説教:田中良浩 牧師

 

聖霊降臨後第10主日(スオミ教会 3)        2019818

エレミヤ23:23~29、ヘブライ12:1~13、ルカ12:49~53

説教「真の平和をもたらすために」

序 父なる神さまとみ子主イエス・キリストからの恵みと平安があるように!

 

1今日の福音書の日課の見出しは「分裂をもたらす」である。また日課の冒頭の主の言葉は、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」で、さらに

「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」である。

これは実に衝撃的な言葉である!異常さをさえ覚える言葉である。

今日、8月半ばの日曜日、「平和を考える主日」としてふさわしい日である。

8月に入ってから、TVやラジオで「戦争と平和」を特集し、報道している。

 「真の平和が、祝福がもたらされ、実現するために

、主なる神さまのみ心と

お導きが、いかに深いものであるかが、ここに内包されている、と私は思う。

 

 ここで主イエスは先ず、「火を投ずるために来た」と言われる。

 旧約聖書から学ぶことが出来るのは、「火は聖なるもの

である。

 (1)先ず「火は神ご自身の臨在を示すもの

である。

モーセの召命の出来事において、ご自身を現された。

「見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。・・神は言われた

 わたしはあなたの神である。・・・わたしはあなたと共にいる」と。

                    (出3:2~12

   ◎神の民の出エジプトの荒れ野で、夜は火をもって神の民を導いた。

「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。

昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

                    (出13:21~22)

シナイ山頂で神の民に十戒を与える時、神は火の中から語りかけた。

「主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。・・・

それが十戒である。        (民4:12、出19:18)

(2)続いて、「火は神の裁きの力」を示すものであった。

    ◎主なる神に背いた退廃の町ソドムとゴモラは火をもって滅ぼされた。

    「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、

    これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。

 

                       (創19:24~25)

    ◎詩編からダビデの詠んだ歌にもある。

    「逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り、燃える硫黄をその杯に注がれる。主は正しくいまし、恵みの業を愛し、御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。

 

                         (詩11:6~7)

    ◎イザヤの裁きの預言にも、火の裁きが語られる。

    「万軍の主の燃える怒りによって、地は焼かれ、民は火の燃えくさのようになり、だれもその兄弟を容赦しない。

 

                          (イザヤ9:18)

 

 

2 今日、主イエスは、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。

その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」と言われる。

 「その火が既に燃えていたら」とは、極めて終末的な表現である!

  <私はここで主の道を備えた洗礼者ヨハネの言葉を想起する>

 荒れ野に出てきた群衆にヨハネは語る、「蝮の子らよ!斧は既に木の根元に置

かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

 (ルカ3章9節)と。

 この火は、今日の主イエス・キリストの言葉の文脈から言えば、それは

 “裁き”であり、また同時に“清め”の言葉である。

 

  1. 裁きというのは、言うまでもなく「罪の裁き、断罪

  2. である。

  洗礼者ヨハネの言葉から学ぶことができる。洗礼者ヨハネは、周知のように主イエス・キリストの道を備える者、先駆者として来た、すでに預言者イザ

  そのヨハネが語った。

  「悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという  考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

                        (ルカ3章9節、10節)

  主イエスも、宣教活動開始直後から神の民イスラエルの不信に対して、厳し

  い裁きの言葉を語られたのである。(ルカ4章25節以降参照)。

 

  このように洗礼者ヨハネも、主イエスも、神の民の不信、人間の罪ある現実

をするどく指摘し、悔い改めを促した。この信仰に生きる姿勢は宗教改革者

ルターにも受け継がれている。宗教改革の発端となった「95か条の提題」

第1条には語られている。「私たちの主イエス・キリストは、キリスト者の  

全生涯は悔い改めであることを欲したもう」とある!

 

  1. 清めというのは、「罪からの清めであり、そこには希望

  2. がある。

  洗礼者ヨハネは、裁きと同時に、悔い改めの勧めと、救いの道を備えた。

  それは主イエスによる洗礼である。

  「そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼

を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」 (ルカ3章16節参照)。

  主イエスは洗礼者ヨハネによって洗礼を受けられた。そして私たちにも

主イエスにより洗礼の恵みが与えられるのである!ここに希望がある。

 

  1. 裁きと清め、終末の裁き、それは「十字架と復活、命の源」である。

  飛躍した表現を取れば、これは決定的な神さまの救いのみ業である。

  主は言われた『わたしには受けねばならない洗礼がある』(ルカ1250)と。

  これは救いを実現するために、主の苦難、十字架が必要であったのである。

主イエスは言われた、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、(十字架に)

  殺され、三日の後に復活する」(マルコ8章31節、マタイ16章21節、

  ルカ9章22節)と。この十字架と復活にこそ、救いと命の源がある。

3 今日の主題「平和」について、使徒書ヘブライ人への手紙から学ぶ。

  1. 日常生活体おいて、信仰による個人の成長が求められている!

<ヘブライ12章11節>「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

 

   今日の使徒書であるヘブライ12章の日課は「主による鍛錬」とある。

  ◎先ず、ヨブを想起する。5章17節~18節

   「見よ、幸いなのは神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。彼は傷つけても、包み、打っても、その御手で癒してくださる。

 

   続いて、申命記律法の言葉がある。8章5節

   「あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。

 

 

  1. 人との平和である!家庭の、日本の、世界の平和が求められている!

<へブライ12章14節>「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。

=使徒パウロの言葉を想起する。ロマ5章3節~5節

   「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

   希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖 霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

 

4 最近のホスピスでの出来事:Sさんの牛込の家は、第二次世界大戦の東京大空襲で牛込の家は全焼した。彼女は小学生でその時、学童疎開で茨城の親戚の家にいて無事であった。1年後、戦地で大きな負傷をした父親がよれよれになって帰ってきた。それまで家族は、バラバラであったが、牛込の土地に穴を掘り、土塀を作り、トタンで屋根を葺いて、生活を始めた。当時彼女は教会学校へ行きだした。それから70年数後、Sさんはホスピスにいた。

  「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませ

  てあげよう。」(マタイ11章28節)のコピーを手に持って、「神さまのお   

  与えくださる平安は最高!」と言って、最後の時を迎えたのである。

                4

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