2024年3月29日(金)19時 聖金曜日 礼拝

司式 吉村 博明 牧師

説教 田口 聖 牧師(日本ルーテル同胞教団)

聖書日課 イザヤ52章13節~53章12節、ヘブライ10章16~25節、ヨハネ19章16~30節

説教題 「何が『成し遂げられた』?」

讃美歌 81、71、386、81

特別の祈り

全知全能の父なるみ神よ。

私たちの主イエス様の十字架の受難を覚えるこの日、どうか私たちの心からあらゆる妬(ねた)みや憎しみを取り去り、あなたのみ前にへりくだることが出来るように私たちを清めて下さい。

あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストのみ名を通して祈ります。アーメン

スオミ教会 チャーチ・カフェのご案内

2024年3月30日(土)11~15:30

素晴らしい音楽の演奏とおいしいお菓子を用意してお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。

ミニコンサートは予約の必要はありません。お好きな時にいらしてください。

チャーチカフェ

牧師の週報コラム

フィンランドの幸福度とルター派キリスト教の関連性?

国連が毎年発表している「世界幸福度ランキング」で今年もフィンランドが1位になった。7年連続だそうだ。何を基準に幸福度を決めるのかというと、1人当たりのGDP、社会福祉、健康寿命、自由、寛容度、腐敗に対する認識の6項目についての評価だそうで、これらを基にした幸福度はフィンランドだけでなく北欧諸国が軒並み高い(デンマーク2位、アイスランド3位、スウェーデン4位、ノルウェー7位、日本は51位)。

北欧諸国と言えば、宗教は伝統的にルター派のキリスト教が主流である。それでか、北欧諸国の幸福さとか先進性とルター派には何か関連性があるのか、ルター派には国民を幸せに先進的にする要因があるのか、というような質問を時たま受けることがある。

それに対する私の答えは、物事はそんなに単純なものではないということである。まず各国のルター派教会の所属率だが、この30年位の間に急激に低下した。1980年代まではどこの国も国民の90%以上がルター派の国教会ないし中央教会に所属していた。ところが、昨年の統計ではスウェーデンは52%、フィンランドは62%まで低下。国内分布でも、ヘルシンキ首都圏では50%を切っている。ここまで落ちたら、法制度上特別な地位を持つ「国教会」の存在理由はあるのだろうか?(スウェーデンのは2000年に国教会をやめて一宗教団体になった。)

それから、フィンランドの話だが、国教会に属する人たちに、どのように信じていますかと聞くと、大半は教会が教えるようには(つまりルター派の信条集に基づいて)信じない、自分の信じたいように信じるという答えが返って来る。SLEYをはじめとする国教会のミッション団体の教会から一歩外に出れば、周りの普通の教会はそういう風潮に呑み込まれてしまって、ルター派の信条集どころか真に聖書に基づいて教えるところは少なくなってしまったと思う。国教会に属しているからと言って、聖書的、ルター派的とは限らないのだ。

他にもいろいろあるが、私の結論は、30年位前だったら国民の幸せ度や先進性の要因をルター派に探し求めても良かったかもしれないが、国民の教会離れ聖書離れがここまで進んだら、別の視点で考える必要があるだろうというものだ。

DSC_3767

2024年3月24日(日)枝の主日 主日礼拝  説教 吉村博明 牧師

主日礼拝説教 2024年3月24日 枝の主日

イザヤ63章15節-64章7節

第一コリント1章3-9節

マルコ15章1-47節

説教題 「受難週と主の再臨を待つ者の心構え

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

今日は教会のカレンダーでは「枝の主日

です。イエス様がろばに乗って群衆の歓呼の中をエルサレムに入城した出来事を覚える日です。群衆はイエス様が進む道の上に衣服や木の枝を敷き詰め、王様を迎えるように出迎えました。このエルサレム入城の後、イエス様は十字架の受難の道に進んで行かれます。しかし、群衆は今、王としてお迎えしている方にそんなことが起こるとは夢にも思っていません。彼らは、この方こそ、ユダヤ民族を占領しているローマ帝国とそれに取り入る民族の指導者たちを追い払って、民族に真の独立と解放をもたらして下さると期待したのでした。その期待は見事に外れましたが、その代わりに一民族の期待をはるかに超える全人類の運命に関わる大きなことが起こりました。

 このように今日はイエス様のエルサレム入城を覚える「枝の主日

の日ですが、ルター派教会のカレンダーでは、受難週の最初の日という扱いにもなっています。今日から始まる週はイエス様が受難の道を進まれる週であり、その頂点としてイエス様が十字架にかけられたことを覚える聖金曜日があります。イエス様は死なれた後、墓に葬られて金曜日、土曜日そして日曜日の朝まで葬られた状態にいます。そして日曜日の早朝に神の力によって復活させられます。

 今日の福音書の個所は、ルター派教会の聖書日課を見ると2つ選択肢があります。一つは「枝の主日」の日課で、イエス様のエルサレム入城の出来事を扱ったマルコ11章ないしヨハネ12章。もう一つは、受難週の最初の日の日課で、最後の晩餐から十字架にかけられるところまでを網羅したマルコ14章と15章が定められています。今回、どっちを選ぼうかと迷いました。以前は「枝の主日」を選んでいました。しかし、今年はやり方を変えようと思いました。というのも、スオミ教会は小さな教会なので平日に礼拝を行うと集まる人はとても少なくなります。それは聖金曜日も同じ。フィンランドだとイースター期間は金曜日から翌週の月曜日まで休みですが、日本はそうではありません。聖金曜日の礼拝に出席できないと一つまずいことが起きます。枝の主日でイエス様が歓呼の中で迎えられて、次の日曜日には復活してしまって、めでたしめでたしになってしまう。受難なんかどこにもありません。何だか全てが春のおめでたいカーニバルのようになってしまいます。

 そこで、スオミ教会で受難週の平日の夕刻に礼拝をやってもある程度人数が集まる日が来るまでは「枝の主日」はお預けにして、受難週の最初の日でいこうと思います。そうすると、マルコ14章と15章の2つの章を見ることになりますが、これを全部読むと30分以上かかります。これと別に説教の時間も考えないといけません。二つ合わせたら、ちょっと長すぎかなと思いました。幸運なことに、ルター派の聖書日課では、マルコは15章だけでもよいという選択肢もありました。それで、今回はそれを選んだ次第です。ただ、それでもイエス様の受難の前半部分が抜け落ちてしまいます。そこで、本説教ではまず、イエス様がエルサレムに入城するマルコ11章から逮捕される14章の終わりまでを駆け足で振り返ってみて、その後で15章を少し詳しく見てみようと思います。受難週の時、聖書を繙きながらイエス様と一緒に歩むように一日一日を過ごしていくと、主の再臨の日を待つ心構えが出来てくると思います。

――――――

イエス様がエルサレムに入城した後で何が起きたか?エルサレムの神殿で商売をしていた人たちを追い出した出来事が大きなものとしてあります。イエス様の行動は一見すると、神聖な神殿で金儲けなどけしからんと言っているように見えます。しかし、そうではありません。エルサレムの神殿は、人間が神との関係を正常にするために神の意思に反する罪を償わなければならない、それを動物の生贄を捧げて果たす場所でした。そのような儀式はそれはそれで人間に罪があることを自覚させ、罪はそのままにしてはいけないということを思い起こさせるものでした。しかし、規定通りに儀式を行ったら罪が消えて神のみ前に立たされても大丈夫でいられるかと言えば、そうではなかったのです。

 そのような人間の手による罪の償いは不完全なものだからもう終わりにする、それに代えて神が完全な償いを人間に備えてあげよう、それでイエス様をこの世に贈ったのでした。神殿から商人を追い出したイエス様は当然のことながら宗教指導者たちから非難を受けます。商人と言っても、彼らはお土産屋さんを営んでいたのではなく、神殿で捧げる生贄用の動物を売っていた人たちです。その意味で彼らは神殿の宗教システムの一部だったのです。マルコ14章を見ると、イエス様が大祭司の前で取り調べを受けた時、彼が神殿を破壊して三日で新しいものを建てるなどと言ったという証言があります。ヨハネ福音書を見ると、宗教指導者たちに神殿を破壊してみろ、そうしたら私が三日で新しいものを建てると言っています。イエス様が破壊するのではありません。三日で新しい神殿を建てるというのは、まさに、人間が造った神殿では完全な罪の償いは不可能だったが、イエス様の十字架の死と三日後の復活によって可能になるという意味でした。

 ユダヤ教社会の宗教指導者たちは、イエス様の活動に心穏やかではありません。あの男は旧約聖書の教え方があまりにも凄すぎる。人々はみなその通りだと信じていく。しかも、奇跡の業も行う。人々はますます彼を信奉し、偉大な預言者とか、かつてのダビデ王の王国を復興してくれるユダヤ民族の王などと担ぎ上げている。このままでは我々の権威が揺らいでしまう。さらによくないことは、占領国のローマ帝国とはせっかく波風立てずにうまくやっているのに反乱の疑いを持たれたら軍事介入を招いてしまう、そうならないうちに早く始末しなければならないと考えるようになっていました。そこに、神殿からの商人追い出しの事件が起きました。これは現行の宗教システムに対するあからさまな挑戦でした。指導者たちはイエス様を捕まえて死刑にすることに決めました。ユダヤ民族の解放と王国の復興を待ち望む人々の期待が高まっている時に、事態は正反対の方向に進んでいたのです。しかし、その正反対の方向がまさに神が考えていた正しい方向だったのです。なぜなら、それによって十字架と復活の出来事が起きたからです。

 神殿からの商人追い出しから逮捕までの間、イエス様は人々に教え続けます。教えはよく見ると、どれもが将来イエス様を救い主と信じるようになる者たちは彼が再びやって来る再臨の日までどういう心構えを持つべきかを教えているとわかります。マルコ11章から12章までです。

 イエス様が通りかかった時、実を実らせなかったイチジクの木は枯れてしまいました。イエス様が来る日に実がなっているように準備をしていなければならないのです。そのような準備には祈りが必要であると教えます。祈りを絶やさないことが準備をしていることになるのです。ただし祈る時、心の中で誰かを赦せないということがあってはならないとも教えます。イエス様の犠牲のおかげで神から罪の赦しを受けられて、それでイエス様を救い主と信じるようになったのであれば、彼の再臨を待つ者の心構えとして他者を赦すことは当然のことになるのです。

 イエス様はまた、たとえの教えで、ぶどう畑の小作人が所有者の息子を殺害して罰として滅ぼされてしまう。そして、ぶどう畑は別のものに与えられる話をします。これは、罪の赦しの救いを地上で管理する者が神殿儀式のユダヤ教からキリスト教会に移ることを意味します。キリスト教会は主の再臨の日まで罪の赦しの救いを世の人々に伝え、かつそれを受け入れた人たちがその救いを携えてその日まで歩めるように支えなければならないのです。

 イエス様はまた、神に選ばれたユダヤ民族は占領者のローマ皇帝に税金を納めていいのかどうかという挑発質問に対して、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せばよいと答えました。この世の権威と権力は絶大なものに見えても、その上に立つもっと絶大な権威に目を向けなければならないということです。主の再臨を待つ者は、いつかは衰退して消え去るこの世の有限な権威権力に目を奪われず、その上に立つ永遠に栄光に輝く神の無限の権威に目を向けていなければならないのです。

 さらに、死者の復活などないと言う宗教指導者たちに対してイエス様は、彼らがいかに旧約聖書をいい加減に読んでいたかを暴露します。主の再臨を待つ者は聖書を繙く時、聖書と復活と永遠の命は切っても切れない関係にあることを忘れてはいけないのです。

 イエス様はまた、ユダヤ教社会の膨大な数の掟の中で、一番重要な掟は二つ、神を全身全霊で愛することと、神への愛に立って隣人を自分を愛する如く愛することであると教えました。膨大な掟集が二つに集約されてしまいました。しかし、そのためにこの二つの掟は途轍もなく広い深い掟になったのです。そのような偉大な掟に自分のあるがままの姿を照らし合わせると、神の意思に沿うことができない無力な自分に気づかされます。実はこれが罪の赦しの救いの入り口に立つことになります。イエス様は、この二つの掟に納得した律法学者のことを、お前は神の国から遠くない、と言ったのはまさにそのことです。主の再臨を待つ者は神の前に無力な存在であることを忘れてはいけないのです。だから、そんな自分を神の御前で大丈夫にして下さるイエス様が待ち遠しくなるのです。

 さらにイエス様は、メシアの意味について、当時一般的に考えられていた民族の王様の意味を越えていること、かつてダビデが主と呼ぶくらいに越えている方であると教えます。人間の罪を償い、人間を罪の支配下から贖い出して復活を遂げた主、そして、いつか再臨される主は本当の意味でのメシアなのです。

 イエス様はまた現行の神殿システムが宗教エリートを特権階級にしてしまうことや、神殿への捧げものの価値が外見で評価されてしまって、捧げる心が顧みられない現状を批判します。主の再臨を待つ者は、神によく見られるようになるために捧げるのではなく、神から罪を赦してもらったから捧げます、という心にならなければならないのです。

 以上の教えはマルコ11~12章にあります。今見てきたように、どれもが、イエス様の再臨を待つ者のこの世で生きる心構えについて教えています。次の13章でイエス様は、イスラエルの地の近い将来の出来事から始めて、今のこの世が終わりを告げてイエス様が再臨する日までのことについて預言します。「キリストの黙示録

と呼ばれる箇所です。イエス様は、その日がいつ来ても大丈夫でいられるように目を覚ましていなさいと命じます。主の再臨の日まで目を覚ましているというのは、今まで見てきたような再臨を待つ者の心構えを持ってこの世を生きることです。

 一連の教えが終わった後、事態は急速に受難に向かって進んで行きます。ある女性が非常に高価な香油を惜しみなくイエス様に頭からかけます。本当は遺体に塗って亡くなった方に最大の敬意を払うものでしたが、女性はイエス様がまだ生きている時に行いました。イエス様の受難と死はもう回避できないという印でした。イエス様はこの世の王として君臨するのではないことがはっきりしました。しかし、無残な殺され方をされるが、実は高価な香油を塗られるに値する高貴なことなのだと、無残さの裏側に大きな真実があることを示す行為だったと言えます。

 そして、イエス様は弟子たちと一緒に過越し祭の食事をとります。イエス様はイスカリオテのユダが宗教指導者たちと組んでイエス様を引き渡す役を引き受けたことを知っています。また、イエス様が逮捕されたら他の弟子たちも逃げ去ってしまうことを知っています。これから全く一人で通過しなければならない受難が待っていると知っています。しかし、全てをやり遂げたら、人間はイエス様の犠牲のおかげで罪の償いを自分のものにすることができるようになります。このように罪を償ってもらった人はイエス様を救い主と信じる信仰を携えて世を神の子として歩めるようになります。信仰者が主の再臨の日まで信仰に留まって歩むことが出来るように、歩む力を得られるように、イエス様は最後の晩餐の時に聖餐式を設定して下さいました。主の再臨を待つ者にとって洗礼に並ぶ大事な儀式です。

 食事の後、イエス様は弟子たちと一緒にゲッセマネに行ってそこで祈ります。イエス様はこれから起こる受難がどれほど辛く苦しいものであるかよく知っています。なぜなら、誰か一人の人間の罪ではなく、全ての人間の全ての罪の罰を神から受けなければならないからです。最初イエス様は、それを避けられる可能性を神に祈ったほどでした。しかし、神の意思が実現することが自分の思いよりも大事だと祈り直します。イエス様は全てを神の御手に委ねたのです。弟子たちは疲れ果てて眠ってしまいました。イエス様も同じ位疲れていたでしょう。しかし、イエス様は立ち上がって進みました。このように私たちが弱くても、イエス様は私たちのために立ち上がって私たちの代わりに進んで下さるのです。

 まさにその時でした。指導者たちの回し者が押し寄せてきました。イエス様は逮捕されてしまいました。弟子たちは逃げ去ってしまいました。イエス様は最高法院に連行され、大祭司のもとで尋問を受けました。訴えは食い違いが多く、筋の通った決定的なものがありません。業を煮やした大祭司がイエス様に聞きます。お前はメシアなのか?そうだ、とイエス様は答え、さらに、人の子は神の右に座して、天の雲と共に到来すると、自分の再臨について述べます。怒り狂った大祭司は、イエス様が神を侮辱したと叫び出し、一同は死刑に処するべきと一致します。イエス様に容赦ない暴行が加えられました。遠くから様子を伺っていたペトロは、お前はあの男の仲間ではないかと聞かれ、三度、イエス様との関係を否定してしまいます。そしてイエス様が言った通りになってしまったと気づきました。あれほどどんなことがあってもついて行くと言ったのに、なんという失態!ペトロは激しく泣いてしまいます。イエス様を信じた者が周りに対する恐れから否定してしまうというのは途轍もない後悔を引き起こします。しかし、後でペトロは罪を赦され、信仰を公けにする者に変わります。主の再臨を待つ者とは、信仰を公けにする者なのです。

 イエス様は最高法院からローマ帝国のユダヤ総督のピラトの元に送られます。当時ユダヤ民族はローマ帝国の支配下にあり、死刑は支配国の法律に基づいて行われたからです。ピラトはイエス様がひょっとしたらユダヤ民族の王かもしれないと思ったようです。宗教指導者たちがイエス様を引き渡したのは、彼が多くの人たちの支持を受けたため、自分たちの権威が脅かされると恐れたからだとわかっていました。別にこの男が王だとしても、ヘロデもローマに服従したし、誰が王になってもローマは服従させる自信はあります。

 さて、過越し祭の時にはユダヤ人の希望を聞いて死刑囚を一人釈放する慣行がありました。今ピラトの前に宗教指導者たちが集めた人たちがいます。ピラトが提案しました。ユダヤ人の王イエスを釈放しようか?しかし群衆は釈放するのはバラバだと叫びます。十字架刑はイエスだ、と。彼らは指導者の指示通りに叫んだのです。驚いたピラトが、イエスは一体どんな悪事を働いたのかと聞きますが、群衆はただ十字架につけろと叫ぶだけです。ピラトは十字架につけるのはイエス様に決め、バラバを釈放しました。そこからは屈強なローマの兵士たちがイエス様に対して容赦ない暴行を加えます。その後、イエス様は自分が吊るされる大きな十字架の木を背負わされて処刑場まで運ばされます。恐らく半殺しのような状態だったのでしょう、背負いきれなかったので、兵士たちは通行人のシモンに命じて一緒に運ばせました。

 ゴルゴタの処刑場に着くと、さっそく十字架につけられました。両腕を左右に引き伸ばし、両方の手首と一つに重ねた足首に五寸釘を打ち付けるのです。激痛といったらなかったでしょう。当時十字架刑は最も残酷な死刑の仕方でした。十字架の上で苦しんで死んでいく様子をずっと公けにさらしものにするのです。通りがかりの人が見て、指導者たちと一緒になってイエス様に嘲りと侮辱を叫びます。民族の解放者のように騒がれていたのに、なんだあのざまは、と。ついこの間、ロバに乗って群衆の歓呼の中をエルサレムの町に入城した面影は全くありません。

 イエス様が十字架につけられて3時間ほどたった正午の頃でした。大地が突然暗くなるという事態が起きました。イエス様が神罰を受けて苦しまれている状態を象徴する現象でした。暗い状態は午後3時位まで続きました。ちょうど暗さが収まって明るくという境目の時に、イエス様が母語のアラム語で叫びました。「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのか?」これを聞いた人たちは、昔生きたまま天に上げられた預言者エリアが来て彼を天に上げてくれるように頼んでいると誤解しました。イエス様が直ぐ息を引き取らないようにと海綿に酸いぶどう酒を含ませて棒に付けて飲ませようとしました。しかし、イエス様はそのまま息を引き取られました。

 ちょうどその時、神殿では大変なことが起きました。神殿の中の最も神聖な場所で、大祭司だけが入れて神と対峙する至聖所の前にかかっている垂れ幕が真っ二つに裂け落ちたのです。イエス様が十字架につけられて激痛の中を苦しんでいる時、大地が暗闇に覆われた時、イエス様は人間の全ての罪の罰を受けたのであり、同時にイエス様と抱き合わせの形で罪も滅ぼされたのです。暗闇が終わってイエス様が息を引き取ったのと同時に、罪ある人間と神聖な神を分け隔てていた垂れ幕が真っ二つに裂け落ちたのです。まさにイエス様の体を神聖な犠牲として捧げたので、人間と神を分け隔てていたものがなくなったことが明らかになった出来事でした。不思議な暗闇の中でイエス様の前に立って一部始終を見ていたローマの軍隊の隊長はイエス様が息を引き取るや否や暗闇が終わったことに恐れを抱いたのでしょう。この方は本当に神の子だったと叫んだのです。

 イエス様の十字架刑の細かい出来事を見ると、例えば、兵士たちがイエス様の服を分け合うためのくじ引きを引いたこと、酸いぶどう酒を飲ませようとしたこと、またイエス様が最後に叫んだ言葉、これらはみな旧約聖書に預言されていたことでした。イエス様の受難は全て神の計画通りに進んだということです。

 さて、イエス様が亡くなられた後、最高法院の議員ヨセフがピラトのもとに行ってイエス様の遺体の引き取りを願い出ました。彼は神の国を待ち望む人でした。つまり、イエス様が神の国について熱心に教えたことを信じたのです。ということは、今の世が終わる時に起こる死者の復活も信じていました。復活に与る者が神の国に迎え入れられます。今イエス様は死なれました。この後どうなるのか?あの方は3日後に復活すると言っていたそうだが、今の世がまだある時に復活が起こるのだろうか?しかし、今はまだ何もわかりません。しかし、今しなければならないことは、イエス様の遺体が宗教指導者に引き取られて打ち捨てられるようなことがあってはならない。彼は勇気を出して占領国の総督ピラトの元に行きました。幸いなことに引き取りは認められて、イエス様の遺体を埋葬します。彼が埋葬したおかげで、3日後の空の墓の出来事が起こりました。イエス様の復活の重要な証拠になったのです。このように、主の再臨を待つ者は、他人がどう見ようが何を言おうが、イエス様が教えたことを信じて彼に敬意を抱いて行動すると、神は予想もしない大きな業をもって返して下さるのです。

 主の再臨を待つ者の心構えは、福音書の受難の出来事の他にも、本日の旧約の日課イザヤ書50章と使徒書の日課フィリピ2章にも示されています。

 イザヤ書50章は、イエス様が暴行を加えられる場面を想起させます。しかし、この主の僕は、神が自分の正しさを認めてくれているとわかっています。暴力をもってしても曲げられないと。主の再臨を待ち、神の罪の赦しの恵みの中で生きる者は、誰かが私を訴えようとしても、天地創造の神が私の無実の証言者になってくれているので、私にはやましいところはないという気概を持てるのです。

 フィリピ2章は、パウロがキリスト信仰者は自分のことだけを考えるのではなく、他の人たちのことも考えなければならない、それはイエス様がそうだったからだと言います。どのようにそうだったかと言うと、『神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられたからです。この世で、人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順だったからです。』主の再臨を待つ者は、自分のことだけを考えるのでなく他の人たちのことも考える時、イエス様を身近な例として持っているのです。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン

 


礼拝はYouTubeで同時配信します。後でもそこで見ることが出来ます。

 

 

歳時記

「この青い空の下で」

この歌はへイッキネン牧師時代に牧師夫人のセイヤさんが交わりの席で皆で歌ったフインランド(sley)の教会の歌です、八谷姉の伴奏ですぐに覚えました。讃美歌ではありませんがとても歌いやすく皆にも親しまれました。へイッキネン牧師にお願いしてこの歌をスオミ教会の愛唱歌、テーマソングにしたいとお願いしたら快諾され以来スオミ教会で長く歌い継がれてきました。フインランド語の歌詞を見ると何処にも青い空という単語が出て来ません。この歌を翻訳したのはペッカ・フフティネン牧師の夫人シルッカ・リーサさんでした。音楽の造詣に深く日本語にも堪能な夫人ならではの名訳だったと思います。

     193 Saman korkean taivaan alle

  • Saman korkean taivaan alle / on syntynyt kerran hän, / joka lahjoitti maailmalle / uuden toivon ja elämän. / Saman korkean taivaan alle, / luokse maailman kärsivän.


  • 2. Saman korkean taivaan alle / kerran kohosi ristinpuu. / Siinä turva on hukkuvalle, / vaikka kaatuisi kaikki muu. / Saman korkean taivaan alle / nousi toivon ja elämän puu.


  • 3. Saman korkean taivaan alla / tänään kylvämme siemenen. / Valta ei ole kuolemalla, / Jeesus Kristus on voittanut sen. / Saman korkean taivaan alla / yhä ääni soi rakkauden.

    作詞:Anna-Mari Kaskinen 1990

    作曲:Jukka Leppilampi 1991

1.この青い空の下に お生まれになった彼 希望あたらしい いのち 与えて下さった

 この青い空の下に 苦しい人のため

2.この青い空の下に 十字架たてたよ 嵐が吹く 寒い夜も 支えの十字架で

 この青い空の下に 希望の木たてたよ

3.この青い空の下に 今日も種をまいて 死にはもはや力はない イエスは死に打ち勝ち

 この青い空の下に 聞こえる愛の声 

 明日に向ってひらく 希望の花ひらく

訳:Sirkka-Liisa Huhtinen 

この歌詞をdeeplでざっくり訳しますと。

1.同じ高い天の下で、/彼はかつて生まれ、/世界に新しい希望と命を与えた。/ 同じ高い天の下で、/苦しむ世に。
2 同じ高い天の下に/かつて十字架の木があった。/ 溺れる者のための避難所がある。/ 同じ高い天の下に/希望と命の木がよみがえった。
3.同じ高い天の下で/今日、私たちは種を蒔く。/ 死には何の力もない、/イエス・キリストはそれに打ち勝った。/ 同じ高い天の下で、/それでも愛の声は鳴り響く。

この歌の出典は次の通りです。

シオンの笛-福音的歌曲集(Siionin kannel –sley)

「私たちの人生で最も大切なことを歌ったコミュニティ・ソング集です。福音主義運動のこれらの歌は、何よりも救い主の限りない愛と福音の喜びに共鳴している。一緒に歌っても、一人で歌っても楽しめる。

牧師の週報コラム

 ロシアのフィンランド系少数民族のルター派教会について

SLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)はロシアにも宣教師を派遣しているが、同国での協力教会はフィンランド系少数民族のルター派教会である。正式名称を「イングリア福音ルーテル教会」と言う(以下イングリア教会)。

 ロシアのサンクトペテルブルグを中心に半径50100キロ範囲の地域は伝統的にフィンランド系民族が住む地域でイングリアと呼ばれる(フィンランド語でインケリ)。同地域は中世の時代からカトリックとロシア正教が覇を競い合う地域だったが、1500年代の宗教改革の時代にスウェーデンがルター派の国になり、1600年代にはバルト海をほぼ内海とする大国に。その時に多くのフィンランド人がイングリアに移住して同地域はルター派の地域となった。イングリア教会の正式な設立年は1611年である。

 ところが、1700年代初期の大北方戦争でロシアがスウェーデンに勝利すると、イングリアはバルト三国の大半と共にロシア領に。さらにピョートル大帝がイングリアのど真ん中に大都市サンクトペテルブルグの建設を開始。イングリア・フィンランド人は同地域で少数派に転落。他方で、1800年代初期にフィンランドがスウェーデンからロシアに半独立国のような形で併合された結果、フィンランドのルター派教会とイングリア教会の協力関係が深まることに。加えて、ナポレオン戦争後のロシアは欧州キリスト教の擁護者の自負が強かったこともあって、イングリア教会は帝国の保護も受けられ発展を遂げていく。多くの立派な教会堂が建てられたのもこの時期である。

 ところが、1917年のロシア革命後は共産党政権の下で徹底的に弾圧を受け、1930年代から60年代までは公けに活動ができなくなり、江戸時代日本の潜伏キリスト教徒さながら、地下で集会を守っていた。70年代に入って弾圧が収まり出し、ペレストロイカの時代になってフィンランドをはじめとする諸国の支援を受けられるようになり、接収されていた教会堂を次々と取り戻して通常の教会活動を再開、1991年には法的な地位を回復した。ところが、現政権の時代になってからロシア語化の圧力が高まり、若い世代のフィンランド語習得も減少を続け、礼拝もロシア語で行われる所が増えてきてしまった。現在のイングリア人にとってアイデンティティーの中核はルター派の信仰なのである。

 イングリア教会の神学校が修士課程を設置したことで博士レベルの講師が必要ということになり、昨年春SLEYから私に打診があった。今の国際情勢のもとでは現地で教えることなど出来ないが、オンラインで良いということなので引き受けた次第である。 

DSC_3767

スオミ教会・家庭料理クラブの報告

3月の料理クラブは9日に開催しました。冷たい北風が吹く日でしたが、太陽は明るく輝き春間近を感じさせる日でもありました。今回はイースター・復活祭に向けてパイナップル・ココナツケーキを作りました。

料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。初めにケーキの材料を測ります。小麦粉は測りではなく計量カップで測ると新しい方々はビックリ。ボールのマーガリンと砂糖をハンドミキサーでよく泡立てて他の材料を順番に加えると、生地はあっという間に出来上がります。生地をパイ皿に伸ばしてからオーブンで焼きます。その間にケーキの上にのせるものを準備します。水切りをしたパイナップルを細かく切ったり、トッピングのココナツを鍋で温めます。その時、オーブンからカルダモンの香りが広がってきて、中を見るとケーキもきれな色になってきました。焼き上がったケーキを取り出し、その上にパイナップルをたっぷりのせて、さらにトッピングのココナツをのせます。ケーキを再びオーブンに入れてきれいな焼き色が出るまで待ちます。すると今度はココナツの香ばしい香りが教会中に広がりました。「どんな味になるかなぁ」と皆さん、興味津々。出来上がったケーキはどれもきれいな焼き色がついて美味しそうでした。

今回は段階がいろいろあって作業の交替もあったので、少し忙しい雰囲気になりました。今回はまた幼稚園と小学生のお子さんがお母さんと一緒に参加して、大人たちと一緒に一生懸命にケーキ作りをしました。

出来たてのパイナップル・ココナツケーキを早速コーヒー・紅茶と一緒に味わいます。「美味しい!」の声があちらこちらから聞こえてきました。「カルダモンとパイナップルとココナツの組み合わせがこんなに美味しくなるとは!」と驚きの声もあがりました。こうして皆さんと一緒に美味しさ一杯の雰囲気で歓談の時を過ごしました。この時にフィンランドのイースタ・復活祭や神さまから頂く新しい命についてのお話がありました。

今回の料理クラブも無事に終えることができて天の神さま感謝です。次回の料理クラブは4月13日に予定しています。詳しい案内は教会のホームページをご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしています。

 

料理クラブの話2024年3月

イースター復活祭が近づく季節になりました。フィンランドではイースターは一年の中でクリスマスの次に大きなお祝いです。イースターは日曜日になりますが、前の金曜日から翌日の月曜日まで4日間フィンランドは休みになります。この大きなお祝いのために家庭では様々な準備をします。家の掃除を普段より丁寧に行い、イースターのお祝いの料理やいろんなお菓子を作ります。

私の母はイースターのお祝いも大事にして、いろんな種類のケーキやクッキーを作りました。それでいつも早めに準備を始めました。母が毎年必ず作った伝統的なデザートの一つにMämmiというものがあります。それは、ライ麦とライ麦のモルトで作った甘い黒い色のデザートです。作り方はライ麦とモルトをお湯に混ぜて、それを何時間も暖かい場所に置きます。そうすると甘味と黒い色が出ます。それに少しシロップと塩を入れてからオーブンの型に入れて低い温度で何時間も焼きます。母はいつもMämmiを大きい鍋で作りました。作る時に鍋を冷やさなければならないこともありました。冷やすために母は鍋を雪の中に置きました。私たち兄弟姉妹はいつもMämmiを少し早めに味見したかったので、この時を楽しみに待っていました。母が気づかないうちに子供たちは雪の中の鍋の中身を味見して指のあとが鍋の表面に残りました。味見した鍋のものは美味しかったですが、イースターのお祝いの日に出来たてのMämmiに生クリームか牛乳をかけて食べると、Mämmiの本当の美味しさがもっとよく分かりました。Mämmiは今もイースターのデザートの一つですが、作る家庭はあまりありません。お店で買うものになりました。

CC BY-SA 3.0 via Wikimedia CommonsMämmiの色は黒ですが、それはイースターの色ではありません。フィンランドではイースターの色は黄色とうす緑色と言われています。今日皆さんと一緒に作ったパイナップル・ココナツケーキはきれいな黄色なので、イースターにピッタリの色です。このケーキは私が一番初めに先生を務めた専門学校でもイースターのお祝いの時に良く作られました。ケーキの生地に入れるカルダモンとケーキの上にのせるパイナップルとトッピングのココナツは美味しい組み合わせです。フィンランドではパイナップルの他にピーチやアプリコットもイースターのケーキやお菓子の飾り物です。イースターの黄色にピッタリ合うからです。

黄色とうす緑色はどうしてイースターの色でしょうか?それは、イースターは神様から新しい命を頂くお祝いなので、黄色は卵の中から出るひよこの色、うす緑色は木の新しい葉っぱの色になり、それで新しい命を象徴する色になるのです。

ところで、最近フィンランドの女性の雑誌には、人はどのように新しく変わるかという記事がいろいろあります。人はどのように変わるでしょうか?私たちは外見を変えることで新しくなりたいと思うことがあります。髪の型を違うものにしたり、素敵な新しい服を着たりすることで、外見を変えることが出来ます。それで自分自身が新しく変わったと感じるでしょう。しかし、しばらく時間が経つと、また新しく変わることを望むでしょう。私たちはもっと深い意味で人生を新しく変えることを望むこともあります。

聖書の中には多くの人たちの人生が新しく変わったことについて書いてあります。一つの有名な話を紹介したく思います。それは、ザアカイという人の話です。ザアカイの人生はどのように新しく変わったでしょうか?

イエス様がエリコという町に来られた時の話です。大勢の群衆がイエス様を出迎えました。町には徴税人で大金持ちのザアカイという人が住んでいました。ザアカイは人々から決まり以上の税金を取ってお金儲けをしていたので人々から嫌われていました。ザアカイはイエス様を一目見たいと思いましたが、背が低かったので群衆に遮られて見ることが出来ません。そこで、道端にある大きなイチジクの木に登りました。木の上からだったらイエスがよく見えるでしょう。2006-09-08 by MMBOX PRODUCTION, www.christiancliparts.netザアカイは木の上からイエス様が道を歩いて来られるのを見ていました。するとイエス様は、ザアカイがいる木の方に近づいて来て、木の下で立ち止まって、見上げて大きな声で言いました。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まろう。」これを聞いた群衆は驚いて言いました。「なんでイエス様は、あのような罪深い男の家に行くのだろう?」

ザアカイはどうしたでしょうか?彼は急いで木の上から降りてきて、イエス様を自分の家に連れて行きました。イエス様はザアカイが人々に嫌われていたことをご存知でした。イエス様はザアカイの家で神様について教えました。それを聞いたザアカイは、「主よ、私がしたことは間違いでした。これからは心を入れ替えます。今までだましとってきたお金を四倍にしてみんなに返します。」と言いました。それを聞いたイエス様は、「今日、神様はこの家の人たちを救って下さいました。」と言われました。ザアカイはイエス様を受け入れて、彼が世の救い主であることを信じるようになったので、人生が新しく変わったのでした。

このようにイエス様はザアカイがいるところに立ち止まって、自分のもとに来るように呼ばれました。イエス様は私たちがいるところも良くご存じで私たちのことも名前で呼ばれます。私たちもイエス様を受け入れると、ザアカイと同じように新しいものに変わってイエス様と共に人生を歩むようになります。イエス様の姿は見えませんが、イエス様は「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と聖書で言われています。

私たちはイースターの時期に自然も新しく変わることを見ることが出来ます。これから咲く桜の花もその一つです。それまで枯れたような桜の木がピンク色の花で一杯になると、いつもイースター・復活祭の新しい命のことを思い出させます。皆さんも今年は桜を見てイースターの喜ばしいメッセージを覚えて下さい。

2024年3月17日(日)四旬節第五主日 主日礼拝  説教 木村長政 名誉牧師 

 

私たちの父なる神と、主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン                               2024年3月17日(日)

説教題:「人の子が栄光を受ける時が来た」

聖書:ヨハネによる福音書12章20~33節

今日の聖書はヨハネ福音書12章20~33節です。20節を見ますと「さて、祭りの時、礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に何人かのギリシャ人がいた。」彼らはイエス様にお目にかかりたい、まずフイリポに頼んだ、と言うのです。何故フイリポに頼んだのか、フイリポという名は実はギリシャ風の名でありましたから、何となく仲間意識が働いてフイリポを呼んだのでしょう。このギリシャ人たちはどんな人たちだったのか。どうも彼らはギリシャからわざわざエルサレムまでやって来た、という事ではなさそうです。ギリシャからだとすれば、そうとう遠い道のりです。この当時パレスチナで彼方此方にギリシャ風の町があったようで、そこにギリシャ人も住んでいた。彼らは祭りのため、各地から礼拝するためにエレサレムに上っていたであろうと思われます。いわば巡礼して来たのかもしれません。ギリシャ人ではありますが、割礼まで受けた純粋なユダヤ教徒ではなく、しかし神を敬う心があって巡礼して来たのいでしょう。このような割礼を受けない異邦人の巡礼者たちはエレサレム神殿の一番外側の“異邦人の庭”と言われる所で礼拝するようになっていました。その異邦人の庭では両替をする者の台とか生贄をする鳩を売ったりする市場となっていました。マルコ福音書11章15節を見ますと、イエス様はこの庭で商売をしている台をひっくり返し、所謂宮清めをなさった、その時こう言われたのです。「私の家は全ての国の民の祈りの家と呼ばれるべきである。」と書いてあるではないか。ヨハネ福音書ではイエス様のエレサレム入城の直後の宮清めの事は書いていませんが、その代わり“異邦人の庭”で全ての異邦人のための宗教を主張されました。そのイエス様にギリシャ人たちが、是非お目にかかりたい、詳しく教えを聞きたい、という形で書かれているわけです。ですから、ここでは「ギリシャ人」のような異邦人が主イエス・キリストを信じて求めて行くという、象徴的な場面が描かれているのであります。ギリシャ人たちの願いをイエス様がどのように満たされたか、本当に彼らにお会いになったのか、と言うことまではヨハネは書いていません。むしろ、これを一つの象徴的な序文のように紹介して、「人の子が栄光を受ける時が来た」とイエス様が語りだされた事を記すのであります。そこでイエス様は「豊かに実を結ぶようになる時が来た」あるいは23節の表現では「全ての人を私のところへ引き寄せる」時が来た、と言うわけです。

こういうわけで、エレサレム神殿に礼拝に来たギリシャ人たちがイエス様に聞きたいということから始まって「全ての人」イエスのもとに来るようになるにはどういう道筋があるのだろう、また、どういう方法があるのだろうか、という問題が展開されて行きます。まず23節でイエス様は「人の子が栄光を受ける時が来た」。と宣言されました。では、どういう方法で栄光をお受けになるのか、と言うと24節で明らかにされるように、「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」という形で「豊かに実を結ぶ」のだ。そこに栄光がある。この「一粒の麦が死ぬ」という意味をもう少し詳しく27節から33節までに言われています。次に「豊かに実を結ぶ」と言うのだけれども「豊かな実」ちはどういう「実」なのか、というと、それが25節から26節に教えられています。つまり、自分の命を憎む者、イエス様に仕える者なのだ、と言っておられるのです。更に「光を信じなさい」という招きが続いていくわけです。さて、23節にイエス様が言われました「人の子が栄光をうける時が来た」。これまでにイエス様は何度も「私の時はまだ来ていない」と繰り返し言われてきました。<例えば>2章の始めにカナの婚宴の席で葡萄酒がなくなってきた、それでマリやがイエス様に「もう葡萄酒がなくなりました」となんとかして、といわんばかりに言われた時「私の時はまだ来ていない」とおっしゃいました。それでは、いつその時が来るのか。・・・・

異邦人ギリシャ人たちに向って全ての人々のために、今、その栄光の時は来た。と宣言されています。これまで閉じられていた、その時は今開かれて「人の子が栄光を受ける時」が来たのです。ユダヤの人々が「人の子」と言われるのを聞いた時、「本当に待望の王が現れた。雲に乗って永遠の御国と、主権を確立される、栄光に満ちる王があらわれた」と、すぐ考えたのです。それは旧約聖書で予言されたダニエル書7章13節にあります。当時の人々が「人の子が栄光を受ける時が来た」と聞けば、ではどこから、と言って天を見上げるほど、すぐさま栄光を期待したわけです。ですから、ここでイエス様が宣言されている、「栄光が現れる」と言われたのは、ユダヤの人々が期待しているような栄光ではない。それは「一粒の麦が地に落ちて死んだ時、豊かに実を結ぶ」その実こそ人の子の栄光が現れたことなのだ、この事を聞いた人々は非常にショックを受けたでしょう。思いもかけない教えであったのです。人の子が死ぬのか!その、死によって栄光を受ける時が,今、来た、その今を更にイエス様は27節以下で告白しておられます。「今、私は心が騒いでいる、何と言おうか、父よ、私をこの時から救ってください」と言おうか。ここでの27節から29節までに記されている記事はある意味では、有名なイエス様のゲッセマネの園での祈りの場面を、もう一つの別の物語として描かれている、と言ってもよいほどであります。ヨハネ福音書では「ゲッセマネの園での祈り」を書いていません、ここにもう一つの違った形でヨハネは書いているのです。マルコ福音書によりますと、14:34にゲッセマネで激しい祈りをされています。「私は悲しみのあまり、死ぬほどである」とペテロたちに打ち明けなさったのです。そして更に「アバ、父よあなたには出来ない事はありません、どうか盃を取りのけてください」と祈られたのであります。そのように、ヨハネの書いている、ここでは「父よ、この時から私をお救いください」と祈っておられます。ゲッセマネでイエス様は血の汗滴るような葛藤の末に、ついに「しかし、私の思いではなく御心のままになさって下さい」と結論をご自分に下されたのです。それがヨハネの書いています、ここでは「しかし、私はこのために、この時に至ったのです、父よ御名が崇められますように」と言って結論へと導かれています。それから、またルカ福音書によれば22章43節で「すると、天使が天から現れて、イエスを近づけた。イエスは苦しみ悶え、いよいよ切に祈られた」。とあります。ヨハネ福音書のほうでは28節に「すると、天から声が聞こえた。」29節で、人々はそれを「御使いが彼に話しかけたのだ」と言っております。こうして見ると、いろいろな点から実にゲッセマネの園でイエス様の祈りの姿と、殆ど同じである、と見られます。ここで私たちに三つの事が教えられています

第一は、人の子が十字架の死を遂げる事は避けることの出来ない、神様の御定めである、という事です。

第二は、イエス様が神様の定めに十字架の死を遂げるのは、嫌々ではなく、むしろイエス様の自然的な率先した歩みであり給うた、という事であります。「私は、このために、この時に至ったのだ」とイエスご自身が確認しておられます。

第三は、大切な事は、この十字架の死を私が歩む事によって栄光が来るのだ、というイエスの確信――これを通して「御名が崇められますように」というイエスの祈り――これが独りよがりでなくて確かに天からの御声があった、それは「私は、すでにあなたの働きを通して栄光を表したが、更にあなたの十字架の死において栄光を表すであろう」この事で約束なさった事であります。これはイエス独りの思い込みではなく、確かな神様の御声の裏付けのある事であります。人々はこの天からの声を聞きましたけれども、しかし「雷」だろう、とか「御使い」だろうとか言っておりますとおり内容は理解出来なかったわけであります。それは、ちょうどパウロがダマスコへの途上、復活のイエスの幻に打たれ「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と言う御声を聞き分けた時、傍らにいた者たちは声は聞いたけれど言葉は理解出来なかったのと同じであります。<使徒言行録9:7>つまり、普通の人間の声ではない、天来の御声である、ということがよくわかります。イエス様の祈りに即座に天からの答えが返ってきたのであります。“一粒の麦が地に落ちて死んだ時、豊かに実を結ぶのだ”と言われたイエス様が正しいことであった、と人々にこれでよくわかった筈であります。その意味でイエス様は30節で「この声があったのは私のためではなく、あなた方のためである」と言われたのです。一方では、このイエスの言葉を信じない人々、また頑なな人々、これほどの天からの声があっても、主イエス・キリストの御教えを信じないで疑っている,或いは殺そうとしている「この世」は裁かれるのであります。もし、イエス様の言うとおり、信じるならば「私がこの地上から上げられる時には、全ての人々を私のところに引き寄せるであろう」と32節で言われています。一粒の麦が死ぬ事によって豊かな実が結び全世界の人々が主イエス・キリストのもとに来る。主イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたか、をお示しになったのであります。私たちも主に従って自分流の一粒の実となって行ければ、イエス様はどんなにお喜びになさるでありましょうか。あなた方は光の子となるために光のあるうちに光を信じなさい。

人知ではとうてい測り知ることのできない、神の平安があなた方の心と、思いとをキリスト・イエスにあって守るように。   アーメン

礼拝はYouTubeで同時配信します。後でもそこで見ることが出来ます。

 

 

歳時記

ささやきの小道―馬酔木

<我がが背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり 。 万葉集 巻11-1903 詠み人知らず>(愛しい人に恋をするわたしの気持ちは、ちょうど今、奥山のあしびの花が人知れず満開になっているようであります)

若い頃奈良が好きでよく出かけました。定宿は日吉館と言う奈良マニアの溜り場のような民宿でした。ある日の朝、新薬師寺に出かけるつもりで歩き始めて迷い込んでしまったのが―ささやきの小道―と言われた馬酔木の名所でした。人気のない道でした、背丈ほどの馬酔木の花の間を歩いた先に新薬師寺を見つけたときはホットしました。都立小山内裏公園は良く散歩に利用している公園です。八王子から多摩、町田へと続く長い尾根道です。北から南へ続く長い道には多分に季節の移ろいの時間差があるようで元気な頃は時々端から端まで通して歩きました。今の季節は何といっても馬酔木の花ですね。簪のように垂れ下がった英の濃いえんじ色からパール調の薄桃色までの色の変化が楽しませてくれます。
11 見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、12 もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。 雅歌2:11・12>

スオミ教会 フィンランド語クラスのご案内

フィンランド

日時 3月21日 (木) 19時~20時10分

フィンランド語クラスは【初級】だけとなります。

初級はフィンランド語が
はじめての方向けですが、
フィンランド語が少し出来る方もどうぞ!

授業は19時~20時、その後10分くらい聖書日課を読んだり讃美歌を歌ったりします。
フィンランド

参加費 1000円

申し込み順で受け付けます。

お問い合わせ、お申し込み

03-6233-7109
スオミ・キリスト教会
東京都新宿区鶴巻町511-4
www.suomikyoukai.org

 

フィンランド