野外修養会

24日立川の昭和記念公園にて修養会が開催されました。吉村博明宣教師による「人間は死んだらどこへ行くのか?聖書はどう教えているのか」の二回目の学びでした。薫風香る五月晴れのもと芝生に車座になって先生のお話に耳を傾けていました、続きは秋に予定していますので皆様の参加をお待ちしています。

5月10日の料理クラブのご報告

「ヴァトルスカ」 

爽やかな風が吹き抜ける土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは
「ヴァトルスカ」を作りました。
最初にお祈りをして、料理クラブはスタートしました。

新じゃが大きな大きな鍋で茹でる新じゃがの香りに、出来上がりが待ち遠しく、
ゆで加減チェックの回数が頻繁になりました、
2人一組で作業は進みます、ジャガイモの生地で茹でた大麦を包み、オーブンで焼き上げ、溶かしたマーガリンを塗って出来上がり!!バトルスカ

春らしく、スナップエンドウを添えたサラダと、残った大麦で、リンゴとピクルスのサラダも完成、吉村先生から「フィンランドの聖書日課」を読んでいただき、試食会は始まりました。

試食会も一段落したころ、
パイヴィ先生からヴァトルスカや
フィンランドの食のお話をしていただきました。

参加の皆さま、後片付けもきれいにしていただいて、
有難うございました。

次回は6月14日を予定しています。 ヴァトルスカ

愛餐会

礼拝後、恒例の愛餐会がリニュウアルされた礼拝堂で行われました。皆んな久しぶりの礼拝堂の雰囲気を懐かしんでいました。

 

記念撮影です、この日が待ち遠しかったです。

   

4月12日の料理クラブの報告

4月12日13:00教会玄関脇のハナミズキが、
ほころび始めた穏やかな心地よい春の土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは「イチゴケーキ」を作りました。

最初にお祈りをして料理クラブはスタートします。

今回もグループに分かれての作業でした、デモンストレーションの後、グループごとに、材料の計量をし、ハンドミキサーでしっかりしたメレンゲを作りと・
・・・、
細かい作業が続きます、
18㎝の丸型に流しいれ、スポンジ生地はオーブンの中へ。

次はデコレーションの準備です、イチゴはスライスをして、クリームはホイップして、香ばしく焼き上がったスポンジも冷めてからスライス、そしてグループごとのデコレーションに力が入ります。

吉村先生から聖書日課を聞かせていただいた後、
完成した力作ぞろいの「イチゴケーキ」は、楽しいおしゃべりと一緒に美味しく頂きました。

パイヴィ先生からは、フィンランドのイチゴの楽しみ方や、
子供の頃のアホマンシッカ(野生のイチゴ)の思い出などを、
楽しく聞かせていただきました。

次回のスオミ教会料理クラブは5/10を予定しています。

3月8日のスオミ教会家庭料理クラブの報告

真冬の気温の中にも、春の日差しを感じられた土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは『プッラ』を作りました。

今回は、プッラの中でも代表選手のシナモンロールを、
カレンツを巻き込んで、可愛く焼き上げました。

最初にお祈りをしてレッスンは始まります、
今回は4グループに分かれて、
材料を計り、生地を捏ね、
発酵を待ち、成型に苦心し、
フロアタイムの頃には、参加の皆さまの熱意でしょうか、
室温だけで発酵がきれいに進み、可愛いプッラが出来上がりました。

聖書の「マタイによる福音書」(6章25節~34節)
を読んでいただき、試食タイムは始まりました。
グループごとに盛り付けられた可愛いプッラ達は、
コーヒーや紅茶と一緒に美味しく頂きました。

参加の皆さま、お疲れさまでした!!!

次回のスオミ教会家庭料理クラブは4月12日13:00~を予定しています。

 

2月8日の料理クラブの報告

8日の料理クラブは、大雪のため残念ながら中止になりました、
次回料理クラブは3月8日になります。

詳細が決まりましたら、スオミ教会HPに掲載します。

スオミ・キリスト教会 通常総会

総会については後日整理してご報告致します。

説教:大柴 譲治(武蔵野教会)牧師

 

本日はスオミ・キリスト教会の総会のために礼拝司式を吉村博明宣教師、説教と聖餐式を当教会の主管牧師の大柴先生にお願い致しました.

 

020214 スオミ教会総会主日 礼拝説教「地の塩、世の光として生きる

 大柴 譲治

イザヤ書58:1-10

1喉をからして叫べ、黙すな/声をあげよ、角笛のように。わたしの民に、その背きを/ヤコブの家に、その罪を告げよ。2彼らが日々わたしを尋ね求め/わたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として/彼らがわたしの正しい裁きを尋ね/神に近くあることを望むように。 3何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。 4見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない。5そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。 6わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。 7更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。 8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。 9あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら 10飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。

 

コリントの信徒への手紙 一 2:1-5

1兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 2なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 3そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 4わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 5それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

 

マタイによる福音書 5:13-16

13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

 

 

<はじめに>

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

<「あなたがたは地の塩、世の光である。」>

 本日はスオミ教会の総会です。本日与えられた福音書の日課は、山上の説教からあの有名な「地の塩、世の光」というみ言葉です。主イエスは「あなたがたは地の塩、世の光になりなさい」と命じておられるのではありません。「あなたがたは地の塩、世の光である」と宣言しておられるのです。このような私たちが「地の塩、世の光」? こう言われると私たちの中には、「滅相もありません! 私たちには荷が重すぎます」と言いたくなるような気持ちが生じます。自分自身のことは自分が一番よく分かっているからです。主ご自身もそのことは私たち以上に分かっていたことでしょう。弟子たちの人間的な弱さや不信仰、裏切りをも分かった上で、主イエスは12人をおそばにおかれたのです。それは自分が呼び集めた弟子たちを「地の塩、世の光」としてこの世で用いるためでした。

 「塩」には防腐剤としての役割があり、「光」には闇を照らす灯台としての役割がありますので、「あなたがたは地の塩、世の光である」という宣言は、私たちキリスト者がこの世界が腐って滅びることのないように防腐剤としての役割、嵐の中で船が難破しないように方向を指し示す灯台として役割が託されて、この世の中に置かれているということを意味していましょう。私たちを通して主は、そして父なる神はこの世界を守ろうとされているのです。

 主イエス・キリストが私たちをそのように見ていてくださる!イエス・キリストが私たち一人ひとりにそのような「役目(務め/使命/ミッション)」をお与えになられたのです。その務めについて思いを馳せるのが本日の総会礼拝の目的です。

 

<イザヤ書58章における「使命」>

 本日の旧約聖書の日課であるイザヤ書58章にはそれがより具体的に示されています。1-2節にはこうあります。「1喉をからして叫べ、黙すな、声をあげよ、角笛のように。わたしの民に、その背きを、ヤコブの家に、その罪を告げよ。 2彼らが日々わたしを尋ね求め、わたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として、彼らがわたしの正しい裁きを尋ね、神に近くあることを望むように

 私たちが神によって求められていることは「黙することなく、角笛のように高らかに声を挙げて、罪を告げること」なのです。「お前たちが今しているような断食によっては/お前たちの声が天で聞かれることはない

。そして神が私たちに求める「真の断食」「真の苦行」とは、6-10節に記されているような「あわれみのみ業」を指しています(6-10節)。

 

6わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。 7更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。 8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。 9あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら10飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。

 

<「最も小さき者の一人にしてくれたのはわたしにしてくれたこと」>

 このイザヤ書58章の言葉は、私の中ではマタイ25章の主イエスの言葉と重なります。そこで主はこう言われています。

 

31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 33羊を右に、山羊を左に置く。 34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 

 

<「地の塩、世の光」としての役割〜遠藤周作『女の一生』>

 私たちが「地の塩、世の光」として何を託されているかというと、このように困窮の中にある者たちに具体的に「愛のみ業を行うこと」なのです。

 私は遠藤周作の『女の一生』という作品の中の第二部に出てくるエピソードを思い起こします。それはアウシュビッツでのコルベ神父についてのエピソードです。場面は第二次大戦中、アウシュビッツの強制収容所。そこには日本にもいたことのあるコルベ神父が自分のパンを倒れた者に与えてゆく場面が描かれていました。「ここは地獄だ」とつぶやくヘンリックという名の囚人に対してコルベ神父は言います。「ヘンリック、ここはまだ地獄ではないのだよ。地獄とは愛のない場所なのだ。ここにはまだ愛がある」と言って、ヨロヨロとコルベ神父は倒れた人の所に歩み寄り自分のパンを与えてゆくのです。

 「地獄とは愛のないところ」という思想は17世紀に書かれたジャン・バニヤンの『天路歴程』にもあるように、欧米を一貫して貫いてきたモティーフのようです。それに対して、愛を実践して行くところに闇の中に灯火がともされてゆくのです。「あなたがたは地の塩、世の光である」という言葉の通り、困難な現実の中で必死になって被災者のために働いている方々のことを覚えます。

 

<聖餐への招き>

 本日私たちは聖餐式に与ります。「これはあなたのために与えるわたしのからだ」「これはあなたの罪の赦しのために流すわたしの血における新しい契約」という主の声と共に差し出されるパンとブドウ酒。この主の食卓こそが、十字架の出来事がすべて私たちのためであったということを表す「神の愛のみ業」なのです。「神はその独り子を賜るほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)という神の真実の愛を表す出来事なのです。私たちは主の尊い血潮によって罪を贖われている。実はイエス・キリストこそが私たちを覚醒させ、神に向かって悔い改めさせ、正しい道へと導く、まことの「地の塩、世の光」なのです。私たちが真の「断食」を求められているのに、み子なる神が私たちのために自らを「犠牲

として差し出してくださったのです。ここに愛があります。「地の塩、世の光」としてこの地上に降り立ってくださったキリストによって、私たちは清められている。そしてそのキリストご自身によって「地の塩、世の光」として用いられてゆくのです。この世界が腐ってゆかないように、滅びてゆかないようにと用いられてゆくのです。月曜日から土曜日まで私たちが遣わされている具体的な日々の生活の中で、「地の塩、世の光」として用いられてゆくのです。

 ご一緒に何ができるかを本日の総会を通して考えてまいりたいと思います。お一人おひとりの上に主の祝福がありますように。このスオミ教会を通して神の御心が実現されますように。そして、ただ神にのみ栄光がありますように。アーメン。

 

<おわりの祝福>

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

 

1月11日の料理クラブの報告、「カルヤランピーラッカ」

2014年の年明けのスオミ教会家庭料理クラブは『カレリヤンピーラッカ』を作りました。

北風の強い土曜日の午後、吉村先生のお祈りから料理クラブはスタートしました。最初はピーラッカの生地作りです、材料を計量して、生地を捏ね、ピーラッカ専用の麺棒で丸く薄くのばしていきます、初参加の方がほとんどでしたが、丸くきれいな生地が手早く出来てビックリしました。

プーロ(ミルク粥)を包む作業は、ちょっと大変でしたが、2~3個作るとスムースに作業が進み、高温のオーブンで焼き上げ、ミルクバターを塗ってカレリヤンピーラッカは完成しました。

卵バターをのせて、出来たてのピーラッカの試食後、馬蹄型の錫での占いや、花火、新年の迎え方、最近のお正月の食卓など、パイヴィ先生からフィンランドの新年の様子を聞かせていただきました。

次回のスオミ教会家庭料理クラブは、2月8日に開催を予定しています。