説教:田中 良浩牧師

 

4 2017年8月27日 聖霊降臨後第12主日礼拝

田中良浩

聖書日課 イザヤ5515、ローマ915、マタイ141321

説 教   「いのちの糧をいただく」

私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平安があるように!

 

序 8月という月は多くの人にとって死と命について想いが錯綜する月である。

言うまでもなく戦争における「不条理な死」であり、そしてそのような悲劇にも拘わらず、戦後の生活を拓き、築いてきた「新しい命」についてである。

このような状況にあって今日のイザヤの「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。・・ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。」(イザヤ55:3)。との言葉は示唆に富んでいる。

 

 

 さて今日の福音書の日課の冒頭は「イエスはこれを聞くと、舟に乗って

そこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」というみ言葉である。

この「イエスはこれを聞くと・・」と語り出されたのはマタイ14章の始めの物語「洗礼者ヨハネの死という出来事」(マタイ14112)、つまり横暴な領主ヘロデによって捕らえられていた洗礼者のヨハネの首がはねられ、殺されるという残忍な出来事を主イエスが聞いたことから始まるのである。

 

この出来事を、深く理解するために主イエスの宣教の始めを想い起したい。

マタイ福音書(4章12節以下)によれば、見出しに「ガリラヤで伝道を始める」とあるが、そこでは「主イエスは、洗礼者ヨハネが(ヘロデによって)捕らえられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。そして宣教を開始された」のである。(マルコ福音書(114)も同様のことを、簡潔に記している

 

マタイ412節以下にはこのように記されている。

「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始めたのである。

主イエスの言動(言葉と行為)には、すべてプロセス(経緯)がある。

それは主なる神さまのみ心に原点があるプロセスである。

 

洗礼者ヨハネは、ご存知のように主イエスの先駆者であった。それは預言者イザヤによって数百年前から預言されていた。(4013)

「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。

エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え,わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

 

 

洗礼者ヨハネの言動は、まさに主イエスの先駆けであったのである!

主イエスの言動は、ヨハネの言動に連動しているのである。

 

ここで主イエスは洗礼者ヨハネの残忍で、悲劇的な死の知らせを聞いた。

それは将に、主イエス自らの死をも予表するものであった。

そのことを弟子たちは誰一人知り得なかったが、主イエス・キリストはよく

ご存じであった。具体的に主イエスの往く手にあるのは嘲りと苦難の十字架の死であった。それこそが主イエスにとっては宣教の使命であった。

主イエスは、そのようなご自分の死、十字架の死の意味を、ここで今や解き明かそうとされるのである。

 

 

 次に、日課の物語は「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。」(マタイ14:14)と続いている。

主イエスは「群衆を見て深く憐れ」む心を持たれたのである。何故か?

  1. 病気の人々がいたから(マタイ14:14)。

  2. 飼い主のいない羊のような有様であったから(マルコ6:34)。

  3. 当然のことながら群衆は、貧しく、飢えていたから、である。

 

こうした群衆の必要に応えるのが、一貫した主イエスの宣教であった。

「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、

また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。・・・ こうして、

ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から 、大勢の群衆が来てイエスに従った。」(マタイ4:23~25)。

 今日の物語の中心は、「5000人の給食

である。

前提としては:

1 奴隷の地エジプトを解放された神の民イスラエルが荒れ野で飢えた時

神は朝にマナを、夕べにはウズラを与えた。(出16章参照)。

 

<神の民イスラエル(ユダヤ教)は、最後のメシア(キリスト)つまり、救済者が現れる時、最初の救済者モーセの時のようになる、という期待があった。それがメシア待望の信仰である。>

 

2 エリシヤが20個のパンで100人を養い、余りまで出た(王下4章42節以下)。これらは、主イエス・キリストの給食の予表、先駆けとなる。

 

3 最終的に勝利を得る者には神の国のマナが与えられる!(黙2章17節)

 

その時の状況は:

1 主イエスを取り巻く大勢の群衆を見て、弟子たちは「群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう」と

と言った。それに対して、主イエスは、「行かせることはない。あなたがたが、彼らに食べる物を与えなさい」と言われた。

 

<ここでの群衆に対する、弟子たちと、主イエスの対応の違いが浮き 彫りになる>

 

(弟)弟子たちは、群衆は夕方になり食べ物が必要になったという状況

を判断しただけである。それ以上の配慮はない。むしろ不可能!

(主)しかし主イエスは「神の国という共同体的な発想」、具体的には「教会的な発想」を持っておられた。

(弟)そこで弟子たちは、反論した!「ここにはパン五つと、魚二匹しかありません!」と。食料の数は、ごく僅かである、限られている。

これは極めて、人間的、常識的な反論である。

 

ここには主イエスの神の国の発想から言えば同情(Compassion)も憐れみ(Mercy)も、救い(Salvation)もないのである。

神の国の共同体には、これらが必要であること示されたのである。

 

(主)主イエスは「あなたがたが与えなさい」と言われた、その聖なる命令を決して撤回しない。むしろその聖なる命令を実現するために、「五つのパンと二匹の」をここに盛って来なさい」と言われた。

そして群衆を、草の上に座るようにお命じになった。

 

そして主イエスは:(マタイ1419節~20節)

「そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

 

 

この神の国の出来事つまり奇跡は、言うまでのなく、キリスト教会

の主要な聖礼典洗礼と共にある「聖餐の原型」になっている。

ここに主イエスの私たちへの同情、憐れみ、救いが表されている。

 

主イエス・キリストは、この神の国の奥義を「最後の晩餐

、そして「十字架

という出来事を通して成し遂げられたのである。

 

ちなみに、聖餐についてのルターの理解は「現在説」(Real presence

である。単なる記念、象徴ではない。

 

 

 五つのパンと二匹の魚

   

 

 

 

 

 

 (1)「パン」について

ヨハネ福音書(6章1節以下)に5000人の給食の物語がある。

それに続く箇所で明らかにされた。

「すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と。

この5000人にパンをお与えになったこととは、主イエスの十字架に

おける「自己投与」(図のパンには十字架の印がある)の予表であり、

聖餐式の意味の根源になっている。

主の深い憐れみにたいする感激、感謝のほか何もない!

 

< 聖餐式について、私は個人的に大きな経験をすることができた>

それは7年前の、色々な意味で記念すべきイスラエル(聖地)旅行である。

特にこの旅行は故日野原重明先生と一緒であった。

 

その中の一コマであるが、私たちは主イエスと弟子たちの「最後の晩餐」が行われた「二階座敷」(Upper room )を訪ねた。(マタイ2617以下、マルコ14 :12以下、ルカ227以下、ヨハネ1321以下 参照)

そこで最後の晩餐の時を過ごし、続いて、「洗礼」と同時に重要な聖礼典で

ある「聖餐」が行われたのである。これは私たちの知っている通りである。

 

そして主イエス・キリスは十字架につけられ、殺され、墓に葬られたが、三日後に復活された。そしてその後、弟子たちに現れたが、やがてすべての業を終えて、昇天された。その時に、主は弟子たちに「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(使徒14

とお命じになった。

 

こうして使徒言行録によると、弟子たちがエルサレムに留まっていたが、

聖霊降臨日の前日にいたのは「二階座敷」であった。(使徒113

こうして、聖霊降臨の出来事が起こったのである!

つまり、この「二階座敷において教会誕生」の出来事が起こったのである。

(2)「魚」について

 

     

 

 

 

 

 

復活された主イエスは、ガリラヤ瑚で弟子たちとお会いになった。

湖畔には主によってパンと「焼き魚」が用意されていた(ヨハネ21章参照)。

ガリラヤにおける主イエス・キリストと弟子たちの「復活の祝宴」はパンと焼き魚であった!

図に示されているように、魚は初代教会の信仰告白のシンボルとなった。

 

< ローマのカタコンベ(地下墓所)を訪ねたことがある >

それはもう45年前のことである。家内と二人アメリカ留学の帰りであった。

 

ごぞんじの通り、初代教会ではローマでは特に大きな迫害が起こった。多くの使徒たちは迫害に遭遇した。使徒ペトロはローマで逆さ磔(はりつけ)の

十字架刑で殺されたという伝説が残っている。

ローマにおける迫害は激しいものがあった、そこで人々はカタコンベ(地下墓所)を造り、迫害に会い殉教した人々を葬った。またそのカタコンベでは密かに礼拝も行われていた。

そして埋葬された所に「魚」の印が彫られたのである。言うまでもなく、

それは、「イエス・キリスト 神の子 救い主」のしるしである。

 

 補遺:4000人の給食(マタイ1532以下)がある。

5000人の給食は、神の民イスラエルのた

4000人の給食は、異邦人(全世界の人々)のためと考えられる。

 

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