説教「世界宣教への宣言」木村長政 名誉牧師、マタイによる福音書28章16節~20節

今日の御言葉は、イエス様が弟子たちに与えられた、最後の言葉です。

マタイ福音書28章16節を見ますと、「さて、12人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った」と、あります。
弟子たちがガリラヤに行ったのはなぜか。弟子たちはこの時、主が復活されたと聞いて、さて、これから主人がいない生活をどう過ごしたらいいか。
自分の故郷に帰って、生きていくしかないじゃないか、そんな思いをそれぞれ持っていたでしょう。

イエス様が復活された時、すでに墓に来ていたマグダラのマリヤたちに、ガリラヤに行くようにいわれたのでした。
28章6節のところで天使が告げています。「あの方はここにはおられない。かねて言われていた通り復活なさったのだ」。「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる』」。

婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。するとイエスが、行く手に立って「おはよう」と言われたので、夫人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
イエスは言われた。「恐れることはない。行ってわたしの弟子たちに、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」。

復活の直後のイエス様が、婦人たちに大事なこととして、ガリラヤへ行くように、弟子たちにしっかり伝えなさい、とはっきり言っておられるわけです。
ガリラヤへ集まるように命じて伝えておられる、ということは、大切な、大切な、弟子たちへの最後の宣言を、言おうとされてのことであります。
そして、話は今日のみことばの16節へと続くんですね。
弟子たちは、復活されたイエス様の指示どおり、ガリラヤへ行ったのです。
ガリラヤの地は、イエス様が福音宣教を始められた場所でありました。エルサレムはまだ、弟子たちの身の危険があるということもあったでしょう。
マタイ福音書には、イエス様が昇天されたことについては、書いていない。
マタイの最後は、イエス様が弟子たちへ、福音宣教の命令を下されたことで終わっています。ですからマタイにとって、この福音書の大事なことは、ここにあったのでしょう。

弟子たちは、イエス様が指示しておかれた山に登った。
ここにイエスが指示しておかれた山、というのは、どこのことか分からない。
とにかく山に行くように、という指示です。こういう場合の「山」というのは、ガリラヤ湖のほとりと全然ちがって、山には何となく神秘的な空気がある。
それは、神的顕現の場、といった意味が含まれているでしょう。神性な神がおられる山、という場所です。
モーセがシナイ山で、十戒を授けられました。
又、イエス様は、山上で重要な教えをされました。山上の垂訓といわれる山でした。
又、イエス様の姿が変貌をとげられたのも、高い山でした。
ですから復活のイエス様が、最後の弟子たちへの福音宣教の命令を下される場は、神の顕現を含んだ神秘的な山であった、ということです。

弟子たちは、復活のイエス様の顕現に接して、御前に拝聴したにもかかわらず、なお「疑う者もいた」と、マタイは記しています。
イエス様の弟子でさえ、心の中では疑う者もいた、ということ。それほどイエス様の復活を信じることは、容易なことではなかったということを、言外に語っているということでしょう。
この世の人間の中には、イエス様の復活を信じることができる人と、信じることのでいない人もいる、ということ。

この部分を少しくわしくみると、彼らはひれ伏したが「疑う人もいた」と読む説もあります。つまり、復活されたイエス・キリストの顕現によって、信仰に導かれる者と、なお、疑う人々もいる、ということです。
しかし大切なことは、使徒言行録1章13節によれば、この11人の弟子たちは、みな、エルサレムに再び集まっている。たとえそこに、まだ疑う人がいたとしても、最終的には全員が信仰に導かれたことが、暗黙のうちに前提されている、と考えた方がいい、ということです。

さて、18節には、「イエスは近寄って来て言われた。」とありますから、イエス様は、どこまでも弟子たちを愛してやまない、そして、彼らに重要な宣言を命令していかれるのでありました。
「わたしは、天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行ってすべての民を、わたしの弟子にしなさい」。
天の父なる神の御計画に従っていかれた、御子なるイエス様です。
人間の罪のあがないとなって、十字架の死をとげ、三日目に父なる神が、イエス様を死からよみがえらされた。
今度は、そのイエス様に神は、天と地の一切の権限を授けられたのです。
天と地の一切の権能です。天上の、すべての、諸々の霊たちも尊重するような権威と力です。又、地上のあらゆる支配と統治の力です。

主イエスは、十字架の死と復活を通って、あらゆることに勝利された。
その一切の権能を受けて今度は、「だから」あなた方は、イエス様の復活の勝利の福音を宣べ伝えていきなさい。これは、弟子たちへの課題です。
この、「だから」という接続詞が重要な言葉となって、弟子たちに与えられていったのです。
これは又、すべてのキリスト者、信徒への課題であります。
復活された主イエス様が、いつもいて下さる。
天の父なる神から授かった、天地一切の権能をもって働いて下さる。
だから、「あなた方は、これから、あらゆる国民を弟子としていきなさい」。

「弟子になる」ということは、イエス様に学び、その御旨に従う者になる、ということです。その内容は二つあります。第一は、「父と、子と、聖霊の名によって、バプテスマを授ける」ということ。
そして第二には、「わたしが、あなた方に命じた、すべての事を守るように教えなさい」ということです。
「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授ける」という表現は、新約聖書の中では、ここにしか出てこない。これが後に、教会で行われるようになった洗礼式の定式となっていく言葉であり、神からの権能です。
しかも、「父、子、聖霊」という三位一体の神の教義学上の重要な要素となる言葉となっていった。

これは又、紀元325年の、ニカイア信条において、宣言されることになっていったのであります。キリスト教に対する、いろんな異端の宗教との戦いで、はっきり宣言される形となりました。
バプテスマが、信徒の間で行われるようになった当初は、「イエス・キリストの名によるバプテスマ」であったことを、使徒言行録に出ています。
たとえば2章38節、8章16節、10章48節、19章5節、22章16節などの記事が証言しています。
この定式は直訳すれば、「イエス・キリストの御名の中にバプテスマされる」となります。イエスと生死を共にする一体関係に導かれる、という趣旨であったということです。

そのことをパウロは、ローマ人への手紙6章3節以下で語っています。
「あなた方は知らないのか、キリスト・イエスに結ばれるために、バプテスマを受けたわたしたちが、皆、又その死にあずかるために、バプテスマを受けたことを。
わたしたちは、バプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって、死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
もし、わたしたちがキリストと一体となって、その死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかるでしょう」。

ここに、パウロによって簡潔に、的確に示されています。つまり、イエスの死に合わせられることによって、その復活の生命にあずかることが、福音の恵みである、ということであります。しかも、バプテスマによって新しい生命に生きるという望みは、死をこえた彼方への望みということにとどまらず、すでに、この地上の生活において「新しき生命に歩む」という内容をもつことを、パウロは示したのであります。

弟子たちは、洗礼と並んでもう一つ、すべての者にイエス様の言葉を与えなければならないという、命令を受けました。「わたしが、あなたがたに命じた、すべての事を守るように、教えなさい」。(20節)
福音書にしるされている、イエス様のすべての教えを守ることが、弟子となるということです。
そして、最後の最後の宣言は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」と、言われました。
なんと言うすばらしい、マタイ福音書のむすびでしょうか。

人知では、とうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

 

三位一体主日

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