お気軽にお問い合わせください。 TEL 03-6233-7109 東京都新宿区早稲田鶴巻町511-4-106
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
1.はじめに
本日の福音書の箇所は、イエス様が生まれつき目の見えなかった人の目を見えるようにする奇跡の業を行った後で何が起きたか、ということについて述べています。当時のユダヤ教社会の宗教エリートであるファリサイ派の人たちが、この人を尋問しました。なぜかと言うと、この癒しがなされた日が安息日だったからでした。つまり、癒しを行ったイエスは、安息日に仕事をしてはならないという掟を破ったのではないか、つまり神の意思に反する人物ではないか、ということが問題になったのです。
安息日を守るというのは、皆様もご存知のように、出エジプトの時に天地創造の父なるみ神がモーセに告げた十戒のうちの第三の掟です。
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、なんであれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト記20章8~11節)。
なぜ、イエス様が安息日の掟を破ったと騒がれたかと言うと、彼がまず唾と土で何か粘土状のものを作って、それから、それを使って目を治してあげたことの二つが仕事をしたと見なされたからです。本日の箇所の前で、イエス様がどのようにして癒しを行ったかについて述べられています。イエス様は一言声をかけて癒すのではなく、わざわざ作業をするように何か粘土状のものを作って目に塗って、目を治してあげました。この作業が安息日に起きたために、群衆はこれが宗教的に許されるかどうか判断してもらおうと、この人をファリサイ派のもとに連れて行ったのでした。このような奇跡を行うイエスは、本当は神から来た者ではないだろうか?それとも十戒の掟を破る、神に反する者ではないだろうか?一体どちらだろうか?宗教エリートはなんと答えるだろうか?
ファリサイ派の間でも見解が割れました。ある者は、神が定めた安息日の掟を破ったのだからイエスが神由来とは到底言えないだろう、単なる罪びとだ、と主張します。別の者は、そうならば果たしてこのような奇跡の業を行うことができるだろうか、と疑問を呈します。実際、旧約聖書のイザヤ書を通して読むと、将来神の霊を注がれた神の僕が現れて目の見えない人たちの目を見えるようにする時が来ると預言されています(42章7節、加えてマタイ11章4~6節、ルカ7章22~23章も参照)。イエス様を罪びと考えない人たちは、きっとイザヤ書の預言が頭をよぎったのでしょう。Distant Shores Media Sweet Publishing CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0しかし、見解の一致は得られません。そこで、ファリサイ派の人たちは、目が見えるようになった人の見解を求めました。「お前は、お前の目を開けた者のことをどう思うのか?」 男の人は答えました。「預言者だと思います。」メシアとか救世主という答えではありませんでしたが、預言者というのは神から送られる人と考えられていたので、イエス様は神由来の者、神の意思に適う者であり、罪びとではありえない、と告白したことになります。
本日の福音書の箇所には、二つ考えなければならない大きなことがあります。一つは、目を見えるようにするイエス様の奇跡の業とイザヤ書の預言の関係です。もう一つは、イエス様はなぜ癒しの業を安息日に行ったのかということです。奇跡の業とイザヤ書の関係は、実はとても深くて大きい問題をはらんでいて、一回や二回の説教でお話しすることはできないと思います。そのため本説教では、安息日の問題を中心にお話ししようと思いますが、ほんの少しだけ、先にイザヤ書の預言について触れておきます。
2.目を見えるようにする奇跡の業とイザヤ書の預言の関係について
本日の旧約の日課であるイザヤ書42章の中で、目が見えない者、耳が聞こえない者について述べられていました。これは肉体的に目が見えない、耳が聞こえない、ということではなく、霊的に見えない、聞こえない、ということです。霊的に見えない、聞こえないというのは、天地創造の神のみ心がわからず、それに沿う生き方ができない状態を意味します。旧約新約聖書を通じて、そういう状態は「心が頑なになる」とも言われます。神はかつて、御自分の意思に反するだけになってしまったイスラエルの民に対して、その霊的な目と耳を塞いでしまうという罰を下しました。そのことはイザヤ書6章に記されています。時はユダ南王国のウジヤ王が死去した頃、イエス様の時代から700年くらい前の頃でした。そのためイスラエルの民は神のみ心が一層わからない状態となり、国内は混乱状態が一進一退で深まり、対外的には大国バビロン帝国の侵略を受けて滅亡してしまいます。紀元前600年近くの出来事です。イスラエルの民の主だった人たちは異国の地に連行されていきました。
それから50、60年経った後、今度はペルシャ帝国がバビロン帝国を滅ぼしてオリエント世界の覇者となると、イスラエルの民は祖国帰還が認められます。本日のイザヤ書42章の預言はその時期が近づいた頃に向けられています。神は、イスラエルの民がバビロン捕囚という苦難を背負ったことで、その罪を赦すと宣言します(43章25節、44章22節)。本日の日課のイザヤ書42章16節で神が霊的に見えない、聞こえない民を導いて知らない道を歩ませる、とあります。それは、民がもはや神の差し出す手をしっかり掴まらないと前に進めない、それくらいに神によりすがっている、信頼しきっている状態にあることを意味します。バビロン捕囚の苦難が驕り高ぶっていた民をこのようにへり下って神のみに信頼する民に変えたのです。つまり、霊的に見えなくなる、聞こえなくなるというのは、結局、天地創造の神しか信頼するものがなくなってその御手をしっかり掴まって前に進めるようになる、そういう状態をもたらす機能を果たすと言えます。そのような状態は、神のみ心を知って、それに沿う生き方をすることですので、霊的に見える、聞こえる状態になっているわけです。
ところで、イザヤ書42章19節に、「神の僕」が盲目であると言われていることに違和感を抱く方もいらっしゃると思います。というのは、イザヤ書53章をみると、「神の僕」とは将来到来する救世主メシアのイエス様を指しているので、そのイエス様が盲目というのはどういうことか理解できないからです。実はこれは、イザヤ書で言われる「神の僕」というのは二つの意味がだぶっていることによります。一方で「神の僕」は、バビロン捕囚の罰を受けたイスラエルの民全体を意味し、他方では将来到来する救世主メシアを意味し、イザヤ書ではこの二つの意味がたぶっているのです。42章では明らかにイスラエルの民を指しています。
19節の「わたしの僕ほど目の見えない者があろうか」という訳ですが、そういう質問ですと、「いいえ、他にはいません」という答えが返ってきてしまいます。ヘブライ語の原文はそういう修辞疑問文ではないと思います。素直に訳すと「わたしの僕以外には誰が目の見えない者か?」です。この神の問いを聞いた私たちは、「はい、私たちもそうです」と告白し、神に全面的な信頼を寄せて、その御手をしっかり掴まって暗闇の中を進みます。その時、神は、16節に言われるように、「行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐに」して下さいます。
19節ではまた、「わたしが信任を与えた者ほど目の見えない者があろうか」とありますが、「信任を与えた者」というのは辞書(HolladayのConcise Hebrew and Aramaic Lexicon of the OTですが)に出ている意味を素直に使えば「報いを受けた者」となり(שלמのpual分詞形)、罪のゆえにバビロン捕囚の苦難を受けることになったイスラエルの民を指します。そうするとここは、「罪の報いを受けたイスラエルの民と同じように目の見えない者は誰か?」という意味になります。この質問に対して、「はい、私です」と答える者は、神の御手をしっかり掴まって進むことになります。(19節は各国語訳も苦労しているようです。)
3.安息日の目的
イエス様が目の見えない人の目を見えるようにした奇跡の業は、霊的というより肉体的な視力の回復でした。イザヤ書の預言は、字句通りに読めば、肉体的な視力回復としても霊的な視力回復としても理解できます。それで、イエス様が肉体的な視力回復の業を行えば、目撃した人たちは彼がイザヤ書の預言の実現と関係のある方だとわかったのです。イエス様が人間の霊的な目を見えるようにする奇跡の業は、十字架と復活の出来事を通して行いました。このことは後でまた述べます。
ところで、肉体的な視力回復の奇跡を目の当たりにしても、それがイザヤ書の預言の実現と関係があることを見えなくしてしまうことが起きてしまいました。それは、イエス様がこの奇跡の業を行ったのは安息日だったということでした。もし別の日に行っていれば、この方はイザヤ書の預言を実現する方だ!と拍手喝采になったかもしれないのに、わざわざ安息日に行ったがために、人々の注意は病気が治ったという奇跡には向けられなくなって、安息日を破ったということに向けられてしまいました。一体、イエス様はどういうつもりだったのでしょうか?
実は、安息日を選んで奇跡の業を行う時、イエス様にはちゃんと目的があったのです。どんな目的かと言うと、安息日の守り方について教えるということです。十戒の第三の掟は、先ほどみたように、「安息日を心に留め聖別せよ」です。「聖別する」というのは、神聖なものにするという意味です。安息日を神聖なものにするとはどういうことか?天地創造の神が天と地とそこにあるもの全てを造り上げた時、七日目は創造の業から離れて休まれ、その日を祝福して神聖なものとした。だから神に造られた人間も同じように七日目を神聖なものとせよ、ということです。これが、当時のユダヤ教社会の考え方では、仕事をしないことが安息日を神聖なものにすることの中心になりました。ところが、イエス様の場合は、仕事をしないのなら、じゃ何をするか、ということについて教えます。以下、安息日の守り方についてのイエス様の教えを見ていきます。イエス様の教えを理解することは取りも直さず、安息日の掟を与えた父なるみ神のみ心を知ることにもなります。
ここで、安息日に絡んだイエス様の行動とそれに伴う教えについて見ていきましょう。
マルコ2章に(マタイ12章、ルカ6章も)、安息日にイエス様と弟子の一行が麦畑を通りかかった時、空腹を覚えていた弟子たちは麦の穂を摘んで食べ始めた出来事があります。穂を生のまま食べるのですから、飢えに近い相当な空腹だったと思われます。そこで、麦の穂を摘んだことが仕事をしたと見なされて、イエス様がファリサイ派の人たちから批判を受けます。これに対してイエス様は、かつてダビデ王が空腹を満たすために神殿の供え物のパンを食べて家来に分け与えたことに言及して、次のように述べます。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(27~28節)。つまり、安息日は人間の益になるように神が定めたものである。従って、飢えや激しい空腹からの解放は禁止されている仕事にはあたらない、ということになり、それを安息日の主であるイエス様が確定したということであります。
マルコ3章に(マタイ12章、ルカ6章も)、イエス様が安息日にユダヤ教の会堂で手の萎えた人を癒す奇跡の出来事があります。そこに集まっていた人たちは自分を訴える口実を得られる瞬間を待っているのだな、とわかったイエス様は次のように尋ねます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」(4節)。誰も答えることができません。イエス様は癒しの奇跡を行います。恐らく同じ出来事について述べているマタイ12章では、イエス様が次のように述べたことも記録されています。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている」(12節)。安息日には仕事をしてはならないが、善を行うこと、命を救うことは、してはならない仕事にはあたらない、ということです。
ルカ14章に、イエス様が安息日に水腫の人を癒す奇跡の出来事があります。ここでも律法学者やファリサイ派の人たちが様子を窺っている。イエス様は言います。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」(3節)。誰も答えられないのを見て、イエス様は癒しの奇跡を行います。そして、最後のダメ押しとして付け加えます。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」(5節)。牛が井戸に落ちるというのは誇張が過ぎて、読んでいて思わず吹き出しそうになりますが、イエス様にしてみれば、それくらい当たり前すぎて馬鹿馬鹿しいという様子がうかがえます。
ルカ13章には、イエス様が安息日に会堂にて、18年間病の霊に取りつかれている女性に癒しの奇跡を行う出来事があります。安息日が破られたと解した会堂長は怒って言います。「働くべき日は六日あるのだから、病気のある人はその間に治してもらうべきだ。安息日はやめるべきだと。これに対してイエス様が反論します。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、18年もの間サタンに縛れていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」(15~17節)。「安息日であっても」という言い方ですと、本当はいけないのだが、そこは目をつぶって認めなさい、というニュアンスになります。ギリシャ語原文を素直に読むとニュアンスは異なり、単純に「安息日に束縛から解いてやるべきではなかったのか」となります。つまり、安息日こそが、サタンの束縛からの解放に相応しい日であるというのです。(英語NIV訳、ドイツ語ルター訳、スウェーデン語訳、フィンランド語訳も、素直な訳です。)
まさにここで、安息日にしてもいい善い行い、つまり、病気の人を癒すこと、命が危険な状態にある人を救うことが、なぜ、禁止された仕事にあたらないかが明らかになります。いずれの場合も、束縛された状態や危険な状態からの解放という意味があります。安息日にそういう束縛の下にある人を解放することは、してはいけない仕事とはみなされない。むしろ、しなければならないことになる。それ以外の活動は七日目には休止して、心と体と魂を自分の造り主に向けなければならない。そこまではイエス様もユダヤ教社会の通念も同じでした。違いは、イエス様の場合、病気であれ、差し迫った命の危険であれ、人間の命を縛りつけるものからの解放ということを安息日に結びつけたことにあります。
イエス様は安息日であるかないかに関係なく、多くの人々に癒しの奇跡の業を行いました。病気だけではなく、悪霊、飢えなどからも人間を解放しました。しかしながら、イエス様が行った解放の業の中で最大かつ最重要のものは、人間の命を束縛している罪と死から人間を解放することでした。それはどのようにして行われたでしょうか?
人間は、もともとは天地創造の神に似せて造られた良いものでした。それが、堕罪の出来事のゆえに全てが変わり果ててしまいました。その経緯は創世記の3章に記されている通りです。最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順となり罪を犯したことが原因で、人間は死ぬ存在となってしまいました。使徒パウロが、死とは罪の報酬である、と教えている通りです(ローマ6章23節)。人間は代々死んできたように、代々罪を受け継いできました。キリスト教はいつも、人間は罪びとだと強調するので、訝しがられることがあります。人間には良い人もいれば悪い人もいる、悪い人もいつも悪いとは限らない、と。しかし、人間は死ぬということが、最初の人間から罪を受け継いできたことの現れなのです。
以前の説教でも教えたところですが、北欧のルター派教会では、罪というものを、「遺伝的に継承する罪」(arvsynd[スウェーデン語]、perisynti[フィンランド語])と「行為に現れる罪」(gärningssynd[ス語]、tekosynti[フィ語])の二つに考えます。人間には良い人もいれば悪い人もいる、悪い人もいつも悪いとは限らない、と言うのは、「行為に現れる罪」で人を見ていることになります。しかし、真理は、「遺伝的に継承する罪」が土台にあるから「行為に現れる罪」も出てくるということです。行為に現れる罪を犯さなくても、人は遺伝的に継承する罪を背負っている。一体、人間の誰が、自分の思いと言葉と行いの全てを神の神聖な意思に100%沿うものにすることができるでしょうか?逆説的ですが、何も非の打ちどころがないように見える信仰深い敬虔な人ほど、自分の罪深さを自覚するものです。「遺伝的に継承する罪」があるから、赤ちゃんにも洗礼が必要になります。健気に可愛らしく眠っている赤ちゃんを見ると、この子が罪びとだとは誰も考えられないと思うでしょう。しかし、この世に生まれた以上は、赤ちゃんと言えども罪を背負っているのです。
罪が入り込んでしまったために死すべき存在となってしまった人間は、神聖な神の御前に立てば焼き尽くされかねない位に汚れた存在です。こうして造り主である神と造られた人間の結びつきが失われてしまいました。しかし神は、人間を見捨てることはしませんでした。なんとか結びつきを回復して、人間が再び神の御許に戻れるようしようと考えました。どうすれば、それが出来るか?そのためには、人間から罪の汚れを取り除かなければならない。しかし、それは人間の力ではできない。そこで、神は、自分のひとり子をこの世に送り、彼に人間の全ての罪を負わせて、彼を人間の身代わりとして罪の罰を受けさせて十字架の上で死なせ、その犠牲に免じて人間を赦すことにしました。さらに、一度死んだイエス様を復活させることで、今度は人間に永遠の命に至る扉を開きました。人間の方ですることと言えば、これらのことが自分のために行われたとわかって、イエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受ければ、この神が整えた罪の赦しの救いを受け取ることが出来るということです。この救いを受け取った者は、神との結びつきが回復した者となり、その結びつきの中でこの世の人生を歩むこととなり、順境の時も逆境の時も絶えず神から助けと良い導きを得られ、万が一この世から死ぬことになっても、その時は神の御許に引き上げられて、永遠に造り主のもとにとどまることができるようになったのです。
以上から、イエス様が人間にとてつもなく大きな解放をもたらしたことが明らかになりました。イエス様は、人間に死をもたらす罪の力を無力にして、死と罪と悪魔に対して完全な勝利を人間にもたらしました。イエス様を自分の救い主と信じて神との結びつきに生きる者は、このイエス様の勝利に与っているので、何も恐れる必要はありません。天と地と人間を造られた神は今日も、この救いと勝利を人間にどうぞと提供しているのです。あとは人間がそれを受け取るかどうかにかかっているのです。
4.解放なら安息日に
キリスト信仰者が安息日を神聖なものにするというのは、自分が受け取った救いと解放を全身全霊で確認することです。教会の日曜礼拝はまさにその確認の場です。皆様もお馴染みのように、礼拝は、会衆が神の御前で罪の告白をして赦しの宣言を受けることから始まります。神の御言葉を解き明かす説教を聞いて、既に受け取った救いと解放を深く心に刻みつけていきます。また、讃美歌を歌うことで、この救いと解放を与えて下さった神を賛美し、さらに、救いと解放を与えて下さった神を何よりも信頼して祈りを捧げ、思いを打ち明けます。そして、聖餐式では神との結びつきを強化します。人間の目には単なるぶどう酒とパンのひとかけらにすぎないものが、神の御言葉をかけられることで神聖なものにかわり、これを、イエス様こそ自分の救い主と信じる信仰を持って受け取る時、その人と神の結びつきは、神の目から見て強化されたものになります。このように、礼拝とは一度受け取った救いと解放を確認、強化して、私たちをまた一週間の歩みに送り出すところです。そして、一週間後また帰って来るところです。キリスト信仰者は、安息日に仕事をしないで何をしているかというと、このように救いと解放を確認・強化しているのです。
以上は、既に救いと解放を受け取ったキリスト信仰者について述べたものですが、イエス様が自分の救い主とわかり出しつつも、まだ洗礼を受けておらず、神が用意した罪の赦しの救いをまだ受け取っていない人たちにとっても、礼拝は大事です。信仰者にとって礼拝は既に受け取った救いと解放を確認する場なら、教会に繋がり出した人たちにとってそれは救いと解放の受け取りへと導かれる場だからです。そういうわけで、兄弟姉妹の皆さん、安息日の礼拝をこれからも大切にしていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン
(主日礼拝説教 四旬節第四主日)
春らしい青空の中、スオミ教会手芸クラブは、二回目の刺繍を楽しみました。
前回と同じ、クロスステッチとカレリア刺繍です。
パイブィ先生のお祈りから、スタートです。今回は、幼稚園児の参加もありましたが、黙々と作業が進み、可愛い作品が、誕生しました。
パターンは同じでも、色の使い方で、出来上がりの表情の違いに、楽しさも倍増でした。
パイブィ先生からは民族衣装の興味深いお話も聞かせて頂きました。「聖書にも相続者について書いてあります。「エフェソの信徒への手紙」1章11節でパウロが次のように述べています。
「キリストにおいて私たちは、御心のままにすべてのことを行われる方のご計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」
私たちはどんな価値あることの相続者でしょうか?それは、イエス様を通していただく永遠の命です。永遠の命をいただくということは、神様の天のみ国に入れることです。神様は、私たちが天のみ国を受け継ぐ者になれるように計画をたてて実行されました。この世の中では、刺繡や民族衣装のような文化的なものは美しいことです。天のみ国を受け継ぐことは、この世のことを越えた永遠のことです。これはなかなか理解できることではありませんが、私たちは文化的な美しいことに触れることで、もっと素晴らしい、美しい天のみ国の始まりを感じることができます。これらの美しいことを与えて、受け継がせてくれる天の神様に感謝しましょう。」
次回の手芸クラブは、白樺のピンクッションを予定しています。
本日の福音書の日課はヨハネ4章にある有名な「サマリアの女」の話です。イエス様とこの女性が交わす会話の中に、「生きた水」という言葉が出て来ます。イエス様がその水を与えると、それを飲んだ人は永遠に喉が渇くことがなくなる。そればかりか、その水は飲んだ人の中で泉となって、そこから湧き出る水が永遠の命に向かって流れていくということが言われています。永遠に喉が渇くことはない、とか、心の中に泉が出来てそこから溢れ出る水は永遠の命に向かって流れ出す、と言うのは、何かをたとえて言っているのですが、一体何がたとえられているのでしょうか?たとえの意味ははっきりわからなくとも、聞く人にとって何か心を奪うような美しい描写ではないかと思います。
本日の福音書の日課の後半にもたとえがあります。刈り入れ人と種まき人のたとえです。イエス様は弟子たちにこれを話す時、目を上げて、麦畑が黄金色なのを見なさい、と言われます。刈り入れ人である弟子たちは、別の者が労苦した結果を刈り入れするのであるが、別の者の労苦を分かち合うことにもなる、と言っています。もし、このたとえを家の中とかではなく、外の、まさに黄金色の麦畑の前で聞かされたら、別の者の労苦が具体的に何を意味するかわからなくても、なるほど、その通りだと言う気持ちになるのではないでしょうか?
これらのたとえは具体的に何かを指していています。それを「生きた水」とか「他の者の苦労」というものにたとえて言っているのですが、それではその具体的なものとは一体何なのでしょうか?美しい表現にうっとりして、それではそれは何を意味しているのですか、などと聞かれると、はた、と困ってしまいます。聞いた時は、わかったような気がするのですが、いざ自分の言葉で説明しようとすると、わかったようなことがどこかにいってしまう。真にもどかしいです。たとえというものにはそういうことがよくあります。たとえは、物事を直観的に分からせる効果的な手法だからです。本日の説教では、「生きた水」と「他の者の労苦」を具体的な言葉にしてみましょう。せっかく、うっとりしたのに何だか興ざめだと思われるかもしれませんが、具体的な言葉にして後で、もう一度この箇所を読むと味わいが一層深くなるのではないかと思います。
2.
まず、本日の福音書の箇所の中で起きた出来事の流れをざっと追ってみましょう。イエス様と弟子たちの一行は、ユダヤ地方からガリラヤ地方に引き返します。マタイ、マルコ、ルカの三福音書では、イエス様はヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後はガリラヤ地方に行き、そこを中心にして活動し、最後にエルサレムに向かう、という展開になっています。ヨハネ福音書ではイエス様は最後のエルサレム行きの前にも何度か往復されていて、三福音書には取り上げられないユダヤ地方訪問の記録が収録されています。
さて、イエス様一行は途中で、ユダヤ地方とガリラヤ地方の間にあるサマリア地方を通過します。サマリア地方とは、遥か昔、ダビデとソロモンの王国が南北に分裂した後に出来た北王国にあたる部分でした。それが、イエス様の時代から700年以上前の昔、東の大帝国アッシリアに攻められて滅ぼされてしまいます。その時、国の主だった人たちは東の国に連れて行かれ、逆にサマリア地方には東から異民族が強制移住させられて来ました。それで、同地方は民族的にも宗教的にも混じり合う事態となってしまいます。旧約聖書の一部は用いていましたが、本日の福音書の箇所の中でも言われているように、エルサレムの神殿とは違う場所で礼拝を守っていました。これに対してユダヤ民族が自分たちこそ旧約聖書の伝統とエルサレムの神殿の礼拝を守ってきたと自負して、サマリア人を見下して、交流を避けてきたことは良くわかります。本日の箇所のサマリア人の女性の発言からも、そのことがよく伺えます。
イエス様一行は、サマリア地方にあるシカルという町まで来て、その近くの井戸のところで休むことにしました。旧約聖書の伝統に基づき(創世記48章22節、ヨシュア記24章32節)、付近の土地はかつてヤコブが息子のヨセフに与えた土地と言い伝えられていました。そのため、サマリア人はそこにある井戸をヤコブから受け継がれた井戸と考えていました。
さて、イエス様の弟子たちは町に食べ物を買いに出かけ、「旅に疲れた」イエス様は井戸のそばで座っていました。「疲れた」などと、イエス様が神と同質な方に似つかわしくない状態にあったのは、これは神のひとり子がこの世に送られた時、乙女マリアという人間の母から人間として生まれたことによります。神と同質ですから、罪を持つことも犯すこともない神聖な方です。しかし、人間として生まれたことで、疲れた時は疲れ、空腹な時は食べ、悲しい時は泣き、喉が渇けば渇き、痛み苦しい時は痛み苦しんだのです。こうしたことは全て福音書の中で言われています。まさに人間として生まれたことで、神が人間の痛みや苦しみを自分のものとして受けられたのです。「ヘブライ人への手紙」4章の中にイエス様について、「わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」と述べられていますが、これは真理です。
さて、イエス様が一人で休んでいると、サマリア人の女性が井戸に水を汲みにやって来ました。時刻は正午ごろ。中近東の日中の暑さでは、誰もこの時間に水汲みなどにやって来ません。まるで誰にも会わないようにするかのように、女性がやってきました。何かいわくがありそうです。イエス様がこの女性に水を求めると、女性は、なぜサマリア人と交流を避けるユダヤ人が自分に水を求めるのか、と驚きます。そこから二人の対話が始まります。そのやりとりの中でイエス様は、自分は「生きた水」を与えることが出来る者であると自分について証し始めます。女性は、それが何をたとえて言っているのかわからず、本当の飲み水のように考えるので話がかみ合いません。最後にイエス様が女性に「夫を呼んで来なさい」と命じると、女性は「夫はいません」と答えます。それに対してイエス様は、その通り、かつて5人夫がいたお前が今連れ添っているのは正式な婚姻関係にない男だ、だから「夫はいない」と言ったのは正解である、などと言い当ててしまいます。これで、なぜ女性が人目を避けるようにして井戸に来たかがわかります。
そこで、女性はイエス様のことを預言者と見なしますが、イエス様は、自分はメシア救世主であると証します。全てのことに驚いた女性は、シカルの町の人々にイエス様のことを知らせに走り去っていきました。もう人目を避ける境遇にあることなど眼中にありませんでした。それほど驚き、人々に知らせないではいられなかったのです。ただし、女性がメシアという言葉を、本当にイエス様が自分で理解していた意味と同じ意味で理解していたかは定かでありません。というのは、イエス様の十字架の死と死からの復活の出来事が起きる前は、ユダヤ人の間でさえメシアという言葉は使う人によっていろいろな意味を持っていたからでした。その辺の事情は本説教では深入りしません。ただ、本日の箇所の最後のところで、町の人々が二日間イエス様の教えを集中的に聞いた後、彼のことを「この世の救い主」(42節)と信じたと言うのは、注目に値します。
女性が町に走り去ったのと入れ代わり立ち代わりに、食べ物を買ってきた弟子たちが戻ってきます。イエス様はサマリア人の女性と何を話していたのだろうかと訝しがりますが、それでも、食べるように勧めると、イエス様は突然、自分には食べる物があるなどと言いだします。弟子たちは、自分たちが買い物に行っている間に誰かが持ってきてくれたのだろうか、などと考えます。ここでも、イエス様は何かを食べ物にたとえて言っているのですが、弟子たちは具体的な食べ物を考えて話がかみ合いません。イエス様は、天の父なるみ神の御心を行い、その業を成し遂げることが自分の食べ物であると言います。これは弟子たちにとってちんぷんかんぷんの話だったでしょう。イエス様は構わずに話を続けて、刈り入れ人、種まき人、他の者の労苦について話していきます。
ここで、イエス様が「刈り入れまでまだ4カ月ある」ということについて述べていることを注釈しておきます。イエス様は、「お前たちは『刈り入れまでまだ4カ月ある』と言っているが、畑を見よ、もう色づいているではないか」と言われます。これは少し変ですね。というのは、刈り入れまで4カ月あるのに、畑は既に刈り入れ状態にあると言っているからです。これは一体どういうことでしょうか?これは、ギリシャ語の原文をどう理解するかによります。一つの訳仕方としては、新共同訳と異なり、「麦は種を蒔いてから刈り入れまで4カ月かかるものである」という意味にとることが可能です(フィンランド語訳の聖書はそうです。ただし、英語NIV、スウェーデン語、ドイツ語ルター版は新共同訳と同じ)。地中海地域でしたら春小麦はそれ位でできますので、イエス様は当たり前のことを述べていることになります。種は蒔いた後、一定期間したら刈り入れの時が来るものだ、ということです。
ところが、新共同訳ですと、刈り入れまでまだ4カ月あると言っているのに、なんとシカルの麦畑はもう実っている、ということになります。どうしてそんなことが可能なのでしょうか?実は、イエス様が目を上げて見よ、と言っているのは、まだ茎も伸びていない畑ではないのです。イエス様は何かを現実にはない黄金色の畑にたとえていることになります。それは何でしょうか?イエス様は、目を上げて見なさい、と言います。井戸があるところよりも高い所にあるシカルの町の方を見上げると、大勢の人たちがこちらに下ってやって来るのが目に入ります。サマリア人の女性が、預言者かメシアかわからないが、すごい人がやってきた、と言うのを聞いて、すぐに会おうと出かけてきた人たちです。つまり、女性の証言を聞いて、それを信じてイエス様のもとにやって来たということで、将来起こるべきことを先取りしていることがある。つまり使徒たちの証言を聞いてイエス様を救い主と信じる人たちが出る、ということの先取りがここにあるのです。目撃者から直接イエス様のことを聞いて信じるようになる、後には聖書の御言葉を通して信じるようになる、このようにしてイエス様を救い主と信じる人が刈り入れを待つ豊かな実にたとえられているのです。
イエス様を救い主と信じる人を豊かな実と考えれば、実は最初の訳仕方でも問題ありません。というのは、目を上げて見なさい、と言われる時、視野に入ってくるのは、目の前の色づいた麦畑と町の方からやってくる大勢の人たちの両方になるからです。この方が、たとえで言われる直接的な描写と隠された意味の両方が一緒に揃うので、一層効果的と言えます。
いずれにしても、町の人たちは請うてイエス様に滞在してもらい、2日間に渡って教えを聞いて、彼のことを「この世の救い主」と信じるようになります。長くなりましたが、以上が本日の福音書の箇所の出来事の流れです。
3.
さて、イエス様が言われる「生きた水」について見ていきましょう。「生きた」水などと言うと、水が動植物のように呼吸して生きているように聞こえます。原語のギリシャ語を見ると「生きる」という動詞の動名詞形なので「生きている」という意味になり、文字通り「生きている水」です。私が使う辞書はギリシャ語スウェーデン語のものですが、それによれば「生きている」の他に「命を与える」という意味もあります。ヨハネ福音書でイエス様が「生きる」とか「命」という言葉を使う時はたいてい特別な意味が込められています。何かと言うと、「生きる」とか「命」は今の世にあるものの他に、今の次に来る世のものもあって、それらを全部ひっくるめた「生きる」、「命」になります。それで、「生きている水」とは飲む人を永遠の命に至らせる水ということで、まさに「永遠の命を与える水」ということになります。
この、イエス様が与える「永遠の命を与える水」を飲むと、それは飲んだ人の中で泉となって、そこから「永遠の命に至る」水が湧き出る。泉とは、地下水が地表に沁み出てくるところにできます。穴を掘って地下水が溜まって池のようになったりしますが、それは泉とは言えないでしょう。掘らないで自然のままで地下水が押し上げるように絶えず湧き出るのが泉で、水は溢れ出るしかなく小川となって外に向かって流れ出て行きます。イエス様が与える水を頂くと、そのような水が絶えず湧き出る泉が心の中に出来て、そこから溢れ出た水は永遠の命に向かって流れて行く。美しい描写です。命の根源にかかわるようなことを予感させます。でも、これは一体どういうことでしょうか? イエス様が与える水が死を超えた永遠の命に導いていく、つまり、私たちの命をこの世で生きるものだけに留めず、この世での命と次の世での命を合わせた両方にまたがるものにして、その間ずっと私たちの内にこんこんと湧き出て流れ続ける水。イエス様は何をそのような水にたとえているのでしょうか?
ここで一つ注意したいことは、この水はイエス様が与えるもので、一度心に泉が出来たら、あとは水が勝手に溢れ出て行くということです。人間はただ、与えられたものを受け取るだけ、後は溢れ出て流れ出ていくにまかせるだけという受け身な存在です。永遠の命に与れるために人間はただ受け取るだけでいいというのは、キリスト信仰そのものを言い表しています。信仰というものが、与えられるものを受け取るだけでいいというのは、違和感が持たれるかもしれません。一般には宗教というのは、何か定められた掟や規定をしっかり守ることをしたり、何か奇跡を行ったりしたら強い信仰、出来なければ弱い信仰ということになると思いますが、その場合、信仰とは人間の方で頑張らないと理想の状態に到達できないということでしょう。それなのに、キリスト信仰では、まず受け取ることに専念せよ、というのはなんだか物足りない感じがするかも知れません。
キリスト信仰の場合は、人間が永遠の命に与れるために何かをしなければならないのは人間の方ではなく、イエス様が既にして下さったのです。そこが全ての出発点になります。イエス様が人間をこの出発点に立たせてくれたのは、それは人間には不可能だったからです。それでは、どのようにして出発点に立たせて下さったかと言うと、それは、人間が永遠の命に与れない障害となっていた罪の問題を解決してくれたことでした。人間は、自分の造り主である神に対して不従順になって罪を宿すようになってしまった堕罪の時に神との結びつきを失い、永遠の命から切り離されて、死ぬ存在となってしまいました。天地と人間の造り主である神は、この状態を直そうと、ひとり子のイエス様をこの世に送られ、人間の罪を全てイエス様に背負わせ、罪の罰を全て彼に請け負わせて十字架の上で死なせました。つまり、イエス様の犠牲の死に免じて人間の罪を赦すことにしたのです。人間は、これらのことは全て自分のためになされたとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、神の目に適う者とされ、神との結びつきが回復し、永遠の命に至る道に置かれて、その道を歩めるようになりました。万が一この世から死んでも、その時は神が御手を差し出して御許に引き戻してくれて、永遠に造り主のもとに戻ることができるようになったのです。
このように、神がひとり子イエス様を用いて成し遂げたことが自分に対して行われたとわかってそう信じ、イエス様こそ救い主とわかってそう信じれば、永遠の命に与れるのです。まさに、信じることが永遠の命に至らせることになるのです。それで、イエス様が与える「永遠の命を与える水」というのは、こうしたことを信じる信仰ということになります。キリスト信仰にとって信仰とは何かと問われたら、それは、父なるみ神がひとり子イエス様と一緒に人間の救いを成し遂げたということだ、というのが答えになります。父とみ子は、全てのことは整えたので、どうぞ受け取りなさい、と言って差し出してくれている。それを、はい、ありがとうございます、と言って受け取れば、それが私たちの信仰になって、私たちの内に永遠の命に向かって溢れ流れ出る水の源が生まれるのです。
イエス様は、自分にとって食べ物とは神の御心を行い、神の御業を成し遂げることだと言っていますが、これも「水」の場合と同じように、「食べ物」が何か永遠の命に導くものを意味しています。神の御心を行い、神の御業を成し遂げるというのは、神のひとり子が十字架の死をもって人間に代わって罪を償い、復活させられることで死と死をもたらす罪を滅ぼして、人間を罪の支配下から贖いだすことです。まさに、人間を永遠の命に与らせる御業です。
刈り入れ人と種まき人のところで、「別の者たちの労苦」と言われます。「別の者たち」と複数形になっていますが、これは、み子イエス様と父なるみ神が人間の罪の償いと罪の支配からの贖いの業を成し遂げたことを指しています。弟子たちは、自分たちが見聞きしたことを命をかけて証言し、記録に残し伝えることをし、その結果、多くの人たちが、神がイエス様を用いて成し遂げた救いを受け取ることが出来るようになりました。受け取った人は豊かに実る実となりました。
4.
兄弟姉妹の皆さん、罪の赦しの救いを受け取った私たちの内にはこんこんと水が湧き出る泉があることを忘れないようにしましょう。日々聖書の御言葉を繙き、自問し、神に祈り全てを打ち明けることは大事です。そうしないと、泉は見失われ、小川のせせらぎは聞こえなくなります。この世には、泉のあることを忘れさせたり、そんなものはないと思わせるものに満ちています。特に試練や苦難や誘惑に遭う時などはそうです。しかし、そんなのは単なる思わせにしかすぎません。本当のことではありません。せせらぎの音は雑音にかき消されることはあっても、せせらぎの音自体は消えたことにはなりません。いつもゴルゴタの十字架の主に思いを馳せ、心の目をそこに向けましょう。そうすれば、泉は相変わらず水を湧き出させていることに気づくでしょう。心の耳にせせらぎの音が響いて来るでしょう。
真冬に戻ってしまったような、北風の強い土曜日の午後、家庭料理クラブは、「ルシッカレイパ」を作りました。
最初にパイブィ先生のお祈りからスタートです。
グループに別れて、計量、生地作りへと進みます。 ルシッカはフィンランド語でスプーンの事、生地をスプーンに乗せて形を作り、焼き上げます。 冷めた生地にラズベリージャムをサンドして完成です。
今回の家庭料理クラブは、ちょっとした「おもてなし」をテーマにしましたので、簡単なブォイレイパも楽しく作り、試食タイムになりました。
お腹も満ち足りてきたころ、パイブィ先生から、フィンランドのラズベリーのお話、「マタイによる福音書」6章28-30節やイースターに向かう受難節のお話も聞かせていただきました。 天の神様はご自分が造られた自然を通して、私たちにベリーや果物や野菜などを与えてくださいます。これは私たちを喜ばせ、神様に感謝の気持ちを抱かせます。しかし、神様が私たちに与えられるもっと大事なことは、イエス様の十字架と復活を通して永遠の命を与えて下さったことです。
ご参加された皆様、可愛いルシッカレイパ作り、お疲れ様でした!
4月の「家庭料理クラブ」は、 イースターが近いので、開催日等、変更がある場合も有ります、教会HPのチェックをお願いします。
1.はじめに
本日の旧約聖書と使徒書の日課はアブラハムについて述べています。アブラハムはいつの時代の人かと言うと、これはイエス様の時代と比べて歴史的な確定が困難です。イエス様の時代は、福音書の中に名前が出て来るローマ帝国の皇帝や総督、また当時のパレスチナの地の為政者などから、今から2000年くらい前のこととわかります。ところがアブラハムの場合は、エジプトの国王が登場しますが(12章後半)名前が記されておらず、歴史的に照らし合わせられる手がかりが少なく、正確な時代の確定は困難です。イエス様の時代からさらに約2000年位さかのぼった頃という説が一般的です。つまり、私たちの時代から4000年くらい昔の人ということになります。本日の旧約の日課は、アブラハムが神の召命を受けて、ハランという所からカナンの地に移住する出来事についてです。ハランは、地図でみると、現在のトルコとシリアの国境沿いのトルコ側にあります。カナンの地とは現在のイスラエルあたり、神がアブラハムの子孫に与えると約束した地です(12章7節)。
さて、アブラハムが神から召命を受けてハランを旅立ったのは75歳の時でした。彼は175歳で死ぬので(25章7~8節)、100年間天地創造の神との関わりの中で生きることになります。皆さんは、アブラハムの100年にわたる信仰の生涯について、どんなことを思い出しますか?創世記の11章から25章に彼の信仰の生涯について記されています。沢山の出来事があります。恐らく聖書の読者の多くがよく覚えている出来事として一番のものは、高齢にしてやっと授かった、愛する息子のイサクを生け贄として捧げよ、と天地創造の神から命じられてしまったことではないでしょうか?神が与えた賜物と賜物を与えた神のどちらを重んじているのか示してみよ、と試されてしまったのです。アブラハムが陥った窮地は、私たちの想像を超える仕方で解決が与えられます。これ以外にも、神との結びつきの中で生きるアブラハムにいろんな事が起こったことが記されています。ハランを出発して、まさに波乱に満ちた人生に歩み出したと言えます。しかし、それは神からの祝福に満ちた人生でした。
アブラハムに関することで、二つほど、その後の世界の歴史にとって重要な意味を持つことがあります。一つは、創世記17章にありますが、天地創造の神と同盟関係を結ぶ時、割礼という儀式を行うことが条件になりました。割礼を施されて、天地創造の神と同盟関係に入る、これでユダヤ民族という一つの民族が誕生することになりました。もう一つの重要な意味を持つことは、本日の使徒書の日課で言われるように、使徒パウロがアブラハムの信仰の中にまさに信仰の真髄を発見したことがあります。この発見がもとで、キリスト信仰がユダヤ教のみならず、他の宗教と比べても違いが際立つ宗教になったと言っても過言ではありません。本日の説教では、このことを見ていこうと思います。
その前に、今の時代を生きている私たちにとってアブラハムの信仰がどんな意味を持つのか、少しでもわかるために、今のこの時代がどんな時代であるかを少し考えてみたく思います。最近では、真実とか事実というものは、本当に真実か事実かが問題ではなく、多くの人に受け入れられたり、支持されれば真実、事実になる、という風潮があります。何かの目的の達成のために役立つことを真実、事実にするという風潮があります。アフター・トゥルースとかオールタナティヴ・ファクトなどと言う言葉はそうした風潮を反映しているのでしょう。本当に何を信じたらいいのか途方にくれてしまう、わけのわからない時代になってしまったと思います。時代がわけのわからないものであればあるほど、少なくとも自分自身に関してはわけのわかるようにしよう、それをしてから、わけのわからない時代に立ち向かっていこう、そう考える人にとっては、やはり聖書は繙くに値する書物ではないかと思います。こういう時代だからこそ、聖書やキリスト信仰には一層意味があるのではないかと思います。
そういうと、世界には多くの宗教があるのに、なぜキリスト教だけなのか、キリスト教は唯一の真理を代表すると気取っていると言われてしまうかもしれません。でも、聖書という書物は、イエス様の十字架と復活の出来事の後に成立した新約聖書の部分が出来てから2000年近く経ちますが、その間ずっと、それぞれの時代の中で生きた人間に時代に向き合う手がかりを与えてきたことは否定できません。聖書ですので、もちろん唯一の創造主という、私たち一人一人を造って私たちに命と人生を与えた神が中心にあります。そしてその神と自分との関係はどうなっているのかということを考えさせます。つまり、この私を造られ、私について何かを期待し、何かを計画している、そういう方がおられる。同時に、今のこの時代を生きている私は、いろんな問いを持っている。そうした問いにキリスト信仰は、すっきりと答えを与えるかもしれません。しかし、どちらかというと、人間を現実と理想の狭間において、悩ませることの方が多いかもしれません。でも、狭間に置かれることで、かえってそれまで見えなかったいろんなものが見えてくるということになるのではないでしょうか?
もちろん、創造主と自分との関係など持ち出さないで、純粋に哲学的に無神論的に、自分とは何か、自分が向き合っている世界や時代は何か、考えることも可能です。ただ、哲学の場合は、思考はこの世止まりで、この世の範囲内で考え、答えを見出そうとします。キリスト信仰の場合は、この世の次に来る世があって、その2つの世を合わせた全体から今の世を見下ろして答えを見出そうとします。さらに、キリスト信仰の立場で言わせてもらえれば、旧約聖書に新約聖書が加えられた時から数えて2000年位の蓄積があって、それをもとに時代に立ち向かっていけば、その蓄積は吟味されて、さらに深く、豊かにされていきます。キリスト信仰をもって時代に立ち向かうというのは、この、蓄積を吟味し、それをさらに深く豊かにするという、そういうプロセスに参加することだと言えるでしょう。このプロセスに参加することを通して、自分自身を深く豊かにすることになると思います。
以上、今の時代にあって、キリスト信仰を持って生きることにはどんな意味があるかについて序論的なことを述べてみました。本日は、そのキリスト信仰にとって大きな意味を持つ、アブラハムの信仰について見てみます。アブラハムの信仰は、キリスト信仰の蓄積の中の大きな部分を占めるものです。ただし、本日は創世記の11章から25章まで全部は見れないので、アブラハムの信仰の序説くらいに考えてお聞き下さればと思います。
2.神は信じない者を呼びだして信じるようにする
本日の旧約の日課の創世記12章初めは、当時アブラムという名前のアブラハムが、神の命を受けて、ハランからカナンの地に移住するところです。名前がアブラムからアブラハムに変わったのは、17章のところで神が、お前を多くの国民の父にするので、これからはアブラハムと名乗りなさい、と言ったことによります(5節)。アブラハムとは、ヘブライ語の単語の合成で「国民の多いことの父」という意味を表わします。まさに「多くの国民の父」です。
さて、アブラハムはハランからカナンの地へ移住しましたが、実は、アブラハムはハランの出身ではありません。創世記11章をみると、もともとアブラハムは父のテラと兄弟たちとともにカルデアのウルに住んでいました。カルデアとはバビロンのことです。つまり、アブラハムとテラたちは、今のイラクであるバビロンからユーフラテス川沿いに遡って、今のトルコ・シリア国境付近のハランに移り、そこで「私が示す地に行きなさい」という神の命令に従って、妻サライ(後のサラ)、甥のロト、ハランで得た従者や財産を携えて、カナンの地に移住をしたのでした。
ここで、ひとつ、あまり知られていないかもしれませんが、アブラハムの経歴の中で驚くべきことがあります。それは、ヨシュア記24章2―3節の中でヨシュアが民に神の言葉を伝えている場面がありますが、そこで次のような神の言葉があります。「あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向うから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。」
つまり、アブラハムは神の命令を受けるまでは、バビロンの地、ハランの地で他の神々を拝んでいたのです。それが、神の命令を受けて、神に従う人生を始め、死ぬまで神に聞き従う者として生き抜いて、イスラエルの民の元祖になったのです。そんなアブラハムが神の命令を受ける前は異教の神々を拝んでいたというのは驚きです。
「他の神々」というものがいつ頃から出て来るようになったのか、ということをちょっと考えてみました。ノアの時代の大洪水の後で、人間はまた増えだし、諸民族に分かれていき、世界中に広がって行きました。ただ、当時人間はまだ共通の言語を持っていました。そこで人々は、バビロンの地に集まって来て、そこに町と天にとどく塔を作り始めました。神は人間が自分と張り合おうとする性向を良しとせず、この建設をやめさせるために、人間が神に張り合おうと共謀できないようにしてしまおうと、神は人間の言葉を「混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないように」しました(11章7節)。つまり、人間の言葉を共通のものでなくする、言語をバラバラにするということです。ひょっとしたら、言語がバラバラになって、人間が各地に散らされて、それぞれの場所でそれぞれの言葉を使って生活するようになったことが、いろいろな神々の崇拝を生み出すことになったのではないかと考えることができます。ノアの子孫であるアブラハムの家系も、散らされた場所で、天地創造の神とは違う神々を崇拝するようになっていったのでしょう。
しかし、聖書の立場に立てば、人間はみな天地創造の神に創造された者です。世界各地に散らされて、自分たちの言語を使って生活しているとは言っても、人間には創造主の神について何か遠い追憶のようなものがあることになります。「コヘレトの手紙」3章11節には次のような言葉があります。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」。つまり、人間は造り主の神から「永遠を思う心を与えられている」のです。(実は、昨年の新年礼拝で私はこの聖句をもとに説教をしたのですが、ヘブライ語の原語の正確な意味は、「神は永遠というものを人の心に与えられた。それなしでは、人は神のなさる業を発見すること不可能である。しかし、与えられたので可能なのだ
ではないかと申し上げました。まだ専門家に聞いて確認していません。)、
使徒パウロは、アテネの丘の上の大集会場にて居並ぶギリシャの知識人を前にしてキリスト信仰を証しした時、人間には神を捜し求めようとする心があって、それぞれの民族は「手探りするように
(ψηλαφαςω)神を捜していると述べています(使徒言行録17章27節のギリシャ語の関係する文の訳は「もし手探りして見いだすことができるのであればいいのだが」という意味になると思います)。さらにパウロはローマ2章の中で、ユダヤ民族と異なって十戒をはじめとする律法を持たない異邦人も、律法の命じることを自然に行えるということを述べています。例えば、十戒を持っていなくても、盗む、殺す、姦淫する、偽証する等のことは、悪い事だとわかり、それをしないようにしたり、また犯した者を罰したりする、それは異邦人の心の中に律法の要求することが心に記されているからだ、と述べています。人間を造られた神は十戒を与えた方ですので、どんなに離れたところにいる民族でも善悪の基準はお互いそうかけ離れたものではないのではないでしょうか?
しかしながら、同じ天地創造の神に造られた人間はみな、言葉や文化の違いから現実にはいろんな神々を崇拝しているにしても、心の奥底にはみんな同じ希望を持っている、などといくら言っても、そこには魂の救いはありません。パウロがローマ3章で述べるように、全ての人間は十戒や律法を手に渡されていようが、心にそれらしきものを記されていようが、全ての人間は十戒や律法に盛られた神の意思を完全に実現できないということで、みな神に背を向けてしまっている存在なのだ、神の御心に反抗し、神聖な神に対して罪の汚れを持つ存在、それで神の裁きの下に置かれている存在なのだ、これが人間の真実なのだ、と教えます。人間の真実について、きれいごと、まやかしはいわない。これが聖書の立場です。それでは、人間は神の目に適う者になれないのでしょうか?神の裁きの下に置かれたままなのでしょうか?
この問題を解決するために神はひとり子イエス様をこの世に送ったわけですが、そのことを見る前に、アブラハムはどのようにして異教の神々から天地創造の神に聞き従えたのか、ということについて私が考えたことを述べておこうと思います。もちろんアブラハムにも、天地創造の神への追憶はあったでしょう。しかし、その神を知る手がかりがありません。そこへ、神自らが声をかけて呼び出したのです。呼び出した神が異教の神々よりも信じるに値すると思った要因ですが、異教の神々が単なる偶像であれば、これはもう明白なことです。イザヤ書47章に、偶像というのは人間に背負ってもらって据えつけられて立つことはできるが、そこからは自分で動くことは出来ない、助けを求めて叫んでも答えてくれない、悩みから救ってもくれない、と言われています。それまで拝んできた神々が無口だったのに対して、突然、語りかける神が近づいてきたのです。その神は、天と地と人間を造られ、人間一人一人に人生と命を与え、さらに堕罪の時に失われた自分と人間との結びつきをいつか取り戻してあげようと決めておられた神だったのです。
3.人間は神の力で義とされると信じて義とされる
アブラハムの信仰で、キリスト信仰にとってとても大事なことが、本日の使徒書の日課ローマ4章3節に述べられています。パウロが創世記15章6節を引用して述べているところです。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」。いわゆる、信仰によって神から義と認められる、ということです。このことについて見ていきます。
この創世記15章6節は、その前後を合わせて見るともっとよくわかります。それは、「アブラハムは、高齢であるにもかかわらず自分と妻のサラの間に子供が授けられて、多くの子孫を得ることになるという神が約束したことを信じた。その信じたことが、彼の義として認められた」ということです。不可能と思える状況の中、理性で考えて起こりえないことを、神はすると約束した、神が約束したことだからと疑わずに信じた。それがもとで、アブラハムは義を有すると神に認められたということです。
そこで義というのは、これは、神の意思が完全に実現された状態を意味します。まず、神は義そのものの方です。人間はと言うと、これは神聖な神と正反対な、罪を持つ、神の意思に反する存在です。義がない存在です。どうしてそうなってしまったかと言うと、堕罪の時に神に対して不従順になって罪が人間の内に入り込んでしまったからです。その結果、人間は死ぬ存在となってしまいました。死ぬということが、人間は罪を内に持っていることの証拠なのです。そこで、もし人間が義を持てるようになれば、人間は神の目に相応しい者となって、堕罪の時に失ってしまった神との結びつきを持ってこの世を生きられるようになります。この世を天地創造の神との結びつきを持って生きられるというのは、順境の時も逆境の時も絶えず神から見守られて、良い導きと助けを得られるということです。万が一この世から死ぬことになっても、神との結びつきがあれば、神が御手を差し出して、御許に導いて下さいます。そして、永遠に自分の造り主の御許に戻ることができるようになります。
そのように人間が義を持てるためには、自分の内にある罪を取り除かなければなりません。神は人間に十戒をはじめとする律法を与えましたが、人間はそこに示される神の意思に沿うようにしっかり生きなければなりません。ところが、それは思うようにうまくいきません。なぜなら、パウロが教えるように、律法というのは本質的に実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないものだからです。なぜなら律法によっては、罪の自覚しか生じないからです(ローマ3章20節)。このように、律法や十戒を守って神の目に相応しい者になろうという義の取得の仕方は、破たんしているのです。これが人間の現実である、というのが聖書の立場です。
では、どうしたら良いのか?そこで神は人間に代わって解決を図って下さいました。ひとり子イエス様をこの世に送って、彼に人間の全ての罪の罰を請け負わせて、十字架の上で死なせて、この犠牲の死に免じて人間の罪を赦すという策に打って出たのです。本日の福音書の箇所でイエス様は、自分は多くの人たちの身代金としてきた、と述べていますが、それはまさに、自分は人間を罪の呪縛から解放するための身代金になる、自分の命を代価にする、ということでした。先ほども述べたように、人間は、死ぬということが罪の支配下にあることを示しています。詩篇49篇に「神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。魂を贖う値は高く、とこしえに、払い終えることはない」(8~9節)と言われます。この贖い、買い戻しをしてくれたのがイエス様でした。その代価は、神のひとり子が十字架で流した血だったのです。イエス様の犠牲とは、まさに人間に代わってなされた罪の償いでした。これで人間の罪が赦される道が開かれました。加えて、イエス様の犠牲によって、人間は罪の支配下から神のもとに買い戻されて、罪の支配から解放されたのです。
罪が赦されるというのは、神が不問にする、なかったことにする、それで、もうお前を裁きのもとに置かない、だからお前は神のひとり子の犠牲のおかげで裁きを免れた者として、新しくやり直しなさい、ということです。不問にする、なかったことにする、というのは、罪が消え去らないで残ることですが、それでも裁きはないと言われているので、罪は消え去ったのと同じ状態にあります。そこで、人間の方が、ああ、あの2000年前の十字架の出来事は今を生きる自分のためにもなされたんだとわかって、それでイエス様こそ自分の救い主と信じて洗礼を受けると、以上のような神からの罪の赦しがその人に効力を持ち、神は過去の罪を不問にするとおっしゃって下さり、その人は、神に対する感謝の気持ちから、これからは罪を犯さないようにしよう、罪の思いを持たないようにしよう、という心を持って生き始めます。
そうではなくて、もし、まず神を全身全霊で愛し、隣人を自分を愛するが如く愛そう、それをもって神から義と認めてもらおう、というのは、律法を守って義を得ようとすることになって、それは不可能です。キリスト信仰は逆です。イエス様を救い主と信じる信仰によって神に義と認められます。最初に義としてもらって、そのことに感謝して、神を全身全霊で愛そう、隣人を自分を愛するが如く愛そう、というふうになっていきます。
4.アブラハムの信仰と私たち
以上みてきましたように、アブラハムが、理性では不可能と思える中で、神の約束の言葉を信じたことが、彼の義として認められました。信じたことで義として認められるということは、キリスト信仰にあてはまります。それでは、アブラハムが自分で聞いた神の言葉と同じ言葉を私たちも聞くことができるでしょうか?それを聞いて信じて、義とされるような言葉は私たちにあるでしょうか?それがあるのです。私たちにとって神の言葉は、聖書のみ言葉です。神は、罪に陥った人間をいつか、神聖な自分の前に立たせても大丈夫な清いものに治してあげようと、それを実現するためにひとり子をこの世に送られた。人間全ての罪を神のひとり子の一回限りの犠牲の死で帳消しにするという、それ位、神聖で重々しい犠牲を彼に強いて、彼はそれを受けて立った。さらに、一度死んだイエス様を復活させることで、神は死を超える永遠の命があることを示し、その扉を人間のために開かれました。これら全ての、理性では受け入れられない、収まりきれない、神の愛と恵みを信じること。これらのことは書いてある通りに起こったのだし、それは自分のために起こったのだ、神は自分のひとり子を犠牲にするくらいに自分のことを愛してくれている、そうわかって、神はまことにイエス様を人としてこの世に送られた、そのイエス様は私の救い主です、と信じれば、もう義と認められるのです。神の目に相応しいものとされるのです。神の目に相応しい者としてもらったからには、神の意思に沿うように生きることが当然のことになります。うまくいかない時があっても、その時は神の御前に出て、イエス様を救い主と信じます、と赦しを願いば、神は、わかった、わが子イエスの犠牲の死に免じてお前を赦す。もう罪を犯さないように、と言ってもらえるのです。キリスト信仰者とは、いつの時代にもどんな状況に置かれても、これを繰り返しながら人生を歩む者です。
兄弟姉妹の皆さん、このように私たちは信じることで神から義と認めてもらえます。それで私たちもアブラハムと全く同じ祝福を受けられるのです。アブラハムは75歳からこの世を去るまで100年間、天地創造の神を信じて歩みました。その信仰の人生は波乱に富んでいましたが、いつも神からの祝福に満ちた人生でした。私たちの場合は100年はないかもしれませんが、それでも神に祝福された人生を歩めるということに変わりはありません。そのことを忘れないようにしましょう。
今日の礼拝の聖書は、コリント信徒への手紙Ⅰ1章10~17節です。パウロの手紙の自己紹介と挨拶は終わりました。さて、コリントの教会に対して手紙を書くにあたって、パウロはさしあたって気になることから書き始めました。その「さしあたって気になること」というのは 何だったのでしょうか。
12節を見ますと彼はクロエ家の者たちからコリントの教会の中に争いがある、と聞かされておりました。それがさしあたっての問題であったわけです。しかし、余り名誉にもならない争いごとまで聖書に書いてるというのはどうかと思いますが、パウロにとっては手がかりとして意味のあることでしょう。
ピリピ人の手紙でも教会の中に不和があり争いがあることが記されています。いずれも、まだ伝道が始まって浅い教会です。それがこういう問題を抱えているというのは、どういうことでありましょう。
若い教会であるため十分な訓練がないためでありましょうか。それとも教会は信仰を主張するためにそういうことになるのでありましょうか。それでパウロはどういうふうに書いているか、まず10節から12節まで見てみましょう。
〔さて、兄弟たち私たちの主イエス・キリストの名によってあなた方に勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし、思いを一つにして固く結び合いなさい。私の兄弟たち、実はあなた方の間に争いがあるとクロエの家の人たちから知らされました。あなた方はめいめい「わたしはアポロにつく」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。〕
パウロは、ここでまず勧告します、と言って「心を一つにして固く結び合いなさい」と言っています。
教会での、すべての人々の願いは一つになることでしょう。「一つと言うこと」はそう間単に言えることではありません。少なくとも紛争のない事であります。それぞれが賜物を受けながら争わないことでありましょう。そのためには同じ心、同じ思いになって固く結びついてほしいと申します。ここのところをルターの訳によれば、一つの声、一つの思い、一つの考えということになります。声を一つにして、ということは人々の願いをあらわすばかりでなく礼拝における信仰告白をよく示しているのではないでしょうか。信仰告白という字は一つのことを言うということであります。それはキリストをどう信じるかということについて同じ内容のことを、できれば一つの声で言うことであります。なぜならキリストに対する信仰は一つしかないはずであります。しかし人間の愚かさの深さのゆえに、いつもそうは行かないのであります。
それならば、せめて一つの教会の中ではっきりと一つの声を持って神を礼拝することができるようになりたい、とパウロは言うのであります。それなら教会の中の争いはどこから出るのでしょうか。いろいろな原因があると思います。多くの人が集まっているのですからずいぶん人間的な理由もあると思います。つまらないことが争いのもとになることもしばしばあります。それならコリントの教会では何が争いの原因になったでありましょう。この教会が誰によって始められたか、どういう事情によるものか、というとでしょう。パウロをはじめ何人かの伝道者たちの直接あるいは間接の影響が合ったらしいのであります。クロエの家の者たちの報告によればここには四つの派があったと言われます、パウロはそう書いていますね。
第一はパウロ派であります。自分はパウロにつく、と何かと言うとそう言う。これは自然なことであったでしょう分かりやすいことです。パウロはこの教会の伝道を始めた人であったのであります。使徒言行録18章1~4節を見ますとパウロは2度目の伝道旅行の時アテネからコリントへ行きました。使徒言行録でもわかりますように、そこでアクラとプリスキラというユダヤ派の信者夫婦に会いました。彼らは同業の天幕作りをしながら安息日毎にユダヤ人の会堂に入り伝導したのでしょう。恐らくこれがコリント伝道の始めでありましょう。パウロはそこに一年半ほど腰を据え神の言を教え続けたと言われます、こういう事情でありましたからパウロを慕う人は少なくなかったでありましょう。パウロの信仰によって多くの人は養われたに違いないのであります。これらの人々が自分たちはパウロにつく、と言ったのでありましょうか。
第二にアポロにつく、と言う人々がありました。アポロは何者? と言いたい人ですが使徒言行録によれば18章24~19章1節にありますが彼はエペソで長く伝道しコリントにも転じて聖書を教えたのですあります。アポロはアレキサンドリア生まれのユダヤ人で旧約聖書に精通しておりました。
アレキサンドリアという町は北アフリカの地中海沿岸にあります。アレキサンダー大王の名をとった町で彼が持ってきたギリシャ文化とユダヤ文化とが接触したところとして有名でありました。旧約聖書がギリシャ語に訳されたのもこの町でありました。その聖書は始めの頃の教会の聖書として用いれられたものであります。従って教会の歴史の始めの頃にはここには独特の神学が生まれ多くの優れた神学者も出たのであります。アポロはこういう町で育ち教育を受けました。従って彼は教養豊かな立派な説教者でありました。使徒言行録18章24節を見ても分かります、恐らく当時の修辞学などを中心に良い教養を身につけていたのでありましょう。このような伝道者が人を引き付けないわけがありません。その雄弁のゆえに、また優れた教養のゆえに彼の説く福音は魅力にあふれたものであったでしょう。従ってアポロ派が出来たのも不思議はなかったと思います。
第三はケファ派であります。ケファというのはペテロのことであります。ペテロはある意味ではアポロと正反対の人であります。彼はガリラヤの漁師出身であります、当然教養などというものは凡そ縁遠い人であります。しかしアポロと違って彼はエレサレム教会の最も重要な人になりました。アポロはアレキサンドリアという大都市の出身でありますがキリスト教会の立場からすればその町はまだ中心ではありません。しかしエレサレムはキリスト教の発祥の地であり伝統の町でありました。従ってペテロは、あるいは語るきことは疎いとしてもその権威の中心に人々を引き付けたでありましょう。いわば本山を代表する、ということであったかも知れません。その他に漁師出身の素朴さも魅力であったでしょう。こうしてペテロ派があっても少しも不思議ではありません。
第四にわたしはキリストにつくという人々があった、と書いてあります。これは昔から読む人々を困惑させるのであります。なぜならパウロ派もアポロ派もケファ派もみなキリストを信じていることには違いないからであります。それなのになぜこの人々が自分たちはキリスト派と言うのでしょうか。もしかしたらこれはこの人々はパウロとかアポロとかケファと言った人間の教師を尊敬することが正しくないと思ったのかもしれません。それに対して我々に大切なことはキリストだけである、ということは最もなことであります。パウロは後にコリント人へも手紙で「キリストに属する者」ということを言っています。この人々はあるいは特別なキリスト経験を持っていたとも言えるかもしれません。
さてこういう派閥があることは困ったことであります。そのような間違いが起こる、まことの原因は何でしょうそれを知ることが大事であります。それはやはりキリストのことであります、それには二つのことがあります。パウロが言うようにキリストは分けられるべきものであるかという第一のこと、私たちはキリストを信じて信仰生活をしているのであります。それならば信仰はキリストによって決まるのであります。そのキリストは一人なのであります、キリストは分けられるべきものではありません。誰によって教えられても一人のキリストを信じるというのであれば、そういう派閥のようなことは出来ないはずではないかというのであります。人間の愚かさのゆえに我々はいつもキリストを同じように信じることは出来ないようであります。そうは言っても一人のキリストを信じなければならないことは間違いのない事であります。そのことついてパウロはもう一つの理由をあげます。それは「パウロはあなた方のために十字架につけられたことがあるか」ということであります。一人のキリストを信じているはずではないか。それは誰が我々のために十字架についてくれたというこであります。大切なことは我々の救いのために十字架にかかって死んでくれるのは誰かということであります。それを考えればキリストにおいてとか、パウロとかアポロとか言うことは考えられないということが分かるのではないかと言っているのです。
17節を見ますとこうあります。「いったいキリストが私を遣わしたのはバプテスマを授けるためではなく福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためである」パウロがこのように言っているのは自分がバプテスマを授けたことが分派の原因になっていやしないかと恐れたためでありましょう。そこで彼は自分はバプテスマを授けるためではなく福音を宣べ伝えるために遣わされたのである、と言ったのであってここではバプテスマというものが重要であるとかないとか言うことを議論しているわけではありません。バプテスマは欠くことのできないものであります。パウロはただそれを勝手な理由に用いられることを恐れただけであります。しかしいずれにせよ大事なことは福音を宣べ伝えることであります。パウロは事柄を明確にするためにわざわざことを区別して語っています。福音を信じるようになればバプテスマを受けるようになるわけであります。しかし大切なことはキリストによって救われることであることを強調すること、まことにパウロの言うとおりであります。このことをパウロが特に強調するのはバプテスマを受けるとかパウロあるいはアポロに教えを受けることが中心になってしまってキリストによって救われるということがしっかりととらえられられなかった、このことがパウロに気にかかることであったからであります。信仰のことは誘惑の多いものであります。いろいろなさまたげもあります、誘惑はキリストによる救いがあいまいにされる、というところにあります。
どんな理由があるにせよ、このことがなくなればそれはもう救いではなくなってしまうからであります。パウロはそれを言いたかったのであります、キリストによる救いということです。教会の中の争いも勿論困ったことではあるが福音が正しく受け入れられなければ全てのことは空しいからであります。そこで最後に彼は申します、17節です。「それはキリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである」。何がどうあってもキリストの十字架が空しくなってしまってはキリスト教は終わりであります。十字架が空しくならないためには十字架が威力を発揮しなければなりません。それは人が十字架によって救われねばならないということであります。コリントの教会の内部での争いはこのことから見て恐ろしいこと、何としても解決しなければならないことであります。教会の中の揉め事のようなことをなぜ一番初めに取り上げたのでしょうか、それはここまで読んで分かってきたことです。パウロは勿論争いも困ったことではあったにちがいあいません。しかし、それはどちらかと言えば小さなことでありました。ただパウロはそれをただの争いと考えないでその信仰から見た意味を明らかにすることに努めました。最後には十字架が空しくなってしまうことを恐れる、とさえ言うことになったのであります。このようにしてこの教会の紛争は福音を語るひとつの手がかりになったのであります。それを語って十字架の問題にまで至って次に福音そのものの力を告げる機会としたのであります。 アーメン・ハレルヤ
次回は18節から十字架の言葉の力はどういうものであるか、聞いていきたいと思います。
北風が強い休日の土曜日の午後、家庭料理クラブは、トスカケーキを作りました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。
トスカケーキは、アーモンドをたっぷり使った香ばしいケーキで、フィンランドの家庭の食卓やカフェでよく見かけます。
グループに別れて、計量から作業が始まり、18cmの丸型で焼き上げました。出来上がりは、グループ毎に個性が出て、試食タイムは楽しい時間になりました。
パイビ先生からは、トスカケーキのいわれや、フィンランドでは収穫出来ないアーモンドの使われ方や、栄養についての説明を受けたり、旧約聖書のエレミア書にも登場するアーモンドのお話しも聞かせて頂きました。
3月の家庭料理クラブは、ラズベリージャムをサンドした「ルシッカレイパ」を予定しています。ご参加お待ちしています。
梅もほころび始めた春の日差しの中、スオミ教会手芸クラブの今回のテーマは「刺繍」でした。
最初にパイビ先生のお祈りからスタートです。
今回は刺繍の初心者~ベテラン迄と、技量はまちまちで、クロスステッチとカレリア地方の刺繍の二種類が用意されました。
パイビ先生のわかりやすい指導で、それぞれ素敵な作品が出来上がりました。
コーヒータイムで、フィンランドでは「友達の日」と呼ばれるバレンタインディのお話や、イザヤ書49章15節のみ言葉、についても聞かせて頂きました。私たちのことを忘れない天の父なる神様についてでした。私たちが感じるか感じないのかに関係なく、神様の方ではいつも私たちのそばにいて、いつも一緒に歩んでくださいます。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
本日は、教会の暦では1月に始まった顕現節が終わって、来週からイースターに向かう四旬節が始まる前の節目にあたります。福音書の箇所はイエス様が山の上で姿が変わるという有名な出来事についてです。同じ出来事は、先ほど読んで頂いたマタイ17章の他に、マルコ9章とルカ9章にも記されています。マタイ17章2節とマルコ9章2節では、イエス様の姿が変わったことが「変容した(μετεμορφωθη)」という言葉で言い表されていることから、この出来事を覚える本日は変容主日とも呼ばれます。毎年、四旬節の前の主日はこの変容主日に定められています。
昨年も申し上げましたが、このイエス様の姿が変わる出来事はとても幻想的で劇的でもあります。イエス様が三人の弟子だけを連れて、「高い山」に登る。その山は、ほぼ間違いなく、フィリポ・カイサリアの町から30キロメートルほど北にそびえるヘルモン山と考えられます。標高は2814メートルで、ちょうど北アルプスの五竜岳と同じ高さです。以前、八方尾根でスキーをした時に見た五竜岳と比べると、ヘルモン山は写真で見るからにはなだらかで急峻な感じはしません。
ヘルモン山の頂上で何が起きたかと言うと、まず、イエス様が白く眩しく輝きだし、続いて旧約の偉大な預言者であるモーセとエリアが現れ、イエス様と何かを話し合います。そこで、ペトロがイエス様とモーセとエリアのために「仮小屋」を三つ立てましょう、と提案すると、突然辺りは雲に覆われ、その中から天地創造の神の声が轟きわたります。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5節)と。その後すぐ雲は消え、モーセとエリアの姿もなくなり、イエス様だけが立っておられました。周りの様子は、頂上に着いた時と同じに戻っていたのです。ところで、神が「これはわたしの愛する子」と呼び、「これに聞け」と命じたのは誰のことだったでしょうか?それはイエス様のことでした。イエス様は神の子である、彼の教えることを聞いて守りなさい、と神は言われたのです。ところがイエス様は、十字架の死から復活させられるまではこの山の上の出来事を口外することを禁じました。
この出来事に幻想的な色を添えるのは、不思議な雲の出現です。山もこれくらいの高さになると、頂上からは雲海を見下ろすことが出来ます。雲海が乱れて雲が頂上を覆うと、頂上は濃い霧のただ中になります。本日の福音書の箇所を注意して読むと(5節)、雲の出現はとても速いスピードだったことが窺えます。ペトロが、「仮小屋」を立てましょう、と言ったすきに頭上を覆ってしまうのですから。山登りする人はよくご存知ですが、高い山の頂上が突然雲に覆われて視界が無くなったり、そうかと思うとすぐに晴れ出すというのは、何も特別なことではありません。そういうわけで、本日の箇所に現れる雲は、このような自然界の通常の雲で、それを天地創造の神が利用したと考えられます。あるいは、神がこの出来事のために編み出した雲に類する特別な現象だったとも考えられます。どっちだったかはもはや判断できませんが、この件は判断しないままにしても、福音書の解き明しには何の支障もないということは毎年述べている通りです。
以上は、三つの福音書に述べられている出来事の大まかな流れです。ところが三つの福音書の記述をよく比べてみると、お互いに違っていることがいろいろあることに気づかされます。本日はマタイの記述を中心に解き明しをしていきますが、他の福音書の記述も注意してみていきます。
同じ出来事を扱った複数の福音書の記述がお互いに違っているということは、本日の日課の箇所の他にも数多くあります。このことをどう考えたらよいでしょうか?ある記述が歴史を忠実に反映していると言ったら、じゃ、他の記述はそうではないということになってしまうのか?マルコの記述が正しかったら、マタイとヨハネの記述は信用できないということになってしまうのか?
聖書に収められた福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあります。それぞれのでき方を見ると、マタイ、マルコ、ルカの3つには共通点があります。ヨハネ福音書は、イエス様の弟子で出来事の直接の目撃者であるヨハネが書き記した記録が土台にあります。マタイ福音書も多分、弟子のマタイが書き記した記録が土台にありますが、マタイ自身の記録以外の資料も多く含まれています。大ざっぱに言うと、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は、直接の目撃者でない執筆者が目撃者の談とか口伝えの伝承を資料にしています。さらに断片的に書き留められた記録やもっと長い記録も資料として用いています。
そういう目撃談や書き留められた記録などの資料は、伝承されていく過程で、強調したい部分は強調されたり、大事でないと考えられたものは背景に追いやられたり削除されたりします。そういうわけで資料は、福音書の執筆者の手元に届くまでに最初のものと比べて変化する可能性が高いです。そういうわけで、出来事の記述に違いがあるというのは、どっちが本当でどっちがそうでないと否定し合うもののように考えるべきでなく、全体像が把握できるためにお互いが補うもの同士になっているとみなければなりません。それに、出来事の記述に違いがあるとは言っても、核となる部分はみな同じです。イエス様に同行したのはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子であったこと、頂上でイエス様の姿が変わったこと、モーセとエリアと謎の雲が出現したこと、雲の中から神の声が轟きわたったこと、雲が消え去った後にイエス様だけが残っていたということ、これらは三つの福音書の記述全てに共通する、いわば出来事の核となる部分です。
三つに共通する中核部分に対して、今度はそれぞれがどう違っているのかを見ると、ルカ福音書ではイエス様が山に登った目的が「祈るため」と記されていますが、他の福音書では目的は何も言われていません。イエス様の変容についてみると、マタイ福音書では顔が太陽のように輝き、服も光のように白く輝きますが、マルコ福音書ではこの世のどんなさらし職人でも白くすることができないくらいの白さで輝いたことが言われます。ルカ福音書では、イエス様の顔の様子が変わり服が白く光り輝いたと言われます。イエス様がモーセとエリアと話をしていることについて、ルカ福音書では近くエルサレムで起きる、イエス様の十字架の死と死からの復活について話し合われますが、マタイとマルコでは話の内容は記されていません。ペトロが仮小屋を建てますと言ったタイミングをみると、マタイ福音書とマルコ福音書ではイエス様とモーセとエリアが話しをしている時ですが、ルカ福音書ではエリアとモーセがイエス様のもとを離れようとした時です。
それから、神の声が轟いた後のイエス様と弟子たちの様子についてみると、マタイ福音書では弟子たちは恐れおののき地面に伏してしまう。そこをイエス様が近寄ってきて、彼らに触れて「起きなさい。恐れることはない」と言って安心させます。マルコ福音書とルカ福音書では、イエス様のそういう励ましは記されていません。
全体的にみると、ルカ福音書の記述が一番詳しいです。他方で、マタイ福音書ではイエス様が弟子たちを安心させるとか、マルコ福音書ではイエス様の変容がこの世のものでないことが強調されるという、ルカ福音書にない細部もあります。これらの違いは、先にも述べましたように、お互いを補い合って出来事の全体像を作り上げるものです。違いがあるおかげで、一つの出来事をいろんな角度から見れて、出来事を広く深く見ることができます。そういうわけで、違いがあることの中にも聖霊の働きがあると言うことが出来ます。
ここで少し脱線ですが、同じ出来事を扱った福音書の箇所を比較しながらみると出来事の全体像がわかってくると申し上げましたが、どのようにしたらいくつもの福音書を同時比較することができるでしょうか?しおりや指をページに挟んで、いちいち開くところを変えるのは大変です。私はこうしています。このようにA3位の大きな紙に左からマタイ、マルコ、ルカの順に列にして書いていき、一目で比べられるようにします(実例を見せる)。私の場合はギリシャ語ですが、皆さんがわかる言葉で良いと思います。実はこういう本もあるのですが、値段は高いです。それに自分で書いた方が御言葉を身近に感じられます。なんだか写経じみていると思われるかもしれませんが、こちらは比較を通して書かれていることの内容を明確にするという目的があります。
イエス様の変容の出来事のなかには、分かりにくい事が沢山あります。例えば、イエス様が白く輝く変容をとげたこと、モーセとエリアの出現、ペトロの「仮小屋」を建てるという提案、出来事を言いふらしてはならないと言うイエス様のかん口令などです。以下にそれらを明らかにしていきましょう。
まず、変容したイエス様の輝きについて。マルコ福音書では、白さがこの世のものでないことが強調されて、神の神聖さを現すことを意味しています。ルカ福音書ではイエス様が「栄光に輝く」と言われ(32節)、これは文字通り神の栄光を指します。この変容においてイエス様は、罪の汚れに全く染まっていない、神聖な神のひとり子としての本質を現わしたのです。「ヘブライ人への手紙」4章には、イエス様が「わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(15節)と言われています。つまり、イエス様というのは、この世に送られて乙女マリアから肉体を受けて人間と同じ者となったが、罪を持たないという神の性質はずっと持ち続けたということです。そういうわけで、ヘルモン山の上で起きた変容の出来事は、まさに罪を持たない神の神聖さを持つ、そういうイエス様の本質を現わす出来事だったのです。
次にモーセとエリアが出現したことについて。二人とも旧約の偉大な預言者ですが、遥か昔の時代に登場した二人が突然現れたというのは、どういうことでしょうか?俗にいう幽霊でしょうか?ここで、人は死んだらどうなるかということについて、聖書が教えていることをおさらいしますと、人はこの世を去ると、神の国に迎え入れられるかどうかの決定を受けます。ただし、その決定がなされるのは、イエス様が再臨して、この世が終わりを告げる時です。この世が終わりを告げるというのは、今ある天と地が新しい天と地にとってかわるということであり、その日には死者の復活も起きます。まさにその時に、迎え入れられるかどうかの決定がなされるのです。そうなると、この世を去った人というのは、ルターが教えるように、復活の日が来るまでは神のみぞ知る場所にいて安らかに眠るだけということになります。
ところが、将来の復活の日を待たずして既に神の国に迎え入れられて、もう神の御許にいる者がいるという考えがあります。ルターも、そのような者がいることを否定していません。エリアとモーセは、その例と考えることができます。というのは、エリアは、列王記下2章にあるように、生きたまま神のもとに引き上げられたからです(11節)。モーセについては、申命記34章にあるように、死んだとは記されていますが、彼を葬ったのは神自身で、人は誰もモーセが葬られた場所を知らないという、これまた謎めいた最後の遂げ方をしています(6節)。このようにモーセとエリアの場合、この世を去る時に神の力が働いて通常の去り方をしていないので、ひょっとしたら復活の日を待たずして、神の国に迎え入れられた可能性があります。まさにその二人が、イエス様に間もなく起こる十字架の死と死からの復活についてイエス様と話をするために、神の力によってヘルモン山頂に送られたのです。幽霊などという代物ではありません。そもそも亡くなった人は原則としては復活の日までは神のみぞ知る場所で安らかに眠るのが筋です。それなので、幽霊として出てくるというのは、それは神の力によるものではないので、私たちは一切関わりを持たないように注意しなければなりません。
次に、ペトロが建てると言った「仮小屋」について。「仮小屋」とは、原文のギリシャ語でスケーネーσκηνηと言い、それは神に礼拝を捧げる「幕屋」と同じ言葉です。ペトロが建てると提案したスケーネーというのは、まさにイエス様とモーセとエリアに礼拝を捧げる場所のことでした。しかしながら、ペトロの提案には問題がありました。なぜなら、イエス様をモーセやエリアと同列に扱ってしまうからです。モーセは律法を直接神から人間に受け渡した神の人、エリアは預言者の代表格です。しかし、イエス様は神の子であり、神の意思そのものである律法が完全に実現した状態を持った方です。また、預言者たちの預言したことが成就した方です。それなので律法を受け渡した人と預言を宣べ伝えた人とは同等に扱ってはいけません。それに加えて、モーセやエリアにも幕屋を建てるというのは、彼らを神同様に礼拝を捧げる対象にしてしまいます。こうしたペトロの提案は、天地創造の神の一声で一蹴されてしまいます。「これは私の愛する子。彼に聞き従え」と。つまり、「ここにいるのは神のひとり子である。律法の受け渡し人、預言の宣べ伝え人と一緒にするな」ということです。
次に、イエス様は山の上の出来事を自分が死から復活させられる時までは言いふらしてはならないと命じましたが、なぜ、それを人々に伝えることをそのように後々に延ばしたのでしょうか?その背景として次のことが考えられます。イエス様の十字架と復活の出来事が起こる前は、人々は彼のことを預言者とかユダヤ民族を他民族支配から解放してくれる王という意味でメシアと見なしていました。しかし、受難の道を通って神の人間救済計画を実現するという意味でのメシアだとは誰一人として考えていませんでした。そのような時に、山の上で見たことを言い広めたら、ナザレのイエスはモーセ、エリアと並ぶ偉大な預言者だ、という噂が広まってしまったでしょう。十字架の死と死からの復活の出来事が現実に起きない限りは、イエス様がメシアであることの本当の意味はわかりません。イエス様としては、十字架と復活の出来事の前に余計な誤解や憶測を増やすことは避け、ただ黙々と神の人間救済計画を実現する道を歩むことに集中したのです。
十字架と復活の出来事が起きた後で、イエス様には神の力が働いたからこそ死から復活することができたのだと皆がわかるようになりました。まさにその時に、イエス様は実は神のひとり子であった、そういう神の声をヘルモン山で聞いたと証言すれば、彼の十字架の死というのはこれ以上のものはないと言えるくらいの神聖な犠牲だったことがわかります。一体何のための犠牲だったかと言うと、それは人間が神から罪の赦しを受けられるための犠牲です。神聖な神のひとり子が犠牲の生け贄として捧げられたのです。それで人間は、イエス様が本当に自分の罪の償いのための犠牲になったとわかって、それで彼こそ救い主と信じて洗礼を受けると、神から罪の赦しを受けられます。それにあわせて、十字架で起こったことがその人に当てはまるようになります。十字架で起こったこととは、イエス様が自分を犠牲にすることで死を滅ぼしたこと、そして罪が持っていた、人間を死に陥れる力を無力にしたこと、こうしたことがイエス様を救い主と信じ洗礼を受ける人に当てはまるようになります。
さて、本日の使徒書の日課の中でペトロは、聖なる山の上で神の声を聞いたことが預言の言葉を一層しっかり携えて人生を歩めるようになったと証しています(第二ペトロ1章19節)。ここで言う預言の言葉とは、イエス様が将来再臨するという預言を指します。イエス様が再臨するということは、この世には終わりがあり、その時は今ある天と地が新しい天と地にとってかわられ、死から復活させられたキリスト信仰者は神の国に迎え入れられるという預言を指します。
ペトロは、神の声を聞いたことで、これらの預言の言葉を一層しっかり携えて歩めるようになったと言うのですが、山の上でのペトロは神の声を聞いた時、一体どんな状態だったでしょうか?恐れに満たされて地面に伏してしまってブルブル震えていたのではなかったでしょうか?預言の言葉を一層信じるどころではなかったのではないでしょうか?それがどうやって神の声を聞いて一層信じられるくらいに恐れを乗り越えられるようになったのでしょうか?
ペトロが恐れに満たされていた時、イエス様が何をしてくれたかを思い出しましょう。「イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。『起きなさい。恐れることはない。』」神のひとり子が自分の方から地に伏して震えている弟子たちのもとに歩み寄って、背中でしょうか、肩のあたりでしょうか、優しく手を触れて、心配しなくていい、大丈夫だ、と言って下さったのです。これから人間を罪の呪縛から解き放つために自分を犠牲に供しようとする方が、そう言って下さったのです。人間が受けられる励ましと勇気づけの中でこれ以上のものはあるでしょうか?
兄弟姉妹の皆さん、私たちも地面に伏してしまう時があります。もうないと思っていたはずの罪が力をふるいだした時とか、またいろんな困難や苦難に陥った時です。そのような時こそ、イエス様が弟子たちのもとに来て、手を触れて、「起きなさい。恐れることはない」と言ったことを思い出しましょう。確かに、同じ声は私たちの耳に響きません。主の手が触れることも感じられません。しかし、聖書の御言葉を通して、また聖餐式を通して、全く同じ励ましと力添えを受けられます。御言葉と聖餐は同じ励ましと力を与えるのだと信じて、御言葉に聞き、聖餐を受ける。これがキリスト信仰です。自分がどう感じるかは二の次です。感じることよりも、もっと確かなことがある。御言葉と聖餐が励ましと力を与えると神が約束すれば、それが感じることに勝る真実になる。これがキリスト信仰です。兄弟姉妹の皆さん、神は私たちがそのような確かな真実を持つことができるように御言葉と聖餐を与えて下さったことを忘れないようにしましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように アーメン
今日皆さんが作ったトスカカックは、フィンランドでは普通の喫茶店でも出されているケーキの種類の一つです。このアーモンドとカラメルのトッピングのあるケーキは、特に女性たちに人気があります。喫茶店では、よくケーキの横にホイップしたクリームを添えたりして、少し高級な感じのするケーキです。もちろんこのケーキは、フィンランドの家庭でもよく作られます。
トスカカックはフィンランドから始まったケーキではなく、イタリアのトスカナという地方で始まったと言われています。トスカの名前は、そこから来たと考えられています。
トスカケーキのトッピングにアーモンドを使うので、少し材料費がかかるかもしれません。今日のケーキにはアーモンドのスライスを使いましたが、アーモンドのクロスでも大丈夫です。アーモンドはフィンランドでは主にケーキやクッキーに入れて使いますが、最近は料理にも使われるようになりました。また、アーモンドが使われる食料品、例えばアーモンドミルクも売られるようになりました。
アーモンドは植物の種ですね。それでは、アーモンドは何科の植物でしょうか?それはバラ科の植物で、桜、桃、バラの親せきです。アーモンドは地中海の国々で育てられて、その木は8メートル位の高さになります。地中海の国々では冬が終わり始める1、2月、一番初めに咲くのはアーモンドの花です。アーモンドの花は桜と似ていて、咲いている時は、緑の葉っぱはまだ出ていません。花だけです。花の色も桜のように白かピンクです。スペインはアーモンドの花が有名で、多くの観光客がアーモンドの花が咲く時にスペインに旅行に行きます。アーモンドの花が咲いてから大体半年の後、実が出来てきます。実の中にある固い丸い部分の中にアーモンドの種があります。
アーモンドは、地中海の国々以外でもよく使われるようになりました。その理由は、アーモンドは健康に良いということが研究で明らかになったからです。アーモンドにはタンパク質、植物性の油、ミネラル、ヴィタミン、繊維などが沢山含まれています。しかし、アーモンドで一つ注意しなければならないことがあります。それは、ある人たちにアレルギーを起こすことです。少ない量でも、ある人たちはアレルギーの症状を起こしてしまいます。そのため、クッキーなどの説明書にアーモンドが使われていることが書かれたりします。
アーモンドは聖書の中にも何回か出てきます。例えば、アーモンドの木、アーモンドの枝、アーモンドの花、アーモンドの種です。旧約聖書のエレミヤ書には、神様と預言者エレミヤの会話の中にアーモンドの枝が出てきます。 神様がエレミヤに、神の言葉を人々に宣べ伝えよ、と命じた時、最初エレミヤは反対して言いました。「私は語る言葉を知りません。私は若者にすぎませんから。」それに対して神様は言いました。「若者にすぎないと言ってはならない。私があなたを、だれの所へ遣わそうとも、行って私が命じることを全て語れ。だれかを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す。」そうして、まだ20歳位の若さのエレミヤは預言者に選ばれました。
神様とエレミヤの会話はまだ続きます。その部分の聖書の箇所をお読みします。「主は言われた。『エレミヤよ、何か見えるか。』私は答えた。『アーモンドの枝が見えます。』主は私に言われた。『あなたの見る通りだ。私は、私の言葉を成し遂げようと見張っている。』(エレミヤ書1章11-12節)
エレミヤがアーモンドの枝を見たのは、何か意味があるのでしょうか?「アーモンドの木」という言葉は、旧約聖書の言葉であるヘブライ語の「見張る」という動詞と関係していると言われます。神様は、御自分のご計画がエレミヤを通して実現することを見張られたということです。
聖書の全体を見ると、神様がご自分の計画が実現するのを見張られたのは、エレミヤの時だけではなくずっと見張られていたことがわかります。神様が見張られた計画とは、どんな計画でしょうか?それは、私たち人間一人一人を救う計画です。人間が神様の言われたことをしっかり守ることが出来ないので、神様はご自分のひとり子イエス様をこの世に送られました。イエス様と私たちはどんな関係があるでしょうか?イエス様は悪いことは何もしなかったのに、私たちの罪の罰をかわりに受けて十字架の上で死なれました。このように神様は、私たち一人一人を愛して下さいました。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させられて、死を超えた永遠の命があることも示されました。イエス様を救い主と信じる人に、その命に至る道が開かれました。これが、聖書に書いてある、神様が成し遂げられた計画です。
私たちはどのようにしたら神様の計画を受け取ることが出来るでしょうか?それは、聖書のみ言葉が私たちの心に入ったときに出来ます。私たちの心はアーモンドの実の固い殻と同じですが、神様のみ言葉が心に届くと、エレミヤと同じようにそれを受け入れて、固い殻は砕けます。そのようにして神様は、私たちの心を栄養がたくさん入ったアーモンドの実のように変えて下さいます。このように、私たちも、自分の力ではなくて、み言葉を通して良い実を結ぶことができるようになります。