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お花畑
<「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6〜8) >
山に行くと高山植物などの群生しているところを度々目にします、こういう所をお花畑と呼んでいます、概してこういうお花畑の花は1,2種類の花に限られています花の数は多いいけれども種類は少ないですね。此処に挙げた草原は標高2000mの通称「草月平」と呼ばれているところです。若いころ7回ほど登った飯豊連峰の一角で私が一番好きな場所でした。春、夏、秋の高山植物が一斉に咲いて高山植物の花園と思っていました、山の上でこのような花々を見た後に下界の花屋で見る花の何と貧相なことよ、と思っています。山で見る花はどの花も人に媚びることなく堂々して清楚で可憐であります。飯豊連峰は新潟、山形、福島の3県にまたがる大きな山地で夏でも至る所に残雪が豊富で一旦稜線に出ると標高差の少ない山道を漫歩出来ます。また行きたいと思っていますが齢85歳では叶わぬ願いでしょう。
宿場町のマリア地蔵
以前、中山道、奈良井宿の街角の聖書の言葉について述べましたが今回は「マリア地蔵」と呼ばれているお地蔵さんについてです。江戸時代に作られ隠れキリシタンたちが拝んでいた地蔵です、明治時代の廃仏毀釈で膝も頭部も破壊されて僅かに胸に十字架を手にした幼子イエスを抱いた姿だけが残されています。人は祈ったり、拝んだりする時に何か対象となる物、例えば像、絵画などの依り代を必要としているようです。私たちのキリスト教ではそのような偶像や依り代などを神は固く禁じました,確か釈迦も像を嫌いましたね、偶像崇拝は本来の信仰の妨げになります。日本にキリスト教を宣べ伝えた宣教師たちは十戒の第二戒についてどのように伝えたのか興味がありました。
ラインの滝
スオミ教会にも度々お見えになるK・HさんがFBに「ラインの滝」と言う碑を投稿されました。その碑に興味があったので少し調べてみました。ライン川にラインの滝と言う名所があり、そこにこの碑があるそうです。
冒頭に詩編の最終章、150:6を詠っています、碑の内容を翻訳アプリでざっくり訳すと次のようになりました。
すべて、主を賛美せよ ハレルヤ! 詩篇150/6
私たちの国とその栄光、
その山々、その平野は
あなたの力の証しです、
あなたの父なる慈しみの現れです、
私たちの中にあるすべてが礼拝します;
あなたは私たちに大いなることを成し遂げられました。
ハンス・カール・ヴァルター・フォン・グレイエルツ(フランスではシャルル・ド・グリュイエール)
この作詞者のグリュイエ―ルと言う人をWik.で調べてみましたらスイスの改革派牧師、讃美歌作詞家とありました。代表的な讃美歌にGroßer Gott, wir loben dich (大いなる神よ、われらはあなたを讃えます )があります。この讃美歌は後にドイツからの移民でアメリカに渡ったプロテスタンによって英語版の「聖なる神よ、われらは汝の御名を讃えます」として歌い継がれています。何時、何処かは覚えていませんが聞いたことのある讃美歌なので日本では如何かと捜してみましたら、カトリックの聖歌12番にありました。ドイツ語、日本語のバージョンでご紹介します。(英語版は容量大き過ぎて載せられませんでした)
(ここにあった動画は著作権に問題があり削除しました。)
夏の雲
<もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。 詩編19:1>
過日の夕方、東の空に大きな入道雲が立ち上がっていました、雲の下は恐らく千葉か茨木のあたりでしょうか。あまりの巨大さに暫く見とれていました、あの雲の中ではいったいどんな音がしているのだろうと難聴の耳を傍立ててみましたが全く何も聞こえませんでした。その日の夜のニュースで矢張り、茨木、千葉方面で激しい雷雨があったと告げていました。
(夕立の雲もとまらぬ夏の日の かたぶく山にひぐらしの声 式子内親王)
ヘ長調は緑色
シベリウスの家はアイノラの家として有名ですが、この家を建てる時、彼は建築家に二つだけ注文をしました、「書斎からトゥースラ湖が見渡せること、そして暖炉が緑色であること。・・・作曲家にとって緑色はヘ長調なのだ。」ヘ長調を色で表すと、黄緑色や薄い緑色といった自然を連想させる色がイメージされることが多いい、と言われています。牧歌的な長閑な田園のイメージなのでしょうか。モーツァルトの「ピアノ協奏曲21番」や、ベートーヴェンの「田園」などが有名です。教会讃美歌の「やすかれ わがこころよ・・・」もシベリウスの交響詩「フインランディア」からのメロディーを用いていますね。フインランディアの冒頭も矢張り、ヘ長調で始まり途中で変イ長調の変わり最後にまたヘ長調に戻るそうです。確かに聴いているとフインランドの森と湖のどことなく牧歌的な風景をイメージを感じさせられます。昔、LP盤のフインランディアを持っていて何度も繰り返して聞いていました。生憎、当時のLP盤はプレイヤーを処分した時に一緒に処分してしました。男性コーラスの重厚なコーラスが忘れられません。
街角の聖句(続き)
木曽谷の外れに奈良井宿という宿場町があります。何故か此処には三度ほど訪れました。此処にはマリア観音と言う隠れキリシタンが密かに拝んでいた地蔵があります。 こんな奥深い山間の宿場町にもキリスト教が入って来ていたことに驚きましたが更に町を歩いていたらとある家の壁に大きな緑板があり訝って見てみると,なんと聖句が書き込まれていました。特に教会の名前もなくクリスチャン個人の辻説法のようでもありました。良く見ると実に一字々丁寧に書かれています、字はその人の人柄を現わすそうで、これを書いた人もこの大きな緑板に向かって真剣に書いた事でしょう。改めてこうやって意外な所で聖句を見るのも新鮮な気持ちにしてくれました。
街角の聖句
私の住む団地の一角に保育園があり、そこのフェンスに一枚のマルコ福音書12章31節の聖句を書いた看板が掲げられています。何故その前の29節の第一の教えが無いのか不思議に思っていましたが、29節には神を敬えとあります。保育園は厚生省の管轄なので宗教的な教育はご法度でした。幼稚園ならば文部省の管轄なので信仰の自由が保証されていますから当然29節も堂々と掲げたでしょう。保育園側の苦心の作だったのですね。ところで、保育園の先生は幼い子供たちに「愛する」とはどのように教えていたかに興味がりました。中世、ポルトガルから来た宣教師たちはキリスト教の「愛する」を「御大切に」と教えていました。保育園の先生は幼い子供たちに「愛する」を教えるためにポルトガルの宣教師のような難しさを感じた事と思います。それと日本古来の「相手を愛おしい」「可愛い」「守りたい」などの言葉もあわせて園児たちに教えていたと想像しますが、どうでしょうか。
参考:『「どちりなきりしたん」というキリスト教の教理書には、「一には、ただ御一体のでうすを万事にこえて、御大切に敬ひ奉るべし。二には、我身のごとく、ぽろしも(隣人)を思へという事是なり」と神への愛と同時に隣人への愛も説く。 』
Jeesuksesta laulan
先週(3月30日)の礼拝でHavukainenご夫妻の音楽伝道の際、最後に歌っていただいた”Jeesuksesta laulan(私はイエスについて歌います)”が素晴らしかったです。
1. Jeesuksesta laulan, Jeesuksesta vaan, jolta syyni suuret anteeks sain ja saan, jolta syyni suuret anteeks sain ja saan.
2. Hän mun syyni suuret poisti verellään, otti synnin orjan armoon, elämään, otti synnin orjan armoon, elämään.
3. Katkoi verkot valheen, kahleet kuoleman, vangin vapautti, laps oon Jumalan, vangin vapautti, laps oon Jumalan.
4. Lapsi oma Herran, taivaan kuninkaan, kruunun perin kerran, valtakunnan saan, kruunun perin kerran, valtakunnan saan.
5. Pääsen asukkaaksi kultakaupunkiin, viedään vierahaksi häihin iäisiin, viedään vierahaksi häihin iäisiin.
小島の夢
<『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。 使徒言行録2:17>
年の瀬を迎えて限界集落一歩手前の団地の小さな商店街もそれなりに賑やかになって来ました、そんな巷の喧騒に背をむけて散歩コースの谷戸池にやって来ました。池畔には幾本かの朽ちた杭が並んでいます。その中の私の好みの杭の先に名も知らぬ矮木が宿り根を張りました、やがて程よく成長して小島の主のよう大木になりました。私の夢はあの木の下に小さな庵を結び終日読書三昧に明け暮れし飽きたら窓から釣り竿をのばし釣れるか否か気にもせずそれにも飽きたらひっくり返って昼寝に・・・池畔の朽ちた棒杭を眺めながら思うのです。
新聞のコラムにアランというフランスの哲学者(本名エミール=オーギュスト・シャルティエ)の次の一文が掲載され目を引きました(朝日10月24日「折々のことば」)。
「礼拝の規則は、さまざまな動きに規律を与えて、あらゆる情念、あらゆる情動を鎮めるものだ。」
私たちルター派教会の礼拝は、ご存じの通り定められた礼拝式文に従って執行されます。教派によっては、形式に取らわられずに自由な形で行っているところもあります。恐らく若者はそういうやり方がしっくり行くのかもしれません。それででしょうか、ルター派に限らず伝統的な教派は若者があまり集まらず高齢化が進んでいるように思われます。
不思議なことにフィンランドでは、もちろん国教会の普通の主日礼拝はどこも閑散としていて高齢者が目立ちますが、SLEYの礼拝は国教会の式文に従うにもかかわらず、またそのメッセージも国民の多数派から呆れかえられる位に保守的なのにどこも満員御礼で若者や子供連れの若い家族で一杯になります(コロナ禍の今は少ないですが)。どうしてでしょうか?
SNS旺盛時代の今、あらゆる情念やあらゆる情動が野放し大放出になっています。そうした中、心のさまざまな動きに規律を与える礼拝は魂を鎮めて安らぎと落ち着きを与える意味があると思います。
SLEYの礼拝に、「喜びのミサRiemumessu」という音楽をふんだんに使った聖餐式礼拝があります。奏楽はゴスペル・ロックバンド、司式の言葉は全てポップ調のメロディーで歌いますが、式の内容は罪の告白、赦し、聖書日課、説教、信仰告白、教会の祈り、奉献、聖餐式、祝福と伝統的な式文そのままです。SLEYの夏の全国大会の土曜日夕方の野外礼拝で7,000~8,000人位に聖餐を授ける礼拝の時にいつも用いられます。翌日日曜日の聖餐式礼拝は通常の形で行いますが人数は変わりません。