手芸クラブの報告

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6月の手芸クラブは25日に開催しました。梅雨に入ってもずっと蒸し暑い晴の天候が続いていましたが、この日の朝は久しぶりに朝が降りました。

今回の作品は前回に続いてかぎ針編みでスマホケースでしたが、ラリエットやコースターも作りました。バンド織りを希望する方はそれも出来ました。初めにモデルを見て自分の作りたい作品を選びます。お家で素敵なスマホケースを完成された方が作品を見せてくれました。みんな感心して同じように出来たらいいなと思いました。皆さんの編み物はおしゃべりをしながらどんどん進みます。バンド織りの方も一生懸命織って、Nauhaはあっという間に長くなりました。

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かぎ針編みやバンド織りに夢中になると目が疲れます。そこで一休みして他の方々が作られる作品を見てみました。「可愛い!」「きれいな色合いね」、「模様が素敵!」などなどいろいろな声が聞こえてきます。かぎ針編みやバンド織りはおしゃべりをしながら楽しく続けていくうちにどんどん出来てきます。秋はどんなものを作りましょうかというお話にもなりました。皆さんの心はもう秋の手芸クラブの作品に移っています。

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今回も時間はあっという間に過ぎてコーヒータイムになりました。フィンランド的なドーナツを味わいながら楽しい歓談の時を持ちました。その後で、キリスト教系の老人ホームで行われている「心の時間」や「天の神さまはいつも私たちの側にいて下さる」というお話がありました。

夏の間は手芸クラブはお休みになります。再開は9月24日の予定です。開催日が近づきましたらホームページに案内を載せます。どうぞ是非ご覧ください。天の神さまが皆さんの夏の生活をお守り下さいますように。

手芸クラブの話2025年6月25日

私の家の近くにキリスト教系の老人ホームがあります。そこで毎月「心の時間」という小礼拝が行われています。博明はそこで年に数回聖書のお話を担当しています。私もいつも一緒に参加します。入居者さんたちが一階のロビーに集まって礼拝の時を一緒に持ちます。小礼拝が終わってから入居者さんの方々と少しお話をすることが出来ます。一人の方は毎回参加されて紙で作った色とりどりのきれいな花を牧師に渡してくださいます。私も何度もその花を頂いただきました。花を作るには指先の器用さが必要なので、リハビリとしてもとても良い活動だと思います。

先日行われた「心の時間」に参加した時もこのお祖母さんは礼拝にいらっしゃって花を下さいました。そしてご自分のことを少し話してくださいました。「私は以前山形県に住んでそこでお茶の先生をしていました。山形県では有名なお茶の先生だったので、どこに行っても皆が私のことを知っていました。でも東京に引っ越してきたら誰も私のことを知りません。ここでは一人ぼっちの普通の人です。」とおっしゃいました。お祖母さんの話し声に少し孤独感を感じました。

特に「誰も私のことを知らない」という言葉は私の心に深く残りました。私にも似たような経験があります。学生時代に勉強のために実家から400キロくらい離れた町に引っ越したことを今でもよく覚えています。そこには親戚や友達は誰もいなかったので、とても寂しい思いをしました。皆さんもこのような経験をされたことがありますか。引っ越した時の寂しさや孤独感は自然なことだと思います。

ところで孤独感というのは周りに親戚や人達がいても感じることがあります。例えば、その人たちと関係があまり良くないとそうなります。このような孤独感についてメディアなどを通して耳にすることもあると思います。孤独感に陥らならないように私たちの生活の中で人間関係を築くことはとても大切だと思います。良い友達関係は生きる力にも繋がります。

私は孤独感を感じた時に天の神さまのことをいつも思い出しました。友達は近くにいなくても、神さまは私と共にその場におられると信じています。それを知っているだけで大きな力になります。その経験を通して天の神さまの関係を築き、それを保つことの大切さが分かりました。

神さまとはどのようにして関係を築くことが出来るでしょうか。それは聖書を読んだり、聖書のお話を聞いたり、神さまにお祈りすることを通してです。そうすることで神さまは本当に私たち

のことを全てよくご存じで、いつも私たちと共にいて下さることが分かって信じることができるようになるのです。使徒パウロも次のように教えています。「実際、神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。」使徒言行録17章27節

神さまは遠くに離れた存在ではなく、いつも私たちのそばにいて下さいます。私たちは決して完璧な人間ではなく、ときには神さまのみ心の反することもするでしょう。しかし、それでも神さまは私たしたちを見捨てることなく、私たちが神さまの元に立ち返るならば神さまは赦しを与えてくださり私たち一人一人と共にいて下さいます。なぜなら、神さまは私たちや世界の全ての人々を愛しておられるからです。その愛のゆえに、神さまはいつも私たちをご自分の元に招いておられます。

天の神さまの御前では私たち一人一人は等しく大切な存在です。社会的な地位や名声に関係なく全ての人は神さまの御前で平等なのです。それで天の神さまの救いのご計画は全ての人々に向けられています。新約聖書の「テトスへの手紙」には次のように書かれています。「実に、全ての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」テストへの手紙2章11節。

私たちは少し寂しい時があっても天の神さまがそばにいて下さることをいつも覚えて行きましょう。

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