牧師の週報コラム

ルターによる御言葉の説き明かし(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」2月14日の日課から

重い皮膚病を患っていた10人をイエス様が癒す奇跡を行った時のこと。

「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。」ルカ福音書17章15節

以下、ルターの説き明かし

『福音書は、鍛えられて経験を積んだ信仰がどんな業を行うかについて教えてくれる。ある人たちは神のために教会を建て、別の人たちは神のために教会の鐘をならし、他の人たちは神のためにロウソクに火を灯す。あたかもそうすることで神がよく見えるようになるかのように。彼らが行う業は実は、神というのは我々から良いものとお仕えを必要とし、それらがないと何もできないような子供扱いでそうするのである。

神への正しいお仕え、正しい礼拝とはそのようなものではない。神のもとに戻り、声高に神を賛美することが神への正しいお仕えであり礼拝である。それこそ、天においてもこの地上においても最も偉大な業であり、我々が神に対して成しえる唯一の業なのである。その他のものを神は必要とはしていない。神がなさることは、我々の神に対する愛と賛美を受け取ることだけである。

神のもとに戻るというのは、神から頂いた恵みとその他の良いものを神のもとに持ち帰ることである。それらのものを自分のもとに留めないことである。それらにしがみつかないことである。それらのゆえに他人に対して優越感を抱かないことである。それらをもとにして栄光を求めないことである。いかなる点においても他の人たちよりも優れた者として立ち振る舞わないことである。それらをもとにして自分を愛することをしないことである。そういう自己愛を享受しないことである。享受、自己愛、誇り、栄光は全て、それらを与えて下さった神のところにあるのが当然である。我々のところにあるべきものではない。だから我々は、神は私たちに与えた賜物をまたご自分のもとに引き戻される方でもおられるのだということを心に留めてこの真実に下に自分を服させていよう。そして神がそうされる時も、賜物があった時と同じ位に神を賛美し愛そう。しかし、実際どれくらいの者がこのように神のもとに戻るだろうか?10人のうち一人でもいたらいい方だろう。』

DSC_3767

 

新規の投稿
  • 2026年4月26日(日)復活節第四主日 礼拝 説教 吉村博明 牧師
    主日礼拝説教 2026年4月26日 復活後第四主日 使徒言行録2章42-47節 第一ペトロ2章19-25節 ヨハネ10章1-10節 説教題 「罪の赦しという神のお恵みに留まって生きる」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様 1.はじめに […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム 
    覚悟と胆力を養うキリスト信仰その9 ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」2月6日の日課から) 『我らに日ごとの糧を今日も与えたまえ』(マタイ6章11節) […もっと見る]
  • 手芸クラブの報告
    4月の手芸クラブは22日に開催しました。この日は太陽が明るく輝き様々な花も咲くようになって美しい季節の朝でした。 […もっと見る]
  • 4月の料理クラブの報告
    4月の料理クラブは18日、つつじが咲き始めた初夏のような陽気の中で開催しました。今回はこの季節にピッタリのシュガーフレーク・フルーツケーキを作りました。 […もっと見る]
  • 歳時記
    キランソウ 〈ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。 詩編 51:7〉 […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム
    覚悟と胆力を養うキリスト信仰その8 ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ 」4月24の日課から) 『婦人が子供を産む時、彼女は苦悶に見舞われる。彼女の時が来たからである。」(ヨハ ネ16章21節にある主イエス・キリストの御言葉、1933年のフィンランド語訳聖書を参考に しました。) […もっと見る]