お気軽にお問い合わせください。 TEL 03-6233-7109 東京都新宿区早稲田鶴巻町511-4-106
交わりの後スオミ教会恒例の「VIA DOLOROSA-イエス・キリストの受難の道」が行われました。ポウッカ先生のフルート演奏、オルガン演奏と独唱を交えながら今年も感動的な受難劇でした。
手芸クラブは、毎月1回開かれています次回は、4月24日(水)10時から12時までです。作品は編み物のトリベット・鍋敷きです。鍋つかみ・ヨッダとしても使えて、フィンランドでは一般的なキッチン道具です。自分の好みに合ったトリベットを作ってみませんか。
誰でもお気軽にご参加ください。お子様連れでもどうぞ!
持ち物: 綿糸かジュートまたは毛糸50g位、色は好みです。糸に合うぼう針かかき針
申し込み問い合わせ if.ye1746816527ls@ar1746816527umihs1746816527oy.iv1746816527iap1746816527 電話03-3362-1105 スオミ・キリスト教会
フィンランドの有名なゴスペル・シンガーソングライター、ペッカ・シモヨキの「俺は二つの国の国民なのさ(Kahden maan kansalainen)」が聴けます!ここをクリック。
歌について、吉村宣教師の17日の説教の初めに触れられています。歌詞の訳は説教の後ろにあります。フィンランド国教会の堅信礼キャンプの定番の歌の一つなので、40代より若い世代のフィンランド人の多くには馴染みのある歌と言えます。
Tämä pieni maa jalkojen alla,Taivas suunnaton päällä päänOvat seuranneet koko matkani ajan. Tämä pieni maa kaikkiallaYstäväni on, tänne jään,Kunnes askeleet vievät yli viimeisen rajan. Jalat pidän mullassa maailman,Katseellani taivasta tavoitanTiedän minne matkaani tehdä saan,Olen kansalainen kahden maan Olen tuntenut tuulen tuoksun,Kuullut aaltojen pauhinanOlen nähnyt sen, kun sataa valkoista lunta Olen huomannut ajan juoksunNähnyt varjojen kasvavanMutta pelkää en; unelmani ei ole unta Jalat pidän mullassa maailman,Katseellani taivasta tavoitanTiedän minne matkaani tehdä saan,Olen kansalainen kahden maan Täällä työni teen, itken ja nauran,Raivaan peltoni, kynnän maanRauhan siemenen kylvän riitaan ja sotiin Kerran paikalleen lasken auran,Kerran viljani korjataanSilloin tiedän sen; olen tullut viimeinkin kotiin Jalat pidän mullassa maailman,Katseellani taivasta tavoitanTiedän minne matkaani tehdä saan,Olen kansalainen kahden maan
寒さも和らいだ穏やかな土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「リンドストリョーム ピヒヴィ」「Lindströmin pihvi」を作りました。
Lindströmin pihviはひき肉とビーツで作るハンバーグで、フィンランドではポピュラーなお料理だそうです。
最初にお祈りをしてスタートです。
ハンバーグの材料に茹でたビーツのすりおろしを加え、スパイスや塩で味を整え、オーブンシートに小ぶりに形を整えてのばし、鉄板に乗せてオーブンで焼き上げます。
次は「フィンランド風ポテトサラダ」作りです皮ごと茹でたジャガイモの皮をむき、リンゴやピクルス、ネギを加え、マヨネーズで味付けして、大きなボウルが山盛りになりました。
最後にフルーツサラダも作り、試食会は始まりました。
パイヴィ先生からは、ビーツの栄養価やフィンランドでのビーツの思い出など聞かせて頂き、参加者からは、なじみの薄いビーツの扱い方など質問が続きました。
次に受難節のお話も分かりやすく聞かせて頂きました。
参加の皆様、お疲れさまでした。
次回の「スオミ教会家庭料理クラブ」はカルヤランピーラッカを予定しています。
フィンランドでは毎年、「今年のテーマの野菜」を選んで、多くの人がその野菜をもっと食べるようにとキャンペーンをします。それで、選ばれた野菜の料理のレシピや健康に役立つことなどが雑誌に書かれます。今年の「テーマの野菜」に選ばれたのは、根野菜でした。ピーツは根野菜の一つです。ピーツはフィンランドの食卓には昔からあった野菜でしたが、フィンランド人はビーツをあまり沢山食べないで、一人当り一年で800グラムしか食べません。ビーツは健康によいもので、ビタミンA,B,CとE,そしてミネラルも沢山含まれています。ビーツの料理をもっと作るようになれば、みんなの健康にもよいのです。
ビーツはフィンランドでは、もう1800年くらいから植えられるようになりました。最初それは教会の牧師館や学校の畑で育てられて、そこからフィンランド全国中に広がって、家庭の庭の畑でも育て始められました。それでビーツは、庭の畑で育てられる野菜の中で人気があるものの一つになりました。
私も子どもの頃、夏休みになる6月の初めにいつも母と一緒に野菜の畑を作って、ビーツの種も蒔きました。芽が出るまで3週間くらいかかりましたが、その間畑に出てくる雑草を抜き取らなければなりませんでした。雑草の中からビーツの芽を見分けるのは難しかったので、時々間違ってビーツの芽を抜き取ってしまいました。畑の掃除や水をやることは、子どもたちの仕事でした。8月になると、ビーツは十分大きくなって、採って茹でて、ビーツのサラダを作って食べました。
ピーツは寒さに強いですので、収穫は地面が凍ってからでも大丈夫です。冬に採ったビーツは家の地下室に置いておくと、春までよく保存します。
フィンランド人はどんなビーツの料理を作るでしょうか?最も一般的なものは、ビーツの甘酸っぱい酢漬けです。これはビーツを収穫した時に作るもので、一年中保存できます。酢漬けのビーツはそのまま食べてもいいし、料理の中に入れても大丈夫です。フィンランド人はビーツを今日のようにハンバーグの中に入れたり、スープやキャセロールやサラダなどにも入れて食べます。ビーツの料理には、注意しなければならないことがあります。まず、ビーツは茹でると中の赤い色が簡単に出てしまうので、皮のまま茹でることが大事です。生や茹でたビーツの赤い色は簡単にまな板などにつくので、料理を作る時に気をつけます。
今日作ったリンドストロョーム・ピヒヴィは、季節に関係なく一年中、学生食堂や家庭でも出される料理です。
ここで少し、キリスト教会の季節について少しお話したく思います。この前の水曜日から、受難節とか四旬節と呼ばれる期間に入りました。イースター・復活祭の準備の期間です。フィンランド語では、この期間は「断食の期間」と呼ばれます。これは、昔カトリック教会の時代の言い方が今でも続いているからです。もちろんフィンランド人はこの期間に断食をしませんが、それでも普段の食事にちょっと変化を与えることがあります。例えば、肉があまり入ってない料理を食べるとか、甘いお菓子を食べないということがあります。
この受難節とは、どんな意味でしょうか?。それは、イースター・復活祭の前の40日の間、イエス様が十字架につけられた苦しみを覚えて心の中で思いめぐらす期間のことです。イエス様は自分が受けることになる苦しみについて弟子たちや多くの人たちによく話されました。ご自分についてこのように言われました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ヨハネによる福音書10章11節です。「羊飼い」とはイエス様のこと、「羊」は私たち人間を意味します。良い羊飼いでいらっしゃるイエス様はどんな方でしょうか?イエス様は羊飼いのように私たち羊の番と世話をします。羊飼いが羊一匹一匹をよく知っているように、イエス様も私たち一人一人のことをよくご存じです。羊飼いが羊に名前を付けて呼ぶように、イエス様も私たちのことを名前で呼びます。私たちはイエス様の呼ぶ声を聞くでしょうか?イエス様は神様の御言葉を通して私たちに話しかけられるので、私たちのことを呼んでいるのです。
良い「羊飼い」でいらっしゃるイエス様は「羊」でいる私たちのためにご自分の命を捨てると言われました。それはどういうことでしょうか?イエス様は罪を持たない神様のひとり子でした。私たち人間は悪いことをしたり、しなくても考えたりします。イエス様は人間がこうした罪の罰を神様から受けないようにするために、自分を人間の身がわりとして十字架にかけられて死なれました。これが、イエス様が自分の命を捨てると言った意味です。このおかげで私たちの罪が全部赦されました。それで、この世の時にも、またこの世が終わった後でも、いつもずっと神様が私たちと一緒にいてくださることができるようになりました。神様が私たち人間のためにイエス様を送ってくださったということ。そこに現れている神様の人間に対する愛はどんなに大きな愛でしょうか?受難節は、イエス様が私たちのために命を捨てた「良い羊飼い」でおられることを心の中で思いめぐらすための期間です。
手芸クラブは、月1回開かれています。
次回は、2月27日(水)10時から12時までです。作品はクローシェ網の「マイ帽子」です。クローシェ網の帽子は自分の好みで一色から何色でも作れます。冬用の帽子でしたら毛糸、夏用の帽子は綿糸で作ります。
素敵な帽子が出来ますので、お気軽にご参加ください。
持ち物: 毛糸か綿糸100g、色は好みです。糸に合うかぎ針
申し込み問い合わif.ye1746816527ls@ar1746816527umihs1746816527oy.iv1746816527iap1746816527 電話03-3362-1105 スオミ・キリスト教会
天気予報通りの雪の舞う寒い寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは「ルーネベリのロールケーキ」を作りました。フィンランドの詩人ルーネベリが好物だったというルーネベリータルトをベースに、軽い味わいのロールケーキに仕上げました。
お祈りをしてスタートです。
最初に生地作り、焼いてる間に、こくのあるクリームを、そしてルーネベリタルトには欠かせないラズベリージャムも、ロールケーキ用に準備されました。
焼き上がった生地を冷ましてる間に、ヴォイレイパ作りと、テキパキ作業が進みます。
最後はとてもソフトな生地をロールケーキに仕上げます、ラズベリージャムとクリームを塗って巻き込み、アイシングで飾りつけをして、最後にカットして、ラズベリージャムとアイシングでアクセントを付けて完成しました。
試食会の楽しい会話も一段落した頃、パイヴィ先生から、ルーネベリタルトのお話や聖書のお話も聞かせていただきました。
寒い中のご参加お疲れさまでした。
フィンランドでは新年が終わったら、次にお祝いの日になるのは2月5日の「ルーネベリの日」です。この日は昔は休日でしたが、今はそうではなく、ただ国旗を掲げるだけの祝日です。それで新年が終わると、ルーネベリタルトがお店で売られるようになります。しかし、販売期間は短くて、せいぜい一ヶ月くらいです。
ルーネベリとはどんな人だったでしょうか?彼はフィンランドの有名な作家で、1804年に生まれました。詩や小説をたくさん書いて、彼の最も有名な詩「わが祖国」はフィンランドの国歌になりました。また、彼は教会のことも熱心で、60曲近い讃美歌の詩も書きました。
お祝いをするのが好きだったルーネベリは、50歳になってから毎年誕生日に大きなお祝いをしました。後に彼の誕生日である2月5日は、彼の記念日としてフィンランド全国で祝われるようになりました。彼の誕生日というよりは、フィンランドの文化の日として祝われます。オフィシャルなお祝いの会場でも家庭でも、ルーネベルイタルトが出されます。ルーネベリは小説や詩だけでなく、ルーネベルリタルトも残したと言うことができます。
ルーネベリは、この甘いお菓子を朝食で食べたくらい大好きだったそうです。このお菓子の始まりについては、いろいろな説があります。ある説によると、ルーネベリタルトはスイスで初めて作られて、そこからフィンランドのルーネベリが住んでいた町に伝わって、町の喫茶店で売られていたということです。ルーネベリはこのお菓子がとても気に入って、よく食べるようになったのが始まりだと言われています。ルーネベリは甘いお菓子が大好きだったので、奥さんのフレディリカもこのお菓子を作ったそうです。
現在、ルーネベリタルトのレシピはいろいろありますが、一番オーソドックスなものは、形が少し長めの円筒状で、上にのせるジャムはラズベリージャムです。レシピの面白いものの一つは、生地にピパルカックを入れるものです。クリスマスの期間に食べきれなかったピパルカックをつぶして生地の中に入れて、それで美味しいものが出来るのは素晴らしいことと思います。しかし最近の家庭はピパルカックを昔ほど沢山作らないので、つぶしたピパルカックの代わりにピパルカックのスパイスを入れるようになりました。もう一つルーネベリタルトの面白いことは同じ材料を使って、違う形のお菓子、ロールケーキが出来ることです。名前はルーネベリのロールケーキです。このように残ってしまったお菓子も上手に使って、新しくてもっと美味しいお菓子が出来て、国の記念日のお祝いに出されるようになったというのはとても不思議なことです。
旧約聖書のイザヤ書には次のような聖句があります。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか」(イザヤ書43章19節)。天の父なる神様は、人の目から見て価値がない、もう捨てるしかないと思われるものから新しい素晴らしいものを生み出される方です。ゼラニウムの花もそのことを思い出させてくれます。ゼラニウムは秋花が咲き終わってから、葉っぱも全部落ちて枯れてしまって、茎だけを残します。枯れてしまったゼラニウムの植木鉢はもう意味がない、捨ててしまおうと思われるかもしれません。ところがそうではないのです。枯れたゼラニウムの植木鉢を暗くて涼しい地下室に冬中置いておき、春になって地下室から出して暖かくて光があたるベランダに置きます。そうすると、最初は枯れた茎だけだったのが、しばらくすると新芽が出て育ち始め、やがては美しい花を咲かせます。このように一度捨てるしかないと思っていたものが、また育って花が咲くのはとても不思議に思えます。でもこれは、天の神様が成長を与えて下さるから起こるのです。
神様は、同じようなことを私たちにもしてくれます。私たちが自分のことを意味がない、価値がないと思ってしまう時は、私たちは暗い地下室に置かれているのと同じです。しかし、ゼラニウムを暗い地下室に置くのは、次の夏にきれいに咲かせるために必要なことなのです。暗い場所から明るい場所に置くと、ゼラニウムの新しい成長が始まり、素敵な花を咲かせます。天の父なる神様はこのように新しく造られる方です。神様は私たちをも素晴らしいものに成長させて下さいます。成長は私たちの思うように進まないかもしれません。ゼラニウムのように暗い場所に置かれてしまうかもしれません。でもそれは光の時が来た時に成長できるために必要なことでした。神様は光の時を来させて下さる方で、その時には私たちを暗闇から出して下さり新しい成長を与えて下さいます。このように神様は私たちを新しく造り変えて下さいます。
神様が私たちを新しく造り変えて下さるとどうしてわかるでしょうか?それは、神様が最初のクリスマスの日にイエス様をこの世に送って下さったことからわかります。イエス様はこの世の光です。光の時が来たのです。イエス様が私たちの罪を償うために十字架の上で死なれて、そのかわりに私たちの罪が赦されました。イエス様を救い主と信じる人は暗闇から光の中に出されて、心が新しくされます。
今週散歩した時に、一本だけでしたが梅の花が満開に咲いているのを見ました。神様が梅の花を新しく咲かせて下さったとわかって感謝しました。私たちは、こうした自然の移り変わりからも天の神様が私たちを新しくして下さる方だとわかります。これからもこの神様とひとり子イエス様のことを覚えて歩んでまいりましょう。
ヨシムラ・ヨハンナさんが冬休みで帰国し、久しぶりに杉本姉も見えました。明日からのクリスマスを祝って祝会が催されました、何時ものとおりご馳走が並べられバンドの穴を気にしながら舌鼓を打ちました。堀越姉のピアノを交えた聖書の朗読、マルタ・マリさんのゴスペル調のクリスマスソング、西尾姉のフインランドでのクリスマスの思い出話など心温まる発表があり時の経つのも忘れて午後のひと時を過ごしました。
穏やかな初冬の土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「おばあちゃんのスパイスケーキ」を作りました。
数種類のスパイスを加えて作る、シンプルで軽い出来上がりのケーキは、参加の皆様のアイディアで、表情の違う素敵なケーキに仕上がりました。
ヨウルトルットゥとスパイスの香るグロッギと一緒に、ピックヨウルを楽しみました。
おしゃべりも一段落したころ、パイヴィ先生からフィンランドのクリスマスの楽しいお話や、
参加の皆様の質問に、たくさん答えて頂いたり、
忘れがちなクリスマスの本当の意味を、聖書の一節と共に教えて頂きました。
Hyvaa Joulua !皆様、よいクリスマスをお迎えください。
今日皆さんと一緒に作った「Mummon maustekakku」の日本語の訳は「お祖母さんのクリスマス・スパイスケーキ」です。このケーキはフィンランドの多くの家庭で作られるクリスマスケーキの一つです。このケーキを作ると、シナモン、クローブ、オレンジの皮、カールダモンの香りが家中に拡がって、クリスマスが近づいていることを香りで感じます。フィンランドではクリスマスケーキは飾りつけるケーキではなくて、パウンドケーキやデーツケーキ、それに今日作ったスパイスケーキみたいなものが多いです。このようなケーキは何日間か冷蔵庫や冷凍庫に入れておくと味がもっと良くなるので、クリスマスの前に早めにアドベントの期間に作っても良いものです。フィンランドではクリスマスのためにいろいろお菓子や料理を早くから作るので、アドベントは忙しい期間になります。
ところでアドベントとはどんな意味でしょうか?キリスト教会では、クリスマスの前の4週間をアドベントと呼びます。アドベントはラテン語から来た言葉で、「主イエス様が来られるのを待つ」と言う意味があり、クリスマスを迎える準備をする期間です。このラテン語に基づいて世界中の言葉で殆ど同じ言い方をします。例えばフィンランド語でAdventtiと言います。この言葉は日本語の訳もあります。それは「待降節」と言います。この前の日曜日にアドベントの期間に入りました。それはアドベントの第一の日曜日でした。明日はアドベントの第二の日曜日です。
クリスマスの季節は楽しいことが多い、独特の雰囲気があるとても素敵な季節です。しかし、残念なことに最近少しいらいらを感じることが一つあります。それは、毎年クリスマスの準備がどんどん早く始まることです。昔、クリスマスを迎える準備はアドベントに入ってから始めましたが、今は11月から町にクリスマスの飾りが見られます。早いところでは10月にクリスマスセールの広告が出たり、クリスマスケーキの注文を始めたりします。フィンランドではクリスマスの前に職場でクリスマスのお菓子やクリスマス料理を出す習慣がありますが、最近はこれも早くなって11月に入ってから行うところも出てきました。それでクリスマスの時には、人によってはクリスマス料理やお菓子を何回も飽きるくらい食べてしまうことになります。このような状態に慣れてしまっては、本当のクリスマスの時には特別な雰囲気もなくなって、クリスマスの本当の意味は失われてしまいます。
このようなことにならないために、クリスマスの季節に入ったら、今から2千年前の一番最初のクリスマスの出来事を聖書で読んだり、その出来事を心の中で思い巡らすことは大事だと思います。聖書に最初のクリスマスの出来事、イエス様の誕生について書いてある有名な箇所があります。「ルカによる福音書」の2章1-20節です。19節にはイエス様の母マリアについて次のように書かれています。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」母マリアはイエス様の誕生の前に天使から聞いた預言の言葉や実際に起きたことをすべて心に収めて、ずっと心の中で思い巡らしました。これらのことは、きっと一生忘れないことだったでしょう。
クリスマスを前にした私たちはどうでしょうか?私たちはクリスマスの準備や楽しみで忙しくて、クリスマスの本当の意味を心の中で思い巡らす時間を持つでしょうか?最初のクリスマスの時にお生まれになったイエス様とは何者で、なぜこの世に送られたのかを心の中で考えてみることは大切ではないでしょうか?イエス様を送られた神様は人間の罪を赦して下さる神で、私たち人間にそのような愛を示してくださいました。私たち人間が罪の力から救われるためにイエス様をご自分のもとから送られ、イエス様はマリアから人としてお生まれになりました。これがクリスマスの本当の喜びです。このことを今年の待降節の期間に毎日思い巡らしましょう。そうすれば、クリスマスの日に心は本当に喜びで満たされます。皆さんにとって、今年のアドベントとクリスマスが神様の与えて下さる喜びであふれる時になりますように。
先週ポウッカ先生たちと山梨県の清泉寮に行ってきました。以前吉村先生から伺ったとおり施設の創設者ポーラッシュ博士の銅像が富士山を向いていて背面に詩篇121の冒頭が刻まれていたのを確認しました、とても感動しました。
クリスマス行事の先駆けとしてマーケット(バザー)とコンサート:ポウッカ先生ご夫妻・P.ペンテイネン宣教師(ピアノ)・T.シールトラさん(独唱)が行われました。今年も大勢の方がお見えになり会場は大いに盛り上がりました。
開会に先立ち吉村先生の祈りが捧げられました。