「私たちの真実を明らかにし道しるべとなるイエス様の光」吉村博明 牧師 、ルカによる福音書2章22-40節

主日礼拝説教 2023年12月31日降誕後主日

聖書日課 イザヤ61章10節ー62章3節
ガラテア4章4節ー7節
ルカ2章22-40節

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.イエス様誕生後の謎に迫る - 保守主義者の立場から

 本日の福音書の箇所にシメオンのキリスト賛美がありました。私たちはこの賛美をいつも礼拝の中のヌンク・ディミティスのところで唱えています。「今私は主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り僕を安らかに去らせて下さいます。この救いは諸々の民のためにお供えになられたもの。異邦人の心を照らす光、御民イスラエルの栄光です」といつも唱えます。「ヌンク・ディミティス」というのは、「今あなたは去らせて下さいます」のラテン語です。

このキリスト賛美は、老人シメオンがエルサレムの神殿でマリアとヨセフに連れられた赤ちゃんイエスを見て唱えました。ここで、イエス様がベツレヘムの馬小屋で誕生した後の出来事の流れを少し振り返ってみましょう。

本日の福音書の個所の前のルカ2章21節をみると、イエス様が誕生8日後にユダヤ教の律法に従って割礼を受けたことが記されています。(レビ記12章3節、創世記17章10~14節)。その次に本日の個所が来て、場面が一変します。律法によれば子供の割礼後、母親は99日間清めの期間というのがあります。その間は神殿に入れず、それが過ぎた後で神殿に行って子羊ないし山鳩の生け贄を捧げて清めが完了したことになります(レビ記12章4~8節)。ヨセフとマリアとイエス様が神殿に行ったのはこの規定のためでした。そうすると、割礼の後三人はどこにいたのでしょうか?ここでマタイ福音書2章を見ると、生まれたばかりのイエス様と両親はヘロデ王の迫害から逃れるためにエジプトに避難したことになっています。親子三人は王が死ぬまでエジプトに滞在したことになっています。先ほどの清めの期間の約3か月間は神殿には行けないので、それがエジプト避難の期間にうまく当てはまります。

ところが、時間的につじつまがあわないことが出てきます。三人がエジプトからイスラエルに帰還するのはヘロデ王が死んだ後です。王の死は紀元前4年とされています。そうするとイエス様の誕生は紀元前4年か5年になる。ところが、ローマ帝国が行った租税のための住民登録の実施年は紀元前7年が有望とされていて、紀元前4年ないし5年に住民登録があったという記録は見つかっていない。さらに、星の異常な輝きが見られたということに関して、紀元前6年に木星と土星の異常接近があったことが天文学的に計算されています。そうなると、イエス様の誕生年は紀元前6、7年となり、親子三人のエジプト滞在は2~3年の長期になってしまいます。シメオンが抱きあげたイエス様も赤ちゃんと言うよりは2、3歳くらいの幼児になってしまいます。以前の説教でその可能性を言ったことがありますが、今回は、マタイ2章でヘロデ王が殺せと命じたのは2歳までの男の子だったことに思い当たりました。生後一か月とかではなく2歳まで対象を拡大したというのは、王が東方の博士たちの戻って来るのを暫く待っていたことを伺わせます。どれ位待ったかわかりませんが、もし3ヶ月以上だったら、親子三人はベツレヘムからエルサレムの神殿に行くことができます。

ここから次のように考えることができます。住民登録は紀元前7年のものが有望とは言っても有望と言うだけで、他に記録が失われたものがあるかもしれない。ないしは、皇帝の命令が全領土に一斉に同時執行されなくて、地域差があったかもしれない。星の輝きも、天文学的に突き止められるのが紀元前6年にあったと言うだけで、土星と木星の異常接近以外にも、彗星か何か、まだ突き止められていない星の動きがあったことも否定できません。それで、イエス様の誕生がヘロデ王死去の年に近づけば近づくほど、シメオンが抱き上げた子供は幼児ではなく赤ちゃんになっていきます。

なぜ、こんなふうに、一見かみ合わないマタイとルカの記述をあわせようとするかと言うと、説教者や神学者によっては、マタイとルカの記述は全く別の出所から来ているのであわせようとしても無駄だと考える人がいるからです。全く別の出所から来ていると考えると、どっちか一方は歴史的に本当かもしれないが、他方は本当でない作り話になってしまいます。または、両方とも作り話と見てしまう人もいます。そういう人たちが説教をすると、一種の小説評論のようになります。

私が、マタイとルカの両方をあわせようとするのは、両方とも歴史的に本当であることを前提にしてその可能性を追求しようということです。マタイとルカが一見かみ合わない記述になってしまったのは致し方のないことです。と言うのは、イエス様の大人の時と違って子供の時は目撃者に限りがあります。ヨセフが生前に周囲に語ったことと、長く生きたマリアが弟子たちに語ったことが中心にならざるを得なかったでしょう。それぞれの観点でそれぞれの印象と記憶に基づいて語られたので、いろいろ一致しないことが出てくるのは止むを得ないのです。そういうものだと観念して、歴史的に本当だという立場に立つ者を私は保守主義と呼びます。聖書に書かれたことを大事に保全する(conserveconservativeconservatism)からです。逆に、聖書のここは本当、ここは本当じゃない、と自由自在に切り刻んでいく立場を自由主義リベラリズムと呼びます。

2.シメオンのキリスト賛美 - 自己民族の観点?普遍的な観点?

イエス様とマリアとヨセフの三人がエルサレムの神殿に来て清めの儀式をした時、老人シメオンが近寄ってきて、イエス様を腕にとって神を賛美しました。この子が神の約束されたメシア救世主である、と。シメオンは、イエス様のことを「異邦人を照らす啓示の光」と呼びます。どんな光かと言うと、ギリシャ語原文をよく見ると、今まで現れていなかった光が現れてそれを異邦人が目にするという光です。簡単に言えば、「異邦人に現れる光」です。「異邦人」というのは、ユダヤ民族以外の全ての民族です。アメリカ人もヨーロッパ人も日本人もアフリカ人も、ユダヤ教に改宗していなければ、みんな異邦人です。その異邦人に現れる光とはどんな光なのでしょうか?それは、神の意志を人間に明らかにする光です。天地創造の神の意志は、それまでは旧約聖書を通して主にユダヤ民族に知らされていました。それが、神のひとり子イエス様がこの世に贈られて以後は異邦人にも知らされることになるというのです。そのような方が旧約聖書の預言通りにユダヤ民族の中から輩出した、それでシメオンはイエス様のことを「神の民イスラエルの栄光」と賛美したのです。

 シメオンは「イスラエルの慰め」を待っていて、メシア救世主を見るまでは死ぬことはないと聖霊に告げられていました。そして、メシアはこの子だと聖霊によって示されて賛美を始めました。

ところが、待望のメシア救世主の将来はいいことづくめではありません。シメオンはイエス様について預言を始めます。この子は将来、イスラエルの多くの人たちにとって「倒したり立ち上がらせる

者になる。つまり、イエス様は多くの人たちを躓かせることになるが、また多くの人たちを立ち上がらせることにもなる、と。果たして、本当にその通りになりました。律法学者やファリサイ派のような宗教エリートたちが、自分たちこそは旧約聖書を正しく理解して天地創造の神の意思を正確に理解していると思っていたのに、本当はそうではないとイエス様から突き付けられてしまいます。それで彼に躓いてしまいました。イエス様は文字通り「反対を受けるしるし」になってしまい、それがもとで十字架刑に処せられてしまいます。十字架の上で苦しみながら死んでいくイエス様をマリアは自分の目で見なければならなくなります。文字通り「剣で心を刺し貫かれた」のでした。

しかしながら、イエス様はただ単に反対され躓きになっただけではありませんでした。多くの人たちを立ち上がらせることにもなったのです。イエス様の十字架の死は、ただ単に彼に躓いた者たちから迫害を受けて殺されてしまったということではありませんでした。神の大いなる計画がそのような形をとって実現したということだったのです。それでは、神の大いなる計画とは何か?それは、人間の罪に対する神罰を人間に受けさせるのではなく、代わりに自分のひとり子に全部受けさせるということです。つまり、イエス様の十字架の死というのは、人間に罪の赦しのチャンスを与えるために神がひとり子を犠牲にして罪の償いを人間に代わってさせたというのが真相だったのです。

神がイエス様を用いて行ったことは罪の償いだけではありませんでした。神は一度死んだイエス様を復活させて、死を超えた永遠の命があることをこの世に知らしめ、そこに至る道を人間に切り開いて下さいました。人間は、これらのこと全ては神が自分のためにしてくれたのだとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、イエス様が果たしてくれた罪の償いがその人にその通りになります。罪を償われたからその人は神から罪を赦された者と見なされ、神との結びつきを持ててこの世を生きるようになります。永遠の命に至る道に置かれて、その道を進んでいきます。たとえこの世から離れることになっても、復活の日に目覚めさせられて永遠の命が待つ神の国に迎え入れられます。このようにして、イエス様のおかげで「立ち上がる」者も出たのです。

そこで、使徒たちがこの「罪の赦しの救い」という福音を宣べ伝え始めると、それを受け入れて「立ち上がる」者が次々と出ました。他方では、受け入れないで反対する者も出ました。まさにシメオンが預言した通りになったのです。さすがに聖霊を受けただけあって完璧な預言でした。

 ところで、シメオンがイエス様を抱き上げて賛美と預言をしていた時に、ハンナというやもめの老婆がやってきました。自分の人生を神に捧げることに徹し、神殿にとどまって断食したり祈りを捧げて昼夜を問わず神に仕えてきました。聖書に「預言者」と言われるからには聖霊の力を受けていたわけですが、やはりイエス様のことがわかりました。それで、周りにいた「エルサレムの救い(贖いλυτρωσις Ιεροθσαλημ)を待ち望んでいる人たち」に、この幼子がその救いの実現であると語り始めたのです。

ここで、シメオンとハンナの賛美や預言をみて一つ気になることがあります。それは、二人ともイエス様が全人類の救世主であるとわかっていたのに、彼らの言葉づかいや、この出来事を記したルカの書き方を見ると、「イスラエルの慰め」とか「エルサレムの救い(贖い)」とか、どうもユダヤ民族という特定民族の救い主であるような言い方、書き方をしています。「イスラエルの慰め」というのは、イザヤ書40章1節や49章13節にある預言、「エルサレムの救い」というのは52章9節にある預言がもとにあります。イエス様の誕生はこれらの預言の実現と理解されたのです。

イザヤ書の40章から55章までのいわゆる「第二イザヤ」の部分は一見すると、ユダヤ民族がバビロン捕囚から解放されて祖国に帰還できることを預言しているように見える個所です。実際にこの帰還は歴史的に起こりまして、エルサレムの町と神殿は再建されました。ところが、帰還と再建の後もユダヤ民族の状況はかつてのダビデ・ソロモン王の時のような勢いはなく、ほとんどの期間は異民族に支配され続けました。神殿を中心とする礼拝も本当に神の御心に適うものになっているかどうか疑う向きも多くありました。それで、イザヤ書40章から55章までの預言は実は祖国帰還後もまだ実現していない、未完の預言だと理解されるようになりました。そうした理解はユダヤ民族の祖国帰還から500年以上たったイエス様の時代でも持たれていたことが、シメオンが「イスラエルの慰め」を、また人々が「エルサレムの救い」を待ち望んでいたことからうかがえます。

 このようにユダヤ民族中心のように見える預言の言葉ですが、シメオンの賛美をよく見ると、メシア救世主がユダヤ民族の解放者ではなく、全人類にかかわる救世主であることをちゃんと言っているのがわかります(2章31節と32節)。特に32節の言葉「異邦人を照らす啓示の光」ないし「異邦人に現れる光」は、イザヤ書49章6節の預言が実現したことを意味します。「わたしはあなたを僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせ、イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

ユダヤ民族の祖国帰還と復興だけでは不十分だ、足りない、スケールが小さすぎるという内容です。救世主のなすべきことはユダヤ民族のことだけにとどまらず、全世界の諸国民の光となって神の救いを全世界にもたらすことだ、と言うのです。

 そういうわけで、ルカや他の福音書の中にユダヤ民族の救いや解放を言うような言葉遣いや表現があっても、それは旧約聖書の預言の言葉遣いや表現法に基づくものであり、それらの預言の内容自体は全人類に及ぶ救いを意味していることを忘れてはなりません。ユダヤ人であるかその他の異邦人であるかに関係なく、救いを受け取る者が真のイスラエルなのであり、永遠の命に与る者が迎え入れられる神の御国が「天上のエルサレム」と呼ばれるのです。

3.私たちの真実を明らかにし道しるべとなるイエス様の光

イエス様が私たちに現れる光であるというのは、どんな光なのでしょうか?イエス様は光であると聞くと、大方は暗闇のような世の中で私たちが道を誤らないように導いてくれる道しるべのようなイメージがわくでしょう。それはその通りなのですが、イエス様が道しるべの光であるというのはどういうことか正確に理解しないといけません。それは、私たちがイエス様の光に照らされると、私たちの罪が明るみに出されたかのように自分で気づくことになってしまうということです。シメオンが預言したように、光になるイエス様が反対を受けるしるしになるというのは、「多くの人の心にある思いがあらわにされるため」ということがあったからでした。ヨハネ3章でイエス様自身、こう述べています。「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ない」と(19節)。

自分の心の中に神の意志に反する事柄が無数にある、例えば妬み、憎しみ、不倫、他人を見下すこと、誰かを悪者に仕立てること、嘘や誇張、偽証や改ざん、そして分け隔てない思いやりが不足していること、さらにはそうした悪いものに縛られていてもそこから脱せられるように神に助けを求めないこと等々、こうしたことが聖書の御言葉を聞く人、読む人は思い知らされます。それは御言葉を通して神の霊、聖霊が働くからです。また御言葉を読んだり聞いたりしていない時に思い知らされることもあります。それは、神が直接働きかて私たちを聖書の御言葉に結び付けようとしているからです。

しかしながら、自分には神の意思に反するものがあると示されたら、どんなな思いになるでしょうか?キリスト信仰者でない人には目障りなことに感じられるでしょう。自分は自分の考えで決める、自分が感じること欲することが自分の進む方向を決める、神の意思などにいちいち照らし合わせるなんてしたら自分の好きなことができなくなってしまう、と言うでしょう。

キリスト信仰者の場合は、神の意思に反するものを示されたら、ああ、自分は神の御前に立たされたら失格者だと心配になるでしょう。人によっては、何としてでも十戒の掟を守り抜かねばと必死になり神経質になり、結局、心の中までは守り切れていないとわかってとってもがっかりしてしまうでしょう。しかし、ここがまさにイエス様はどんな光かがわかる地点なのです。

洗礼を受けてイエス様を救い主と信じる信仰に生きる者は、使徒パウロが何度も教えるように、イエス様を神聖な衣のように頭から被せられているのです。それで、神の目から見たら合格者なのです。もちろん、衣の下の肉体の中にはまだ神の意思に反する罪があります。しかし、それにもかかわらず神はイエス様の犠牲の死で罪の償いは完了した、それを受け取った者は償いを完了した者と見なして下さるのです。信仰者の側では償いのために何もしていないのに(そもそもそんなことは不可能です)、イエス様が果たしたことと、それを受け取ったことで神は義として下さるのです。つまり、私たちは神に先を越されてしまったのです。それなので、あと私たちがすることと言えば、神にしてもらった自分に自分を従わせていくだけなのです。

そうすると、必ずギャップに気づく時が来ます。というのは、外側は神の義を着せてもらっているけど、その下にはまだ罪が残っているからです。ギャップが明らかになる度に、罪の告白をして赦しの宣言をしてもらいます。その時、ゴルゴタの十字架で打ち立てられた罪の赦しは微動だにせずあることを確信して安心します。この安心と確信をもって、また神にしてもらって自分に自分を従わせる道に戻ります。キリスト信仰者はこれを繰り返していきます。繰り返せば繰り返すほど、内にある罪は圧し潰されて行きます。この繰り返しの先にあるのが、復活の日の目覚めと神の国への迎え入れです。イエス様が道しるべの光というのは、まさにそこに向かって進めるようにする光ということです。このことをイエス様自身がヨハネ8章12節で言っています。「私は世の光である。私に従う者は暗闇を歩くことはない。その者は永遠の命に導く光を持つことになる。」(少し解説的に訳しました。)

このようにイエス様という光は私たちの真実を明らかにするという機能と明らかにされた私たちがどこに進むべきかを示す道しるべになるという機能の二つの機能を同時に兼ね備えた光です。主にあって兄弟姉妹でおられる皆さん、私たちは洗礼を受けることでこの光を得ました。そして、イエス様を救い主と信じる信仰に生きることでこの光を携えて進んで行くのです。今年は今日で終わりますが、新しい年もイエス様の光を携えて進んで行きましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように
アーメン

 

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