説教「神の御言葉は死の力を上回る」神学博士 吉村博明 宣教師、ルカによる福音書 7章1-10節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがにあるように。アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.本日の福音書の箇所に記されている出来事と同じ出来事が、マタイ福音書の8章にもあります(5~13節)。二つの記述を読み比べてみると、いろいろ違いがあるのに気づかされます。ここでは細かくは立ち入りませんが、マタイの記述では、百人隊長は直にイエス様に会いに行きます。家来が重病なので助けてほしいと願い出るも、家の中に入ってもらうのは畏れ多いので、外から癒しの言葉をかけて下さい、それで十分です、とお願いする。本日のルカの記述では、隊長の敬虔さがもっと強調されて、イエス様に会うこと自体が畏れ多く、それで使いを出して、同じお願いを言ってもらう。さらにマタイの方では、隊長の信仰の深さに驚いたイエス様が、同胞のユダヤ人たちに向かって、異教徒でさえこんな信仰を持っているのにお前たちは恥ずかしくないのか、しっかしりないとお前たちは異教徒たちに先を越されて神の国に入れないぞ、と叱咤します(8章11~12節)。ところが、この同じ言葉はルカの記述には欠落しています。さらに驚くことに、この言葉は違う場面に出てくるのです。それはルカ13章で、そこでは誰が救われるかという議論のなかでイエス様がこの言葉を述べます。

こうして見てみると、同じ出来事の記述にどうしてこんな違いがあるのだろう、と不思議に思われるかもしれません。もっとも私が見るところ、信仰をもって聖書を読む人たちの多くは、このことをさほど問題に感じていないのではないかと思います。別に記述が異なっていても、それは同じ出来事を異なる角度から扱っているようなもので、全部一緒にみれば全体像がもっとわかる、というような態度で読んでいるのではないかと思います。実はそれでいいのです。それが信仰ある健全な聖書の読み方です。ところが、人によっては、この違いがさも大事であるかのようにこだわって、マタイは歴史的事実に即しているが、ルカは自分の観点でいろいろ書き直した、とか、逆に、着色したのはマタイで、事実に即しているのはルカだ、とか、果ては、いや、二人ともそれぞれ自分の観点で書いているだけで、歴史的事実はもっと別物だった、などと主張する人たちもいます。そこで、この問題をどう考えたらよいか、少し考えてみましょう。信仰をもって健全な読み方をしている人には無用なことかとは思いますが。

イエス様の言行録である福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つが聖書に収められています。福音書はみな、イエス様の直の目撃者である使徒たちの証言録が基盤にあります。ただし、目撃者の証言録がすぐ福音書にまとまったのではなく、証言はまず口伝えされ、やがて手書きされたものもあわせて伝承され、それらが集められて最終的に今ある本の形にまとめられました。福音書はそのようにしてできました。イエス様の一連の出来事から、大体一世代ないし二世代を隔てているので、伝承されていくうちに、もとの証言も、長すぎれば要約されたり、短すぎれば補足されたりするということがでてきます。それで、同じ出来事を扱っていても描写や記述にぶれがでてくることになります。ただ、ヨハネ福音書は、十二弟子のひとりであるヨハネが自分で書いたと言っているので(ヨハネ21章24節)、つまり目撃者がじかに書いていると言っているので、信ぴょう性が高い可能性があります。しかし、これもイエス・キリストの出来事の時から、何十年もたって書かれているので、ヨハネが嵐のような人生を送っているうちに、胸にとどめた記憶も、年月とともに強調したいところはより強調され、瑣末に思われるところは背後に退くということもでてきます。それで結果的に、他の3つの福音書の基盤にある証言録の伝承と同じような変化が起こります。

このように、目撃者の証言録が伝承されるうちに膨らんだり縮んだり、記述される出来事の文脈がかわってきたりするのは、目撃者や伝承した人たちや福音書を最終的に書き上げた人たちの記憶とかものの見方が影響しているためです。しかし、ここで忘れてはならないことがあります。それは、記憶やものの見方に相違があると言っても、これらの目撃者、伝承者、福音書記者はすべて皆、同じ信仰を持っていた人たちであるということです。つまり、イエス・キリストが死から復活した神の子であり、人間を罪と死の呪縛から解放する救い主であると信じた人たちであるということです。加えて、パウロを含む使徒たちの教えをしっかり守った人たちであるということです。そういうわけで、関係者はみな、使徒の信仰と教えという土台の上に立っています。このように大元のところのものは同じなのですから、記憶やものの見方に多少の相違があっても、それは大元のものを覆すほどのものでは全くなく、許容範囲にとどまるものです。このことを言葉をかえて言うと、伝承の過程において聖霊のコントロールがしっかり働いていたということです。実は、当時は、聖霊のコントロールから外れるような、使徒的でない伝承、教え、見解も多く流布しておりました(例えばトマス福音書とかユダ福音書とか)。しかし、そうしたものは一切、聖書のなかに入ることはできませんでした。なぜなら、それらは、使徒の信仰と教えという大元の土台に立っていなかったからであります。聖書は、まさに聖霊の働きの結晶です。聖書をあなどってはいけません。

2.以上、同じ出来事について異なる記述があっても、それは出来事を異なる角度から扱っているようなもので、全部一緒にみれば全体像がもっとわかる、という態度で聖書を読むことが、信仰ある健全な読み方であるであるということを確認しました。前置きが長くなってしまいました。本日の福音書の箇所の解き明しに入っていきましょう。

まず、少し歴史的背景から。百人隊長とはローマ帝国軍の文字通り100人の歩兵から構成される部隊の上官です。当時イスラエルの領域はローマ帝国の占領下にありましたから、各地には帝国軍の部隊が配置されていました。それでは、占領者側の軍隊の士官が、ユダヤ教の会堂を建ててあげるほどに被占領側の民族をこよなく愛していた、というのはどういうことなのでしょうか?まず、考えられることは、この隊長は、ローマやイタリア半島のような帝国の中心部の出身者ではなかっただろうということです。ローマ帝国は軍隊に占領地域からも士官や兵隊をリクルートしていました。アラム語を母語とするガリラヤ地方のユダヤ人と意思疎通できるのであれば、シリア州のどこかの出身ではないかと推測がつきます。つまり、百人隊長自身、ローマ帝国に占領された過去のある地域の出身ということです。

もう一つ考えられることは、イスラエルの領域は占領されていたとは言っても、当時ユダヤ民族はローマ帝国上層部に一目おかれていたということがあります。紀元前63年に将軍ポンペイウス率いるローマ軍がエルサレムを占領した時、兵隊が神殿になだれこみました。しかし、そこで礼拝を執り行っていた祭司たちはひるむことなく、周りで同僚が次々と剣に倒れようとも、残った者は何事もなかったかのように自分の職務を続けます。自分が倒れても、生き残っている同僚が続けていきます。これを目撃した将軍は、こんな民族は今まで見たことがない、と恐れを抱いたと伝えられています。ローマ帝国に占領されても、ユダヤ王ヘロデの巧妙な立ち回りで、半独立のような王制が維持されました。さらに、エルサレムの神殿を中心とするユダヤ教の信仰も公認され、ローマ帝国のあちこちにユダヤ教の会堂が建てられました。ローマ帝国のなかで、ユダヤ教やそれに続くキリスト教が広まっていった要因の一つとして、これらのいわゆる一神教が夫婦や家族の絆とか子供の命を大切にする価値観を掲げていたことがあげられています。それは、性的に無秩序になりがちな地中海世界の人々の目に新鮮に映ったことは十分に考えられます。

いずれにしても、天と地と人間を造った創造の神を信じて、いずれ神がこの世を裁いて新しい世を創り出すも、その前にメシアを送って新しい世の民を準備する、というようなユダヤ教の信仰については、ローマ帝国内では情報が流れていたと考えられます。本日の福音書の箇所に出てくる百人隊長、間違いなく帝国周辺の非占領地域出身だったでしょう、その彼も、赴任先でそうした信仰に触れた一人だったでしょう。まだ割礼を受けて改宗するまでには至らなくても、既に天地創造の神を畏れる心を持っていたと言うことができます。

3.この百人隊長が、イエス様をして「イスラエルにもこのような大きな信仰はまだ見たことがなかった」と言わしめる信仰を示しました。それはどんな信仰だったのでしょうか?

百人隊長は、イエス様が死期迫っている家来を癒すことができると信じていました。しかし、よく見ると、これは単にイエス様が癒しの奇跡を行う超能力者というような理解をはるかに超えたものであることがわかります。まず、イエス様と距離を置きます。自ら話に出向かず、人を遣わせます。マタイでは、百人隊長は一応対面しますが、それでも家の中には入らないで下さい、と言う。これは、当時ユダヤ人が神に選ばれた神聖な民として神聖でない汚れた異教徒との接触を避けていたという背景があります。百人隊長は、ユダヤ人たちに会堂を建てるくらいの接触は認められていたが、それでもイエス様に対しては、自分は会堂くらい寄付する者だ、とひけらかすことなく、逆に自分の立場を深くわきまえたかのように、イエス様と距離を置こうとする。それくらいイエス様を神聖な者として扱っています。それくらい自分は神聖なものからかけ離れた存在であるということを認めているのです。

次に、もうすぐ死ぬ状態にある家来が回復するために、直接そこに行って何か具体的な癒しの行為をする必要は全くなく、離れたところからイエス様が口に出す言葉で十分です、と言います。7節は字句通り訳すと、「言葉をもっておっしゃって下さい。そうすれば、私の家来は癒されます」です。言葉で十分と言うのです。ここで、百人隊長は、イエス様の言葉にどんな力があるかと信じていることを示すために、自分の経験を話します。それは、隊長自身、上官の命令に有無を言わずに服従する者であり、また彼の下す命令には兵隊や家来たちは、これも有無を言わずに服従する、ということです。つまり、この有無を言わずに服従するということが、イエス様が病気、特に今あるように死に至る病に対して発する言葉にも起きる、これらの病気は有無を言わずにイエス様の言葉に服従する、ということです。しかも、ここで焦点になっているのは、人間同士の地位の違いからくる服従関係ではなく、人間が自分の力でどうすることもできない死というものを服従させるということです。問題は、とてつもなく大きなものです。

創世記の初めにあるように最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順に陥り罪を犯したことが原因で、人間は死ぬ存在となってしまいました。まさに、使徒パウロが「ローマの信徒への手紙」6章23節で、死とは罪の報酬である、と言っている通りです。こうして人間は、代々死んできたことに示されるように、代々罪を受け継いできました。人によっては、キリスト教はすぐ罪、罪と強調するが、自分は何も大それた悪いことはしていない、と言う人がいるかもしれません。しかし、イエス様は、たとえ人殺しをしていなくても、人を心で憎んだだけで、それは十戒の第五の掟「汝殺すなかれ」を破ったことになる、たとえ不倫を犯さなくても、異性をみだらな目で見ただけで、それは第六の掟「汝姦淫するなかれ」を破ったことになる、と教えます。つまり、神の意思を守るというのは、行為に現れるか否かにとどまらず、心の有り様も入る、というのであります。こうなれば、誰も神の意思を完全に守れる人などいなくなります。だから、人間は誰もが罪を背負っているのです。犯罪のような行為に現れる罪を犯した人も、行為に現さなかった人も、神聖な神の目の前では誰もが罪びとなのです。フィンランドやスウェーデンのルター派教会では、罪を言い表すのに、行為に現れる罪(tekosynti、gäningssynd)、遺伝的に継承される罪(perisynti、arvsynd)と使い分けする言葉があります。行為に現れる罪は全て、継承された罪が土台にあります。行為に現れる罪は犯していなくても、その人に継承された罪がないとは言えないのです。誰でも、生まれたばかりの無垢そのものの赤ちゃんが罪びとだなどとは思えないでしょう。しかし、赤ちゃんが行為に現れる罪は犯していなくても、大人同様に死の力の下にあるということは、継承された罪を背負っているということなのです。

百人隊長は、イエス様の発する言葉には、死の力を上回る力があると信じていました。死の力を上回る力というのは、罪の力を上回る力ということです。さらに、言葉で十分です、と言うのも、隊長が、イエス様のことを天地創造の神と同じ地位にある方であると理解していたことを示しています。なぜなら、神は天地創造の時、言葉を発しながら万物を創造していったからです。そういうわけで、百人隊長は、イエス様が天地創造の神と同等の地位にあり、人間を死と罪の呪縛から解放する力を持った方である、と信じていたのであります。普通は、イエス様が神の子で救い主であると人々にはっきりわかるようになるのは、十字架と復活の出来事が起きた後でした。それが、まだそれらが起きる前に、百人隊長はイエス様のことをそのように捉えていたのですから、イエス様が「自分はイスラエルでもこんな大きな信仰は見たことはない」と驚かれたのは当然でしょう。

4. 以上、神の言葉には、万物を創造する力があるということ、そして、神のひとり子であるイエス様の言葉には、人間を堕罪で生まれた罪と死の力から解放する力があるということを見てまいりました。こうした力を持つ言葉は、実は、今を生きる私たちにもかけられています。人によっては、それは、ちょっと飛躍がありすぎではないか、と思われるかもしれません。なぜなら、私たちには、そういう言葉をかけてくれるイエス様が身近にいないからです。そこで、牧師や宣教師はいつも、神の御言葉やイエス様の御言葉は聖書に書いてある、と言って、言葉をかける本人は身近にいなくても、かけられる言葉は身近にある、と強調します。しかし、そう言われても、たいていの人は、聖書にある言葉を読んでも病気が治るわけではないし、書かれて印刷された文字には力がなくて、やはり肉声でないとだめだ、と思いがちです。しかし、聖書に記された神の言葉や主イエス様の言葉、さらに神やイエス様について言われている言葉全てには、人間を罪と死の呪縛から解放する力があります。もし私たちに今何か闘病している病気があるとしても、その病気の癒しを超える大きな癒しを与える力を持っています。その大きな癒しとは、たとえ今闘病している病気が治っても治らなくても、それに関係なく持つことのできる癒しであります。

どういうことかと言うと、イエス様は、十字架にかかって死んだとき、私たち人間に替わって人間の不従順と罪から来る罰を全て引き受けて下さりました。十字架に罪の赦しがある、と言われる所以です。罪の赦しがあるということは、神の意思を完全に満たせない人間が、イエス様のおかげで神に受け入れられる道が開かれたということです。その後は、イエス様を自分の救い主と信じて洗礼を受ければ、この神による受け入れが信じる人に対して効力を持つのであります。さらに、神はイエス様を死から復活させて、死の絶対的な力を無力にしました。こうして、神は、永遠の命、復活の命の扉を人間に開かれました。このようにして、キリスト信仰者は、自分の造り主である神との関係が回復し、同時に、永遠の命、復活の命に導く道の上に置かれることとなりました。それからは、その道の上を歩んでいくことになります。堕罪の時に断ち切れていた神との関係が回復したのですから、これからは順境の時も逆境の時も、ずっと神の導きと守りを与えられて歩むことになります。もし、この世から死ななければならなくなっても、その時は、すぐ神が手をさしだしてみもとに引き上げて下さいます。そして、造り主のもとに永遠に戻ることが出来るのです。

確かに私たちは今、当時の人たちと違って、イエス様の肉声を聞くことはできません。しかし、私たちには、神の御言葉の集大成である聖書があります。当時の人たちは、まだ福音書も使徒書もありませんでした。イエス様は何者か、ということは、誰もが手探りの状態でした。百人隊長のように、あの方は神と同等の地位にあり、その言葉には死と罪の力を上回る力がある、と信じられた人は稀の方でした。多くの人たちは、奇跡を行える預言者の再来だとか、イスラエルをローマ帝国の支配から解放する王様だとか、本質からずれた見方をしていました。百人隊長とて、まだ十字架と復活の出来事の前のことですので、理解はおぼろげなものだったでしょう。もちろん、理解は正しい方向を向いていましたが。信仰の土台となる的を得た、真の正しいイエス理解というものは、十字架と復活の後にでてきます。旧約聖書のあの預言は、実にイエス様に起きたあのことを指していたんだ!という具合に。そういうことが次々と判明されていって、使徒書や福音書が生まれてきたのです。これに加えて、ひとり子をこの世に送ることになる天地創造の神の計画や意思を全て前もって知らせている旧約聖書がありました。それらが一つになって、聖書が私たちに与えられました。歴史上起きた出来事をもとに判明されていったことの集大成が手元にありますので、私たちは、当時の人たちのように手探りする必要はありません。イエス様を救い主として信じる信仰は、聖書を健全な読み方で読み、また聖書の正しい解き明しを聞くことによって生まれます。そういう読み方や聞き方をする時に、聖霊が働きます。そのようにして生まれた信仰をもってこの世を生きる時、私たちは、罪と死の呪縛から解放された者として生きる者となり、また罪と死の支配力を無力にした方がいつも共にいて下さるのであります。兄弟姉妹の皆さん、このことを忘れずに日々を歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように
アーメン

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