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覚悟と胆力を養うキリスト信仰その12
ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ 」5月7日の日課から) 『今日立てられているものは全てあなたの決定による。なぜなら、全てのものはあなたに 仕えるものだからだ。』(詩篇119篇91節フィンランド語訳の聖書による) (注意 日本語訳「この日に至るまであなたの裁きにつき従ってきた人々はすべてあなた の僕です」は問題です。私から何度も指摘しましたが、ヘブライ語のミシュパートは日本 語訳ではほぼ自動的に「裁き」と訳されますが、辞書(Holladay)にはその意味はなく 、「仲介による決定」とか「正義」が基本的な意味です。日本語訳は89節からの流れを踏 まえておらず、90節のエムーナーテカー(あなたの誠実さ)も誤訳しています。訳した人 たちは自分で何を言っているかわからなかったのでは。フィンラン語訳には「なぜなら」 がなく、ヘブライ語原文にはあるので付け加えました。) 『ふつう、「運」と「不運」はお互いかけ離れたことを意味すると言われる。しかし、理 性はこの聖句を前にして顔面蒼白になる。なぜなら、両者は実は背中合わせにあるくらい 近い存在であるということを理性はわからないからだ。我々はそれを信じられなければな らない。例えば、ヨセフが牢獄に閉じ込められていた時、彼はもう一生そこから出られな いと思われた。しかし神は、全ての膝が彼の前で跪かねばならなくなると既に決めていた のだ。このように命と死は一方が他方の中に秘められていると言っていいくらい近い存在 なのだ。死の中に命が、幸運の頂点の最中に不運が、貧しさと惨めさの中に豊かさと喜び 祝いが、何も心配はないと思っていた人生の中に一瞬の死が秘められているのだ。 同じことは我々の死にも当てはまる。我々は、死に臨む時、あたかもそこに永遠に埋没し てしまうかのように思われるかもしれない。しかし、まばたきした瞬間に今の天と地が終 わって新しい天と地が創造される日になっている。その時、我々は声をあわせて叫ぶ。「 ああ、私は永遠に生ける者になっている!」 以上のことを神は聖書の中で我々に数多くの事例をもって示しているではないか。神は低 い者を高くし、高い者を低くされる。全てのことはそうされる方の御言葉通りに進む。そ れは、我々が神を度外視して自分の知恵と力だけで物事を成そうとしないように、全てを 最終的には神の御心に委ねるしかないと観念して全面的な信頼を寄せられるようにするた めなのだ。キリスト信仰者であれば、全てのことは一字一句自分の考えや計画通りになら ないことは、これまでの人生の中で既に経験済みではないか。』(以上ルターの説き明か し、2026年5月11日の週報に所収したものを少し修正しました。)