牧師の週報コラム 

 自分は「聖霊の結ぶ実」(※)をなかなか結べない、キリスト信仰者として失格だと意気消沈している方は、以下のルターの教えをどうぞ。 この教えはまた、自分はいい加減な信仰者と自称し、どうせ神は気前よく寛大だから別にいいのさと、神の愛と恵みを悪用している方も是非どうぞ。(※ガラテア5章22節にてパウロは「聖霊の結ぶ実」として、愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制をあげている。)

『キリスト信仰者に十戒の掟を守って柔和で清い者になれと命じて、信仰者に聖霊の結ぶ実を要求する人がいる。しかし、それでは、そういう実を完全に結べる者がキリスト信仰者であると主張することになり、それは誤った裁きを下すことになる。そのような主張をする者は、キリストが本当におられる所にいないと錯覚しているのである。そのような主張者に何が欠けているのか考えてみよう。その者は、キリストの国がどのような国であるか全くわかっていない。その者は次のように言うのが常だ。柔和なキリスト信仰者は決して怒ったりはしないし、忍耐強くなければならない、なぜなら、そのような実が実っていなければ決してキリスト信仰者とは言えないからだ、と。

聖書のどこにそんなことが言われているのか指し示してみよ。キリストの国がどのような国か正しく知っている者は、キリスト信仰者が時として忍耐に欠けるのを目にしても目くじらを立てない。なぜなら、聖霊の結ぶ実は律法として与えられているのではないと知っているからだ。もし聖霊の結ぶ実が律法ならば、キリスト信仰者に実が完全なものとして現われてこなければキリストが否定されてしまうことになる。そういうことではない。聖霊の結ぶ実は次のように理解すべきだ。キリスト信仰者が柔和で忍耐強いというのは、それを目指していくということなのだ。肝心なのは、実を結ぶことが始まったということであり、成長していくということだ。成長していく際にキリスト信仰者が時として悪い思いに囚われることもあろう。結ぶ実が聖霊の望むものとは反対のこともあろう。キリスト信仰者は柔和でなければならないとよく言われるが、だからと言って、我々は既にそのような者であると言うことは出来ない。そうではなくて、我々はそのような者になる過程にあるのだ。(了)』

その「過程」とは、礼拝を中心にする信仰生活であることをお忘れなく。

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