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ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」5月28日の日課から)
キリスト教徒はじたばたしない、往生際が良いのだ(その4)。
『いつも喜びなさい。』 (第一テサロニケ5章16節)
『この御言葉は、信仰が我々にとっていかに不可欠なものであるかを教えてくれる。信仰は重々しいもの苦々しいものを全て軽くし甘くする。そのことは、殉教者たちが証ししている。しかし、信仰がなければ、たとえ全世界の絢爛や享楽を手に入れたとしても、全てのことは重々しく苦々しいものになってしまうのだ。そのことは、悲惨な生涯を送った金持ちたちが証ししている。
次のように言う人がいる。「私が望んでいなかった状況に陥ってしまったのは自分の愚かさや悪魔のせいではなく、神がそのようにされたからと確信できたら、喜ぶことなど出来るだろうか?」 なんという信仰の欠如!キリストは、神がお決めにならなければ鳩は地面に落ちることはないと言われたではないか。また、私たちは髪の毛の数も一本残らず神に数えられているのだとも。
ここで、あなたが望んでいなかった状況に、あなたの罪はそこにはないのにそういう状況に陥ったとしよう。もちろん、罪と愚かさによっても同じ状況には陥るのだが、それらがなくてもそういう状況に陥ってしまったとする。それは実は、神の御心に適う状況なのだ。罪以外のものは全て神の御心に適うものだからだ。
あなたが、あなたの罪はそこにはないのに厄介な課題に取り組まなければならなくなったとする。その課題は間違いなく神があなたにお与えになったものだ。だからあなたは課題に取り組む時はただ正しく取り組めばよいのだ。課題の取り組みの中で感じてしまう不本意さや無念さというものも実は、あなたがまさに神の御心に適う課題に取り組んでいることの証しなのである。その時、神は課題のあるところにおられる。神は悪魔に対してあなたの信仰を試すように許可したのだ。あきらめて神に背を向けてしまうか、それとも、神が共におられることを信じて解決を目指して取り組んでいくか。神はあなたが信仰の戦いを戦い、信仰の中で成長する機会を与えて下さっているのだ。(以上、ルターの説き明かし)』
「課題に正しく取り組む」というのは、人を傷つけない、奪わない、妬まない、真実を曲げない、不倫をしない等々、十戒にある神の意思、要約すれば、「神を全身全霊で愛し、隣人を自分を愛するが如く愛する」に沿って取り組むということです。