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ブランデンブルク
<天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。 (詩篇19の1~5 ) >
高村光太郎の詩に「ブランデンブルク」と言う詩があります、ご存知の方もあるかと思いますが此処に全文載せておきます。何故かというと光太郎の住んでいた岩手の山村の景色が白州の家の辺りの雰囲気によく似ているからです。三畝(30坪)の畑はありませんが栗の実が屋根に落ちる音は疎開先でもよく耳にしました。全てが寝静まった夜、トタン屋根の上にコトンと音がしてコロコロと転がって行く音は静寂な夜に相応しく楽しい音でした。翌朝、その栗を探し出し囲炉裏で焼いて妹たちとおやつ代わりに食べました。
高村光太郎 「ブランデンブルグ」
岩手の山山に秋の日がくれかかる
完全無欠な天上的な
うらうらとした180度の黄道に
底の知れない時間の累積
純粋無雑な太陽が
バッハのやうに展開した
今日10月31日をおれは見た
「ブランデンブルグ」の底鳴りする
岩手の山におれは棲む。
山口山は雑木山。
雑木が1度にもみじして
金茶白緑雌黄の黄、
夜明けの霜から夕もや青く澱で、
おれは3間4方の小屋にいて
伐木丁丁の音をきく。
山の水を井戸に汲み、
屋根に落ちる栗を焼いて
朝は1ぱいの茶をたてる。
3畝のはたけに草は生えても
大根はいびきをかいて育ち、
葱白菜に日はけむり、
権現南蛮の実が赤い。
啄木は柱をたたき
山兎はくりやをのぞく。
けっきょく黄大癡が南山の草蘆
王魔詰が詩中の天地だ。
秋の日ざしは隅まで明るく、
あのフウグのように時間は追いかけ
時々うしろへ小もどりして
又無限のくりかえしを無邪気にやる。
バッハの無意味、
平均率の絶対形式。
高くちかく清く親しく、
無量のあふれ流れるもの、
あたたかく時におかしく、
山口山の林間に鳴り、
北上平野の展望にとどろき、
現世の次元を突変させる。
おれは自己流謫のこの山に根を張って
おれの錬金術を究尽する。
おれは半文明の都会と手を切って
この辺陬を太極とする。
おれは近代精神の網の目から
あの天上の音に聴こう。
おれは白髪童子となって
日本本州の東北隅
北緯39度東経141度の地点から
電離層の高みづたいに
響きあうものと響きあう。
バッハは面倒くさい岐道を持たず、
なんでも食って丈夫ででかく、
今日の秋の日のようなまんまんたる
天然力の理法にに応えて
あの「ブランデンブルグ」をぞくぞく書いた。
バッハの蒼の立ち込める岩手の山山がとっぷりくれた。
おれはこれから稗飯だ。
https://www.youtube.com/watch?v=hp53Jh6qO6Q&list=RDhp53Jh6qO6Q&start_radio=1