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キリスト信仰の「平和」と「平安」
イエス様は、「私はあなた方に平和を残しておく、私の平和をあなた方に与えるのだ。私は平和をこの世が与えるようには与えない」と言われました(ヨハネ14章27節)。 今、世界を見渡すと悲惨な戦争ばかり。戦争がない国でも人が人を傷つることが氾濫してしまっています。 イエス様の平和の約束は空しく聞こえるかもしれません。
しかし、キリスト信仰で言う「平和」の一番大元にあるものは、神と人間が平和な関係にあることです。人間が持つ罪のために神と敵対関係に置かれてしまっていたが、イエス様の十字架と復活の業のおかげで平和な関係を持てる可能性が開かれた。人間はそれを受け取ると内に揺るがない「平安」を得て、波風猛る世にあっても雄々しく進むことが出来るようになる。どうして出来るのか?宗教改革のルターが次のように教えています(フィンランドの聖書日課「神の子へのマンナ」1878年初版 4月30日の個所から)。
『イエス様が言われる「平和」は、不幸がない時に心を安らかにするというものではない、不幸のただ中にあって、外面的には全てが動揺している時に心を安らかにするものだ。
この世の「平和」とキリストの「平和」の間には大きな違いがある。この世の「平和」とは、動揺を引き起こした悪がなくなることである。これとは逆にキリストの「平和」は、外面上は不幸が続いている状態、敵や疫病や欠乏や罪や死や悪魔が取り巻いている状況でも、内面的には心に慰めと励まし、「平安」があるというものだ。その時、心は不幸を意に介しないばかりか、不幸がない時以上に勇気と喜びに溢れて駆け上がっていく。それゆえ、この「平和」と「平安」は人知を超えていると言われるのだ。
理性が把握できる「平和」はこの世の「平和」だけである。理性は、悪がまだ残っているところに「平和」があるなどと理解できない。理性は心を安らかにする術を知らない。なぜなら、悪がある限り「平和」はないと考えるのが理性だからだ。キリストが私たちを顧みて下さる時、ひょっとしたら私たちの外面的な惨めさは取り除かれていないかもしれない。しかし、主が確実になさることは、キリスト信仰者を強くし、怯える者を恐れない者に、動揺する良心を落ち着かせることである。それで信仰者は、この世全てが恐れおののき青ざめる時でも、よく守られ喜びを失わないでいられるのだ。』
注 上記文の中で「平和」と「平安」と二つ類語が出てきますが、ギリシャ語の原文では両方ともエイレーネ―という一つの同じ言葉で言い表します。訳し分けたのは、「平和」と言うと、日本語ではどうしても戦争の反対の意味で捉えられてしまうからです。エイレーネ―は内面の「平和」すなわち「平安」も含みます。英語のpeaceやフィンランド語のrauhaも、外面的な「平和」と内面的な「平安」を両方含んでいます。面白いことに、スウェーデン語は日本語と同じように二つに区別しているようです。例えば、ローマ12章18節でパウロが全ての人と「平和な」関係を保ちなさいと言う時、fredという言葉を使い、イエス様が「平和」を与えると言う上記ヨハネ14章27節では、fridという言葉を使っています。大体、外面的な「平和」はfredが用いられています(例えばルカ14章32節)。しかしながら、神との「平和な」関係について述べているローマ5章1節ではfredではなく、fridを用いているので、そこでは外面的なものと内面的なもの両方が含まれていると考えられていると思います。
次回2024年5月15日 (水) 10時30分~11時30分
聖書をわかりやすく解説します。毎回違うテーマでお話します。
フィンランドのルター派教会の聖書の学びです。講師はフィンランドの大学の神学部で博士号を取得した吉村博明牧師です。
誰でもお気軽にご参加ください。
お申し込み、問い合わせはヨシムラ・パイヴィまで。 moc.l1750249073iamg@1750249073arumi1750249073hsoy.1750249073iviap1750249073
03-6233-7109 福音ルーテル・スオミ・キリスト教会 東京都新宿区鶴巻町511-4―106 www.suomikyoukai.org
春から初夏にかけてフィンランドはお祝いの季節になります。 次回の家庭料理クラブではお祝いのパーティーにも出される「ウィルヘルミーナ・クッキー」Wilhelmiinapikkuleipäと「ベリー・スープ」Marjakiiseliを作ります。バター風味の香ばしさとサクサク感が合わさったクッキーはパーティーの人気者。あっという間にテーブルからなくなります。ベリー・スープはフィンランドの伝統的なデザートの一つ。普段の食卓にも出されますが、ベリーの種類を増やしてホイップ・クリームをのせて高級感を出せば、お祝いのデザートにもなります。
ウィルヘルミーナ・クッキーとベリー・スープを是非ご一緒に作って味わってみませんか?
参加費は一人1,500円です。
どなたでもお気軽にご参加ください。
お子様連れでもどうぞ!
お問い合わせ、お申し込みは、 moc.l1750249073iamg@1750249073arumi1750249073hsoy.1750249073iviap1750249073 まで。
電話03-6233-7109
福音ルーテル スオミ・キリスト教会
復活の日の再会の希望を抱いて
フィンランドの教会の葬儀では司式をする牧師が柄杓で土を棺桶の上にかけ、「土から生まれ土に戻る」と言います。これは、最初の人間アダムが神の手で土(ヘブライ語でアダマ)から造られたことを想起させるものです。 続いて牧師は式と説教を通して、肉の体は朽ちても復活の体を与えられて復活の日に再会できるという希望を遺族や会衆と一緒に確認します。以下の聖句とルターの説き明かしは、この希望を強めてくれる教えです(フィンランドの聖書日課「神の子へのマンナ」1878年初版 4月7日の個所から)。
「全ての人間はアダムと結びついて死する者となったのであるが、今度は逆にキリストと結びついて生きる者に替えられるのである。」(第一コリント15章22節、フィンランド語の聖書からの訳)
強い信仰はこの御言葉を大きな文字で心に書きつける。また、地上から遠く離れた大空一杯に描くように高く書き上げる。信仰はこの御言葉で言われていること以外には何も聞かず何も考えず何も知らない。あたかも、この世にはこの御言葉以外に書かれたものは何もないかのように。生きること活動することの全てはこの御言葉の中だけであるかのように。このように信仰することができるならば、我々は喜びのうちに生き喜びのうちに死ぬことができよう。この信仰が我々に教えていることは、キリストは自分自身のためだけに復活されたのではなく、我々のために復活されたということだ。それで我々はキリストの復活という防壁で守られて、かの日には我々も復活を遂げて彼と共に永遠に生きることになるのだ。
確かに我々の復活はまだ秘められたことで目の前で起こることにはなっていない。しかし、それはもう既に起こったと言っていい位に確実なことなのだ。心の目を将来の復活にしっかり向けていれば、今目に見える全てのものは中身のない殻にしか過ぎなくなるだろう。天と地において目にすることは他には何もないというくらいに。それで、我々はキリスト信仰者が埋葬されるのを目にする時、信仰の目では全く別のことを見ているのだ。そこには墓も遺体もない。見えるのは、死を超えた命であり麗しい園であり、そこで憩う新しい人たち、永遠の命に与って生きる至福の人たちなのだ。
(先週の週報コラムで和辻哲郎の「鎖国」と渡辺京二の「バテレンの世紀」について書いたら、礼拝後のコーヒータイムの席で遠藤周作の「沈黙」が話題になりました。それで今回はその時の話の続きとして)
昔、遠藤の「沈黙」についてある青年キリスト信仰者と話し合った時のこと。イエス様は自分を公けに主と認める者を神の御前で認める、しかし、拒否する者は神の御前で拒否すると言われた(マタイ10章32~33節)。そこで、イエスを拒否しないとこの者たちは死ぬんだぞと、拷問に苦しむ人たちの声を聞かされたら、どうしたらいいのか?「沈黙」ではそれで棄教した宣教師があたかも自分こそが真のキリスト信仰者であるかのように気取って終わる。信仰を告白することが愛のなさになってしまうのはなんともやりきれない(遠藤は欧米キリスト教に一泡ふかせたかったのか)。
そこで考えたのは、はい、信仰を捨てます、と言って(表情は無念の苦渋を滲ませ、心の中ではあかんべー)、踏み絵を踏んでキリシタンの人たちを助けたら、また伝道と礼拝を始める、そしてまた捕らえられて同じ脅迫を受けてまた「棄教
する、そしてまた伝道と礼拝を始める、これを繰り返したらどうだろう。もちろん繰り返しなんかありえず、2回目でバッサリだとは思うが、どうせキリスト教徒でいることは死を意味する時勢なのだから。
帚木の「守教」はおそらくこの考え方と軌を一にしているのではないかと思った。潜伏キリスト教徒たちは確かに踏み絵を踏んで檀家制度に組み入れられた。しかし、彼らは独自の連絡網を築いて信仰の共同体を維持。宣教師が彼らに言う。殉教は宣教師のすること、信徒がすべきことは次に宣教師が来るまで何百年かかろうとも共同体を守ること。潜んだとは言え、キリスト教徒たちは全く安泰ではなかった。発覚すれば拷問と死罪。登場人物も言うように、薄氷の上を歩くのと同じだったのだ。氷が割れて落ちてしまった人たちも大勢いただろう。踏み絵を踏んだ棄教の宣教師は身の安全を保証されて余生を送れたが、潜伏キリスト教徒たちは全く正反対の境遇に置かれた。
「守教」の最終章は幾世代も続いた潜伏が劇的な展開を遂げて終息に向かう。もちろん、開国はしても禁教が解けるまで20年近くあるのでまだ波乱万丈は続く。しかし、200年以上に渡る苦難の歴史の終わりがやっと始まったという幕開けの感動が漲る。渡辺京二は日本と西洋とファースト・コンタクトとセカンド・コンタクトの間には断絶があると論じた。確かに国家レベルではそうだろう。しかし、この世界の片隅にあった連続性は認めてもいいのでは?「守教」には棄教宣教師に対する批判も出てくる。「沈黙」に対する見事なアンチテーゼの書だと思う。
4月の手芸クラブは24日に開催しました。朝から雨がしとしと降り少し涼しい日になりましたが、季節はまだ新緑がきれいな春です。
今回の作品はクロスステッチの刺繡です。初めにモデルを見て自分の作りたいものを選びます。それから作りたいものの糸の色と布を選んで、早速刺繡に取りかかります。クロスステッチには少し細かいことがあるので少し難しく感じたところもありましたが、皆さん一生懸命頑張りました。だんだん可愛い模様が見えるようになると、「可愛い!」「素敵!」「きれいな色合い」などの声があちらこちらから聞こえてきました。刺繡は完成まで時間がかかります。それで、来月も刺繡を続けたいと希望する声があがりました。来月は今回の続きでも良いし、または新しい少し簡単なクロスステッチのものを作ることにします。
クロスステッチ刺繡で細かい作業に集中した後はコーヒータイムで一息入れます。フィンランドのコーヒーブレッドPullaを味わいながら歓談の時を持ちました。そこで刺繡の歴史などについてや、私たちと共にいつもいて下さる父なる神さまについてのお話がありました。
次回の手芸クラブは5月22日に開催予定です。開催日が近づきましたらホームページに案内案内を載せますので是非ご覧ください。
刺繡は世界中に愛されている古い伝統的な手芸の一つです。刺繡は同じテクニックや材料を使いますが、それぞれの国の文化の影響も受けて違いもあります。
刺繡は古代オリエントのエジプト、バビロニア、ギリシャで始まったと言われます。最初は布を縫い合わせる時に刺繡のテクニックが使われましたが、後で布をきれいに飾り付けるためのものになりました。
刺繡はフィンランドでも伝統的な手芸の一つです。かつて刺繡は飾りとして服、シーツ、テーブルクロスなどに付けられました。女性たちはシーツやタオルを縫う時、最後にイニシャルを刺繡しました。テーブルクロスにはきれいな花の模様を刺繡して華やかなものにしました。
刺繡にはいろいろなテクニックがありますが、最も一般的なのは今日皆さんが作ったクロスステッチです。フィンランドでは1800年代にクロスステッチのテクニックがとても盛んになったので、クロスステッチの世紀とも言われています。そのテクニックは簡単で早く覚えられるので盛んになりました。クロスステッチではいろいろな模様が出来ます。昔クロスステッチの模様のデザインのモデルがなかったので、デザインは自分で考えなければなりませんでした。女性たちは作ったデザインを交換し合ったのでクロスステッチのいろんな模様が広がっていきました。フィンランドの西と南の地方ではスウェーデンから模様が伝わりました。東の地方はロシアから伝わりました。そのため西と東の刺繡の模様は少し違うのです。特に東のカレリアという地方の刺繡はロシアの刺繡の影響を強く受けています。それは他の刺繡とどのように違うでしょうか?カレリア地方の刺繡の基本は白い布に赤い糸でな模様を作ることです。
刺繡は昔からキリスト教会にとっても大事な技能でした。多くの教会の聖壇の布には聖書に関係する模様が刺繡してあります。教会からも刺繡のいろんなテクニックが広く社会に普及しました。聖壇の布に刺繡してある模様はいろいろありますが、よく見られるものは三角形の模様です。その中に目の模様の刺繍を付けることもあります。これはどんな意味があるのでしょうか?三角形は天の父なる神さまを表しています。その中にある目の模様は神さまが私たちのことをいつも見守ってくださり、いつも共にいて下さることを表します。このように聖壇の布の模様を通して、神さまの存在や神さまが私たちといつも一緒にいて下さることを見る人に確信させる役割を果たすのです。
ところで、私たちはどうでしょうか?天の神さまが私たちと共にいて下さることをいつも感じることが出来るでしょうか?神さまがどこか遠くに行ってしまったと感じることが時々あると思います。そのような時、私たちはどうしたら良いでしょうか?
この間、息子の悦才と博明が一緒に家の近くの神田川にジョギングに行った時の出来事です。悦才は支援が必要な若者です。二人は出発の前にどこまで走るか話し合って走る道を決めました。しかし、途中で悦才はとてもスピードを出して走るようになったので、博明は追いつかなくなり悦才の姿は見えなくなってしまいました。博明は息子は出発点で待っていると思いましたが、そこに着いたらいなかったので、もう家に帰ったと思って家を見に行きました。しかし息子は家には帰っていませんでした。博明はまた神田川に戻っていろいろ捜しましたが、見つかりません。それでもっと遠くまで探しに行けるようにまた家に戻って自転車を取り出しました。自転車で出発点に向かうと、そこで息子が大きな声で「お父さーん!お父さーん!」と叫んでいる姿を見つけました。それから二人は無事に家に帰ることができました。
聖書は、天の神さまは私たちの父であると教えています。私たちは人生の中で自分の行きたい道を進みたいと思って進んでみると、迷ってしまって正しい方向がわからなくなってしまうことがあります。ちょうど息子の悦才と同じようにです。どうやったら正しい道に入れるかわかりません。そのような時は天の神さまの方を向いて「お父さーん、お父さーん」と叫べばよいのです。旧約聖書の詩篇には次のようなみ言葉が書いてあります。「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、私に耳を傾けて下さる。生涯、わたしは主を呼ぼう。」詩編116篇1-2節です。このように天の神さまはいつも私たちを見守っていて下さり、いつも私たちの叫び声も聞いてくれるので、私たちは安心して平安を得られるのです。本当に天の神さまは私たちのことをよくご存じですので、叫び声をあげることが出来ないときでも、その時は静かな囁きでも神さまは一言ももらさないで聞いてくださいます。
私たちの人生の中にはいろんな時があります。それでも、天の神さまは私たちがどんな状況にあるのか、いつどこにいても良くご存じで、それで、いつも一番良い歩む道を示して下さいます。それに信頼できればどんな時があっても安心や平安の中で生活が出来るのです。
4月の料理クラブは桜もそろそろ終わり始めの13日、爽やかな春の陽気の中で開催しました。今回はこの季節にピッタリのフィンランドのコーヒーブレッド、アウリンコ・プッラを作りました。
料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。
まず、プッラの生地を作ります。材料を測って順番にボールに入れてから小麦粉を加えます。生地をよく捏ねてから柔らかくしたマーガリンを加えて、またよく捏ねて生地を仕上げます。暖かい場所において一回目の発酵をさせます。その時にプッラのトッピングを作ります。卵以外のものをボールに入れて味見をし、もう少し砂糖を加えてみてから卵を混ぜて完成です。トッピングを準備している間に生地は大きく膨らみました。そこでプッラの形作りです。生地を細い棒の形に丸めて切り分け、切った生地を一個一個丸めていきます。初めは少し難しかったですが、何個か丸めていくうちに皆さん上手になってきて、きれいなプッラが次々と鉄板の上に並べられていきます。それから二回目の発酵をさせます。今回は幼稚園のお子さんと小学生のお子さんがお母さんと一緒に参加して、大人と一緒に一生懸命プッラの生地を捏ねて上手に生地を丸めていました。
二回目の発酵の時にちょっと一休み。あちこちから楽しそうな会話の声が聞こえてきます。さて、プッラはあっという間に大きく膨らみました。一つひとつプッラの真ん中にコップで溝を作って、そこにトッピングをのせます。鉄板には最初の丸形とは違う形のプッラがきれいに並べられました。それをオーブンに入れて焼き始めます。少し経つとオーブンから美味しそうな香りが教会中に広がりました。
きれいな焼き色になったプッラをオーブンから取り出してよく冷まします。その間にコーヒーやテーブルのセッティング。それからアイシングを作って、冷ましておいたプッラのトッピングの周りに太陽の光の筋の模様を描きました。
そうして、出来たてのアウリンコ・プッラをコーヒー・紅茶と一緒に味わう時間になりました。皆さんと一緒にプッラを頂きながら楽しい歓談のひと時を過ごしました。この時にフィンランドのプッラや太陽についてと、「天地創造の神さまは私たちと共にいる」という聖書のお話がありました。
今回の料理クラブも無事に終えることができて天の神さまに感謝です。次回の料理クラブは5月
11日に予定しています。詳しい案内は教会のホームページをご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしています。
フィンランド人はコーヒーブレッド、Pullaが大好きです。フィンランドには色んな名前のプッラがあります。例えばバター・プッラ、クリスタル・プッラ、ブルーベリー・プッラ、ラフカ・プッラなどなど、そして今日皆さんと一緒に作ったアウリンコ・プッラもその一つです。プッラはフィンランドではコーヒーや紅茶と一緒に食べます。プッラは初めは貴族のおやつでしたが、1880年頃から一般の人も食べるようになりました。その時はプッラは家庭で作られるものではなくお店で買うものでした。第二次世界大戦の後、砂糖やイーストなどプッラの材料が普通に販売されるようになってプッラは多くの家庭で作られるようになりました。昔、プッラは高価なものだったので、イースター、夏至祭、クリスマスのようなお祝いの時しか食べませんでした。他にプッラが出される大事なお祝いとして赤ちゃんの誕生祝いがありました。赤ちゃんが生まれると近所のお母さんたちが大きめで丸い形のプッラを焼いて、それを赤ちゃんが生まれた家族に持って行きました。このプッラは赤ちゃんの誕生をお祝いに来る親戚や近所の人たちをおもてなすために出されるもので、赤ちゃんのお母さんにとって助けになりました。
時代は変わり、プッラは毎日食べられるおやつになって、ほとんどの家庭で毎週プッラを焼くようになりました。奥さんが美味しいプッラを作るのは大事な技能と考えられました。私の母は毎週金曜日にプッラを焼きました。私たち兄弟姉妹が学校から帰ると、焼きたてのプッラの香りが家の外にまで広がったものです。家族みんなで暖かいプッラを冷たい牛乳と一緒に食べました。
プッラを作るのはそんなに簡単ではありません。イーストを使って2回発酵させるので、時々硬くなったり、表面がちぎれることもあります。美味しいプッラが出来るために、時間と発酵の温度は大事です。それから生地を十分にこねることです。今日皆さんは、とても上手にきれいな美味しいプッラを作りました。
今日作ったプッラは太陽のイメージなのでアウリンコ・プッラという名前です。ちょうど2週間前はイースター・復活祭のお祝いがありました。フィンランドでは暗い冬が終わり日光時間が長くなる季節になりました。人々の気分も明るくなります。アウリンコ・プッラはこの季節にピッタリなプッラです。
この季節にフィンランドの教会では天の神さまの創造の業についての讃美歌がよく歌われます。天の神さまは太陽や月、湖や森や人間も造られたという歌詞で始まる明るい感じの歌です。これは子ども向けの讃美歌として歌われますが、大人も大好きです。これから、この讃美歌を一緒に聴きましょう。
旧約聖書の一番最初は創世記という書物で、神さまの天地創造について書かれています。神さまは太陽や月や星を造られました。神さまは光と闇を分けられ、太陽は昼、月は夜、この地上を照らすようになりました。私たちは太陽が照る時間が長いと明るい気分になります。逆に照る時間が短いと少し落ち込む気分になるでしょう。私はフィンランドの父に毎週電話しますが、父はいつもフィンランドの天気のことを話しします。去年の秋と今年の春は太陽の照る日が少なかったので、太陽はどこに行ってしまったのかといつもがっかりした様子で話していました。
太陽は雲のない青空できれいに輝きますが、空が厚い雲に覆われたら太陽は見えません。しかし太陽は見えない時でも雲の上の空にあります。天の神様も太陽と同じように考えることができます。旧約聖書の申命記という書物には次のように書かれてあります。「主ご自身があなたに先立って行き、主ご自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記31章8節です。
私たち人間の人生にはいろんな段階、幸せの時、試練や困難の時があります。太陽が青空に輝いている時は幸せや喜びの時とすれば、太陽が雲に覆われて見えない時は試練や困難の時です。試練の時、神さまがいなくなってしまったと思うかもしれません。でもそうではありません。太陽は雲に隠れてしまっても、それは太陽がなくなってしまったのではなく、雲の上で輝いています。天の神さまも同じです。神さまを信じて受け入れると、いつも神さまが共にいて下さるという確信が生まれます。試練の時でも、雲の上で輝く太陽を思えるように、共にいて下さる神さまを思えるようになります。その時、今読んだ申命記のみ言葉は真実になります。天の神さまは見放すことも見捨てることもせず、いつも私たちと共にいて下さるのです。
和辻哲郎「鎖国」から渡辺京二「バテレンの世紀」へ
和辻哲郎の「鎖国」は驚くべき本である。中心テーマは室町時代末期から江戸時代初期にかけてのキリシタン盛衰記だが、序説がなんとローマ帝国の崩壊から始まる。 十字軍とルネサンスまでの西洋史を振り返り、第1章でスペインとポルトガルの新大陸進出、第2章は両国が喜望峰を越えてインド洋、東南アジア、東アジアに進出していく過程の詳細な記述。あれっ、私は何の本を読んでいたんだっけと戸惑うことも。一体いつになったら日本が出てくるのか?それでも、だんだん近づいてついに種子島に。ここから日本列島の自由闊達な者たちと西洋流「普遍」との交流と対話が始まるのだ。しかし結果は、「普遍」を遮断するようにして「日本人」が作られるようになってしまうことに。序説の出だしはこう、「太平洋戦争の敗北によって日本民族は実に情けない姿をさらけ出した」。さらに、キリスト教を排斥して代わりに古代シナ(!著者の言葉遣い)の思想である儒教を思想的主柱にしたことが日本人に合理的な思考を起こさせない要因になったとも。そして締めくくりは、「現在のわれわれはその決算表をつきつけられているのである」。「現在」とは昭和25年。日本は占領下にあり、まだ焼け跡と闇市が社会風景の時だ。
その後、日本は復興を遂げ経済は急成長し世界第2位の経済大国にのし上がった。しかし、バブルがはじけた後は、失われた10年が20年、30年(?)と続き、経済は4位転落、平均賃金、1人当たりGNPも韓国が上に。キリスト教は戦後一時期ブームになったそうだが、その後頭打ちとなり、信徒数は総人口の1%のまま。
そんな時代の2017年に出版されたのが「バテレンの世紀」。渡辺京二は「鎖国」の現代版を試みたそうだ。それで、スペイン・ポルトガルの海洋進出から始めるのだが、新大陸は割愛、インド洋アジア地域のみ。現在の世界の政治経済の重心が同地域に移っていることを意識したのか。ローマ帝国やルネサンス等の西洋史にも触れないのは、西洋流「普遍」に冷めた態度があるからか。渡辺のキリシタン記述は和辻ほど理想的ではない。宣教師の不祥事にも触れたりして現実的である。しかし、私が目を見張ったのは終わりの総括のところだ。キリスト教は日本人の体質に合わないという思考様式を批判的に論じている。日本のキリシタンはカトリック本国の平民以上に受容していたと。遠藤周作は、「沈黙」に登場する棄教の宣教師に、キリスト教は日本人には不向きな宗教と言わせた。武力で壊滅・根絶させられたのに、ほら、日本人の体質に合わなかっただろ、とは何という言い草だろう、筋違いも甚だしいと言わざるを得ない。
キリスト教徒の目のつけどころ
昔、スオミ教会が中野上高田にあった頃、復活祭の祝会にて信仰の証しを行い、キリスト信仰者になる前となった後で物の見方がどう変わったかについて話したことがある。一例として、信仰者になる前に読んだ本、観た映画で強く印象に残ったものを、信仰者になった後でもう一度読んだり観たりしたら新しい発見が一杯あったということについて。取り上げた本はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」と吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」、映画はW. Beatty監督の「レッズ」。どんな新発見があったか、もう覚えていらっしゃらなければ、また別の機会に。
最近またキリスト教徒だからこんな見方、こだわりをするというのが二つほどあったので紹介します。一つは、池澤夏樹の新聞連載小説「また会う日まで」。主人公は秋吉利雄という旧海軍の将校でキリスト教徒という歴史上実在した異色の人物。天皇の軍隊でどうやってキリスト信仰を貫けたのか興味を持って読み続けた。しかし、かつての部下が今は亡き秋吉の墓参りをして線香をあげるラストシーンでがっかり。線香をあげるというのは死者との交信を始める合図のようなもの。キリスト信仰では手を合わせて話しかける相手は神のみ。死者とは対話しない。復活の日の再会に希望を託す。「また会う日まで」はその希望を歌い上げる讃美歌である。なんと題名にそぐわない終わり方をするのかと失望した。
もう一つは沢木耕太郎の「暦のしずく」。これも新聞の連載小説だが、まだ終わっていない。主人公は江戸時代中期に活躍した馬場文耕という講談師。これも歴史上実在した人物で講壇の内容が幕府の怒りを買い処刑されてしまう。私の注目の的は里見樹一郎という謎の浪人。文耕の講壇の倫理的側面にいつも儒教離れしたコメントをして文耕を驚かせる。私はすぐキリシタン関係者?と直感。案の定、先々週号では里見が自分の背景を謎めいた言い回しで文耕に語った。自分は九州の山奥から天狗に連れられて江戸に来た、徳川幕府の行く末を見届けるために、などと。私は思わず、おぉ!と唸ってしまった。予想は当たらないかもしれないが、これもキリスト教徒ならではのこだわりだろう。
聖金曜日と復活祭/イースターの間の土曜日にチャーチカフェ&ミニコンサートを開催しました。今回は西日本福音ルーテル教会で活動しているフィンランドの音楽伝道宣教師アウヴィネン夫妻をお招きしてのミニコンサートでした。
マリカイサさんの心にしみわたる美しい歌声とトーマスさんのテクニカルなギター演奏を通して聖書のメッセージを歌い上げて下さいました。なかでもマリカイサさんの作詞作曲による「自由になりたい」は、許せないという思いに囚われて身動きできなくなってしまった人をイエス様が自由にして下さるというメッセージで、聴く人の心を清める力に溢れていました。
3回の歌と演奏お疲れさまでした!
今回のチャーチカフェのメニュー、ピーチのクリームチーズケーキも好評でした!