牧師の週報コラム

古い歌を新しい歌に

ギター教室に通っている息子が新しい課題曲に「花は咲く」を練習したいと先生に申し出た。いつも息子の希望を聞いてくれる先生はもちろんOKだったが、私は少し困ってしまった。 というのは、メロディーはとても美しい歌だが、内容はキリスト信仰者としてどうかなというところがあるからだ。東日本大震災の後で歌が公表された時、歌詞の主人公は生きている人か死んでいる人かどっちかというちょっとした議論が起きたと聞いたことがある。もし後者なら、キリスト信仰とは相いれない。死者とコミュニケーションは取らないというのが聖書の立場なので、死者が何を考えているか思いを馳せたりはしない(レビ記1931節、申命記1811節、サムエル上28章、列王上216節、イザヤ819節を参照のこと)。キリスト信仰者は、あの方と共に歩めた日々を父なる神に感謝し、今は神のみぞ知る場所にて安らかに眠るその方と「復活の日」に再会できるという希望を神に祈り願いながら、その希望を胸に抱いて今を生きるというスタンスなのだ。創造主の神を介して過去の思い出と将来の復活の希望が現在を満たすのだ。

歌詞の中には「いつか生まれる君に」とあって、まるで主人公がこの世とは別の世界でこれから生まれる人間を見ているようなところがある。童話の「青い鳥」の中に確かチルチルとミチルがこれから生まれる子供たちが舟に乗ってこの世に旅立つ場面に出くわすところがあった。イエス・キリストの少し前の時代のユダヤ啓示思想文書の一つ「エノク書」にもエノクがそういう場面を天使に示される下りがあった。「青い鳥」の作者メーテルリンクは「エノク書」を読んだのだろうか。しかし、それらはいずれも、生きた者が天使に別の世界を見せてもらうというもので、死んだものが見る筋合いではないのだ。

さて、「花は咲く」はどうしたらよいか?特別支援の息子のやる気を失わせないためにも希望を叶えてあげたいが、キリスト信仰と異なる霊性とは距離を置いてほしい。そこで、考えたのは歌詞を少し替えてみることだ。次のようにしてみた。

   「いつか生まれる君に」 ⇒ 「いつか生まれる人に」

   「わたしは何を残しただろう」 ⇒ 「わたしは何をすべきだろう」

どうだろう、これで歌詞は生きている人の呟きになることがはっきりするのではないだろうか?ギターの先生にも歌詞の変更を理由を添えてお願いしたら了承してもらえた。自分がキリスト信仰者であることも公けにでき、まさに一石二鳥であった。

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