3月10日の家庭料理クラブのご報告

咲く花は春なのに、吹く風は冷たく、フィンランドの春を感じるような土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「カレリアンピーラッカ」を作りました。
最初にお祈りをしてスタートです。

今回は、九州~の参加のご家族を含めて、参加は16名、牧師館は賑やかな雰囲気に溢れ、生地を作り、伸ばし、プーロをのせて形を作り、着々と作業が進み、鉄板に乗せたピーラッカは、 オープンで次々と焼かれました。
 トッピングは、サーモンとディル、たまごバターが用意され、コーヒーや紅茶と一緒に、賑やかな試食タイムとなりました。

ピーラッカだけや、具材をのせて、オープンサンドふうにしたりと、バリエーション豊富な食べ方を教えていただき、焼きたてのピーラッカに沢山の手が延のびていきます。

一段落してから、ピーラッカの話や聖書のお話を聞かせて頂きました。

参加の皆さま、最後まできれいに後片づけしてくださり、ありがとうございました。

 

2018年3月10日カルヤラン・ピーラッカ、パイヴィ先生

カルヤラン・ピーラッカは、フィンランドの東にあるカルヤラという地方から始まった食べ物です。第二次大戦でカルヤラ地方の一部はソ連に取られたので、そこに住んでいた人々は自分の故郷を去らなければならなくなり、フィンランドの各地に移住しました。それで、カルヤラン・ピーラッカはカルヤラの人々を通してフィンランド全国に広がりました。フィンランド人は最初、カルヤラン・ピーラッカをそれほど美味しいとは思いませんでした。というのは、彼らはパンとおかゆは別々に食べるものと考え、カルヤラン・ピーラッカのように二つを一緒にした食べ物には馴染みがなかったからです。それでも、フィンランド人もだんだん食べるようになって、いつの間にか全国に広がって行きました。そして、かつてカルヤラン・ピーラッカはカルヤラ地方の伝統的な食べ物でした。それがフィンランド全国にとっても伝統的な食べ物になったと言える位、とても一般的な食べ物になりました。カルヤラン・ピーラッカは、普段の日にも、お祝いの時にも出されます。また、フィンランドのどの食料品店でもカフェでも買うことができます。

カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、普通の家庭料理で使われるものばかりです。パンを作る時に使うライ麦粉で、皮を作ります。皮の中にいれるのは米のお粥ですが、フィンランドでは昔から、お米はお粥にして食べていました。こうして、カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、戦争の後、食糧が不足していた時でもほとんどの家にありました。このように特別な材料ではなく、どの家にもある材料で美味しいものが出来るのは大事です。カルヤラン・ピーラッカはまさにその一つです。カルヤラン・ピーラッカを作るとき、難しいことは、皮になる生地を伸ばすことと、中身の回りに皮をしめていくことです。カルヤラ地方の人たちは、カルヤラン・ピーラッカを作るのがとても上手です。フィンランドでは、毎年夏になるといろいろなお祭りやイベントが開催されますが、カルヤラン・ピーラッカを上手に作る競争もあります。そこでは、誰が一番早くて、きれいなカルヤラン・ピーラッカを作れるかが競われます。いつもカルヤラ地方出身の人が優勝します。カルヤラ地方の人たちにとって、きれいなピーラッカが出来るのは当たりまえのことなのです。他の地方のフィンランド人はなかなかきれいなピーラッカを作れませんが、練習すれば上手になります。

料理クラブの案内にも書きましたように、カルヤラン・ピーラッカは、そのまま食べてもいいし、バターやマーガリンをぬって食パンのように食べてもいいし、チーズやハムや切った野菜やスモークサーモンをのせてオープンサンドにしても美味しく食べられます。あと、フィンランドではゆで卵をすりつぶしてバターを混ぜた「卵バターmunavoi」を塗ったりします。このように色とりどりのバリエーションが楽しめるので、パーティーやお祝いの時にも出されます。カフェや食堂でもサンドウィッチと一緒に並んでいます。普通の家にある、高くない材料から、こんなにいろんな、色とりどりの食べ方が出来て、フィンランドの代表的な食べ物になったというのは驚きです。ところで、イエス様は、野の花の美しさについて次のように述べています。「栄華を極めたソロモン王でさえ、野の花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなにも美しく装って下さる」(マタイ6章2830節)。お金をかけた豪華な食事がソロモン王の衣装と同じとすれば、カルヤラン・ピーラッカは神様が装ってくれる、美しい野の花と同じなのかもしれません。

聖書の神様は、何もないところから素晴らしいものをお造りになれる方ですが、そのことは聖書の最初から出てきます。天地創造の出来事です。神様は、何もないところに向かって、「光あれ」と言って光を造られ、同じように天と地それに海を造られました。それから草や木、太陽と月と星、生き物、そして最後に人間を造られました。神様は、自分が造られたものひとつひとつを確認して、良いものであると言いました。天地創造の時つくられたものは皆、神様の目にかなう良いものだったのです。

聖書の神様は、何もないところから素晴らしいものを造るだけではありません。素晴らしいものが素晴らしさを失ってしまった時でも、再び素晴らしさを持てるように助けて下さる方なのです。人間は初めは良いものとして造られましたが、罪を犯すようになって、神様の栄光の輝きを失い、神様のもとから離れなければならなくなってしまいました。そこで神様は、人間が再び素晴らしさを持てるために何をしたでしょうか?まず、ひとり子のイエス様をこの世に送られました。そして、人間が罰を受けないで済むようにと、人間の受ける罰を全部イエス様に負わせて、十字架の上で死なせました。このイエス様を受け入れた人は、素晴らしさを再び持てるようになり、神様を目指して歩むようになったのです。

このように神様は、何もないところから素晴らしいものを造られ、さらに、素晴らしいものが素晴らしさを失わないように助けて下さる方です。このような神様がいる人は、自分は野の花くらいと思っていても、実際は栄華を極めたソロモン王以上に装ってもらえるのです。豪華でなくても豊かにして下さいます。こんなに素敵な神様は他にいるでしょうか。

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