5/23 家庭料理クラブのご報告

紫陽花の花も色づき始めた季節、家庭料理クラブは、「ミートバイ」を作りました。

最初にお祈りをして、始まります。

ミートパイは、フィンランドで人気のある家庭料理で、身近な材料で手軽に作れる一品で、お祝いのテーブルにも登場します。

ヨーグルトを使った生地を作り、休ませている間に、中身の具材を調理して、パイ皿に敷き込み、チーズを散らして焼き上げました。

試食タイムのおしゃべりは、コロナ禍のため無しですが、美味しく完食した後に、パイヴィ先生から、フィンランドの春のお祝いのエピソードやお料理のお話、そして聖書のお話を聞かせて頂きました。

参加の皆様、最後まで後片付け頂き、ありがとうございました。
次回の開催は、秋を予定しています。

 

2021年5月22日料理クラブのお話

今日皆さんと一緒に作ったミートパイはフィンランドでお祝いの時に出されるパイの一つです。フィンランドではいろんな種類のパイがあり、ハムパイ、キノコパイ、エビパイ、野菜パイなどを作ります。パイの名前は生地の上にのせるものに合わせて付けられます。ミートパイは多くの家庭では一番人気のあるもので伝統的なパイです。パイの上に好きなものをのせて大丈夫ですので、最近はどんどん新しいパイが出てきます。今日作ったパイの生地に少しヨーグルトを入れるので、少し酸味が出て普通のパイ生地と少し違います。パイは作ってから冷凍しても大丈夫ですので、前をもって作ってパーティーやお祝いの時に出すことができます。

春と夏はフィンランドではお祝いの季節です。フィンランドではお祝いのパーティーはよく自宅で行いますので、家庭では準備が様々です。春と夏のお祝いには、結婚式、婚約式、卒業式、堅信礼などがあります。フィンランドでは学校は六月の始めに終わって夏休みに入ります。高校の卒業式は大きなお祝いで、卒業生のいる家族は親せきや近所の人たちを家に招待して、大きなパーティを開きます。もう一つ夏の大きなお祝いは、教会の堅信礼のお祝いです。フィンランドでは子供たちは15歳になると教会の堅信礼の教育を受けます。10日間から2週間くらい教会の研修所で合宿して、自然の中で聖書やキリスト教の教えについて学びます。"IMG_30069_artsy2" by Zds_ is licensed under CC BY-NC-ND 2.0 合宿が終わると教会の礼拝で堅信礼の儀式があります。その後でそれぞれの家で大勢の親せきを招待する大きなパーティーが開かれます。このようにフィンランドでは、堅信礼と高校の卒業式は若者にとって人生の大きな節目になるので大きなお祝いをします。そのためにお母さんたちは一生懸命ごちそうを作ります。パーティー食には甘いお菓子、クッキーやケーキなど、食事は軽食のものでサンドイッチ、パイなどです。種類の多い色どりの食卓でパーティーの雰囲気を高まります。

もちろんパーティーの中心は食卓ではなくて祝いの主人公で、卒業生や若者などです。お客さんたちはお祝いの家に入って主人公に「おめでとう」との挨拶を言って主人公は大喜びします。パーティーの雰囲気は明るくて主人公もお客さんも皆幸せと喜びの気持ちで一杯です。

パーティーの雰囲気は日常生活に良い変化を与えます。しかし幸せと喜びはお祝いのパーティーの時だけのことでしょうか。幸せは日常生活の中では感じることは出来ないでしょか。人間は生活の中で幸せを望みますが、それは瞬間的な気持ちではなくて深くて長く続いている状態です。人間の人生の目標は幸せとも言われています。皆さんにとって幸せはどこから生まれるでしょうか。幸せな人はどんな人でしょうか。幸せな人はお金持ちで大きな家に住んで自動車を何台も家の駐車場に駐車している人でしょうか。職場の高い地位の人でしょうか。権力がある人でしょうか。

フィンランドの雑誌には幸せにについて書いてある記事がよくあります。記事には人間はどんな人が幸せで、人間はどうすれば幸せになるなどが書いてあります。ある記事によると幸せな人は例えば自由を感じる、自分自身の強さを知っている、健康な人です。その記事には幸せはどのように自分自身の中から見つけることができるのかなど書いてありました。確かに幸せは生活の中でいろんなことを通して感じることができます。聖書にも幸せにについて書いてあります。旧約聖書の詩編に書いてあることです。「神様のそばにいることは私の幸せです。神様は私の避難場所。私は神様の御業を全て語り伝えます。」詩編73章28編。「神様のそばにいることは私の幸せです」これは天と地と人を作られた神様と共に生きることの意味します。それは一回幸せを感じることではなく、ずっと続いていく幸せです。神様と共に生きることが人生の土台になって生活の中にいろんなことがあってもその土台は変わりません。私たちはどのようにして神様の近くで生きることができるでしょうか。私たちは聖書を読んで、天の神様にお祈りして、神様は祈りを聞いてくださることを信じれば神様の近くにいることができます。天の神様と共に生きるのは幸せの源です。生活の中に不幸があっても神様はともにいてくださいます。不幸は神様が私たちを見捨たということではありません。このような時でも神様は共にいてくださいます。

フィンランドの一つの聖歌で幸せについて歌っているものがあります。息子が小さい時にこの聖歌が大好きでした。それを紹介したく思います。「ボクは幸せさ、ボクは幸せさ。ボクの幸せはイエス様のところにある。イエス様はボクのすべての罪を十字架に運んで取りのそいでくださった、それでボクは幸せさ。」(フィンランド語で

私たちが天の神様の近くにいることができるのは神様の一人子イエス様のおかけです。私たち人間は様々な悪いこと、聖歌に歌われているように罪を持っています。このために私たちは神様から離れるようになります。しかし天の神様には良いご計画がありました。それは人間を救って神様の元に戻れる計画でした。そのご計画は、神様の一人子イエス様が私たちの悪いことを全部十字架の上に背負って十字架で死なられたことでした。しかし、それで全てが終わったのではありませんでした。イエス様は三日後神様の力で復活されて、神様の元に行かれました。私たちはイエス様がなさったことを全て信じて受け入れるとそれが私たちの幸せの源になります。この幸せは私たちが今生きているこの世だけではなく、この世の次の世、神様のもとにある素晴らしいお祝いの幸せになります。今私たちが生活している毎日の中で「神様のそばにいることは私の幸せです」ということを覚えてそれが私たちの幸せの源になりますように。

フィンランドではお祝いの後でよく言われる言葉に次のよなものがあります。「とても喜ばしいお祝いでした。もっと喜ばしいお祝いが後にあります。そちらのお祝いの幸せは永遠にあります。」お祝いに参加したらこのことも覚えておきましょう。

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