牧師のコラム

日本における牧師の権威

私とパイヴィが日本に派遣されたこの13年間、日本では牧師というのはキリスト教会の中では絶大な権威があることがよくわかりました。 以前、赴任していた教会で、牧師先生の聖書の教えがどうも良くなく、新奇をてらいたいのか、聖書で言われていることと明らかに関係ないことを関係あるように言われる。しかし、信徒さんたちは皆、「聖書のプロ」が言うことだから真理だと思って受け入れる。ある人は講義のごとく賢明にノートを取っている。本当に聖書はそんなこと言っているのかな?と疑問を抱く瞬間があっても、すぐああ、そういう理解の仕方もあるんだ、さすが牧師先生!と牧師の方を持ち上げてしまう。(また、人間味溢れることを示すためか、牧師同士や信徒と一緒に酒を飲むなど、権威のソフト面を怠らない人もいました。)

このような日本における牧師の権威を考えると、今回、牧師の按手を受けた者として聖書を教えるというのは大きな危険が伴うことをよく自覚しています。どうしたらいいのか?ルター派の牧師としてなすべきことははっきりしています。律法と福音の説教を続けるのみです。牧師の中には説教の中で罪に言及しなかったり、したとしても過去の遺物か、ただのお飾り言葉になってしまう人もいます。キリスト教徒になったとは言っても、私たちがどれだけ神の意思に反する存在であるか、それを心に思い起こさせることはせず、そのまま神の愛とか恵みとか言ってしまうのです。しかし、ルター派の律法と福音の説教は、自分がどれだけ神の意思に反する存在であるか思い起こさせた返す刀で信仰者の目をゴルゴタの十字架に向けさせます。その瞬間、信仰者はキリストの償いの業のゆえに罪の赦しは本物で、自分はそれを受けていると確信でき、これからは神に背を向けず神の意思に沿うように生きようという心になります。それが律法と福音の説教です。そういう心を生み出すことをせずに神の意思に従わせようとするのが律法主義です。

聖書の御言葉には耳障りのいい言葉だけでなく耳の痛い話も沢山あります。耳障りのいい話だけ集めて教えるのは確かに信徒さんたちの人気と信望を勝ち得る最短の道ですが、耳の痛い話があってこそ神の愛と恵みが本当に神的なものであること、人間的なものを越えているとわかる道です。まさにそれがルター派の説教が目指すところのものだと考えます。

———-

画像 brgfx on Freepik

新規の投稿
  • 2026年6月14日(日)10時半 聖霊降臨後第三主日 礼拝 説教 田口聖 牧師(日本ルーテル同胞教団)
    2026年6月14日スオミ教会礼拝説教 マタイによる福音書9章35ー10章8節 「弱り果て打ちひしがれる私たちへの神の国の福音」 田口 聖 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなた方にあるように。ア ーメン。 1、「全ての人々へ御国の福音を宣べ伝えるため」 私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様。 […もっと見る]
  • 子どもの料理教室のご案内 2026年6月20日 10時30分~12時30分まで
  • 牧師の週報コラム
    アウグスブルグ信仰告白20条と現代 礼拝後のコーヒータイムの時に行っている、アウグスブルグ信仰告白の学びも、今やっと20条「善い行いについて」に到達。これは内容的に、信仰とは何か、宗教とは何かを改めて考えさせるものではないか、それで500年近く経った今でもそうしたことを考える材料として有用ではないかと考える者である。 […もっと見る]
  • 6月の予定
  • 歳時記
    山とAI 〈121:1 (京まうでの歌) われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや 121:2 わがたすけは天地をつくりたまへるヱホバよりきたる 121:3 ヱホバはなんぢの足のうごかさるるを容したまはず 汝をまもるものは微睡たまふことなし 121:4 視よイスラエルを守りたまふものは微睡こともなく寝ることもなからん […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム
    牧師の週報コラム ― 古い歌を新しい歌に(その2) ギター教室に通っている息子が次の課題曲に選んだのは、Eテレの「おかあさんといっし ょ」で歌われている「ありがとうの花」。レッスン中、何度も聴かされているうちに、こ んな歌詞で歌ったらどうだろうと退屈しのぎに言葉を紡いでいたら、以下のようなご機嫌 […もっと見る]