今年はSLEY日本伝道120周年記念の年

今年コロナ禍のために開催できなくて残念だったものは何?と聞かれたら、大抵の人は東京オリンピックと答えるのではないでしょうか? 実は今年はSLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)が日本伝道を開始してから120年目の年でした。 5月後半の主日に午前中は自由参加の記念礼拝と祝会、午後は招待者を中心とする祝会を開催することを計画していました。計画を立て始めてまもない2月に断念を決めました。来年は開催できるでしょうか?

SLEYの最初の宣教師が日本の土を踏んだのは1900年のことでした。フィンランドが独立する17年前のことです。ヴェルロース牧師一家と17歳のクルヴィネン嬢の一行が長崎に上陸しました。

そこで伝道開始するも、牧師一家の末娘が病死してしまい失意の一家は帰国。一人取り残されたクルヴィネン嬢は米国の宣教団と行動を共にします。まもなくしてフィンランドから新たな宣教師の派遣があり、SLEYとしての伝道を再開。ところが日露戦争が始まり、当時フィンランドはロシア帝国の一部だったため敵国民扱いを受けてしまい、都市部での伝道はやめて長野県の飯田や諏訪の地域に移動。やがてそこで信徒が増え始めて教会が建てられます。日露戦後は再び東京で活動を開始、池袋や大岡山に教会が建てられます。その他に北海道の札幌にも建てられました。

第二次大戦中は8人の宣教師が帰国の機会を逸して日本に留まりました。フィンランドは日本にとって「敵の敵は味方」のような立場でしたが、天皇絶対主義の日本ではキリスト教はとても肩身の狭い思いをしました。戦争末期にはSLEY宣教師たちは軽井沢に強制疎開させられ、軟禁状態に置かれて孤立化と食糧難に苦しみました。

戦後すぐの1948年に伝道活動が再開されます。SLEYは当初、自分たちが設立した教会から成る独自のルター派教団を結成するつもりでした。ところが、新しく設立された「日本福音ルーテル教会」への対応をめぐり意見が真っ二つに分かれます。最終的にはこの日本のルター派教団に合流することが決められ、自分たちが設立した教会や付属幼稚園は全部、日本福音ルーテル教会に譲渡されて今日に至っています。今でこそ日本フィンランド間の交流は公的私的レベルにおいて広く深いものになりましたが、かつてフィンランドのルター派国教会の一ミッション団体が両国間交流の中心的存在であったことを今日誰が思い起こすでしょうか?

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