人間の方がこのイエス様を救い主とわかって洗礼を受けることでこの豊かさに満たされます。イエス様を救い主と信じる信仰に生きる限り満たされ続けます。エフェソ3章12節を見ると、キリスト信仰者というのは神の御前に出ても全く大丈夫という心で御前に出ることができるのだ、そのことはイエス様を救い主と信じる信仰にあって確信できるのだ、と言っていますが、まことにその通りです。
兄弟姉妹の皆さん、現実の生活の中でいろいろな課題に直面して取り組んでいる時、果たして父なるみ神は本当に自分のことを顧みて下さっているのか、心に留めて下さっているのか、信じられなくなる時があるかもしれません。新年の礼拝の説教でも申し上げましたが、そういう時は、神はひとり子イエス様を贈って下さったくらい私のことを心に留めて顧みて下さった方なのだから、その他のことで心に留めないなどということはありえないのだ、だから、どんな結果を見せてくれるかは神にお任せして、自分としては出来るだけのことをしよう、ただし神の意志に反しないように正しく行おう、神が見せてくれるどんな結果にも必ず神の良い導きが続くはずだ。そういう心意気で行きましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン
新年礼拝説教 2019年1月1日 主の命名日
民数記6章22ー27節、第二ペトロ1章1ー11節、ルカ2章21ー24節
1.西暦2019年の幕が開けました。新しい年が始まる日というのは、古いものが過ぎ去って新しいことが始まることを強く感じさせる時です。みんなが、新しい年はこうなってほしい、こういうことが起きてほしいと希望や願いを持ちます。受験とか就職とか人生の節目がある人は、合格することや内定を取ることが願いになりますし、今年はいい人に出会えますようにとか、子供に恵まれますようにという願いもあります。病気の人は健康が切実な願いになります。また志がうまくいかなかった人や何か問題を抱えている人は成功することや問題の解決がやなり切実な願いです。そうした希望や願いを持つ人は、日本では新年になると大抵はお寺や神社に行って、大勢の人の列を秩序正しく進んで祭壇の前に行き、そこで願いを叶えてくれる力があると信じるものに叶うようにとお願いします。人によっては叶うことを確実にするために、神主や住職のところに行って清めの儀式とか祈祷をしてもらうこともします。また、神社やお寺をいくつも回って大勢の列を何度も繰り返すのを厭わない人もいます。全国の初詣者の合計は日本の総人口を上回ると聞いたことがありますが、まさにそのためでしょう。いくつもの場所を巡るというのは、そういうふうに時間と手間をかけることで願いが聞き入れられる努力をしているんだと実感できるということなのかもしれません。
キリスト教会の新年はどうかと言うと、もちろん願いや希望を創造主の神に打ち明けることをしますが、ただそれは礼拝の中でです。教会の礼拝ですから、決まった流れがあります。まず、会衆が一緒に罪の告白をして司式者が赦しの宣言をする。その次にその日の聖書の日課の朗読があり、それに基づいた説教がある。まさに今している通りです。説教の次には、キリスト教会が誕生してから今日までずっと唱えられている伝統ある信仰告白を唱えます。聖餐式はスオミ教会は新年は行わないので、信仰告白の次に教会の祈りが来ます。その時司式者は式文に沿ったお祈りをするほか、司式者が知る範囲で会衆の祈りの課題も祈ります。スオミ教会ではまた、こうした司式者の祈りの後で、会衆が個人的に神に打ち明けたい自分自身の祈りの課題を静かに祈る時もあります。その後でイエス様がこう祈りなさいと命じられた「主の祈り」を全員でお祈りして、最後は司式者を通して神の祝福を受けます。その時唱えられるのは、先ほど朗読した旧約聖書の民数記6章にある「アロンの祝福」です。
以上が礼拝の流れですが、ご覧のように、個人的な希望や願いを神に打ち明ける時が来るまでいろいろなプロセスを経なければなりません。合間合間には讃美歌も歌います。神社やお寺だったら、それこそ希望とお願い事だけですみます。それに比べたらキリスト教会は手間がかかるものです。もちろん神社やお寺だって行列を待つという面倒がありますが。
キリスト教会で儀式として願いや希望を神に打ち明けるというのは、まさに礼拝の流れの中で行われるということがおわかり頂けたらと思います。そこに願いと希望中心で済むお寺や神社と大きな違いがあるのではと思う者ですが、それだけではないと思います。願いや希望を打ち明ける前提も違っていると思います。土台も違っていると思います。どういうことかと言うと、礼拝の流れの中での打ち明けですので、創造主の神とはどんな方で人間に何をして下さったかということをいちいち明らかにして確認した上での打ち明けになります。して下さったことの筆頭として、天と地と人間を造られたということと、ひとり子のイエス様を贈って下さったということがあります。そういうことを礼拝の最初から終わりまで繰り返しながら確認した上での願いや希望の打ち明けです。つまり、祈りを捧げる相手がどんな方であるのかをちゃんとわかった上で願いや希望を打ち明けるということです。礼拝の中にある聖書日課も説教も信仰告白も讃美歌も、みな願いや希望を打ち明けるお方がどんな方であるかを明らかにするものです。天地創造の神は私たち一人一人に命と人生を与えて下さった方である、そしてその神のひとり子イエス様は十字架にかかられて私たちの罪を償って下さった方である、そういうことを明らかにし思い起こさせるものです。
先ほど朗読しました第二ペトロ1章でこう祈られていました。「神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」神が与える恵みとは何か?私たちは神の御前に立たされたら罪深さが明らかにされてしまうのに、神は私たちのことを大丈夫と見て下さるためにイエス様に私たちの罪の償いをさせました。恵みとは、このように罪の赦しが神のお恵みとして与えられたということです。神が与える平和とは、イエス様のおかげで私は神の御前に立たされても大丈夫なんだ、神の目に相応しい者とされているんだ、と分かった時に心が満たされる平安のことです。
こういう恵みを受けて平安に満たされた者として願いと希望を神に打ち明けます。そこには、叶えられなかったらどうしよう、とか、そうなったら神に失望してしまうだろうか、とか、そういう気持ちは起きません。ひとり子イエス様を贈って下さったくらい私のことを気にかけて下さった神なのだから、その他のことで気にかけないなどということはありえない。だから、どんな結果を見せてくれるかは神にお任せして、自分としては出来るだけのことをしよう、ただし神の意志に反しないように正しく行おう。神が見せてくれるどんな結果にも必ず神の良い導きが続くはずだ。そういう心意気になるのではと思います。
2.キリスト教では新年最初の日はイエス様の命名日に定められています。天地創造の神のひとり子がこの世に送られて乙女マリアから人の子として誕生したたことを記念してお祝いするクリスマスが12月25日に定められています。その日を含めて8日後が、このひとり子がイエスの名を付けられたことを記念する日となっていて、それが1月1日と重なります。このイエス様の命名の出来事を通しても神とはどんな方で、そのひとり子のイエス様はどんな方かがわかりますので、これからそれについてみてみましょう。
イエス様の命名日は同時に、彼が割礼を受けた日です。割礼と言うのは、天地創造の神がかつてアブラハムに命じた儀式で、生まれて間もない男の赤ちゃんの性器の包皮を切るものです。律法の戒律の一つとなり、これを行うことで神の民に属する者の印となりました。こうしてユダヤ民族が誕生しました。イエス様は神のひとり子として天の御国の父なるみ神のもとにいらっしゃった方でしたが、この世に送られてきたときは、旧約聖書に約束されたメシア救世主として、その旧約聖書の伝統を守るユダヤ民族の真っ只中に、乙女マリアの胎内から生まれてきました。民族の違いを超えて人間すべての救い主となられる方なのに、どうして割礼などという特定の民族の伝統に従ったのか?それは、そのお方が歴史的にその民族の一員として生まれてきたことによります。しかし、それだけではありませんでした。後で述べるように、人間を罪の呪縛から救うために一旦、神の定めた戒律に服する必要があったのです。
神のひとり子が人間としてこの世に生まれてきたことや、彼がイエスの名を付けられて割礼を受けたということは歴史上の出来事です。それは、ローマ帝国が地中海世界に支配を拡大して、現在のイスラエルの地域とその地に住むユダヤ民族を支配下に治めていた時でした。アウグストゥスが帝国の皇帝で(治世は紀元前27年~紀元14年)、プブリウス・スルピキウス・キリニウスという人物が帝国のシリア州の総督に就いていた時代でした。さらに、同州のユダヤ地方を中心とする領域でヘロデ王という、ローマ皇帝に従属する王が一応ユダヤ民族の王としての地位を保っていた時代でした。このような場所と時代に、人間として生まれた神のひとり子はイエスという名を付けられ、旧約聖書の律法の戒律に従い、生後8日後に割礼を受けました。
ここで、人間として生まれた神のひとり子に付けられた、「イエス」という名前についてみてみます。乙女マリアが聖霊の力を及ぼされて身ごもる前の段階で、天使から、生まれてくる子には「イエス」の名前を付けなさいとの指示がありました(マタイ1章21節、ルカ1章31節)。これは、ギリシャ語のイエ―スースἸησοῦϛを日本語に訳した名前です。イエ―スースἸησοῦϛは、もともとはヘブライ語のユホーシェアיהושעをギリシャ語に訳した名前で、それは日本語では「ヨシュア」、つまりヨシュア記のヨシュア、モーセの後継者としてイスラエルの民を約束のカナンの地に導いた指導者です。ユホーシェアיהושעという言葉には「主が救って下さる」という意味があります。יה「主が」יושע「救って下さる」。つまり、「イエス」の名前はヘブライ語のもとをたどれば「主が救って下さる」という意味があります。天使はこの名を生まれてくる子に付けなさいとヨセフに命じたのですが、その理由として、「彼は自分の民を罪から救うことになるからだ」と言いました(マタイ1章21節)。つまり、「主が救って下さる」のは何かということについて、「罪からの救い」であるとはっきりさせたのです。
「神が民を救う」というのは、ユダヤ教の伝統的な考え方では、神が自分の民イスラエルを外敵から守るとか、侵略者から解放するという理解が普通でした。ところが、ここでは救われるものが国の外敵ではなく、罪であるということに注意する必要があります。「罪から救って下さる」というのは、端的に言えば、罪がもたらす神の罰から救って下さる、神罰がもたらす永遠の滅びから救って下さる、という意味です。創世記に記されているように、最初の人間アダムとエヴァが造り主の神に対して不従順になったことがきっかけで罪が人間の内に入り込み、人間は死する者になってしまいました。キリスト教はどうして何も犯罪をおかしたわけではないのに、「人間は全て罪びとだ」などと強調するのか、と疑問をもたれるところです。キリスト教でいう罪とは、個々の犯罪・悪事を超えた(もちろんそれらも含みますが)、すべての人間に当てはまる根本的なものをさします。自分の造り主である神への不従順がそれです。もちろん世界には悪い人だけでなくいい人もたくさんいます。しかし、いい人悪い人、犯罪歴の有無にかかわらず、全ての人間が死ぬということが、私たちは皆等しく神への不従順に染まっており、そこから抜け出られないということの証なのです。
それでは、神は人間をどのようにして罪から救い出すのでしょうか?神はそれをひとり子イエス様を用いて行われました。イエス様は、人間に向けられている罪の罰を全部人間に代わって引き受けて、私たちの身代わりとして十字架にかけられて死なれました。神のひとり子として神の意思を体現する方であったにもかかわらず、神の意思に反する者全ての代表者であるかのようにされたのです。誰かが身代わりとなって神罰を本気で神罰として受けられるためには、その誰かは私たちと同じ人間でなければなりません。そうでないと、罰を受けたと言っても、見せかけのものになります。これが、神のひとり子が人間としてこの世に生まれて、神の定めた律法に服するようにさせられた理由です。
ここで律法に定められた割礼の掟が、イエス様の十字架と復活の出来事の後どうなったかについて一言述べておきます。割礼はイエス様も受けた律法の規定でしたが、天地創造の神の民の一員であることの印としては洗礼がそれにとってかわるものになりました。ただし当初は、キリスト信仰者に割礼は不要ということは自明ではありませんでした。多くの信仰者は当時、イエス様はユダヤ民族の一員としてこの世に来た、確かに旧約聖書に約束された全ての人間の救いを実現したわけだが、それを受け取ることができるのは旧約の伝統を受け継ぐユダヤ民族である、だからそれに属さない異邦人は救いを受け取れるためにはまずユダヤ民族の一員にならなければならない、つまり割礼を受けなければならない。そのように考えらえたのでした。
初期のキリスト教会の中で、この考え方に異議を唱えたのが使徒パウロでした。彼の主張の眼目は、人間が罪の呪縛から救われるのは律法の戒律を守ることによってではなく、イエス様を救い主と信じる信仰によってである、というものでした。パウロが主張の根拠としたように、アブラハムは神から割礼の掟を受ける以前に既に神を唯一の主と信じる信仰があって、それで神に義なる者と認められていたのでした。割礼をしたからそう認められたのではなかったのです。このパウロの主張がきっかけとなって、イエス様を救い主と信じる人たちはユダヤ人の枠を超えて急速に広がっていきました。
私たち人間が罪の呪縛から解放されるために民族の違いを超えて御自分のひとり子を犠牲にするのも厭わなかった父なるみ神がおられます。そしてその神と同質の身分であることに固執せず、父の御心を実現して私たちに救いをもたらして下さった御子イエス様がおられます。父み子聖霊の神は永遠にほめたたえられますように。
3.以上、今回も説教を通して、父なるみ神とそのひとり子イエス様のことを知ることをしました。今まで何度も何度も繰り返されたことですが、そうすることで私たちは神が与えて下さった恵みがあることを忘れないで心と魂は平安に満たされます。その平安は、私たちの身近な願いや希望が叶えられることで得られるものではなく、もっと大きく深い平安です。イエス様の十字架と復活の業のおかげで私たちは神の御前に出されても大丈夫、神の目に相応しい者になれるということからくる平安です。
神の御前に出されても大丈夫と言うのは、この世を去った後で神の御許に受け入れられる、天の国に迎え入れられるということです。神社やお寺で、天国に行けますように、などと声に出して祈ったら、周りの人はこの人は少しおかしいんじゃないか、早く死にたいのか、と思うでしょう。しかし、キリスト信仰では、この世の生活で生じてくる願いや希望と同時に神に義とされて天の国に迎え入れられるという希望があり、その希望はイエス様のおかげで既に叶えられて大丈夫になっているという安心が土台にあります。だから、それは大事な願い、希望なのです。もちろん、身近な願いや希望が叶えられず、どうしてなのか?神は何か私に至らないことがあるとお考えなのか?それで聞き入れてくれないのか?そういう疑いはキリスト信仰者でも抱く時があります。そうではない、イエスを救い主と信じるお前は天の国に至る道に置かれて、その道を歩んでいる、物事が自分の思う通りに進まなくても、私の思うとおりに進むから、心配するな、私の目はお前に注がれているから安心しなさい、恐れるな、と神は言って下さるのです。礼拝で父なるみ神やひとり子イエス様のことを知るようにするのは、この安心を取り戻すために大事なことです。
そういうわけで兄弟姉妹の皆さん、今年も礼拝を大切にして、大いなる安心をもって願いや希望を神に打ち明けて祈ってまいりましょう。
本日の福音書の箇所は、皆さんもよくご存知のシメオンのキリスト賛美があるところです。皆さんがよくご存知というのは、この賛美は礼拝の中のヌンク・ディミティスと呼ばれるところで一緒に唱えられるからです。「今私は主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り僕を安らかに去らせて下さいます。この救いは諸々の民のためにお供えになられたもの。異邦人の心を照らす光、御民イスラエルの栄光です」といつも賛美しているところです。「ヌンク・ディミティス」というのは、この賛美の中にある言葉「今あなたは去らせて下さいます」のラテン語です。
このキリスト賛美は、老人シメオンがエルサレムの神殿でマリアとヨセフに連れられた赤ちゃんイエスを見て唱えたものです。ここで、イエス様がベツレヘムの馬小屋で誕生した後の出来事の流れを少し振り返ってみましょう。
本日の福音書の個所の少し前にあるルカ2章21節をみると、イエス様が誕生後8日目にユダヤ教の律法に従って割礼を受けたことが記されています。(レビ記12章3節、創世記17章10~14節)。続いて22節から24節までをみると、律法によれば子供の割礼後、母親は99日間清めの期間を守らなければならず、それが過ぎた後で神殿に行って子羊ないし山鳩の生け贄を捧げて清めが完了したことになります(レビ記12章4ー8節)。ヨセフとマリアとイエス様が神殿に行ったのは、この規定を守るためでした。そうすると、割礼の後三人はどこにいたのでしょうか?ここでマタイ福音書2章を見ると、生まれたばかりのイエス様はヨセフとマリアともにヘロデ大王の迫害から逃れるためにエジプトに避難したことになっています。親子三人はヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在したことになっています。そこで、清めの期間の約3か月間は神殿には行けないことになっているので、それがエジプト避難の期間にうまく当てはまります。
ところが、それでも時間的にうまくつじつまがあわないことが出てきます。三人がエジプトからイスラエルに帰還するのはヘロデ王が死んだ後で、王の死は紀元前4年とされています。そうするとイエス様の誕生は紀元前4年ないし5年になる。しかしながら、ローマ帝国が行った租税のための住民登録の実施年としては紀元前7年が有望とされていて、紀元前4年ないし5年に住民登録があったという記録は見つかっていない。さらに、異常な星の輝きが見られたということに関して、紀元前6年に木星と土星の異常接近があったことが天文学的に計算されています。そこで、紀元前6、7年をイエス様の誕生年とすると、三人のエジプト滞在は2ー3年に及んでしまいます。シメオンが腕に抱きあげたイエス様は赤ちゃんと言うよりは2、3歳くらいの幼児になってしまいます。
マタイ2章によると、親子三人はヘロデ王の死後、エジプトから戻るけれどもユダヤ地方の領主アルケラオを恐れてナザレのあるガリラヤ地方に向かったとあります(21ー23節)。そういうわけで、イエス様の誕生は紀元前7年から4年の間のいつか、エジプトから帰る途中でエルサレムの神殿で清めの儀式を済ませてナザレに戻ったとみるのが妥当なのではないかと思われます。
こういうふうに、イエス様誕生後の出来事には謎の部分があり、ジグソーパズルがもう少しで全部埋まりそうで埋まらないもどかしさがあります。しかし、これはやむを得ないことです。というのは、大人の時のイエス様の言行録は、使徒たちが目撃者になって証言し、それが記録され伝えられていきました。それに比べると、大人になる前の出来事は目撃者に限りがあります。ヨセフが生前に周囲の者たちに語ったことと、もっと長く生きたマリアが弟子たちに語ったことが中心にならざるを得なかったでしょう。それで、細部に不明な点が出てくるのは止むを得ないのです。しかし、大きく全体的に見れば、書かれた出来事が互いに矛盾してどれかが無効になるような、そんなひどい矛盾はないと思います。
イエス様とマリアとヨセフの三人がエルサレムの神殿に来て、清めの儀式をした時、老人シメオンが近寄ってきて、イエス様を腕にとって神を賛美しました。この子が、神の約束されたメシア救世主である、と。シメオンは、イエス様のことを「異邦人を照らす啓示の光」と呼びます。「異邦人」というのは、ユダヤ民族以外の全ての民族です。アメリカ人もヨーロッパ人も日本人もアフリカ人もユダヤ教に改宗していなければ、みんな異邦人です。その異邦人を「照らす啓示の光」とはわかりそうでわかりにくい言葉ではないかと思います。ギリシャ語の言葉の意味を考えながら素直に訳すと、異邦人にとってイエス様は神の意志を明らかにする光になる、ということです。天地創造の神の意志は、それまでは旧約聖書を通して主にユダヤ民族に知らされていました。それが、神のひとり子イエス様がこの世に送られて以後はユダヤ民族以外にも知らされることになるというのです。そのような方が旧約聖書の預言通りにユダヤ民族の中から輩出した、それでシメオンはイエス様のことを「神の民イスラエルの栄光です」と賛美したのです。
本日の説教では、このシメオンのキリスト賛美の解き明かしをしていきますが、最初に全体的なことを述べて、最後にイエス様が私たちの光であると言う時、それはどんな光なのかを見て行こうと思います。
シメオンは「イスラエルの慰め」を待っていて、メシア救世主を見るまでは死ぬことはないと聖霊に告げられていました。そして、メシアはこの子だと聖霊によって示されて賛美を始めました。
ところが、待望のメシア救世主の将来はいいことづくめではありませんでした。シメオンはイエス様について預言を始めます。この子は将来、イスラエルの多くの人たちにとって「倒したり立ち上がらせる」ような者になる。つまり、イエス様は多くの人たちを躓かせることになるが、また多くの人たちを立ち上がらせることにもなる、と。果たして、本当にその通りになりました。律法学者やファリサイ派のような宗教エリートたちが、自分たちこそは旧約聖書を正しく理解して天地創造の神の意思を正確に把握していると思っていたのに、本当はそうではないとイエス様から明らかにされてしまい、それで彼に躓いてしまいます。イエス様は文字通り「反対を受けるしるし」になってしまい、それがもとで十字架刑に処せられてしまいます。十字架の上で苦しみながら死んでいくイエス様をマリアは自分の目で見なければならなくなります。文字通り「剣で心を刺し貫かれた」ようになります。
しかしながら、イエス様はただ単に反対され、躓きになっただけではありません。多くの人たちを立ち上がらせることにもなりました。イエス様の十字架の死は、ただ単に反対者から迫害を受けてそうなってしまったということではありませんでした。神の計画がそういう形をとって実現したということだったのです。それでは、神の計画とは何かというと、それは、人間の罪に対する神罰を人間に受けさせるのではなく、代わりに自分のひとり子のイエス様に全部受けさせるということです。つまり、イエス様の十字架というのは迫害されて殺されて終わってしまったということではなく、人間に罪の赦しのチャンスを与えるために神がイエス様を犠牲の生け贄にしたというのが真相だったのです。
このようにして神はひとり子を犠牲にして人間の罪の償いをして下さったのですが、それだけではありませんでした。神は一度死んだイエス様を蘇らせて、死を超えた永遠の命に至る扉を人間に開いて下さいました。人間は、これらのこと全ては神が自分のためにしてくれたのだとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、イエス様の犠牲に免じて罪を赦され、永遠の命に至る道に置かれて、その道を歩めるようになったのです。このようにして、イエス様のおかげで「立ち上がる」者も多く出たのです。
そこで、使徒たちがこの「罪の赦しの救い」という福音を宣べ伝え始めると、それを受け入れて「立ち上がる」者が次々と出ました。他方では、受け入れずに反対する者も出ました。まさにシメオンが預言した通りになったのです。さすがに聖霊を受けただけあって完璧な預言でした。
ところで、シメオンがイエス様を抱き上げて賛美と預言をしていた時に、ハンナというやもめの老婆がやってきました。自分の人生を神に捧げることに徹し、神殿にとどまって断食したり祈りを捧げて昼夜を問わず神に仕えてきました。聖書に「預言者」と言われるからには聖霊の力を受けていたわけですが、やはりイエス様のことがわかりました。それで、周りにいた「エルサレムの救い(贖いλυτρωσις Ιεροθσαλημ)を待ち望んでいる人たち」に、この幼子がその救いの実現であると話し始めたのです。
ここで、シメオンとハンナの賛美や預言をみて一つ気になることがあります。それは、二人ともイエス様が全人類の救世主であるとわかっていたのに、彼らの言葉づかいや、この出来事を記したルカの書き方を見ると、「イスラエルの慰め」とか「エルサレムの救い(贖い)」とか、どうもユダヤ民族という特定民族の救い主であるような言い方、書き方をしています。「イスラエルの慰め」というのは、イザヤ書40章1節や49章13節にある預言、「エルサレムの救い」というのは52章9節にある預言がもとにあります。イエス様の誕生はこれらの預言の実現と理解されたのです。
イザヤ書の40章から55章までのいわゆる「第二イザヤ」の部分は一見すると、イスラエルの民が半世紀に渡るバビロン捕囚から解放されて祖国に帰還できることを預言しているように見える個所です。実際にこの帰還は歴史的にも起こりまして、エルサレムの町と神殿は再建されました。ところが、帰還と再建の後も、イスラエルの民の状況はかつてのダビデ・ソロモン王の時代のような勢いはなく、ほとんどの期間は異民族に支配され続けました。神殿を中心とする礼拝も本当に神の御心に適うものになっているかどうか疑う向きも多くありました。それで、イザヤ書40章から55章までの預言は実は祖国帰還後もまだ実現していない、未完の預言だと理解されるようになりました。そうした理解は、バビロンからの帰還が実現して500年以上たった時代でも、例えばシメオンがイザヤ書で預言された「イスラエルの慰め」を待ち望んでいたこと、そして「エルサレムの救い」を待っている人たちがいたことに示されています。
そこで、ユダヤ民族中心のように見える預言の言葉ですが、シメオンの賛美をよく見ると、メシア救世主がユダヤ民族の解放者ではなく、全人類にかかわる救世主であることをちゃんと言っているのがわかります(2章31節と32節)。さらに32節の言葉「異邦人を照らす啓示の光」は、イザヤ書49章6節の預言が実現したことを意味します。「わたしはあなたを僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせ、イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
日本語訳の「それにもまして」ですが、原語のヘブライ語を見ると(נקל)、ユダヤ民族の祖国帰還と復興だけでは不十分だ、足りない、スケールが小さすぎるという意味です。救世主のなすべきことはユダヤ民族のことだけにとどまらず、全世界の諸国民の光となって神の救いを全世界にもたらすことだ、と言うのです。
そういうわけで、ルカや他の福音書の中にユダヤ民族の救いや解放を言うような言葉遣いや表現があっても、それは旧約聖書の預言の言葉遣いや表現法に基づくものであり、それらの預言の内容自体は全人類に及ぶ救いを意味していることに注意しなければなりません。ユダヤ人であるかその他の異邦人であるかに関係なく、救いを受け取る者が真のイスラエルなのであり、永遠の命に与る者が迎え入れられる神の御国が「天上のエルサレム」と呼ばれるのです。
次に、イエス様が私たちの光になるというのはどういうことかについてみていきます。イエス様が光になって私たちを照らすと聞くと、大方は暗闇のような世の中で私たちが道を誤らないように導いてくれる道しるべのようなイメージがわくのではないかと思います。それはその通りなのですが、イエス様が道しるべの光であるということを正しく理解できるために忘れてはいけないことがあります。それは、私たちがイエス様の光に照らされると、私たちの罪が明るみに出されたかのように自分で気づくことになってしまうということです。シメオンが預言したように、光になるイエス様が反対を受けるしるしになるのは、「多くの人の心にある思いがあらわにされるため」でした。ヨハネ3章でイエス様自身、こう述べています。「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ない」と(19節)。
自分の心の中に神の意志に反する事柄が無数にある、例えば不倫、妬み、憎しみ、他人の見下しや嘲り、誰かを悪者に仕立てること、嘘や誇張、分け隔てのない思いやりが不足していること、さらにはそうした悪いものに束縛されないように神に助けを求めないこと等々、こうしたものが聖書の御言葉を読む時、聞く時に思い知らされます。それは御言葉を通して神の霊、聖霊が働くからです。また御言葉を読んだり聞いたりしていない時に思い知らされることもあります。それは神が直接働きかけたからです。それは、本当は名誉なことです。
しかしながら、誰も、そのような自分で見たくも気づきたくもないことを明るみに出されるのは嫌でしょう。余計な光だ、と思って、反感を抱くでしょう。また人によっては反感ではなくて、自分が嫌になってしまい深い悲しみに陥ってしまうでしょう。
しかし、イエス様の光は本当は人間を絶望や無力感に追い込むためにあるのではありません。光は一旦真実を明らかにしたら、今度はすかさず絶望や無力感の暗闇から脱する道を示す道しるべになるのです。ヨハネ8章12節でイエス様自身言われているとおりです。「私は世の光である。私に従う者は暗闇を歩くことはない。その者は永遠の命に導く光を持つことになる。」(少し解説的に訳しました。)このようにイエス様という光は真実を明らかにするという機能と道しるべになるという機能の二つの機能を兼ね備えた光です。片方が抜けたらもうイエス様の光ではありません。
イエス様の光が絶望や無力感の暗闇から脱する道を示す道しるべであると言う時、その光を目指して行って、本当に暗闇から脱せられるのか?それが本当にそうなのだとわかるために、その光がどんな光なのかをわかるようにしましょう。本日の使徒書の日課ヘブライ2章の御言葉が鍵になると思います。(少し解説的に訳します。)
「イエス様を救い主と信じて神の子となっても人間は血と肉を纏っています。人間としてこの世に送られたイエス様も同じように血と肉を持ちました。それは、血と肉を持つ状態で十字架の死を遂げてみせたことで、人間に死の力をふるっていた悪魔を抱き合わせで叩き潰すためでした。そうすることで、死の恐怖のために一生涯、罪の奴隷状態にあった者たちを解放するためでした。イエス様が寄り添うと決めたのは天使たちではなく、アブラハムの子孫でした。それでイエス様は全ての点で彼らと同じようにならなければならなかったのです。そうすることで、民の罪を神に対して償うことが出来る憐れみ深い、裏切らない大祭司となったのです。イエス様自身苦しみを受け試練に遭われたので、試練に遭う人たちを助けることが出来るのです。」(14-18節)
イエス様は、人間の罪を神に対して償うために自ら十字架の死を遂げられました。それは、これ以上の償いはないという償いでした。それゆえ、人間を永久に罪に繋ぎ留めたがっていた悪魔は立場を失い、イエス様を救い主と信じる者はイエス様と共にあるので悪魔を超える者となったのです。加えてイエス様は、私たち人間と同じ肉を纏って試練を受けて苦しまれました。天の御国で霊的なだけの方でしたらそんな苦しみはなかったでしょう。しかし、私たちと同じになることで、人間の痛みと苦しみを本当に心と体でわかる神となられました。私たちが安心して信頼して助けを呼び求める方はもう彼をおいて他にはないのです。
さあ、どうでしょうか?これで、暗闇の中にいる私たちはイエス様のことだけを考えれよいのだ、彼こそが助けを呼び求める方なのだ、とわかれば、イエス様は私たちが目指す光になっています。今まさに、ヘブライ2章の御言葉を通して聖霊が働いたことになります。キリスト教の教派によっては、聖霊にもっと別の働きや機能を持たせるところもあります。私たちのルター派では、聖霊はイエス様が真実と道しるべの光であることを御言葉を通して啓示する働きをします。なんとも地味な教派であります。
兄弟姉妹の皆さん、この世ではイエス様が道しるべの光であることを気づかせないようにする力も働いていることに注意しましょう。端的に言って、それは悪魔の仕業です。悪魔はイエス様の十字架と復活の出来事の後は力を失ったにもかかわらず、隙をとらえては人間を絶望させ無力感に陥れようとします。ひどい場合は、神の意志に反する生き方をすることで絶望と無力感から逃れられるなどと欺きます。だまされてはいけません。イエス様の光は、人間の真実を明らかにするが同時に大いなる道しるべの光であることも忘れないようにしましょう。その光を全身全霊で目指すことこそ、真実が明るみに出された時の痛みの癒しになります。そもそもその痛みというものも道しるべの光に向かわせるためにあるのです。そのことを忘れないようにしましょう。
降誕祭前夜礼拝説教 2013年12月24日
1.今朗読されたルカ福音書の2章はイエス・キリストの誕生について記しています。世界で一番最初のクリスマスの出来事です。この聖書の個所はフィンランドでは「クリスマス福音」(jouluevankeliumi)とも呼ばれますが、国を問わず世界中の教会でクリスマス・イブの礼拝の時に朗読されます。これからこの説教の中で、この、イエス様の誕生について記してあるルカ福音書2章の個所を「クリスマス福音」と呼ぶことにします。
ところでフィンランドでは、ちゃんと教会に通う家族だったら、クリスマス・イブの晩はクリスマスの御馳走が並ぶテーブルに家族全員がついて、「クリスマス福音」が朗読されるのをみんなで聞いて、それから食べ始めたものです。我が家もそうしていますが、現在教会離れが急速に進むフィンランドで果たしてどのくらいの家庭がこの伝統を続けているでしょうか?
御馳走を頂く前に「クリスマス福音」を読み聞かるというのは、誰のおかげでこのようなお祝いが出来るのか、そもそもクリスマスとは誰の栄誉を称えるお祝いなのかを明らかにすると思います。それは言うまでもなく、今から約2000年前に起きたイエス・キリストの誕生を記念するお祝いであり、そのイエス様を私たち人間に贈って下さった天地創造の神の栄誉を称えるお祝いです。それでは、どうしてそんな昔の遥か遠い国で生まれた人物のことでお祝いをするのか?それは聖書に従えば、彼が天地創造の神の子であり、全ての人間の救い主となるべく天上の神のもとからこの地上に送られて、マリアを通して人間として生まれたからです。そのような方のために祝われるお祝いなので、御馳走の前にはお祝いするわけを思い返すために聖書を読み聞かせます。そして、イエス様を贈って下さった神に感謝して御馳走を頂きます。また、神がそんな贈り物をして下さったからには、私たちもそれにならって誰かに何か贈り物をする。さらに、神がひとり子を贈って下さったのは、人間一人ひとりのことを気に留めて下さっているからなので、それで私たちもハガキを出して「良いクリスマスと新年を迎えて下さいね」と書いて、あなたのこと忘れていませんよ、と伝える。そういうのが、本来の趣旨にそうクリスマスの祝い方です。もちろん、教会の礼拝に行って、神に賛美の歌を歌い、聖書の朗読と説教者のメッセージに耳を傾け、神に祈りを捧げることも忘れてはいけません。
最近というよりはずっと前からですが、クリスマスのお祝いの栄誉を称えることがどんどん脇に追いやられて、お楽しみの方が肥大化する傾向があるのはどこでも見られる現象です。そちらの方がお祝いの目的になっている人の方が多いでしょう。しかし、いくらそういうふうになっていっても、イエス様の誕生がなかったらクリスマス自体も存在しなかったという事実は誰も打ち消すことは出来ないのです。
2.「クリスマス福音」に記されている出来事は多くの人に何かロマンチックでおとぎ話のような印象を与えるのではないかと思います。真っ暗な夜に羊飼いたちが羊の群れと一緒に野原で野宿をしている。電気や照明などありません。空に輝く無数の星と地上の一つの小さなたき火が頼りの明かりです。そこに突然、神の栄光を受けて輝く天使が彼らの前に現われ、闇が一気に光に変わる。天使が救い主の誕生を告げ、それに続いて、さらに多くの天使たちが現れて神を一斉に賛美し、その声が空に響き渡る。賛美の言葉は詩のように簡潔ですが、大体の意味はこうです。「天上では神は永遠の栄光に満ちておられる。地上でも神の御心に適う人たちの心に平和が訪れる。」賛美し終えると天使たちは姿を消し、あたりはまた闇に覆われる。しかし、羊飼いたちの心には何かともし火が灯されていました。もう外側の暗闇は目に入りません。彼らは何も躊躇せず何も疑わず、生まれたばかりの救い主を見つけるためにベツレヘムに向かう。そして、一つの馬屋の中で布に包まれて飼い葉桶に寝かせられている赤ちゃんのイエス様を見つける。
以上の話を聞いた人は、闇を光に変えた神の栄光、天使の告げ知らせと賛美の合唱、飼い葉桶の中で静かに眠る赤ちゃん、それを幸せそうに見つめるマリアとヨセフ、ああ、なんとロマンチックな話だろうと思うでしょう。本当に「聖夜」にふさわしい物語だなぁ、とみんなしみじみしてしまうでしょう。
3.ところが、この「クリスマス福音」をよく注意して読むと、そんな淡い思いを押しつぶしてしまうようなことがあるのに気づきます。その当時の政治状況がこの出来事に重くのしかかっているということです。人の人生や運命は権力を持つ者が上から下に対して牛耳っていて、普通の人はなかなかそれに影響を及ぼせない、民主主義が普及しても難しいことだらけなのだから、ましては民主主義のない昔だったら影響を及ぼせる可能性など全くない、そういうことを「クリスマス福音」は明らかにしています。
そのことに気づくために、なぜヨセフとマリアは自分たちが住んでいるナザレの町でイエス様を出産させないで、わざわざ150キロ離れたベツレヘムまで旅しなければならなかったのか?と聞いてみるとよいでしょう。答えは聖書の個所から明らかです。ローマ帝国の初代皇帝(在位紀元前27年から紀元14年)アウグストゥスが支配下にある地域の住民に出身地で登録せよ、と勅令を出したからです。これは納税者登録で、税金を漏れることなく取り立てるための施策でした。その当時、ヨセフとマリアが属するユダヤ民族はローマ帝国の占領下にあり、王様はいましたがローマに服従する属国でした。ヨセフはと言うと、かつてのダビデ王の家系の末裔です。ダビデの家系はもともとはベツレヘムの出なので、それでそこに旅立ったのでした。出産間近のマリアを連れて行くのはリスクを伴うものでしたが、占領国の命令には従わなければなりません。
やっとベツレヘムに到着した二人を待っていたのは不運でした。宿屋が一杯で寝る場所がなかったのです。町には登録のために来た他の旅行者も大勢いたのでしょう。そうこうしているうちにマリアの陣痛が始まってしまいました。どこで赤ちゃんを出産させたらよいのか?ヨセフは宿屋の主人に必死にお願いしたことでしょう。馬屋なら空いているよ、屋根があるから夜空の星の下よりはましだろう、と。それでイエス様は馬屋でお生まれになったのです。赤ちゃんは布に包まれて、藁を敷いた飼い葉桶に寝かせられました。
子供向けの絵本の聖書などを見ると、この場面の挿絵は大抵、健やかに眠る赤ちゃんを幸せそうに見つめるマリアとヨセフがいて、その周りをロバや馬や牛たちが可愛らしく微笑み顔で三人を見つめているというものです。羊飼いたちも馬屋の近くに来ています。東の国の博士たちももうすぐ貢物を持ってやってきます。なんとロマンチックな出来事なのでしょう!でも、本当にそうでしょうか?皆さんは馬屋とか家畜小屋がどんな所かご存知ですか?私は、妻の実家が酪農をやっているので、よく牛舎を覗きに行きました。最初の頃は興味本位で、その後は子供が行ったきり出てこないので連れ戻すために仕方なく。それはとても臭いところです。牛はトイレに行って用を足すことをしないので、全ては足元に垂れ流しです。馬やロバも同じでしょう。藁や飼い葉桶だって、馬の涎がついていたに違いありません。なにがロマンチックな「聖夜」なことか。しかし、天地創造の神のひとり子で神の栄光に包まれていた方、そして人間の救い主になる方はこういう不潔で不衛生きわまりない環境の中で人間としてお生まれになったのでした。
イエス様の誕生の出来事はロマンチックなおとぎ話ではないのです。マリアとヨセフがベツレヘムに旅したことも、また誕生したばかりのイエス様が馬屋の飼い葉桶に寝かせられたのも、全ては当時の政治状況のなせる業だったのです。普通の人の上に影響力を行使する者たちがいて、人々の人生や運命を左右するということの一つの表われだったのです。
4.しかしながら、聖書をよく読む人はもっと広い、もっと深い視点を持っています。どんな視点かと言うと、普通の人の上に影響力を行使する者たちがいても、実はそのまた上にはそれらの者に影響力を行使する方がおられる、その方がその下にいる影響力の行使者の運命を牛耳っている、という視点です。その究極の影響力の行使者は、これはまさに天地創造の神、天の父なる神です。既に神は旧約聖書の中で、救い主がベツレヘムで誕生することも、それがダビデ家系に属する者であることも、処女から生まれることも全て起こる、と約束していました。それで神は、ローマ帝国がユダヤ民族を支配していた時代を見て、これらの約束を実現する条件が整ったと見なしてひとり子を送られたのでしょう。あるいは、その当時存在していたいろんな要素を組み合わせて約束実現の条件を自分で整えたのかもしれません。どちらにしても、この世の影響力を行使する者たちが自分たちこそはこの世の主人で人々の人生や運命を牛耳っていると得意がっている時に、実は彼らの上におられる神が彼らを牛耳っているのです。
人間の目で見たら、マリアとヨセフは上に立つ影響力の行使者に引きずり回されたにしか見えないでしょう。しかしながら、彼らは引きずり回されたのではなく神の計画の中で動いていたのです。神の計画の中で動いたというのは、神の守りと導きを確実に受けていたということです。そういうわけで、イエス様誕生にまつわる惨めな状況というのは実は神の祝福を受けたものだったのです。そのようにして二人には神がついておられ、まさに神と共にある者として、影響力を行使する者たちの上に立つ立場にあったのです。
私たちもマリアとヨセフと同じように神がついて神と共にある者になることが出来ます。それは、マリアを通して人としてお生まれになったイエス様を救い主と信じることによってです。どうしてイエス様が救い主なのかと言うと、十字架の死を引き受けることで人間の罪を全て神に対して償って下さったからです。さらに死から復活されたことで死を滅ぼして永遠の命への道を開いて下さったからです。このイエス様を救い主と信じて洗礼を受けることで、人は神の愛する子となり、神の守りと導きを受けることになります。神と共にある者になるので、影響力を行使する者たちの上に立つ立場になります。このことは、ローマの皇帝のような目に見える具体的な者だけではありません。使徒パウロも教えたように、影響力の行使者には目には見えない霊的なものも含まれます。それらは、人間が罪の償いがなされていない状態にとどまることを望み、人間と神との間を引き裂こうと躍起になるものです。しかし、イエス様を救い主と信じる者は、彼がして下さった罪の償いを受け取っているので、見えない影響力の行使者はもう何もなしえません。
そのように神の愛する子となり神と共にある人は、目に見える影響力の行使者と目に見えない行使者の双方の上に立つ者となります。その時、人間的な目では惨めな状態にあっても心が騒ぐこともおびえることもありません。それこそ人間の理解を超えた平和に満たされます。その時、私たちは世界で一番最初のクリスマスの時に神を賛美した天使たちの言った通りになるのです。
「天上では神は永遠の栄光に満ちておられる。地上でも神の御心に適う人たちの心に平和が訪れる。」