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ルターによる御言葉の説き明かし ― フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」10月9日の日課から
「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。」 最後の晩餐の席で主イエスが弟子たちに述べた言葉から(ヨハネ16章22節)
この主の御言葉を信じられることほど信仰の奥義はないであろう。キリストを救い主に持たない者たちが豊かに安逸に暮らせているのに、救い主に持ってそれを人前で明かす我々は命、名誉、財産を危険に晒してしまうというのは真実である。しかし、将来、我々を待ち迎えてくれるものは何か、心の目と耳をすまして思い起こせば、我々は嬉しさに溢れて「心から喜ぶことになる」。逆に、この世ほど惨めで憐れなものはないともわかる。この世の者たちが我々をどんなに無意味で無価値なものと見下しても、それが一体何であろう。我々が失うものは背中に背負っている荷袋だけだ。それは皮のような表層にしかすぎない。しかし、我々は中核にあるものを持っている。この世で何が起きようともこの世を去る時も持ち続けているものだ。この世で失ったものについては、溢れるほどの補償をしてもらえると知っている。
これとは逆に我々と異なる立場にある者たちは、この世のわずかな時を皮だけ持って生きているようなものだ。彼らには中核がなく、いずれその皮さえも失う。全てが一変する日が来るのだ。今、不足なく人生を謳歌している者たちは、その日には何もなくなる。我々はこのわずかな時を悩み苦しむが、あの者たちは永遠に悩み苦しむことになる。この世にこれ以上ないという位の大きな災難があるとすれば、それは福音を何ものとも思わない盲目さということになろう。その盲目さのゆえにこの世は裁きの下に置かれたのだから。そのようなものをこの世に望んで言いわけがない。私は、この世がこのような恐るべき状態から脱せられるように祈ろうと思う。(訳者注 原文の力強さと迫力が伝わるようにかなり意訳してあります。)