10月の手芸クラブの報告、アロマキャンドル


この秋初めての手芸クラブは10月25日に行われました。雨が静かに降り、外は雨雲のため暗かったでしたが、会場となった教会の2階は明るい雰囲気に包まれました。

手芸クラブは最初にお祈りをして始めます。

今回の作品は、アロマキャンドルでした。はじめに作品のモデルを見て、どんな香りや飾りつけのキャンドルを作りたいかを考えます。きれいな飾り物、カリフラワーや果物が沢山並べられたテーブルはいろんな色で溢れました。ハーブなどの香りのオイルが紹介されて、その後でキャンドルに入れたい香りを考えました。初めにキャンドルの形や飾り物を選びます。紙の上にモデルを作って、キャンドルの飾り物をのせます。次にワックスを溶かして、型に流してから、タイミングの良い時にワックスの上に飾り物をのせます。溶かしたワックスの中に入れたオイルの良い香りがだんだん部屋中に広がりました。楽しく話ながらワックスが固くなるのを待ちます。子どもも固まるのを待ち遠しくしていました。固くなったキャンドルを型から出すと、きれいな飾りや良い香りのするキャンドルが出来上がっていました。みなそれぞれに違う飾り物を施して、全部素敵なアロマキャンドルが完成しました。お家に持って帰ったら、良い香りは家中に広がったでしょう。

かたつけをしてからコーヒータイムに入りました。そこで、冬のフィンランドの氷ランタン作りや聖書の中に出てくる「光」についてのお話がありました。

「光」

手芸クラブの話

今日は皆さんと一緒にきれいな飾りの、良い香りがするキャンドルを楽しく作ることが出来ました。スオミ教会の手芸クラブで初めてこのようなキャンドルを作ることが出来て嬉しいです。
以前、私はフィンランドでキャンドルを作ったことがありますが、それは飾り物ではなくて灯すためのものでした。作るのはかなり大変でした。ロウを溶かして、それに色を入れて、形を作りましたが、あまりきれいなキャンドルは出来ませんでした。しかも、溶かしたロウはいつもあちこちに落ちてしまって、作る場所は汚くなりました。後の掃除も大変でした。今日はキャンドルがとても簡単に作れたので驚きました。

フィンランド人はキャンドルが大好きです。フィンランド人もきれいなキャンドルを飾り物として家に飾ったりしますが、使い方の一番はもちろんキャンドルを灯すことです。これから暗い季節になるので、フィンランド人はキャンドルを沢山灯すようになります。ちょうど今度の週末にフィンランドや他のヨーロッパの国々は夏時間から冬時間に変わります。時計を1時間戻します。(それで日本との時差も6時間から7時間に変わります。)そうすると、フィンランドでは日が沈む時間が早くなって、暗くなるのも早くなります。暗い季節の時にフィンランド人はキャンドルを光として灯しますが、雰囲気のためにも灯します。キャンドルの明かりは暖かい雰囲気をもたらします。雰囲気のために灯すキャンドルは夏の夜レストランでもよく見られます。

冬の暗い季節にフィンランド人は家の中や外でもキャンドルを灯します。そしてクリスマスが近づくと電気のロウソクとイルミネーションも沢山飾ったりします。外に置かれる氷ランタンは面白いものの一つです。それは簡単に作れるので、普通の家庭でよく作られます。バケツに水を入れて、それをマイナスの温度の外に置いて凍らせます。底と周りの部分が凍って、真ん中がまだ凍っていない状態でバケツから氷を取りだします。そうすると、真ん中がカラっぽで、ガラスのような大きな氷の器が出来ます。それをひっくり返して雪の地面に置いて、その中にキャンドルを置いて灯すと、暗い外でとてもきれいに光を照らします。

聖書にも光について書いてあります。聖書の光はイエス様のことを指しています。「イエス様は再び言われた。『私は世の光である。私に従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」ヨハネの福音書8章12節のみ言葉です。

イエス様は「私は世の光である。」と言われました。これはどんな意味でしょうか?この世は、明るい時に目を開ければいろんなものが見えます。しかし、将来どうなるかということは目を開けても見えません。また他の人たちが何を考えているか、それが自分にどんな影響があるのかもわかりません。身近な人だったらわかるかもしれませんが、それもいつも自分が思っている通りとは限りません。そのように私たちは、目で見えないことについては暗闇の中にいるのと同じでしょう。イエス様の光とは、そのような暗闇の中でも心配しないで前に進めるように導いてくれる光です。将来どうなるか、他の人たちとの関係はどうなるか、いろいろ心配はあっても、心の目でその光を見て、それを目指して行けば、安心して前に進めます。進んで行けば、将来どうなるか、他の人たちとの関係もどうしたらよいか、わかってきます。イエス様は本当に導きの光です。

それでは、どうしたらイエス様の光を見つけることができるでしょうか?それは聖書のみ言葉を通して見つけることが出来ます。聖書を読むと、イエス様は本当にそういう光であることがわかってきます。

イエス様からの光は、キャンドルの明かりよりもっと明るく輝く光です。その光は私たちの心の中に入って、イエス様は信頼できる方、だから心配しないで安心して前に進もうという気持ちを起こします。その光は毎日心の中で輝いて、私たちに喜びを与えて下さいます。


次回の手芸クラブは11月22日です。詳しくは、少し後で、教会ホームページの案内をご覧ください。

 

10月21日家庭料理クラブのご報告

大型台風の接近のニュースに、天候が心配される中、10月のスオミ教会家庭料理クラブは、「ムスティッカプッラ」を作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

今回は、フィンランド人の大好きなプッラとブルーベリーの取り合わせに、作業前から期待感が高まりました。

最初はプッラ生地を作ります、
今回は少し柔らか目の生地作りにトライです。
頑張って捏ねた木地は、とても良い出来上がりになりました。
発酵、成形と作業が進み、最後のブルーベリーの登場に、歓声が上がり、丁重に生地に乗せ、オープンへ。
きれいな焼き色と香ばしい香りに、試食タイムが待たれます。

柔らか目に頑張って捏ねた生地は、とても美味しい出来上がりになりました。

パイブィ先生からは、森に自生するブルーベリーのお話をたっぷり聞かせて頂き、
聖書についても、分かりやすくお話しして頂きました。

参加の皆様お疲れ様でした。


次回の「家庭料理クラブ」は、 11月11日を予定しています。


 2017年10月21日ブルーベリーの話

今日は、皆さんと一緒にmustikkapulla ブルーベリープッラを楽しく作ることができました。フィンランドの多くの家庭では、毎年ブルーベリーを採る季節にブルーベリープッラやパイを作るのは習慣になっています。新鮮な採ったばかりのブルーベリーから作るブルーベリープッラを味わうのは家族みんなにとっての楽しみです。

フィンランドでブルーベリーは森で採られるベリーの中で最も人気があるベリーの一つです。ブルーベリーの実は、7月の終わりごろからなり始めますが、収穫は年によって大きく変わります。ブルーベリーの花は寒さにとても弱いです。5月から6月、ブルーベリーの花が咲く時に、もし気温が下がって夜にマイナスになると実はあまり出来ません。また、蜂が少ない年は、受粉も少なくなるので、ベリーの収穫はよくありません。ブルーベリーが出来るのには水分も大事です。よく育つ場所は森の中の湿っているところです。ブルーベリーはフィンランド全国にみられる植物で、高さは15―20cmくらいと低いです。

ブルーベリーは、7月の終わり頃から8月の終わり位まで採ることが出来ます。ちょうどこの頃は森の中に蚊や蠅が沢山いるし、そして暑い夏の日は森の中でブルーベリーを採るのはなかなか大変です。それでも、人によっては、何十リットルも採る人もいます。私たちが住んでいたトゥルクの家の隣のおじいさんは、毎年ブルーベリーを何百リットルも採って、お店や近所の人々にわけてあげたり、売ったりしていました。

フィンランド人はどうしてブルーベリーを沢山採るのでしょうか?それは、健康にとてもよいからです。ブルーベリーには、ビタミンA,B とC、そしてミネラルも多く含まれています。最近ブルーベリーの栄養や健康への良い影響が注目されているので、その使われ方が広がりました。例えば、目にも良い影響があることがわかりました。ブルーベリーの健康への影響はまだ研究されている段階なので、新たな発見も出てくると思います。

フィンランド人は、ブルーベリーをそのまま冷凍にしたり、また乾燥果実にして保存します。もちろん、ベリーからジュースヤジャムも作ったりします。ブルーベリーは、ほとんどデサートやお菓子の材料に使われます。例えば、いろいろな種類のケーキやゼリーなどです。昔は、採ったブルーベリーは、そのまま牛乳と混ぜたりしました。私も子供の頃、そのような飲み物を作ってよく飲みました。飲んだ後は、唇も口の中もブルーベリーの色で青くなりました。

フィンランドの森は、私有地の森でも、ブルーベリーや他のベリーを自由にとることが出来ます。それで、フィンランドではベリーを沢山採るのは、だれにとっても当たり前のように感じられます。しかし、少し考えてみると、これはある意味で奇跡のようにも感じられます。私たちは種を蒔いたり水や肥料をあげなくても、こんなに美味しくて、しかも健康に良い食べ物が沢山得ることが出来るからです。ブルーベリーの実も他の自然の豊かな実りもみな、天と地を造られた神様が私たちに与えてくださるものです。しかしながら、自然から得られるブルーベリーは当たりまえのもののようなので、それを与えて下さる神様への感謝の気持ちは忘れてしまいます。私たちの日常生活の中には神様に感謝することが本当は沢山あると思うのですが、皆さんはお気づきになるでしょうか?聖書の中に感謝について次のように書いてある箇所があります。「いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」エフェソの信徒への手紙5章20節です。

私たちは天と地と人間の全てを造られた神様にいつも感謝することが出来るでしょうか?生活の中に嬉しい、素晴らしいことがある時には感謝するのは簡単です。しかし、当たりまえのようになったことは感謝するのを簡単に忘れてしまうのではないでしょうか?また、生活の中に困難がある時には感謝することなどできないでしょう。そのような時、感謝することなんか何もないと思ってしまいます。でも、本当はあるのです。困難の時にも感謝することがあることに気づくと心に平安が得られます。どこに感謝することがあるでしょうか?悩みや苦しみがある時、私たちはお祈りして神様に全てのことを伝えることが出来ます。私たちは自分の父親に対するのと同じように信頼をもって、天の父である神様にお祈りして全てのことを伝えることが出来ます。全てのことを伝えるというのは、大きな信頼のあらわれです。そして、神様を信頼していれば、全てのことを神様の御手に委ねることもできます。こうして、困難がある時に天の父である神様にお祈りして全てを委ねることが出来れば、神様に対して感謝の気持ちが起こってきます。この時、私たちは困難の中にあっても心には平安があります。神様が与えて下さる平安です。

ブルーベリーを含めて、私たちのために与えられるものは全て、神様の手によるものです。だから、私たちの感謝も、最終的には創造主である神様に向けられるのがふさわしいと思います。

9月の料理クラブの話、吉村パイヴィ

料理クラブの話2017年9月

マカロニラーティッコ

今日作ったマカロニラーティッコ、「マカロニカセロール」はフィンランドの家庭料理の中で人気がある料理の一つです。簡単に作れて、シンプルな料理なので、フィンランドの家庭では普段の日によく食べられます。大人も子供も好きな料理です。マカロニラーティッコ

マカロニはフィンランドの伝統的な食材ではなく、1800年代の終わり頃フィンランドで使われるようになりました。マカロニはフィンランドで一番初めに使われるようになったパスタの種類です。初めは普通の家庭で使うものではなく、貴族の食卓のものでした。しかも高価なものだったので、スープとサラダの中に入れる添え物でした。1900年代の初めにマカロニは少しづつ普通の家庭でも使われるようになって、料理の本にもマカロニが入っているレシピが増えました。1970年まではマカロニの種類は二つ、長めのものとカーブの形のものだけでした。その後、種類も増えてきて、現在はスパイラルやいろんな形のものが売られています。

マカロニラーティッコが作られ始めたのはいつ頃からかは分かりませんが、1950年くらいまでは、それはお祝いの食卓の料理でした。その時作られたマカロニラーティッコは今日作ったものと違って、ひき肉を入れず、マカロニ、牛乳、卵、スパイスだけのものでした。ひき肉を使わないマカロニラーティッコはフィンランドの西の地方の伝統的な料理の一つになりました。

ところで、フィンランドの学校の給食で一番の人気料理は何でしょうか?それは、ひき肉入りのマカロニラーティッコです。私の学校時代を思い出すと、給食にマカロニラーティッコがある日、生徒たちはマカロニラーティッコを何回もおかわりして、なくなるまで食べました。学校の食堂の雰囲気もいつもより嬉しい雰囲気で、食堂から出る生徒たちは皆満足そうな顔をしていました。時は変わっても学校の給食の人気料理は変わりません。今も食堂の雰囲気は同じでしょう。

美味しい料理を食べると、私たちは満足して喜ばしい気持ちを持ちます。喜ばしい、良い気持ちは大切です。私たちはそれを望みます。皆さんにとって喜びを与えることは何でしょうか?私たちの普段の生活の中に喜ばしいことはいろいろあります。例えば家族、友達、趣味、自然のきれいな花、美味しい食事などです。私たちはこれらの喜ばしいことに気がつくでしょうか?もし当たりまえのようになったら、忘れてしまうかもしれません。生活の中でいろいろしなければならないことがあって、それらに気を奪われていると、喜ばしいことも忘れてしまいます。

ところで、喜ばしいことはどこに見つかるでしょうか?自分の中に見つかるでしょうか?自分の外側に見つかるのではないでしょうか?私たちの周りをよく見ると、天と地と万物を造られた神様が喜ばしいことを沢山与えて下さることに気づきます。家族、友達、仕事、健康、きれいな秋の天候も皆、神様からの贈り物です。

 聖書の中でイエス様は弟子たちに次のように話されました。「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」ヨハネの福音書15章11節です。神のひとり子であるイエス様が教えた大切なことは、神様の計画でした。イエス様はあとで、その計画を実現されました。神様の計画はどんなことでしょうか?それは、私たち人間一人一人を救う計画です。人間は神様の言われたことをしっかり守ることができません。例えば、私たちは隣人を自分と同じように愛することができません。このために神様はひとり子イエス様をこの世に送られました。イエス様は悪いことを何もしなかったのに、私たちがした悪いことを全部十字架の上まで背負って、そこで死なれました。さらに、神様は一度死んだイエス様を蘇らせて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる人に、その命に至る道が開かれました。

 これらのことを見たイエス様の弟子たちは、イエス様を救い主と信じるようになりました。弟子たちの心は喜びに満たされました。喜び救いの喜びは世界の全ての人のために与えられました。その喜びはフィリピの信徒への手紙に書いてあるように「主にある喜び」です。この喜びがあれば、生活の苦労はなくならなくても、生活の悩みは軽くなります。イエス様がいつも共にいてくだり、私たちのお祈りもよく聞いてくださいます。このことをよく知っていた使徒パウロは次のように言いました。「主にあって常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」フィリピの信徒への手紙4章4節です。

 今日スオミ教会でマカロニラーティッコを作って味わうことは喜ばしいことになったでしょうか?これからも神様が皆さんの生活に喜びを与えられますようにお祈りいたします。

 私たちは神様が教えられた通りに生きることができないので、本当は私たちは神様から離れることになります。しかし神様は私たち、世界の全ての人々を愛して下さっているので、人間が神様の元に行ける救いのご計画を用意して下さいました。それは悪いことは何もなさらなかった神様の子イエス様の出来事でした。イエス様は十字架で亡くなられましたが、三日目に神様の力で蘇られました。後でイエス様は神様の元天国に昇られました。これらのことは私たちも神様の元に行けるために、私たちを救うために行われました。

 旧約聖書のハバクク3章18節に喜びについてこう書いてあります。「私は主によって喜びわが救いの神のゆえに踊る」私たちはどこから誰に救いださなければならないでしょうか。そして得られる喜びはどんなものでしょうか。

 本当の喜びは救いの神を通して得られるのです。

9月の「スオミ教会家庭料理クラブ」のご報告

マカロにラーティッコ

台風が心配された土曜日の午後、
家庭料理クラブは「挽き肉とマカロニのラーティッコ(キャセロール)」を作りました。

最初にお祈りをして、スタートです。

マカロニを茹でながら、玉ねぎを刻み、挽き肉を炒めて、着々と作業が進みます。

ラーティッコをオーブンに入れたら、次はサラダ作りです。
レタスにキュウリそしてトマトと定番のグリーンサラダは、器に盛り、冷蔵庫で冷やします。

こんがり焼けたマカロニラーティッコと、冷たいグリーンサラダで、試食会になりました。

楽しいおしゃべりの後、パイブィ先生から、マカロニラーティッコの成り立ちや、学校給食に登場した日の、子供たちの喜ぶ様子、聖書のお話も分かりやすく聞かせて頂きました。

参加の皆様、天候の悪いなかのご参加、お疲れ様でした。

マカロにラーティッコ、フィンランド、パスタ料理

「善の力の驚くべき守りに」 フラッシュモブ

フラッシュモブ、フィンランドのトゥルクのテロ事件

フィンランド・トゥルク市で起きたテロ事件からちょうど1週間経った8月25日、現場のマーケット広場に市民が集まって、教会讃美歌600番「善の力の驚くべき守りに」を合唱しました。その模様をyoutubeでご覧いただけます。伴奏者はトゥルク市交響楽団の団員たち。この讃美歌はドイツの有名な神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの作詞によるものです。この歌の内容については、9月3日の吉村宣教師の説教の中でも触れられています。併せてご覧ください。

交わり

吉村ヨハンナさんが今日の礼拝で帰国することになりました。母国フインランドでの大学進学のためです、若き学究の徒の前途を祝って教会からささやかな送別会を催しました。

 

最初に「証」のスピーチが村越さんの通訳で行われました、ひごろ物静かなヨハンナさんが内に秘めたる思いを綴った印象に残るスピーチでした。

コーヒータイムでは先日の音楽祭で披露した”kesäpäivä kangasalla”を有志一同で歌いました、教会の夏のテーマソングになる予感がします。興味のある方はYouTubeでご覧ください。

最後に今夏礼拝のご奉仕をしてくださる田中良浩牧師ご夫妻を囲んで記念撮影です、楽しい一日でした。ヨハンナさんお元気で帰国してくださいnäkemiin!

 

 

 

 

6月28日の手芸クラブのご報告

静かに雨が降る梅雨の最中の6月28日に手芸クラブを開きました。雨雲のため外は少し暗かったでしたが、会場となった教会の2階はライトの光で明るくなりました。

手芸クラブは、最初にお祈りをして始めます。

今回の作品は、つまみ細工です。はじめに作品のモデルを見て、どんなつまみ細工を作りたいのかを考えます。きれいな色や模様の布を沢山並べると、どれも作ってみたくなり、選ぶのが難しくなりました。布と形を選んで、それから作り始めます。楽しく話をしながら、花びらが少しずつ増えていき花の形になっていきます。時々参加者のお子様の声も聞こえます。そうしているうちに、子供に可愛いカラフルなクルミボタンも出来上がりました。
一人一人違う色と形の花を作って、素敵な髪飾りやブローチの出来上がりです。

片つけをしてからコーヒータイムに入ります。そこで、フィンランドの春と初夏の花の紹介と聖書のお話がありました。

「今日は、つまみ細工できれいな花の形の髪飾りやブローチを作ったので、フィンランドの春と初夏の花を少し紹介したいと思います。

esikko

3月と4月、まだ雪が全部溶けてない時に咲き始める黄色い花はEsikkoという花です。これは太陽がよく当たる道端や水路の周りで咲きます。この花を見ると、長い冬を超えて、やっと春になったと、ほっとした気持ちになります。 

エシッコの次にSinivuokkoという花が咲きます。シニヴオッコは春、雪が溶けても、まだ夜は氷点下になる時に咲き始めます。それは四月の終わり頃です。それはまだ地面や木に緑がない時です。私はこの花の濃い青い色が大好きです。そしていつも不思議に思うのは、生命が感じられない茶色だけの地面からきれいな花が咲いてくることです。この花が咲く森の地面はあちこちで青く輝きます。 

valkovuokko

その次にValkovuokkoという花が咲き始めます。これはシニヴオッコと似ていて親せきの花です。Valkovuokko はフィンランドの南の方によく咲きますが、最近は気候は暖かくなったために北の方でも咲くようになりました。特に5月の第2日曜日の母の日にきれいに咲きます。その頃、森の地面はこの花で真っ白になります。

kielo

Kieloすずらんは5月の終わりから咲き始めます。すずらんはとても香りの良い花で、フィンランド人が大好きな花です。この花はフィンランドの国の花、国花になっています。この花は小さなすずの形をして、とてもかわいいです。

Tuomiというかんぼくに咲く花があります。それは時々木のように高く育ちます。Tuomiは学校が終わって夏休みに入る頃、6月の初めに咲きます。かんぼくは咲いている花が一杯になり、とてもきれいです。花の香りは強く、遠くまで拡がります。

tuomi

りんごの木の花はTuomiと同じ時に咲きます。りんごの花が咲く時には葉っぱはまだありません。それで、少し桜と似ています。花の色は白かピンク色で、香りもとてもいいです。

syreeni

Syreeniというかんぼくもあります。Syreeniは昔から家の庭に植えられてきたかんぼくです。私の実家の庭にも、子どもの時から今まだきれいに咲いているSyreeniがあります。Syreeniはとても長く持ちます。花の色は紫か白です。この花は夏至祭、ユハンヌスの頃に咲きますので、、ユハンヌスの花の一つです。

juhannusruusu

ユハンヌス・ルースというバラもあります。これもユハンヌスの頃に咲いて、バラの香りは遠くまで広がります。

日本にもきれいな花が沢山咲きます。私が不思議に思うのは日本で花が咲くのは春、夏だけではなく、1年中それぞれの季節の花が咲くことです。それもとてもきれいだと思います。

このように花は私たちを喜ばせてくれますが、これも神様が造られたものです。万物は神様が造られたものだからです。花は美しいですが、美しさは長く持ちません。しばらくすると枯れてしまいます。旧約聖書のイザヤ書には「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹き付けたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが私の神の言葉はとこしえに立つ」と書いてあります。
 私たちはこの世で評価されるものを価値あるものとして求めると思います。私たちが求めるものはどんなものでしょうか?それは時代によって変わると思いますが、財産、お金、評価される仕事、若くいられること、美しさ、などが価値あるものと考えられているでしょう。これらのものを得られたら、とても幸せと思われるかもしれません。このような価値観はどうでしょうか?こうしたものは、いつかは失うことになってしまうのではないでしょうか?変わることのない価値あるものはあるでしょうか?どうすればそれを得られるでしょうか?

今読んだイザヤ書には変わらない、いつまでも続く価値あるものについて書いてありました。それは聖書に書いてある神様のみ言葉です。聖書のみ言葉は時代が変わっても変わらないものです。み言葉を通してイエス様を信じる信仰が生まれます。「神が永遠の命を私たちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子に結ばれている人にはこの命があります」と、「ヨハネの第一の手紙」5章に書いてあります。イエス様と結ばれている人は、今のこの世でも、またこの世の後の次の世でも、いつも永遠に神様が一緒にいて下さるようになることが出来ます。

きれいな花を見ると、それを造られた創造主の神様に感謝の気持ちが起きてきます。そして、神様のみ言葉が心の中に入れば、もっと大きな感謝に満たされて、今のこの世と次の世をずっと生きる力が与えられます。」

次回の手芸クラブは秋になります。
詳しくは教会ホームページの案内をご覧ください。

 

6月10日 フィンランド家庭料理クラブのご報告

梅雨入りしたのに、ギラギラの太陽が輝く土曜日の午後、
今年度前期最後の家庭料理クラブは「Munkki」を作りました。

プッラ生地で作るイーストドーナツは、オーブンを使わずに作れるので、暑いシーズンやオーブンのないお宅でも、作れるフィンランドのおやつです。

最初に、吉村先生のお祈りでスタートしました。
今回は10ヵ月の赤ちゃんや小学生のお嬢さんの参加もあり、計量や生地作り、発酵へと賑やかに作業が進みました。

リングの成型に歓声があがったり、丁重に揚げていく作業に、納得されたりして、Munkkiは完成しました。

試食タイムは、パイヴィ先生が用意してくださった、フィンランドの自家製レモナードSimaと一緒に、Munkkiを頬張りました。

パイヴィ先生からは、
 フィンランドのVappu、メーデーやユハンヌス、夏至祭の楽しい様子を聞かせて頂きました。

・・・「もう一つユハンヌスの伝統的なことを紹介したいと思います。これは毎年ユハンヌスの礼拝で歌われるきれいな賛美歌です。この初夏の賛美歌の最初の1番から3番は北欧の初夏の美しい自然や渡り鳥について歌われます。私はこの賛美歌を歌うと一つ聖書の箇所を思い出します。それはマタイによる福音書6章26節から34節までです。この箇所でイエス様は、神様が私たちをどのように見守って養って下さるかということについて教えます。神様は、働きもしない花や鳥にも生きるための必要な食物を与えてくださいます。神様はまた、人間にも必要なもの、ご飯、飲み物、衣服などを全部与えてくださいます。それで、私たちに与えられる生活の必要なものは全て神様からの贈り物です。ご飯や住まいや衣服などは私たちにとって当たりまえのようになっていて、神様に感謝することなど忘れてしまいます。でも、神様はどうして私たちをこのように守ってくださるのでしょうか?それは、私たちが神様のことを知るようになって、信じるようになるためです。神様が私たち人間をどれほど愛して下さっているか、それを神様は全世界の人々に伝わってほしいと思っています。

生活に必要な良いものは、いつかは無くなるかもしれません。しかし、神様と人間の間に、死を超えて永遠に続く繋がりができる可能性があります。そのような神様と人間の繋がりはどのようにして得られるでしょうか?それは、神様の子イエス様の十字架や復活の出来事を通して得られます。イエス様は私たちの罪を全部十字架の上に背負って持って行って下さって、そこで死なれました。しかし、3日目に死から蘇られました。この出来事のおかけで、私たちの罪が全部許されて、この世の中でも、またこの世の次の世でも、いつも永遠に神様が一緒にいてくださるようになりました。このように神様は本当に人間を愛して下さっているのです。

賛美歌「花咲き誇る季節来たり」は多くのフィンランド人にとって懐かしい、安心感を与える歌です。しかし、イエス様を通して得られる神様との繋がりはもっと深くて長く、永遠まで続きます。この繋がりを神様は私たちに贈り物としてくださいました。これらのことを神様に感謝していきましょう。」

参加の皆様、お疲れ様でした。
次回の家庭料理クラブは、
9月16日(土曜日)を予定しています。

 

 

「いずみの会」合同講演会 北欧の宗教改革

5月14日日本福音ルーテルむさしの教会にて「いずみの会」(むさしの教会、スオミ教会、市ヶ谷教会から構成)の合同修養会として、吉村博明宣教師による講演会が催されました。以下は、その要旨です。


2017年5月14日 いずみの会(スオミ教会、むさしの教会、市ヶ谷教会)合同修養会

北欧の宗教改革

北欧の人々のアイデンティティ―形成に宗教改革が果たした役割とは?

SLEY(フィンランド・ルター派福音協会)宣教師・吉村博明

講演会の要旨、PDFファイル

1.はじめに

(1) 本講演の視点と限界

― 教会史の視点
北欧の宗教改革の推進者たちの神学や教義の分析ではなく、教会史として論じる。もちろん北欧諸国の一般史の知識も重要。
― 試論、序説として
北欧史の講座のある大学でも教会史を扱うところはあまりないのではないか?また神学部や神学校でも、北欧に特化した講義はあまりないのではないか?おそらく稀な試みなので叩き上げられておらず、至らない部分がある。よりよいものは後日に期す。
― スウェーデン・フィンランドが中心
講演者が北欧の言葉はスウェーデン語とフィンランド語しか出来ないため(ニューノルスクは音読してスウェーデン語から推測する読み方になってしまい時間がかかってしまう)。

(2) 北欧諸国の「先進性」と「ルター派性」とは関連性があるのか?

― 北欧の「先進性」についてのいくつかの指標
 ― 各国幸福度ランキング(国連持続可能開発ソリューションネットワーク)2017年発表
 1位 デンマーク
 3位 アイスランド
 4位 ノルウェー
 5位 フィンランド
10位 スウェーデン
 (日本は46位)

 ― 1人当たりGDP名目/購買力(USドル2016年)
3位 ノルウェー(70,392) /7位 ノルウェー(69,249)
7位 アイスランド(59,629)/17位 スウェーデン(49,836)
9位 デンマーク(53,744) /18位 アイスランド(49,136)
17位 フィンランド(43,169)/29位 フィンランド(42,165)
(日本は38,917ドルで22位)/(日本は41,275ドルで30位)
⇒ 意外なことにGDPは、福祉国家の北欧諸国も「経済大国」の日本もそれほど高くない。ただし、北欧の場合は残業はせず、1カ月以上の夏休みを取ってこの結果。日本の場合は長時間労働で休みもなくてこの結果。

 ― 報道の自由度(Reporters without Borders – press freedom index)2017年発表
 1位 ノルウェー
 2位 スウェーデン
 3位 フィンランド
 4位 デンマーク
10位 スウェーデン
(日本は10年位前は11位だったが、今年発表では72位)

 ― 男女平等ランキング(WEF The Global Gender Gap Report) 2016年
  1位 アイスランド
  2位 フィンランド
  3位 ノルウェー
  4位 スウェーデン
 19位 デンマーク
 (日本は111位)

 ― 国会の女性議員割合ランキング(列国議会同盟)2016年
 6位 スウェーデン(43,6%)  
 8位 フィンランド (42,5%)
11位 アイスランド (41,3%)
13位 ノルウェー   (39,6%)
17位 デンマーク   (38%)
 (日本は11,6%で147位)

― 北欧諸国の「ルター派性」について
  各国のルター派「主要」教会の正式名称と信徒(洗礼を受けた者)の国民に占める割合
 ― スウェーデン Svenska kyrkan(スウェーデン教会) ⇒ 63,2%(2015年)
 ― フィンランド Suomen evankelis-luterilainen kirkko/Evangelisk-lutherska kyrkan i Finland(フィンランド福音ルター派教会) ⇒ 71,9%(2017年1月1日)
 ― デンマーク  Den Danske Folkekirke(デンマーク国民教会) ⇒ 76,9%(2016年)
 ― ノルウェー  Den norske kirke/Den norkse kyrkja (ノルウェー教会) ⇒ 71,5%(2016年)
 ― アイスランド Hin evangeliska lúterska kirkja/(the National Church)(アイスランド福音ルター派教会/国民教会) ⇒ 71,6%(2016年)
      ⇒ 各国とも国民の60~70%がルター派教会の洗礼を受けた教会員。教会員数600万の「スウェーデン教会」は世界第二位、欧州最大のルター派教会。       

  ⇒ 一見すると北欧諸国の「先進性」と「ルター派性」は何か関係がありそうに見える。「ルター派」だから「先進的」?「ルター派」には社会を「先進的」にする何かがある?果たしてそうか?

― 各国のルター派教会の近年の動向および各国民の教会に対する態度
  ― 各国とも最近30年の間、教会所属率は90%台から減少し、歯止めがかからない。
    ⇒ スウェーデン、フィンランドの1980年の所属率は、それぞれ92,9%、90,3%。デンマークは1984年に91,6%、ノルウェーは2000年に85,9%、アイスランドは1998年に90%。
  ― 同様に各国とも新生児に対する洗礼が減少している。
    ⇒ フィンランド全国で2010年は80%、2016年は69,5%の新生児が洗礼を受けた。ヘルシンキ監督区では2006年に61,7%だったが、2016年は42,7%。市民の非キリスト教化が進んでいる。
 ― 規則正しく主日礼拝に通う信徒はどこの国も10%以下。
 ― 教会に所属する信徒でも、世論調査から、自分の都合や好みで所属する態度「教会が教えるようには信じない」が明らかに。

― 北欧各国人のアイデンティティーの構成要素としての「ルター派性」
  ― かつて国民の90%以上がルター派教会に属していた頃は、属していないと「普通の」スウェーデン人等々に見なされない雰囲気があったと思われる。スウェーデン人等々であればルター派教会に属するのが当たり前というような。
  ― 仮に各国人のアイデンティティーの構成要素を①母語、②北欧 の「先進性」に対する誇り、③ルター派キリスト教徒の3つとすると、③が弱くなってきていると言える。教会所属率がこのまま減少すれば、いつかはルター派教会に属していなくとも、「普通の」スウェーデン人等々でいられることになり、構成要素は①と②だけになるのではないか?

⇒ 「ルター派性」が「先進性」をもたらすというような関連性は、少なくとも近年は見られないのではないか?安易な結びつけは禁物。
  ― 最近の「先進性」の例として、同性婚の承認とそれぞれの教会の対応について。
    ― 北欧各国は2000年代に入って、同性婚を認める法律を制定。その後を追うようにして各国の教会も認める決定をした(フィンランドは今年春の教会会議にて審議入り)。
    ― スウェーデン教会ストックホルム監督区のエーヴァ・ブルンネ監督は世界初の女性かつ同性愛者の教会監督として知られるが、クリスチャン・トゥディ紙(ネット版2015年10月9日付)によると、ストックホルム市内の教会から十字架等キリスト教シンボルを撤去すべきと提言。理由はイスラム教徒の気分を害するから。

⇒ もし、国と教会が「先進的」であることが、同時に国民の大多数が過去同様に教会に属し、かつ「自分の都合」でなく「神の都合」に合わせて神を信じるのであれば、国や教会の「先進性」は「ルター派性」と関連があると言えるだろう。しかし、少なくとも教会所属率が減少しているこの30年間はそういう関連性は見られない。

 

2. 宗教改革とルター派王国の誕生

(1)前史

― 北欧のキリスト教化
― 中世カトリック教会での教会生活
― カルマル連合(1397-1523)
 デンマーク、スウェーデン(フィンランド)、ノルウェーの同君 連合

(2)スウェーデン・フィンランド

 ― 経緯     
1522 「ストックホルムの血浴」事件
1523グスタフ・ヴァーサ、国王に選ばれる。カルマル連合終わる。
1526 スウェーデン語訳の新約聖書
1527 ヴェステロース議会の決定及び国王令
 ― 教会財産の没収、教会は王権に服することに。国教会としてのルター派教会の歩みが始まる。
1529 オーレブロー会議
1531 ラウレンティウス・ペトリ、初の非カトリックの大司教(大 監督?)に就任。按手式を執行した司教がローマ法王の按手 を受けた者だったので、ペトロ以来の「使徒承継」は保持さ れることに。
 ⇒ 「司教」、「監督」という用語について。日本語では異な   る言葉に訳仕分けるが、英語、スウェーデン語、フィンランド語は皆同じ言葉(bishop, biskop, piispa)である
1536 教会会議
 ― スウェーデン語ミサが義務化、聖職者の独身制廃止     
1541 グスタフ・ヴァーサ版聖書
1544 ヴェステロース議会の決定
 ― スウェーデン全土は「福音的/福音主義的」と宣言 ⇒ 「福音的」、「福音主義的」という用語について。北欧のキリスト教のコンテクストでは、聖書に基づかない伝 統や慣習や制度には権威を認めないという意味合いが強 く、その意味で「非カトリック」ないし「プロテスタント」と同義。現代アメリカの「福音派」と同一ではない。
1593 ウプサラ会議の決定
 ― 国教会は、国王の信仰に関係なく福音ルター派であり続ける。
 ― カトリック的伝統への対応、ルター派の教義の解釈・理解をめぐる対立の解消をはかる。
 ― 聖書が全ての土台、聖書自体にない事柄を付け加えてはいけない。国教会の信条集を採択。
 
     フィンランドの動向
 1530年代 改革志向の司教シュッテが優秀な若者をヴィッテンベ ルグ大学に送る。その一人がミカエル・アグリコラ。
 1548 年 アグリコラの手によるフィンランド語訳新約聖書
 1554 年 アグリコラ、グスタフ・ヴァーサ王によりトゥルク監督 区の「監督」に任命される。

(3) デンマーク・ノルウェー

 ― 経緯
 1536 クリスチャン3世のもと、デンマーク-ノルウェーはルター派と宣言。教会財産を没収。法王側にとどまった司教、聖職者は投獄、国外追放。
 1537 ヴィッテンベルグ大学のルター派神学者ヨハンネス・ブーゲンハーゲンがデンマークにてルター派教会の組織化、制度化を進める。

(4) 北欧諸国とルター派信条集

 ― スウェーデン 
 1660年代、議会がLiber concordiaeを王国の信仰の基礎に定める。
 1686 議会が制定した教会法の中に、使徒、二ケア、アタナシウス三信条、アウグスブルグ信条、1593年のウプサラ会議の決定に加えてLiber condordiaeを国教会の信条集に定める(つまりはLiber concordiaeとウプサラ会議の決定ということ)
 ― フィンランド スウェーデン王国の一部なので上に倣う。1809年にロシア帝国の大公国となった後、1869年議会が制定した教会法では上記からウプサラ会議の決定が除外(つまり、Liber concordiaeのみということ)
 ― デンマーク、ノルウェー
 デンマーク王はLiber concordiaeに署名せず。それで、両国教会の信条集は、使徒、二ケア、アタナシウス、アウグスブルグ、ルターの大小教理問答書のみ。
    

(5) 重要人物と業績

スウェーデン 
― オラウス・ペトリ
― ランレンチウス・ペトリ
― ランレンチウス・アンドレア

フィンランド
― ミカエル・アグリコラ(「フィンランド語の父」)

 

3. 一般教会史の中の北欧ルター派国教会

(1) ルター派正統主義の時代(1600年代)

(2) 啓蒙時代と敬虔主義(1700年代)

(3) 神学の多様化とリバイバル運動(1800年代以降)
 ― 1809年 フィンランド、スウェーデン王国からロシア帝国の自治的「大公国」として同帝国に編入
 ― 1814年 ノルウェー、デンマーク統治からスウェーデン王国と同君連合に
 ― スウェーデンとフィンランドにおける敬虔主義的なリバイバル運動に対して、それから決別する形で、フィンランドに「福音主義的」ルター派のリバイバル運動が誕生。1873年に「フィンランド・ルター派福音協会(SLEY)」を結成。敬虔主義が信仰の「主観化」を目指したのに対して、福音主義的ルター派は、イエス・キリストによって打ち立てられた救いを「客観的」なものとして信仰を捉えなおした。

(4) 岐路に立つ北欧のルター派国教会(現代)

 ― 1905年 ノルウェー、独自に国王を選出してスウェーデンから独立
 ― 1917年 フィンランド、国家権力を議会に移譲する法律制定。ソヴィエト・ロシアが離脱を認めて独立。一時君主制を目指すが、1919年に共和国憲法を制定
 ― 1944年 アイスランド、デンマークとの同君連合を解消して共和国として独立
  ― 国家権力との結びつきをやめる方向
    ― スウェーデン 2000年に国会が関与する「教会法」の制度を廃止して、教会会議が決定権を持つ「教会令」に替える。これで同国のルター派教会は、原則的には、福音ルター派的な一「宗教団体」となる。
    ― フィンランド 2000年の憲法改正で、監督の任命権は大統領から大監督に。ただし、国会が関与する「教会法」の制度は存続。
 ― 国家権力の正統性が民主主義に基づくことから来るジレンマ
   例として、婦人牧師制、同性婚
    ― スウェーデン 第二次大戦後、教会会議にて女性に牧師職を認めるか否かが議論されるが、1957年に政府がそれを可能にする法案を国会に提出すると、翌年の教会会議は婦人牧師制を採択。
    ― 各国国会は同性婚を認める法律を制定。各国の「主要」ルター派教会もそれに倣う。以下は各国の法律制定年(カッコ内は教会が承認した年)スウェーデン2009年(2009年)、ノルウェー2009年(2017年4月)、アイスランド2010年(確認できず)、デンマーク2012年(2012年)、フィンランド2015年、施行2017年(2017年審議入り)。
    ⇒ 教会が認められないと言っていたことも、国家側が民主主義で決定すれば、教会内の勢力関係は容易に逆転し、認められることになる。

 

 4. おわりに 誰が宗教改革・ルター派の伝統を受け継いでいるのか?

(1) 宗教改革 ― 「変革」か? 「信仰浄化」か?

⇒ スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語では、「宗教改革」は、英語、ドイツ語同様にReformationを使うが、フィンランドでは「信仰浄化」を意味するUskonpuhdistusが一般的。それらの意味については、講演者が2016年11月15日に日本福音ルーテル神学校の夕刻礼拝にて行った説教「AD FONTES - 源へ」を参照のこと。

(2) 「主要」教会内部のリバイバル運動体と外部のルター派教会

― 各国には「主要」教会の流れに与しない小さなルター派教会が「主要」教会のような公的な地位を持たず、宗教団体として存在する。
― SLEYは国教会と摩擦を繰り返しながらも、現在国教会の公認ミッション団体の地位はなんとか保てている。SLEYの最近の動向と挑戦について。
― フィンランドにはSLEY以外にも国教会の公認ミッション団体の地位を保てている、比較的新しいルター派リバイバル運動体もある。
⇒ スウェーデンやフィンランドでは、「リバイバル」を意味する言葉は「目覚め」(väckelse/herätys)を用いる。英語圏の「リバイバル」と同一視できないのでは?ところで、講演者の見方としては、フィンランドの新しい「リバイバル」運動は、アメリカ的な「福音派的」なところがあるようにも思える。

(3) 今後の注目点として

― 北欧各国人のアイデンティティーの構成要素として“ルター派性”は薄れて、いつかは消滅するのか?
― それとも、“ルター派性”自体が自由自在に変容して構成要素であり続けられるのか?その場合、変容した“ルター派性”は“ルター派的”と言えるのか?誰がそれを決めるのか?
― 変容を認めない人(例としてSLEY)は、将来の北欧各国人のアイデンティティーから見て異端なものになっていくのか?

(了)

宣教師館の窓から 「さよならの力」は復活の信仰にあり、 吉村博明 宣教師

窓

桜の開花が近づいた頃、新聞や電車の広告に伊集院静氏の新刊「さよならの力」が目に留まった。氏が執筆している「大人の流儀」シリーズの第7巻で、同シリーズは既に160万部売れていると言う。私も、「さよなら」には、別離がもたらす辛い現実に足を踏み出させる力があると思っている。ただ私の場合、そう思うのは、キリスト信仰と関係があるからとわかっているのだが。もし伊集院氏がキリスト信仰者でなければどういう道筋で「さよならの力」を見いだしたか興味がわき、それで本を手にした。氏がキリスト信仰者でないことは、本書の内容からすぐわかる。

青年期に弟を事故で失い、大人になってからは妻を病気で失った伊集院氏は、深い喪失感の中で苦しみ抜いて考え続けた結果、次のことに思い至る。「いつまでも俺が不運だ、不幸だと思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが、輝いた人生だったと考えないといけない。」(p.183)

他にも同じような知恵ある言葉があるので引用する。「たとえ三つで亡くなった子供だって、その目で素晴らしい世界を見たはずです。だから『たった三つで死んでしまって可哀想だ』という発想ではなくて、『精一杯生きてくれたんだ』という発想をしたい。そうしてあげないと、その子の生きた尊厳もないし、死の尊厳も失われてしまうのです。

やがて、歳月は、私たちに彼等、彼女たちの笑ったり、歌ったりしているまぶしい姿を、ふとした時に見せてくれるようになります。」(p.186)

長い間、去って行った人たちが、どこかで独り淋しくうつむいているのではと憂えていた感情が、今は、彼、彼女の笑顔が浮かぶ時さえある。」(前書き中)

これらの言葉を生み出した背景には、氏の個人的な体験のほかに、東日本大震災をはじめとする近年日本を襲った自然災害の犠牲者や被災者に対する氏の共感があることは言うまでもない。

もちろんキリスト信仰にあっても、亡くなった人の過去の思い出を何ものにも替え難い貴重なものとして心に抱く。ただし、キリスト信仰の場合それは、死者が復活させられる日が来るという復活の信仰と表裏一体になっていると私は考える。どういうことかと言うと、人間は死ぬと、宗教改革のルターも言うように、復活の日が来るまでは安らかに眠る。痛みや苦しみから解放された心地よい眠りの時を持つ。そして復活の日が来ると、朽ちない復活の体を着せられて、天の御国に迎え入れられる。

そして、そこは、懐かしい人たちとの再会が待っているところである。
亡くなった人は復活の日が来るまでは眠っているだけなので、仏教で言われるように仏の世界に到達するための修行の旅に出るということはない。亡くなった人が仏の世界に到達できますようにと、一生懸命香を焚いて釈迦を宥める必要もなく、お腹が空くだろうか喉が渇くだろうかなどと心配する必要もない。安らかに眠っているのだから。

そう言うと、キリスト教は死者をほったらかしにする冷たい宗教と言われてしまうかもしれない。しかし、キリスト信仰では、亡くなった人の過去の思い出を何ものにも替え難い大切なものとして心にしまっておく。その人と共に過ごした日々を与えてくれた天地創造の神に感謝する。神が与えて下さった日々だから、思い出はなおさら貴重なものとなる、と言うか、亡くなった人は安らかに眠っているだけなので、関わりを持てるのは過去の思い出しかなくなってしまうのだ。それも、飛び切りの、いつまでも輝きを失わない思い出が全てになるのだ。そういうわけで、キリスト信仰は過去の思い出以外には何も残らないと観念してしまうのであるが、仏教では亡くなった後もその人とコミュニケーションや結びつきを懸命に保とうとすることが大きく異なるのではないだろうか。加えてキリスト信仰では、亡くなった人がこの世にいる者たちを見守ったり、助けたり導いたりすることもない。その役割は全て天地創造の神に任せられているからだ。

過去の思い出だけでは空虚さを満たせないのではないか、亡くなった人とのコミュニケーションや結びつきを保ち続けないと生きていく力が生まれないのではないか、と思われるかもしれない。しかし、復活の信仰がある限り、そんなことはないと思う。復活の日、それまで「思い出」という形にしかすぎなかった懐かしい人が再会の時、体を伴った現実の人に変わり、かつて引き裂かされてしまったものが縫い合わされて、神に全ての涙を拭ってもらう(黙示録21章4節)、そういうふうに信じるのが復活の信仰である。そういうわけでキリスト信仰者というのは、亡くなった人の思い出を何ものにも替え難い貴重なものとして心に抱き、その人と共に過ごした日々を神に感謝し、復活の日の再会の希望を抱いて今を生きる者なのである。

伊集院氏は素晴らしい思い出の大切さを強調する一方で、お母上が仏壇の前で亡き次男に語りかけることに違和感を覚えない。また、思い出の人が自分の身体の中に生きていてそれが生きる力を与えているとも考える。キリスト信仰から見れば、まだ「さよなら」と言いきれていないのではないか、と思われるかもしれない。見えない相手に語りかける場合、キリスト信仰では天地創造の神以外にはないからだ。復活の信仰がないところでは、思い出を大切にすることと、亡くなった人とのコミュニケーションを保とうとすることは両立するということか。それから、キリスト信仰では、思い出の人が身体の中に内在化することもない。というのは、生きる力を与えるのはあくまで三位一体の神だからだ。

亡くなった人の素晴らしい思い出を大切にすることと、復活の信仰がしっかり結びついていることをよく示す例として、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の最終場面をあげることができる。この小説は、いろんなジャンルの小説が合体したような壮大な小説で、いつだったか村上春樹氏がインタビューで自分は三回読んだと言っておられた。(私はまだ二回である。ところで「騎士団長殺し」の各章のタイトルが長めなのは「カラマーゾフ的」?)。

問題の最終場面とは、カラマーゾフ家の三兄弟の運命がそれぞれ決まった後のところである。無頼漢の長男ドミートリイは本当は無実なのだが父親殺しの判決が下ってしまいシベリア流刑となる。無神論者の次男イワンは理性を超える神の摂理を受け入れられず、宗教からの自由を追求すればするほど逆に別のものに束縛されるジレンマに陥り、ついには精神に異常をきたしてしまう。三男のアリョーシャはロシア正教の信心深い青年で、兄たちの運命を見届けたら故郷の町を出て行こうと決心する。

最終場面は、イリューシャという結核で死んだ少年の葬儀である。柩の埋葬を終えて参列者は墓地からイリューシャの自宅へ向かう。中学の同級生たちは皆、大泣きに泣いている。実は彼らはかつてイリューシャをいじめていたのであるが、アリョーシャが間に入るようになってから次第に態度を変え、病気の可哀そうな同級生を励ましてあげようとしだす。しかし病状は好転せず、少年は死んでしまう。

イリューシャの思い出の場所にさしかかった時、アリョーシャと少年たちは立ち止まる。そこでアリョーシャは思い出の尊厳ということについて話し始める。今みんながイリューシャを本当に愛していたことがよくわかった、彼のことを決して忘れないようにしよう、本当に素晴らしい少年だった、と。すると同級生たちは皆口々に、あの子は父親の名誉のために一人で大勢に立ち向かった勇敢な親思いの本当に高潔な少年だった、と言う。そこでアリョーシャは、みんながイリューシャのこと、この葬儀の日のことをしっかり覚えていれば、将来大人になって何か悪いことをしそうになった時、それを思い止まらせる力になる、とさえ言う。あの時自分はあんなに素晴らしい少年を知っていたではなかったか、そして彼のことを一生忘れないようにしようと誓い合ってみんなの心が一つになったではなかったか、それを思い出せばきっと悪いことを思い止められる。そんな力があるのだ、と。そしてアリョーシャは続ける。

「この善良な素晴らしい感情で僕たちを結びつけてくれたのは、いったいだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカ(イリューシャのこと)にほかならないのです!決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らの心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生き続けるのです!」少年たちは口々に忘れないことを誓う。その時 少年たちの目には「涙が光っていた」のであるが、この涙は先ほどの埋葬の後の涙とは別の新しい涙だったに違いない。

ここで一人の少年が突然、驚くべきことを言う。それは、まさに思い出を大切にすることと復活の信仰が結びついていることを示すものであった。驚きなのは、それを言ったのがコーリャという少年で、彼は同級生グループがイリューシャをいじめた時にも励ました時にもリーダー格だった。大人顔負けの頭の良いませた少年で、このまま行けば自己の能力を過信する無神論者になってもおかしくはなかった。その彼がアリョーシャに向かって、こんなことを言ったのだ。

「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみんなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」

感激してしまったアリョーシャは答える。
「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです。」

「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」と叫ぶコーリャ。
ここでアリョーシャは少年たちに向かって、さあ、イリューシャの家に葬儀の会食をいただきに行こう、みんなが大好きなホットケーキが出されても、うしろめたい気持ちを持たなくていいんだよ、と促す。アリョーシャと少年たちは皆、元気よく手をつないで歩き出す。こうして、この壮大な小説は幕を閉じる。

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イエス様が死者を蘇らせる奇跡を行ったことについては、会堂長ヤイロの娘(マルコ5章、マタイ9章、ルカ8章)とラザロ(ヨハネ11章)の例が詳しく記されている。両方の場でイエス様は、死んだ者は「眠っているにすぎない」と言って生き返らせる。もちろんヤイロの娘の場合もラザロの場合も、将来の復活の日に起こる蘇りが起きたのではない。娘もラザロもその後寿命が来て「眠り」についたのであり、今は本当の復活の日を待っているからだ。それではなぜイエス様はこれらの奇跡を行ったかと言うと、それは、復活させられる者にとって死は「眠り」にすぎないということと、その「眠り」から目覚めさせる力があるのは彼をおいて他にはいないということを前もって具体的に人々にわからせるためであった。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」
― 兄ラザロの死を悲しむマルタにイエス様がかけた言葉(ヨハネ11章25節)

「この世のたび 終わるそのとき
主のみ国に うけ入れたまえ。
わがからだは 墓に在りて
いと安けき 眠りにつかん。

終わりの日に 墓はひらかれ
眠れるもの よみがえらさる。
わがからだの 朽ちぬものに
変えらるるは いともうれし。」
― 教会讃美歌366番「愛のいずみ」4節と5節

「カラマーゾフの兄弟」からの引用は、新潮文庫の原卓也訳による。