礼拝

 

本日はフインランドから来日されたSLEYの海外伝道部長アウヴィネン牧師をお迎えしての礼拝でした説教はこのリンクよりご覧下さい。

5月のスオミ教会家庭料理クラブのご報告

初夏を感じさせる強い日差しの土曜日、
スオミ教会家庭料理クラブは「イチゴのトルットゥ」を作りました。

お祈りをしてスタートです。

最初は計量から、
dl や大さじや小さじと書かれたレシピに、最初は戸惑いながらも、
秤を使わない手軽さに、参加の方々に笑顔が広がりました。

用意された真っ赤な沢山のイチゴも、ヘタを取り綺麗に洗われ、
ヨーグルトの水切りもしっかり出来ています。

生地を作りオーブンで焼いている間に、シロップ作りやイチゴのスライスをしたり、
焼き上がった生地を冷ます間に、
ヨーグルト入りのホイップクリームも出来上がり、
グループごとに工夫をこらしたデコレーションされたトルットゥは、
華やかに完成しました。

美味しくおしゃべりも弾んだ試食タイムも一段落した頃、
パイヴィ先生からイチゴのお話と、
イチゴの収穫シーズンに多い、フィンランドのお祝いや、
神様のお祝いについてのお話を聞かせて頂きました。

参加の皆様のお疲れさまでした。
次回の「スオミ教会家庭料理クラブ」は6月8日を予定しています。


イチゴの話2019年5月11日

イチゴはフィンランド人みんなが好きと言ってもいいくらい、人気のあるベリーです。フィンランドのイチゴは外国のものと比べて、とても甘くてみずみずしいのでそれで人気があると思います。フィンランドでは6月になるとイチゴの季節になり、マーケット広場には採ったばかりの新鮮なイチゴがいっせいに売られます。もちろんお店でもです。日本でイチゴは、同じ大きさにまとめてきれいに並べてパックに入れて売られます。フィンランドでは売り場の台の上に山のように積まれて、そこからお客さんが好きな量を買います。お店の人はスコップのようなものでイチゴをすくって、リットルで計ったり、重さで量ったりして袋に入れて売ります。まとめて多く買いたい人には、ダンボールに入った5キロ入りのものが売られます。また、イチゴを栽培している農家に行って自分で摘んで、量に応じたお金を払うことも出来ます。私たちの家族がトゥルクに住んでいた時、私たちは毎年ヨハンナと悦才を連れて近くの農家にイチゴ取りに行きました。取りながら食べてもよかったので、子供たちも行くのが楽しみでした。いつもバケツ二杯位とって、ジャムにしたり冷凍したりしました。

今日皆さんと一緒に作ったイチゴのトルットゥはフィンランドではイチゴの季節にどの家庭でも作られます。イチゴの季節は6月と7月ですが、その頃はフィンランドではお祝いの季節です。どんなお祝いがあるかと言うと、結婚式、婚約式、卒業式、堅信礼などがあります。なかでも高校の卒業式は大きなお祝いで、卒業生のいる家族は親せきや近所の人たちを家に招待して大きなパーティーを開きます。もう一つ夏の大きなお祝いは、教会の堅信礼のお祝いです。フィンランドでは子供たちは15歳になると教会の献信礼の教育を受けます。10日間から2週間くらい教会の研修所で合宿して、自然の中で聖書やキリスト教の教えについて学びます。合宿が終わると教会の礼拝で堅信礼の儀式があります。その後でそれぞれの家で大勢の親せきを招待する大きなパーティーが開かれます。このようにフィンランドでは、堅信礼と高校の卒業式は若者にとって人生の大きな節目になるので大きなお祝いをします。そのためにお母さんたちは一生懸命ごちそうを作ります。そこではイチゴのトルットゥやケーキがデザートの主役です。

お祝いというものは、私たちの普段の日常生活にとても良い変化を与えます。お祝いされる人にとって人生の節目の大きな記念になります。招待される人にとっても喜びを分かち合えて大きな記念になります。もしお祝いがなかったら私たちの生活はどうなるでしょうか?人生の節目が忘れられて、記念もない、喜びの分かち合いもない生活は豊かとはいえないでしょう。

ある時イエス様は群衆に「大祝会」のたとえを話しました。ある人が盛大なお祝いをすることにして、沢山の人を招待しました。パーティーの準備が出来たので、主人は招待した人たちに知らせるために僕を送りました。しかし何が起きたでしょうか?招かれた人たちは次々にいろんな理由で来れないと断わったのです!どんな理由だったでしょうか?最初の人は「畑を買ったので、見に行かなければならないので行けません」と言いました。二番目の人は「牛を二頭ずつ五組買ったのでそれを調べに行くところなので行けません」と答えました。三番目の人は「結婚したばかりなので行けません」。招かれた人たちにとって自分に起きた新しいことが招待より大事なことになったのです。僕は帰って、この

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ことを主人に報告しました。すると主人はとても怒って僕に命じました。「それならば、急いで町の広場に出ていき、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を連れてきなさい。」僕は主人が言う通りにしました。それでも席はまだ一杯になりません。主人はさらに命じました。「大通りや地方に通じる道に出て行って、そこで出会う人を誰でもいいから連れてきて、家を客で一杯にしなさい。」

招かれた人たちはどうして断ったのでしょうか?その人たちは自分の生活の新しいことの方が招待よりも意味があると思って、それで断ったのでした。しかし主人はどうしても客が来てほしかったので、貧しい人や体の不自由な人、通りにいた人を連れてくるように命じました。その人たちは招かれてきっと驚いたでしょう。彼らはきれいな服も来ておらず、ただの普段着だったでしょう。そんな服で大きなお祝いに行っても大丈夫かと遠慮もあったと思います。しかし主人は体の不自由な人でも服は普段着でも関係なく皆を招いたのです。主人にとって大事なのは空いた席がないように、家が一杯になることでした。

イエス様が話されたこのたとえは一体何を意味しているのでしょうか?主人とは、天と地そして人間を造られた造り主の神様を意味します。大祝会を開く家は神様の天の御国のことです。主人が多くの人を招待するというのは、神様も同じように私たちを御自分のもとに招こうとされていることを意味します。神様は私たちが大祝会の席につけるように準備もしてくださいました。どのように準備されたでしょうか?それは、ひとり子のイエス様をこの世に送ったことでした。人間は神様の御心に従うことが出来ないので、私たちの受ける罰を代わりにイエス様に受けさせて十字架の上で死なせました。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させました。イエス様のおかげで人間は天の神様のもとに行くことが出来るようになりました。ところが、私たちはどうでしょうか?神様の招きの声を聞くでしょうか?生活のことで忙しかったり、悩みがあったり、もっと大事なことがあるからと言って、神様の呼ぶ声を聞こうとしません。でも神様は諦めないで、私たちを何度も何度も呼んで下さいます。神様の呼ぶ声は聖書の御言葉を通して聞こえてきます。それを聞いてイエス様が救い主とわかって受け入れると、目の前に天の御国に通じる道が開かれます。その道を歩いていけば、いつも神さまの守りと導きがあります。道の先には大祝会が待っています。そう考えただけで嬉しくなります。心配事も軽くなります。

フィンランドのミッション団体SLEYの海外伝道局長V.アウヴィネン先生が来日されます

アウヴィネン先生SLEYと協力関係にある日本福音ルーテル教会との定例協議の他、5月19日のスオミ教会の礼拝にて説教を担当されます(通訳付き)。

SLEYは、日本とフィンランドが外交関係を結ぶ前の1900年から日本に宣教師を派遣してきた北欧のルター派ミッションのパイオニアです。是非この機会に礼拝に御参加下さい。

V.アウヴィネン先生の略歴

  • 1966年生まれ(トゥルク市出身)
  • 1988年オーボ・アカデミー大学神学部卒(神学修士)及びフィンランド・ルター派国教会牧師就任
  • 2003年神学博士(オーボ・アカデミー大学神学部)博士論文”Jesus’ Teaching on Prayer” (Åbo Akademis förlag)
  • ルター派国教会牧師、SLEY専属牧師、SLEY海外派遣宣教師(ザンビア)、フィンランド神学研究所事務局長、SLEY海外伝道局付けを経て、2017年から現職およびトゥルク市議会議員(キリスト教民主党)
  • キリスト教、聖書関係の著作多数。国教会保守派の論客としてテレビの時事討論番組にも多数出演

 

復活祭祝会

 持ち寄りスタイルで今年も復活祭を祝いました、ポウッカ先生も音楽のご奉仕とパイヴィ先生からのメッセージを披露してくださいました。吉村先生からはフインランドの兄弟姉妹から届いた祝いのメセージを読んでいただきました。テーブルの上のご馳走も何時しか銘々のお腹に納まり、祝いの席は和やかに続きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

交わり、その後VIA DOLOROSA

交わりの後スオミ教会恒例の「VIA DOLOROSA-イエス・キリストの受難の道」が行われました。ポウッカ先生のフルート演奏、オルガン演奏と独唱を交えながら今年も感動的な受難劇でした。

「トリベット」を作ってみませんか。手芸クラブのご案内、4月24日(火)10時~12時


手芸クラブは、毎月1回開かれています次回は、4月24日(水)10時から12時までです。作品は編み物のトリベット・鍋敷きです。鍋つかみ・ヨッダとしても使えて、フィンランドでは一般的なキッチン道具です。自分の好みに合ったトリベットを作ってみませんか。

誰でもお気軽にご参加ください。お子様連れでもどうぞ!

持ち物:     綿糸かジュートまたは毛糸50g位、色は好みです。
糸に合うぼう針かかき針

申し込み問い合わせ
  
電話03-3362-1105  
スオミ・キリスト教会

 

「俺は二つの国の国民なのさ」

フィンランドの有名なゴスペル・シンガーソングライター、ペッカ・シモヨキの「俺は二つの国の国民なのさ(Kahden maan kansalainen)」が聴けます!ここをクリック

歌について、吉村宣教師の17日の説教の初めに触れられています。歌詞の訳は説教の後ろにあります。フィンランド国教会の堅信礼キャンプの定番の歌の一つなので、40代より若い世代のフィンランド人の多くには馴染みのある歌と言えます。

Kahden maan kansalainen

Tämä pieni maa jalkojen alla,
Taivas suunnaton päällä pään
Ovat seuranneet koko matkani ajan.
 
Tämä pieni maa kaikkialla
Ystäväni on, tänne jään,
Kunnes askeleet vievät yli viimeisen rajan.
 
Jalat pidän mullassa maailman,
Katseellani taivasta tavoitan
Tiedän minne matkaani tehdä saan,
Olen kansalainen kahden maan
 
Olen tuntenut tuulen tuoksun,
Kuullut aaltojen pauhinan
Olen nähnyt sen, kun sataa valkoista lunta
 
Olen huomannut ajan juoksun
Nähnyt varjojen kasvavan
Mutta pelkää en; unelmani ei ole unta
 
Jalat pidän mullassa maailman,
Katseellani taivasta tavoitan
Tiedän minne matkaani tehdä saan,
Olen kansalainen kahden maan
 
Täällä työni teen, itken ja nauran,
Raivaan peltoni, kynnän maan
Rauhan siemenen kylvän riitaan ja sotiin
 
Kerran paikalleen lasken auran,
Kerran viljani korjataan
Silloin tiedän sen; olen tullut viimeinkin kotiin
 
Jalat pidän mullassa maailman,
Katseellani taivasta tavoitan
Tiedän minne matkaani tehdä saan,
Olen kansalainen kahden maan

3/9 「スオミ教会家庭料理クラブ」のご報告


寒さも和らいだ穏やかな土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは
「リンドストリョーム ピヒヴィ」「Lindströmin pihvi」を作りました。

Lindströmin pihviはひき肉とビーツで作るハンバーグで、
フィンランドではポピュラーなお料理だそうです。

最初にお祈りをしてスタートです。

ハンバーグの材料に茹でたビーツのすりおろしを加え、
スパイスや塩で味を整え、オーブンシートに小ぶりに形を整えてのばし、
鉄板に乗せてオーブンで焼き上げます。

次は「フィンランド風ポテトサラダ」作りです
皮ごと茹でたジャガイモの皮をむき、リンゴやピクルス、ネギを加え、
マヨネーズで味付けして、大きなボウルが山盛りになりました。

最後にフルーツサラダも作り、試食会は始まりました。

パイヴィ先生からは、ビーツの栄養価やフィンランドでのビーツの思い出など聞かせて頂き、参加者からは、なじみの薄いビーツの扱い方など質問が続きました。

次に受難節のお話も分かりやすく聞かせて頂きました。

参加の皆様、お疲れさまでした。

次回の「スオミ教会家庭料理クラブ」はカルヤランピーラッカを予定しています。


料理クラブの話2019年3月10日ビーツの話

フィンランドでは毎年、「今年のテーマの野菜」を選んで、多くの人がその野菜をもっと食べるようにとキャンペーンをします。それで、選ばれた野菜の料理のレシピや健康に役立つことなどが雑誌に書かれます。今年の「テーマの野菜」に選ばれたのは、根野菜でした。ピーツは根野菜の一つです。ピーツはフィンランドの食卓には昔からあった野菜でしたが、フィンランド人はビーツをあまり沢山食べないで、一人当り一年で800グラムしか食べません。ビーツは健康によいもので、ビタミンA,B,CとE,そしてミネラルも沢山含まれています。ビーツの料理をもっと作るようになれば、みんなの健康にもよいのです。

ビーツはフィンランドでは、もう1800年くらいから植えられるようになりました。最初それは教会の牧師館や学校の畑で育てられて、そこからフィンランド全国中に広がって、家庭の庭の畑でも育て始められました。それでビーツは、庭の畑で育てられる野菜の中で人気があるものの一つになりました。

私も子どもの頃、夏休みになる6月の初めにいつも母と一緒に野菜の畑を作って、ビーツの種も蒔きました。芽が出るまで3週間くらいかかりましたが、その間畑に出てくる雑草を抜き取らなければなりませんでした。雑草の中からビーツの芽を見分けるのは難しかったので、時々間違ってビーツの芽を抜き取ってしまいました。畑の掃除や水をやることは、子どもたちの仕事でした。8月になると、ビーツは十分大きくなって、採って茹でて、ビーツのサラダを作って食べました。

ピーツは寒さに強いですので、収穫は地面が凍ってからでも大丈夫です。冬に採ったビーツは家の地下室に置いておくと、春までよく保存します。

フィンランド人はどんなビーツの料理を作るでしょうか?最も一般的なものは、ビーツの甘酸っぱい酢漬けです。これはビーツを収穫した時に作るもので、一年中保存できます。酢漬けのビーツはそのまま食べてもいいし、料理の中に入れても大丈夫です。フィンランド人はビーツを今日のようにハンバーグの中に入れたり、スープやキャセロールやサラダなどにも入れて食べます。ビーツの料理には、注意しなければならないことがあります。まず、ビーツは茹でると中の赤い色が簡単に出てしまうので、皮のまま茹でることが大事です。生や茹でたビーツの赤い色は簡単にまな板などにつくので、料理を作る時に気をつけます。

今日作ったリンドストロョーム・ピヒヴィは、季節に関係なく一年中、学生食堂や家庭でも出される料理です。

ここで少し、キリスト教会の季節について少しお話したく思います。この前の水曜日から、受難節とか四旬節と呼ばれる期間に入りました。イースター・復活祭の準備の期間です。フィンランド語では、この期間は「断食の期間」と呼ばれます。これは、昔カトリック教会の時代の言い方が今でも続いているからです。もちろんフィンランド人はこの期間に断食をしませんが、それでも普段の食事にちょっと変化を与えることがあります。例えば、肉があまり入ってない料理を食べるとか、甘いお菓子を食べないということがあります。

この受難節とは、どんな意味でしょうか?。それは、イースター・復活祭の前の40日の間、イエス様が十字架につけられた苦しみを覚えて心の中で思いめぐらす期間のことです。イエス様は自分が受けることになる苦しみについて弟子たちや多くの人たちによく話されました。ご自分についてこのように言われました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ヨハネによる福音書10章11節です。「羊飼い」とはイエス様のこと、「羊」は私たち人間を意味します。良い羊飼いでいらっしゃるイエス様はどんな方でしょうか?イエス様は羊飼いのように私たち羊の番と世話をします。羊飼いが羊一匹一匹をよく知っているように、イエス様も私たち一人一人のことをよくご存じです。羊飼いが羊に名前を付けて呼ぶように、イエス様も私たちのことを名前で呼びます。私たちはイエス様の呼ぶ声を聞くでしょうか?イエス様は神様の御言葉を通して私たちに話しかけられるので、私たちのことを呼んでいるのです。

良い「羊飼い」でいらっしゃるイエス様は「羊」でいる私たちのためにご自分の命を捨てると言われました。それはどういうことでしょうか?イエス様は罪を持たない神様のひとり子でした。私たち人間は悪いことをしたり、しなくても考えたりします。イエス様は人間がこうした罪の罰を神様から受けないようにするために、自分を人間の身がわりとして十字架にかけられて死なれました。これが、イエス様が自分の命を捨てると言った意味です。このおかげで私たちの罪が全部赦されました。それで、この世の時にも、またこの世が終わった後でも、いつもずっと神様が私たちと一緒にいてくださることができるようになりました。神様が私たち人間のためにイエス様を送ってくださったということ。そこに現れている神様の人間に対する愛はどんなに大きな愛でしょうか?受難節は、イエス様が私たちのために命を捨てた「良い羊飼い」でおられることを心の中で思いめぐらすための期間です。

手芸クラブのご案内、2019年2月27日(火)10時~12時 「マイ帽子」を作ってみませんか。

手芸クラブは、月1回開かれています。

次回は、2月27日(水)10時から12時までです。作品はクローシェ網の「マイ帽子」です。クローシェ網の帽子は自分の好みで一色から何色でも作れます。冬用の帽子でしたら毛糸、夏用の帽子は綿糸で作ります。

素敵な帽子が出来ますので、お気軽にご参加ください。

持ち物:     毛糸か綿糸100g、色は好みです。
糸に合うかぎ針

 

 

 

申し込み問い合わ

電話03-3362-1105 
スオミ・キリスト教会

 

2月のフィンランド家庭料理クラブのご報告

「ルーネベリ・ロールケーキ」

天気予報通りの雪の舞う寒い寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは
「ルーネベリのロールケーキ」を作りました。
フィンランドの詩人ルーネベリが好物だったというルーネベリータルトをベースに、軽い味わいのロールケーキに仕上げました。

お祈りをしてスタートです。

最初に生地作り、焼いてる間に、こくのあるクリームを、そしてルーネベリタルトには欠かせないラズベリージャムも、ロールケーキ用に準備されました。

焼き上がった生地を冷ましてる間に、ヴォイレイパ作りと、テキパキ作業が進みます。

最後はとてもソフトな生地をロールケーキに仕上げます、
ラズベリージャムとクリームを塗って巻き込み、アイシングで飾りつけをして、最後にカットして、ラズベリージャムとアイシングでアクセントを付けて完成しました。

試食会の楽しい会話も一段落した頃、パイヴィ先生から、ルーネベリタルトのお話や聖書のお話も聞かせていただきました。

寒い中のご参加お疲れさまでした。

ルーネベリタルトの話

フィンランドでは新年が終わったら、次にお祝いの日になるのは2月5日の「ルーネベリの日」です。この日は昔は休日でしたが、今はそうではなく、ただ国旗を掲げるだけの祝日です。それで新年が終わると、ルーネベリタルトがお店で売られるようになります。しかし、販売期間は短くて、せいぜい一ヶ月くらいです。

ルーネベリとはどんな人だったでしょうか?彼はフィンランドの有名な作家で、1804年に生まれました。Albert Edelfelt [Public domain]詩や小説をたくさん書いて、彼の最も有名な詩「わが祖国」はフィンランドの国歌になりました。また、彼は教会のことも熱心で、60曲近い讃美歌の詩も書きました。

お祝いをするのが好きだったルーネベリは、50歳になってから毎年誕生日に大きなお祝いをしました。後に彼の誕生日である2月5日は、彼の記念日としてフィンランド全国で祝われるようになりました。彼の誕生日というよりは、フィンランドの文化の日として祝われます。オフィシャルなお祝いの会場でも家庭でも、ルーネベルイタルトが出されます。ルーネベリは小説や詩だけでなく、ルーネベルリタルトも残したと言うことができます。

ルーネベリは、この甘いお菓子を朝食で食べたくらい大好きだったそうです。このお菓子の始まりについては、いろいろな説があります。ある説によると、ルーネベリタルトはスイスで初めて作られて、そこからフィンランドのルーネベリが住んでいた町に伝わって、町の喫茶店で売られていたということです。ルーネベリはこのお菓子がとても気に入って、よく食べるようになったのが始まりだと言われています。ルーネベリは甘いお菓子が大好きだったので、奥さんのフレディリカもこのお菓子を作ったそうです。

現在、ルーネベリタルトのレシピはいろいろありますが、一番オーソドックスなものは、形が少し長めの円筒状で、上にのせるジャムはラズベリージャムです。レシピの面白いものの一つは、生地にピパルカックを入れるものです。クリスマスの期間に食べきれなかったピパルカックをつぶして生地の中に入れて、それで美味しいものが出来るのは素晴らしいことと思います。しかし最近の家庭はピパルカックを昔ほど沢山作らないので、つぶしたピパルカックの代わりにピパルカックのスパイスを入れるようになりました。もう一つルーネベリタルトの面白いことは同じ材料を使って、違う形のお菓子、ロールケーキが出来ることです。名前はルーネベリのロールケーキです。このように残ってしまったお菓子も上手に使って、新しくてもっと美味しいお菓子が出来て、国の記念日のお祝いに出されるようになったというのはとても不思議なことです。

旧約聖書のイザヤ書には次のような聖句があります。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」(イザヤ書43章19節)。天の父なる神様は、人の目から見て価値がない、もう捨てるしかないと思われるものから新しい素晴らしいものを生み出される方です。ゼラニウムの花もそのことを思い出させてくれます。ゼラニウムは秋花が咲き終わってから、葉っぱも全部落ちて枯れてしまって、茎だけを残します。枯れてしまったゼラニウムの植木鉢はもう意味がない、捨ててしまおうと思われるかもしれません。ところがそうではないのです。枯れたゼラニウムの植木鉢を暗くて涼しい地下室に冬中置いておき、春になって地下室から出して暖かくて光があたるベランダに置きます。そうすると、最初は枯れた茎だけだったのが、しばらくすると新芽が出て育ち始め、やがては美しい花を咲かせます。このように一度捨てるしかないと思っていたものが、また育って花が咲くのはとても不思議に思えます。でもこれは、天の神様が成長を与えて下さるから起こるのです。

神様は、同じようなことを私たちにもしてくれます。私たちが自分のことを意味がない、価値がないと思ってしまう時は、私たちは暗い地下室に置かれているのと同じです。しかし、ゼラニウムを暗い地下室に置くのは、次の夏にきれいに咲かせるために必要なことなのです。暗い場所から明るい場所に置くと、ゼラニウムの新しい成長が始まり、素敵な花を咲かせます。天の父なる神様はこのように新しく造られる方です。神様は私たちをも素晴らしいものに成長させて下さいます。成長は私たちの思うように進まないかもしれません。ゼラニウムのように暗い場所に置かれてしまうかもしれません。でもそれは光の時が来た時に成長できるために必要なことでした。神様は光の時を来させて下さる方で、その時には私たちを暗闇から出して下さり新しい成長を与えて下さいます。このように神様は私たちを新しく造り変えて下さいます。

神様が私たちを新しく造り変えて下さるとどうしてわかるでしょうか?それは、神様が最初のクリスマスの日にイエス様をこの世に送って下さったことからわかります。イエス様はこの世の光です。光の時が来たのです。イエス様が私たちの罪を償うために十字架の上で死なれて、そのかわりに私たちの罪が赦されました。イエス様を救い主と信じる人は暗闇から光の中に出されて、心が新しくされます。

今週散歩した時に、一本だけでしたが梅の花が満開に咲いているのを見ました。神様が梅の花を新しく咲かせて下さったとわかって感謝しました。私たちは、こうした自然の移り変わりからも天の神様が私たちを新しくして下さる方だとわかります。これからもこの神様とひとり子イエス様のことを覚えて歩んでまいりましょう。