説教:木村長政 名誉牧師、使徒言行録 1章1~11節

今日の礼拝は、昇天主日です。イエス様が天に上げられる様子が使徒言行録1章6節~11節に記されています。特に9節を見ますと「こう、話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」とあります。イエス様にとって、弟子たちの肉眼の目でイエス様の姿を見ることができ、イエス様との話しができるのは、いよいよ最後の時となりました。それで、イエス様にとって弟子たちに、どうしても言っておかねばならない重要なことが二つありました。第一は、イエス様は十字架の上で死をとげられた、けれども三日目によみがえられたこと。復活の後もイエス様は生きて働いてくださる、ということこの事を、まず弟子たちがしっかり知って理解し、信じること、でありました。そのために数多くの証拠をもって使徒たちに、その事を示し40日間現れたのでしたち。使徒言行録1章3節を見ますと「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを数多くの証拠をもって、使徒たちに示し、40日間にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」ここに40日間にわたって彼らに現れた。もうひとつは神の国について話された。この二つのことが弟子たちにしっかりと正しく、わかっていなかったからでしょう。

ルカによる福音書24章37節を見ますと、復活の体で弟子たちの前に現れても、彼らは恐れおののき玄霊を見ているのだと思った。そして私をさわって良く見なさい。玄霊ではない、彼らの前で焼いた魚を食べられた、とあります。イエスは「よみがえられた」ということを信じる、ことが大変重要なことであるからです。ですから、ルカ24章44節から48節にわたって、とても大切な最後のメッセージとして言われているのです。「わたしについてモーセの律法と、預言書と詩篇にかいてある事柄は必ずすべて実現する。これこそあなた方と一緒にいたころ言っておいたことである。」そしてイエスは聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた。次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け三日目に死者の中から復活する。また罪の赦しを得させるために悔い改めが、その名によって、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、あなた方は、これらのことの証人となる。

第二の課題は、神の国について話されます。イエス様が一貫して教えてこられた神の国と弟子たちがイエス様に期待していた神の国の理解が全く違っていたからです。弟子たちはイエス様の中に神の力、奇跡の力を起こして、最後には民衆も一緒にローマ帝国の支配から開放してくださる、ことを神の国としてえがいて期待した。だから、イエスとの別れの前に訴えています。使徒言行録1章6節です。使徒たちは集まって言っています。「主よ、イスラエルの国のために国を建て直ししてくださるのはこの時ですか。」とたずねた。主人への最後のチャンスです。彼らは真剣に革命を起こすことで、イスラエルに平和をもたらしてくださる神の国を描いていました。イエス様の神の国とは違うものでしたから、この大きなギャップをどうしたらいいものか、大きな課題でした。イエス様は教えられた。「神の国は天の父がご自分の権威をもって、お定めになった時であってあなた方の知るところではないのだ。」そこにはイエス様の代わりにあなた方の上に聖霊がが降りてくる。そして力を受けるのだ。そこで、イエス様は神の国の福音を全世界に向けて宣べ伝えいくように、弟子たちに命じられたのです。これまで、イエス様が教えられたこと、行われたことの証人となっていくのだ。と命じられました。

この使命は重い重荷です。弟子たちに頼るしかない。マタイ福音書の方では最後のところで、力強い弟子たちへの派遣の言葉と言われています。マタイ28章18~20節です。「わたしは、天と地との一切の権能を授かっている。だからあなた方は行って全ての民をわたしの弟子にしなさい。」と言われた。復活の主、イエス様が「わたしは天と地との一切の権能を授かっている。」というのはどういうことでしょうか。大変重要な言葉です。コリント第一の手紙45章22~28節を見てください。パウロは終末の時、復活のキリストがどういう方であるかを示してくれています。22節から見てみますと「キリストによって、すべての人が生かされていることになるのです。ただ一人ひとりそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いでキリストが来られた時にキリストに属している人たち、次いで世の終わりが来ます。〈ここからがすごいことが示されています。〉その時キリストは、全ての支配、全ての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストは全ての敵をご自分の足の下に置くまで国を支配されることになっているからです。最後の敵として死が滅ぼされます……….」すごいことが語られているんです。実はここは「キリストの復活そのもの、目的」が書いてあるからです。キリストの復活が目指しているものは何かということです。主の来臨に際してキリストに属する者も生きることになる。それから終末になる。その間に特別な時があったように言う人もありますが、そうではなく主の来臨に際して、キリストに属していた者が救われて終わりが来る。それから終末になって、いよいよキリストの復活の力が発揮されるようになるのであります。

キリストは全ての支配、全ての権威、勢力を滅ぼされます。キリストは、キリストに属する者を復活させられたが、その本当の目的はあらゆるものに勝つことであります。これこそ、まことに復活の意味であります。なぜなら、あらゆるものは死ぬはずであります。だから、それら死にゆく者に勝つ道は、死なないことです。すなわち、復活であるはずです。少なくとも、復活することの出来たキリストであった、。と言うことが出来るでありましょう。世の終わりが来た時、キリストは全ての支配、全ての権威と勢力を滅ぼし父である神に国を引き渡されます。それは、キリストが全てのものに勝って、王として君臨し、やがてはその王としての支配を神に渡される。なぜならキリストはあらゆる教えをその足もとに置く時までは支配を続けることになっているからである、25節に記してあります。キリストこそはまことの勝利者でいらっしゃることが明らかです。それならば復活の目的が「勝利」にあったということです。しかし、それならば最後の敵とは何でありましょう。もろもろの力も強いかもしれませんが、ほんとうに強いのは死であります。なぜなら死はどんなものも滅ぼすからです。そこで、ここには最後の敵として滅ぼされたのは死である(26節)というのです。どんなに強い人でも病気などしない人でも、最後には死には勝てません。人間のあらゆる努力は、死に勝ちたい、ということかもしれませんがそれは絶望です。

死が最後の敵であり、もっとも恐ろしい敵であります。その最後の死を復活されたキリストは滅ぼされたのです。死がどんなに強いといっても復活に勝つことは出来ません。従ってキリスト復活の最終目的は死に勝つことでありました。さて、そうなると何が起きたのでしょうか。キリストは万物をその足の下に従わせられたのです、ですからこのように復活のキリストは、マタイ28章18節を見ますと「わたしは、天と地の一切の権能を授かっている」。だから、あなた方はすべての民を弟子としなさい。こうして、全世界に福音を宣べ伝える派遣を命じられたのです。「わたしは、いつもあなた方と共にいる」と言われるのであります。 アーメン

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