宣教師のフィンランド便り(3)

日本は、西日本の台風や北海道の地震等、大変なことが続き、こちらのニュースでも報じられていました。被害に遭われた方々へ改めて心からお見舞いの気持ちを表したく思います。
 
今回はフィンランド便りの最終回です。トゥルクの大聖堂の周りの木々も葉っぱが黄色くなり始めました。北国の秋は静かに深まってきています。(吉村は昔、大学の神学部の学生の時、ここで説教の実習をしました。)
 
 
今回のフィンランド滞在の最後の教会訪問は、トゥルクから北へ450キロ程行ったところにあるハルスアでした(写真はハルスア教会 、宣教師の「教会訪問」については「フィンランド便り2」をご覧ください)。
 
 
 
 
 
ハルスア教会の日曜礼拝で吉村は説教を担当(写真は説教壇に立つ吉村)。ここをクリックすると説教のテキストがご覧になれます。ご関心のある方はどうぞ!Tässä on Hiroakin saarna, ole hyvä!
礼拝後は、教会付属ホールにて「ミッション・ランチ」の提供。サーモン・スープでした。収益はSLEYの海外伝道への献金になります。100人くらいの方とランチを共にし、ハルスア教会の主任牧師カルフラハティ牧師から宣教師への挨拶スピーチ、宣教師からは返答の挨拶スピーチが交わされました。
 
オフィシャルな行事の後は、教会主催のフリスビー・ゴルフ大会となり、40人位の参加者と一緒に宣教師家族も挑戦しました。隣町ヴェテリに交換留学していた日本の高校生Y君も参加しました。まずはルールの説明から。
 
 
主任牧師が先陣を切って、
 
 
パイヴィ宣教師も奮闘、

大会後は教会事務室前にてフランクフルトソーセージをグリルして味わいました。

 
 
 
 
以上のように最後の教会訪問はリラックスした雰囲気で終わりました。
 
今回の教会訪問は「フィンランド便り2」でお伝えしたように、南の地方の教会が中心だったのですが、前回2年前の北の地方を中心とした教会訪問との違いがありました。それは、前回は教会だけではなく、地元の小中学校の訪問もあったのですが、今回は学校から訪問要請は全くありませんでした。宣教師が学校を訪問するというのは、フィンランドの学校には「宗教」の科目があり、授業の一環として宣教師に話をしてもらうということが伝統としてありました。ただ最近は「フィンランド便り1」でもお話ししたように、国全体の脱国教会化、脱キリスト教化が進んでおり、特に南の都市部では宣教師の学校訪問には慎重ないし否定的な傾向が強まっているとのことでした。
 
脱国教会化、脱キリスト教化と言っても、かなり地方差があります。例えばヘルシンキ市では国教会所属率は60%にまで落ち、生まれてくる赤ちゃんの洗礼率は40%台と、近い将来同市のキリスト教徒は少数派に転落する勢いですが、地方に行くと所属率、洗礼率共に100%近くというのはざらです。(どのあたりが境界か、私個人はタンペレの南と北で差が出ると思うのですが、人によっては首都圏環状三号線の内側と外側と言う人もいます。)写真は、2年前コルテスヤルヴィの小学校で授業をする吉村宣教師。
 
今年の6月、日本フィンランド関係の歴史を記念する出来事がありましたので、最後にそれについて記したく思います。「フィンランド便り1」でも記しましたように、SLEYはフィンランドが独立する以前の1900年から日本に宣教師を派遣してキリスト教伝道を行ってきました。伝道初期に洗礼を受けた若者の一人、渡辺忠雄(洗礼名ダニエル)という明治の青年は神学を勉強するためにフィンランドに留学、そこで出会ったフィンランド人女性シーリと結婚し、後にSLEYの宣教師として日本に派遣されます。二人には息子が二人いて、長男の忠恕はジャーナリストとして活躍し後に日本新聞協会の会長も務めた日本報道界の大御所的存在、次男の暁雄は音楽家として日本フィルハーモニーの指揮者も務めた芸術家でした。
 
6月12日、ヘルシンキのかつて4人の家族が住んでいたアパートの建物の壁にそれを記念するプラークの除幕式が行われたのです。式には、サイラSLEY会長ほか日本伝道や日フィン関係にゆかりのある人たちに加え、日本大使館からは大使も臨席されたとのこと。
 
プラークには日フィン関係の「架け橋」を築いた4人を覚える内容がフィンランド語と英語で記されています。ヘルシンキにお出かけの際は是非訪れてみて下さい。場所は、マンネルヘイム通りとドゥンケル通りの交差点にある建物でフィンランディア・ホールの反対側、国立民族博物館の後ろ側になります(住所はDunkerinkatu 2)。現在両国関係は、経済、貿易、文化、学術面と多岐にわたっていますが、まだ外交関係が樹立される以前にキリスト教伝道を介して両国間の交流が始まり、それは118年たった今も続いていることもお忘れなく。

写真は記念プラークを横に、パイヴィ・ヨシムラSLEY宣教師とアンナ‐カイサ・タカキSLEY海外伝道局アジア地域担当(アンナ‐カイサさんの夫・高木賢氏はSLEYでインターネット伝道を担当する神学者)。
新規の投稿
  • 2025年5月11日(日)復活節第四主日 礼拝  説教 吉村博明 牧師
    スオミ・キリスト教会 主日礼拝説教 2025年5月11日 復活後第四主日 使徒言行録9章36節 43節 黙示録7章9節 17節 ヨハネ10章22 30節 説教題 「小羊の血で衣を白くされた者として」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様 […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム
    ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課 「神の子らへのマンナ」5月7日の日課 キリスト信仰者はじたばたしない、往生際が良いのだ(その1)。 「今日立てるものは全てあなたの決定による。なぜなら全てのものはあなたに仕えるものだからだ。」(詩篇119篇91節 フィンランド語訳の聖書による) […もっと見る]
  • 歳時記
    桐の花 <彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ。エレミヤ17:8> […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム 
    ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課 「神の子らへのマンナ」4月29日の日課 日本語で死期が近い状態を言い表す時、少し無作法な言い方ですが、「片足を棺桶に突っ込んでいる」などと言います。 […もっと見る]
  • 歳時記
    杜若・カキツバタ・Kakitsubata <15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。 16 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。 詩編103:15・16> […もっと見る]
  • 2025年5月4日(日) 復活節第三主日 礼拝 説教 吉村博明 牧師
    主日礼拝説教 2025年5月4日 復活節第三主日 使徒言行録9章1節-20節 黙示録5章11節-14節 ヨハネ21章1-19節 説教題 「現代日本における神の愛と栄光の表し方に関する一考察」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様 1.はじめに […もっと見る]
  • 牧師の週報コラム
     ルターの聖句の説き明かし(フィンランドの聖書日課 「神の子らへのマンナ」4月17日の日課 「その一人の方は全ての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(第二コリント5章15節) […もっと見る]