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覚悟と胆力を養うキリスト信仰その9
ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」2月6日の日課から)
『我らに日ごとの糧を今日も与えたまえ』(マタイ6章11節)
『あなたは、「父なるみ神よ、我らに日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈る時、それは次の内容を含んでいると理解せよ。「父なるみ神よ、この哀れで苦しむわが身を神であるあなたが発する言葉をもって強め励まして下さい。私は、あなたの御手が重くのしかかるのを耐えられません。しかし、耐えられないと、私は破滅してしまいます。だから、父よ、あなたが私を強めて勇気を失うことがないようにして下さい。」
神が我々に苦しみや困難が降りかかるのをお許しになる際に、我々に求めていることは、我々が右往左往したりあちこちに目を移すことではない。そのような時こそ一層神のもとに留まり神だけに目を注ぐことである。やみくもに苦しみや困難からの脱出を計ってはならない。そんなことをしたら、神の意志が我々を通して実現されるのを妨げてしまう。それは我々の利益ではない。我々は、そのような神の意志に最後まで付き合うことができる強さを身に着けることを求めなければならない。なぜなら、人間は誰一人として神から強めてもらわない限り、怖れを抱かずに苦しみや困難に立ち向かうことはできないのだし、また神が定めた時を示される時に怖れを抱かずに死に立ち向かうこともできないからだ。一切の被造物は、この「強める」ことができない。全ての被造物とりわけ人間というものは、そこから力づけを得ようとすれば、逆に我々をますます無力にし不安定で軟弱なものにするだけである。それ故、罪の赦しを保証する神の御言葉が我々を強める他はないのである。これこそが、我々が祈り求める「日ごとの糧」である。
マタイ福音書11章で主は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われる。このような、神の御言葉を糧にして、神の意思の中に踏みとどまり、神に強めてもらうという教えは、聖書に満ちている、満ちている、満ちている。』(以上、ルターの説き明かし、吉村の“激訳“でした。)