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爽やかな五月晴れの土曜の午後、家庭料理クラブは、フィンランドのドーナッツ[Munkit]を作りました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は、幼稚園児と小学生の参加もあり、可愛い歓声の聞こえる、楽しい会になりました。
グループに別れての生地は、フィンランド式に、優しく捏ねていくうちに完成し、作業はテンポ良く進みます。
発酵中の可愛い生地達は、ドーナッツの形に成型され、オイルの中で、きつね色に膨らみ、お砂糖にまぶされて完成です。
パイビ先生の用意して下さった、Simaと一緒に、バップの季節の、森のハイキングや楽しかった思い出も聞かせて頂きました。
また、聖書のお話も分かりやすく、詩編23編は心に深く響きました。
参加の皆様、最後まで後片付け下さって、ありがとうございました。
料理クラブは、6月から夏休みで、次は9月になります。
料理クラブの話「ムンッキ」5月14日
今日作ったドーナツはフィンランド語でムンキと言います。パンの生地で作るムンキはフィンランドでは伝統的なお菓子で、5月1日に多くの家庭で作られます。この他にレモンを発酵させて作る甘酸っぱいレモナードも作ります。フィンランド語でシマと言います。これをムンキと一緒に味わいます。5月1日のことをフィンランド語でヴァップと言います。ヴァップはフィンランドでは休みの日で、春の大きなお祝いの日です。メーデーとして労働者たちの日でもあるし、また高校を卒業する人たちのお祝いの日でもあります。フィンランドでは高校を卒業すると白い帽子を贈られるので、ヴァップの日には町には白い帽子をかぶって歩く人が沢山見られます。
ヴァップの日にはいろいろな過ごし方があります。若者たちや町に住んでいる人たちは、バザーや遊園地などに出かけます。町はにぎやかな雰囲気で、音楽やスピーチがあちこちから聞こえ、子供たちは風船や笛などを持って歩いています。しかし町に行かない人もいます。例えば別荘を持っている人たちはそこに行って、秋まで休日はほとんど毎週別荘で過ごすようになります。
田舎でヴァップをどのように過ごすかと言うと、普通に農業の仕事をしたり、家の庭の掃除をしたりする人が多く、あまり普通の日とかわりありません。田舎の家庭でもムンキとシマを作って味わいます。
私は田舎で育ったので、町のヴァップの過ごし方は好きではありません。子供のころ、5月1日は父が畑を耕したり種を蒔いたりして、親にとってヴァップの時期は農家の仕事が一番忙しい時でした。私は兄弟姉妹たちと一緒に毎年家の近くの森にハイキングに行って、食料品も持って行ってご飯を作ったりして、一日中森の中で過ごしました。ヴァップの日が近づくと、私たちは前もって良い場所を探しに行って、落ちた葉っぱなどは箒ではいて場所をきれいに掃除しました。ヴァップの日の朝早く荷物をまとめて、皆で森に行きました。森の中でする一つ大きなことはたき火でした。子供たちがたき火をするのは危ないことかもしれません。森の火事の危険があるからです。それで、たき火をする時はいつも父と母が見に来ました。またフィンランドはいつも5月の初めはまだ地面はぬれているので、たき火をしても大丈夫でした。よく燃える木を探したり燃やしたりするのは大変な仕事でした。たき火がついたら、ジャガイモを茹でたり、ソーゼージを焼いたりして、またコーヒーもわかしました。森の中で食べたごはんやおやつは家の中で食べるよりもっと美味しく感じられました。もちろん、そこでムンキとシマも味わいました。
ご飯を作ったり食べることのほかにハイキングで楽しかったことは、木に登ったり、小川で遊ぶことでした。家に帰ると、服は煙の臭いがして土が付いて汚くなったので、時々母に怒られました。でも子供たちには楽しい思い出になったのです。フィンランドにいる兄弟姉妹たちは今も5月1日に自分たちの家族と一緒に実家に行って皆で同じ森にハイキングに行きます。仕事を引退した父も一緒に行けるので、彼は孫たちにたき火の付け方を教えます。
春にハイキングに行ったり、自然の中を散歩しながら新しい緑やきれいな花を見ると、私はいつも旧約聖書の詩編23篇を思い出します。それは、聖書を読む人ならだれでも知っていると言えるくらい有名な箇所です。私はこの箇所を読むと、神様の人間に対する愛が現れてくるので、いつも安心と感謝の気持ちで一杯になります。
この詩篇は、「主は羊飼い、私には何も欠けることがない」という文で始まります。「羊飼い」とは天と地と人間を造られた神様のこと、「羊」は私たち人間を意味します。今の時代に羊飼いの仕事をしている人はあまりいませんが、かつて羊飼いは普通の仕事でした。羊は弱くて、野生動物に簡単に捕まえられて食べられてしまいます。そのために羊飼いは羊を守って、野生動物に捕まらないように導いていきます。
羊飼いが羊を守りながら導くように、神様が私たちを守って導いてくださいます。もし人間を造られた神様が私たちの羊飼いならば、神様は信頼して大丈夫な方です。神様の導きのうちに生活する時には大きな安心があります。それでは、神様はどのように私たちを導いてくださるのでしょうか?
この詩篇には「主はみ名にふさわしく、正しい道に導かれる」と書いてあります。神様は私たちの全てのことをご存じで、いつも歩むべき道を示してくださいます。神様は私たちを愛して下さるので、いつも良い道を示してくださいます。ただ、神様が導いてくださる道は様々です。「きれいな青草の原、憩いの水ほとり、死の陰の谷」などがあります。私たちの人生の中には喜ばしいことや悲しいことがいろいろあります。もちろん私たちは喜ばしいことを望んでいます。それで、悲しいことが起こると、受け入れるのは簡単ではありません。しかし神様はいろんな時、喜ばしい時も悲しい時もいつも共にいてくださいます。
この詩篇には「死の陰の谷を行くときも私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる」と書いてあります。神様は私たちが欲しいものを全部は与えませんが、私たちは神様の導きに従って歩む時、私たちは何も欠けることがなく、恐れることもありません。私たちは羊と同じように時々神様の道から離れてしまします。羊が羊飼いの声を聞かないで違う方向に行こうとする場合、羊飼いは杖で羊を軽く叩いて導きます。私たちの場合はどうでしょうか?神様は、私たちが神様の声を聞かない時、羊飼いと同じように杖を使って導いてくださいます。杖軽くで叩かれると、痛みを感じます。でも、それも人間を造られた神様の私たちに対する愛の業です。
この詩篇にはまたこう書いてあります。「命のある限り恵みと慈しみはいつも私を追う。」神様は、私たちのために神様のもとに行ける道を用意して下さり、いつもその道で私たちを導いてくださるのです。神様のもとに行ける道とは、神様の子イエス様のことです。イエス様は罪を持たない神様の子でしたが、人間が罪の罰を受けないようにと、自分が身がわりになって十字架にかけれて死なれました。このおかげで、私たちの罪が全部許されて、この世の中でも、またこの世が終わってもいつも永遠に神様と一緒にいることができるようになりました。神様がイエス様を私たちのために送ってくださったことに、神様の人間に対する愛が現れているのです。
私たちもこの良い羊飼いに従って行きましょう。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」ヨハネによる福音書10章14節
桜の花びらが南風に舞う、春満開な土曜日の午後、家庭料理クラブは、ライ麦粉のケーキを作りました。
吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は油脂を使わない、18cmの丸型のケーキを、二人で一台ずつ作りました。
焼き上がったスポンジは2枚にスライスして、間にオレンジをアクセントにちらし、グループ毎にデコレーションして、可愛い4台のケーキは完成しました。
コーヒーと一緒に、デコレーションされたケーキと、デモンストレーションで作ったスポンジは、オレンジのロールケーキになり、すべて完食しました。
参加の皆様のお疲れ様でした。
受難週の初めの日である「枝の主日」の今日、イエス様が辿った受難の道を教会音楽と聖書朗読で再現する音楽伝道礼拝「ヴィア・ドロローサ」を行いました。
昨年これを始めた理由は、日本では受難週の時、特に聖金曜日が休日でないため礼拝に来られない人が多く、イエス様が十字架にかけられたことを深く心に留めることなくして、復活祭を迎えてしまう場合が多いのではないか。もし、そうだとイエス様の復活が私たち人間とどう関わり合いがあるのか明らかにならないのではないか、ということを心配したことがきっかけでした。それで、復活祭の前の日曜日である「枝の主日」の礼拝後に行うこととなりました。今年で二回目です。
プログラムの内容は、エルサレムを巡礼するキリスト教徒が行うように、「立ち止まり地点」を14か所設けて、それぞれに音楽と聖書朗読を織り交ぜて、ゴルゴタの丘までの道のりを辿るというものです。今年は昨年に比べて、演奏楽器も増え、ソプラノ独唱も加わり、音楽性がぐっと高まりました。参加者の中からは、昨年同様、「イエス様の受難をとても身近に感じられた」、「イエス様が背負っていった人間の罪の重さから自分の罪を深く思いなおす機会になった」という声を頂きました。
真冬に戻ってしまったような寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは「コルバプースティ」を作りました。
今回はフィンランドのラッペーランタ市の日本語学校から、校長先生と生徒さんの参加もあり、楽しい開催になりました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートしました。材料の計量に生地作りへと、日本語とフィンランド語が飛び交う、賑やかなテーブルを囲み、作業が進みます。
ブッラ生地の発酵を待つ間に、細巻き寿司も作りました。
試食タイムは、焼きたてのブッラと細巻き寿司で楽しい交流の場になり、パイビ先生からは、コルバプースティの思い出や、イースターに向けてのお話、可愛い手作りイースターエッグの登場に歓声が上がりました。
参加の皆様、お疲れ様でした、次回は4月9日を予定しています。
フィンランドで昔からコーヒーと一緒に食べたものは菓子パンで、フィンランド語でプッラと言います。今日一緒に作ったコルヴァプースティは菓子パンの一つの種類です。私のお祖母さんの時代には、コルヴァプースティは高価なものだったので、生地に砂糖とバターを少なく入れた、シナモンも使わない簡単な菓子パンが普通でした。その時代は、菓子パンは毎日食べるおやつではなく、クリスマスとかイースターとか夏至祭のようなお祝いの時しか食べませんでした。そしてお祖母さんの時代に作られた菓子パンは、このような細長い編んだものが普通でした。細長い編んだ菓子パンを薄く切ってコーヒーと一緒に食べたのです。
時代が変わって、菓子パンは毎日のおやつでも食べられるようになって、ほとんどの家庭で毎週菓子パンを焼くようになりました。お祝いの時は、菓子パンの他にもいろいろなケーキやクッキーが出されるようになりました。しかし、ケーキやクッキーの種類が沢山あっても、菓子パンの重要性に比べられません。特に年配の人たちは、お祝いの時のコーヒーの出し物に菓子パンがないとお祝いの価値がなくなると思うほどです。
フィンランドの菓子パンはいろんな形や味のものが作られます。今日作ったコルヴァプースティは、菓子パンの中で最も人気があるもので、菓子パンの王とも言われます。フィンランドでは、10月4日は「コルヴァプースティの日」と定められています。これは、2006年から始まりました。この日を定めた目的は、コルヴァプースティが家庭でもっと作られるようにし、興味を持たせることです。フィンランド人にとって、焼きあがったばかりの温かいコルヴァプースティを冷たい牛乳と一緒に味わうのは、とても大きな楽しみです。
家庭でコルヴァプースティが作る習慣があると、それは子供たちが大きくなっても忘れられない大切なことになります。ほとんどのフィンランド人は、自分のお母さんが作ったコルヴァプースティが思い出の中にあります。フィンランド人に一番美味しいコルヴァプースティを作るのはだれ?と聞くと、きっと自分のお母さんと言うでしょう。フィンランド人の子供たちは学校から帰ると、家の外にコルヴァプースティの香りが拡がっていて、お母さんがコルヴァプースティを焼いているということが良い思い出になっていると言えます。コルヴァプースティの香りは、フィンランド人にとって子供時代の香りとも言われます。子供時代の良い思い出は大人になっても忘れられず、大人になった時、自分の子供にも伝えたいと思うようになります。このようにフィンランドのコルヴァプースティは、世代と世代をつなぐ役目を果たしているのです。
今イースター・復活祭が近づいているので、イースターについて子供時代の思い出のひとつをお話ししたく思います。フィンランドでは、イースター・復活祭は大きなお祝いで、休みも聖金曜日から次の週の月曜日まで4日間あります。この大きなお祝いのために家庭ではいろいろな準備をします。家の掃除を普段より丁寧に行って、イースターの料理やお菓子を作ることです。私は子どもの頃、イースターを兄弟姉妹たちと一緒に楽しく待ちました。どうしてかと言うと、イースターのきれいな飾り物を作ることや美味しいお菓子を焼くことがとても楽しかったからです。特に子供たちをワクワクさせる楽しみは、イースターの日曜日の朝にありました。
私の母はイースターの前に、チョコレートでできたイースター・エッグやあめなどを子供たちが分からない時にひみつで買いました。イースター前日の土曜日の夜、子供たちが寝ている時に母は買ったお菓子をきれいな袋に入れて、みんなのベッドの端っこに置きました。次の日イースターの朝、子供たちが起きると、すぐ母が置いた袋を見つけて、その中身を見て、チョコレートのイースター・エッグを見つけていつも大喜びでした。その頃、あめとか甘いものはそんなにたくさんなかったので、このように沢山甘いものをもらえるのは嬉しいことでした。子供たちは、このようなやり方を通しても、イースターは喜びのお祝いだということをわかっていくのです。
それでは、イースター・復活祭はどうして喜びの日になったのでしょうか?聖書は、このことについて詳しく書いてあります。最初にイースターの前にイエス様が受けられた苦しみについて書いてあります。イースターの前の週の木曜日イエス様は、イエス様に反対する者たちに捕らえられて、沢山の苦しみを受けなければなりませんでした。そして、イースターの前の週の金曜日、イエス様は何も悪いことはしていなかったのに、十字架にかけられて死なれました。亡くなられたイエス様の体は十字架から下されて、布に巻かれて、岩に掘った墓に入れられました。でもこの日から3日目の日曜日の朝イエス様は復活されたのです。その朝、イエス様の教えをよく聞いて従った女性たちがイエス様のお墓に行きました。ところが、イエス様の体はもうお墓の中にはありませんでした。そこへ天使が現れて、イエス様は復活されたのだと女性たちに告げ知らせました。女性たちはこれを聞いて大喜びしました。
イエス様が死から復活されたことは、あの女性たちだけではなく、私たちや全世界の人々にとっても大きな喜びになりました。その喜びは、どんなことでしょうか?イエス様は私たちや世界の全ての人々の罪を全部背負って十字架の上まで運んで、そこで私たちの代わりに神様の罰を受けて死なれました。私たちは、イエス様のおかげで神様から罪の赦しをいただけるようになりました。しかし、それだけではありませんでした。神様はイエス様を死から蘇らせました。そうして、死を超えた永遠の命への扉が開かれたのです。死から復活されたイエス様は、今日も明日もいつも永遠に私たちと共にいてくださるのです。これは本当に大きな喜びのことです。
イースターの時に飾りつけをしたり食べたりする卵は、イースターの意味をよく表しています。卵の殻はイエス様が出て行かれた空っぽのお墓を象徴します。そして卵の黄身はで、イエス様の復活を通して得られることになる永遠の命を象徴します。そして卵の中から出てくるひよこは、喜びそのものです。
突然の春のような暖かな土曜日の午後、 家庭料理クラブは開催されました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。 今回はお祝いの食卓に登場するヴォイレイパカック(サンドイッチケーキ)を、二人で一台ずつ作りました。 小型に焼いた食パンをスライスして、 2種類のスプレッドをサンドして、クリームチーズでコーティング、デコレーションはハムとサーモンをメインに、華やかなカックが出来上がりました。 それぞれ個性豊かな5台のカックは、香り高いコーヒーと一緒に完食されました。
パイビ先生から、 ボィレイパカックはフィンランド女性らしい知恵と工夫から生まれたお話など聞かせて頂きました。
今回は、日本語とフィンランド語と英語と笑い声が飛び交う、賑やかな会でした。
参加の皆様、お疲れ様でした。
今日作ったヴォイレイパ・カックの「カック」は、フィンランド語で「ケーキ」を意味します。ヴォイレイパ・カックはケーキに見えますが、甘くないので、ケーキというのは少し変な感じがするかもしれません。でも、フィンランドではそう呼ばれています。
ヴォイレイパ・カックは1930年代ころにヨーロッパとアメリカの北の地方で作られ始め、初めは女性たちのお昼のパーティーに出されたそうです。こうした女性たちのパーティはかなり高価なパーティーでした。フィンランドではヴォイレイパ・カックは1960年代ころ、甘いデコレーションケーキと同じようにお祝いの時に出されるようになりました。昔はお祝いの出し物は甘いケーキやクッキーが中心で、軽食ものはサンドウィッチが中心でした。でも、サンドウィッチを作るのは手間もかかるし、沢山作る場合は保存するために大きな冷蔵庫が必要です。それでサンドウィッチの代わりに少し簡単に早く作れ、冷蔵庫で場所をとらないヴォイレイパ・カックが作られ始めました。
ヴォイレイパ・カックの種類はいろいろあります。中身とトッピングにのせる材料によって、肉、魚、野菜、チーズのヴォイレイパ・カックがあります。例えば、トッピングにハムをのせたら、それは肉のヴォイレイパ・カックです。中身のパンのスライスの間に入れる材料は、美味しいヴォイレイパ・カックを作るのにとても重要です。中身とトッピングの材料は、それぞれの味に合うように選びます。ヴォイレイパ・カックの形ですが、細長い長方形のものが一般的ですが、丸い形のものも作られます。
ヴォイレイパ・カックは、フィンランドでどんなお祝いの時に出されるでしょうか?フィンランドでは、春と夏はお祝いの季節です。春と夏のお祝いには、結婚式、婚約式、卒業式、堅信礼などがあります。フィンランドでは学校は六月の始めに終わって夏休みに入ります。高校の卒業式は大きなお祝いで、卒業生のいる家族は親せきや近所の人たちを家に招待して、大きなパーティを開きます。もう一つ夏の大きなお祝いは、教会の堅信礼のお祝いです。フィンランドでは、子供たちは15歳になると教会の献信礼の教育を受けます。10日間から2週間くらい、教会の研修所で合宿して、自然の中で聖書を勉強したり、キリスト教の教えについて学びます。合宿が終わると、教会の礼拝で堅信礼の儀式があり、そこで初めて両親から独立して聖餐式を受けます。この礼拝には生徒たちの親戚も集まるので、教会は人が入りきれないくらい一杯になります。堅信礼のあとで、それぞれの家で親戚も招待した大きなパーティーが開かれます。このようにフィンランドでは、堅信礼と高校の卒業式は若者にとって人生の大きな節目になるので、大きなお祝いになります。そのためにお母さんたちは一生懸命パーティーのためにごちそうを作ります。そこではヴォイレイパ・カックやデコレーション・ケーキも出されます。
聖書の中にもお祝いについて書いてあるところがあります。イエス様はある時、ガリラヤのカナという町の結婚式のお祝いに招待されました。イエス様の母マリアとイエス様の12人の弟子たちも一緒に招かれました。結婚式のお祝いはどこの国でも盛大に祝われますが、イエス様の時代は本当に多くのお客さんが招待され、何日間も続くものでした。それで、もてなしをする方も大変でした。このようなお祝いで何かが足りなくなることはおかしなことではありませんでした。このイエス様が参加した結婚式では、ぶどう酒が足りなくなりました。母マリアは、イエス様が何か助けてあげられると思って、「ぶどう酒がなくなりました。」と言いました。でもイエス様はどう答えたでしょうか?「婦人よ、このことが、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」とイエス様はお答えになりました。なんとも冷たい答えです。でもマリアは、きっとイエス様は何かをするだろうと思って、式場の召使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言いました。
結婚式場には大きな石の水がめが6つありました。一つの水がめに水が80リットル入る大きさでした。突然イエス様は召使いたちに、水を水がめが一杯になるくらいに入れて、そこからすくった水を式の世話役の人のところに持って行きなさい、と命じました。そこで召使いたちは、イエス様の言われた通りに水がめに水を一杯入れて、そこからすくった水を世話役に持って行きました。世話役がその水を味見してみると、どうだったでしょうか?不思議なことが起きていました。その水は美味しいぶどう酒に代わっていたのです。しかし世話役は、味見したぶどう酒が水から変わったということは何も知りませんでした。世話役は花婿を呼んで、感心して言いました。「普通は最初に良いぶどう酒を出して、みんなが酔った後で安いぶどう酒を出す人が多いのに、あなたはお客さんたちのために最後まで良いぶどう酒を取っといたのですね。」
このイエス様が水をぶどう酒に変えた出来事は、イエス様が行った最初の奇跡の業でした。ところで、この奇跡の業の大事な点は、水がおいしいぶどう酒に変わったことではありません。このような奇跡をフッと起こしてしまうイエス様は神様の栄光に満ちていると弟子たちが気づいて、それでイエス様のことを本当に神様が送られたみ子と信じるようになったこと、これが大事な点です。イエス様に神様の栄光が現れることは、この後も沢山起きます。中でも一番神様の栄光が現れた時は、イエス様が十字架にかけられて全ての人間の罪のために死なれた時、そして三日目に死から復活された時です。
「ヨハネによる福音書」1章にイエス様が現わした神様の栄光についてこう書いてあります。「私たちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」イエス様が現わした神様の栄光は本当に、神様の人間に対する愛が偽りがなくて恵み深いものであることを示しています。この栄光に気づいた人は皆、心の中に深い喜びと平安を持つことができるようになります。
本年最初の子供料理教室は、冷たい雨が降る1月最後の土曜日に開かれました。今回は、小さなお子さんから小学生の子供たちまで、お母さんお父さんも一緒に参加して、会場の牧師館はにぎやかな雰囲気に包まれました。
この日みんなで作ったのは、フィンランドのオートミール・パンとデザートのフルーツ・ヨーグルトです。
お祈りをしてから子供料理教室はスタートします。まず、パン生地に入れる材料を説明してから、3つのグループに分けてパンを作り始めました。小麦粉の量を正確に計って、材料をボールに入れて、よく混ぜます。柔らかくなった生地を2つに分けて鉄板に載せ、今度は手で生地を伸ばします。生地が手にくっついて、手を洗いたいよ、という声も。それでもみんな、パンを丸い形にして鉄板の上で伸ばし広げて、オーブンに入れました。
テーブルを片つけて、今度はフルーツヨーグルトを作ります。バナナ、リンゴ、缶詰の桃を小さく切って、ヨーグルトに混ぜます。お昼が近づいてきて、お腹がすいたよ、もう食べたいよ、という声も聞こえましたが、みんなデザートが出来るまで頑張りました。
オートミールパンを焼いている間、みんなで子供讃美歌を歌って、フランネルの聖書劇「木に登ったザアカイ」(聖書のルカ19章1~10節)を一緒にみました。イエス様はイチジクの木に登ったザアカイに向かって叫びました。
「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、あなたの家に泊まりたい。」ザアカイにとって、イエス様に出会ったこの日は人生の中で最も大切な日になりました。ザアカイは喜んでイエス様を迎えました。私たちもイエス様に出会うと、ザアカイと同じように大きな喜びを心の中に持つことができます。この喜びは神様からいただくものですので、神様に感謝しましょう。
フランネル劇が終わると、ちょうど焼きたてのオートミールパンの香りが拡がってきました。テーブルのセッティングをして、食前のお祈りをして、さあ、いただきましょう!オートミールパンにバターをぬって食べ始めます。最初、「美味しい、美味しい」という声がしたかと思ったら、すぐ静かになって子供たちは食べるのに黙々と集中。それを大人たちが微笑ましく見守ります。「なんだか大きな家族みたいね」というお母さんも。寒い外とは対照的な暖かい一時をみんなで分かち合うことができました。
次回の子供料理教室は3月に予定しています。詳しい案内は追ってお知らせします。どうぞ教会のHPをご覧下さい!
2016年最初の家庭料理クラブは「サーモンスープ」とサンピュラを作りました。
フィンランドでは-20℃や-30℃の世界と聞きましたが、東京も木枯らしが吹いた寒い土曜日の午後、柔らかな日差しが入る牧師館では、2016年最初の料理クラブでした。
最初にお祈りをして料理クラブはスタートです。
今回は、スープと一緒に焼き立てパンも用意するため、フィンランド式のパン作りにも挑戦していただきました。
グループに分かれて、材料の計量に、生地を捏ね、発酵へ、
次は、サーモンの扱い方や、大量のジャガイモの皮むき、野菜類のカットなど作業がスムーズに進み、大型の鍋からは、スープの湯気がたち、パンの焼き上がるのが待たれました。
スープが盛られ、焼きたての熱々パンは、ステンレスのクーラーに載せたままテーブルに、食前の祈りをあげて、試食会は始まりました。サーモンスープの味わいと、アツアツの焼き立てパンの相性は抜群で、大鍋につくったサーモンスープは、きれいに完食となりました。
コーヒーを飲みながら、パイヴィ先生から、フィンランドの魚事情や、聖書の中の魚にまつわるお話を聞かせて頂きました。
参加の皆さま、お疲れさまでした。
今日のフインランド家庭料理クラブは大好物の”サーモンスープ”を作ると言うことで家内ともども出かけました、熱々のスープを頂きながら満ち足りたひと時でした。食後のコーヒータイムにパイヴィ先生からフインランド人と魚についての面白い話を聞きましたのでご紹介します。
”料理教室の話2016年1月16日
フィンランドは湖や川がたくさんある国です。湖や川の魚の種類は多く、魚釣りが好きな人も多いです。昔、魚釣りは趣味ではなく、食料を得るための仕事でした。それで、魚釣りはどの家庭でも行われ、魚は毎日の食事のおかずでした。
時代は変わって、魚釣りは毎日の仕事ではなく、魚は店で買われるようになりました。その頃から海でとれるいわしが食べられるようになりました。いわしは沢山とれたので安い魚でした。冷蔵庫がまだない時代には、秋になると家庭でいわしを沢山買って、塩づけにして保存して、冬中ずっと食べられていました。子供の頃、私の家にもこのようにいわしを塩づけにして保存して、長い間いわしを食べました。残念ですが、現在いわしを食べるフィンランド人は少なくなり、一年に一人当たり300gだけ食べると言われています。最近トゥルクやヘルシンキでは秋になるといわしの市場(いちば)が開かれるようになって、そこではいわしだけでなく他の魚で作った料理や保存食も売っています。このいわし市(いち)は、冬に向かうフィンランドの秋の大きなイベントになって、沢山の人が訪れます。
現在フィンランド人は魚より肉をよく食べるようになったために、国の保健機関は、一週間の食事のうち魚を2食を食べることは健康のために良いと、国民に呼びかけています。最近、若者は魚の料理は好きではないようですが、年配の人たちはまだ魚をよく食べます。
今フィンランドでどんな魚が食べられるでしょうか?よく食べられるのは、湖や川でとられる白身の魚です。海の魚ではいわしとニシンとサーモンで、一番よく食べられるのはサーモンです。サーモンはフィンランドで養殖したものか、ノルウェーの海で捕ったものか、どちらかです。昔は高価なサーモンの料理は、クリスマスのようなお祝いの時にしか食べられませんでしたが、今は普段の日にもよく食べられるようになりました。サーモンを使った料理のなかで、今日のサーモンスープは伝統的なものですが、オーブンやフライパンで焼いたり、スモークサーモンにしたり、生のものを塩漬けにして食べます。
私は、日本のお店で売っている魚を見て、種類の多さにびっくりします。フィンランドの普通のお店で生で売っている魚の種類は少なく、いわしとサーモンとあと何か白身の魚が1種類あるだけです。日本の方がフィンランドに旅行すると、きっとびっくりするでしょう。
さて、聖書の時代にも魚はよく食べられていて、漁師の職業は普通でした。これから聖書の中にある漁師についてお話ししたと思います。ある日イエス様がゲネサレト湖という湖にやってくると、2人の漁師が舟からおりて、網を洗っているのを見かけました。そのとき、大勢の群衆がイエス様の教えを聞こうとして、彼の周りに集まって来ました。イエス様は漁師のシモン・ペテロの舟に乗って、少し岸から離れた場所まで行って、そこから岸辺にいる群衆に向かって神様のことについて教えました。
話し終えてから、イエス様はシモン・ペテロに「舟を少し冲に漕いで、そこで網を下ろしてみなさい」と言われました。シモン・ペテロは、「先生、私は夜中苦労しましたが、何も獲れませんでした。しかしお言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と答えました。シモン・ペテロは漁師なので魚のことはよく知っていました。もし夜魚が獲れなかったら、昼はもっと獲れない、とシモン・ペテロは思ったでしょう。それでもシモン・ペテロは、神様についてのイエス様の教えをいつも聞いて、イエス様のことを尊敬していたので、言われた通りにしました。するとどうでしょう。信じられないことが起こりました。網が破れそうになるくらいに大量の魚がかかって、その重さで二そうの舟は沈みそうになりました。シモン・ペテロはこれを見て、どう思ったでしょうか?彼はイエス様の足元にひれ伏して、こう言ったのです。「主よ、私から離れてください。私は罪深いものです。」シモン・ペテロはイエス様にお礼を言いませんでした。どうしてでしょうか?この時シモン・ペテロは、今起こったことは神様の力で起きたと信じたのです。そして、イエス様は神聖な神のみ子でいらっしゃること、その方の前では自分は罪深いものなのだ、ということを理解したのです。それでシモン・ペテロは、「私は罪深いものなので、どうか私から離れてください」と言ったのです。しかし、イエス様はシモン・ペテロから離れないで、次のように言われました。「恐れることはない。これからは、あなたは人間をとる漁師になる。」そこでシモン・ペテロは舟を陸に引き上げて、すべて捨ててイエス様に従いました。こうしてペテロはイエス様の弟子の一人になったのです。
シモン・ペテロはイエス様に出会って、すべてを捨ててイエス様に従いました。私たちもイエス様と出会うことができます。それは、聖書のみ言葉を読んだり聞いたりするとこにできるのです。聖書のみ言葉を読んだり聞いたりすると、私たちが神様のみ前では罪深いものであることがわかります。しかし、まさに罪深い人間を救うためにイエス様は十字架にかけられて、そこで死なれて、三日目に死から復活させられて、天に昇られたのです。神様は、イエス様の十字架の出来事のゆえに、罪深い人間を赦して下さいます。ここに神様の人間に対する愛が溢れています。イエス様は私たち一人一人を愛して下さり、ご自分に従うように、と呼んでくださいます。イエス様は、シモン・ペテロから離れなかったように、私たちからも離れられません。マタイによる福音書の終わりにイエス様が言われた次のような約束の言葉があります。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このような約束をされたイエス様は、今年も毎日、一人一人と共にいてくださいます。このことを忘れず、感謝して歩んでいきましょう。”