説教:木村長政 名誉牧師

 

8回 コリント信徒への手紙 269節  201786日(日)

 

今日のみ言葉はコリント信徒への手紙269節であります。前回の22節のところでは「わたしは、あなた方の間では十字架につけられたイエス・キリスト以外何も知るまい、と心に決めてきた」。と言っています。パウロにとって福音と言うのは十字架の言でありました。そこにこそすべての力がある、と誇ってきました。それ以外に必要なものはない、と言うのが福音の力でもありました。ところで福音はまったく知恵を必要としないものでありましょうか。パウロは人の知恵に対して神の知恵というものを言います。神に知恵がないはずはないのです、信仰は簡単なことです。それは神の救いであります。救われるためには十字架だけしか必要ではありません。神の救いであれば深い神の知恵がないわけはありません。ただ救われるのにその知恵がいちいち必要ではないと言うことでもありましょう。信仰こそは最高の知恵であります。パウロはロマ書33節で次のように言っています、「あゝ深いかな、神の知恵と知識の富は」。それなら信仰そのものが神の知恵である、と言えるのではないでしょうか。パウロは十字架の福音しか語らない、と言ったのをある人たちが言いました。キリスト教はそれだけなのか、知恵はないのか。パウロはそう言われるのも知ってこう言っています。

 

それで6節の言葉です。〔しかし、わたし達は信仰に成熟した人たちの間では知恵を語るのだ〕。―(成熟していると言うのは完成されている。)―信仰が成熟して大人になっていると言うのです。信仰こそは神の知恵に根ざす者であります、しかしこの知恵はこの世の者の知恵ではありません。神の知恵は人の知恵と同じではありません。この世の滅び行く支配者たちの知恵とは違うものであります。神の知恵というものはどんなものでしょうか。それは世間でもてはやされる知恵とは違います。人々に知られないものであります、隠された奥義であります、神が容易にあらわしにならないものでありました。信仰は自分が知ろうことではありません、神が一切を知っていてくださることであります。神の知恵は永遠であり絶対であります。しかしなぜ神の知恵は隠されているのでしょうか、それは神が神となるためであります。神のことは人が全く知ることができないためであります、また人間が人間であるためであります。人間は神にはなれない、人間は神に造られたものであります。それゆえに神がお示しになることしか知ることができないのです。また人間は罪人です、それゆえに聖なる神を知ることはできないのであります。

 

7節を見ますと「わたしたちが語るのは隠されていた神秘としての神の知恵であり、神がわたし達に栄光を与えるため世界の始まる前から定めておられたものです。」とあります。―<すごいことではありませんか>―ここに神の知恵は明らかになりました。神の知恵はただ人間に知られないものである、と言うだけではなくてわたし達の救いのためにあるものです。わたし達の受ける栄光のため、ということはわたし達が栄光を受けるようになるため、それはすなわち救われるためということであります。ここに神の知恵の性質が明らかになりました。神の知恵は不思議であり、隠されているというだけではありません。神の知恵は人間の救われるためのものでありました、そのために世の始まらぬ先から神は用意しておられました。それ程にわたし達に与えられている「救い」は確かな根拠を持ったものであるということです。

 

神は人間をお造りになりました。神は人間が罪を犯すことを予想されました。神はその救いを用意されたのであります。そこに神の知恵の不思議さがあります、それが「隠されている」ということの意味であります。この知恵は神の知恵であり人の知恵ではありません。人には隠されたものであることをパウロは力説いたします。それだけではありません、この世の支配者たち誰一人としてこれを知りませんでした。彼らは永遠のご計画を知らなかった、それゆえに彼らはキリストを十字架につけてしまったのであります。そのように言うことによってパウロは神の永遠の知恵は実は十字架のことであったことを示しているのであります。成熟した者たちに対して知恵を語ると言いました、その知恵とは他でもない矢張り十字架でありました。そのようにして見ると十字架につけられた主イエス・キリストのみ姿は変わってくるのでしょう。十字架にかけられた、惨めな主はそこにはなくそこには神の永遠の知恵を成就する栄光に満ちた主がおられるのであります。教会の言葉から言えば栄光の主というのは蘇られた主のことであります。パウロはここでは恥じ多き十字架に比べてその十字架にかけられた主イエス・キリストがいかに栄えに満ちていたかを告げたいのであります。

   アーメン

 

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