牧師の週報コラム 

アブラハムの信仰の足跡をたどる学び
今年のスオミ教会の月第三主日の聖書研究会は「アブラハムの生涯」をテーマに創世記11章27節から25章11節までを学びます。宗教改革のルターはアブラハムのことを、イエス・キリストが現れる以前に既にキリスト信仰者であった者と言います。それはどんな意味なのか、学びを通して明らかになり、私たちの信仰の成長に資することができればと思います。以下は、アブラハムの信仰について記した「ヘブライ人への手紙」11章8節の御言葉のルターによる説き明かしです(フィンランドの聖書日課「神の子たちへのマンナ」11月26日の日課)。
「アブラハムは、嗣業の地となる土地へ旅立つようにと神の招きを受けて、それに聞き従った。それはまさしく信仰を通してであった。どこに到着するのかも知らないまま出発したのだから(ヘブライ11章8節、フィンランド語の聖書に基づく)。」
以下はルータの説き明かし。
「どこに到着するかも知らずにアブラハムは出発した。それは彼にとって困難かつ途轍もない信仰の戦いであり試練だったに違いない。しかし結局、彼は旅立った。風が行き先もわからず吹いていくように。
神からの招きに対してアブラハムはどのように応じたであろうか?彼がしたことと言えば、次の神の御言葉だけを心に携えて旅立ったということである。すなわち、「私はお前に祝福を与える」という御言葉である。ここからもわかるように、信仰には見極めの目が伴う。光が全くない暗闇の中でも信仰は見ることができる目を持つ。信仰は、何も見えないところで見、何も感じられないところで感じるのである。
アブラハムの旅立ちが聖書に記されているのは、私たちのために他ならない。私たちも同じように神の御言葉を信仰の中軸に据えて御言葉の中に踏みとどまることを習得するためである。まさに御言葉の中で神は、私たちの身体と命そして魂までも世話し守って下さると約束されている。たとえ現実にはそう見えずそう感じられなくても、神はそうすると約束されている。だから、あなたは神が御言葉の中で約束されたことに信頼することだけに努めなさい。たとえ周りが全く逆の方向に進んでいるかのように見える時でも努めなさい。神はアブラハムに約束の成就まで長い年月を待たせたのだ。たとえ今、私たちに対しても時間がかかっても、信じることを止めてはならない。なぜなら、神は、あなたの信仰に忍耐が備って成長するように約束の成就を待たせているだけなのだから。」

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