牧師の週報コラム

覚悟と胆力を養うキリスト信仰その8
ルターによる聖句の説き明かしと共に(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ
」4月24の日課から)
『婦人が子供を産む時、彼女は苦悶に見舞われる。彼女の時が来たからである。」(ヨハ
ネ16章21節にある主イエス・キリストの御言葉、1933年のフィンランド語訳聖書を参考に
しました。)
『このたとえで主は、人間の力がいかに無力であるかを示される。たとえ100人の婦人が
出産に臨む婦人を助けようと集まって来ても、どうすることもできない。そんなことは、
わかりきったことだ。出産というものほど、人間がいくら自由意思を駆使しても無力さを
思い知らされることはない。子供が母親の胎内から生まれてくるというのは、母親がどう
こうできるものではないからだ。それは人間の造り主である神が取り仕切ることだからだ
。だから母親は全てを神に任せるしかないということをよくわかるのだ。神が助け導いて
下さるのなら、助けと導きは確実にある。しかし、神の助けがなければ、たとえ全世界が
駆けつけても、万事休すである。神は出産ということを通して婦人に自分の力量、能力、
強さがちっぽけなものに過ぎないことをわからせるのだ。
これと同じことは出産と無関係な人すべてにも当てはまる。キリストはこのたとえを実は
彼を信じる者たちに向かって言われているのだ。出産に臨む婦人は何か不測の事態が起き
やしないかと恐れる。しかし、全てのことは神の御手の中にあるとわかっていれば、神を
信頼して委ねることが出来る。我々が様々な逆境の渦に巻き込まれた時、また古い人間か
ら新しい人間へと変えられる時も、全く同じである。だから、君は踏みとどまって、神の
働きを妨げないようにしなさい。神は我々の助けなどなくても全てを良く取り仕切って下
さる方なのだ。逆境の渦中にある時、新しい人間に変えられる時、我々は自分では何もな
しえないのだから。自分の力で取り仕切ろうとすれば、死と地獄が目の前に立ちはだかる
ことになる。それはちょうど、神に心を向けない出産の婦人が自分で自分を助けることが
できず痛みと苦しみと恐れしか感じられないのと同じことだ。』(以上、ルターの説き明
かし。迫力が伝わるように"爆訳"しました。)
そして神に信頼して神が働くようにした後で何が待っているか?イエス様は次のように続
けて言います。「しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために
、もはやその苦痛を思い出さない。」(ヨハネ16章21節の続き)

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