牧師の週報コラム 

どうしてキリスト信仰者はいつも喜んでいられるのか?

使徒パウロはキリスト信仰者に「いつも喜んでいなさい」と勧めます(第一テサロニケ516節、他にもフィリピや第二コリントなど多数)。 嫌なことがあっても、嫌なことの最中でこそ喜んでいなさいと言うのです。どうしてそんなことが出来るでしょうか?宗教改革のルターは喜んでいられるコツを次のように教えます。(フィンランドの聖書日課「神の子へのマンナ」1878年初版 528日の個所から)

「この御言葉から我々は、嫌なことに遭遇した時、イエス様を救い主と信じる信仰が本当に必要だということがわかる。信仰は嫌なこと忌まわしいことを全て軽いものにする。時には麗しいものにさえする。殉教者の生き方がまさにそうである。逆に信仰がないと、全てのことは煩わしい辛いものになってしまう。たとえ、全世界の歓楽と享楽を手にしていてもだ。そのことは、憐れな人生を送った金持ちたちの生き方が示している。

 次のようなことを言う者がいる。「それじゃ、嫌なことに遭遇した時、それは自分の愚かさや悪魔が引き起こしたのではなく神が引き起こしたと思えば、喜んでいられるのか?」と。何という言い草!信仰の欠如以外の何ものでもない。キリストは言われたではないか?鳩が地に落ちるのは神がそう決めた時であると。また、神は私たちの頭の髪の毛の数を一本残らず数えておられると。

 罪と愚かさが原因で嫌なことに遭遇することがあるが、あなたの罪と愚かさが関わっていなくても同じような嫌なことに遭遇することもあるのだ。その場合の嫌なことは神の御心に適っている。なぜなら、罪以外のものは全て神の御心に適うものだからだ。なので、もしあなたが、あなたの罪と無関係な嫌な課題を抱えてしまったのならば、それは、あなたが取り組むようにと神がお許しになったのだ。

 その時あなたの成すべきことはただ一つ、取り組みにおいて正しく立ち振る舞うことだ(※)。そして、課題の取り組みにおいて感じるであろう、なんで私がこんなことを、という反発ややるせなさは実は、あなたがまさに神の御心に適う課題に取り組んでいることの証しなのである。その取り組みの中には神が一緒におられることを忘れるな。神は悪魔があなたを試すことを許可したのだ。あなたが神に対して忠実でいて課題に取り組んでいくか、それとも放棄してしまうかを見定めるために。すなわち、神はあなたに信仰の戦いを戦う機会と信仰にあって成長する機会を与えて下さるのだ。

訳者注 「正しく立ち振る舞う」とは、十戒の掟に従って立ち振る舞うことです。

DSC_3767
新規の投稿
  • 2024年6月23日(日)聖霊降臨後第五主日 主日礼拝
    司式・説教 木村長政 名誉牧師(日本福音ルーテル教会) 聖書日課 ヨブ38:1~11(旧826)Ⅱコリント6:1~13(新331)マルコ4:35~41(新68) 説教題 「嵐を叱るイエス」 讃美歌 149、158、402、371 […もっと見る]
  • 歳時記
    黄色い百合・イエローウィン <1わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。2おとめたちのうちにわが愛する者のあるのは、いばらの中にゆりの花があるようだ。雅歌2章> […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム 
    キリスト教の「信条」(「信仰告白」)を学ぼう! 5月19日付け週報の牧師コラムにて(「スオミ教会は本物の教会ではない?」)、立派な会堂を持たない教会でも、立派な教会たりえるとしてルター派のアウグスブルグ信仰告白の第7条を根拠に掲げました。 […もっと見る]
  • 2024年6月16日(日)聖霊降臨後第四主日 主日礼拝  説教 吉村博明 牧師 
    本日の礼拝の動画配信は機器の不具合のため出来ませんでした。ご了承ください。 主日礼拝説教 2024年6月16日 聖霊降臨後第四主日 エゼキエル17章22ー24節、第二コリント5章6ー17節、マルコ4章26ー34節 […もっと見る]
  • 歳時記
    栗 <瓜食めば子等思ほゆ栗食めば況して偲ばゆいずくより来たりしものそ目交ひにもとな懸かりて安眠しなさぬ 山上憶良 万葉集 巻5-802 (子等を思ふ歌) > […もっと見る]