1月21日「フィンランド家庭料理クラブの報告」

サーモンスープ、人参パン

強い北風と輝く太陽の寒い午後、
2017年最初のスオミ教会家庭料理クラブは開かれました。

吉村先生のお祈りからスタートです。

人参パン、フィンランド

最初は人参パンの生地作りから。
計量して、グループごとに別れての作業です、ボウルの中は、ベタベタからモチモチの生地になりました!
発酵の間、サーモンスープ作りに進みます。

野菜の下ごしらえから始まり、クリームを入れ、最後にディルを加えてスープは完成です。

発酵の進んだ生地は、分割して丸めます。
今回は小学生の参加もあり、大切に丸めた可愛い生地に、他のメンバーは、素敵な笑顔になりました。
試食タイムは、楽しい時間になりました。

サーモンスープ、人参パンパイヴぃ先生から、フィンランドのお正月事情や、独立100年を迎え、お祝いの特別メニュー、
サーモン、羊の肉、ロールキャベツなどが選ばれ、全国のケーキ屋さんが競った、ナンバーワンのケーキは、上品で繊細な出来上がり、思わず食べたい!と思いました。

先生は聖書のお話もしてくださいました。
「私は世の終わりまでいつも、あなた方と共にいる。」(聖書のマタイ28章20節)
み言葉は、心に染み入りました。約束されたようにイエス様は今日も明日も私たちと共にいてくださいます。

本年のスオミ教会家庭料理クラブをよろしくお願いします。

2月の料理クラブは、
アーモンドの香ばしいケーキ
トスカケーキを予定しています!

12月10日「スオミ教会家庭料理クラブ」のご報告

クリスマスのお料理、フィンランド

師走の第2土曜日、
今年最後の料理クラブは、「ピックヨウル」クリスマス会になりました。

最初にパイビ先生のお祈りからスタートです。

メニューは盛り沢山なので、参加の方々は大忙し、
「ピパルカック」スパイスクッキーの型抜きをしてオーブンへ入れて、次は「ロソリ」ビーツのサラダ作りです、ビーツにピクルス、リンゴ等を小さな角切りにして、色鮮やかなサラダは、冷蔵庫で冷やします。
最後は、「ヨウルタルト」クリスマスパイです。
パイ生地にプルーンのジャムを乗せて焼くパイは、一口サイズの可愛いい出来上がりになりました。

時間のかかる「カレリアンパイスティ」カレリアシチューと「ペルウナラーティッコ」ジャガイモのキャセロールは、パイビ先生が、前日より仕込んで下さいました。

食卓をクリスマス仕様に飾り、温かい「グロッギ」も揃い、いよいよピックヨウルは始まりました。

お料理を食べながらの楽しい会話も一段落した頃、パイビ先生から、クリスマスのお料理のお話や、イエス様の誕生を祝う日であるクリスマスのお話など聞かせて頂きました。

参加の皆様、大忙しの「ピックヨウル」でしたが、最後の後片付けまでありがとうございました。

よいクリスマスをお迎え下さい。

 

フインランド家庭料理教室、フィンランドのクリスマス料理のお話、パイヴィ先生

今回の料理にはパイヴィ先生が大変に力を入れているとNさんから聞いていたので楽しみにしていました。Karjalanpaisti(カレリヤシチュー)という料理をメインにした食事会でした。もともとはカレリヤ地方のう伝統的な料理でしたが今ではフインランドの代表的な料理として伝わっているようです。味は?と問われるならば、メチャメチャに美味しかったです!と答えるのみです。

 

パイヴィ先生からのメッセージです。

フィンランドのクリスマス料理2016

クリスマスはフィンランド人にとって一年の中で最も大きなお祝いです。クリスマスの前の4週間の期間をアドベント、日本語で待降節と言います。その期間に入ると、フィンランド人はクリスマスの準備で忙しくなります。クリスマスの準備には、クリスマスカードを送ること、家の大掃除をすること、クリスマスの飾りやイルミネーションをつけること、クリスマス料理を作ることなどをします。

クリスマス料理はフィンランド人にとって、クリスマスの雰囲気を高めるものの一つです。フィンランドの伝統的なクリスマス料理は種類がとても豊富です。フィンランド人はクリスマス料理の伝統をとても大事にして、お母さんが作ったクリスマス料理が子供へも受け継がれて、どの家庭でも昔お母さんが作ったのと同じ種類の料理を作ります。その料理の味と香りを通してもクリスマスの雰囲気が作られます。子供たちも、クリスマス料理やお菓子を作ることに興味を持つので、よく親と一緒に作ります。それで家庭の味は世代から世代へと伝わっていくのです。

クリスマスが近づいてくると家中にクリスマスの香りがすると言われます。クリスマスの香りとは、どんな香りでしょうか?普通それは、シナモン、クロヴ、ジンジャーなどの調味料を入れるピパルカックの香りです。ピパルカックを焼く時、その香りが家中に拡がり、外にまで拡がっていきます。ピパルカックは長く持ち、置いておけば置くほど味は良くなるので、クリスマスの準備の最初にします。その後で他の焼き菓子、クッキー、ケーキなどを作ります。今日皆さんが作ったクリスマスパイ、ヨウルトルットゥもそうです。昔はヨウルトルットゥの生地は家で作りましたが、それは大変なことでした。現在は、生地と真ん中にのせるプルーンのジャムは店で買うことが出来るようになったので、作るのはとても簡単になりました。

フィンランドの伝統的なクリスマス料理をみてみますと、豚肉のオーブン焼き、魚のビネガー漬けやオーブン焼き、ニンジンやジャガイモのキャセロール、生野菜やゆで野菜のサラダなどがあります。このような料理は1800年代には貴族の館で作られていましたが、一般の人々にはまだ遠いものでした。しかし1900年代の初めからクリスマス料理は少しづつ一般の家庭でも作られるようになり、やがてフィンランドのクリスマスの国民的な料理になりました。クリスマス料理は、塩、砂糖、ビネカーで味付けするので、何日も持ちます。「クリスマスには朝、昼、晩だけでなく夜まで料理に手が出てしまう」という言い回しがありますが、それくらいクリスマス料理はフィンランド人の心を惹きつけるものです。

フィンランドでは、クリスマスは両親のいる実家に家族みんなが集まるお祝いです。家族はひとつになって一緒にクリスマス料理を味わいます。クリスマスイブの日、家族みんなは食事の席について、食前に誰かが聖書のクリスマスのメッセージ、ルカによる福音書の2章1-20節を読み聞かせます。それが終わってから食事をします。この聖書の箇所は、世界で一番最初のクリスマスについて書かれています。

世界で一番最初のクリスマスにどんなことが起きたでしょうか?その頃、ローマ帝国の皇帝が全領土の住民に住民登録をせよ、という命令を出しました。これは、人々から税金をとるための登録でした。このため、人々は自分の故郷の町に行って登録をしなければならなくなりました。ヨセフとマリアも登録のために、住んでいたナザレという町からユダヤのベツレヘムに行かなければなりませんでした。その時マリアは身ごもっていました。ロバに乗ってする長い旅はマリアにどんなに大変なことだったでしょうか。ベツレヘムに到着すると二人は、宿屋を探しました。しかし、どこも皆一杯で、馬小屋しか寝る場所がありませんでした。寒い馬小屋の中でその夜マリアは男の子を生みました。マリアは赤ちゃんを布にくるんで飼い葉おけに寝かせました。

実はマリアが生んだ男の子は神様の子、全ての人間の救い主だったのです。それはどのようにして分かるのでしょうか?それは赤ちゃんが生まれる前にマリアに起こった出来事からわかるのです。赤ちゃんが生まれる九か月前のある日、天使がマリアに現れて、マリアは男の子を生むことになると告げ知らせました。しかし、この時マリアはまだヨセフと婚約中で結婚していません。驚いたマリアは、「どうしてそんなことが起こると言えるのでしょうか?」と天使に聞き返しました。すると天使は、「天と地を造られた神の霊があなたに降り、その力であなたは身ごもる。それで生まれる子供は神聖な方、神の子と呼ばれるのです」と答えました。それで世界で一番最初のクリスマスにマリアが生んだ男の子は神様の子でイエスと名付けられました。それは、「神は御自分の民を救う」という意味があります。

イエス様がお生まれになったというニュースは、一番最初だれに知らされたでしょうか?それは羊飼いでした。その夜ベツレヘムの町の外の野原で羊飼いたちが羊の番をしていました。その時突然天使が現れて、神の栄光の光があたりをまぶしく照らしたので、羊飼いたちは非常に恐れました。しかし天使は、「恐がらなくてもよい。今夜ベツレヘムで救い主がお生まれになりました」と羊飼いたちに告げ知らました。どうして天使は一番初めに羊飼いに知らせたのでしょうか?当時羊飼いは社会の中でとても低く見られた職業でした。このような社会の貧しい層の人たち、恵まれない人たちに天使が現れて救い主の誕生を知らせたのです。ここにはとても深い意味があります。それは、イエス様は本当に人を区別することなく、全ての人々のためにお生まれになったということです。このことをはっきり示すために、神様は社会で低く見なされる人たちを選んで一番最初に知らせたのでした。このように神様の優先順位は人間の考え方とは違い、低く見なされる人たちを選ばれるのです。そして神様は、そのような人たちこそ天使のメッセージを素直に受け入れると知っていたのでした。

さて、天使のメッセージを聞いた羊飼いたちはどうしたでしょうか?彼らは、疑わずに急いでベツレヘムに向かいました。そして、馬小屋にいた母マリアとヨセフそして飼い葉おけに寝かせてある赤ちゃんのイエス様を探し当てました。羊飼いたちは周りに集まって来た人たちに、野原で起きた出来事を全部話して、神様を賛美しながら帰っていきました。

これがルカによる福音書の2章に記録されている世界で一番最初のクリスマスの出来事です。クリスマスイブの時、フィンランドの全国の教会で、また家庭で朗読されます。皆さんはこの出来事をどう思うでしょうか?羊飼いたちと同じように天使のメッセージを受け入れるでしょうか?

クリスマスの料理から出る香りと雰囲気は、クリスマスの季節が終わればなくなります。しかし、「今日ダビデの町ベツレヘムで、あなた方のために救い主がお生まれになった」という天使のメッセージは、クリスマスの季節が終わっても変わらずに、私たちに喜びと賛美の気持ちを与えてくれます。本当にクリスマスは、いつまでも消えない喜びと感謝をもたらしてくれるお祝いです。

11月の「スオミ教会手芸クラブ」のご報告

 クリスマスの飾りが、楽しい気分を添えてくれる、静かな平日の教会で、麦のストローオーナメントを作りました。

最初に吉村先生のお祈りからスタートです。

ストローをお湯に浸し、ハサミで切り、アイロンをかけて、、、。

細いストローが丸く輪になり、
可愛いいビーズを通したり、バランスを考えりと、作業は進み、
可愛いいオーナメントは完成しました。

クリスマスのお話を聞きながら、
のんびり楽しい手芸クラブは終了しました。

手芸クラブは、毎月1回、平日の午前中開催します。

小さなお子さんと一緒の参加も、大歓迎です。

皆様のご参加をお待ちしています。

オーナメント、クリスマス

待降節「アドベント」のお話、手芸クラブ2016年11月

この前の日曜日、アドベントの期間に入りました。キリスト教会では、クリスマスの前の4週間をアドベントと呼びます。アドベントの意味は、クリスマスを迎える準備をする期間です。日本語では待降節と言います。フィンランドではクリスマスは、一年で最も暗い季節における光と温かさのお祝いです。フィンランド人は、アドベントになるとクリスマスの準備で忙しくなります。子供たちは毎日、アドベントカレンダーの窓を一つずつ開けて、わくわくしながらクリスマスを待ちます。

クリスマスの準備にすることは、クリスマスカードを送ること、家の大掃除、クリスマス料理を作ることがあります。それぞれの家族にあるクリスマスの伝統は子供たちに伝わっていきます。クリスマス料理を子供たちと一緒に作ったら、家族の味は世代から世代へと伝わっていきます。子供たちはお母さんが作ったクリスマス料理の味を覚えて、同じように作りたいと思うからです。

もう一つとても大切な準備があります。それは、クリスマスを迎えるための心の準備ということです。それはどんな準備でしょうか?それは、アドベントの期間に教会の礼拝に参加したり、聖書を読んだりして、クリスマスの意味を考えることです。フィンランドでは毎年アドベントになると「美しいクリスマスの歌kauneimmat joululaulut」という行事がどの教会でも行われます。この行事は、教会が一杯になるくらいに人が多く集まるので、とても人気があります。そこで何をするかというと、集まった人たちが皆一緒にクリスマスの歌を沢山歌います。歌うことを通してクリスマスの本当の意味を心の中でかみしめます。

人々は、アドベントの期間に様々な準備をして、自分でクリスマスの雰囲気を作ります。例えば、クリスマスの料理やお菓子をつくること、クリスマス音楽を沢山聴くことがそうです。しかしながら、クリスマスは本当は雰囲気のことではありません。クリスマスの本当のメッセージがクリスマスをつくるのです。クリスマスのメッセージとは、一番最初のクリスマスの日の真夜中に、野原で羊の番をしていた羊飼いに天使が現れて言った言葉です。「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」この一番最初のクリスマスの時、この世に救い主がお生まれになりました。救い主イエス様は私たち一人一人のためにお生まれになったということが、聖書の「ヨハネの手紙一 4章」の中で次のように言われています。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに神の愛が私たちの内に示されました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

私たち人間に対する神様の愛は、私たちに喜びと感謝と賛美の気持ちを与えてくれます。クリスマスは、本当に喜びと感謝のお祝いです。クリスマスのメッセージは、クリスマスが終わったら終わってしまうものではありません。その後も、毎日ずっと私たちに喜びや生きる力を与えてくれます。

聖書研究会:詩篇42篇2節、吉村博明 宣教師

昼食の後、子供たちは隣室の教会学校へ、私たち大人は吉村先生の聖書研究会に出席しました。先生は先日の神学校で礼拝説教をされたレジメを参考に詩篇42篇2節を解説してくださいました。たいへん興味深い内容でしたので先生の承諾を得てここに掲載いたします。

主日礼拝説教 2016年11月15日 日本福音ルーテル神学校

説教題 「AD FONTES ‐ 源へ」、詩篇42篇2節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
日本福音ルーテル神学校の神学生及びルーテル学院大学の学生の皆様

1.

 詩篇42篇2節の日本語訳は「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」です。ヘブライ語の原文でאפיקというのは、辞書(HolladyのConcise使用)によると、「谷の底をかろうじて流れる水路のような小川」です。英語やスウェーデン語やフィンランド語の聖書ですと、「谷底」がなくて単なる「小川」とか「水流」です。日本語訳の方が、本当に周囲が死に枯れたような乾燥地帯で鹿が水を求めて必死に谷を下りて行く情景が目に浮かびます。

この詩篇の箇所は、ギリシャ語訳のセプトゥアギンタやラテン語訳のブルガータを見ると、ちょっと違っていて、鹿が求めるのは「谷底の水流」ではなくて、「水の源」すなわち「水源」です(ギリシャ語τας πηγας των υδατων、ラテン語ad fontes aquarum)。喉が渇いた鹿は、ただ水が飲めればいいわけですので川岸に着けば事足ります。なにも川岸を辿ってわざわざ水源まで行く必要はありません。それなのに、ギリシャ語に訳した人たちは、「水源」を選んで、ラテン語に訳した人もそれに倣ったのです。単に肉体的な渇きを癒すことが目的ではなくなりました。同じ節の後半で、私の魂は神を求める、とあるので、それで霊的な渇きを癒すためには、水そのものでは不十分で源にまで行かなければならない、と考えられたのは明らかです。

ところで、マゾレットのヘブライ語の言葉がもともとあった意味だったのか?それともセプトゥアギンタの言葉がもともとの意味だったのか?どっちが先か?これは皆さんもご存知のように、いわゆる「本文研究」の領域です。旧約聖書のそれは死海文書の扱いも入って来るので、新約聖書よりもとてもやっかいな問題をはらんでいます。加えて、マゾレットのテキストがもともとの旧約聖書の形なのか、とか、今手にすることができるセプトァギンタのテキストがもともとの形を反映しているのか、という問題もあります。考えるだけで気が遠くなりそうなことです。本説教ではそういったことには全く立ち入らずに、頭からマゾレットがもともとの意味で、セプトゥアギンタは後でそれを解釈して今あるような訳をして、それをブルガータが受け継いだ、ということを前提にして話しを進めてまいります。

2.

 旧約聖書がどのように成立したかを見ると、当時のユダヤ人というのは、実に「源にもどる」という姿勢が強かったと言えます。第二神殿期のユダヤ教社会では、天地創造の神の信仰を表す書物が無数に現れました。その中で、ある書物については、その権威は疑いようがないと見なされて、選別されて旧約聖書に収まって行きました。セプトゥアギンタには、マゾレットのテキストにない書物も含まれていますが、それらの、いわゆる外典アポクリュファに属する書物もユダヤ教社会のある時代のある部分では権威的な書物とみなされたわけです。

 それでは、何の書物が聖書に入れてもいいくらいに権威がある書物で、ある書物はそうみなされなかったのか?みなされなかった書物には、モーセやエノクのような名を冠した書物や旧約の人物が登場する書物が多数あります。本説教の関連で言いますと、こういうことです。ある書物が別の書物を引用していると、引用された方がもとにあるので権威があるとみなされるということがありました。もちろん、旧約聖書の書物同士の間でも互いに引用し合っていることが多くあります。それでも、創世記5章に登場するエノクの名を冠している書物が、例えばイザヤ書とかダニエル書を引用していれば、ああ、これはエノクの時代に出来た書物ではない、と誰でもわかるのであります。

 このように、書物が書かれた時代ということに矛盾がなく、後の時代に引用される頻度が高いと権威ある書物とみなされるのです。そのように、権威ある書物を確定する姿勢は、極めて「源に遡る」ものであったと言えます。

 新約聖書でも同じことが言えます。ここでは、パウロも含めた使徒の信仰の伝統が権威になります。使徒教父たちの文書は、福音書や使徒書簡を豊富に引用しています。それらの文書は新約聖書に入れる必要はなかったのです。ところで、新約聖書に収められている書物の他に、トマスやペテロやマリアの名を冠した福音書があります。数年前にはユダの名を冠する福音書が発見されて、話題になりました。しかし、それらは使徒の信仰の伝統から外れる思想を代表していると見なされたので、聖書に入れなかったのでした。それらは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書同様、イエス様の言行録を含んではいますが、4つを材料にしつつ、使徒の信仰とは別種の信仰でイエス様の言行録を塗り替えたものだったのです。

 このように、新約聖書の成立に携わった人たちの姿勢は、使徒の信仰の伝統を権威の源にして、無数の書物やいろんな思潮が溢れるジャングルの中を源に向かって遡って行ったのでした。こうして見ると、世界のいろんな宗教は逆の流れを行っているように思えます。例えば、イスラム教は旧約聖書と新約聖書に依拠していると言われますが、イエス様の役割は全く別のものに変えられています。イスラム教に限らず一般には、古いものを新しいものに塗り替えた方が、古いものよりも進歩して優れた感じを持たれるのではないかと思います。でも、それは源に遡るということでなく、源からどんどん離れて行くことで、それは旧約聖書や新約聖書の根本にある姿勢とは相いれないのです。

 3.

 実はルターの宗教改革にも「源に遡る」という側面があることに注意しなければなりません。「宗教改革」は英語、ドイツ語、スカンジナヴィアの言語ではみな同じ言い方をします。Reformationです。フィンランド語では一風変わっていてuskonpuhdistus「信仰浄化」という言い方がされます。Reformationという言葉をみてみますと、formation「形作ること、形成すること」に「し直す」の意味を持つreがつきます。「形作り直すこと、形成し直すこと」です。

 それではキリスト教の何をどう形作り直す、形成し直すのかというと、以下のようなことです。カトリック教会はもともとは使徒の信仰の伝統を守り受け継ぐ教会として出発しました。ところが時代の変遷と共に聖書に基づくとは言えない制度や慣行も生み出されて、それが権威ある伝統と化していき、贖宥状はその最たるものでした。ルターが行おうとした改革運動は、そういう聖書に基づかずに人間が編み出したものを捨てて、ただ神の御言葉である聖書のみに権威を認めて、その下に教会を成り立たせようとするものでした。これがキリスト教とその教会を形作り直す、形成し直す、ということです。フィンランド語で宗教改革を「信仰浄化」というのは、まさに神の御言葉にのみ権威を認めて、聖書に基づかずに人間が編み出したものを捨てていくという面を前面に出していると言えます。

一般には「改革」という言葉は、過去の古いものをやめて新しいものにとって替えて時代の要請に応えられるようにするという理解がされると思います。日本語で行政「改革」とか教育制度「改革」という時、それを英語に直すとreformを使います。そういう政治的社会的な「改革」は、reformationを使わずにreformを使うのです。ところが宗教「改革」はreformではなく、reformationです。注意が必要です。(徳善先生のルターの本では、reformとreformationの違いを説明するとき、建物や家の改築を引き合いにだしていますが、昔社会科学を学んだ私としては、政治的社会的な改革との比較で見た方がしっくりします。)そういうわけで、日本語で同じ「改革」という言葉を使うからと言って、政治的社会的な改革と宗教改革を同じように考えてはいけないと思います。ルターの行った宗教改革とは、ただ単に過去の古いものをやめて新しくして時代の要請に応えたというような改革ではなかったのです。

前述しましたように、ルターの場合は、まず聖書という過去に成立した根源的な権威に立ち返り、聖書に基づかないで人間が編み出したものを捨てていく、そのようにして聖書の権威に立ち返ろうとする時にそれを邪魔するものを打ち破っていく、その結果として時代の行き詰まり状況を打ち破って新しい地平線が開けた、これがルターの改革の本質ではないかと思います。このように宗教改革は「改革」とは言いつつも、根源的な権威に立ち返るという方向性があります。ルターは聖書を研究する際には新約聖書はギリシャ語、旧約聖書はヘブライ語の旧約聖書を用いましたが、根源的な権威に立ち返ろうとすれば原語にあたろうとするのは当然のことでしょう。

そういうわけで、もしキリスト教会が人間の編み出したものに縛られ出した時には、使徒の信仰の伝統を守りギリシャ語とヘブライ語の聖書に依拠する者は宗教改革を起こせる可能性を持っていると言うことができます。ただ原語が堪能なだけでも不十分です。エラスムスもギリシャ語がよくできました。原語の能力に加えて、使徒の信仰の伝統を受け継ぐという姿勢がなければなりません。加えて、過去の権威に遡るというのは、単純に2000年前の言い回しをすればすむということでもありません。2000年の間に人類が蓄積してきた有形無形のものに立ち向かい、相手が何者であるか知りながら、行く手を阻むものを一つ一つ打ち倒して源に向かって進まなければなりません。ルターだって、単純に一足飛びに使徒の時代に戻ったのではありません。1500年の間の蓄積に立ち向かい、実在論と唯名論の問題を自覚し、エラスムスの人文主義と対決し、キリスト教神学からアリストテレス哲学の縛りを解き放つことをしながら、使徒の信仰の伝統を彼の時代に蘇らせたのです。

最後に、Ecclesia semper reformanda estというスローガンがあります。K.バルトの言葉らしいのですが、教会は絶えず改革されるべきものである、という意味です。その「改革」が意味するものは、以上申し上げたことを念頭に置いて、ルター派としては、政治的社会的な改革と一線を画することをわきまえなければなりません。従って、ルター派としてはこのスローガンは、「教会は絶えず宗教改革的に改革されるべきものである」と銘記すべきです。これからのルター派教会を担う皆さんが、このような仕方で宗教改革を担えるよう願ってやみません。皆さんの学びと研鑽と日々の信仰生活の上に父なるみ神から豊かな祝福と良い導きがありますように。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン

11/12のスオミ教会家庭料理クラブの報告

11月の穏やかな土曜日の午後、
「スオミ教会家庭料理クラブ」は、
ジャガイモのリエスカとリンゴのキーセリを作りました。

最初に、吉村先生のお祈りからスタートです。
今回のメニューは、たっぷりのジャガイモとライ麦粉を使い、オーブンで焼いた薄いパン「リエスカ」と、リンゴの「キーセリ」です。

キーセリは片栗粉でとろみを付けたデザートで、フィンランドでは、イチゴや豊富に取れるベリー類で作られる、食卓の楽しみの一つです。今回は旬のリンゴとオレンジジュースで作りました。

リエスカは配合に決まりはなく、茹でたジャガイモの残りや、手元にある粉類等で、焼き時間も短く、手軽に作れ、食事パンにもなる、重宝な一品で、卵バターを添えて、美味しくいただきました。

パイビ先生からは、
フィンランドと日本のパンの違いや、
キーセリにまつわる楽しい思い出、そして聖書の中の有名なお話も聞かせていただきました。

参加の皆様でお疲れさまでした。

リエスカの話、11月のフィンランド家庭料理クラブ、パイビ先生

ジャガイモのリエスカ
今日皆さんが作ったジャガイモのリエスカとキーセリはフィンランドの伝統的な食べ物で、私のお祖母さんもお祖母さんのお母さんも作っていました。

フィンランドの食文化は、東の地方と西の地方の二つの食文化に分かれています。それでリエスカは、東の地方では生地にイーストを使い、厚いパンを意味します。ところが西の地方では、生地にイーストを使わず、大麦粉やオートミールの粉を使って作るので、薄いパンを意味します。現在はリエスカは普通、薄いパンを意味します。

昔リエスカは、薪で暖めるオーブンで高い温度で焼くのが普通でした。私の母も、パンを作る時は、薪で暖めたオーブンで一番初めにリエスカを焼いて、オーブンの温度が下がってから他のパンを焼きました。母がパンを作る時はいつも、子供たちはリエスカが出来上がるのを楽しみにしていました。出来上がった熱いリエスカの上にバターを塗って美味しく食べたことをよく覚えています。

リエスカはパンの種類の一つです。パンはフィンランド人の食事の中で最も重要な食べ物で、ほとんど毎食に食べます。それで、一日に四個から六個くらいパンを食べることになります。フィンランド人が食べるパンは小麦粉で作るものだけではありません。パンの生地によく入れる粉類としては、ライ麦、全粒小麦があります。その他にいろいろな種やすりおろした野菜なども入れます。このためにパンにはエネルギーの他に、ミネラルやビタミン、繊維も沢山入っています。酸っぱくて黒いライ麦のパンは今でもよく食べられるパンですが、他にもパンの種類は沢山増えて、店でパンを買う時、選ぶのが難しくなりました。現在、若者はライ麦パンより白いパンの方が好きになりました。しかし、私の父くらいの年令の人たちはまだライ麦のパンの方をよく食べます。父くらいの年令の人たちは、食事のパンの重要性をよく知っています。私の父は、もし食事にパンがないと、もうそれはご飯にならない、と言うくらいパンは食事の重要な一部です。かつてパンという言葉は、食べ物一般を意味する言葉としても使われました。例えば、「家にはパンはもう殆どありません」と言うと、それは「家には食料品はほとんどありません」を意味しました。このようにパンは、フィンランド人にとって重要な食べ物です。日本人は、どの食べ物が同じように重要でしょうか?やはり、お米でしょうか?

聖書にもパンやパンに関係しているお話が沢山あります。今日は聖書の中でも特に有名な、「イエス様が五千人の人たちに食べ物を与える」という話について話したく思います。

ある時イエス様は湖の岸辺で群衆に神様について教えられていました。長い間教えたので、お疲れになり、弟子たちと一緒に静かなところに行ってそこで休もうと思いました。そこでイエス様は、弟子たちと一緒に舟に乗って、湖の向こう岸に行きました。イエス様はそこでしばらく休めると思いました。しかし、群衆はイエス様と弟子たちが舟に乗ったのを見て、陸の道を通って反対側の岸に行きました。イエス様は大勢の群衆が集まって来たのを見て、新しい場所でも神様について教え始めました。人々はイエス様の教えに夢中になって、時間が立つのも忘れてしまいました。

時間も遅くなってきて、みんなもだんだんお腹がすいてきました。弟子たちは心配してイエス様に言いました。「群衆を解散させてください。そうすれば、みんな自分で近くの村に行って何か食べ物を買うことができるでしょう。」しかし、イエス様は「あなたがたが彼らに食べ物をあげなさい」と言ったので、弟子たちはびっくりしてしまいました。なぜなら、弟子たちはお金はみんなのを合わせても二百デナリオンしか持っておらず、その金額は五千人の人たちにパンを買うにはとても少なすぎました。弟子たちはイエス様に、「二百デナリオンでパンを買って、みんなに食べさせるのですか」と聞きました。ところがイエス様は弟子たちに、群衆の中にいくつパンがあるか調べるように命じました。弟子たちは群衆の中を調べて、「パンは五個見つかりました。その上魚が二匹ありました」とイエス様に言いました。そこでイエス様は弟子たちに命じて、人々を芝生の上に座らせました。弟子たちはこんな少ないパンと魚で一体何ができるのだろうかと思いましたが、イエス様の言う通りにしました。

(c) MMBOX PRODUCTION http://www.christiancliparts.net

イエス様は五つのパンと二匹の魚をとって高く掲げて、神様に感謝してお祈りしました。その後で弟子たちにパンと魚を渡して、群衆に分けるように命じました。すると不思議なことに、五千人の人たちはパンと魚をお腹いっぱいになる位に食べたのです。そして、残ったパンのかけらを集めると、十二の籠が一杯になりました。

この出来事は、イエス様は私たちに肉体のための食べ物と霊的な食べ物の両方を与えてくださることを語っています。はじめイエス様は群衆に神様について教えました。神様は本当に恵みと愛に満ちた方だから、信頼して安心して大丈夫と沢山教えました。人々はこの教えを聞いて、心から喜んでもっと聞きたいと思いました。聞いているうちに時間がたって、夕方になっているのに気が付かないくらいでした。お腹がすいていたのも忘れるくらいでした。みんなお腹がすいていたのに、誰もパニックにならないで、イエス様の言われるとおりに芝生に座って、これからどうなるか見ていました。群衆は誰も心配していません。みんなは、イエス様は神様のひとり子なので信頼して大丈夫と思っていました。本当に大丈夫だったのです。こうして人々は、イエス様から霊的な食べ物を得て、神様が本当に人間を愛して下さっているとわかって、神様とイエス様を深く信頼して、肉体的な食べ物も得られました。五つのパンが5千人の人に足りて、余ったものがさらに12の籠に一杯になったというのは、神様の私たちに対する愛がそれだけ溢れるくらいのものであることを意味しています。聖書を読むと、そのような大きな愛が私たちに注がれていることがわかります。

   

10月のフィンランド家庭料理クラブの報告

昨日の蒸し暑さを忘れてしまうような、爽やかな土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは
「リンゴケーキ」を作りました。

リンゴのケーキ、リンゴケーキ

最初にお祈りからスタートです。

計量、リンゴや道具類の準備、
そして、生地作りへと進みます。

今回は10名の参加があり、
牧師館は、賑やかな雰囲気のなか、6台のリンゴケーキが完成しました。

パイビ先生からは、フィンランドの夏、秋、冬のリンゴや、果物事情、そして、聖書に登場する果物のお話を、興味深く聞かせて頂きました。

先生のお話は、教会HPに掲載されますので、是非御覧ください。

参加の皆様、最後まで片付けにご協力頂き、ありがとうございました、またお目にかかれるのを楽しみにしています。

リンゴのケーキ、リンゴケーキ

 

フインランド料理教室:パイヴィ 吉村 宣教師

りんごの話

リンゴの木、リンゴこの季節フィンランドの多くの家庭ではリンゴを使ってケーキ、おかゆ、その他のデサート、ジャム、ジュースなどを作ります。それで、リンゴの香りが家の中から外に広がっていきます。今年の夏私たちはフィンランドに一時帰国しましたが、秋のリンゴの収穫はとても良いと分かりました。というのは、どの家でも庭のリンゴの木は枝が折れそうになるくらいにリンゴで一杯だったからです。私の実家のリンゴの木は植えてからまだ数年しかたっていませんが、夏の終わりにはもう沢山りんごが出来ていました。

リンゴはフィンランドで最も古い果物で、千年くらい前にスウェーデンから広がってきました。リンゴはフィンランドの南の地方で良く栽培されますが、北にあるラップランドでは寒すぎて栽培できません。フィンランドのリンゴの実は日本のように大きくて豪華な感じがしませんが、フィンランド人は自分の家の庭にリンゴの木を植えて、大事に育てます。リンゴの木は育てる人を1年に二回喜ばせます。1回目は、五月の終わりにリンゴの木が白い花で一杯になり、花の香りが遠くまで広がります。フィンランド人はこの季節が好きで、リンゴの花が咲くのを毎年楽しみにしています。2回目の喜びは、8月の終わりごろ、赤や緑の実が出来きる時です。

リンゴの出来具合は年によって変わります。今年のように収穫の良い年は、リンゴの木は枝が折れそうになるくらいに沢山の実がなります。しかし、春が寒い年にはリンゴの実は木に何個しかできません。このためにフィンランド人は収穫の良い年にジャムやジュースを作って保存します。

フィンランドではリンゴの木は3種類あって、夏リンゴ、秋リンゴ、冬リンゴと呼ばれます。夏リンゴの実は一番早く出来て、味は甘く、そのまま食べて美味しいリンゴです。秋リンゴの実は固めでジャムやジュースを作るのに用いられます。冬リンゴの実は酸っぱくて、木から採った後、何週間か地下においてから食べます。冬リンゴの実はよくクリスマスの時に食べられます。

リンゴは健康にとても良い果物です。フィンランドのことわざに、「毎日リンゴを1個食べれば、医者を遠ざけることができる」というものがあります。リンゴはビタミン、ミネラル、繊維など沢山入っているので、健康に良いのです。秋、仕事場のおやつにリンゴを持って行く人は多いです。仕事場で自分の庭で育てたリンゴを同僚の人たちに分けてあげるのは、楽しいことの一つです。

リンゴは甘ければ甘いほど美味しいですね。しかし、フィンランドには冬リンゴのように酸っぱいものもあります。口からすぐ吐き出したいくらい酸っぱいものもあります。私は、健康に良いリンゴの実には甘いものと酸っぱいものがあるというのは、聖書のみ言葉にもいろいろな「味」があるのと同じではないかと思います。あるみ言葉は甘くて、もっと読んだり聞きたいと思います。ところが、あるみ言葉は酸っぱくて、読みたくないし、聞きたくもありません。このような聖書のみ言葉はどんな言葉でしょうか?

例として、2つの聖書の箇所を選びました。一つ目は、聖書の中でとても有名な箇所、「ヨハネの福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」フィンランドでは中学2年生の子供たちは教会の堅信礼の教育を受けるので、この箇所をよく覚えている人が多いです。神様は、このみ言葉を通して、私たちにどんなことを語っているでしょうか?

ここで独り子というのは神様の子、イエス様のことを指します。天の神様は、ご自分の独り子、イエス様をこの世に送られました。どうして神様はイエス様を送られたのでしょうか?それは、私たち人間が神様の言われたことをしっかり守ることが出来ないからです。神様が造られた最初の人間アダムとエバもそうでした。アダムとエバははじめエデンの園で暮らしていました。二人はエデンの園にある果物を自由に食べることが許されていましたが、一つの木からは食べてはいけないと神様に言われていました。しかしエバはその木の実を採ってアダムに渡し、アダムもそれを食べてしまいました。その実を食べたために、人間は死ぬことになってしまいました。また神様が言われたことを守れなかったために、アダムとエバはエデンの園から追放されてしまいました。

でもこれで全てが終わったのではありませんでした。神様はこのような人間を救って、再びご自分のもとに戻ることができるようにしようと考えました。そのためにイエス様をこの世に送られました。十字架の上でイエス様は、私たちの罪の罰をかわりに受けてくださいました。このように神様は、私たち一人一人を愛して下さるのです。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させられて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる者に、その命に至る道が開かれることになったのです。これが、先ほど読んだヨハネの福音書の箇所の意味です。これはとても素晴らしい箇所で、私も何回も読んだり暗記したみ言葉です。

二番目のみ言葉は、「ヘブライ人への手紙12章5節と6節です。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力は落としてはならない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭うたれるからである。」この言葉を聞くと皆さんは、厳しい言葉だと思うかもしれません。この言葉にはどんな意味があるでしょうか?天の神様はいつも私たちに楽な道、困難がない道を与えられるとは限りません。人生の中でいろんな困難、病気、悩み、失業などに遭遇する時というのは、天の神様と私たちが結びついていることがはっきりする時でもあります。結びつきがあるとどうして言えるのでしょうか?イエス様を私たちのために送って下さった神様は本当に信頼してよい方です。また、神様のもとに行ける道は、イエス様を救い主と信じることで十分であるといことです。このように神さまは私たちのことを愛して下さるので、困難な時にも私たちに良い道を示して下さるのです。

聖書の全部のみ言葉の目的は同じです。私たちの心に信仰が生まれて、それを成長させて、リンゴの木と同じように良い実を結ぶことです。

私たちも、良い実を結べるようにみ言葉を聞いたり読んだりしましょう。

 

聖書研究会:神学博士 吉村博明 宣教師

「ヘブライ人への手紙」13章 

1年以上続いたこの講座もいよいよ今回で最終章です。先生はこの手紙は手紙と言うよりは説教に近いと仰っていました、もしこれが説教だとしたら話す方も聞く方も相当なエネルギーが必要だったと思います。先生はいつも講座の折には幾通りかの聖書を携えていらっしゃいました。気になる聖書の箇所をギリシャ語・ドイツ語・英語・フインランド語・スェーデン語そして日本語と、各々を比較検討して解説してくださいました、そのために国によって内容に微妙な違いがあることがよく分かりました。