1月22日 スオミ教会・フィンランド家庭料理クラブの報告

今年最初のスオミ教会・家庭料理クラブは1月22日に開催されました。今回はフィンランドの伝統的なカルヤラン・ピーラッカを作りました。

料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。最初に作るのはピーラッカの生地。生地は材料を混ぜるだけで出来上がりです。生地をピーラッカの分量に分けて一個一個を綿棒で薄く伸ばします。その次は丸くて薄い生地の上にお米のお粥をのせます。お粥を平らに広げて周りのピーラッカの皮を人差し指で閉めていくとピーラッカの形になっていきます。きれいな形のピーラッカを作るのは簡単ではありませんが、皆さんとても上手でした。ピーラッカを鉄板に並べてオーブンに入れて焼ます。焼いている間に玉子バターを準備します。焼き上がったピーラッカに溶かしたバターを塗ってピーラッカは出来上がりです。

参加者の皆さんのお皿の上に玉子バターとサーモンをきれいに盛りつけてピーラッカを美味しく頂きました。最後にカルヤラン・ピーラッカと旧約聖書のエレミヤ書の陶工のお話を聞きました。

今年最初の料理クラブはコロナ感染拡大の中、いろいろ注意をしながら開催しました。無事に開催できたことを感謝しています。今後の料理クラブは感染状況がもう少し良くなったら開催した方が良いのではと考えているところです。決まりましたら、教会のホームページに’案内をのせますのでご覧ください。

それでは、皆さん注意してお過ごし下さい。

2022年1月22日カルヤラン・ピーラッカ

カルヤラン・ピーラッカは、フィンランドの東にあるカルヤラという地方から始まった食べ物です。第二次大戦でカルヤラ地方の一部はソ連に取られたので、そこに住んでいた人々は自分の故郷を去らなければならなくなり、フィンランドの各地に移住しました。それで、カルヤラン・ピーラッカはカルヤラの人々を通してフィンランド全国に広がりました。フィンランド人は最初、カルヤラン・ピーラッカをそれほど美味しいとは思いませんでした。というのは、彼らはパンとおかゆは別々に食べるものと考えていたので、カルヤラン・ピーラッカのように二つを一緒にした食べ物には馴染みがなかったからです。それでも、フィンランド人もだんだん食べるようになって、いつの間にか全国に広がって行きました。そして、かつてはカルヤラ地方の伝統的な食べ物だったカルヤラン・ピーラッカは、今ではフィンランド全国にとっても伝統的な食べ物になったと言える位、とても一般的な食べ物になりました。カルヤラン・ピーラッカは、普段の日にも、お祝いの時にも出されます。また、フィンランドのどの食料品店でもカフェでも買うことができます。

昔は、カルヤラン・ピーラッカは店で買うものではなく、家で作るものでした。家によっては、作る曜日も決まっていました。その日には、薪であたためた大きなオーブンで沢山作りました。薪であたためるオーブンはとても熱くなるので、カルヤラン・ピーラッカは早く焼けて美味しいものが出来ました。

カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、普通の家庭料理で使われるものばかりです。パンを作る時に使うライ麦粉で皮を作ります。皮の中にいれるのは米のお粥ですが、フィンランドでは昔から、お米はお粥にして食べていました。こうして、カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、戦争の後、食糧が不足していた時でもほとんどの家にありました。このように特別な材料ではなく、どの家にもある材料で美味しい新しい食べ物が作られるようになったのです。

私の実家はフィンランドの西の地方にありますが、母はカルヤラン・ピーラッカが好きでよく作りました。母は子供たちにピーラッカの作り方を教えましたが、なかなか思うように作れませんでした。しかし諦めないでひとつ作って、もしかしたら次のものはもっときれいに出来ると思って沢山練習しました。

カルヤラン・ピーラッカを作る技能は世代から世代へ伝わって行きます。普通はお祖母さんやお母さんから子どもに伝わっていきますが、今は家でピーラッカを作る人は少なくなったので、ピーラッカを作るコースが開かれて、そこで作り方が教えられます。

カルヤラン・ピーラッカを作るときの難しいことは、皮になる生地を伸ばすことと、中身の回りに皮をしめていくことです。カルヤラ地方出身の人たちは、カルヤラン・ピーラッカを作るのがとても上手です。フィンランドでは、毎年夏になるといろいろなお祭りやイベントが開催されますが、カルヤラン・ピーラッカを上手に作る競争もあります。そこでは、誰が一番早く、形がきれいなカルヤラン・ピーラッカを作れるかが競われます。いつもカルヤラ地方出身の人が優勝します。カルヤラ地方の人たちにとって、きれいな形のピーラッカが出来るのは当たりまえのことなのです。他の地方のフィンランド人はなかなか同じように作れませんが、練習すれば上手になります。

私は、カルヤラン・ピーラッカをきれいな形に作ることに関係して、ある旧約聖書の話を思い出しました。それはエレミヤ章18章の初めにある出来事です。「主からエレミヤに臨んだ言葉。『立って、陶工の家に下っていけ。そこで私の言葉をあなたに聞かせよう。』私は陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入れなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。」エレミヤ書18章1-4節です。Donnie Nunley Potter's Hands

この場面で、神様は預言者エレミヤに陶工の家に行くように命じて、そこで器を作る陶工の働きを見せます。エレミヤは陶工の働きで神様が教えようとしていること、陶工は神様を、粘土は人間を意味していると分かりました。

この場面は私たちにどんなことを語っているでしょうか?私たち一人一人は天と地と人間を造られた神様の御手で造られました。神様は私たち一人一人に命と人生を与えてくださいました。神様は陶工が器を作るように私たち人間一人一人をお造りになるのです。エレミヤ書にある陶工は粘土をろくろで回しながら、だんだん器の形にしていきます。粘土が器の形になって静かになると陶工はホッとします。ところがどうでしょうか。先ほど読んだエレミヤ書にはこう書かれていました。「陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入れなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。」と書いてあります。器は陶工の思うようなものにならなかったので、粘土をもう一度ロールして器の形を新しく作り変えたのです。

神様は私たちに同じことをなさいます。神様は私たちを新しい素晴らしいものに作り変えて下さるのです。もし、神様の作り変えが私たちの望むようなものでなければ、私たちは不満や疑問が起きてくるかもしれません。しかし、神様はひとり子のイエス様を私たちに贈られたくらいに私たちのことを愛して下さった方です。そのことがわかれば、神様が私たちに良いことを考えて下さっていると信頼して、神様が導いて下さる道を進んで行けます。神様が導いてくださる道では喜びだけでなく、悩みや悲しみに出会うかもしれません。しかし、神様を信頼して行けば、私たちは後で振り返ってみて神様の素晴らしい働きと導きがあったと知ることが出来るのです。その時、悩みと悲しみを超える喜びがあります。その時私たちの心は神様に対して感謝で満たされます。その時私たちは新しい器に作り変えられていることに気づくのです。皆さん、陶工である神様の御手に全てのことを委ねましょう。「しかし主よ、あなたは我らの父。私は粘土、あなたは陶工、私たちは皆、あなたの御手の業。」イザヤ64章7節です。

新規の投稿