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フィンランドからのクリスマスの挨拶
今年もスオミ教会の元牧師、SLEYの現元宣教師などSLEY関係者からクリスマスの挨拶が届きました。今年は皆さん11月30日にアドベントが始まってすぐ送られた方が多かったです。以下、SLEY関係者の方々の挨拶をご紹介します。
その前に、最近フィンランドから残念なニュースがありました。一部の心ない人たちの愚かな行為のために日本人に不愉快な思いを抱かせました。しかし、それをもってフィンランド人全員が同じ考えでいるのではないことは、国内で愚行に対する非難が沸き起こり、首相自ら日本はじめアジア諸国に公式に謝罪を表明したことに明らかです。愚行を行った本人たちも謝罪し、それらは日本でよく耳にする「もし誤解を与えたとしたら謝罪する」というようなわかりにくいものでなく率直な謝罪です。赦しを与えて然るべきものです。
今回の件でフィンランドに対するイメージに傷がついてしまったかもしれませんが、スオミ教会が礼拝や様々な集会で集中的に宣べ伝えている2000年の歴史を持つキリストの福音はたかが独立107年目の国の好感度とは全く別次元別世界のものです。ルター派では、たとえ人間の方が信仰で躓いたり罪に陥ったとしても、福音はそんなことに一切左右されず、イエス・キリストの十字架の贖いと復活の希望は微動だにせずその輝きには一かけらの陰りも起きないと考えます。だから堕ちた人間は贖いと希望の光に立ち返ればよいのです。何が起きても立ち返る地点、目指す光を持てるというのは素晴らしいことです。
以下、SLEY関係者からの挨拶です。
Pentti Marttila SLEYアジア地域コーディネーター(フィンランド語からの訳)
私たちは今、私たちの救い主キリストのご降誕を祝うクリスマスに向けて準備をしています。
クリスマスとイースター(復活祭)は、切り離すことのできない関係にあります。イエス・キリストは十字架の死を通して、私たちに罪の赦し、神との結びつき、そして神との平和をもたらすためにお生まれになりました。イエスは、世の罪を取り除く神の小羊です(ヨハネ1章29節)。
マティアス・グリューネヴァルトの有名な絵画「イーゼンハイム祭壇画」は、この福音のメッセージを深く心に訴える形で描いています。この作品の中で、洗礼者ヨハネは見る人の視線をキリスト、すなわち全世界の罪を贖うお方へと導いています。ヨハネは自分自身について語るのではなく、十字架につけられた救い主、すなわち世の罪を取り除く神の小羊をまっすぐに指し示しているのです。
この祭壇画は、アルザス地方のイーゼンハイム修道院に置かれていました。そこでは重い麦角中毒(エルゴティズム)に苦しむ患者たちの世話をしていました。この病は激しい痛み、皮膚の黒化、組織の壊死を引き起こします。グリューネヴァルトは、イエスの御体をまさに次のような姿で描いています。引き裂かれた傷、苦痛に歪む体、そして息絶えた姿です。
見る者は、キリストの御体の中に自分自身の苦しみを見いだすことができました。神は苦しみから遠く離れておられる方ではありません。むしろ、ご自身がその苦しみの中に入って来られたのです。この絵は、イエスの受難が美化されたものでも、単なる現実離れした霊的なものでもなかったことを教えます。それは現実の苦しみであり、肉体の苦しみであり、極限的な苦しみでした。キリストは、人間存在のすべての苦しみと罪の現実をその身に担われたのです。
洗礼者ヨハネの、誇張され、ほとんど不自然なほど長い指は、この作品の中心的な象徴です。その身振りは力強く宣べ伝えています。「見よ、ここに神の小羊がいる。」ヨハネは絵画の鑑賞者を見ているのではなく、キリストを見つめています。歴史的には、ヨハネは十字架の下にいませんでした。しかし神学的には、彼はそこに属するのです。彼は旧約聖書全体を代表し、キリストを指し示す者なのです。
十字架の足もとにいる小羊(アニュス・デイ)は、ヨハネの言葉(ヨハネ1章29節)を直接的に示しています。小羊の傷はキリストの傷に相当し、その血は杯へと流れています。これは罪の贖いと聖餐を示す象徴です。十字架は、単なる苦しみのしるしではなく、救いをもたらす犠牲なのです。
ヨハネの脇に記された言葉は、彼の召命のすべてを要約しています。
Illum oportet crescere, me autem minui.「あの方は栄え、私は衰えなければならない。」 (ヨハネ3章30節)
私たちの救い主イエス・キリストの祝福に満ちたご降誕を心からお祈りします。
ペンッティ・マルッティラ Sleyアジア地域コーディネーター
Paavo ja Seija Heikkinen 元スオミ教会宣教師(フィンランド語からの訳)
スオミ教会の クリスマス祝会に集う皆さまへ
フィンランドでよく歌われているクリスマスキャロルに「雪が高くずっしり積もって」という歌があります。しかし、今年のクリスマスはそうではありません。少なくともここラハティ周辺では、雪はとても少ないです。1~2週間前には雪がありましたが、今日は様子が違います。ところどころに小さな白い場所があるだけです。しかし、雪があるかどうかは大事なことではありません。大切なのは、私たちの救い主の誕生のお祝いがあるかどうかということです。
今から2025年前、イスラエルの地で唯一無地で比類のない例外的な出来事が起こりました。森羅万象を司るお方の御子、イエス・キリストが人間としてお生まれになったのです。この出来事は唯一無二のものです。
少しの間、主の誕生の場所とその周囲について考えてみましょう。本来どのようであるべきだったのか、そして実際にはどのようであったのか。
まず、日本で皇室に子どもが生まれる場合を考えてみましょう。出産する病院は当然、最高水準のものであり、すべてが完璧に整えられていることでしょう。それは当然なことです。国の元首となられる方の後継者が生まれるのですから。世界中どこでも、支配者の子どもが生まれる時はどこも同じでしょう。
しかし2025年前、森羅万象の造り主であり治め主である神の御子が人間としてお生まれになりました。完全に唯一無地の出来事です。ところが、「生まれたのは誰か」を考えると、その誕生の場所は完全な驚きでした。なんと、馬小屋、動物の休む場所だったのです。天と地の支配者の御子が馬小屋でお生まれになったのです。本来なら、そうであるべきではありませんでした。水晶でできた宮殿であるべきでした。しかし、そうではありませんでした。主は馬小屋で生まれたのです。
誕生の場所に馬小屋が選ばれたことは、私たちに何を伝えているのでしょう?そのメッセージは非常に大きなものです。誰一人、外に追いやられることはないということです。主のもとに行くための敷居は低いのです。タキシードも立派な服装も必要ありません。それは偶然そうなったことではありません。天のエリートが人間としてお生まれになった神の御子は誰をも遠ざけることはありませんでした。成人して伝道の働きを始められてから、彼は学識者とも学識の無い人たちとも話し合いました。ニコデモにも名も知られぬ罪深い女性にも、イエス様は天に至る道を示されました。一緒に十字架に架けられた犯罪者も、長年聖書を学んだ専門家サウロ(後のパウロ)も遠ざけることはしませんでした。主はそのメッセージを次のように要約されたのです。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、彼を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を持つためである。
スオミ教会のクリスマス祝会に集われた皆さまに、心からクリスマスのお祝いを申し上げます。
セイヤ、パーヴォ、イルセ、カイサとラウラ、そしてそれぞれのご家族より
Mari-Liisa ja Timo Havukainen 元SLEY宣教師(フィンランド語からの訳)
スオミ教会のクリスマス祝会にお集まりの皆様へ!
昨年の春、3月から4月にかけて皆様と過ごした時間を心温まる思いで思い出しています。ありがとうございました!
アンナ=マリ・カスキネンとペッカ・シモヨキによる「ホサナと歌いなさい!
という歌をもって皆さんにご挨拶を申し上げたく思います。その第1節には次のような歌詞があります。
「枝や衣服が道に投げ出され、イエスはエルサレムへ向かった。今、私たちの王にホサナと歌いなさい!ホサナと歌いなさい。主は私たちのもとに来られる。」
喜び溢れる救い主の降誕のお祝いの時を過ごされますように!
ティモとマリ=リーサ・ハブカイネン
Päivi ja Martti Poukka 元SLEYスオミ教会宣教師(日本語で書かれました)
スオミ・キリスト教会の皆様へ
「ひとりのみどりごがわたしたちのために⽣まれた。ひとりの男の⼦がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、⼒ある神/永遠の⽗、平和の君」と唱えられる。」(イザヤ書/ 09 章 05 節)
7 ⽉ 4 ⽇には、私たちはみ⾔と同様に「ひとりの男の⼦がわたしたちに与えられた」と神様に感謝して喜びました。
2 番⽬の孫が無事に
⽣まれたからです。12 ⽉の下旬の今は、私たちはのみ⾔の通りに「ひとりのみどりごがわたしたちのために⽣まれた」と皆様と共に賛美します。イエス・キリストの誕⽣のお祝いを迎えているからです。何と不思議なことでしょう。神の⼀⼈⼦であるイエスは⾃分が作られた⺟親によって⼈間の姿をとってお⽣まれになりました。そして私たちのために⾃分の⺠のところへ、この世に来られました。⺟乳を飲む⾚ちゃんなのに、権威が彼の肩にありました。「驚くべき指導者、⼒ある神、永遠の⽗、平和の君」という名前の救い主をご⼀緒にほめたたえましょう!!!
残念なことに、今年は⽇本伝道旅⾏はできませんでした。何度何度も去年の懐かしい旅を思い出しました。そしてその旅⾏についてあちらこちらで報告をしました。しかし、神様のみ⼼だったら、来年の春にまた皆様に会う機会があるでしょう!
新 キリストからの恵みと平和が、あなたがた にあるように。」(テサロニケ ⼆ 1 章 2 節)
Päivi & Martti 年 2026 年に「わたしたちの⽗である神と主イエス・
高木賢 SLEYインターネット伝道担当(日本語で書かれました)
皆さんと救い主イエス様の生誕を覚えてお祝いできることを感謝します。
イエス様のおかげで、イエス様を通して、私たちは国と民族と空間と時間の境を超えて結び付けられています。
互いに祈り合うこともできています。
個人的にもとりなしの祈りをしていただいていて深く感謝しています。
これからも互いに励まし合い、祈り合い、救い主イエス様を信じて歩んでまいりましょう。
いつかまた実際にお会いできるとよいですね。