牧師の週報コラム

ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」6月29日の日課から)

キリスト教徒はじたばたしない、往生際が良いのだ(その3)。

『私の魂は主を待ち望みます。見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして。』 (詩篇1306節)

『キリスト信仰者の魂の状態はいかなるものかと問われれば、それは主を待ち望むことに尽きるということになる。それはまたキリスト信仰者の人生そのものである。この聖句でダビデが言い表しているのは、意識の全てを満たすような真剣かつ不断の待ち望みである。彼は我々に次のように教えたいのだ。「もし君が主を待ち望むことを始めたのなら、諦めてはならない。日が沈み夜が更けていこうとも、朝は再び来るのだから待ち望むことを諦めてはならない。洗礼を受けて霊的に新しくされた人は、主を待ち望むことが人生そのものになる。その人の外面的な部分に何が起ころうとも、内なる新しい人は待ち望みながらずっと続いていく。

待ち望むことができずに、神に対して助けの時と手段と数値を設定したがる人たちがいる。そういう人たちは、いかなる仕方で自分たちを助けなければならないかを神に提案するのだ。そして、その通りにならないと、彼らは絶望して道から外れ、助けを別のところに探し求める。そのような人たちは主を待ち望むことをしない。主の方こそ彼らを待ち望まなければならないと思っているのだ。主は彼らが定めたやり方ですぐ助けられなければならないという考えなのだ。

これとは逆に、主を待ち望む者は神の恵みの業を祈り求め、いつ、どのようにして、どこで、何を介して助てくれるかということを全て神の御心に自由な気持ちで委ねるのだ。彼らは神から助けが来ることを疑わない。助けに時間がかかっても、助けの形態を神に代わって決めることをせずに待ち望むのだ。これに対して、どのような仕方で助けてあげなければならないかを定める者には助けは来ない。神の御心に合致する時を待つことができないからだ。』

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