牧師の週報コラム

 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」 vs. パウロ「ローマの信徒への手紙」12章(その2)

1214日のコラムの続き)ローマ12章の意味を確認していた時、16節は新共同訳では「高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい」となっているが、「身分の低い人々」のギリシャ語は、私の使っている辞書では「取るに足らないこと」、つまり人ではなく事柄である(私の辞書はギリシャ語・スウェーデン語、神学を勉強した大学がスウェーデン語系の大学だったため)。「交わりなさい」も「心を注ぎなさい」だ。どっちが正しいのか?前の文の「高ぶらず」を正確に訳すと「大業なことを考えない」となる。つまり事柄を言っている。それで、二つの文は二つの事柄を対比していると考えると、ここの訳は「自分を高くするようなことは考えず、自分を低くするようなことに心を傾けよ」になるのでは、と思った瞬間、賢治の「みんなにでくの坊と呼ばれ褒められもせず苦にもされず」が響いてきた。

そこでもう一度、9節から意味を意識しながら唱えてみた。愛は見かけではいけない、悪を忌み嫌い、善から離れないようにし、互いに兄弟愛をもって心から愛し、お互いを尊敬をもってたたえ合い、怠けず熱心になり、霊に燃え、主に仕え、希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、祈りを絶やさず、聖なる者の欠乏を自分事とし、完璧なもてなしを目指し、迫害する者を祝福して呪わず、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣き、互いに思いを一つにし、自分を高くするようなことは考えず、低くするようなことに心を注ぎ、自分は賢い者と自分で決めず、誰に対しても悪をもって悪に報いず、全ての人の前で良いことのために力を尽くし、少なくとも自分の側からは全ての人と平和な関係を築くようにし、自分では復讐せず、神の怒りに任せ、敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませ、悪に凌駕されず、善をもって悪に打ち勝て、という内容だ。

自分をとことん低くして自分ファーストにならずに社会に善が増し加わり悪が廃れるように立ち振る舞い行動するというのは、雨ニモ負ケズの精神と相通じるのではないかと思いきや、すぐ違いにも気がついた。賢治の場合は最後に「そういう者に私はなりたい」と言っている。つまり、「雨ニモ負ケズ」から始まってずっと述べてきた立ち振る舞い行動様式は追い求める理想像なのだ。他方、パウロの場合は「~しなさい」、「~してはならない」と命令形なのだ。ということは、仏教徒は自分で追い求める理想像を描けるが、キリスト教徒は命令されないとわからない動かないという情けない存在なのか?(さらに続く)

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