牧師の週報コラム

なんで英語じゃないとダメなんですか?

スオミ教会が中野にあった時のこと。キリスト教会の礼拝に初めて参加したという青年がコーヒータイムの時に私に聞いた。 「先生、僕は聖書を原語で読みたいんです。教えて頂けますか?」 立派な志しだと感心し、「それじゃ、ギリシャ語から始めようか。それともヘブライ語?アラム語もあるけどヘブライ語を先にやった方がいいよ。」 すると青年は当惑した表情で「いえ…、英語でです。」 これには私も仰天。聖書は新約はギリシャ語が原語、旧約はヘブライ語(一部アラム語)ですと説明しなければならなかった。青年は二度と教会に姿を現さなかった。

キリスト教はアメリカの宗教…。そういえば、オペラの「蝶々夫人」。米海軍士官との結婚を機に蝶々さんはキリスト教に改宗して一族から勘当。一時帰国の筈の夫はなかなか戻らず。一人残った家政婦のスズキさんが主人の帰国を一生懸命に神仏に祈っていると、そんなものに祈っても意味はないと嘲笑する蝶々さん。「私にはアメリカの神がついている」と。そして悲劇的な結末…。

これも中野時代のこと。ある教団の牧師(アメリカ帰り)がスオミ教会の礼拝で説教をした時、「皆さん、イエス様は皆さんのことを愛して下さっているんですよ!アイ・ラブ・ユーっておっしゃっているんですよ!」と。私は思わずのけぞってしまった。イエス・キリストが「アイ・ラブ・ユー」だって?!彼は何度かスオミで説教したが、よく口から出てきたので、自分の教会の礼拝でも常套文句なのだろう。きっと信徒さんたちもうっとりして聴いているのだろう。そう言えば、日本では多くのキリスト教会の案内や出版物もカタカナ英語がよく目につくと思う。

そういうお前はどうなんだ、フィンランド帰りをちらつかせて、フィンランド語で何か言っているじゃないか、と言われるかもしれない。しかし、私の場合は、ジーザス・ラブズ・ユーとは違う。説教の準備の終わりの段階でいつも聖書の個所が日本語訳ではどう言われているかを確認する。原語はそう言っていないのでは?この日本語訳いいのかな?ということに時々出くわす。それで、フィンランド語ではスウェーデン語ではドイツ語では、そして英語ではどう言っているか、と自分の訳に応援を求めているだけである。私の経験では(正確に統計を取ったわけではないが)、日本語と英語の訳が一致して、その他3つが別の訳で一致するということがよくあると思う(ただし、英語訳はNIVについてのみ。ドイツ語訳も共同訳とルター訳があるのでさらなる違いもある)。

日本の政治家は日米同盟のことを共通の価値観で結ばれた世界最強の同盟と誇りにするが、聖書の訳や理解でも同じようなことがあるのだろうか。

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