聖書研究会:詩篇42篇2節、吉村博明 宣教師

昼食の後、子供たちは隣室の教会学校へ、私たち大人は吉村先生の聖書研究会に出席しました。先生は先日の神学校で礼拝説教をされたレジメを参考に詩篇42篇2節を解説してくださいました。たいへん興味深い内容でしたので先生の承諾を得てここに掲載いたします。

主日礼拝説教 2016年11月15日 日本福音ルーテル神学校

説教題 「AD FONTES ‐ 源へ」、詩篇42篇2節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
日本福音ルーテル神学校の神学生及びルーテル学院大学の学生の皆様

1.

 詩篇42篇2節の日本語訳は「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」です。ヘブライ語の原文でאפיקというのは、辞書(HolladyのConcise使用)によると、「谷の底をかろうじて流れる水路のような小川」です。英語やスウェーデン語やフィンランド語の聖書ですと、「谷底」がなくて単なる「小川」とか「水流」です。日本語訳の方が、本当に周囲が死に枯れたような乾燥地帯で鹿が水を求めて必死に谷を下りて行く情景が目に浮かびます。

この詩篇の箇所は、ギリシャ語訳のセプトゥアギンタやラテン語訳のブルガータを見ると、ちょっと違っていて、鹿が求めるのは「谷底の水流」ではなくて、「水の源」すなわち「水源」です(ギリシャ語τας πηγας των υδατων、ラテン語ad fontes aquarum)。喉が渇いた鹿は、ただ水が飲めればいいわけですので川岸に着けば事足ります。なにも川岸を辿ってわざわざ水源まで行く必要はありません。それなのに、ギリシャ語に訳した人たちは、「水源」を選んで、ラテン語に訳した人もそれに倣ったのです。単に肉体的な渇きを癒すことが目的ではなくなりました。同じ節の後半で、私の魂は神を求める、とあるので、それで霊的な渇きを癒すためには、水そのものでは不十分で源にまで行かなければならない、と考えられたのは明らかです。

ところで、マゾレットのヘブライ語の言葉がもともとあった意味だったのか?それともセプトゥアギンタの言葉がもともとの意味だったのか?どっちが先か?これは皆さんもご存知のように、いわゆる「本文研究」の領域です。旧約聖書のそれは死海文書の扱いも入って来るので、新約聖書よりもとてもやっかいな問題をはらんでいます。加えて、マゾレットのテキストがもともとの旧約聖書の形なのか、とか、今手にすることができるセプトァギンタのテキストがもともとの形を反映しているのか、という問題もあります。考えるだけで気が遠くなりそうなことです。本説教ではそういったことには全く立ち入らずに、頭からマゾレットがもともとの意味で、セプトゥアギンタは後でそれを解釈して今あるような訳をして、それをブルガータが受け継いだ、ということを前提にして話しを進めてまいります。

2.

 旧約聖書がどのように成立したかを見ると、当時のユダヤ人というのは、実に「源にもどる」という姿勢が強かったと言えます。第二神殿期のユダヤ教社会では、天地創造の神の信仰を表す書物が無数に現れました。その中で、ある書物については、その権威は疑いようがないと見なされて、選別されて旧約聖書に収まって行きました。セプトゥアギンタには、マゾレットのテキストにない書物も含まれていますが、それらの、いわゆる外典アポクリュファに属する書物もユダヤ教社会のある時代のある部分では権威的な書物とみなされたわけです。

 それでは、何の書物が聖書に入れてもいいくらいに権威がある書物で、ある書物はそうみなされなかったのか?みなされなかった書物には、モーセやエノクのような名を冠した書物や旧約の人物が登場する書物が多数あります。本説教の関連で言いますと、こういうことです。ある書物が別の書物を引用していると、引用された方がもとにあるので権威があるとみなされるということがありました。もちろん、旧約聖書の書物同士の間でも互いに引用し合っていることが多くあります。それでも、創世記5章に登場するエノクの名を冠している書物が、例えばイザヤ書とかダニエル書を引用していれば、ああ、これはエノクの時代に出来た書物ではない、と誰でもわかるのであります。

 このように、書物が書かれた時代ということに矛盾がなく、後の時代に引用される頻度が高いと権威ある書物とみなされるのです。そのように、権威ある書物を確定する姿勢は、極めて「源に遡る」ものであったと言えます。

 新約聖書でも同じことが言えます。ここでは、パウロも含めた使徒の信仰の伝統が権威になります。使徒教父たちの文書は、福音書や使徒書簡を豊富に引用しています。それらの文書は新約聖書に入れる必要はなかったのです。ところで、新約聖書に収められている書物の他に、トマスやペテロやマリアの名を冠した福音書があります。数年前にはユダの名を冠する福音書が発見されて、話題になりました。しかし、それらは使徒の信仰の伝統から外れる思想を代表していると見なされたので、聖書に入れなかったのでした。それらは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書同様、イエス様の言行録を含んではいますが、4つを材料にしつつ、使徒の信仰とは別種の信仰でイエス様の言行録を塗り替えたものだったのです。

 このように、新約聖書の成立に携わった人たちの姿勢は、使徒の信仰の伝統を権威の源にして、無数の書物やいろんな思潮が溢れるジャングルの中を源に向かって遡って行ったのでした。こうして見ると、世界のいろんな宗教は逆の流れを行っているように思えます。例えば、イスラム教は旧約聖書と新約聖書に依拠していると言われますが、イエス様の役割は全く別のものに変えられています。イスラム教に限らず一般には、古いものを新しいものに塗り替えた方が、古いものよりも進歩して優れた感じを持たれるのではないかと思います。でも、それは源に遡るということでなく、源からどんどん離れて行くことで、それは旧約聖書や新約聖書の根本にある姿勢とは相いれないのです。

 3.

 実はルターの宗教改革にも「源に遡る」という側面があることに注意しなければなりません。「宗教改革」は英語、ドイツ語、スカンジナヴィアの言語ではみな同じ言い方をします。Reformationです。フィンランド語では一風変わっていてuskonpuhdistus「信仰浄化」という言い方がされます。Reformationという言葉をみてみますと、formation「形作ること、形成すること」に「し直す」の意味を持つreがつきます。「形作り直すこと、形成し直すこと」です。

 それではキリスト教の何をどう形作り直す、形成し直すのかというと、以下のようなことです。カトリック教会はもともとは使徒の信仰の伝統を守り受け継ぐ教会として出発しました。ところが時代の変遷と共に聖書に基づくとは言えない制度や慣行も生み出されて、それが権威ある伝統と化していき、贖宥状はその最たるものでした。ルターが行おうとした改革運動は、そういう聖書に基づかずに人間が編み出したものを捨てて、ただ神の御言葉である聖書のみに権威を認めて、その下に教会を成り立たせようとするものでした。これがキリスト教とその教会を形作り直す、形成し直す、ということです。フィンランド語で宗教改革を「信仰浄化」というのは、まさに神の御言葉にのみ権威を認めて、聖書に基づかずに人間が編み出したものを捨てていくという面を前面に出していると言えます。

一般には「改革」という言葉は、過去の古いものをやめて新しいものにとって替えて時代の要請に応えられるようにするという理解がされると思います。日本語で行政「改革」とか教育制度「改革」という時、それを英語に直すとreformを使います。そういう政治的社会的な「改革」は、reformationを使わずにreformを使うのです。ところが宗教「改革」はreformではなく、reformationです。注意が必要です。(徳善先生のルターの本では、reformとreformationの違いを説明するとき、建物や家の改築を引き合いにだしていますが、昔社会科学を学んだ私としては、政治的社会的な改革との比較で見た方がしっくりします。)そういうわけで、日本語で同じ「改革」という言葉を使うからと言って、政治的社会的な改革と宗教改革を同じように考えてはいけないと思います。ルターの行った宗教改革とは、ただ単に過去の古いものをやめて新しくして時代の要請に応えたというような改革ではなかったのです。

前述しましたように、ルターの場合は、まず聖書という過去に成立した根源的な権威に立ち返り、聖書に基づかないで人間が編み出したものを捨てていく、そのようにして聖書の権威に立ち返ろうとする時にそれを邪魔するものを打ち破っていく、その結果として時代の行き詰まり状況を打ち破って新しい地平線が開けた、これがルターの改革の本質ではないかと思います。このように宗教改革は「改革」とは言いつつも、根源的な権威に立ち返るという方向性があります。ルターは聖書を研究する際には新約聖書はギリシャ語、旧約聖書はヘブライ語の旧約聖書を用いましたが、根源的な権威に立ち返ろうとすれば原語にあたろうとするのは当然のことでしょう。

そういうわけで、もしキリスト教会が人間の編み出したものに縛られ出した時には、使徒の信仰の伝統を守りギリシャ語とヘブライ語の聖書に依拠する者は宗教改革を起こせる可能性を持っていると言うことができます。ただ原語が堪能なだけでも不十分です。エラスムスもギリシャ語がよくできました。原語の能力に加えて、使徒の信仰の伝統を受け継ぐという姿勢がなければなりません。加えて、過去の権威に遡るというのは、単純に2000年前の言い回しをすればすむということでもありません。2000年の間に人類が蓄積してきた有形無形のものに立ち向かい、相手が何者であるか知りながら、行く手を阻むものを一つ一つ打ち倒して源に向かって進まなければなりません。ルターだって、単純に一足飛びに使徒の時代に戻ったのではありません。1500年の間の蓄積に立ち向かい、実在論と唯名論の問題を自覚し、エラスムスの人文主義と対決し、キリスト教神学からアリストテレス哲学の縛りを解き放つことをしながら、使徒の信仰の伝統を彼の時代に蘇らせたのです。

最後に、Ecclesia semper reformanda estというスローガンがあります。K.バルトの言葉らしいのですが、教会は絶えず改革されるべきものである、という意味です。その「改革」が意味するものは、以上申し上げたことを念頭に置いて、ルター派としては、政治的社会的な改革と一線を画することをわきまえなければなりません。従って、ルター派としてはこのスローガンは、「教会は絶えず宗教改革的に改革されるべきものである」と銘記すべきです。これからのルター派教会を担う皆さんが、このような仕方で宗教改革を担えるよう願ってやみません。皆さんの学びと研鑽と日々の信仰生活の上に父なるみ神から豊かな祝福と良い導きがありますように。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン

11/12のスオミ教会家庭料理クラブの報告

11月の穏やかな土曜日の午後、
「スオミ教会家庭料理クラブ」は、
ジャガイモのリエスカとリンゴのキーセリを作りました。

最初に、吉村先生のお祈りからスタートです。
今回のメニューは、たっぷりのジャガイモとライ麦粉を使い、オーブンで焼いた薄いパン「リエスカ」と、リンゴの「キーセリ」です。

キーセリは片栗粉でとろみを付けたデザートで、フィンランドでは、イチゴや豊富に取れるベリー類で作られる、食卓の楽しみの一つです。今回は旬のリンゴとオレンジジュースで作りました。

リエスカは配合に決まりはなく、茹でたジャガイモの残りや、手元にある粉類等で、焼き時間も短く、手軽に作れ、食事パンにもなる、重宝な一品で、卵バターを添えて、美味しくいただきました。

パイビ先生からは、
フィンランドと日本のパンの違いや、
キーセリにまつわる楽しい思い出、そして聖書の中の有名なお話も聞かせていただきました。

参加の皆様でお疲れさまでした。

リエスカの話、11月のフィンランド家庭料理クラブ、パイビ先生

ジャガイモのリエスカ
今日皆さんが作ったジャガイモのリエスカとキーセリはフィンランドの伝統的な食べ物で、私のお祖母さんもお祖母さんのお母さんも作っていました。

フィンランドの食文化は、東の地方と西の地方の二つの食文化に分かれています。それでリエスカは、東の地方では生地にイーストを使い、厚いパンを意味します。ところが西の地方では、生地にイーストを使わず、大麦粉やオートミールの粉を使って作るので、薄いパンを意味します。現在はリエスカは普通、薄いパンを意味します。

昔リエスカは、薪で暖めるオーブンで高い温度で焼くのが普通でした。私の母も、パンを作る時は、薪で暖めたオーブンで一番初めにリエスカを焼いて、オーブンの温度が下がってから他のパンを焼きました。母がパンを作る時はいつも、子供たちはリエスカが出来上がるのを楽しみにしていました。出来上がった熱いリエスカの上にバターを塗って美味しく食べたことをよく覚えています。

リエスカはパンの種類の一つです。パンはフィンランド人の食事の中で最も重要な食べ物で、ほとんど毎食に食べます。それで、一日に四個から六個くらいパンを食べることになります。フィンランド人が食べるパンは小麦粉で作るものだけではありません。パンの生地によく入れる粉類としては、ライ麦、全粒小麦があります。その他にいろいろな種やすりおろした野菜なども入れます。このためにパンにはエネルギーの他に、ミネラルやビタミン、繊維も沢山入っています。酸っぱくて黒いライ麦のパンは今でもよく食べられるパンですが、他にもパンの種類は沢山増えて、店でパンを買う時、選ぶのが難しくなりました。現在、若者はライ麦パンより白いパンの方が好きになりました。しかし、私の父くらいの年令の人たちはまだライ麦のパンの方をよく食べます。父くらいの年令の人たちは、食事のパンの重要性をよく知っています。私の父は、もし食事にパンがないと、もうそれはご飯にならない、と言うくらいパンは食事の重要な一部です。かつてパンという言葉は、食べ物一般を意味する言葉としても使われました。例えば、「家にはパンはもう殆どありません」と言うと、それは「家には食料品はほとんどありません」を意味しました。このようにパンは、フィンランド人にとって重要な食べ物です。日本人は、どの食べ物が同じように重要でしょうか?やはり、お米でしょうか?

聖書にもパンやパンに関係しているお話が沢山あります。今日は聖書の中でも特に有名な、「イエス様が五千人の人たちに食べ物を与える」という話について話したく思います。

ある時イエス様は湖の岸辺で群衆に神様について教えられていました。長い間教えたので、お疲れになり、弟子たちと一緒に静かなところに行ってそこで休もうと思いました。そこでイエス様は、弟子たちと一緒に舟に乗って、湖の向こう岸に行きました。イエス様はそこでしばらく休めると思いました。しかし、群衆はイエス様と弟子たちが舟に乗ったのを見て、陸の道を通って反対側の岸に行きました。イエス様は大勢の群衆が集まって来たのを見て、新しい場所でも神様について教え始めました。人々はイエス様の教えに夢中になって、時間が立つのも忘れてしまいました。

時間も遅くなってきて、みんなもだんだんお腹がすいてきました。弟子たちは心配してイエス様に言いました。「群衆を解散させてください。そうすれば、みんな自分で近くの村に行って何か食べ物を買うことができるでしょう。」しかし、イエス様は「あなたがたが彼らに食べ物をあげなさい」と言ったので、弟子たちはびっくりしてしまいました。なぜなら、弟子たちはお金はみんなのを合わせても二百デナリオンしか持っておらず、その金額は五千人の人たちにパンを買うにはとても少なすぎました。弟子たちはイエス様に、「二百デナリオンでパンを買って、みんなに食べさせるのですか」と聞きました。ところがイエス様は弟子たちに、群衆の中にいくつパンがあるか調べるように命じました。弟子たちは群衆の中を調べて、「パンは五個見つかりました。その上魚が二匹ありました」とイエス様に言いました。そこでイエス様は弟子たちに命じて、人々を芝生の上に座らせました。弟子たちはこんな少ないパンと魚で一体何ができるのだろうかと思いましたが、イエス様の言う通りにしました。

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イエス様は五つのパンと二匹の魚をとって高く掲げて、神様に感謝してお祈りしました。その後で弟子たちにパンと魚を渡して、群衆に分けるように命じました。すると不思議なことに、五千人の人たちはパンと魚をお腹いっぱいになる位に食べたのです。そして、残ったパンのかけらを集めると、十二の籠が一杯になりました。

この出来事は、イエス様は私たちに肉体のための食べ物と霊的な食べ物の両方を与えてくださることを語っています。はじめイエス様は群衆に神様について教えました。神様は本当に恵みと愛に満ちた方だから、信頼して安心して大丈夫と沢山教えました。人々はこの教えを聞いて、心から喜んでもっと聞きたいと思いました。聞いているうちに時間がたって、夕方になっているのに気が付かないくらいでした。お腹がすいていたのも忘れるくらいでした。みんなお腹がすいていたのに、誰もパニックにならないで、イエス様の言われるとおりに芝生に座って、これからどうなるか見ていました。群衆は誰も心配していません。みんなは、イエス様は神様のひとり子なので信頼して大丈夫と思っていました。本当に大丈夫だったのです。こうして人々は、イエス様から霊的な食べ物を得て、神様が本当に人間を愛して下さっているとわかって、神様とイエス様を深く信頼して、肉体的な食べ物も得られました。五つのパンが5千人の人に足りて、余ったものがさらに12の籠に一杯になったというのは、神様の私たちに対する愛がそれだけ溢れるくらいのものであることを意味しています。聖書を読むと、そのような大きな愛が私たちに注がれていることがわかります。

   

10月のフィンランド家庭料理クラブの報告

昨日の蒸し暑さを忘れてしまうような、爽やかな土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは
「リンゴケーキ」を作りました。

リンゴのケーキ、リンゴケーキ

最初にお祈りからスタートです。

計量、リンゴや道具類の準備、
そして、生地作りへと進みます。

今回は10名の参加があり、
牧師館は、賑やかな雰囲気のなか、6台のリンゴケーキが完成しました。

パイビ先生からは、フィンランドの夏、秋、冬のリンゴや、果物事情、そして、聖書に登場する果物のお話を、興味深く聞かせて頂きました。

先生のお話は、教会HPに掲載されますので、是非御覧ください。

参加の皆様、最後まで片付けにご協力頂き、ありがとうございました、またお目にかかれるのを楽しみにしています。

リンゴのケーキ、リンゴケーキ

 

フインランド料理教室:パイヴィ 吉村 宣教師

りんごの話

リンゴの木、リンゴこの季節フィンランドの多くの家庭ではリンゴを使ってケーキ、おかゆ、その他のデサート、ジャム、ジュースなどを作ります。それで、リンゴの香りが家の中から外に広がっていきます。今年の夏私たちはフィンランドに一時帰国しましたが、秋のリンゴの収穫はとても良いと分かりました。というのは、どの家でも庭のリンゴの木は枝が折れそうになるくらいにリンゴで一杯だったからです。私の実家のリンゴの木は植えてからまだ数年しかたっていませんが、夏の終わりにはもう沢山りんごが出来ていました。

リンゴはフィンランドで最も古い果物で、千年くらい前にスウェーデンから広がってきました。リンゴはフィンランドの南の地方で良く栽培されますが、北にあるラップランドでは寒すぎて栽培できません。フィンランドのリンゴの実は日本のように大きくて豪華な感じがしませんが、フィンランド人は自分の家の庭にリンゴの木を植えて、大事に育てます。リンゴの木は育てる人を1年に二回喜ばせます。1回目は、五月の終わりにリンゴの木が白い花で一杯になり、花の香りが遠くまで広がります。フィンランド人はこの季節が好きで、リンゴの花が咲くのを毎年楽しみにしています。2回目の喜びは、8月の終わりごろ、赤や緑の実が出来きる時です。

リンゴの出来具合は年によって変わります。今年のように収穫の良い年は、リンゴの木は枝が折れそうになるくらいに沢山の実がなります。しかし、春が寒い年にはリンゴの実は木に何個しかできません。このためにフィンランド人は収穫の良い年にジャムやジュースを作って保存します。

フィンランドではリンゴの木は3種類あって、夏リンゴ、秋リンゴ、冬リンゴと呼ばれます。夏リンゴの実は一番早く出来て、味は甘く、そのまま食べて美味しいリンゴです。秋リンゴの実は固めでジャムやジュースを作るのに用いられます。冬リンゴの実は酸っぱくて、木から採った後、何週間か地下においてから食べます。冬リンゴの実はよくクリスマスの時に食べられます。

リンゴは健康にとても良い果物です。フィンランドのことわざに、「毎日リンゴを1個食べれば、医者を遠ざけることができる」というものがあります。リンゴはビタミン、ミネラル、繊維など沢山入っているので、健康に良いのです。秋、仕事場のおやつにリンゴを持って行く人は多いです。仕事場で自分の庭で育てたリンゴを同僚の人たちに分けてあげるのは、楽しいことの一つです。

リンゴは甘ければ甘いほど美味しいですね。しかし、フィンランドには冬リンゴのように酸っぱいものもあります。口からすぐ吐き出したいくらい酸っぱいものもあります。私は、健康に良いリンゴの実には甘いものと酸っぱいものがあるというのは、聖書のみ言葉にもいろいろな「味」があるのと同じではないかと思います。あるみ言葉は甘くて、もっと読んだり聞きたいと思います。ところが、あるみ言葉は酸っぱくて、読みたくないし、聞きたくもありません。このような聖書のみ言葉はどんな言葉でしょうか?

例として、2つの聖書の箇所を選びました。一つ目は、聖書の中でとても有名な箇所、「ヨハネの福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」フィンランドでは中学2年生の子供たちは教会の堅信礼の教育を受けるので、この箇所をよく覚えている人が多いです。神様は、このみ言葉を通して、私たちにどんなことを語っているでしょうか?

ここで独り子というのは神様の子、イエス様のことを指します。天の神様は、ご自分の独り子、イエス様をこの世に送られました。どうして神様はイエス様を送られたのでしょうか?それは、私たち人間が神様の言われたことをしっかり守ることが出来ないからです。神様が造られた最初の人間アダムとエバもそうでした。アダムとエバははじめエデンの園で暮らしていました。二人はエデンの園にある果物を自由に食べることが許されていましたが、一つの木からは食べてはいけないと神様に言われていました。しかしエバはその木の実を採ってアダムに渡し、アダムもそれを食べてしまいました。その実を食べたために、人間は死ぬことになってしまいました。また神様が言われたことを守れなかったために、アダムとエバはエデンの園から追放されてしまいました。

でもこれで全てが終わったのではありませんでした。神様はこのような人間を救って、再びご自分のもとに戻ることができるようにしようと考えました。そのためにイエス様をこの世に送られました。十字架の上でイエス様は、私たちの罪の罰をかわりに受けてくださいました。このように神様は、私たち一人一人を愛して下さるのです。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させられて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる者に、その命に至る道が開かれることになったのです。これが、先ほど読んだヨハネの福音書の箇所の意味です。これはとても素晴らしい箇所で、私も何回も読んだり暗記したみ言葉です。

二番目のみ言葉は、「ヘブライ人への手紙12章5節と6節です。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力は落としてはならない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭うたれるからである。」この言葉を聞くと皆さんは、厳しい言葉だと思うかもしれません。この言葉にはどんな意味があるでしょうか?天の神様はいつも私たちに楽な道、困難がない道を与えられるとは限りません。人生の中でいろんな困難、病気、悩み、失業などに遭遇する時というのは、天の神様と私たちが結びついていることがはっきりする時でもあります。結びつきがあるとどうして言えるのでしょうか?イエス様を私たちのために送って下さった神様は本当に信頼してよい方です。また、神様のもとに行ける道は、イエス様を救い主と信じることで十分であるといことです。このように神さまは私たちのことを愛して下さるので、困難な時にも私たちに良い道を示して下さるのです。

聖書の全部のみ言葉の目的は同じです。私たちの心に信仰が生まれて、それを成長させて、リンゴの木と同じように良い実を結ぶことです。

私たちも、良い実を結べるようにみ言葉を聞いたり読んだりしましょう。

 

聖書研究会:神学博士 吉村博明 宣教師

「ヘブライ人への手紙」13章 

1年以上続いたこの講座もいよいよ今回で最終章です。先生はこの手紙は手紙と言うよりは説教に近いと仰っていました、もしこれが説教だとしたら話す方も聞く方も相当なエネルギーが必要だったと思います。先生はいつも講座の折には幾通りかの聖書を携えていらっしゃいました。気になる聖書の箇所をギリシャ語・ドイツ語・英語・フインランド語・スェーデン語そして日本語と、各々を比較検討して解説してくださいました、そのために国によって内容に微妙な違いがあることがよく分かりました。

宣教師のフィンランド便り5

8月7日、フィンランド南部のカルックの教会にてエッサイの堅信式が執り行われました。姉のヨハンナは3年前に行いました。   堅信式というのは、赤ちゃんや子供の時に洗礼を受けた者が成長した後、キリスト教の教義や信仰生活について学び、かつて受けた洗礼に含まれている神の愛と恵みを認識して、その信仰を携えて生きていくことを誓う儀式です。   フィンランドは国民の75%がルター派の国教会に所属し、その中学2年を終えた段階で堅信式を受けるのが伝統になっています。堅信式の前には国教会が行う準備教育があり、教会付属のキャンプ施設等で10日~2週間の合宿制で行われます。毎日、午前と午後に牧師や神学の専門家による授業があって、他にレクレーションの時間、「先輩」と呼ばれる年長者グループが生徒たちの話し相手になったり、夕べのプログラムを担当して、生徒たちをリードしていきます。今でもフィンランドでは国教会に所属する中学2年生の9割以上の生徒たちが参加します。   もちろん、堅信式が単なる通過儀礼化し、形式的なものになって、本当に信仰生活を送っているのか疑問を抱かせる人も多くいますが、教会側は「放蕩息子」を待つ父親のようにそうした人たちがいつでも教会とのつながりに戻れるように、いつも門を開いているという態勢でいます。   もちろん、堅信式をきっかけに牧師や宣教師を志したり、国教会やミッション団体で熱心に活動するようになる人も多く出ます。また、式を終えた生徒たちの多くが次年の「先輩」に志願します。   特別支援のエッサイには特別支援向けの準備教育もあるのですが、この度、運よくSLEY系のカルックの堅信式で、「先輩」の一人を個人的なサポーターにすることができ、インテグレーション合宿が実現しました。   最初に牧師先生から、生徒たちや「先輩」たちにダウン症候群について説明がなされ、皆の理解を得、こうして12日間の合宿と堅信式は、不思議な位わけ隔てのない自然な雰囲気の中で実施されました。途中に親の訪問日があって行ってみると、自由時間に他の生徒たちとふざけ合うエッサイを見て、「死から復活する者はみな天使のようになっている」(マルコ福音書12章15節のイエス様の言葉)という天の御国を予感したような気分になりました。本当に神から大きな祝福を受けられたと思います。   今年のカルックの堅信式のもう一つ特記すべきことは、国際色豊かだったことでした。15人の生徒のうち、片親が外国人の子供が3人(日本人、中国人、モロッコ人)、シリア人の子供、両親はフィンランド人だが家族は英国、ベルギー在住等々。数年前位には考えられないことです。今フィンランド社会が受けている変化の大きさを示す反面、堅信式そのものは「イエス・キリストは昨日も今日も永遠に変わることがない」(ヘブライ13章8節)ことを証ししていると言えます。   堅信式の礼拝にて、聖壇に向かう生徒たち   堅信式の後は、どの家庭でも親族を招いてお祝いの時が持たれます。エッサイのお祝いの場に牧師先生と「先輩」グループが駆けつけて、ゴスペルソングを歌ってくれました。 北国の夏は短く、8月に入ってもう秋の気配が濃厚になりました。麦畑も黄金色です。学校も北の地方から順次始まりました。エッサイの堅信式の後は、全国各地の教会や学校訪問が待っています。

宣教師のフィンランド便り3

皆様、お元気ですか?こちらは、家の裏の森にブルーベリーが沢山実っていて、森の小道を通って買い物に行く途中、いつも摘まんでは食べています。

 今回は、7月1日から3日にかけて、フィンランド中部の町ヴィッラトで開催されたSLEY(フィンランド・ルター派福音協会)の全国大会についての報告です。ヴィッラトはトゥルクから250キロほど行ったところにある、人口7,000人程の町ですが、三日間の大会参加者数は延べ1万4,000人に上り、大会開催中の町の人口は2、3倍に膨れ上がりました。大会会場は、町の真ん中にあるヴィッラト教会と教会前の広場を中心に、周辺の小中学校、職業学校がいろいろなイベントの会場になりました。全体集会は教会前の広場で行われ、上の写真は夕刻の野外の聖餐式礼拝の様子です。

SLEYの全国大会は1874年に始まり、今年で142回目となります。開催地は、毎年異なります。SLEYとは、フィンランドのルター派国教会の「公認」のミッション団体の一つで、1900年日本に宣教師を派遣したのを皮切りに、現在ではロシア、エストニア、ケニア、南スーダンにも派遣しています。このほかにも宣教師は派遣していないが、財政支援、神学教育支援等で協力関係にあるルター派教会がミャンマーや韓国等数カ国あります。SLEYと国教会の間にはいろいろ路線対立があるのですが、一応協力関係は保たれ、公認の地位を得ているといったところです。

 今年の全国大会で特筆すべきことは、昨年フィンランドに移民難民が3万人以上押寄せたことの影響が顕著に現れたことでした。国教会ラプア監督区のS.ぺウラ監督が全体集会で述べたように、今や福音伝道のミッションは海外だけではなく、国内もミッションの地と化した、福音伝道に国境がなくなってしまった、ということが起きたのです。フィンランドの片田舎で礼拝に20人位しか参加しない小さな教会に突然、40~50人のイスラム教徒難民が姿をあらわしたこともあったそうです。教会は彼らにどう対応し、何をどう伝えるか、各ミッション団体を含め国教会全体が真剣に取り組んでいます。SLEYもヘルシンキの移民難民向けミッションのため、「ルター教会」(フィンランド便り2を参照)に専属の「宣教師」を設けることとし、その職にアフリカ出身の牧師が就任することになりました。

 上の2枚の写真は、夕刻の野外の聖餐式礼拝の一コマ。礼拝と言っても、最近は司式の音楽に軽快なポップ調のものが用いられるようになり、このような女の子たちのコーラスがバンドと一緒に司式の音楽をリードします。次の写真は聖餐式の様子。6,000人近い人たちにパンと葡萄酒の配餐をするために、30人近い牧師が動員されます。

 全体集会のプログラムの合間や同時並行して、教会や周辺の学校の中で、または湖畔の公園で、年齢層に応じた様々なブログラムやイベントが開かれます。金曜日と土曜日の夜は、若者向けのゴスペル・ロックのコンサートが開かれます。上の写真はその一コマ。CDで聴くと福音のメッセージははっきりわかるのですが、コンサートの激しい騒音と歓声の中では、「…..イエスの愛が俺の利己主義の壁を突き破った瞬間….」とか、「….十字架が罪の負債を帳消しにした、俺は本当に自由だ….」とか、断片的に聞き取れるのが精一杯でした。

私が参加したプログラムの一つに、教会を会場にして行われた講演会があります。論題は「キリスト教の『三位一体説』は、ユダヤ教イスラム教からみると、なぜ気違いじみた教えに見えるのか?」という挑発的なもの。講演者は、オーボアカデミー大学神学部の旧約聖書・ユダヤ教学のA.ラート教授とP.リンドクヴィスト講師。二人は昨年の全国大会の講演でも、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という世界三大一神教の比較をテーマにして会場を満員にしました。今年も満員でしたが、驚いたのは年配の方の参加が多く見られたことです。イスラム教の存在を身近に感じ、どう対応しなければならないかを真剣に考えているのは若者層だけではないことを窺わせました。

3日の日曜日は朝から雨が降り、野外の全体集会の成否が危ぶまれましたが、午前の聖餐式礼拝の初めころにはやんで、あとに続くプログラムでは時々太陽も顔を出すくらいになりました。その日の降水確率は90%の予報が出ていたのですが、父なるみ神は参加者みんなの祈りを聞き遂げて、10%の方を実現してくださいました。下の写真は、聖餐式礼拝の始まりの様子。聖餐式を担当する40人近い牧師たちが十字架を先頭にして聖壇前に進みます。会衆は敬意を表して起立します(今年招待されたミャンマーや韓国のルター派教会の牧師も聖餐式を担当しました)

 全国大会最大のイベントの一つは、宣教師の派遣の按手式です。下の写真は今年派遣の按手を受ける宣教師たち。先頭にいるアフリカ人牧師はヘルシンキの「ルター教会」専属の移民難民宣教師に就任するR.O.オティソ牧師です。今年新規に派遣される宣教師が3人、派遣更新された宣教師は9人でした。

 

日本派遣宣教師は、吉村の家族を含めて6名。下の写真は聖壇前に向かう吉村宣教師一家。

下の写真は、按手式を前に子供たちが派遣国の旗を振って見送りの歌を合唱しているところ。

 宣教師の派遣式のあとも全体集会は続きます。上の写真は、スオミ教会の活動について報告するパイヴィ宣教師。

人口7,000人程の町に1万4,000人の人が押し寄せて、食事や宿泊はどうなるか驚かれるかもしれません。宿泊は町や近隣のあらゆる宿泊施設やキャンプ施設、自宅を開放する民家の他に、周りの学校が臨時の宿泊所になったり、キャンピング・カー用の大駐車場ができます。食事も、メニューは限られますが、野外「レストラン」の他、随所に天幕カフェが設けられます。上の写真は、大会終了後すぐ会場の片付けを手伝う参加者たち。140年以上の経験の蓄積と参加者のボランティア精神が大会の運営を支えています。来年のSLEYの全国大会はヘルシンキで開催されます。(以上)

 

 

北欧の賛美歌が聞けます! 一日教会祭

6月5日市ヶ谷教会にて中央線沿線七教会が参加する「一日教会祭」が開催されました。今年で11回目となります。スオミ教会からは、昨年同様、教会の有志によるコーラスの参加とフィンランドの菓子パン「プッラ」の出店を出しました。外部団体のカンテレ演奏グループ「ピエニタウコ」が今年も友情出演をしてくれました。

コーラスは北欧の讃美歌を三曲歌いました。

最初の讃美歌は、スウェーデンやフィンランドで300年近く歌われてきた初夏の季節の讃美歌で、タイトルはスウェーデン語で「Den blomstertid nu kommer(花咲き誇る季節来たり)」、フィンランド語で「Suvivirsi(初夏の讃美歌)」。フィンランドでは現在でも小中学校の夏休み前の終業式の時に全国音楽祭で一斉に歌われる讃美歌です。

下の開始ボタンを押すと「Suvivirsi(初夏の讃美歌)」を聞くことができます。

http://www.suomikyoukai.org/2020/wp-content/uploads/2016/06/MVI_7152.mp3

この歌には逸話があります。毎年終業式で歌われる時、父兄席の特に新入生の親の中で歌いながら泣き出してしまう人がいることです。どうしてかと言うと、かつて自分が子供の頃、毎年この歌を歌っていた。父兄席をちらと見るとお父さんお母さんも一緒に歌っていた。それが突然、自分は親になって父兄席にいる。しかも目の前で自分の子供が同じ歌を歌っている。この時の巡りに感極まってしまうのだそうです。「全てを時宜に適うように造られる神」(聖書の「コヘレトの言葉3章11節」)父なるみ神の導きを思わずにはいられません。

二番目の讃美歌は、スウェーデン人なら誰でも知っている「En vänlig grönskas rika dräkt(優しい緑の豊かな装い)」。これも初夏に歌われる讃美歌です。近年スウェーデンではヴィクトリア王女、マデレーネ王女、フィリップ王子のロイヤル・ウェディングが相次ぎ、新郎新婦が大聖堂の中を聖壇に向かって進む時に会衆が一斉に歌いだしてお祝いの気持ちをあらわした歌として記憶に新しいです。

下の開始ボタンを押すと「En vänlig grönskas rika dräkt(優しい緑の豊かな装い)」を聞くことができます。

http://www.suomikyoukai.org/2020/wp-content/uploads/2016/06/MVI_sanbika_2.mp3

三番目の歌は、フィンランドのミッション団体SLEYの聖歌集「Siionin kantele(シオンのカンテレ)」に収められている歌「Saman korkean taivaan alle(この青い空に下に)」。かつて飛行機のない時代、船で海を渡った宣教師たちは、離れ行く祖国を懐かしみ新しい赴任地に緊張の思いを馳せた時、この聖歌集を携えて甲板に上がり歌を口ずさみながら慰めと励ましを得たと言われています。この歌は1960年代のものですが、スオミ教会のテーマソングのように歌い継がれています。

下の開始ボタンを押すと「Saman korkean taivaan alle(この青い空に下に)」を聞くことができます。

http://www.suomikyoukai.org/2020/wp-content/uploads/2016/06/aoisoranoshitani.mp3

フィンランドの菓子パン「プッラ」は今年も大好評で、100個すべて完売でした!
前日にパン焼きご奉仕をして下さった皆様、ご苦労様でした!

 

 

 

 

5/14 フィンランド家庭料理クラブのご報告

ドーナツ爽やかな五月晴れの土曜の午後、
家庭料理クラブは、フィンランドのドーナッツ[Munkit]を作りました。

最初に吉村先生の
お祈りからスタートです。

今回は、幼稚園児と小学生の参加もあり、
可愛い歓声の聞こえる、楽しい会になりました。

グループに別れての生地は、
フィンランド式に、優しく捏ねていくうちに完成し、作業はテンポ良く進みます。

ドーナツ、フィンランド、生地発酵中の可愛い生地達は、
ドーナッツの形に成型され、
オイルの中で、
きつね色に膨らみ、お砂糖にまぶされて完成です。

ドーナツ、フィンランド

 

パイビ先生の用意して下さった、Simaと一緒に、バップの季節の、森のハイキングや
楽しかった思い出
も聞かせて頂きました。

また、聖書のお話も分かりやすく、詩編23編は心に深く響きました。

参加の皆様、最後まで後片付け下さって、ありがとうございました。

料理クラブは、6月から夏休みで、次は9月になります。