2/8 フィンランド家庭料理クラブのご報告

寒い気温でしたが、明るい日射しの土曜日の午後、スオミ教会「家庭料理クラブ」は、ルーネベリ▪ロールケーキを作りました。

最初にお祈りをして始まります。

今回は4組に別れての作業です、レシピの説明を受け、材料の計量をして、軽く柔らかい生地は鉄板に流され、綺麗に焼き上がり、次の作業の巻き込むクリーム作りへ進みます。

完成した4本のロールケーキが冷めるのを待つ間、ヴォイレイパも作りました。

試食会では、楽しいおしゃべりに笑い声が響きました。
一段落した頃、パイヴィ先生から、フィンランドの作家で、お菓子の名前にもなっているルーネベリのお話を聞かせて頂きました。

多くの讃美歌も作られたそうで、機会があったら、ぜひ聞かせて頂きたいと思いました。

参加の皆様お疲れ様でした。

 

2020年2月8日ルーネベリタルトの話

フィンランドでは新年が終わったら、次にお祝いの日になるのは2月5日の「ルーネベリの日」です。この日は昔は休日でしたが、今はそうではなく、ただ国旗を掲げるだけの祝日です。それでも新年が終わると、ルーネベリタルトがお店で売られることは変わりません。

Albert Edelfelt [Public domain]ルーネベリとはどんな人だったでしょうか?彼はフィンランドの有名な作家で、1804年に生まれました。詩や小説をたくさん書いて、彼の最も有名な詩「わが祖国」はフィンランドの国歌になりました。また、彼は教会のことも熱心で、60曲近い讃美歌の詩も書きました。今フィンランドの教会で使っている賛美歌の中にはルーネベリが書いた賛美歌がまだ21曲のっています。

お祝いをするのが好きだったルーネベリは、50歳になってから毎年誕生日に大きなお祝いをしました。後に彼の誕生日である2月5日は、彼の記念日としてフィンランド全国で祝われるようになりました。現在は彼の誕生日というよりは、フィンランドの文化の日として祝われます。この日にルーネベリが大好きだったルーネベリタルトがオフィシャルなお祝いの会場でも家庭でも出されます。ルーネベルリは小説や詩だけでなく、ルーネベルリタルトも残したと言うことができます。

ルーネベリは、この甘いお菓子を朝食で食べたくらい大好きだったそうです。このお菓子の始まりについては、いろいろな説があります。ある説によると、ルーネベリタルトはスイスで初めて作られて、そこからフィンランドのルーネベリが住んでいた町に伝わって、町の喫茶店で売られていたということです。ルーネベリはこのお菓子がとても気に入って、よく食べるようになったのが始まりだと言われています。ルーネベリは甘いお菓子が大好きだったので、奥さんのフレディリカもこのお菓子を作ったそうです。

現在、ルーネベリタルトのレシピはいろいろありますが、一番オーソドックスなものは、形が円筒形で、上にのせるジャムはラズベリージャムです。面白いレシピの一つは、生地にピパルカックを入れるものです。クリスマスの期間に食べきれなかったピパルカックをつぶして生地の中に入れて、それで美味しいものが出来るのは素晴らしいことと思います。しかし最近の家庭はピパルカックを昔ほど沢山作らないので、つぶしたピパルカックの代わりにピパルカックのスパイスを入れるようになりました。今日皆さんと一緒に作ったロールケーキはそれです。ロールケーキにはつぶしたピパルカックを使わないで、形もロールケーキですので、新しいタイプのルーネベリのお菓子になりました。

このようにルーネベリタルトはいろいろ変わったバージョンが出来ますが、ルーネベリが書いた詩の中で、時代が変わっても変わらない宝物のことを言っているものがあります。その詩は賛美歌にもなりました(賛美歌183 「On meillä aarre verraton」フィンランド語で聴く)。それを紹介したく思います。この賛美歌は長くて7節までありますが、最初の1節だけを訳して紹介します。

「私たちは宝物を持っている。それは他のものと比べることが出来ない宝物。金よりも価値がある宝物。この宝物を前にしたら宝石など、ただの土のよう。この偉大な宝物は、天の神様がご自分のもとから送って下さる御言葉だ。御言葉を神様は宝物として私たちに与えて下さった。」

この賛美歌はルーネベリが書いた賛美歌の中で最も有名で、最も美しい賛美歌と言われています。この賛美歌で歌われている宝物とは何でしょうか?それはいつまでも永遠に変わらない、神様の御言葉です。ルーネベリは天国に属する御言葉と地上に属する金と宝石を比べます。金と宝石はこの地上がある時だけ存在します。神様の御言葉はこの地上がある時だけでなく、それを超えて天国にまで存在します。このように神様の御言葉は、金や宝石よりも永遠に続くので、それらよりも高い価値があるのです。そして、もう一つ大事なポイントは、神様の御言葉はある限られた人たちに与えられるのではなく、世界中の人たちに与えられる宝物であるということです。

どうして、神様の御言葉は私たちにとって最も高価なものでしょうか?それは、私たちが天と地そして人間を造られた神様のことを知ることができる言葉だからです。聖書を読んだり聞いたりすると、私たちは神様やその独り子イエス様を知ることが出来ます。小教理問答というルターが書いたキリスト教の入門の本があります。フィンランド語でKatekismusと言います。そこで、神様の独り子イエス様を信じて受け入れると神様の子供になれる、それが人生で最も高価なことであると言われています。ルーネベリが書いた賛美歌の意味はとても深いと思います。ルーネベリタルトを食べたり、ルーネベリの名前を聞いたりする時は、この賛美歌の深い意味を思い出しましょう。

交わり

 

本日の礼拝に参加されたフインランドから来日されたカイヤレーナ・ビルヤさんを交えて歓談が持たれました。礼拝の途中できれいな声で歌ってくれた詩編139がとても印象的でした。

説教「キリスト信仰の『幸い』ストーリー」神学博士 吉村博明 宣教師、マタイにようる福音書5章1-12節、ミカ章6-8節

主日礼拝説教 2020年2月2日 顕現節第4主日

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

 

1.はじめに - 「幸せ」と「幸い」

 本日の福音書の箇所はマタイ5章のイエス様の「山上の説教」の最初の部分です。「山上の説教」はガリラヤ地方の小高い山の上で群衆に向かって語られた教えで、マタイ5章から7章までの長きにわたります。教え終わった時、「群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」と言われています(7章29節)。そのように聞く人に強いインパクトを与えた教えでした。2000年後の私たちが読んでもインパクトがあると思います。例えば「復讐してはならない、敵を愛せよ、人を裁くな」というのは崇高な理想に聞こえます。また、「野の花を見よ、働きもせず、紡ぎもしない、それなのに、天の父なるみ神はこのように装って下さる。お前たちにはなおさらである。だから思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」などは、キリスト信仰者であるなしにかかわらず、深い励ましを感じさせます。そうかと思えば、モーセ十戒の第五の掟「汝殺すなかれ」について、たとえ殺人を犯さなくとも心の中で兄弟を罵ったら同罪であると言います。第六の掟「汝姦淫するなかれ」についても、たとえ不倫をしなくともふしだらな目で異性を見たら同罪である、などと教えます。そこまで言われたら神の前で正しい人間などいなくなってしまうではないか、と呆れかえられるのではないでしょうか。

このように「山上の説教」には、崇高な理想を感じさせる教えもあれば、励ましや慰めに満ちた心温まる教えもあり、そうかと言えば、ちょっと受け入れられないぞ、というような教えもあります。いずれにしても聞いた人たちは何か不動の真理が述べられていると気づき、大きな権威を感じました。

 本日の箇所は、「山上の説教」の中で「幸いな人」について教えているところです。「幸せ」ではなくて「幸い」と言っていることに注意しましょう。もとにあるギリシャ語の単語マカリオスμακαριοςの訳として「幸せ」ではなく「幸い」が選ばれました。普通の「幸せ」と異なる「幸せ」が意味されています。それでは、「幸い」はどんな「幸せ」でしょうか?一般に、好きなことが出来ることや欲しいものが持てることが幸せなことと考えられるでしょう。その意味で、不足がない状態を幸せと言っていいでしょう。

「幸い」は次元が違います。誤解を恐れずに言えば、欲しいものが持てない時にも好きなことが出来ない時にも失われない幸せです。この世離れした「幸せ」です。聖書の観点で言うと、「幸い」とは創造主の神が「これが人間にとって幸せなのだ」と言っていることです。「幸せ」の方は人間自身が「これが自分にとって幸せだ」と言っていることです。神の目から見た幸せと人間の目から見た幸せということですが、両者は重なる部分もありますが、基準はあくまで神の視点です。

さて、現代のような、あらゆることが人間中心で進む時代に「創造主の神」などを持ち出してその基準に人間を従わせるようなことは流行らないと言われるでしょう。良いこと悪いこと正しいこと間違っていることの判定にもう神など持ち出す必要はない、人間にやりたいようにやらせて何か不都合なことが起きたら軌道修正すればいい、そういうやり方でいけばいいじゃないか、そういう考え方に皆さんなってきているのではないでしょうか?そうなれば、人間が生きる目的は「幸せ」の獲得だけになります。「幸い」などというものは神の余計なおせっかいで、「幸せ」を追求する時の邪魔にさえなります。そうすると、聖書やキリスト信仰というのは実は時代の流れに逆らう反逆児のストーリーではないかと思えるのですが、どうでしょうか?要は、人間は神の前に跪いて祈るのが人間らしいのか、それとも、跪くものなど何もないというのが人間らしいのか、どちらが人間らしいかという問題に行きつくと思います。

2.「幸い」のケース・スタディー

 話が広がりすぎました。イエス様の「幸いな人」の教えに戻りましょう。イエス様はどんな人が神の目から見た幸せな人、つまり「幸いな」人であると教えているでしょうか?九つのケースがあります。それぞれについて見ていきましょう。

まず、「心の貧しい人たち」が幸いであると言われます(3節)。よく指摘されることですが、この「心の貧しい」というのはギリシャ語の原文では「霊的に貧しい」です。英語の聖書(NIV)もスウェーデン語もフィンランド語もルター訳によるドイツ語も皆「霊的に貧しい」と訳しています(後注1)。どうして日本語訳で「心の貧しい」と訳されたのかはわかりません。「心が貧しい」と言うのは、日本語の辞書を見ると「人格や器量が乏しいさま」とか「考えが狭かったり偏っていたりすること」とか、何か至らない人間を指す言葉です。

それでは「霊的に貧しい」というのはどういうことか?ここから先はルター派の観点で述べていきます。「霊的に貧しい」とは、天地創造の神に対して至らないところがあるということです。さらに大事なことは、その至らなさを自覚しているということです。十戒があるおかげで創造主の神が人間に何を求めているかがわかります。それに照らし合わせると、自分は神に対して至らないということがわかります。これが霊的に貧しい状態です。自分はもちろん殺人もしないし不倫も盗みも働かない。だから神はよしと認めて下さるかと言えば、神のひとり子のイエス様が「山上の説教」で、兄弟を罵ったら殺人と同罪、異性をふしだらな目でみたら姦淫と同罪などと教えているではないか!神聖な神は人間の外面的な行為のみならず心の奥底まで潔癖かどうか見ておられる。なにしろ神は天と地のみならず人間をも造られた創造主で、人間一人一人に命と人生を与えられた造り主である。私たちの髪の毛の数から心の奥底までも全部お見通しである。そうなれば、自分は永遠に神の前に失格者だ。このように神聖な神の意思を思う時、全然なっていない自分に気づき意気消沈する。これが霊的に貧しいことです。しかし、そのような者が「幸いな者」と言うのです。

なぜ、そのような者が幸いなのか?その理由が言われていています。「なぜなら天の国はその人たちのものだからである。」新共同訳では出ていませんが、ギリシャ語原文ではちゃんと「なぜなら」と言っています。これは不思議な事です。「天の国」、つまり「神の国」のことですが(マタイは「神」という言葉を畏れ多くて使わず「天」に置き換える傾向があります)、それが、神の前に立たされても大丈夫な者、霊的に完璧な者が幸いで神の国を持てるとは言わないのです。逆に、自分は神聖な神の前に立たされたら罪の汚れのゆえに永遠に焼き尽くされてしまうと心配する。そういう霊的に貧しい者が幸いで神の国を持てるとイエス様は言われる。これは一体どういうことなのでしょうか?これは後で明らかになります。

次に「悲しむ者が幸い」と言われます(4節)。何が悲しみの原因かははっきり言っていません。前の節で言っていた、神の前に立たされて大丈夫でない霊的な貧しさが悲しみの原因と考えられます。加えて、そういう神との関係でなく、人間との関係や社会の中でいろんな困難に直面して悲しんでいることも考えられます。両方考えて良いと思います。ここでも「悲しむ者」がなぜ幸いなのか、理由が述べられています。「なぜなら彼らは慰められることになるからだ。」ギリシャ語原文は未来形なので、将来必ず慰められるという約束です。さらに新約聖書のギリシャ語の特徴の一つとして、受け身の文(~される)で「誰によって」という行為の主体が言われてなければ、たいていは神が主体として暗示されています。つまり、悲しんでいる人たちは必ず神によって慰められることになるということです。どういうことか、これも後で明らかになります。

次に「柔和な人々」が幸いと言われます(5節)。「柔和」とは、日本語の辞書を見ると「態度や振る舞いに険がなく落ち着いたさま」とあります。ギリシャ語の単語プラウスπραυςも大体そういうことだと思いますが、もう少し聖書の観点で言えないか?ルターがマリアの品性について言っていることが当てはまると思います。マリアは神を信頼し、神が計画していることは自分の身に起こってもいいという物分かりのいい態度でした。たとえ世間から白い目で見られることになるかもしれなくても、神は全てに勝る方なので心配しなくてもいいという単純さ、神の計画を運命として静かに受け入れる態度でした。そういう神への信頼に裏打ちされた物分かりのよさ、単純さ、静かに受け入れる態度、これらが柔和の中に入って来ると思います。

そんな柔和な人たちが幸いである理由は、「地を受け継ぐことになるからだ」と言います。少しわかりにくいですが、旧約聖書の伝統では「地を受け継ぐ」と言えば、イスラエルの民が神に約束されたカナンの地に安住の地を得ることを意味します。キリスト信仰の観点では、「約束の地」とは将来復活の日に現れる「神の国」になりますので、「地を受け継ぐ」というのは「神の国」を得る、そこに迎え入れられることを意味します。神を信頼する柔和な人たちが神の国に迎えられるということも後で明らかになるでしょう。

次に「義に飢え渇く人々」が幸いと言われます(6節)。「義」というのは、神聖な神に相応しいということです。神の前に立たされても大丈夫、問題ないという状態です。先ほど見た、霊的に貧しい者は神の前に立たされたら大丈夫でないと自覚しています。それなので義に飢え渇くことになります。そのような者が幸いと言われますが、その理由は「彼らは満たされることになるからだ」と言われます。これも受け身の文なので、神が彼らの義の欠如を満たして下さるということです。義がない状態を自覚して希求する者は必ず義を神から頂ける。だから、義に飢え渇く者は者は幸いである、と。義の欠如の自覚がなく、義に飢えも渇きもない人は満たしてもらえません。それでは、神はどのように義の欠如を満たして下さるのか、これも後で明らかになります。

7節では「憐れみ深い人」が幸いで、それは彼らが神から憐れみを受けることになるからだと言われます。神から憐れみを受けるとは、神の意思に照らしてみると至らないことだらけの自分なのに受け入れてもらえるということです。罪を持つのに赦してもらえるということです。どうしたら私たちも赦したり受け入れたりすることが出来るでしょうか?そのことも後で見ていきます。

8節では「心の清い人」が幸いで、それは彼らが神をその目で見ることになるからだと言われます。「心の清い」とは罪の汚れがないということです。そんな人は神の前に立たされても大丈夫なはずですから、神を見るのは当然です。私たちはどうしたらそんな清い心を持てて、神の前で大丈夫でいられるようになれるのでしょうか?そのことも後で見ていきます。

9節では「平和を実現する人」が幸いで、それは神の子と呼ばれるようになるからだと言われます。「平和を実現する」と言うと、何か紛争地域に出向いて支援活動をするような崇高な活動のイメージが沸くかもしれません。しかし、平和の実現はもっと身近なところにもあります。ローマ12章でパウロは、周囲の人と平和に暮らせるかどうかがキリスト信仰者次第という時は、迷わずそうしなさいと教えます。ただし、こっちが平和にやろうとしても相手方が乗ってこないこともある。その場合、こちらとしては相手と同じことをしてはいけない。「敵が飢えていたら食べさせ、乾いていたら飲ませよ」、「迫害する者のために祝福を祈れ」と、一方的な平和路線を唱えます。なんだかお人好し過ぎて損をする感じですが、神の子と呼ばれる者はそうするのが当然というのはどうしてなのか、それも後で明らかになります。

これらの他にも、10~11節で義やイエス様を救い主と信じる信仰のゆえに人からあることないこと言われたりひどい場合は迫害されてしまうが、それも幸いなことと言われ、それは神の国に迎え入れられることになるからだと言われます。どうやら、全ての「幸い」のケースは神の国への迎え入れと関係しているようです。神によく慰められることも、神の国を受け継ぐことも、義が満ち足りた状態になるのも、憐れみを受けるのも、神を目で見ることも、神の子と呼ばれることも全て、神の国に迎え入れられるからそうなるのだ、ということが見えてきます。そのことを詳しく見る前に、神の国に迎え入れらるとはどういうことか?どうしたら迎え入れられるのか?これを次に見てみましょう。

3.旧約で足踏み状態だったところから足を踏み出させるイエス様

 イエス様の「山上の説教」を当時はじめて聞いた人たちは面食らったことと思います。というのは、旧約聖書の伝統では「幸いな人」は、詩篇の第1篇で言われるように、律法をしっかり守って神に顧みてもらえる人を意味していたからでした。また、詩篇の第32篇にあるように、神から罪を赦されて神の前に立たされても大丈夫に見なされる人を意味しました。

人間はどのようにして神から罪を赦されるでしょうか?かつてイスラエルの民はエルサレムに大きな神殿を持っていました。そこでは律法の規定に従って贖罪の儀式が毎年のように行われました。神に犠牲の生け贄を捧げることで罪を赦していただくというシステムでしたので、牛や羊などの動物が人間の身代わりの生け贄として捧げられました。律法に定められた通りに儀式を行っていれば、罪が赦され神の前に立たされても大丈夫になるというのです。ただ、毎年行わなければならなかったことからみると、動物の犠牲による罪の赦しの有効期限はせいぜい1年だったことになります。

イエス様の教えを聞いた人たちは旧約聖書の伝統に立っているので、「幸いな人」と聞いて、律法を心に留めて守る人とか、神殿での儀式を通して罪の赦しを得られる人とか、そういう人を連想しました。詩篇の第1篇と32篇は、ヘブライ語の原文では「幸いなるかな」アシュレーאשריという言葉が先に来て、「~する人」という言葉が続きます。イエス様が「山上の説教」の時に話した言葉はアラム語というヘブライ語に近い言葉でした。それがギリシャ語に訳されて新約聖書に載っているわけですが、それでも文の形は同じで、「幸いなるかな」マカリオイμακαριοιという言葉が先にきて、「~する人」と続いて行きます。アラム語でも同じ形だったでしょう(後注2)。つまり、語るリズムは旧約聖書と同じです。それなのに、聞いていると、律法のことも罪の赦しも言われません。神の前に立たされたら自分は大丈夫ではないこと、大丈夫になるのは今までと違うやり方でないとダメだということ、そういうことを明らかにするような教えでした。イエス様の意図は一体なんだったのでしょう?

イエス様の意図はこうでした。イスラエルの民よ、お前たちは律法を心に留めて守っているというが、実は留めてもいないし守ってもいない。人間の造り主である神は人間の心の清さも求めておられるのだ。お前たちは神殿の儀式で罪の赦しを得ていると言っているが、実は本当の罪の赦しはそこにはない。父なる神は預言者たちの口を通して言っていた。毎年繰り返される生け贄の捧げは形だけの儀式になってしまい、心の中の罪を野放しにしている。それなので私が本当に律法を心に留められるようにしてあげよう。本当の罪の赦しを与えよう。本当に罪の赦しを与えられ、本当に律法を心に留められた時、お前たちは本当に「幸いな者」になる。そして「幸いな者」になると、お前たちは今度は霊的に貧しい者になり、悲しむ者になり、柔和な者になり、義に飢え渇いたり、憐れみ深い者になり、心の清い者になり、義や私の名のゆえに迫害される者になるのだ。

それではイエス様はどのようにして人間に本当の罪の赦しを与えて、人間が律法を心に留められるようにして「幸いな者」にしたのでしょうか?

4.「神の国」に至る道に置かれてそれを歩むキリスト信仰者

 それは、天地創造の神が立てた人間救済計画を実行することで行われました。もともと人間は神に創造された当初は罪を持たない、従って罪の赦しを必要としない存在として、神聖な神のみもとにいることができていました。ところが、創世記3章に記されているように、神に対して不従順になり罪を犯し、罪が人間の内に入り込んだがために人間と神との結びつきは失われて、神のもとにいられなくってしまいました。この時、人間は死ぬ存在となってしまいました。神はこの状態を悲しみ、それを解決するためにひとり子イエス様をこの世に送られました。イエス様に人間の全ての罪を背負わせて、ゴルゴタの十字架の上まで運ばせてそこで神罰を受けさせて死なせました。罪と何の関係もない神聖な神のひとり子に人間の罪の償いをさせたわけです。そうしたのは、ひとり子の犠牲に免じて人間の罪を赦すことにしたからでした。本日の旧約の日課ミカ書で、神の御前に立つことが出来るために動物の生贄を捧げることはもはや意味がないのではと自問しているところがありました。動物の生贄に意味がないとしたら、人間が自分の子供か胎児を生贄にしなければならないのだろうかとさえ言います。神は、そうする必要はないと言わんばかりに、自分のひとり子を生贄に捧げたのでした。

この犠牲は神の神聖なひとり子の犠牲でした。それなので、神殿で毎年捧げられる生け贄と違って、本当に一回限りで十分というとてつもない効力を持つものでした。罪には人間を神から引き離す力があったのですが、それが完全に削がれるという状況が生まれました。あとは人間の方がこれらのことは自分のためになされたのだとわかって、それでイエス様は自分の救い主であると信じて洗礼を受けると、その状況の中に入れて罪の赦しがその人に効力を発揮し出します。その人は、復活の体と永遠の命が待っている「神の国」に通じる道に置かれます。そして、その道を歩み始めます。イエス様を救い主と信じる信仰に入り洗礼を受けた者は、使徒パウロがガラティア3章26-27節で言うように、神聖なイエス様を衣のように頭から被せられます。信仰者は、この罪の汚れのない衣を纏いながら、神の国に至る道を歩んでいきます。

イエス様という義と神聖さを持つ方を衣のように被せられた人は、まだ内側に罪の汚れを持ってはいても、神がその汚れなき衣に目を留めて下さるので大丈夫です。至らぬ自分なのに、ひとり子を犠牲にするくらい、私のことを思って目をかけて下さった。このことが分かった人は、神に申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちの両方を持つようになるので、神がそうしなさいと言われることはそうしなくては、という心になります。そこで、神がしなさいと言われることですが、本日の旧約の日課ミカ書6章の8節によく要約されています。
「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」

「正義を行う」、つまり隣人が大切なもの必要なものを奪われていないかよく注意し、不正や不公平や不正義に反対する。「慈しみを愛する」、つまり私が罪を赦されたように私も隣人の罪を赦す、そのように愛する。「ヘリ下って神と共に歩む」、つまり、罪を犯さないように注意してこの世を生きる。その際、一人ぼっちではなく神と共に歩む(後注3)。

神への申し訳なさと感謝の気持ちから神の意思を心に留めるようになった。すると今度は、自分は果たして神の意思に沿うように生きているのだろうかということに敏感になります。外面的には罪を行為にして犯していなくとも、心の中で神の意思に反することがあることに気づかされます。霊的に貧しい時であり、悲しい時であり、義に飢え渇く時です。その時キリスト信仰者はどうするか?すぐ心の目をゴルゴタの十字架の上のイエス様に向けて祈ります。「父なるみ神よ、イエス様を救い主と信じていますので、私の罪を赦して下さい。」すると神はすかさず「お前がわが子イエスを救い主と信じていることはわかっている。イエスの犠牲に免じてお前の罪を赦す。これからは罪を犯さないように」と言ってくれて、私たちはまた新しいスタートを切ることができます。神の国に至る道を歩むキリスト信仰者はいつも、このように慰めを受け、義の飢えと渇きを満たされます。それなので、神に対して強い信頼を抱き柔和になります。

一方的な平和路線で良いという態度については、パウロがローマ12章で言っています。キリスト信仰者たる者は最後の審判で正義が実現することに全てを賭けている、だから自分では復讐はしない。信仰のことを悪く言われても迫害されても、それは「神の国」に至る道を歩んでいることの証しに他ならないということになります。

そうこうしているうちに歩んできた道も終わり、神の前に立たされる日が来ます。キリスト信仰者は自分には至らないことがあったと自覚している。しかし、自分としてはイエス様を救い主と信じる信仰に留まったつもりだった。不十分なところもあったかもしれないが、信仰が全てでした、そう神に申し開きをします。イエス様を引き合いに出す以外に申し開きの材料はありません。その時、神は次のように言われます。「お前は、イエスの純白な衣をしっかり纏い続けた。それをはぎ取ろうとする力が働いても、しっかり握り掴んで手放さなかった。その証拠に私は今、お前が同じ衣を着て立っているのを目にしている。」

 兄弟姉妹の皆さん、これがキリスト信仰の「幸い」のストーリーなのです。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように
アーメン

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(後注1)「霊的に貧しい」οιπτωχοιτωπνευματιは、英語(NIV)ではthe poor in spirit、ドイツ語(ルター訳)ではdie da geistlich arm、スウェーデン語ではfattiga i anden、フィンランド語ではhengissä köyhät。ドイツ語(einheitsübersetzung)ではdie arm sind vor Gottとなっていて、神に対する至らなさがすぐ出る訳だと思います。

(後注2)アラム語でも「幸いなる」はアシュレーאשריです。これに「~する人」が付け加わえられるわけですが、ヘブライ語の関係詞אשרに代わってアラム語はד’を採ったでしょう。

(後注3)。「慈しみを愛する」はヘブライ語はאהבת חסדで、直訳すると「慈しみ/憐れみの愛」、すこし細かく言うと、「慈しむ/憐れむという仕方で愛する」です。

 「ヘリ下って神と共に歩む」とうのは、הצנע לכת עמ-אלהיךのことで、辞書によれば「注意深く生きること、神と共に歩むこと」です。

聖餐式:木村長政 名誉牧師

交わり

今日の礼拝に参加した旧知の4人のゲストを迎えて交わりは何時になく賑やかな交わりになりました。この後に開かれる総会に備えて腹ごしらえは抜かりなくいただきました。

2020年度スオミ教会定期総会

当教会の主任牧師である浅野直樹牧師(市ヶ谷教会)の立会いの下に定期総会が開かれました。吉村博明宣教師から提案された今後の教会の在り方についての議題をめぐって遅くまで討議がなされました。

説教「死の陰を蹴散らす光を見よ」神学博士 吉村博明 宣教師、マタイによる福音書4章12―23節

主日礼拝説教(顕現後第三主日)イザヤ8章23節―9章3節、第1コリント1章10―18節、マタイ4章12―23節

 
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.はじめに

本日の福音書の個所は、いろんなことが詰まっているので、統一したテーマのもとで説教するのが難しいです。それでも、旧約の日課と重ねて何度も読み返すと少し方向性が見えてきました。うまく出来るかどうか自信ありませんが、やってみます。「イエス様は光」というのが統一したテーマというか、コンセプトになるのではないかと思いました。イエス様はどんな光かと言うと、本日の旧約の日課イザヤ書9章の言葉を借りれば、私たち人間はこの世では暗闇の中を進んでいるようであり、CC0死の陰の中に住んでいるようなものである。そこにイエス様という光が現れ、そのおかげで暗闇の中を歩くような危険はなくなり、死の陰なる暗さも消えて何も恐れる必要はなくなるということです。どうしてそんなことが言えるのか、見ていきます。

まず、出来事の流れを見てみます。イエス様がヨルダン川にて洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、神からの霊、聖霊が彼の上に降るということが起きました。これはイザヤ書の預言の実現でした(同書11章2節、42章1節)。その後でイエス様はユダヤの荒野で悪魔から誘惑の試練を受けました。悪魔はイエス様に肉体的な苦痛だけでなく、それから逃れられるために旧約聖書の御言葉を逆手にとって、イエス様がひれ伏すように仕向けました。しかし、全て失敗に終わりました。イエス様は神のひとり子ですから、父の御言葉を正確に理解しています。悪魔の曲解は全てお見通しです。悪魔は退散しました。

悪魔の誘惑に打ち勝ったイエス様は、ユダヤ地方の北のガリラヤ地方に移動し、そこで活動を開始しました。ガリラヤ地方とは、イエス様が育ったナザレの町があるところです。なぜガリラヤに移動したのか?洗礼者ヨハネが投獄されたことが言われています。ヨハネを投獄したのは領主ヘロデとありますが、これはイエス様が生まれた時にその命を狙ったヘロデ王とは別人で、その息子のヘロデ・アンティパスのことです。父のヘロデはローマ帝国の支配の下でユダヤ民族の王としての地位についていました。息子のヘロデ・アンティパスの版図はもっと狭まり、北のガリラヤ地方だけの領主でした。王よりもランクが低いわけです。洗礼者ヨハネはこの領主アンティパスの不倫を咎めたために投獄されたのでした。ヨハネは後に首をはねられてしまいます。イエス様は、ヨハネが投獄されたと聞いて、ガリラヤにやって来たのです。新共同訳では「ガリラヤに退かれた」とありますが、事実は逃げたというより、アンティパスの本拠地に乗り込んで来たというのが真相です。

しかしながら、育ち故郷の町ナザレを活動拠点とはせず、ガリラヤ湖畔の町カペルナウムに落ち着くことにしました。なぜかと言うと、ナザレの人たちがイエス様を拒否したからでした。その辺の事情はルカ4章16~30節に記されています。

さて、カペルナウムを拠点として、イエス様のガリラヤ地方での活動が始まりました。「悔い改めよ、神の国が近づいた」という言い方で人々に教え始めました。教えるだけでなく、人々の病を癒すような多くの奇跡の業を行いました。そのことが本日の旧約の日課イザヤ書にある預言の成就であったと言われています。活動開始の時、弟子になる者たちを選びました。本日の個所ではペトロとアンドレの兄弟、ヤコブとヨハネの兄弟、4人ともガリラヤ湖で漁をする漁師でした。みなイエス様に声をかけられるや、生業を捨てて後についていきます。特にヤコブとヨハネは「舟と父親を残して従った」とあります。救世主が一声かけたら、生業も親も捨てて行ってしまうものなのか?弟子になれるんだったらそれ位は当たり前だなどと言ったら、なんだか世間を騒がす宗教みたいです。この点については、以前の説教で、ルターが教えていることをもとにしてお話ししたことがあります。基本的なことは今も変更ありませんが、今日はまた新しい視点を付け加えてお話ししようと思います。

 

2.闇を照らし、死の陰を蹴散らす光

 まず、イエス様がガリラヤで活動を開始したことが、イザヤ書の預言の成就であるということについて見てみましょう。

マタイ福音書には成就した預言の文句として、イザヤ書8章23節と9章1節を引用しています。ちょっと端折った引用ですので、この2節の全文を見ることが大事です。

「今、苦悩の中にある人々は逃れるすべがない。先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

ヘブライ語の原文から見て、この訳には注文をつけたい点もありますが、細かいことは抜きにして話を進めます。この預言は、これが語られた紀元前700年代に関わることがあります。それに加えて、700年たった後に起きるイエス様の出来事に関わることが含まれます。さらにはイエス様の出来事がその後の時代を経て現在にまで関わっていることも含まれています。とても重層的な預言です。一つ一つ解きほぐしていきましょう。

紀元前700年代、かつてのダビデの王国が南北に分裂して二つの王国が反目しあって200年近く経ちました。こともあろうに、北のイスラエル王国が隣国と同盟して、南の兄弟国ユダ王国を攻めようとしました。ユダ王国は王様から国民までパニックに陥りますが、預言者イザヤが現れて「攻撃は成功しない、なぜなら神の御心がそうだからだ、だから心配に及ばない」と言います。実際、イスラエル王国とその同盟国は東の大帝国アッシリアに滅ぼされてしまい、ユダ王国に対する攻撃は実現しませんでした。イザヤの預言の言葉で辱めを受けた「ゼブロンの地、ナフタリの地」というのは、もともとはユダヤ民族の12の部族のうちのゼブロン族とナフタリン族の居住地域で、北のイスラエル王国の版図です。それが、アッシリア帝国に蹂躙されてしまったのです。

しかしながら、預言の言葉は滅亡に終わりません。「後に、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは栄光を受ける。」

これは、異民族に蹂躙されてしまったこれらの旧ゼブロン、旧ナフタリの地域が神の栄光を受ける場所になるというのです。どういうふうに受けるかということについては9章1節から言われます。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」預言はさらに続きます。その光を見た人々は大きな喜びに包まれる。それはさながら刈り入れの時を祝うようであり、戦争に勝って戦利品を分け合う時のようである、と。戦利品を分け合うというのは物騒な話ですが、戦争が日常茶飯事な時代でしたから喜び祝うことのたとえとして使われたのでしょう。ただし、死の陰を照らす光が現れる時、戦争がなくなると言います。本日の日課を超えますが、4節です。「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」順序が逆になりましたが、「ミディアンの日」と言うのは、士師の時代のイスラエルの指導者ギデオンが小部隊でミディアン人の大部隊を敗走させた出来事を指すと考えられます。士師記7章です。

イザヤ書9章の預言はまだ続きます。本日の日課を超えていますが、大事なので見ていきます。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」ここで預言されている「平和の君」とは誰のことを言うのか?

紀元前700年代、ゼブルンの地とナフタリの地にまたがる北王国はアッシリア帝国に滅ぼされました。その後、南王国は次は自分たちの番かと固唾を飲む状況が続きました。本日の日課の個所の少し前に国民が精神的にも追い詰められていた状況がずっと述べられています。それが8章23節で「今、苦悩の中にある人々は逃れるすべがない」ということなのです。

 そこで、蹂躙されたガリラヤ地方がまた栄光を受けるとはどういうことなのか?ひとりのみどりごが生まれるとは誰のことなのか?南王国はヒゼキア王の下でアッシリアの大軍を寸でのところで撤退させることが出来ました。みどりごはヒゼキア王のことだったのか?しかしながら、南王国も大筋はそのまま神の意思に背き続け、紀元前500年代にバビロン帝国に滅ぼされてしまいます。みどりごはヒゼキア王ではなかった。では、誰か?紀元前500年代終わりにエルサレムの町と神殿の復興が行われましたが、一時期を除いてユダヤ民族はずっとかわるがわる外国の支配下に置かれ続けました。そうしていくうちに、イザヤ書の預言にある「苦悩の中にある」とか、「闇の中を歩む」とか「死の陰の地に住む」というのは、一民族が外国の支配下にある屈辱な状況を意味するのではなく、もっと人間の根源的な苦しみを意味すると気づかれるようになります。そうなると、生まれてくるみどりごも、民族を復興させる英雄ではなくなり、民族に関係なく人間そのものを救う救世主であるとわかるようになります。そもそも、旧約聖書の人類誕生の出来事に照らしてみれば、それこそが正しい理解になるのです。その理解が出てきた頃にイエス様がこの世に贈られてきました。

 

3.神の国への迎え入れ

 イエス様は公けに活動を開始した時、「悔い改めよ。神の国が近づいた」と宣べました。「神の国が近づいた」と言う時、それは本当に神の国がイエス様と一体となって来たことを意味していました。

 神の国がイエス様と一体となって来たことは、彼の行った無数の奇跡に如実に示されています。イエス様の奇跡の業の恩恵に与った人々、そしてそれを目のあたりにした人々が大勢出ました。彼らは、将来この世が終わりを告げて天と地が新しくされる時に到来する神の国というのは、この世で奇跡と捉えられることが普通の当たり前になっているところなのだ、と身をもって体験したのです。しかしながら、神の国がイエス様と共に到来したといっても、人間はまだ神の国と何の関係もありませんでした。最初の人間アダムとエヴァ以来、神への不従順と罪を代々受け継いできた人間は、神聖な神の国に入ることはできないのです。罪と不従順の汚れを持つ人間は神聖なものとあまりにもかけ離れた存在になってしまったからです。この汚れが消えない限り、神聖な神の国に迎え入れられません。いくら、難病や不治の病を治してもらっても、悪霊を追い出してもらっても、空腹を満たしてもらっても、自然の猛威から助けられても、人間はまだ神の国の外側にとどまっています。

 この問題を解決したのが、イエス様の十字架の死と死からの復活だったのです。神は、本来なら人間が受けるべき罪の罰を全てひとり子のイエス様に負わせて、あたかも彼が全ての罪の責任者であるかのようにして十字架の上で死なせました。どうしてそのようなことをしたかと言うと、イエス様の身代わりの死に免じて人間の罪を赦すという策に打って出たのです。そこで人間の方が、十字架の出来事の意味はそういうことだったのだとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受けると、罪の赦しがその人に効力を持ち、罪が赦されるので神の目に適う者となり、神の国に迎え入れられる者に変えられるのです。その人は、そのように変えてもらった以上はそれを汚すようなことはしてはならないと思うようになり、そのように生まれ変わって新しい命を生きるようになるのです。

以上のような次第で、「闇の中を歩む者に光が現れ、死の陰の地に住む者に光が輝いた」という預言は、2000年前のガリラヤ地方の人たちに向けられたものではありません。神に対する不従順と罪を持つがゆえに、神との結びつきを失ってしまった全ての人間、この世を去った後に永遠の命が待つ神の国に入れない全ての人間のことを言っているのです。それが、闇の中を歩むことであり、死の陰の地に住むことです。ゼブルンの地、ナフタリの地、ガリラヤ地方などと日本には縁遠いローカルな地名が登場します。それは、その光であるイエス様がたまたまその地で活動を開始したからにすぎません。イエス様は、十字架の死と死からの復活をもって、創造主の神の栄光を現わし、世の光となられました。イエス様を救い主と信じて洗礼を受ける者はこの光を向いて歩みます。もう死の陰の地に住んでおらず、闇の中を歩みません。

 

4.心で捨てる

 イエス様が4人の漁師に弟子になるように呼びかけ、彼らは生業も家も捨てて付き従って行きました。そうなると、私たちもイエス様の弟子になるのなら、同じようにしなければならないのか?ルターは、そういうことではない、と教えました。彼によれば、行為に表さなくても心で捨てていれば、それでもう4人の漁師と同じくらいにイエス様の弟子であるというのです。「心で捨てる」とは一体どういうことか、彼の教えを今一度引用してみます。

「この4人の漁師の話を聞いた君は、財産や妻や子供は捨てなければならないのか、という思いにとらわれるかもしれない。しかし、そういうことではない。心で家や土地や妻や子供たちを捨てなければならないということなのだ。彼らと一緒に暮らし、彼らのために生活の糧を獲得し、神の定めに従って彼らの世話をしていても、心で彼らを捨てていなければならないのだ。もし行為で捨てなければならない時が来たら、神のためにいつでも捨てることが出来なければならない - そう考えることが出来れば、君は心で捨てたことになるのだ。心が囚われ人のようになってはいけない。心から独占欲、強い執着心、強い依存心を洗い落としていかなければならないのだ。

このようにすれば、仮に財産があっても、内面でそれを捨てることができるのだ。万が一、実際に行為をもって捨てなければならない時が来たら、神の名においてそれを行うのみ。ただし、それは、妻や子供や財産なんてものはない方がいいんだな、などと投げやりな態度で捨てるのではない。そうではなくて、ああ、本当は、神がお許しになれば、もっと自分の手元において世話をしたかったんだ、世話をすることで神にお仕えしたかったんだ、そう考えて捨てるのだ。

自分の心の状態をよく注意しなさい。何を所有しているかとか、いないかとか、多く持っているかとか、いないかとか、そういうことで頭を悩ませないように。今自分のもののように見える財産があっても、それをわきに追いやっておきなさい。あたかも最初からなかったかのように、あるいは、いつでも失うつもりでそうしなさい。そうすることで、我々は常に神の国に結びついているのである。」

実に厳しい教えです。行為で捨てなくても「心で捨てる」と言うのは、何か冷たい感じがします。しかし、ルターは面白いことに、親や子供や伴侶というのは天地創造の神が与えたものであるがゆえに、まさに世話をし仕えるためにあるのだ、だから、ないがしろにしてはならない、と言う。これは冷たい感じと逆で、愛がしっかりあります。親や子供や伴侶というのは本当は神からの贈り物である。だから世話をして仕えなければならない。そうする責任を、与え主の神に負っているのである。贈り物が素晴らしいと、それが愛おしくなるのは当然だが、与えられたというのは、世話をするように任されたということなので、自分の好き勝手にしていい所有物ではないだ。だからこそ、与えられている期間は永遠ではなく限られた時間なのだ。だからなおさら一生懸命に世話をしなければならない。いつかは自分のもとを立ち去ると意識しているからこそ、今一生懸命に世話をするということになっていく。不思議なことに、心で捨てると言っていたことが、こんなふうに愛を持つことになるのです。それは、神が介在しているからです。もし神が介在しておらず、それで「心で捨てる」なんて言ってしまったら、もう世話も何もなくなります。

私たちはどちらかと言うと「心で捨てる」ということはあまり意識していないので、自分から「行為で捨てる」なんてことも想像できないのではないでしょうか?ところが、「自分から」行為で捨てることはしなくても、そうすることを余儀なくされることがあります。例えば、愛する人に先立たれた時などはそうでしょう。その人を無理やりに手放さなければならなくなったからです。「心で捨てる」ということを前もってしていなかったら、急激すぎる現実の変化に心はついていけないのではないでしょうか?

「心で捨てる」ということが意味を持つのは、別れる相手が他人の場合だけでなく、自分自身の場合にも当てはまると思います。私たちは年齢を重ねたり健康上の変化を経験すれば、変化の前の若い自分、元気な自分と別れなければなりません。もちろん病気の場合は、ちゃんと治療して治れば、また元気な自分に戻りますが、年齢や老いの場合は後戻りできません。スピードは人それぞれですが、人生は別れに次ぐ別れです。

そして最後はこの世との別れが待っています。誰もが、このあまりにも大きすぎる別れに際して全てを手放させなければならないことを観念します。人生には別れに次ぐ別れがありましたが、この無数の別れのやっと最後の局面にて、天地創造の神、聖書の神のみが自分に唯一残されたものになりました。その神にこの自分を全て投げ出すように委ねるのであるが、果たして受け取ってもらえる保証はあるのか?キリスト信仰では、その保証があることが強調されます。何がその保証なのか?人間の罪が赦されるようにと人間に代わって罪の償いを果たしてくれた御子イエス様がその保証です。そして、その彼を救い主と信じることも保証になります。さらに洗礼を通して罪の赦しを汚れのない白い衣のように被せてもらうことも保証です。それからは雨の日も風の日もその衣が剥がされないようにしっかり握りしめて纏い続けました。これがあれば父なるみ神は必ずや私をしっかりと受け取って下さる、そう信じて全く大丈夫です。

兄弟姉妹の皆さん、キリスト信仰は、まさに神に自分を投げ出す勇気と神は必ず受け取って下さるという安心を与えてくれます。まさに死の陰を蹴散らした光を見て信じた者は、その勇気と安心を持つことが出来るのです。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

読書会:木村長政 名誉牧師

 

木村先生の読書会「放蕩息子の帰郷」(ナウエン著)もそろそろ大詰めになってきました。今回はレンブラントの絵に描かれた3人の登場人物のうちの三人目の父親についての解釈でした。

スオミ教会・フィンランド家庭料理クラブのご報告

2020年の最初の料理クラブは、あいにく冷たい雪交じりの雨の日の開催でしたが、それでも8名の方が参加されました。

料理クラブは、最初にお祈りをして始めます。

今回はフィンランドの食卓パン「サンピュラ」と田舎風サラダ「マーライス・サラーッティ」を作ります。初めにパンの生地を作り、温かい場所に置いて発酵させます。その間にサラダに入れるポテトをフライパンで焼いて冷ましておきます。

パンの生地はあっという間に大きくふくらみました。生地を丸い形に分けて鉄板に並べます。そこで二回目の発酵をさせます。その間にサラダの材料を刻んで、ボールに材料の段を重ねていきます。レッドオニオンとサーモンを上にのせると、きれいな色のサラダの出来上がりです。オーブンからはパンが焼きあがる香りが部屋中に拡がりました。

試食の時間です。オートミールとライ麦粉が入った焼きたてのパンは香ばしく、いろんなスパイスと酸っぱさのある田舎風サラダによくマッチしました。

参加者の皆さんお疲れ様でした。

次回の料理クラブは2月になります。詳しいことはホームベージをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月18日 フィンランドのパンの話

今日は皆さんと一緒にフィンランドのパン「サンピュラ」を作りましたので、フィンランドのパンについて少しお話ししたく思います。パンはフィンランド人の食卓の中で最も大事な食べ物です。特に私の父くらいの年令の人はパンの大切さをよく知っています。もしパンがなかったら、もうそれはご飯にならない、と言うくらいパンは食事の重要な一部です。かつてパンは店で買うものではなくて、いつも家庭で作られました。それで、パンの味もそれぞれの家庭の味になりました。

フィンランドは、パンを作る習慣によって東と西の二つの地方に分かれていました。東の地方では、柔らかくて厚めのパンでしたが、西の地方のパンは薄くて、円形の形の真ん中に穴があいていました。作る回数も違っていて、東の地方では毎週パンを作る曜日がありましたが、西では一年に2,3回しか作りませんでした。ところで、西の地方ではどうしてパンの真ん中に穴を作ったのでしょうか?それは、その穴に棒を通してパンを天井にかけたからでした。棒にかけたパンは涼しい場所に置かれて保存されました。このようにしてパンは長持ちしたのです。そのようなパンはフィンランド語でレイカレイパ、訳すと「穴のパン」と呼ばれます。

現代のフィンランド人の毎日の食事の中でパンはまだ重要な食品の一つです。2018年フィンランド人はパンを一人当たり41キロ食べました。それは毎日一人当たり4個食べることになります。フィンランド人の食事の中のパンの重要性は、例えば毎年「パンの週」という行事があることでもわかります。それは大てい毎年9月にあって、テーマも毎年変わります。去年のテーマは「オートミールを食べよう」でした。その目的は、この行事を通して多くのフィンランド人がオートミールの健康的な影響を知るようになること、そしてオートミールが入っているパンをもっと食べるようになることです。最近オートミールはフィンランドでは健康食品の一つにもなりました。オートミールには、ミネラルやビタミンの他に体に良い繊維や油が入っています。オートミールに入っている繊維は、体の糖分やコレストロールのバランス、そして腸管や心臓にもよい影響があると知られています。最近フィンランドではオートミールが入っている新しい食材が増えて沢山売られるようになりました。

オートミールが入っているパンに少しマイナスなこともあります。例えばオートミールが入っているパンはあまり長く持ちません。それから、他のパンに比べてボロボロにくずれやすいということもあります。それは、オートミールにはねばり強さがないためです。

食事のパンは私たち人間にとって大事なものですが、新約聖書の「マタイによる福音書」にはイエス様がパンについて言われた有名な言葉があります。「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言っているところです。イエス様はこの言葉をどんな意味で言われたのでしょうか?イエス様は、私たち人間にとって肉体的な栄養になる食べ物は大事だけれども、それに加えて魂のための霊的な栄養も必要だと教えているのです。パンや他の食べ物は私たちが生きるために重要なものです。これらは毎日食べていると、得られるのが当たり前の感じがしてしまいます。でも、これは本当は神様が良いみ心を示して私たちに与えて下さるものなのです。それで、私たちは食べ物のことで神様に感謝しなければなりません。

さらにイエス様は、パンよりもっと大事なものがあると言われます。それは、食べ物を与えて下さる神様の口から語られる一つ一つの言葉です。神様の口から出る言葉とはどんな言葉で、どこで聞くことができるでしょうか?聖書を読むと神様の言葉に触れることが出来ます。聖書を読むと、神様はどんな方なのか、神様の人間に対する愛がどれだけ大きいかを知ることが出来ます。神様の人間に対する愛は、たとえこの世が終わっても終わらないくらい強い大きな愛であると聖書は教えています。その強い大きな愛についてイエス様は次のように教えました。「神は、その独り子のイエスをお与えになったほどに、この世を愛された。それは独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ福音書3章16節にある有名な言葉です。パンが私たちの体に栄養を与えるならば、神様の言葉は私たちの魂に栄養を与えてくれます。だから、人はパンだけで生きるのではなくて、神の口から出る言葉で生きるのです。神様の御言葉を信頼して心で受け取ると、心は毎日力づけられます。

歳時記

近くの「漱石山房記念館」

 

早稲田の地に越してきてからまだ日も浅く周辺の土地の事情が分からなかった。早稲田は夏目漱石のゆかりの土地である。手元にある正岡子規の「墨汁一滴」という日記の中に次のような一節があるので紹介したい。「余が漱石と共に高等中学に居た頃漱石の内をおとづれた。漱石の内は牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しかへだたつてゐない処である。漱石は子供の時からそこに成長したのだ。余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃の事であつたらう、そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかつたといふ事である。都人士(とじんし)の菽麦(しゅくばく)を弁ぜざる事は往々この類である。もし都の人が一匹の人間にならうといふのはどうしても一度は鄙住居(ひなずまい)をせねばならぬ。(五月三十日)」・・・・早稲田から関口の方へ歩いたのならば当然教会の所在地である鶴巻町を通ったかも知れないと一人空想に耽っています。

説教「伝えられた教え」木村長政 名誉牧師、コリント信徒への手紙 11章2~16節 

 

2020年1月12日(日)

  今日は昨年からの続きで、コリント信徒への手紙11章2~16節です。これまでに8章から10章まで、パウロは何について語ってきたかと言いますと、「偶像礼拝」について、異常な程に、しつこく、長々と書いてきました。なぜ、それほど、この問題が重要だったのか、ということです。偶像を拝むうちは、まことの神を拝まない、ということになります。従って、それは、礼拝を正しくしていない、ことになります。それで、パウロは、11章から14章にわたって、「礼拝を中心にした話」を、語っていくことになります。 まず、今日の聖書で、2節から10節までを読みますと、私達の常識では考えられない様なことが書いてあって、全く、おどろかされます。パウロは、いったい、何を言おうとしているのだろうか。

 3節を見ますとこうあります。「ここで、あなた方に知って欲しいのは、すべて、男の頭は、キリスト。女の頭は男、そしてキリストの頭は神である。ということです。4節には、男は誰でも、祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、その頭を侮辱することになります。」とあります。 どういうことでしょうかね。そうして、礼拝する時の服装に至るまで、こまかく、パウロは、教会の人々に、教えていることになります。 男と女の頭の上に物をかぶるのかどうかの当時の伝説にもとづいた習慣を 、少し、きびしく教訓として、示しているわけであります。とても、私たちの現代の習慣では、考えられないことであります「あなた方が何かにつけ、私を思い出し、わたしがあなた方に伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。」と、こう言っています。ここで言っている「伝えられた教え」というのは、少し難しく言えば、伝統であります。それは引き渡されたものであります。 教会の礼拝の根拠となっているものは、引き渡され、受けついだものなのであります。それは、今日も、今、御霊の導きによって、行われるものであります。それと同時に、過去の遺産でもあります。例えば、私たちは、ルター派の教会の遺産の流れの中にあります。しかし、それは、ただ歴史上の1つの流れによっているのではなく、そのもとは、主イエス・キリストにあります。

 23節では、「わたしは、主から受けた」と言っています。それは、聖餐式のことであります。聖餐は礼拝の中心でもありますし、礼拝そのものが、主から、言伝えに基づいたものである、と言っているのです。そして、パウロは又、こう書いています。礼拝について知っていてもらいたいものは、礼拝者たちの秩序であります。神の前に、すべての人が、神に造られたものであり、又、罪人であります。人間の間に、ちがいというものはなくなってしまい、平等です。そして神の前に立つ者は、等しく、罪人なのであります。或は、神に愛されているということです。しかし、その他の意味では、人はそれぞれ顔、形のちがいをもっています。その人の持って生まれた才能もそれぞれちがいがありその運命もちがっています。それらは神によって、定められた秩序をあらわすものです。

 ここにパウロは書いています。「あなた方に知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。」ちょっと分かりにくい感じです。特に女のかしらは男であるというのは何でしょう。男女の不平等を言っているのではないかとも考えられます。しかし、ここで、男女が等しいかどうかを言っているのでなくて、神の前に於て、礼拝する人間の秩序を語っているのでありましょう。

 7節を見ますと、「女は男の栄光である」と記されていますし、11節では「主にあっては、男なしに女はないし、女なしに男はない」と書いてあります。つまり、ここでは、男女が平等であるかどうかを言っているのではなくて、礼拝に於てどういう秩序が必要であるかが語られている、と言うべきでありましょう。ですから、男と女の問題だけでなく、神と、キリストと、男と女ということについて、語っていることが分るのであります。

 礼拝に出る者は、しばしば、自分の好き勝手な気持が支配するものであります。つまり、気分しだいで行動する場合があるものです。日曜日に教会へ行こうか、イヤ、他にやる事や行事がいっぱいある。イヤ、余り行く気もしない。等々あります。しかし礼拝が神に対して行なわれるものであるなら、それは、最も秩序だった、整えられたものであるはずであります。神と人間の関係は言うまでもないことですが、人と人とについても、神の前にあるものにふさわしくなければならないはずであります。

 この手紙においては、パウロの時代に、教会に実際にあった事が書かれています。かぶるものを、かぶるのがいいか、髪の毛は切る方がいいのか、長い方がいいのか、ということまで、やはり問題であったのでしょう。現代でもこうした影響を多少なりとも受けている教会もありましょう。大事なことは、その風習を、どうとりいれるかということではなくて、この当時の教会が、このようなことをした理由であり、その背景にある信仰であります。ここに男と女についていくつかの事が記されています。しかし、それらのことの、大切なことは、創世記に記されている、神が人をお造りになった、ということであります。このことは、礼拝そのものの基になることであります。人間は造られたものとして、造り主を礼拝するものであります。それが礼拝の基本であります。それと共に、礼拝の秩序もそこから出て来ると、言えるのであります。

 礼拝というのは、人間が神に対して、わたしはあなたに造られました、わたしはあなたに救われました、と告白して、神を賛美することである、と言ってもいいのであります。

 ちょっと、ここで、どうしてもわからないのは、「男が女のかしらである、女が男から造られた」というややこしいことが言われている。これは旧約の創世記の記事によっていることです。男が1人でいるのは適当でないと言って、共に生きるものとして女が造られた、従って、男が女から出たのではなく、女が男から出たのである、と8節に言われるのであります。これは明らかに自然の生活とはちがっています。ほんとうは、自然の生活で、男は女から生まれるにちがいないのであります。創世記を書いた人が、そんな事を知らないはずはありません。それは誰でも知っている事だからです。では、しかも、あえて、この事を書いたのは、むしろ、女なしに生きることのできない男の生活を書いた、とも言えるのではないでしょうか。従って、それは、男と女とがどのように生まれるのかということではなくて、むしろ、男を生かすために、神が女を与えられたということではないでしょうか。

 かぶるものをかぶる事についても、その背景には、神が人をご自分に似せて造られた、ということがあります。男は神に似せているものであるから、かぶりものの必要はないと考えられるので、男の

特別な優越を語るのではなくて、神の創造の御業から考えたことであります。ですから、女は男の栄光とも言われるわけであります。6節には、「もし、女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったり、そったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。」とあります。ある人は、これは、婦人の髪の魅力が、ある人たちを引きつけて、礼拝の妨げになったためではないかと言っています。しかし、それも1つの説明に過ぎないでありましょう。礼拝においては、神以外のものに心ひかれてはならないはずであります。

 又、10節には、9節の、女は男のために造られたという事を受けて、それだから、女はかしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは、「天使のためである」と書いてあります。ここに、権威と言っているのは、守りのことである、と言われています。人の自然的な弱さを守るための守りであるから、ということになります。それが天使のためである、というのは、天使がいつでもいい天使ばかりを考えると分かりにくくなります。天使は、良くない天使もあるのです。ここでは、そういう天使に対して身を守るため、ということでありましょう。

 礼拝を正しく守るために、教会員のこまかい服装に至るまで問題としていた、当時の教会が苦労していたということを覚え、現代の私たちも礼拝に対して改めて考えていくべきでありましょう。

                              <アーメン・ハレルヤ>