手芸クラブの報告

この秋最初の手芸クラブは9月30日に開催しました。東京では雨の日がずっと続いてこの朝も小雨がぱらついていましたが、これから少しずつ秋晴れの過ごしやすい季節になっていくのを楽しみにしています。

今回のテーマはビーズ刺繡です。最初に作品のモデルを見て自分の作りたいものを決めます。「素敵な色合いね」、「可愛いわ」、「きれいな形ね」などと参加者の方たちから声をあがりました。作りたい作品に合わせてビーズと布を選び、さっそくビーズを縫い付けていきます。針は細くビーズも小さくて目が疲れやすい作業ですが、それでも皆さん楽しくおしゃべりしながら一生懸命ビーズを増やしていきます。すると、丸い形、幾何学的な形、雪の結晶の形などが現れてくると、お互いに相手の作品を見て「わぁー可愛い!」「素敵!」「きれいな色合い!」とほめ合います。

今回はビーズ刺繡の他に刺繡や織物をされる方もいらっしゃいました。スオミ教会の手芸クラブではその日のテーマの他に自分の好きな手芸をすることもできます!刺繡の方のは、細かい刺繡の布に縫い続けていくと素敵な模様がはっきり見えてきました。織物の方は、難しいカード織を巧みに織られ、織物がどんどん長くなって素敵な模様が現れました。既に沢山の作品を織られ、みんなでそれを見て「素敵!」「きれいな模様!」などと感嘆の声があがりました。

今回もあっという間に時間が過ぎました。皆さんもう少し続けたい気持ちでしたが、細かい作業なので目や手は思った以上に疲れています。ビーズ刺繡のブローチを完成させた方はご自分のブラウスに取り付けて大喜びでした。そこでコーヒータイムにして一息入れることにしました。今回はフィンランドのコーヒーブレッド(Pulla)も味わって楽しい歓談の時を持ちました。その時にフィンランド語で真珠を意味するHelmiという言葉の使い方やイエス様が聖書で語られた真珠の例えについてのお話を皆で聞きました。

次回の手芸クラブは10月21日に開催予定です。10月は第3水曜日ですのでご注意ください。開催日が近づきましたらまたホームページに案内を載せますので是非ご覧ください。

手芸クラブのお話2026年9月30日

夏の前の手芸クラブでもピーズ刺繡をしました。その時皆さんから「もっと続けたい」と希望があったので、今日もピーズ刺繡をテーマにしました。私自身はそれまでこの刺繡をしたことはなかったのですが、皆さんと一緒に作っているうちにもっといろいろなものを作ってみたいという気持ちになりました。作り始めると、なかなか途中でやめることは出来ません。皆さんはいかがでしょうか。

ピーズはフィンランド語で真珠と同じ意味がありますが、フィンランド語で真珠はHelmiと呼ばれます。「Helmi」には少し独特な使い方があります。「真珠」そのものだけではなく、高価で美しい特別の価値があるものについて語る時によく使われます。例えば食器を集める人にとって高価な美しいコップは宝石のように価値があるものです。フィンランド人はそのようなコップを「食器の中のHelmi」と言います。また値段はそれほど高くなくても古くて家族から受け継いだものは特別な思い入れがあるから「Helmi」と呼ぶことがあります。

さらにHelmiはもっと広い意味でも使われます。自分にとって大切な出来事や心に残る思い出を表す時にも使われます。今年の夏、私自身にとってHelmiのように価値があると感じた景色があります。

私たちの家族は何度もフィンランドの多島海にサイクリングに行きました。今年も行きました。その時は雨も降らず天気に恵まれてきれいな景色を見ながらサイクリングを楽しみました。今回はそれほど多くの島に行きませんでしたが、以前にも泊まったことがある「Sottunga」という島に行きました。私たちはこの小さい島が好きになり、そこで一泊しました。「Sottunga」はフィンランドの中で最も小さい自治体で人口は300人ほどしかいません。島の雰囲気は明るくて、小さな港に沢山のヨットが停泊して観光客も多かったです。私たちはそこでもっと長く過ごしかったですが、今回は一泊だけでした。出発の朝私は早く起きて「Sottunga」の景色と朝の雰囲気を楽しみました。その景色は心に残り夏の「Helmi」のような思い出になりました。その朝太陽が輝いて静かな海を照らしていました。小鳥の鳴き声が聞こえました。その島の静かな美しい景色は強く心に残り私にとって夏の思い出の「Helmi」になりました。皆さんもこのようなかけがえのない価値がある思い出があるのではないでしょうか。

CC0聖書の中にも宝石のように高価な「真珠」についてのお話があります。今日はそのお話を紹介したいと思います。これはイエス様が集まってきた人たちに話された例えです。タイトルは「天の国」です。イエス様は「天の国は次のように例えられる」と言われました。ある商人がきれいな真珠を探していました。特に価値が高い真珠が欲しかったのです。そのような真珠は見つかることが出来るでしょうか。商人はいろんな場所を探して、やっと高価な真珠を一つ見つけました。その真珠はとても価値が高いので、商人は「どうすればこの真珠を手に入ることができるだろうか」と考えました。「簡単に手に入らないかもしれません」と心配したかもしれません。しかし、商人はその真珠をどうしても欲しかったので、驚くことに自分が持っているものを全部売ってそのお金で真珠を買いました。その商人にとってそれほど価値があるものだったからです。商人は真珠を手に入れるために自分の財産を全部売ってしまいました。

この例えでイエス様は天の御国について何を教えられたのでしょうか。この例えの意味を少し見てみましょう。商人や真珠は何を意味しているでしょうか。先ず商人は私たち人間を意味します。私たちも商人のように真珠のような価値があるものを探し求めることではないでしょうか。私たちにとっての真珠とは一体どのようなものでしょうか?お金、素敵なお家、高級な自動車、社会的に地位の高い職場などでしょうか。今の私たしたちはこのようなものに価値があると思って欲しいと願うかもしれません。しかしこの例えに出てくる真珠は決してそのようなものではありません。例えの真珠は天の神さまのみ言葉を意味します。神さまのみ言葉を読んだり聞いたりすることで、私たちは神さまの私たちに対するみ心やご計画を知ることが出来るようになります。

神さまのご計画とはどのようなものでしょうか。それは私たち人間を救う計画です。私たちは完璧な存在ではなく、時には悪いことをしてしまうこともあります。それにもかかわらず神さまは私たち一人一人を愛して独り子のイエス様の十字架の出来事を通して私たちを救ってくださいました。この出来事を、自分のために起こったことだと素直に信じて受け取ると、神さまの御国への道が開かれます。天の御国への道が開かれるというのは人が所有する金銭や資産を上回る価値があるものです。だから商人は自分が持っているものを全て売り払ってこの真珠を手に入れたのです。天の神さまは私たちや世界の全ての人々の為にこのようなとても大きなな価値がある「天の神さまの元に入れる道」を開いて下さいました。それは真珠のように輝く最高の価値があるものです。

フィンランドの聖歌の中にこのような歌があります。「私はあの尊い真珠を見つけました。もう他に探し求めることはありません。これこそが私の宝、私はイエスを見つけたのです。」

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