牧師の週報コラム 

ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」5月5日の日課から)

キリスト信仰者はじたばたしない、往生際が良いのだ(その2)。

『イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。』 (ルカ1714節)

『彼らがキリストを信じ始め彼から善いものを受けられるようになるや否や、キリストは彼らの信仰を鍛え試すことにした。主が目に見える仕方で彼らを癒すことをしないで、ただ単に祭司たちのところに行きなさいと言葉を発して命じたことが、その鍛え試しである。

主は私たちの信仰を鍛え試す時にも同じ方法を取られる。一体、主は私たちをどうされたいのだろうかと、私たちが理解に苦しむような仕方で私たちを試されるのだ。そのようになさるのは、私たちが彼の透徹した善性に身と心を投じるためであり、また、私たちが願い求めるものを主は与えて下さると信じて疑わないためである。場合によっては、願い求めたものよりももっと良いものを与えて下さるのだと。主の言葉を聞いた男たちは次のように考えたに違いない。「わかった、それなら私たちは主が行けと命じたところに行くことにしよう。たとえ主は、清めてあげるかあげないか、はっきり言ってくれなくても、彼のことを頼りにならない者だなどと考えたりはすまい。主はこれまでと何ら変わりのない救い主なのだ。だから私たちは、主の守りと導きに対してこれまで以上に密接に自分自身を結びつけよう。たとえ我々を清めて下さらなくても、代わりにもっと良いものを与えて下さるはずだ。それなので喜びながら主がどんな解決を与えて下さるかを待つことにしよう。」

よく見なさい、まさにこれこそが信仰にあって成長するということだ!このような試練は私たちキリスト信仰者の一生を通して絶えず繰り返される。主は、あることをもって私たちを試された後で、いつもすかさず全く別のことを始めておられる。そうするのは私たちの信仰と主に対する信頼を一層強めるためなのだが、それはあくまで私たちが最後まで信仰に立つ限りにおいてである。』

 

DSC_3767
新規の投稿
  • 2026年2月8日(日)10時半 礼拝 説教 吉村博明 牧師
    主日礼拝説教 2026年2月5日(顕現節第五主日) スオミ教会 イザヤ58章1-12節 第一コリント2章1-16節 マタイ5章13-20節 説教題 「真にキリスト信仰者は地の塩、世の光なのだ」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様 はじめに […もっと見る]
  • スオミ教会・家庭料理クラブの報告
    今年最初の家庭料理クラブは2月7日に開催しました。天気予報は一日雪のマークでしたが、雪は降らず参加者の皆さんは無事に教会にいらっしゃることが出来ました。今回の料理クラブは、フィンランドの「ルーネベリの日」の二日後でしたが、「ルーネベリロールケーキ」を作りました。 […もっと見る]
  • 子どもの料理教室のご案内 2026年2月14日
  • 牧師の週報コラム
    日本人を日本人たらしめる視点 かつてジャパンアズナンバーワンと言われた日本も、今では平均賃金、一人当たりの国民総所得ともに欧米諸国は言うに及ばず韓国にも追い抜かれてしまった(円安をやめれば計算上はまだ救いはあるかもしれない)。 […もっと見る]
  • スオミ・キリスト教会 2月の予定
  • 歳時記
    灯台下暗し <1わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。2わが助けは、天と地を造られた主から来る。 詩編121:1・2> […もっと見る]