交わり:クリスマス祝会

ヨシムラ・ヨハンナさんが冬休みで帰国し、久しぶりに杉本姉も見えました。明日からのクリスマスを祝って祝会が催されました、何時ものとおりご馳走が並べられバンドの穴を気にしながら舌鼓を打ちました。堀越姉のピアノを交えた聖書の朗読、マルタ・マリさんのゴスペル調のクリスマスソング、西尾姉のフインランドでのクリスマスの思い出話など心温まる発表があり時の経つのも忘れて午後のひと時を過ごしました。

 

12月のスオミ教会家庭料理クラブのご報告

穏やかな初冬の土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは
「おばあちゃんのスパイスケーキ」を作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

数種類のスパイスを加えて作る、シンプルで軽い出来上がりのケーキは、
参加の皆様のアイディアで、表情の違う素敵なケーキに仕上がりました。

ヨウルトルットゥとスパイスの香るグロッギと一緒に、ピックヨウルを楽しみました。

おしゃべりも一段落したころ、パイヴィ先生からフィンランドのクリスマスの楽しいお話や、

参加の皆様の質問に、たくさん答えて頂いたり、

忘れがちなクリスマスの本当の意味を、聖書の一節と共に教えて頂きました。

Hyvaa Joulua !
皆様、よいクリスマスをお迎えください。

 

料理クラブの話

今日皆さんと一緒に作った「Mummon maustekakku」の日本語の訳は「お祖母さんのクリスマス・スパイスケーキ」です。このケーキはフィンランドの多くの家庭で作られるクリスマスケーキの一つです。このケーキを作ると、シナモン、クローブ、オレンジの皮、カールダモンの香りが家中に拡がって、クリスマスが近づいていることを香りで感じます。フィンランドではクリスマスケーキは飾りつけるケーキではなくて、パウンドケーキやデーツケーキ、それに今日作ったスパイスケーキみたいなものが多いです。このようなケーキは何日間か冷蔵庫や冷凍庫に入れておくと味がもっと良くなるので、クリスマスの前に早めにアドベントの期間に作っても良いものです。フィンランドではクリスマスのためにいろいろお菓子や料理を早くから作るので、アドベントは忙しい期間になります。

ところでアドベントとはどんな意味でしょうか?キリスト教会では、クリスマスの前の4週間をアドベントと呼びます。アドベントはラテン語から来た言葉で、「主イエス様が来られるのを待つ」と言う意味があり、クリスマスを迎える準備をする期間です。このラテン語に基づいて世界中の言葉で殆ど同じ言い方をします。例えばフィンランド語でAdventtiと言います。この言葉は日本語の訳もあります。それは「待降節」と言います。この前の日曜日にアドベントの期間に入りました。それはアドベントの第一の日曜日でした。明日はアドベントの第二の日曜日です。

クリスマスの季節は楽しいことが多い、独特の雰囲気があるとても素敵な季節です。しかし、残念なことに最近少しいらいらを感じることが一つあります。それは、毎年クリスマスの準備がどんどん早く始まることです。昔、クリスマスを迎える準備はアドベントに入ってから始めましたが、今は11月から町にクリスマスの飾りが見られます。早いところでは10月にクリスマスセールの広告が出たり、クリスマスケーキの注文を始めたりします。フィンランドではクリスマスの前に職場でクリスマスのお菓子やクリスマス料理を出す習慣がありますが、最近はこれも早くなって11月に入ってから行うところも出てきました。それでクリスマスの時には、人によってはクリスマス料理やお菓子を何回も飽きるくらい食べてしまうことになります。このような状態に慣れてしまっては、本当のクリスマスの時には特別な雰囲気もなくなって、クリスマスの本当の意味は失われてしまいます。

このようなことにならないために、クリスマスの季節に入ったら、今から2千年前の一番最初のクリスマスの出来事を聖書で読んだり、その出来事を心の中で思い巡らすことは大事だと思います。聖書に最初のクリスマスの出来事、イエス様の誕生について書いてある有名な箇所があります。「ルカによる福音書」の2章1-20節です。19節にはイエス様の母マリアについて次のように書かれています。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」母マリアはイエス様の誕生の前に天使から聞いた預言の言葉や実際に起きたことをすべて心に収めて、ずっと心の中で思い巡らしました。これらのことは、きっと一生忘れないことだったでしょう。

クリスマスを前にした私たちはどうでしょうか?私たちはクリスマスの準備や楽しみで忙しくて、クリスマスの本当の意味を心の中で思い巡らす時間を持つでしょうか?最初のクリスマスの時にお生まれになったイエス様とは何者で、なぜこの世に送られたのかを心の中で考えてみることは大切ではないでしょうか?イエス様を送られた神様は人間の罪を赦して下さる神で、私たち人間にそのような愛を示してくださいました。私たち人間が罪の力から救われるためにイエス様をご自分のもとから送られ、イエス様はマリアから人としてお生まれになりました。これがクリスマスの本当の喜びです。このことを今年の待降節の期間に毎日思い巡らしましょう。そうすれば、クリスマスの日に心は本当に喜びで満たされます。皆さんにとって、今年のアドベントとクリスマスが神様の与えて下さる喜びであふれる時になりますように。

 

歳時記

先週ポウッカ先生たちと山梨県の清泉寮に行ってきました。以前吉村先生から伺ったとおり施設の創設者ポーラッシュ博士の銅像が富士山を向いていて背面に詩篇121の冒頭が刻まれていたのを確認しました、とても感動しました。

 

 

クリスマス・マーケット・コンサート

クリスマス行事の先駆けとしてマーケット(バザー)とコンサート:ポウッカ先生ご夫妻・P.ペンテイネン宣教師(ピアノ)・T.シールトラさん(独唱)が行われました。今年も大勢の方がお見えになり会場は大いに盛り上がりました。

 

開会に先立ち吉村先生の祈りが捧げられました。

 

11月10日 スオミ教会家庭料理クラブのご報告

クリスマスのパン
クリスマスカラーのピラカンサスも色づいてきた土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブでは、クリスマスのパンjoululimppuとサーモンスープを作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

Joululimppuはドリンクタイプのヨーグルトやスパイスにシロップ等を使って仕込むフィンランドらしい一品。
たっぷりのライ麦粉も使うので、重たい生地を頑張って捏ねました。

発酵させてる間に、今度はサーモンスープ作りです。
沢山のじゃが芋に人参、玉ねぎが手際よく準備され、大きなお鍋いっぱいにサーモンスープは完成しました。

賑やかに試食会は進み、パイブィ先生からは、フィンランドのパン事情や、聖書のお話を聞かせて頂きました。

参加の皆様、お疲れ様でした!


2018年11月10日「joululimppu」の話

今日皆さんが作った「joululimppu」はフィンランドの伝統的なクリスマスのパンで、私のお祖母さんもお母さんも作っていました。フィンランドのクリスマスの食卓にはいろんな種類の料理を作りますが、それでも、もし「joululimppu」がなかったらあまりクリスマスの料理の感じがしなくなります。特に昔は「joululimppu」はとても重要でした。クリスマスお祝いのためにフィンランド人はクリスマスの前にお菓子や料理を沢山作ります。一番初めにクッキーやケーキを作って、最後にクリスマスの少し前に「joululimppu」を作ります。出来たての「joululimppu」は一番美味しいからです。今はまだ11月の初めで、クリスマスの季節、アドベントが始まるまで3週間くらいあります。今日「joululimppu]を作ったのは少し早かったのですが、クリスマスが近づいたら、ぜひまたお家で作って下さい。

今日はフィンランドのパンについて少しお話ししたく思います。パンはフィンランド人の食卓の中で最も重要な食べ物です。特に昔の人たちはパンの重要性をよく知っていました。もしパンがないと、もうそれはご飯にならない、と言うくらいパンは食事の重要な一部でした。それならば、昔の家庭の食事にいつもパンがあったかと言うと、そうではなく、年によって麦の収穫は良い時もあれば悪い時もあって、悪い時は麦は不足しました。麦の収穫は人間の努力と関係なく、天候に左右され、それは天の神様のみ心でした。それでフィンランド人は食事にパンがあることを天の神様に感謝したのです。パンは神様からいただくものと子供たちは教えられて、まず神様に感謝していただきました。このため、「子どもたちはパンを手に持って走ってはいけない」とか「パンを口に入れたまま話してはいけない」と教えられました。

Bff [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html)

かつてパンと言う言葉は、食べ物一般を意味する言葉としても使われました。例えば、「家にはパンはもう殆どありません」と言うと、それは「家には食料品は殆どありません」という意味でした。このようにパンはフィンランド人にとって重要な食べ物でした。日本人には、どの食べ物が同じように重要でしょうか?やはり、お米でしょうか?

現代のフィンランド人の毎日の食事の中でパンはまだ重要な食品の一つです。パンの重要性は毎年秋に行われる「パンの週」という全国的な行事によっても示されます。今年の「パンの週」は9月10日から16日までありました。この週全国のパン工場はお店に新しい種類のパンを出して、多くの人たちが買うように宣伝します。フィンランド人が食べるパンは小麦粉で作るものだけではありません。パンの生地によく入れる粉類としては、ライ麦、全粒粉があります。その他にいろいろな種やすりおろした野菜なども入れます。このためパンにはエネルギーの他にミネラルやビタミン、繊維も沢山入っています。酸っぱくて黒いライ麦のパンもあります。それは今でもよく食べられるパンです。他にもパンの種類は沢山増えたので、お店で買う時、選ぶのは難しくなりました。ところで、去年フィンランド人はパンを一人当たり41,5キロ食べました。

食事のパンは私たち人間にとって大事なものですが、新約聖書の「ルカによる福音書」にはイエス様がパンについて言われた有名な言葉があります。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」です。イエス様はこの言葉をどんな意味で言われたでしょうか?

パンや他の食べ物は私たちが生きるために重要なものです。これらは毎日食べていると、得られるのが当たりまえになってしまいます。でも、本当はこれは神様が良いみ心を示して私たちに与えて下さるものなので、私たちは食べ物を神様に感謝しなければなりません。さらにイエス様は、パンよりもっと大事なものがあると言われます。それは、食べ物を与えて下さる神様の口から語られる一つ一つの言葉です。
 神様の口から出る言葉とはどんな言葉でしょうか?聖書を読むと神様の言葉に触れることが出来ます。聖書を読むと、神様はどんな方なのか、神様の人間に対する愛がどれだけ大きいかを知ることが出来ます。神様の人間に対する愛は、たとえこの世が終わっても終わらないくらい強い大きな愛であると聖書は教えています。その強い大きな愛についてイエス様は次のように教えました。「神は、その独り子のイエスをお与えになったほどに、この世を愛された。それは独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ福音書3章16節にある有名な言葉です。パンが私たちの体に栄養を与えるならば、神様の言葉は私たちの魂に栄養を与えてくれます。だから、人はパンだけで生きるのではなくて、神の口から出る言葉で生きるのです。

来月に私たちはクリスマスをお祝いします。クリスマスの本当の意味は聖書の御言葉から知ることが出来ます。それがわかると、クリスマスの食事もプレゼントも本当は神様に感謝して頂くものになるでしょう。

交わり

Katariinaさん(ヘルシンキ大学 学生)をお迎えしての食事会でした、合間にKatariinaさんが証しをしてくれました。日本女性のように少しはにかみやさんでしたが心は非常にしっかりしたフインランド女性でした。

 

 

 

礼拝にて

福音書の朗読は日本・フインランドの担当者が行いました。

SLEYの学生グループ「ミッション・ポシブル」が歌の奉仕をしてくました。

交わり

今日の礼拝は教会に滞在中のフインランドから来日した学生諸君が参加してくれました。過去にも4~5名のゲストを迎えたことがありましたが今回は10名の大所帯で吉村先生ご夫妻も応対に大変な様子でした。食事に出たスープも彼らの奉仕によるもので大変美味しかったです、食事の後の対話にも話が弾み時のたつのも忘れて話し合いました。

10月13日 スオミ教会家庭料理クラブのご報告


心待にしていた涼やかな気候のなか、
お休みを頂いていた「スオミ教会家庭料理クラブ」は再開しました。
メニューは「お母さんのベリーケーキ」mamman  marjapiirakka
フィンランドでも人気の高いブルーベリーを使ったケーキです。

最初にお祈りをしてスタートです。

計量をして生地を作り、冷蔵庫で休ませます。
次は生地に流すクリーム作りです、
計量した材料を混ぜ、使った道具類は洗われ、スムーズに作業が進みながらも、
楽しい会話も盛り上り、4台のケーキはオーブンに入りました。

焼き上がりを待つ間、キュウリとパプリカを添えたクラッカーに、
飲み物や食器類の用意と、牧師館のキッチンは大忙しでした。

きれいに焼き上がったケーキを、最初はアツアツで頂き、
次は少し冷めてからと、ケーキの味の変化も楽しみました。

パイヴィ先生からは、フィンランドで過ごされた夏休みの楽しいエピソードや、
ベリーのお話、聖書と詩編34章の一節を聞かせて頂きました。

次回のスオミ教会家庭料理クラブは11月開催予定です。

参加の皆様、お疲れさまでした、ご一緒できる機会を楽しみにしています。


ブルーベリーの 話「Mamman marjapiirakka」

今日皆さんと一緒に作ったブルーベリー・ケーキはフィンランドの家庭でよく作られるケーキの一つです。ブルーベリーの季節になるとどの家庭でも作られて、家族皆で出来上がりのケーキを美味しく味わいます。名前はフィンランド語で「mamman marjapiirakka」と言います。日本語に訳すと、「お母さんのベリーケーキ」です。

「Mamman marjapiirakka」はフィンランドの伝統的なベリーのケーキで、私の母もよく作りました。このケーキは、1976年に「Valio」というフィンランドの乳製品の会社の試験所でJarvinenという家庭科の先生が作ったのが始まりだそうです。「Valio」は新しい乳製品を沢山開発する会社なので、Valioから出されている乳製品の種類はとても多いです。1970年代にValioは酸っぱみがあるkermaviili という乳製品を開発して、これを多くの人たちが使うようになるために、Järvinen先生は「Mamman marjapiirakka」のレシピを作りました。この時ケーキのレシピは多くの雑誌にのせられて、フィンランド全国に広がりました。それで、「Mamman marjapiirakka」はあっという間に多くの家庭で作られるようになって、フィンランド人の好きなケーキの一つになりました。50年前に初めて作られたケーキが現在多くの家庭で作られるようになったのは興味深いことです。

今では「Mamman marjapiirakka」にはいろいろなバージョンがあります。上にのせるベリーはブルーベリーだけではなく、リンゴンベリー、ラズベリーなども使われます。スパイスに、シナモンかカーダモンを入れたら味の変化も出ます。

今年の夏私たちの家族はフィンランドに一時帰国をしました。今年のフィンランドの夏は珍しく暑くて、30℃くらいの日が一か月ずっと続きました。雨の日は多くありませんでしたので、夏休みを過ごす人たちにとって良い夏の天気でした。しかし雨が少なかったため、自然の植物や畑の野菜や麦などの成長はよくありませんでした。雨が少ない影響で森のブルーベリーやリンゴンベリーもあまり沢山出来なくて、しかも出来たベリーは大きさが普通より小さかったです。こんな夏でしたが、私の父は森にブルーベリーを採りに行って、けっこう沢山採りました。父はベリーがよく採れる森を知っていて、毎年同じ場所で採ります。ブルーベリーはいつもより小さかったでしたが、それでも甘くて美味しかったです。父が採ったブルーベリーのおかげで、私は「mamman marjapiirakka」を作ることが出来ました。父は余ったブルーベリーを冷凍して、冬それを毎朝のオートミールのおかゆの上にのせて食べます。

父は森でブルーベリーを採りましたが、私たちは父の家の庭の「くろくずり」を採りました。森と違って庭には蚊や蠅はいないので庭でベリーを採るのは森より簡単でした。しかし今年の夏は蜂が多かったので、刺されないように注意しなければなりませんでした。蜂は周りで飛ぶだけではなく、ベリーの汁を飲もうとしてベリーにもくっついていました。刺されないように注意してベリーを採りましたが、博明も私も刺されてしまいました。庭の「くろくずり」も去年より少なかったでしたが、「くろくずり」のジュースを作るくらいは十分採れました。

私たちは毎年新鮮なベリーや果物を食べることが出来ます。これは当たりまえのように感じられますが、少しよく考えてみると、美味しいベリーや果物などを食べられるのは私たち人間の努力のおかげではありません。ベリーや果物が育つのに適した光や温度などが必要です。これらは人間にはコントロールは出来ないことです。ベリーや果物の成長は天と地を造られた神様が与えて下さるものです。天の神様は自然を通して私たちに良いものを沢山与えて下さいます。旧約聖書の詩篇には良いものを与えて下さる神様に感謝したり賛美する歌が多くあります。詩篇34篇9-11篇には次のように言われています。「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。若獅子は獲物がなくて飢えても主に求める人には良いものの欠けることがない。」私たちは天の神様の良い業をこのように気づいて賛美することが出来るでしょうか。私たちは自然を通して神様の御手の良い業を見ることが出来るのです。それがわかれば、私たちの心に神様に感謝する気持ちが生まれるでしょう。私たちの日常生活の中で神様に感謝することが他にもあるでしょうか?

生活の中には嬉しい、素晴らしいことが沢山あると思います。しかし、それらが当たりまえのようになってしまうと、感謝するのを忘れてしまうのではないでしょうか?また、生活の中に困難がある時には感謝することなどできないでしょう。そのような時、感謝することなんか何もないと思ってしまいます。でも、本当はあるのです。困難の時にも感謝することがあることに気づくと心に平安が得られます。どこに感謝することがあるでしょうか?悩みや苦しみがある時、私たちはお祈りして神様に全部のことを打ち明けることが出来ます。もし私たちが自分の父親は頼りに出来る人と思うならば、同じような信頼を持って天の父である神様にお祈りして全部のことを打ち明けてよいのです。神様は私たちも私たちの父親母親もお造りになった創造主です。その方が、私を信頼しなさい、全てのことをお祈りで打ち明けなさい、とおっしゃって下さるのです。それが出来れば、全てのことを神様の御手に委ねて、自分一人で心配事を抱える必要はなくなります。神様が一緒に背負って下さいます。先ほど読んだ詩篇には「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」と書いてありました。私たちは神様に信頼することが出来たら、心に平安も得ることが出来ます。そこから神様に感謝の気持ちも生まれます。

このように、困難の時に天の父である神様にお祈りして全てを打ち明けて委ねることが出来れば、神様に感謝の気持ちが起こってきます。この時、私たちは困難の中にあっても心には平安があります。これは神様が与えて下さる平安です。

いろんなベリーも、他の素晴らしいものも全ては私たちのためになるようにと、神様が与えて下さるものです。だから、私たちの感謝もいつも、最終的には創造主である神様に向けられるのがふさわしいのです。

宣教師のフィンランド便り(3)

日本は、西日本の台風や北海道の地震等、大変なことが続き、こちらのニュースでも報じられていました。被害に遭われた方々へ改めて心からお見舞いの気持ちを表したく思います。   今回はフィンランド便りの最終回です。トゥルクの大聖堂の周りの木々も葉っぱが黄色くなり始めました。北国の秋は静かに深まってきています。(吉村は昔、大学の神学部の学生の時、ここで説教の実習をしました。)     今回のフィンランド滞在の最後の教会訪問は、トゥルクから北へ450キロ程行ったところにあるハルスアでした(写真はハルスア教会 、宣教師の「教会訪問」については「フィンランド便り2」をご覧ください)。           ハルスア教会の日曜礼拝で吉村は説教を担当(写真は説教壇に立つ吉村)。ここをクリックすると説教のテキストがご覧になれます。ご関心のある方はどうぞ!Tässä on Hiroakin saarna, ole hyvä!
礼拝後は、教会付属ホールにて「ミッション・ランチ」の提供。サーモン・スープでした。収益はSLEYの海外伝道への献金になります。100人くらいの方とランチを共にし、ハルスア教会の主任牧師カルフラハティ牧師から宣教師への挨拶スピーチ、宣教師からは返答の挨拶スピーチが交わされました。   オフィシャルな行事の後は、教会主催のフリスビー・ゴルフ大会となり、40人位の参加者と一緒に宣教師家族も挑戦しました。隣町ヴェテリに交換留学していた日本の高校生Y君も参加しました。まずはルールの説明から。     主任牧師が先陣を切って、     パイヴィ宣教師も奮闘、

大会後は教会事務室前にてフランクフルトソーセージをグリルして味わいました。

        以上のように最後の教会訪問はリラックスした雰囲気で終わりました。   今回の教会訪問は「フィンランド便り2」でお伝えしたように、南の地方の教会が中心だったのですが、前回2年前の北の地方を中心とした教会訪問との違いがありました。それは、前回は教会だけではなく、地元の小中学校の訪問もあったのですが、今回は学校から訪問要請は全くありませんでした。宣教師が学校を訪問するというのは、フィンランドの学校には「宗教」の科目があり、授業の一環として宣教師に話をしてもらうということが伝統としてありました。ただ最近は「フィンランド便り1」でもお話ししたように、国全体の脱国教会化、脱キリスト教化が進んでおり、特に南の都市部では宣教師の学校訪問には慎重ないし否定的な傾向が強まっているとのことでした。   脱国教会化、脱キリスト教化と言っても、かなり地方差があります。例えばヘルシンキ市では国教会所属率は60%にまで落ち、生まれてくる赤ちゃんの洗礼率は40%台と、近い将来同市のキリスト教徒は少数派に転落する勢いですが、地方に行くと所属率、洗礼率共に100%近くというのはざらです。(どのあたりが境界か、私個人はタンペレの南と北で差が出ると思うのですが、人によっては首都圏環状三号線の内側と外側と言う人もいます。)写真は、2年前コルテスヤルヴィの小学校で授業をする吉村宣教師。   今年の6月、日本フィンランド関係の歴史を記念する出来事がありましたので、最後にそれについて記したく思います。「フィンランド便り1」でも記しましたように、SLEYはフィンランドが独立する以前の1900年から日本に宣教師を派遣してキリスト教伝道を行ってきました。伝道初期に洗礼を受けた若者の一人、渡辺忠雄(洗礼名ダニエル)という明治の青年は神学を勉強するためにフィンランドに留学、そこで出会ったフィンランド人女性シーリと結婚し、後にSLEYの宣教師として日本に派遣されます。二人には息子が二人いて、長男の忠恕はジャーナリストとして活躍し後に日本新聞協会の会長も務めた日本報道界の大御所的存在、次男の暁雄は音楽家として日本フィルハーモニーの指揮者も務めた芸術家でした。   6月12日、ヘルシンキのかつて4人の家族が住んでいたアパートの建物の壁にそれを記念するプラークの除幕式が行われたのです。式には、サイラSLEY会長ほか日本伝道や日フィン関係にゆかりのある人たちに加え、日本大使館からは大使も臨席されたとのこと。   プラークには日フィン関係の「架け橋」を築いた4人を覚える内容がフィンランド語と英語で記されています。ヘルシンキにお出かけの際は是非訪れてみて下さい。場所は、マンネルヘイム通りとドゥンケル通りの交差点にある建物でフィンランディア・ホールの反対側、国立民族博物館の後ろ側になります(住所はDunkerinkatu 2)。現在両国関係は、経済、貿易、文化、学術面と多岐にわたっていますが、まだ外交関係が樹立される以前にキリスト教伝道を介して両国間の交流が始まり、それは118年たった今も続いていることもお忘れなく。

写真は記念プラークを横に、パイヴィ・ヨシムラSLEY宣教師とアンナ‐カイサ・タカキSLEY海外伝道局アジア地域担当(アンナ‐カイサさんの夫・高木賢氏はSLEYでインターネット伝道を担当する神学者)。