説教「主の教えたまいし祈り」田中良浩 牧師

 (Ⅳ) 7月31日(日)聖霊降臨後第11主日(詩138編)

日 課 創18:16~33、コロ2:6~15、ルカ11:1~13

説教「主の教えたまいし祈り」

 

1 詩編138編:ダビデの詩編の一つ、聖なる集いにおける讃歌。

詩編137編「嘲る民(バビロンの民)が“歌って聞かせよ。シオンの歌を”と神の民に対して挑戦的に嘲笑的にののしる言葉に対応している。

 

ダビデはいう「呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き

放ってくださいました。」と。

 

なお、ダビデの詩編はこの138編から144編まで、つまり詩編の終章、ハレルヤ詩編の直前まで続いている。素晴らしい祈りと讃美の詩編である。

 

<祈りは聴かれる!主は答えてくださる!>

 

 

2 今日の旧約聖書は、創世記18章「ソドムのための執成しの祈り」である。

自らを「塵あくたに過ぎないアブラハム」(27節)の祈りである。

アブラハムの信仰は明らかである。(25節)

「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

“正しい者が50人いれば、45人、40人、30人、20人ついに10人いれば!”

主はお答えになった「その10人のために、わたしは滅ぼさない」と。

 

しかし、ソドム、ゴモㇻは滅ぼされた。ではアブラハムの執り成しの祈りは無駄であったのであろうか?決してそうではない。

 

◎注目したいのは、このアブラハムと神との“祈りの対話”において、アブラハムはきわめて人間的である、つまり理性的、理論的である。

正しい人の人数を、神の応答を確かめながら、50人、45人、40人、

30人、20人、10人と、神との取り引きで、次第に減少させている。

しかし、それに対して、神の答えは絶対的である。それは神には赦しがある!

という事実である。そのことをアブラハムは確信した。

3 今日の福音書の日課は『弟子たちに教えられた“主の祈り”』である。

今日は、主の祈りについて全体的なことについて学びたいと思う。

 

◎ 主の祈りは福音書のマタイとルカに記されている。

対比してみると明らかなように、マタイは祈りの全体を記録しているが、

ルカは、第3の願い「み心が地の上にも行われますように」と、第7の願 

い「悪い者から救ってください」の二つの願いが欠けている。

 

相違についての様々な学問的な研究や推測がなされてきたが、現在は以下のように理解できるであろう。

第一は、本来、主の祈りは一つの形であった。

第二は、主の祈りは礼拝の中で用いられてきたが、二つの別々な地域(エルサレム=ルカ、ガリラヤ=マタイ)の信仰共同体で用いられるうちに、異なった発展をしたとの理解である。

 

Ⅰ 主の祈りは「礼拝の祈り

である。

教会の礼拝、また個人的な礼拝にも用いられる“信仰告白の祈り”である。

 

Ⅱ 主の祈りは「信仰の戦いの祈り」、慰め、恵みと力をいただく祈りである。

私たちの生活はいつも厳しい状態におかれている。

  1. 身体的にも絶えざる健康のこと、どの年代にも病の不安がある。障害の問題を抱えている人もある。

  2. 今の時代、心理的、精神的に、孤独や悩みはつきものであり、誰にもある。

  3. 社会的にも様々な戦いがある。生活や仕事の苦しみ、人間関係等々。

 

Ⅲ 主の祈りは「信仰共同体=教会」(我ら)の共同の祈りである。

主イエス・キリストは、「我ら」と祈るようにお教えになった。

私たちの祈りは、しばしばそれに反して、我、私の祈りである!

 

Ⅳ 主の祈りは「世界を包む祈り」である。

この分裂と亀裂の世界的状況のなかで、それを癒す祈り、希望の祈りである。

 

Ⅴ  M.ルターは、大教理問答書、小教理問答書を通して懇切、丁寧に教えた。

今、ルーテル教会はルターの「宗教改革500年」を記念して、エンキリディオン(小教理問答書)である。このなかで心して「主の祈り」を学びたい。

4 祈り、主のいのりについての雑感

 

Ⅰ讃美歌について

① オルガンを練習し始めて、初めて覚えた曲が「讃美歌362(主

よ、今われらの罪を赦し)である。

 

② 今日の主題讃美歌は教会讃美歌364である。(1~4)と(5~8)に.

分けて歌うが、ご存知の通りこれは、Mルター自身の作詞、作曲による有名な讃美歌である。

 

  1.  J.Sバッハのオルガン小曲集にも「天にまします我らの父よ」がある。

 

Ⅱ 主の祈りを、敵&味方一緒に祈った兵士たち

第二次世界大戦中にフィリピンに従軍したある日本人の軍人がいた。

彼の所属する部隊は、アメリカ軍の攻撃を受けてバラバラになり、ついに、数名と共に捕虜になり、サマル島の町はずれにある捕虜収容所に入った。

 

すでに日本の敗戦が色濃い1945年6月半ばのことである。小雨の降る

捕虜収容所に隣接するテントでは、アメリカ軍兵士のための礼拝が行われていた。讃美歌が歌われ、聖書が読まれ、説教が語られていた。

その捕虜収容所にいた一人の軍人は、それがキリスト教の礼拝であることを知っていた。彼は旧制高等学校から大学生の時代に、教会の礼拝に出席していたからである。やがて主の祈りが祈られた。捕虜の身である、その日本の

軍人は、かつて教会の礼拝で祈っていた主の祈りを、日本語で唱えた。

彼はその時、言葉に表せない感動に覚えた。敵国のアメリカの兵士たちと

囚われの身である日本の軍人が、時を同じくして主の祈りを祈ったのである。

 

その経験が出発点となって、帰国してからこの軍人はクリスチャンになり、やがて献身して、牧師になった。私はこの方の説教を神戸で聞いた。

 

主の祈りには争いを、真に終結させ、敵味方となって戦った憎しみを癒す力がある。あらゆる憎しみや不安を癒し、克服する恵みの力がある!

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