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私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
1. はじめに
「二正面作戦」などとはきな臭い言葉ですが、これはもちろん、イエス様が何か軍事的な活動を行ったということではありません。それでは、何が二正面作戦なのかと言うと、イエス様は本日の福音書の箇所で、二つの大きな敵に前方と後方の両面で遭遇しながらも、瞬く間に双方を打ち倒したということです。イエス様が遭遇した二つの敵とは一体、何だったのでしょうか?本日の福音書の箇所を少し前後をひろげてみて、その中に本日の箇所をおいてみると、いろんなことが見えてきます。そういうわけで、まずはマルコ福音書に沿って出来事の流れをみていきましょう。
2. マルコ2章1-12節 ― イエス様の宣教の転換点
ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたイエス様は、ユダヤの荒野で悪魔から試練を受け、それに打ち勝ちました。その時、洗礼者ヨハネがガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスに捕らわれたとの報が伝わり、イエス様は、そのガリラヤ地方に乗り込みます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、良い知らせを信ぜよ」と宣言し、そうしてイエス様の宣教活動がいよいよ始まります。シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人の漁師を最初の弟子に召し出しました。以上は、マルコ1章20節までの出来事です。本日の箇所の理解のためには、そこから先の流れをよく注意してみる必要があります。
マルコ1章21節で、イエス様はガリラヤ湖畔の都市カファルナウムに入ります。そこでは、出来事に満ちた長い一日が待っていました。イエス様は、まず会堂の安息日の集会で会衆に教えます。会衆は、その教えが律法学者とは異なった権威を持つ教えであると気づき、驚嘆します(22節)。会堂には汚れた霊にとりつかれた男がいましたが、イエス様は男から霊を追い出します。会衆は一層驚嘆し、イエス様の教えは「力を伴った新しい教え」だと口々に言います(27節)。この出来事がもとでイエス様の評判は、たちまちガリラヤ地方の全域に広がります(28節)。
会堂から出たイエス様は、4人の弟子たちとすぐシモンとアンドレの家に行きます。そこで、シモンの病気のしゅうとめを癒します(29-31節)。ところが、日が沈むころまでには、大勢の人々が病人や悪霊にとりつかれた人を大量に連れてくるようになり、さながら家の前にカファルナウムの全住民が押し掛けたような状態になりました。それでも、イエス様は彼らを癒され、悪霊を追い出しました(32-34節)。ここで初めてイエス様の大量癒しが始まったのです。
35節によると、イエス様は朝とても早い時刻に家を出て、祈るために人気のない所に抜け出しました。イエス様の癒しの業はほぼ徹夜で続けられたのでしょう。後を追ってきた4弟子がイエス様に言います。群衆があなたを探しています、と。なぜ群衆がイエス様を探しているかというと、それは明らかに癒してもらうためであります。そのことはイエス様の次の言葉からもうかがえます。「別のところへ行こう。宣べ伝えができるように近隣の町や村に行こう。そのために私は家を出て来たのだから(38節)。」つまり、イエス様としては、教えを宣べ伝えることを主眼としているのに、人々は癒しを受けることを主眼にしている。もちろんイエス様は、一貫して癒しの活動を続けますが、彼としては、教えあっての癒しでなければならない。それなのに、どうも人々の方はなんでもいいから癒しを先にして下さい、という状況があったことが見えてきます。
39節によると、イエス様はガリラヤ地方全域の会堂を回って、教えを宣べ伝え、悪霊の追い払いをしたとあります。その時起きた出来事として、らい病患者の癒しがあります。「宣べ伝え第一主義」のイエス様でしたが、患者のあまりにも切ない、へりくだった嘆願に心を動かされて彼を癒します(40-41節)。癒された男にイエス様は命じます。「誰にも何も言うな、黙ってモーセ律法の規定通りに(レビ記13章49節、14章2-4節)体を祭司に見せて清めの儀式を執り行ってもらいなさい」と(43-44節)。イエス様が誰にも言うなと命じたのは、「宣べ伝え第一主義」の方針に立っていたので、癒しを目的に群衆が押し寄せる事態は避けたかったのでしょう。しかし、癒しを受けた人は、イエス様の命令を聞かず、出来事をおおっぴらに広めてしまいます。その結果、町の中にいても外に退避してもどこにいても、一層大勢の人たちがイエス様のもとに集まるようになってしまい、結局はカファルナウムに戻ってきてしまいます。そこで本日の福音書の箇所である2章1-12節が始まるという次第です。
イエス様は、ある家に入られますが、家の中も周りも全て人、人、人でぎっしり埋めつくされています。それでも、人々を前にイエス様は教えを宣べ始めました。集まった人たちの中には、健康で特に癒しの必要がなく、ただ教えを聞くために来た人もいたでしょう。しかし、今までの流れからみて、大半は癒しを必要とする人たちや彼らを運んできた人たちであったことは明らかです。彼らは黙って教えを聞いていますが、いつ癒しが行われるかと、それを今か今かと待っています。まさにその時、4人の男が全身麻痺状態の病人を寝床ごと運んできました。しかし、大勢の人に遮られてイエス様に近づくことができません。そこで、彼らはなりふり構わず、屋根に上ってそこに穴をあけて、そこからイエス様のもとに寝床ごと吊り下ろすという挙にでたのです。教えを中断することを余儀なくされたイエス様でしたが、5人の男たちが彼なら必ず治せると信じきっていて一寸も疑っていないことを目のあたりにしました。まだ十字架と復活の出来事が起こる前のことですが、イエス様は男たちが自分に寄せる絶大な信頼に、信仰のあるべきかたちを見出したのであります。教えを中断したイエス様は、吊り下ろされた男と向き合いました。
そこでイエス様の口から出た言葉は、意外にも癒しの言葉ではありませんでした。それは、「お前の罪は赦される」という罪の赦しの宣言でした。この時点では、男はまだ寝床に横たわったままです。さて、これは一体どういうことか?今まで大勢の人々を癒してきたのに、何も起きないではないか?自分たちは癒しを受けるために、ここに来たのに。人々がそう反応するかしないかという時に、意外な展開が始まりました。その場にいて様子を窺っていた律法学者たち、モーセ律法などイスラエルの聖典を研究し解説するのを職業とする律法学者たちが、イエス様に難癖をつけ始めたのです。罪を赦すことができるのは神をおいていないのに、この男は自分を神と同等の地位に置いた、神を侮辱するものである、と。
その後の展開は、本日の福音書の箇所に記されている通りです。結果的に男の人は癒されます。しかし、大事なことは、イエス様は、それまで会堂での悪霊追い出しや、シモンのしゅうとめやらい病患者の癒しの時のように、即座に癒しを与えなかったということです。これまで見てきたように、イエス様は教えを宣べ伝えることを第一に考えていました。ところが、評判が広まれば広まるほど、人々は癒しを受けることを第一にして集まってきました。その繰り返しが、本日の箇所で一段落します。注目すべきは、本日の箇所の前では、「イエス様は教えられた」と書かれてはいても、教えの内容には全く触れられていませんでした。マルコの記述は、イエス様は教えかつ癒したが、人々は癒しを求めては集まり、その度にイエス様は場所を変えて教え癒し、そしてまた人々が集まってくるという繰り返しが中心でした。それが、本日の箇所の後では、教えの内容が詳しく記されるようになるのです。本日の箇所の直後に、イエス様はなぜ罪びとと会食するのかという議論があります(2章15-17節)。それに続いて断食の是非についての論争(18-22節)、安息日の意味についての論争(23節から3章6節)があります。その後も、ベルゼブル論争、イエス様の真の家族についての教え、「種まき人」をはじめとするたとえを用いた教え、というふうにイエス様の教えの内容を前面に出す記述が続いて行きます。
本日の箇所の前でイエス様の教えの内容が記されていないというのは、実際に人々が教えよりも癒しを求めたという当時の雰囲気を表していると言えます。それが、本日の箇所から後は教えの内容が詳しく記述されるというのは、本日の箇所の出来事をきっかけとして、人々の間でイエス様の教えそのものが注意して聞かれるようになったことを反映していると言えるでしょう。
そのようにしてみていくと、本日の福音書の箇所は、イエス様というのは、単に病気を治してくれるありがたいお方という程度をはるかに超えたスケールの持ち主であるということ、そのことに人々の目を向けさせる転換点になっていると言うことができます。それでは、このマルコ福音書の最初の大きな転換点をなす本日の箇所の出来事ですが、そこで一体何が起こったのでしょうか?イエス様が同時に二つの敵を相手にそれを見事に打ち負かしたというのはどういうことでしょうか?これから、そのことをみてまいりましょう。
3. 第一の敵 人間の自己中心的な信仰
イエス様が直面した敵として、まず、人間の自己中心的な信仰がありました。イエス様は、これを神を中心とする信仰に置き換えようとしました。以下このことをみていきます。
イエス様の時代のユダヤ教社会では、人間の罪が病気の原因になると考えられていました。ヨハネ9章で、弟子たちがイエス様に、生まれつき目が見えない人を指さして、あれは本人が罪を犯したからそうなったのか、それとも先祖が犯したからなのか、と尋ねたことがありますが、まさにそうした考えを表しています。このような考え方が問題なのは、それでは今健康な人は罪と無縁な人間ということになってしまいます。そんなことはありえなのに、こんな考えでいたら、健康な人は、自分を造ってくれた創造主の神と自分の関係について真剣に考えることはないでしょう。また病気の人の立場から見ても、いくら罪の赦しを宣言してもらっても、病気が治らなかったら、罪の赦しは本当ではなかったということになってしまいます。本日の箇所のイエス様は、まさにそのような状況に置かれたのです。「お前の罪は赦される」と宣言しました。しかし、男はまだ横たわっています。もし律法学者が騒ぎ立てなかったならば、周りの人たちが騒ぎ立て始めたでしょう。なんだ、何も起こらないじゃないか、と。これがまさに、信仰が人間の自己中心的なものになっていることであります。
信仰が人間の自己中心的なものになっているというのはどういうことかと言うと、人間の側からすれば、まず病からの癒しが最初に起きなければならない、それを目で見ないとまだ本当だとは信じない、ということが普通です。ところが、イエス様はまったく逆の順番を考えていました。まず罪が赦されなければならない、健康であろうが病気であろうが、そっちが先に来なければならない。罪が赦されてはじめて、病気その他の外的な条件の改善を神にお願いするという順番です。まさに、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」とイエス様が教えた通りです(マタイ6章33節)。それでは、罪を赦されて、神にお願いしたら、神はお願いを聞いてくれるのか?お願いしたものと違うものだったらどうなるのか?そういう疑問に対して、神を中心にする信仰は、次のように答えます。「罪を赦して下さった神が与えて下さる解決であれば、なんでも受け入れるに値するに違いない。自分にとって一番いいものを知っているのは自分ではなく、自分を造られ、そして自分の罪を赦して下さった神なのだから」。こうなると、外的な条件が自分の希望する形で解決改善しなくても、人生は終わったとか無意味だとか、そんな思いにはなりません。罪が赦されるということが、自己中心的な信仰を、神を中心とする信仰にかえるのです。
なぜイエス様は、罪とか神への不従順というものが赦されることがまず初めに来るべきと考えたのでしょうか?それは、罪や不従順が人間にとっての最大の病だからであります。最大の病というのは、これらから癒されない限り、人間は永遠に終わらない滅びの中に入ってしまうという呪われた状態を引きずってしまいます。反対に、この病から癒されると人間は、呪われた状態から解放され、神との結びつきを持ってこの世の人生を歩むことができるようになり、万が一この世から死んでも、その時は自分の造り主である神のもとに永遠に戻ることができるようになります。
それでは、どうしたら人間はこの最大の病から癒されることができるのでしょうか?人間は、自分の力で罪と神への不従順を除去することはできません。というのは、人間は神の神聖な意志を全うしたり体現することができないからです。神が人間に対して守りなさいと与えた十戒があります。しかし、それも、使徒パウロが教えたように、人間がどれだけ神聖な神からかけ離れた存在であるかを明らかにするだけです(「ローマの信徒への手紙7章」)。人間は、それくらい根深く罪と神への不従順に取りつかれているのです。神としては、人間が癒されて霊的に健康になってほしい、そして自分との結びつきを持ってこの世の人生を歩めるようになってほしい、万が一この世から死んでも永遠に自分のもとに戻れるようになってほしい、そう願っているのですが、人間は自分の力ではどうすることもできません。
そこで神は打開策として、次のような挙に出ました。まず、ひとり子イエス様をこの世に送りました。そして、人間が知っていてか知らないでか背負っているもの、つまり罪と不従順の行きつく先にある悲惨、これを人間に代わって全部イエス様に引き受けさせました。つまり神は、ひとり子イエス様を呪われた者に仕立てて(ガラテア3章13節、第二コリント5章21節)、人間の身代わりとして本来人間が受けるべき罪と不従順の罰を彼に受けさせたのです。これがゴルガタの丘の十字架の上で起きたことでした。さらに神は、十字架の上で死んだイエス様を三日目に復活させて、永遠の命に至る扉を人間のために開いて下さいました。私たち人間は、これらのこと全てが自分のためになされたのだとわかって、それでイエス様こそ自分の救い主だと信じて洗礼を受けると、神の方では、イエス様の身代わりの犠牲に免じて人間を赦して下さるのです。このように神から「罪の赦しの救い」を受け取った人間は、神との結びつきを持ってこの世の人生を歩むこととなり、順境の時にも逆境の時にも絶えず神から良い導きと守りを得られ、万が一この世から死ぬことになっても、その時は自分の造り主である神のもとに永遠に戻れるようになったのです。これが、人類最大の病から癒さるということです。
イエス様が全身麻痺の男に「お前の罪は赦される」と宣言したことは、お前は全身麻痺の状態であっても人類最大の病から癒されるということを意味していたのです。それは、人間の自己中心の信仰を神中心の信仰に置き換える出来事でした。もちろん、イエス様なら必ず癒して下さると一途に信じることも信仰ですが、そういう信仰は、もし癒しが起きなければ大きな壁にぶち当たってしいます。しかし、外的条件の解決改善が自分の願った通りに実現するかしないかに関係なく、「罪の赦しの救い」は確実にあるという信仰は、神を中心とする信仰です。イエス様は、ここで、彼の助けを求めて集まってくる人たちの信仰を、神を中心とする信仰に転換させようとしているのです。しかし、罪の赦しの宣言を受けた男はまだ横たわったままです。目に見えた効果がありません。イエス様の言葉には力がなかったのか?ただの口先だけの宣言だったのか?群衆は一瞬沈黙状態になります。その時、律法学者が割り込んできました。人間の自己中心的な信仰に続いて、イエス様が神のひとり子であることを否定する不信仰が立ち現われます。これが第二の敵です。
4. 第二の敵 不信仰
イスラエルの聖典に照らし合わせれば、そこには病気からの癒しの奇跡もあるし、神の意志を宣べ伝える預言者もいるので、イエス様の奇跡の業や教え自体が聖典に反するということにはなりません。律法学者にすれば、今評判になっている奇跡の業をこの目で確かめてみたいでしょうし、イエス様の教えがこれまでの律法理解とどう違うっているのか、違うとすれば何を根拠にそう主張するのか、職務上、しっかりみなければならなかったでしょう。ところが、罪の赦しを宣言して、自分を神と同等の地位に置いたというのは、もう行き過ぎ以外の何ものでもありません。
そこで、イエス様が神のひとり子であることを否定する彼らの不信仰に対して、イエス様の反撃が始まります。イエス様は、律法学者に向かって問いただしました。この横たわっている男に、「お前の罪は赦される」と言うのと、「起きて、床をかついで歩いてみよ」と言うのとでは、どちらが簡単なことか?これは、答えることが困難な質問であります。「罪を赦す」というのは、前にも申しましたように、人類最大の病を癒すということですから、立てない人を立てるようにする癒しとは比べものにならない大治療です。簡単にできる治療ではありません。その意味では、「罪の赦し」の方が難しいのは明らかです。しかし、罪の赦しというのは、全身麻痺が治るのとは勝手が違って、目に見えた形では治癒は見えません。ただ口先で言って済んでしまうことも可能です。誰も目で確認できないのですから。その意味では、罪の赦しを言うこと自体は、簡単なことであります。問題は、罪の赦しの言葉が実質を伴ったものか、それとも空虚な言葉にすぎないのか、判別できないことにあります。立てない者に「立て」と言う場合は、言葉が実質を伴っているか空虚なものか、これはすぐ判別できます。もし立てなかったら、言葉は空虚だったとわかり、まやかしだと笑い者になるだけです。それで、常識的には、癒しの言葉の方が言うのが難しいということになります。しかし、人間にとって本当に解決しなければならない問題である罪の赦しの方がはるかに難しい問題です。
こうして問題の焦点は、言葉が実質を伴っているか、それとも空虚なものか、それをどう判別できるのかということに絞られていきます。ところが、その決め手がないので答えようがありません。そこでイエス様は、親切にもその決め手を提供します。自分の発する言葉はいつも必ず実質を伴っていることを示すために、全身麻痺の男の癒しがちょうど良い機会となりました。イエス様は、まず律法学者の方を向いて言います。「お前たちが、人の子はこの世で罪を赦す権威を持っていることをわかるように」。そうと言って、今度は横たわる男に向かって命じます。「起きて、床をかつぎ、家にとんで帰りなさい」。そしてその通りのことが起きました。
このようにして、イエス様は、自分の発する言葉は、目には効果が見えない場合でもいつも必ず実質を伴っていることを示しました。つまり、罪の赦しを与える権威を持つことを目に見える形で示されたのです。これによって、イエス様が神のひとり子であることを否定する不信仰は一挙に根拠を失ってしまいました。同時に、罪と不従順の赦しが、人間の命と生きることにとって根本的なことであることも明らかになりました。こうして、人間の自己中心的な信仰が神を中心とする信仰に取って代わられることが始まったのであります。
5. おわりに
以上、イエス様が本日の箇所の出来事において、二つの敵、一つは人間の自己中心的な信仰、もう一つは彼が神のひとり子であることを否定する不信仰、これら二つを一挙に打ち倒したことが明らかになりました。ところでルターは、私たちが真の希望を持てるかどうかの鍵になるのは「忍耐」と「聖書から得られる励まし」の二つであると教えています。この二つは、神中心の信仰にとっても鍵になりますので、最後にルターのこの教えを引用して、本説教の締めとしたく思います。
「使徒パウロは、ローマ15章4節で、『忍耐』と『聖書から得られる励まし』の二つを結びつけている。聖書そのものは、我々を労苦や逆境そして死から解放してくれない。むしろ、聖書は我々が神聖な十字架の重荷を背負うようにと宣言する。だからこそ、忍耐が必要になるのである。しかし、我々が忍耐の必要性を自覚するや否や、聖書は労苦の只中にある我々を励まし強めてくれるものになる。それで我々の忍耐は萎れてしまうことなく、逆境の中をよく進み、最後には勝利に導いてくれるのである。聖書を通して神から「あなたと共にいて守ってあげよう」という励ましの言葉を聞くと、我々は喜びに満たされ勇気を与えられて、心をヘリ下させて苦難に臨むことができるのである。
忍耐強くあることは必要不可欠である。なぜなら、我々のこの世の人生の歩はつまるところ、我々の内にあって永遠の死に定められた古いアダムを日々死なせていくという課題をこなしていくことだからだ。その課題の日々にあって我々は、来るべき永遠の命というものを見ることも感じることもできない。だからこそ、我々には、忍耐強くしっかり自分を繋ぎ止めるものがなければならない。来るべき永遠の命がそれである。永遠の命は聖書の神の御言葉の中にあり、また御言葉は永遠の命そのものである。だから、我々は御言葉をただ信頼して、その中にしっかり留まるようにすればよいのである。そうすれば我々は、あたかも大きな安全な船に乗って、この世の人生を通って永遠の命の人生に向かって進む航海に連れて行ってもらえるのである。まさに、忍耐強く御言葉に留まる者は希望を失わないと言われる所以である。
聖書というものは、我々が苦難や悲しみの中にある時、また死に直面した時、我々を励ますままに任せるならば、正しく用いることになる。まさにそれゆえ、苦難や死について何も知らない者は、聖書から得られる励ましについても何も知りうることができないのである。この励ましは、字面だけからでは習得できない。経験と結びつかなければ習得できないものである。」(注)
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン
(注)ルターは、ローマ15章4節をもとにしてこの教えを宣べていますが、彼の教えはギリシャ語原文の忠実な訳に基づいて編み出されています。ところが、新共同訳、英語のNIV,訳、フィンランド語訳の聖書では原文がかなり崩されてしまっていて、このような教えが見えにくくなっています。ルター訳のほかにギリシャ語原文に忠実な訳をしているものは、スウェーデン語訳とドイツのEinheitsübersetzung訳があげられます。どういうことか詳しくお知りになりたい方は、gro.i1761466154akuoy1761466154kimou1761466154s@ihs1761466154ukob1761466154までお問い合わせ下さって結構です。
主日礼拝説教 2015年2月8日 顕現節第6主日 2月8日の聖書日課 マルコ2章1節-12節、ミカ7章14節-20節、第一コリント9章24-27節
今日与えられている福音書でマルコは、イエス様が弟子とされたペテロの姑の癒しの話を記しています。1章29節から34節までを見ますと、読んだだけでわかります。30節
「シモンの姑が熱を出して寝ていたので人々は早速彼女のことをイエスにはなした。イエスがそばに行き手をとって起こされると熱は去り彼女は一同をもてなした。」マルコは、まことに簡潔に書いています。16節から20節のところではシモン・ペテロとアンデデレそして、ヤコブとヨハネの2組の兄弟をイエス様は弟子に招かれました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。こうして、イエス様の弟子となった者は、みな、それまでの仕事をやめて、家族とも別れて、イエス様の伝道の働きに従って行ったわけです。イエス様は、彼らのこと、彼らの家族のこともちゃんと心にとめていかれている事が、このペテロの姑の熱を出していることを知ってかけつけて、癒されたことで、よくわかります。
ここの記事を読むたびに、私はガリラヤのカナペウムの町を訪れた時のことを思い出します。4月のはじめの暖かい春風の吹く時でした。あたり一面、菜の花が黄色一色に咲き乱れていました。ちょっと上を見上げると、そこには山上の垂訓の教会が見えます。目の前はガリラヤの湖であります。おだやかな漁師の村であります。山上の垂訓の教会は小高い丘の上にあります。そこで、イエス様は大切な「教え」をなさったのです。その「教え」はマタイ福音書の5章~7章に記されています。さて、イエス様が手を触れられただけで姑の熱はたちまち下がり、みんなは、おもてなしをしたのです。考えてみますと、それは何かとてつもなく大変なことが起こっているのではない。ごくごく日常生活の只中で、ペテロの姑の熱を下げられた。いう、ただそれだけの事でありますが、マルコはここに、どうして記ししたのでしょうか。
続いて32節を見ますと「夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取り付かれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒し、また多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。」ここで、わかりますように、イエス様は、とにかく大勢の人たちを癒されたのです。そして、とても誰もなし得ないような悪霊を追い出されたのです。ここで1つ注目しなければならないのは、イエス様は病気を治すことだけをなさったのではありません。それ以上に大切に行われたのは神の御国の福音の「教え」されていった、ということです。マルコはこの一点を私たちにメッセージとして語っているのです。1章14節でイエス様はガリラヤでの福音宣教の第一声をあげられています。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」時は満ちた。神の国は近づいた歴史の終わりの日が近づいた、終末が来るとユダヤ人たちは、その時に神が神としての御姿を顕わして、新天・新地を創造し生ける神の支配が実現するのだ、と信じていたのですが。今、イエス様はもう、ここに、その時が来ているのだ。神が臨在しておられる。人々がその神との生ける交わりの中に、自らを見出すことができるのだ。そのためには、神の御前に立つにふさわしい自分自身の姿を悔い改めなさい。このように宣言しておられるのです。
ここで、大事なのはイエス様が次のように言っておられる、ということです。時間の流れの上では歴史の終末が来ているのではない。いわば、歴史の真只中にある「今日」という日、この歴史内の具体的な日常生活は、すでにイエス様が来られたからには終末の日、最期の審判の座と同じである、ということであります。つまり、イエス様の働きを通して今も神が姿を顕し生ける神として厳然と臨在しておられる。この事実に私共の目を開かせようとしておられるのです。その神はたしかに「悔い改め」を求めておられるが、それは裁くためではなく、限りない愛をもって、罪びとの罪を赦す神として、私たちに関わろうとしておられるのです。神の国とは、イエス様によれば、神と神の愛や信頼に応える人々との交わりであります。
その神の国、神の支配は歴史の終末の日に完成、成就するものであるが、同時、今この私共の地上の生活から始まっている。と宣言しておられるのです。そこに今までとは全く違う新しさがあり、これまで人が聞いたこともない、この世のレベルとは別格の権威があふれ満ちていたのです。ユダヤの人々がイエス様の「教え」えお聞いて「これは新しい権威ある教えだ」とおどろいたのです。それはイエス様のガリラヤに於ける最初の活動によって受けた、彼らの印象でした。ここで特に注目したいのは、汚れた霊に取りつかれた男から悪霊を追い出すという目覚しいイエス様のなさった「わざ」です。この「わざ」を見た人々が「権威ある新しいわざだ」とは言っていないのです。
彼らが言ったのは「権威ある新しい教えだ」と言っている点です。たしかに奇跡と呼ばれるような、癒しのわざを次々とイエス様はなさいました。みんなイエス様の活動ですが、その中心はあくまでもイエス様が語られた神の国の福音であります。民衆は癒しの奇跡よりも福音のことばに驚いています。しかし、マルコはイエス様が何を語られたのか、その教えが、どんな内容だったのか 1章21節から39節までに全く記していません。39節には「そして、ガリラヤの会堂に行き、宣教し悪霊を追い出された」とあります。ですから、明らかにイエス様の活動は「教え」と「わざ」という二つから成り立っている。そして、中心は「教え」なのです。そこに至るまでにシモンペテロの姑の熱病を癒されたり多くの人々の病気を癒されました。そして、それらは目に見える「しるし」であります。マルコは21節から27節にしっかり記しているわけです。イエス様の権威ある新しい教えは目に見えない「しるし」であります。
マルコ2章13節~17節に徴税人レビがイエス様の弟子に招かれたことが記されています。ユダヤの社会でみんなから、嫌われていた職業であるレビがここで、罪人レビと言われた彼が赦されて神の支配に加えられたことがえがたれています。そこには、神の御国の食卓に集う罪人たちの中心にイエス様が座しておられる。そうして、律法学者に向かって「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく罪人を招くためである」と言われました。この言葉でこの出来事は締めくくられています。こう見ていきますと1章14節から2章17節までの一連のイエス様の伝道活動の中心が「罪の赦し」を内容とする「神の愛の支配が到来した」と言う「教え」であったということです。マルコは35節に、朝早くまだ暗いうちにイエスは起きて人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。と記しています。特別に福音書にどうしても記さなくともいいと思われますがマルコはイエス様ご自身が祈られた光景はここの場面とゲッセマネの園での祈りだけです。
イエス様の生涯の最後の夜に、「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしが願うことでなく御心に適うことが行われますように」と祈られた。イエス様が次々になさった「わざ」は罪の赦しの「しるし」として行われた。としますならばイエス様ご自身が人々の罪を身に引き受けて購いとなって苦い杯を飲み干す、という決断なしに罪の赦しは実現しないのであります。
ご自分の身を罪の購いとして十字架に捧げられることなしには、罪の赦しを内容とする、神の愛の行為は不可能だったのです。そうだとすればマルコが35節で短く記していますが、この祈りがあって初めてイエス様の教えが力ある権威に満ち新しい教えとして人々の心に衝撃を与えたのであります。何よりも明らかになりましたことは、今イエス様がいろいろな「わざ」をなさって、それが神から罪を赦す権威を託された人の子として振舞っておられるという事実であります。神の御子イエス様は今も私たちの中にあって、生きて働いてくださる。このことに感謝を持って、また希望を持っていきたいと思います。 アーメン
顕現説 第五主日(緑) 2015年2月1日
1.フィンランドは人口500万程の小さな国である。その国内で大きなニュースになることが日本にまで伝わってくることはほとんどない。しかし、国外には伝わらないローカルな出来事でも、それが実は日本でも報じられる大きなグローバルな出来事と連動していることはよくある。その一つとして、今年の夏フィンランド国内を騒がせた「多文化主義」論争がある。
論争の発端は、政権与党の一つで移民受入れに否定的な立場を取る政党の議員がネットのブログに「多文化主義は国を害する悪である、自分は断固としてそれと戦う」という主張を載せたこと。早速メディアは沸騰し、各政党は同議員を非難し、問題の政党に説明責任を要求、各地で人種差別反対・多文化主義擁護のデモが起きた。結局、問題の議員は、「戦う」というのは暴力的手段を意味しないと釈明し、2ヶ月の党籍停止の処分を受けて一応自体は収束した。
この論争の背景には、今年激しさを増した地中海やバルカン経由で西ヨーロッパになだれ込む難民移民の大移動があるのは言うまでもない。他の西欧諸国に比して移民難民の受け入れの少なかったフィランドであるが、今年は難民申請者だけでも3万5千になるとの見通しが持たれている(10月15日の内務省発表による)。100万近くなると言われるドイツに比べれば雲泥の差だが、人口比で考えれば1億2千万の日本に84万人の難民申請者が押し寄せる計算になる。それ位の数の難民申請者がやって来たら、この世界第3位の経済大国はどうなるだろうか?経済的、精神的に持ちこたえられるであろうか?ひょっとしたら、この問いの答えは、我が国の難民受け入れ政策の実績が示しているのかもしれない。
2.ちょうど「多文化主義」論争たけなわの頃、ある大学教授が新聞のコラムに少し軽いタッチで自分の見解を披露していた。それによると、ヨーロッパの大都市に見られるような、移民と元からの住民が別々に棲み分けがされてお互い隔絶してしまったような状況は本当の多文化主義ではない。多文化主義とは異なる文化の人たちが接触し交流し合うことを言い、そうするうちにお互いが相手の良い点を取り入れて次第に一つの大きな文化を形成していく。つまり、多文化主義とはそういう単一文化に至る過程を言うのだ、という見解であった。終わりのところで、自分は稲荷ずしとラテン音楽の愛好者である、などと述べていた。
なるほど、自国以外の料理もよく食べ、外国の音楽を沢山聞けば多文化主義者になるのか、そうなると日本人はものすごく多文化主義的な国民ということになるが本当にそうだろうか?異なる文化というものは、各自が嗜好・愛好を取捨選択していくうちに融合・統合していくものだろうか?
例えば、宗教。どの宗教も人間は死んだらどこに行くのかという問いに答えを持っている。その答えがあるから、じゃ今生きているこの生をどう生きるべきか、ということに指針が与えられる。宗教によって死生観は大きく異なる。巷の仏教だと、人間は死んだら仏様になって33年位の修行の旅を続けて極楽浄土に到達する。その間、生きている人を見守ったり助けたりしてあげなければならない。キリスト教だと、死んだら神のみぞ知る場所で安らかに眠るだけで修行も何もしない。ただ眠っているだけ。しかし、最後の審判とか復活の日とか呼ばれる時が来たら目覚めさせられて、あとは天の御国に迎え入れられるか、または入れられないかということになる。この二つの宗教だけ見ても、果たして融合や統合の余地はあるのだろうか?
近年ではキリスト教会の中でも、極楽浄土だろうが天国だろうが最終目的地は実は皆同じで、ただ各々の宗教が違う言葉で言っているだけ、などと言う人が増えてきた。共通の目的地に至る道はいろいろあり、その異なる道がそれぞれの宗教なのだ、ということで、キリスト教は御殿場口から、仏教は須走口、イスラム教は吉田口、ユダヤ教は富士宮口、あとは頂上で会いましょう、という具合なのである(富士山登頂ルートと宗教の関係は何も考えていません)。
一見結構な話に聞こえるが、いっぱしのキリスト教徒として言わせてもらうと、天国で目にする神とは、天と地と人間を造り、人間一人一人に命と人生を与え、母親の胎内にいた時から自分のことを知っていた神なのである。それが実は阿弥陀如来と同じだったと言われてもなかなか納得できるものではない。仏教の人たちだって、極楽浄土で目にする阿弥陀如来が実は、自分のひとり子を2000年位前に今のパレスチナの地に送った方と同じと言われて、はい、その通りです、と言うだろうか?
3.ところが、このような異なる死生観を盾にして違いを強調すると、頑なになって異なる考えの相手を否定して宗教戦争が起きるのだ、と批判されることにもなる。私自身、そのような批判を受けたことがある。でも、私の死生観はあなたと全然違うのだ、と言ったら、必ず宗教戦争になるのだろうか?そうならないために、「同じ山頂、異なるルート」というコンセプトの中に諸宗教を流し込まなければならないのだろうか?それとも、頑なと言われたくないから、ものわかりよくしようとするのか?
ここで思い出すのが、キリシタン大名の小西行長が関ヶ原後、六条河原で首を刎ねられた時の出来事である。いよいよ最期の時、徳の高い僧が近づいてきて、成仏できるように念仏を唱えてあげようと申し出たが行長はこれを断ってしまった。これは歴史史料にも記されている史実と聞いたことがあるが、実はこの出来事が30年位前のNHKの大河ドラマ「黄金の日々」にあった。観られた方は覚えておいでであろうか?高僧を前にボロボロの行長が言ったのは、「私はキリシタンだ。キリシタンに仏教の念仏など無用!」そして首を刎ねられるのである。
仏教の人がみたら、なんと恩知らずの罰当たりなことを言うのかと呆れてしまうだろう。しかし、行長としては他に言いようがないのである。死んだら神のみぞ知る場所にいて安らかに眠り、復活の日に目覚めさせられて復活の新しい体を与えられて神の御許に迎え入れられる。罪深い人間の私にそれが可能なのは御子イエス・キリストが私の罪を十字架の上で贖って下さったからだ。そういう死生観と信仰を持つ者にしてみれば、成仏とか念仏とか言われても、全く筋違いな話なのである。仏教の人から見れば、せっかく極楽浄土に行けるのにどうしようもないわからずやだ、ということになろう。キリスト教徒からみれば、死者は復活させられるのにおたくこそわからずやだ、ということなる。お互いがお互いに対してわからずやなのである。
このような「わからずや」がいると、隔絶した棲み分けをもたらすことになるのだろうか?宗教戦争の原因になるのだろうか?ここで、小西行長と一緒に首を刎ねられたのは、石田光成と安国寺恵瓊であったことを思い出そう。光成は小僧上がりの武将、恵瓊は僧出身である。二人とも仏教徒である。信仰と死生観ではわからずやの立場の者同士が、家康の覇権阻止という共通の目的のもとに共に命を賭けて戦うのである。自分はキリシタンだから仏教徒とは一緒にはやりません、仏教徒だからキリシタンは嫌です、ということにはならなかった。隔絶とか宗教戦争とは全く逆のことが起こっているのである。しかも、行長の最後の言葉が示すように、死生観と信仰に関しては、わからずやさが全身みなぎっているのである。もし、行長に「同じ山頂、異なるルート」という発想があったならば、喜んで念仏を唱えてもらったであろう。なぜなら、念仏を唱えてもらって成仏できるというのは、別ルートではあるが目指す天国に着けることなのだから。
4.従って、異なる死生観、信仰を持つ者同士が協力・協働することは可能である。もちろん、そのような協力・協働の場では、いろいろ意見の相違も生まれてこよう。しかしその全てがそういう信条の違いによるものとは言えないのである。同じ信条の持ち主の場合でも意見の相違は生じるのだから。もちろん、死生観が現世を生きる際の指針を与える以上、信条の相違が意見の相違をもたらすことも十分ありうる。しかし、その時は、お前はわからずやだ、いや、お前こそ、と言って終わって、また協力・協働を続けるしかない。これが本当の多文化主義ではないか。「同じ山頂、異なるルート」という発想は得体の知れない単一文化主義である。
2015年度の総会が当教会の主管牧師・大柴譲治牧師(武蔵野教会)のもとに執り行われました。全ての報告、議案は滞りなく承認され総会は無事に終了しました。総会資料の閲覧をご希望の方は役員までお申しつけ下さい。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
1.ガリラヤ湖の岸辺をイエス様が通りかかる。そこで、漁師の兄弟ペトロとアンデレが網を投げて漁をしているのに出くわす。イエス様が、私について来なさい、お前たちを人間をとる漁師にしよう、と声をかけると、二人はすぐに網を捨てて従って行った。さらに進んでいくと、今度は漁業経営者ゼベダイが二人の息子ヤコブとヨハネさらに雇われ漁師たちと一緒に舟の中で網の手入れをしているのが見えた。イエス様はすぐこの兄弟にもついて来るようにと声をかけた。すると、これもまた、父親と雇い人たちを舟に残して従って行った。
これは一体何なのでしょう?イエス様が声をかけると、かけられた人はまるで自動反応のように従って行ってしまいます。このような自動反応的なつき従いは他にもあります。マルコ2章14節をみると、取税人のレビが税を取り立てる場所に座っていたところをイエス様について来なさいと言われて、そのまま立ち上がってついて行きました。同じ出来事を記したルカ5章28節をみると、レビは「全てを捨てて」ついて行った、とあります。二組の漁師の兄弟たちも、自分たちの生業や家族を捨てるようにしてイエス様につき従って行ったのであります。
さて、このところフランスのテロや地下鉄サリン事件の裁判の新しい動きがニュースを騒がしました。そのような時勢ですので、本日の福音書の箇所は読みようによっては、若者が何もかも捨てて宗教的な指導者に従って行ったと受け取られ、やっぱり宗教は怖い危ないという反応を持たれる向きが出るかもしれません。しかしながら、時事的な問題や出来事を土台にして宗教とはこういうものだと結論してしまうと、今度は聖書が伝えようとしていることが見えなくなってしまいます。時事的な問題や出来事はそれはそれとしてひとまず置いといて、ここでは聖書が伝えようとしていることだけに焦点をあて、その伝えようとしていることをわかるようにしていきたいと思います。それがわかったら、そこから時事的なこと周りの世界のことをどう考えていったらよいか、という判断の土台になればと願う者です。
2.本日の福音書の箇所の記述を見ると、イエス様とつき従って行った人たちとの間にはなんのやり取りも交わされていないことに気づかされます。「ついて来なさい」という一言でついて行ってしまいます。本当に何か不思議な力が働いて、声をかけられた人が次々と吸い取られていくようです。マルコ福音書とマタイ福音書の記述は、流れとして、イエス様はまず弟子をある程度集めてから奇跡の業や教えの宣べ伝えを大々的に行っていきます。そうすると、最初の弟子たちは、イエス様の教えも奇跡の業もまだ知らないでつき従って行ったことになります。本当に何か不思議な力が働いたとしか言いようがありません。
こういう場合、説明の仕方としてよくあることですが、4人の漁師の若者たちのつき従いを合理的に説明しようと、その時彼らがどんな社会的心理的状態にあったかを推測することがなされます。例えば、ペトロ、アンドレ、ヤコブ、ヨハネの4人は、平凡な漁師の暮らしに満たされないものを感じる日々であったとか、特にヤコブとヨハネは雇い人を持つほどの裕福な経営者の跡取りとして安定を約束されていたが心に空白を感じていたとか、まずそういうことにして、そういう時に突然声をかけてくれた人物を見ると、その眼差しに何かただならぬものを感じて、この人について行けば、きっと満たされないものを満たしてくれて本当の人生を全うできると確信して、それで全てを捨ててついて行った、という具合です。
私は、4人の若者の内面は別に分析する必要はないと思います。第一、福音書にはそのことについて何も書かれていません。書かれていないというのは、福音書記者マルコにとっては、別に知らなくても書かなくてもよいことだったのです。マルコにとっては、イエス様の呼びかけの声の中に聞く者を有無を言わせずにつき従わせる力があったことを知らせるだけで十分だったのです。
それでは、イエス様の呼びかけの声の中に聞く者を有無を言わさずにつき従わせる力があったという、その力についてみていきたいと思います。
3.
最初に、イエス様が公けに活動を始めた頃の様子をマルコの記述をもとに整理してみましょう。そうすると、イエス様の不思議な力のこともわかってきます。
イエス様はヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、神から「お前はわが愛する子である」と神の子の認知を受け、神の霊すなわち聖霊を注がれました。こうしてイエス様は神のひとり子としての自覚をもって、彼がこの世に送られた目的である人間救済計画の実現に乗り出しました。公けに活動を開始する直前、イエス様はユダヤの荒野で悪魔から40日間試練を受けてこれに打ち勝ちます。その時、洗礼者ヨハネが、ガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスによって投獄されました。領主の不倫問題に口をはさんだことが原因でした。まさにその時、イエス様はユダヤ地方からガリラヤ地方に乗り込んで活動を開始します。その時、彼が公けに宣べたスローガン的な言葉が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」でした。そのガリラヤでの活動の最初の頃に4人の漁師を弟子にして、ユダヤ教の会堂シナゴーグで教えを説き始め、さらに人前で奇跡の業を行い始めたのです。
「時は満ち、神の国は近づいた」というスローガン的な言葉は、イエス様の活動と人について端的に言い表しています。「時は満ちた」の「時」とは、ギリシャ語でカイロスκαιροςという言葉が使われています。これは何か特別な事が起きる時、定められた時を意味し、単に時の流れを意味するクロノスχρονοςと区別されます。つまり、「時は満ちた」というのは、起きるべきことが起きる時がついに来た、機は熟した、ということであります。この「時」が洗礼者ヨハネの投獄の時と重なったのは、これは、ヨハネがもはや人々に「罪の赦しに至らせる悔い改めの洗礼」を与えることができなくなった、これからはイエス様にバトンタッチして「罪の赦し」そのものを確立してもらう段階に入ったということであります。洗礼者ヨハネは悲劇的な運命を辿りますが、主の道を整える役割は果たしたのであります。
「神の国は近づいた」というのは、どういうことでしょうか?「神の国」とは「天の国」とか「天国」とも言い換えられます。言葉だけからみると、空高いどこか、ないしは宇宙空間に近いところにあるようなイメージがもたれてしまいます。そうではなくて、「神の国」とは、今私たちが目で見たり手で触れたりして、また数学や物理学を使って測定したり確定できる世界とは全く別の世界です。今の私たちには見たり触れたりできない、測定したり確定できない世界です。その世界におられる神が、今私たちが目にしている森羅万象を造られたのです。そうすると「神の国」とは、私たちの世界からすれば見えない裏側の世界みたいですが、神から見たらこちらの方が裏側でしょう。神は、天と地と人間を造られて人間に命と人生を与えられた後、あちら側に引き籠ってしまうことはしませんでした。あちら側から絶えずこちら側の世界に関わりをもってきました。その中で最大の関わりは、ひとり子イエス様をこちら側に送って、彼を用いて人間救済計画を実現したことでしょう。
ところで、旧約聖書のイザヤ書の終わりの方(65章17節、66章22節)や新約聖書の多くの箇所(第二ペトロ3章13節、黙示録21章1節、ヘブライ12章26-29節など)を見ると、今あるこの世は滅びるという終末についての預言があります。その時、神は今ある天と地にかわって新しい天と地を創造し、そこで唯一残るものとして現れてくるのが「神の国」です。そうすると、「神の国」とは天国のことだから、天国はこの世の終わりに現れてくるということになり、あれっ、キリスト教って死んだらすぐ天国に行くんじゃなかったの?という疑問が起きると思います。実はそうではなく、「神の国」に入れるというのは、この世の終わりの時に死者の復活ということが起きて、入れる者と入れない者とに分けられる、これが聖書の言っていることなのです。このことは、普通のキリスト教会で毎週日曜日の礼拝で唱えられる使徒信条や二ケア信条でもちゃんと言われています。そうなると、じゃ、亡くなった人たちは復活の日までどこで何をしているの?という疑問が起きると思います。実はこれも、何度も教えたところですが、ルターによれば、亡くなった人は復活の日まで神のみぞ知る場所にて安らかに静かに眠っているのであります。復活の日に復活の体と命を与えられて蘇らせられるということであります。
このような「終末」とか「新しい天地」とか「死からの復活」などが大黒柱になっている死生観は、日本の仏教や神道と大きく異なっています。仏教でしたら、亡くなってから33年間の修行のあと極楽浄土に入れ、神道でしたら、郷土ないし日本国全体にとって意味のある人となれば神になって神社に祀られることなります(そうすると、亡くなった人によっては、居る場所が極楽浄土と神社が指定する場所の二つを持つということも考えられます)。
話しが脇道にそれましたが、それでは、イエス様が「神の国は近づいた」と言った時、彼は終末が近づいたと言っていたのでしょうか?そうだとすれば、イエス様の時代はおろか、あれから2000年たった今でもまだ天と地はそのままなので、イエス様の言ったことは当たっていなかったことになります。しかし、イエス様は少し違うことを言っていたのです。
どういうことかと言うと、イエス様の行った奇跡の業が、神の国が近づいたことと関係があります。イエス様は無数の奇跡の業を行いました。大勢の難病や不治の病の人を癒したり、悪霊を追い出したり、自然の猛威を静めたり、何千人の人たちの空腹を僅かな食糧で満腹にしたり、枚挙に暇がありません。イエス様はどうして奇跡の業を行ったのでしょうか?もちろん困っていた人たちを助けてあげたという人道支援の意味もあったでしょう。また、自分は神のひとり子であるといくら口で言っても人間はそう簡単に信じない。それで信じさせるためにやったという面もあります(ヨハネ14章11節)。しかし、人道支援や信じさせるためなら、どうして、もっと長く地上にいて困っている人たちをより多く助けてあげなかったのか、もっと多くの不信心者をギャフンと言わせてもよかったではないか、なぜそうしないで、さっさと十字架の道に入って行ったのか、という疑問が起きます。
イエス様は奇跡の業を通して、来るべき神の国がどんな国であるかを人々に垣間見せた、味あわせたということがあります。神の国とは、黙示録19章で結婚式の壮大な祝宴にたとえられます。つまり、この世の人生の全ての労苦が最終的に神によって労われるところです。神の国はまた、同じ黙示録21章4節で言われるように、神がそこに迎え入れられた者の目からことごとく涙を拭い取り、悲しみも嘆きも労苦もないところです。つまり、この世の人生で被った不正義や損失が最終的に神の手によって償われるところです。このように最終的に労われたり償われるところがあるので、キリスト信仰者というのは、この世ではとにかく神の御心に従って、神を全身全霊で愛し隣人を自分を愛するが如く愛して生きようとする。その時、人の目から見て無意味で取るに足らないことでも、神の目から見ればとても意味のある素晴らしいことである、と知っているのです。それゆえキリスト信仰者は、何かをなそうとする時、神の御心に沿うようにしよう、神を全身全霊で愛し隣人を自分を愛するが如く愛するようにしよう、そうすれば結果は期待外れでも無駄だったとか無意味だったとかいうことは何もない、とわかっているのです。ルターが言った言葉として伝えられていますが、「明日この世が終わると知っていても、今日リンゴの木を植えて育て始めよう」というものがあります。まさにそういう心意気が生まれるのです。
このように神の国とは、神の正義と栄光が貫徹されていて、そこに迎え入れられた者はこの世で受けられなかった償いと労いを最終的に全部受けられて、あらゆる害悪や危険そして死そのものがなく、永遠に平和と安心の中で生きられるところです。イエス様が奇跡の業を行った時、病気というものがなく、悪霊も近寄れず、空腹というものもなく、自然の猛威に晒されるということもない状態が生まれました。つまり、神の国そのものがイエス様の一つ一つの奇跡の業を通して人々に接触したのです。まさにイエス様の背後には神の国が控えていたのであり、彼は神の国と共にあって歩き回っていたのです。この世の自然や社会の法則をはるかに超えた力に満ちた神の国、それがイエス様とセットになって目に前に現れて、「私について来なさい」と言ったら、人間は抵抗できるでしょうか?イエス様の呼びかけの声の中に聞く人を有無を言わさずにつき従わせる力があったというのは、まさにここにあります。病気が治れと言われて健康に変わったように、悪霊が出て行けと言われて出て行ったように、嵐が静まれと言われて静まりかえったように、「ついて来なさい」と言われたらついていくしかなかったのです。イエス様の眼差しとか声の調子の中に何か満たされないものを満たしてくれる何かを感じたとか、そういう感傷的なレベルの話ではないのです。イエス様の呼びかけの声の中には、天と地と人間を造り、人間一人一人に命と人生を与えた神の力が働いていたのです。
4.
そういうわけで、イエス様がこの世で活動していた時、神の国が彼と共にあったということ、彼の行った奇跡の業は、まさに神の国の実在性を示すものであったということがわかりました。イエス様に呼びかけられて自動反応のようにつき従って行った弟子たちも神の国の力を及ぼされたので、これも奇跡の業と言ってもよいでしょう。
ここで一つ注意しなければならないことがあります。それは、神の国がイエス様と共に到来したと言っても、人間はまだ神の国と何の関係もなかったということです。最初の人間アダムとエヴァの堕罪の出来事以来、人間は神との結びつきを失って神への不従順と罪を代々受け継いできました。人間は、そのままの状態では神聖な神の国に入ることはできません。人間は神聖な神とあまりにも対極なところにいる存在だからです。罪と不従順の汚れが消えなければ神の国に入ることはできません。いくら、難病や不治の病を治してもらっても、悪霊を追い出してもらっても、空腹を満たしてもらっても、自然の猛威から助けられても、人間はまだ神の国の外側に留まります。また、いくら神の掟や律法を守ろうとしても、宗教的な修行を積んでも、人間は心と体と魂に染みついている罪と不従順を消去することはできず、自ら神聖な存在に変身することはできません。
人間が神との結びつきを回復できて神の国に迎えられるように問題を解決したのが、イエス様の十字架の死と死からの復活でした。神は、人間が罪と不従順の汚れを自分で除去できない以上、その罰を全部自分のひとり子に請け負わせて十字架の上で死なせ、その身代わりの犠牲に免じて人間を赦すという手法を取ったのです。私たち人間は、まさにイエス様が十字架で流した血を代価として、罪と不従順の奴隷状態から買い戻されたのです。神は、私たちの命をそれくらい価値あるものと見て下さったのです。さらに神は、一度死なれたイエス様を今度は死から復活させて、死を超えた永遠の命に至る扉も人間のために開かれました。私たち人間は、これらのことが自分のためになされたのだとわかって、それでイエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受ければ、イエス様の身代わりの犠牲に免じて罪が赦されるということが本当に起こり、神との結びつきが回復して、見事に神の国に迎え入れられるのです。私たちのために御自分のひとり子も惜しまなかった愛と恵みの神のみ名が永久にほめたたえられますように。
5.
最後に蛇足ですが、本説教の初めで、時事的な問題や出来事のために、宗教に関わることで否定的な印象を生み出す可能性があると申しました。イエス様に呼びかけられた若者が有無を言わない状態でつき従って行ったというのは、何か宗教団体や宗教運動のいかがわしい勧誘を想起させてしまうのではないかと。しかし、イエス様がいわゆる教祖とか幹部などという宗教指導者と全く異なる方であることは、本説教からも明らかになったと思います。イエス様とは、神の国が一緒について回り、また天と地と人間を造られて人間一人一人に命と人生を与えた神の力が働いた方で、まさに神から送られた神のひとり子でした。それのみならず、最後はそうした神的なものを一切かなぐり捨てて十字架の道に入られた方でした。人間を通して生まれて人間の体を持っていたので、人間と同じ痛み苦しみを味わえる者として、本当に痛みと苦しみを味わうことになると知りながら、あえて十字架の道に入られたのです。そうしないと、私たち人間はいつまでたっても神との結びつきを回復できず神の国に入ることができないからです。手足を五寸釘で打ちつけられて、わき腹をこれでもかと槍で刺されて、本当に痛みと苦しみの中で死に絶えました。そして三日後、天地創造の神の力によって、復活の体と命をもって復活させられました。このような方に、宗教指導者という名称はあてはまりません。
それから、イエス様に「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われて弟子になった若者たちはどうなったでしょうか?彼らは宗教団体の教祖とか幹部だったでしょうか?彼らの使命はと言えば、それは、イエス様と始終共にいて、彼の教えと業をつぶさに見聞きすること、そしてイエス様から受けた教えと授かった力をもって宣教することでした(マルコ3章13-15節)。彼らがイエス様と行動を共にしたことが、後に目撃者としての彼らの証言を生み出すことになりました。そして、彼らの迫害を顧みない命を賭した証言を聞いて、イエス様を知らなかった人たちが彼を救い主と信じるようになる、そういう連鎖反応が起こっていきました。その集大成として聖書の新約の部分ができあがったのであります。弟子たちの証言と旧約新約双方の聖書がなければ、誰も信仰を持つことができず、主が扉を開いた神の国にも入れません。そういうわけで、イエス様は神の人間救済計画そのものを実現しましたが、弟子たちは実現された救済が国と時代を超えて多くの人たちに及ぶようにする役割を担ったのであります。
その時、彼らはどんな教えをひろめたでしょうか?それは皆様に使徒書簡をしっかり読んでいただくようお願いしたく思います。時事的な問題や出来事からキリスト信仰を捉えようとする向きには、イエス様の十字架と復活というものが本当はどんな倫理道徳を生み出すのか、一つの例として使徒パウロの次の言葉を見てみるとよいと思います。これはほんの一例です。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ12章9-21節)
またパウロは、聖霊を受けた信仰者は、聖霊が結ぶ実を結べる器にされていくとし、その実として、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制をあげています。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように アーメン
顕現節第3主日 1月18日の聖書日課 マルコ1章14節-20節、エレミア16章14節-21節、第一コリント7章29-31節
1/17の家庭料理クラブは「ル―ネべリタルト」を作りました。
北風が舞う寒い土曜日、牧師館の窓からは、明るい日差しが差し込む中、 最初にお祈りをして家庭料理クラブは始まりました。
全ての材料の計量をして、作業が進みます、材料の主役のピパルカックを砕いてると、 スパイスの香りと共に、クリスマスシーズンが思い出され、つい先日のクリスマスが、遠く懐かしくさえ感じてしまいました。
焼き上がったタルトの生地を冷まし、ラズベリージャムやアイシングで飾り付けをして 、 ルーネベリタルトは完成です。
パイヴィ先生から、ルーネベリタルト成り立ちや、材料の事、フィンランドの食のお話など、 興味深く聞かせていただきました。
次回2月14日(土)の家庭料理クラブは、 「ラスキアイスプッラ」(Laskiaispullat)を予定しています。 シナモンロールの生地をベースに作る、スキーやそり遊びのシーズンに食べる、 おやつのプッラになります。
1.イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けるとは、一体どういうことか?マルコ1章4節に、ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼」を人々に宣べ伝えていたとあります。「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」とは、将来罪の赦しを得られるために、今神に背を向けて生きている生き方を方向転換して神の方を向いて生きる、その方向転換の印としての洗礼と言い換えてよいと思います。罪の赦しそのものを与える洗礼は、復活後のイエス様が命じた洗礼なので、洗礼者ヨハネの洗礼はその前段階の洗礼、方向転換の印としての洗礼ということになります。いずれにしても、イエス様のように方向転換するもなにも、そもそも神の霊によって宿り乙女から生まれ、罪の汚れもしみもない神のみ子にどうして洗礼など必要なのでしょうか?マタイ3章をみると、洗礼を受けにやってきたイエス様を目の前にして、洗礼者ヨハネはとまどって言います。「私の方が、あなたから洗礼を授けられる必要があるのに」(14節)と。
なぜイエス様は洗礼を受ける必要があったのでしょうか?本日はこの問いの答えを明らかにしていこうと思います。
2.なぜイエス様はヨハネから洗礼を受ける必要があったのか?この問いの答えを見つけようとする場合、まず、イエス様が行ったり教えたりしたこと、さらにイエス様に起こった出来事の全ては神の人間救済計画の実現に関係があるということをよく覚えておく必要があります。つまり、イエス様の洗礼も神の人間救済計画の実現に結びついているのです。そこで初めに、神の人間救済計画とは何か、ということがわからなければなりません。それは大体以下のようなことです。
創世記3章にあるように、最初の人間が造り主である神に対して不従順に陥って罪を犯したために、人間は死する存在となってしまい、神聖な神との結びつきを失って生きていかなければならなくなってしまいました。使徒パウロが、罪の報酬は死である、と教えている通りです(ローマ6章23節)。人間は罪と不従順がもたらす死の力に従属する存在となってしまいました。詩篇49篇に言われるように、人間はどんなに大金をつんでも死の力から自分を買い戻すことはできないのです。そこで、父なるみ神は、人間が再び造り主である自分との結びつきを持ってこの世を生きられ、万が一この世から死ぬことになっても、その時は自分のもとに戻れるようにしてあげよう、と計画をたてられ、それを実行しました。これが神の人間救済です。
人間が神聖な神との結びつきを回復できるようになるためには、なによりも人間を罪の奴隷状態と死の力から解放しなければなりません。しかし、肉をまとい肉の思うままに生きる人間には、自身に宿る罪と不従順を取り除くことは不可能です。そこで神は、御自分のひとり子をこの世に送り、彼に人間の全ての罪と不従順からくる罰を全て負わせて死なせ、その身代わりの死に免じて人間を赦すことにしました。この神のひとり子がゴルガタの十字架の上で血みどろになって流した血が、私たち人間を罪の奴隷状態から解放する身代金となったのです(マルコ10章45節、エフェソ1章7節、1テモテ2章6節、1ペテロ1章18-19節)。さらに、神は、一度死んだイエス様を復活させることで、今度は死を超えた永遠の命に至る扉を人間のために開かれました。人間は、神がみ子イエス様を用いて実現した「罪の赦しの救い」を受け取ることで、彼の身代わりの死に免じて罪を赦されて、神との結びつきを回復することができるようになったのです。つまり、救われるのです。「罪の赦しの救い」を受け取るというのは、イエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受けることです。こうして、神との結びつきを回復できた人間は、この世の人生の段階で、永遠の命に至る道に置かれてその道を歩み始めることになります。神との結びつきがあるので順境の時にも逆境の時にも常に神から良い導きと助けを得られて生きられるようになり、万が一この世から死んでも、その時は、永遠に造り主である神のもとに戻ることができるようになります。
以上が、神の人間救済計画とその実現についてでした。それでは、イエス様が洗礼を受けたことが、この神の人間救済計画の実現にどう結びつき、どう役立ったのかをみていきましょう。
神のみ子であるイエス様は、洗礼を受けることで洗礼を必要とする人間たちと同列に加えられることとなりました。「フィリピの信徒の手紙」2章に次のように記されています。「キリストは神の身分でありがなら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。人間と同列に置かれ、人間が被る死の苦しみを自分自身被ることができるようになる。それで人間の不従順と罪から来る罰をまさに罰として引き受けることができるようになる、ということです。このことは、元日礼拝の説教でも触れました。その時は、イエス様の割礼が福音書の箇所でした(ルカ2章21-24節)。イエス様は、割礼を受けることで、外面的な印をもってアブラハムの子孫の一人に加えられ、モーセの律法の効力の下に置かれました。神聖で罪の汚れひとつない神のみ子が、神聖さを欠いて罪の汚れを持つ人間の立場を持たされました。人間の中でも、罪の汚れから贖われるために数多くの宗教的儀式をこなさなければならないユダヤ民族の立場を持たされたのです。本来ならばそうしたことは一切不要な立場にある方なのにもかかわらず、全く逆の立場を持たされることによって神からの罰を罰として本気で受け、死の苦しみを本気で受けて本気で死ぬ者になったのです。もしイエス様がこうした立場を持たされずに、単に神聖な立場のままにいたら、死も苦しみもイエス様に近寄ることはできなかったでしょう。パウロが述べたように、「律法の支配下にある者たちを救い出すために律法の支配下にある者たちと同じになった」(ガラテア4章4節)のであります。ただ、何度も繰り返すように、我々と同列に加えられ人間と同じ立場を持たされたとは言っても、イエス様は不従順と罪は持たない神聖な神のみ子だったのです(ヘブライ4章15節)。そのような方が、人間と同列に加わることとなり、人間の悩み苦しみと直につきあい、また御自身も人間と同じように苦しみや試練や誘惑に直面しなければならなかったです。それゆえ、「ヘブライ人への手紙」2章18節に言われるように、主は、試練に遭う者たちを本当にわかって助けることができるのです。
人間と同列に加わったというのは、神が人間に寄り添う姿勢を示したとか、人間と連帯しようとしたなどと言うことが出来ます。ただし、ここで一つ忘れてはならないことがあります。それは、この「同列に加わる」というのは、「寄り添う」とか「連帯」という言葉では言い尽くせない、そんな言葉が生易しく聞こえてしまう位もっと大きな意味があるということです。どういうことかと言うと、先ほど、神の人間救済というものは、神が人間に与える「罪の赦しの救い」であると申し上げました。この「罪の赦しの救い」を実現するためには、誰かが人間にかわって罪の罰を受ける犠牲にならなければなりませんでした。もし罰が起きなければ、神は罪を是認したことになるからです。しかし、神は人間が背負いきれない罰を背負って押し潰されて滅んでしまうのを望まなかった。罪は断固として認めないが、しかし人間は救われなければならない。このジレンマを解決するために、神は犠牲を自ら引き受けることにしました。神の人間に対する愛が、自己犠牲の愛であると言われる所以です。しかしながら、神が犠牲を引き受けるというとき、天の御国にいたままでは、それは行えません。なぜなら、人間の罪と不従順の罰を全て受ける以上は、罰を純粋に罰として受けられなければなりません。そのためには、律法の効力の下にいる存在とならなければなりません。律法とは神の神聖な意思を示す掟です。それは、神がいかに神聖で、人間はいかにその正反対であるかを暴露します。律法を人間に与えた神は、当然、律法の上にたつ存在です。しかし、それでは、罰を罰として受けられません。犠牲を引き受けることは出来ません。罰を罰として受けられるために、律法の効力の下にいる人間と同じ立場に置かれなければなりません。まさに、このために神の子は人間の子として人間の母親を通して生まれなければならなかったのです。そして割礼を受けて律法の下に置かれ、さらに洗礼者ヨハネから洗礼を受けなければならなかったのです。実に、そうすることで使徒パウロが述べたように、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出して」下さったのです(ガラテア3章13節)。イエス様が人間と同列に加わった、と言う時、私たちは、この「わたしたちのために呪いとなった」ということ、イエス様が人間に降りかかって染みついている呪いを全て自分のものとして請け負って下さったことをいつも心に刻み付けておかなければなりません。私たち人間も困窮した人たちに寄り添ったり、連帯したりします。しかし、神がイエス様を通して示した寄り添いや連帯は、もっともっと根本的なものであるということを忘れてはなりません。
3.イエス様が洗礼を受けたのは、私たち人間と同列に加わるという意味があったということが明らかになりました。同列に加わると言っても、とても深い根本的な意味があることもわかりました。ここで角度を少し変えて、今度は洗礼を受けた時にイエス様に聖霊が降ったり、天から「お前は私の愛する子である。私の心に適う者である」という神の声も轟いたという出来事を中心にイエス様の洗礼をみていきましょう。この出来事は、本日の旧約の日課であるイザヤ書42章1-7で言われている預言の成就です。イエス様の洗礼は、預言の成就のためになされる必要があったということが明らかになります。そこで、この預言の内容を見てみる必要があります。
このイザヤ書の箇所で、神は、将来地上で活動する僕(つまりイエス様のこと)が神からの霊、つまり聖霊を受け、同時に神から特別な力を与えられて、何かを実現していくことが預言されています。何を実現するのでしょうか?
私たちの用いる新共同訳を見ると、「彼は裁きを導き出す」(1節)、「裁きを導き出して、確かなものする」(3節)、「この地に裁きを置く」(4節)と、「裁き」という言葉が三度も繰り返されて、神の僕が何か裁きに携わることが強調されます。しかし、これは困った訳と言わざるを得ません。「裁きを導き出す」とか「裁きを置く」とは一体なんなのでしょう?そもそも「裁き」とは「置く」ものなのでしょうか?裁判官や陪審員が訴訟で「判決を導き出す」という言い方はあるでしょうが、「判決を置く」という言い方はあるでしょうか?私も含めてここにいる皆さんは「裁き」という言葉、「導き出す」という言葉、「置く」という言葉のそれぞれの単語の意味はわかるでしょう。しかし、意味がわかる単語をそのままくっつけて文にした時、その文も同じように意味がわかるかというと必ずしもそうならないことがあるのです。受験の国語の成績が良い人ならこういう奇抜で難解な表現を見ても意味を推測することが出来るかもしれません。しかし、その推測した意味が聖書のもともとの意味と同じであるという保証はどこにあるのでしょうか?
いずれにしても、私たちは、個々の単語の意味がなまじっかわかるのでそれをつなぎ合わせた文も何となくわかったつもりで読み進んでしまう。すると立ち止まって、振り返ってみるとどうでしょう。これは一体何だったのだろうということが起きてしまうのです。そういうわけで、皆様も聖書を読む際には「この箇所は一体何が言いたいんだ」という追及する姿勢をお持ちになることをお奨めします。理解が難しい箇所は無数に出てくると思います。その中でも、「ここは今の自分にとって何か大きな意味があるのではないか」というような箇所があったら、立ち止まって何度か読み返して考えてみたり、聖書の他の箇所を手掛かりにして理解できるか試みたりして下さい。神からの知恵を祈り求めることも忘れてはなりません。それでも自分の力で解明できない時は、注釈書を繙いたり、牧師先生や宣教師に聞いたりしましょう。そうすることで神の御言葉である聖書と私たち自身の関係は深くなります。逆に言えばそうしないと深くなりません。
少し脱線しましたが、イザヤ書42章の神の僕の活動についてみていきます。神の僕が携わることになると強調されている「裁き」ですが、これはヘブライ語の元の単語はミシュパートמשפטと言い、「何が正しいかについて決めること」とか「何が正しいかということについての決定」という広い意味があります。その広い意味から、「裁き」とか「判決」というような限定した意味がでてきます。しかし、広い意味から限定した意味はそれだけに尽きません。「何が正しいかについて決めること」「何が正しいかということについての決定」ということを出発点にすれば、「裁き」や「判決」の他にも、「正当な要求」「正当な主張」という意味にもなるし、そこからさらに「正当な権利」とか「正義」という意味にもなります。他にもまだあります。参考までに、各国の聖書の訳はこのイザヤ書42章の新共同訳の「裁き」をどう言っているか見てみましょう。英語の聖書は大抵justice、ずばり「正しいこと」、「正義」です。「裁き」judgementとは言っていません。ルター訳のドイツ語聖書ではdas Rechtで「権利」とも「正しいこと」とも訳せます。スウェーデンのルター派教会が使用している聖書ではrätten、これは「権利」の意味が強くなります。フィンランドのルター派国教会が使用している聖書ではoikeus、これは「権利」も「正しいこと」も「正義」も意味します。以上のようなわけで、イザヤ42章の神の僕が携わることは「裁き」ではなく、「正しいこと」とか「正義」とか「正当な権利」と理解できます。それから、「導き出す」とか「置く」とか訳されている動詞(יצא、שים)も、「もたらす」とか「据える、打ち立てる」と訳して何の問題もありません。以上から、神の僕が「国々の裁きを導き出す」というのは、実は「諸国民、特にイスラエルの民以外の異邦人をさしますが(גוי)、諸国民に正義(正しいこと、正当な権利)をもたらす」ということ。「この地に裁きを置く」というのは「この世に正義(正しいこと、正当な権利)を打ち立てる」ということであります。
そこで、神の僕がもたらしたり、打ち立てたりする正義(正しいこと、正当な権利)とは何かを明らかにしなければなりません。神の御言葉である聖書の中で正義とか正しいこととか正当な権利とか言ったら、それは神の目から見ての「正しいこと」、「正義」、「正当な権利」ということです。それでは何が神の目から見て「正しいこと」、「正義」、「正当な権利」なのでしょうか?それは、先ほども申し上げましたように、人間が罪の奴隷状態や死の力から解放されることであり、それらから解放されて神との結びつきを持つ者としてこの世を生きることであり、そして、この世から死んだ後は永遠に造り主のもとに戻るということであります。これが神の目から見た「正しいこと」、「正義」、「正当な権利」なのであります。これらは全て、神のみ子イエス様が十字架の死と死からの復活をもってこの世にもたらし、打ち立てたものであります。
イエス様が洗礼を受けた時、イザヤ書42章の初めに預言されたことが成就しました。天から預言どおりの神の声が轟き、聖霊がイエス様に降り、神の人間救済計画を実現するための力が与えられました。もちろん洗礼者ヨハネから洗礼を受ける前の赤ちゃんイエスや子供時代のイエス様も神聖な神のみ子でした。しかし、洗礼は預言の成就をもたらすために必要な手続きでした。洗礼を通して聖霊と特別な力を得て、イエス様が主体的に神の人間救済計画を実現させる活動を始める出発点となったのでした。
4.以上が、なぜイエス様は洗礼者ヨハネの洗礼を受けなければならなかったかという問いの答えです。洗礼を受けることで、人間と同列に加えられる意味がある。ただし、そこには神の人間救済計画が完全な形で実現されるという深い意味があることがわかりました。加えて、神が預言者を通して約束されたことが成就するという意味がありました。そこから私たちは、神とは真に約束したことを必ず果たされる忠実な方であることを知ることができます。
最後に洗礼者ヨハネがイエス様について、「聖霊をもって洗礼を授ける」(マルコ1章8節)方であると言ったことについて若干申し上げておきたく思います。イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時、他の人に起こらなかったことが起こりました。聖霊が彼の上に降ったということです。この聖霊の降臨は、私たちの洗礼にも起きます。つまり、イエス様の洗礼は、後のキリスト信仰の洗礼の先駆けになっているのです。私たちは洗礼を受ける時、水をかけられますが、「聖霊をもって」する洗礼、洗礼される人に聖霊が降る洗礼とは、どういう洗礼でしょうか?
私たちは洗礼を受ける時、聖書を朗読して神の御言葉と結びつけられた形で水をかけられます。化学や物理学を用いた計測では、水は御言葉に結びつけられてもられなくても水としての成分は同じです。しかし、御言葉に結びつけられた水は、神の目から見ると、これは聖霊が降る洗礼を可能にする要素に変貌しているのです。聖霊が降るということについて、少し詳しく言うと、人は洗礼を受ける前にも、既にイエス様を救い主と信じ始めます。遥か昔の彼の地で起きた出来事は現代を生きるこの自分のためになされたのだということをわかり始めます。それが起こるのは、聖霊がその人に働き始めたからであります。使徒パウロが教えるように、聖霊の力が働かなければ、人はイエス様を救い主と信じることはできません(第一コリント12章3節)。イエス様を何か歴史上の人物の一人として知識で知ってはいても、それは自分の救い主として信じることとは何の関係もないのです。聖霊が働かなければ、イエス様について知っていることは単なる知識にとどまるだけです。
しかし、洗礼を受けることで、人は持続的に聖霊の影響力のもとに置かれることになります。これは赤ちゃんも同じです。「罪の赦しの救い」は神からの贈り物である以上、赤ちゃんも、親の愛を注がれてただそれを受け取るのと同じように神の贈り物も受け取るのです。赤ちゃんや子供が、その後の人生で聖霊の力が働く受け皿として育っていくかどうかは、あとは家庭や教会がどう育てていくかということに大きくかかってきます。
そういうわけですから、兄弟姉妹の皆さん、私たちは聖霊を受けた者として、神のことを「アッバ、お父さん」と呼べるくらい神の子とされていることを忘れないようにしましょう。使徒パウロが随所で教えているように、神の子とされているならば、それはイエス様と兄弟の立場を持たされているということです。イエス様と共に神の御国を継ぐ跡継ぎにされているのです(ローマ8章15-17節、29節、ガラテア3章27-27節、4章5-7節、エフェソ1章11、14節)。そのことを忘れないようにしましょう。
主日礼拝説教 主の洗礼日 1月11日の聖書日課 マルコによる福音書1章9節-11節、イザヤ42章1節-7節、使徒言行録10章34-38節
2015年とう新しい年を迎えました。今日の御言葉は、マタイ福音書2章1~12節であります。
1節を見ますと、「イエスは、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」
救い主が、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったということ。そして、救い主はユダヤのベツレヘムでお生まれになった。とマタイはまず、しっかりと、私たちに告げています。
次に、そのとき、占星術の学者たちが東の方からエレサレムに来た。と告げています。マタイは歴史の事実として、ユダヤの王の年代から記しています。1節にある「ヘロデ王の代にイエスがベツレヘムでお生まれになった」マタイは、どんなメッセージをこめて、この一言を書いているか。ローマ帝国の支配のもとに、ヘロデが王として、全ユダヤを治めていた、ということ、バークレーによりますとヘロデはユダヤ人とエドム人の間に生まれた、エドム人の血が混じっていた彼はパレスチナの内乱の際、ローマのために業績をあげたため、ローマ人の信用をえて、紀元前40年に王の称号をえた。紀元前4年まで長期間権力をふるった。彼はヘロデ大王と呼ばれたがパレスチナの支配者たちの中でパレスチナの平和を維持し、混乱の世に秩序をもたらした。
しかし、ヘロデの性格には致命的な欠陥があった。それは狂気に近いほど猜疑心が強かったことである。もともと、疑り深い性格であったが、それが年とともにこうじて遂に晩年には「殺意にみちた老人」と呼ばれるようになった。誰かが自分の権力の座をおびやかすと思えば、すぐその人を葬り去ってしまった。彼は自分の妻や、その母も息子たちも殺していった。ヘロデの野蛮で残酷な性格は近づく自分の死を前にしていよいよあらわとなっていった。
このようなヘロデ王のもと東方からの占星術を専門とする三人の博士たちが輝く星に導かれて、まずヘロデ王の宮殿を訪れたのです。「ユダヤ人の王として、お生まれになった、お方はどこに、いらっしゃいますか」これを聞いたヘロデ王は、もうびっくりでしょう。ユダヤの王は、このおれだ。自分の他に新しく王が生まれたとは、どうしたことか、それはどこに生まれたのか。彼の内心は怒りに燃えたでしょう。
預言者でもない異国の天恩学者たちに「ユダヤを救う」ところのメシヤが誕生した事を告げられたのですから。3節を見ますと「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。」エレサレムの人々も同様であった。エレサレムの人たちは、ヘロデがこのような消息を突き止めると子供を殺すことをよく知っていたからです。ヘロデは祭司長と律法学者を召集した。神からの油を注がれて生まれる新しい王がどこに生まれるのか、聖書は、どのように示しているのかたずねたのです。彼らは旧約聖書、ミカ書5章2節を引用して答えた。
ヘロデ王は博士たちをよびよせ幼な子が生まれた場所をくまなく探すために派遣した。自分も幼な子を拝みに行きたいから、と言ったが彼の唯一の願いは王として生まれた幼な子を殺すことであった。博士たちは再び星に導かれてベツレヘムの馬小屋に寝かせてある幼な子、救い主と出会うことができた。そして彼らにできる精いっぱいの神様への応答として宝の箱を献げたのでありました。彼らは、ひれ伏して幼な子を拝み、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
博士たちが王の宮殿で期待していた幼な子はいなかった。しかし、神のしるしは最後まで彼らを導いたのでした。そしてベツレヘムにおいて博士たちは想像だにしなかった暗い洞窟の家畜小屋で、貧しくてどうしようもない状況の中に神の子メシアを見出したのであります。博士たちが、母マリアと幼な子の貧しさに、つまづかないように、神からの贈り物であった、神のしるしである光り輝く星よりも、もっと偉大なキリストを彼らが見ることができるように神さまは彼らを支えて下さるのであります。
最期、この福音書を書いていますマタイがこの博士たちの訪問で私たちへのメッセージが何であるか、ヘロデ王の代わりに東の方からの博士たちがメシアの生まれた事を告げたということです。ヘロデ王のもとで苦しむ民、暗闇の世に救い主イエス・キリストがまことの光としてお生まれになった。ヨハネ福音書では1章5節でこう表現しています。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」14節「言は肉となって私たちの間に宿れれた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって恵みと真理とに満ちていた」。
私たちの間に宿られた栄光を異邦人である、東の国の博士たちがヘロデ王に告げた、ということであります。この出来事を記している福音書はマタイだけであります。ローマ帝国の権力をほしいままにしているヘロデにまことの救いをもたらす新しい王が生まれたと異邦人から突きつけられている、そのことをマタイはくどくどと2章でしっかりと書いているのであります。ここでマタイが言っていることは、イスラエルが異邦人にキリスト誕生を記していったのではない。
東の国の3人の博士たち、異邦人が神に用いられて遠い遠い長旅を乗り越えて救い主メシアの誕生を告げているということです。東の国からの博士たちがエレサレムをたずねて来たことはまことに不思議なことであります。更に不思議なことは、イエスが誕生された頃、不思議にも世界中に王を待ち望む機運が満ちていたことであります。このことはローマ帝国の歴史家さえも知っていた。
タキトウスという歴史家が書き残している中に「人々が固く信じていたことは、その頃、東の国が強力になり、ユダヤから出した支配者が全世界を包括する定刻を築くということである。」このようなことは古代には、容易に起こりうることであった。人々は神を待ち望んでいた。こうして待ち望む世にイエスが来られたのである。
星を眺め、研究していた博士たちの名はマギと呼ばれる人々であった。彼らはメディアの種族でペルシャでは権力や野心を捨てて、祭司の種族となった、といわれる。彼らは哲学、薬学、自然科学に秀でていた。当時の人々はみな、占星学を信じ、星によって未来が占えると思い、又ある星のもとに生まれると、その星によって運命が定められる、と信じていた。星の運行は一定していて、宇宙の秩序をあらわす。そこへ突然に明るい星が現れたり、特別な現象によって天体の不変の秩序がみだれると、それは神が創造の秩序を破って何か特別なことを告示するのだと考えらた。
3人の博士たちは突然明るく輝く星を見出した。古代の占星術師はこうした異変は偉大な王の誕生を告げると信じて疑わなかった。そこで3人の博士たちは新しくお生まれのなった王に会いたいと旅立ったのです。彼らがエレサレムまで輝く星に導かれて行ったことは想像だにできない神の計画の中に星をしるしとして、それら全てを神が用いていかれたということであります。
今年、新しい年を迎え神様は私たちをどのように用いていかれるでしょうか、祈っていきたいと思います。 アーメン
顕現主日。
2015年 今年も宜しくお願いいたします。
1.本日の福音書の箇所は、ガリラヤのカナという町でイエス様が行った奇跡の業について記していますが、福音書の中でよく知られている話の一つです。結婚式の祝宴でお祝いに飲むぶどう酒が底をついてしまった。そこで、イエス様が水をぶどう酒に変える奇跡を行って、祝宴は無事に続けられたという話です。奇跡と呼ぶには、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、結婚式の祝宴というものはイエス様の時代にも大がかりなものであったことを考えてみるとよいでしょう。祝宴会場にユダヤ人が清めに使う水を入れた水瓶が6つあり、それぞれ2,3メトレテス入りとありますが、ひとつにつき80-120リットル入りです。それが6つありました。すでに出されていたぶどう酒が底をついてしまった時に、イエス様は追加用にこの水瓶の水全部480-720リットルをぶどう酒に変え、祝宴が続けられるようにしたのです。一人何リットル飲むかわかりませんが、相当大きな祝宴であったことは想像つきますし、大量の水を瞬く間にぶどう酒に変えたというのは、やはり奇跡と言うしかありません。
この福音書の箇所はまた、イエス様が困難に陥った人たちを助けてくれる心優しい方であることを述べている箇所としても知られ、結婚式に関わる出来事なので、キリスト教会の結婚式や婚約式での説教の聖書の箇所としてもよく用いられます。あなたたちはこのように見守ってくれる主の御前で式をあげているんですよ、あなたたちにはこのような優しい方がついておられるんですよ、というメッセージは、新しい門出を旅立つ新郎新婦の心を和ませてくれるでしょう。
ところで、この箇所は、よく読んでみると、わかりにくいことがいろいろあります。それは、ぶどう酒が底をついた時に、イエス様の母マリアが彼に祝宴会場にはもう全然ぶどう酒がない、と言った時のイエス様の答えです。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」という答えです。「わたしとどんなかかわりがあるのです」というのは、ギリシャ語の原文が少しわかりにくいのですが、「この件に関して、私とあなたとの間にはなにがあるというのか」、もう一歩訳し進めると「この件に関して、あなたはわたしにどうしてほしいというのか」という意味になります。そのすぐ後にイエス様は、「わたしの時はまだ来ていないのだ」と続けられます。
こうしてみると、マリアは祝宴からお祝いムードがどんどん冷めていくのを見るに耐えかねて、イエス様に、お前何かできないかね、と打診して、それに対してイエス様は母親に、あなたが私に頼む筋合いではない、私の時はまだ来ていないのだ、と答えたのであります。イエス様は、はい、わかりました。ひと肌脱ぎましょう、とは言わなかったのであります。イエス様の答え方はまるで、自分の知ったことではない、と突き離す内容に聞こえます。心優しいどころか、何と冷たい人なのかと思わされます。ところが、このような冷たい答えにもかかわらず、マリアは何を思ったのか祝宴の召使いに、イエスが何か命じたらすぐそれを実行するように、と言いつけます。つまりマリアは、イエス様はなんだかんだ言っても助けてくれると理解していたのであります。結果をみれば、その通りになって優しいイエス様の面目は保たれるのですが、それにしても最初のやりとりはわかりにくく、イエス様はあまのじゃくで、素直な方ではないと思わされます。
しかしながら、実はイエス様はあまのじゃくな方でも、素直でない方でもなく、ちゃんと意味の通ることをおっしゃっているのです。「わたしの時はまだ来ていない」という言葉をちゃんと理解できれば、そのことがわかります。以下にそれについて見ていきましょう。
2.「わたしの時はまだ来ていない。」「わたしの時」とはどんな時で、その時が来るのはどんな時なのでしょうか?ヨハネ12章で、次のような出来事があります。イエス様が最後のエルサレム入城を果たして、大勢の群衆の前で神や神の国について教えて、ユダヤ教社会の指導層と激しい論争を行っていた時、地中海世界の各地から巡礼に来ていたユダヤ人たちが、イエス様に会いたいと言って来ました。それを聞いたイエス様は弟子たちに次のように言いました。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(12章23節)。さらに、ヨハネ17章で、十字架にかけられる前夜の最後の晩餐の席上、イエス様は次の祈りを父なるみ神に捧げました。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を顕すようになるために、子に栄光を与えて下さい」(17章1節)。
つまり、「イエス様の時」とは、イエス様が十字架にかけられて死を遂げる時、その前に受ける拷問を含めて大いなる苦しみを受ける時、そしてその後で神の力で死から復活させられて神の栄光を現わす時であります。イエス様が苦しみを受けて十字架にかけられて死ななければならなかったのは、これは、人間が全ての罪と神への不従順を神から赦していただくための神聖な犠牲となるためでしたから、これは神にとっても人間にとっても大事な時だったのであります。さらに、イエス様が死から復活させられたことで、死の力が無力にされて死を超える永遠の命の扉が開かれたことになりました。人間は、父なるみ神とみ子イエス様のおかげで、神との結びつきを持ってこの世を生きて、死を超えた永遠の命に至る道を歩む可能性を与えられたのです。「イエス様の時」とは、まさに人間にこの可能性を与える出来事を起こす時、十字架と復活の時を意味していたのです。地中海世界の各地からイエス様に会いたいと人が来たのを聞いて、イエス様はいよいよ、この出来事が起きた後でその知らせが世界中に伝わる素地が整ったと判断されたのでしょう。
そういうわけで、「わたしの時はまだ来ていない」というのは、どんな意味かというと、それは、「まだ私が十字架の苦しみの道に足を踏み入れておまえたちから離れる時ではない。まだおまえたちのもとにいて神の意思と計画について、また神の国というものについて正確に教え、さらに神がおまえたち人間をどれだけ愛してくれているか、それを教えと奇跡の業を通して示していかなければならないのだ。まだ十字架と復活の前の段階の今は、私はこのミッションを続けなければならいのだ」という意味であります。
3.このように「わたしの時はまだ来ていない」というのは、まだ十字架と復活の時ではない、まだおまえたちのもとにいて自分のミッションを続けなければならない時だ、という意味だとわかれば、「わたしの時はまだ来ていない」という言葉は奇跡の業を行うことと関係があるとわかってきます。
イエス様の奇跡の業は枚挙にいとまがありません。大量の水を一瞬のうちにぶどう酒に変えた本日の出来事を皮切りに、数多くの難病や不治の病を癒してあげたり、一度息を引き取った人を生き返らせたり、大勢の群衆の空腹を僅かな食糧で満腹にしてあげたり、自然の猛威を静めたり、悪霊に憑りつかれている人からそれを追い出したり、と無数にあります。
イエス様がこのように人助けの奇跡の業を数多く行った理由として、イエス様や彼を送った父なるみ神が優しい愛に満ちた方で困っている人を助けずにはいられなかった、というふうに考える向きが多いと思われます。もちろん、イエス様や父なるみ神は優しくて愛に満ちた方というのは否定できないから、そう見ることもできますが、それだけが奇跡の業を行った理由というのは一面的すぎるでしょう。もし、それだけならば、イエス様はなぜもっと地中海の東海岸地方の限られた地域だけでなくてもっと世界各地を回って奇跡の業をし続けなかったのか、ということになります。世界各地にはまだまだ病気や飢饉はあちこちにあったのですから。しかし、イエス様は時間一杯とばかり、ミッションを限られた地域にとどめ、さっさと十字架の苦しみの道に入られました。それは、イエス様と彼を送った父なるみ神にとって、十字架の死と死からの復活の出来事を起こして、そこから神と人間の結びつきを回復して、人間が永遠の命に至る道に置かれてその道を歩めるようにすることが何にもましてすべきことだったからです。
イエス様が、十字架と復活の時が来るまで奇跡の業を行った理由として、そのことを通して、人々が彼を神のひとり子であると信じさせるひとつの手段として用いていたことがあります。ヨハネ14章でイエス様は、イエス様がまだ神から送られた方だと実感できないと言う弟子のフィリポに対して、次のように言います。「フィリポ、こんなに長い間、一緒にいたのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見たものは、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を示してください』と言うのか。わたしが父の内にいて、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におわれる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい」(14章9-11節)。人間は、ただ言葉で聞いても信じられない、それならば、イエス様が行った業をもとに信じなさい、ということです。
しかしながら、こうした信仰の手段として奇跡を用いることはイエス様自身も問題があることをよくご存知でした。ヨハネ6章で、5千人の群衆がわずかな食糧で空腹を満たされた後、イエス様の後を追いかけてきます。その群衆に対してイエス様は次のように言われました。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(6章26節)。奇跡を経験した人々は、それをイエス様が神から送られたひとり子であることを示すしるしとまではとらえるには至らなかった。イエス様のことを、ただ人々の欲や必要を満たしてくれるありがたい方、一緒にいればまだまだいいことがある、そういう期待を持って追いかけてきたことをイエス様は見抜いたのであります。奇跡を経験した人が、もしイエス様を神のひとり子と本当にわかって信じることができれば、その人の心は、どうやって自分の必要や欲をさらに満たしてくれるかということから、どうやって自分は神の意思に従って生きることができるか、ということに向けられるようになります。それができるというのは、やはり、十字架の死と死からの復活という奇跡の中の奇跡が起きる前はなかなか難しいことなのであります。
このようにイエス様は、人間というものは、言葉だけでは信じられない弱さがあると知って、奇跡の業を信仰に至る手段として用いつつも、それが必ずしも正しい信仰をもたらさないリスクを持っていることを知っていました。このように人間とは、神の手に負えないしょうもない存在なのであります。それにもかかわらず、神は、そんな私たち人間が神との結びつきを持ってこの世を生きられるようにと、しかもその生きる道が死を超えた永遠の命に至る道であるようにするために、イエス様をこの世に送られ、彼を用いてこの人間の救いを実現して下さったのです。このような神は、永遠にほめたたえられますように。
4.以上から、イエス様が母マリアに「私の時はまだ来ていない」と言ったのは、彼はまだ人々と共にいて自分のミッションを続ける立場にある、ということを意味したことが明らかになりました。ミッションの中には、人々を信仰に導くための奇跡の業も含まれますから、このぶどう酒が底をついて祝宴が台無しになり出した状況に対しても、何かしなければならないことはよくわかっている、というのであります。そうすると、イエス様の言葉、「この件に関して、あなたはわたしにどうしてほしいのか。わたしの時はまだ来ていないのだ」というのは、私の知ったことか、何にもしないよ、という意味ではなく、私がまだ人々の間にいる以上は何かするつもりでいるのは当たり前ではないかという意味であることが明らかになります。ただし、何かするにしても、それを行うのは、自分が神のひとり子であることを示す以外の目的では行うのではない、母親を含めて単に人にお願いされたから自動的にそうしてやるのではない、ということが含まれていることを忘れてはなりません。いずれにしても、マリアはイエス様の言葉を聞いて、ああ、イエスは何かをするつもりだなとわかったのであります。それで召使いたちに、言われた通りにしなさいと命じたのでした。イエス様は別にあまのじゃくでも、素直でない方でなく、彼とマリアのコミュニケーションは、問題なく通じていたのであります。(私たちの新共同訳の聖書では、イエス様が問題の言葉を述べた後、マリアが召使いに言いつける際、「しかし、母は召使たちに」と「しかし」という言葉が入っています。ギリシャ語原文には「しかし」はありません。ここで逆接の接続詞を入れたから、イエス様の言葉があまのじゃくのようになってしまったと思われます。)
これまで申し上げてきたことの中には、奇跡が私たちの信仰にとって持つ意味やリスクを考えるよい材料があったと思います。私たちの目の前には、当時の人たちと違って、奇跡の業を目の前で行ってくれるイエス様がいらっしゃりません。彼は今、天の御国の父なるみ神の右に座し、再臨の日まではそこから私たち一人一人に対して大抵は見えない形で働きかけられます。もし、イエス様が当時のように私たちの目の前におられ、奇跡の業を行ってくれれば、私たちも信じやすくなるのにな、と思う人がいるかもしれません。しかし、当時の人たちと私たちの間にはひとつ決定的な違いがあります。当時、奇跡を目のあたりにした人たちは、「イエス様の時」がまだ来ていない時に生きていた人たちでした。イエス様の十字架と復活の出来事が起きる前に生きて奇跡を目撃した人たちでありました。私たちはと言えば、十字架と復活の出来事の後の時代を生きる者ですから、イエス様の来た後の時代を生きていることになります。この違いは決定的です。
どういうことかと言うと、イエス様の同時代の人たちも、やがて十字架と復活の出来事を目撃して、イエス様が神の子であることが、これ以上の証拠はいらないという位にわかって信じることになりました。その結果、自分の必要や欲を満たしてくれるから神の子として認めてやるという考え方は消え去り、自分を犠牲にしてまで人間と神との結びつきを回復しようとされた救い主として信じるようになったのです。それで、どうしたら神の意思に沿う生き方ができるかを真剣に考えるようになったのです。私たちも実は、このように十字架と復活の出来事の後に、つまり「イエス様の時」が来た後に、心が入れ替わった信仰者と同じ信仰を持っているのです。自分の置かれた状況や境遇に左右されない信仰です。私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆さん、このことを忘れないようにしましょう。
2014年12月28日の聖書日課 ヨハネ2章1節-11節、イザヤ62章1節-5節、コロサイ1章15-20節
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